Arowana

by トールハンマー




(1)

 その扉を開けると直ぐに、剣呑な視線を感じた。
別にじっと此方を睨まれたわけではないが、常日頃から慣れ親しんだ感覚だけに敏感に感じ取れる。
遅かったじゃないか、何をしていたんだ・・・と。
だが、
悪い、女が放してくれなくて・・・・と、返す視線に言い訳を滲ませる前に、その気配はふっと逸れた。
昨夜、リタと一緒だったのを見られているだけに気まずい。
ジョーは大仰に溜息をついて、視線の主と反対側のカウンターの端に腰を下ろした。
「ジャックダニエル」
「ロックで?」
バーテンダーに頷き、煙草に火を点ける。
すかさず灰皿が出てくるあたりサービスが行き届いているようにも見えるが、こんなところでも禁煙化が進んでいる証拠だ。
お上品なことだな・・・と毒づきはするが、場末にしては品の良すぎる店内を思えば頷けなくもない。表通りに軒を並べていても決して見劣りはしないだろう。ただ休憩用の“お二階”があるのだけが、そこではやはり場違いであるのは否めない。

ちぇ、いちいち妬いてんじゃねぇよ!
煙と一緒に溜息も吐き出す。
たぶん女のことで気を悪くした訳じゃないだろう。仕事の時間にルーズなのを責められたのだ。それとわかっていて口を尖らせるのは、つれない相棒にきっと自分の方が焼もちを焼いているせいだ。
「ざまぁねぇな・・・」
知らず口をついて出る言葉を酒で流し込む。
緩やかな音色の拉弦楽器の音楽に耳を傾けながら飲む酒は、舌に馴染んだバーボンでも異国の味がする。サイドボードに零れ落ちるほどの花弁を包み込む大輪も異国の花だ。
広い水槽で泳いでいるアロワナの、光線の角度でコバルトブルーに発色する固体は気性の激しい魚だとは思えないほど優雅で美しい。
アジアンチックなこの店の雰囲気が、ジョーは嫌いではなかった。それがここを今回の接触場所に選んだ理由でもある。

まだ早い時間なので店内には、二人の他に客は疎らだが、カウンターから程近いテーブル席にいる男には見覚えがあった。
あんの野郎・・・、またケンにつきまといやがって!
レインボーカラーの髪に派手なアクセサリー、膝の磨れたジーンズに好色そうな目。JUNでよく見かける顔だった。
おまえんとこ、最近、客層悪くなったんじゃねぇか? と、ジュンに言ったのは、ついこの間のことだ。時々、JUNで演奏しているロックグループのリーダーだそうだが、彼女もバンドの質の悪さから、最近では断りを入れることが多いのだと漏らしていた。
・・・ったく、仕事の邪魔しやがったらただじゃおかねぇ。
とは建前で、ジョーの中では早々に、相棒に熱を上げる不届きな輩に一発食らわせる算段が整っていた。
そして、無意識に指を鳴らした時だった。
パタン・・・と、ドアが開いて男が一人入って来た。
パリッとしたスーツにネクタイ。高級嗜好が板についた実業家タイプで、なかなかのイケメンといった風貌だ。手には趣味の良い書類ケースを提げている。
男は入って来たドアを背に店内を一巡見回すと、迷うことなくカウンターの端の席に足を向けた。勿論、ジョーとは反対側のだ。
「ぼうや、学校は終わったのかい?」
「ああ、でも、宿題が残ってるから、オジサンとは遊べないんだ」
カラン・・・と氷を鳴らして、オレンジジュースのタンブラーに刺したストローを弄んだ指に男の視線が向く。ふっと口角を緩めた。
「それじゃ、“上”で、オジサンが宿題を手伝ってあげよう」
その言葉に、ケンが俯いていた面を上げた。
「合言葉の続きがあるとは知らなかったな」
薄っすらと笑みを浮かべ唇を緩める。お決まりの微笑は業務用だ。
その後の行動もマニュアル通り。ただしケン仕様のだ。
「校長先生は、情報が欲しいんだろう?」
「ああ、あんたのね」
生意気そうな上目遣いで男を見るが、「さぁ」と促し肩に触れた手には、恥らうように目線を落とすことを忘れない。
いや、これはマニュアルにはない。無意識の行動だとジョーは思う。

「ふん・・・」
遅刻も無断欠席も皆無の優等生が、こんなことをやってるなんて校長先生が知ったら、卒倒ものだぜ・・・・、
二階に消えていく二人の背中を見送って、グラスに残っていたジャックダニエルを飲み干す。二杯目を注ごうとするバーテンダーに「いや、いい」と断り席を立つ。目標はレインボーカラーのリーダー。任務絡みでは仕方がないが、プライベートは別だ。
「オジサンにツケといてくれ」
親指を階上[うえ]に向ける。バーテンダーはしっかり懐柔してある。Arowanaは校長先生もご贔屓の店だ。
さてと・・・、
ただのストーカーならいい。だが、そうでない場合も当然考えねばならない・・・と、大義名分を掲げ、ジョーは、さも悔しそうにテーブル席を立った目標物が店を出るのを追った。


(2)

 一旦表通りに出ると信号を渡ってまた細い路地に入って行った。反対側の通りに出てスタンドのロトを買って、またもとの道順を辿る。暫く行くと常夜灯も乏しい道をホテル街に向かって歩き出した。
ジョーは人気がないのを確認すると、目標物に近づき背中からすかさず首に腕を回して、直ぐ側の取り壊し中のビルの中に引きずり込んだ。
ぐっ・・・と喉を鳴らし、いきなりの羽交い絞めに目を白黒させ恐怖に戦いている男を、崩れかけた灰色のコンクリートの壁に投げつける。
咄嗟に庇ったつもりだろうが、強か顔面を打ちつけた男の頬は赤く擦り剥けていた。
「な、なにをしやがる!」
音量は十分だが声は震えている。が、ジョーを見て覚えがあるのかいくらか平静を取り戻したようだ。だが、次の一言で血の滲んだ頬を歪ませる。
「ケンに何の用だ」
胸倉をつかむと、ひっ!と悲鳴を上げた。
「あ、あんたに関係ないだろう」
「そういうわけにはいかないんだ。おまえが何を企んでるか知らねぇが」
ジョーは、一度そこで言葉を切り、ドスをきかせて続けた。
「痛い目見ないうちに手を引きな。あいつは、おまえなんかにどうこう出来るタマじゃねぇんだ」
高圧的に発せられる言葉に、だが、首を竦めはするものの、落ちた前髪の隙間から覗く男の目は挑戦的だ。
「あんた、あの坊やに惚れてるのか? なら、教えてやるよ、女の嫉妬は可愛いが、男の嫉妬ほど滑稽なものはないってね」
当たらずも遠からず・・・・、認めたくはないが図星を指された。
「あんた、坊やの何?」
「言いたいこと言ってくれるじゃねぇか」
カッと頭に昇った血とは反対に、底冷えのする微笑が浮かんだ。ここでジョーをよく知る者なら、一もニもなくさっさと回れ右をするだろう。しかし、初対面同様の男の頭に、そんな警戒警報が発せられるはずもない。
グィと顔を近づけて、ニヤリとジョーの唇の端が吊り上った。
「ケンとヤりてぇか? 俺はヤってるぜ」
腹に響くような、否、聞く者によっては、低く横暴でそれでいてゾクリとするほど腰に来る響きだった。
「無理矢理って時もあるがな。だが、ヤっちまえばこっちのもんだ。力じゃ俺に敵わなねぇ、押さえつけて好き放題さ、啼かせて、何度もイカせてやる」
男の喉から、ゴクリと唾を呑み込む音がした。
「やめろ、もういやだ・・・ってな、あられもなく腰を揺すりながら啼くんだぜ」
・・・・いつも澄ましてお高くとまったヤツがだ。
「そんな時は、散々焦らしてやる。でも、強情なあいつはイカせてくれとは言わねぇんだ。だから、こっちもエスカレートする。嫌がる脚を押し広げて腰を突き上げる。仰け反って逃げをうった身体を引き摺り下ろして、何度も・・・」
・・・・意地を張って歯を食いしばっても、堪えきれずに漏れる声。抱かれて、感じまくって、我を忘れるあいつの身体は絶品だ。
「見てみてぇだろう」
・・・・喘ぎ乱れて、イク時のあいつの貌を・・・、
男の余裕がなくなったのは、いわずもがなだ。身体中の熱を下半身の一箇所に集めてしまっている。
これで刺客なら敵さんの適性検査の基準を疑う。ジョーはだだのストーカーだと判断した。
「あいつの弱点はな・・・、ここだ」
首筋を指でなぞってやる。切羽詰まって呻く男の下半身は爆発寸前だ。顎の下まで這わせた五本の指に力を込める。
天国から地獄。首を絞められて男の瞳がカッと見開く。手足をばたつかせ逃れようとするが、そうそう簡単に離してやるつもりはない。頃合いをみて徐に口を開く。
「二度とケンに近づかないと約束しな」
爪を立て、うんうんと頷く男のソコは、今度は違う生理現象で硬くなっている。
「JUNにも、今後一切出入り禁止だ」
「わ・・・、わかった」
「それから・・・」
もう少しいたぶってやろうと思ったが、男が白目を剥いたので手を離してやることにした。
腰を抜かし尻餅をついた男は、激しく咳き込むのを治まるのも待たず、這うようにしてビルの廃墟から姿を消した。
一人になるとジョーは煙草に火をつけ、薄い星の瞬く空に向かって煙を吐いた。
・・・・あんなのに目ェつけられやがって。
まるで男癖の悪い恋人でももったような気分だった。本人には責任も何もないというのに、どうせまた色気を垂れ流しにしていたんだろう・・・などと思ってしまう。
・・・ったく! 任務以外じゃ、ガラ空きなんだから手に負えねぇ。
ジョーに言わせるとケンは自分の魅力−いや、魔力と言っていい−をまったくわかっていない。情報を得るために男を手玉に取ろうと、それはあくまで課外授業の一環で、方法と手段、学習と演技力の賜物だと信じている。だから、今日までの成功率を天性の資質が80%以上を担っていることを知る由もない。
自慢じゃないが、女にモテるのは今も昔もジョーの方だ。彫りの深い精悍な顔立ち、長身の鍛えられたスマートな体躯、スーツも難なく着こなせる肩幅と、女を口説く時に重宝する見た目よりも甘い声。
だが、それ以上に、ケンは一度魅了した相手をとことん狂わせる性質を持っていた。不幸にも一度ケンに魅せられた人間は、どんなにその思いを否定しようが夢中にさせられるのだ。まるで蜘蛛の糸に足を取られるかのように、もがけばもがくほどその魅力に取り込まれていく。
それを、身を持って知っているのは、誰あろうジョー自身だ。


(3)
「どこに行っていたんだ」
店に戻ると二階は蛻けの殻で、嫌な予感を抱えて地下の駐車場に向かった。案の定だった。
ピカピカに磨き込んだジョーの愛車に凭れて、仏頂面のケンが煙草を吹かしていた。
「ここは禁煙だぞ」
言うと、さも機嫌が悪そうに唇から抜き取り足元のコンクリートに捻り消した。
「随分早かったじゃないか。あのオジサン、早漏だったのか?」
「下品な言い方をするな」
「はん! 任務のためなら股開いて尻差し出すヤツがよく言うぜ」
思いっきり鼻であしらって言ってやる。
・・・ったく、人の苦労も知らないで、こいつは! と内心毒づくジョーだが、
「ジェームズ・ボンドだってやってる常套手段だろ。相手が男か女かの違いだけさ」
何が悪い・・・・と、すっぱり返されれば、反論の余地もない。
呆れてものも言えないとはこのことだ。これ見よがしな特大の溜息をついてやる。と、お愛想程度にケンが肩を竦めた。
その仕草が憎くらしくて、クイと形のいい顎を摑み上げると、肌蹴た襟元から覗く赤い鬱血の跡を見つけた指がそれに触れた。
「ひとつ・・・」
「ふたつ・・・」
場違いに真剣なジョーの眼差しに、怖気づいたように白い首筋がビクリと震えた。が、睫の影を帯びた瞳は、少しも悪びれはしない。
ゆっくりと上がった唇の端「は」が挑発的だ。
「三つ目はないぜ」
ふん、ひっぺがして見ないことには、わからねぇよな。
そんなジョーの口にはせぬ言葉を、当然、ケンは伺い知って口角を緩める。
「安売りはしない」
くそ・・・・!
こいつは、俺を揶揄って面白がってやがるんだ・・・・、わかっていながら、つい、その美しく嫣然な微笑には、全面降伏を余儀なくされる。お手上げだ。畜生!情けねぇ・・・、
「ここまでってことか」
鎖骨の直ぐ上に咲いた花弁を、人差し指で弾く。
「お楽しみは後に取っておく方が期待も増すだろう。あのオジサン、次はもっと凄い情報をもってくるぜ」
「気の毒にな・・・・」
ふふ・・・・、
髪を書き上げ、高慢に微笑う唇が壮絶に艶っぽい。
腰を掬い背を抱きしめて、咲き綻んだばかりの赤い花に貪りつく。
「・・っ・・・あぁ・・・」
あえかな声を漏らすケンの頭が、ブルネットと一緒に仰け反った。
「・・・俺は、任務意外では、男となんか、寝ない・・・」
「じゃ、俺とヤるのは何だ?」
あんた、坊やの何?・・・・、不本意にも、あのストーカーの言葉を反芻する自分がいる。ジョーは、貪りながら舌打ちした。
「答えろよ」
「・・・出血大サービス」
「・・・・」
おまえなぁ・・・・、
一気に脱力した。ボタンに掛っていた指を解く。楽しそうに笑った相棒を見て、がっくりと肩を落とすと、ケンの指がジョーの俯いた顎に触れた。掬い上げて、
「惚れてる・・・・とでも、言わせたいか」
ゆっくりと首に回った腕が、アッシュブロンドを抱き込んだ。
「言えるものなら言ってみろ!」
だが、言葉とは裏腹に、その心地よさにうっとりとなりながら、触れ合った体温に溺れていると、
惚れてる・・・・、
耳元に囁き込まれる声に、ゾクリと背筋に痺れが走った。条件反射で腕に力がこもる。項にかかる熱い吐息を感じてか、ケンが甘い溜息を漏らした。
「惚れてる・・・、誰よりも、おまえのテクは最高だ」
瞬間、ジョーの顳顬にピクリと青筋が走ったのは言うまでもない。堪らないといったふうに肩を震わせ忍び笑うケンの、首に巻きついている腕を引き剥がす。
「お褒めにあずかり光栄だ。ご期待に添って今夜はたっぷりと味わわせてやる。最上級のテクニックを駆使して、嫌というほど啼かせてやるから覚悟しろよ!」
宣戦布告。踵を返した背中に、ケンの忍び笑いが後を絶たない。そして、
「おまえは、最高だ。ジョー・・・」
愛車のシートに納まる背中に呟くがケンの囁きは、ジョーには届かなかった。

「請求書を」
必要経費の請求書を求めて差し出された手に、ハンドル片手に「無ぇよ」と返す。
「オジサンにツケといてもらった」
「じゃあ・・・」
ニヤリと笑うジョーに、ケンも嬉しそうに返した。
「飲み直そうぜ、俺はオレンジジュースで我慢してたんだからな」
・・・ったく、どういう趣味だか、おかしな合言葉を考えるヤツがいるからさ。
口を尖らせるケンの上目使いがなんとも可愛い。
思わず緩んだ眦を見咎められぬようアクセルを踏み込み、変わりかけた青信号を突っ切る。
ああ、これだから一生勝てないのだ・・・・、

フロントガラス越しの街は夕闇色。
オレンジとモノクロームのグラデーションに描かれるビル街は、すっかり見慣れた風景のようでも昨日とは微妙に違う。だから、面白いのだと肩を抱き合い瞳を合わす。
通り過ぎる街路樹が、こんな排気ガスの中でも色を変える。季節を見送ることが出来る。だから、切ないのだと吐息を交える。
だから、
おまえが欲しいのだと唇をよせる。

「校長先生への報告は?」
「すませた」
「出来は?」
「百点満点」
「それじゃ、豪勢にいこうぜ!」

ヘッドライトをジグザグに縫って走る。イルミネーションの洪水に呑まれるままに、二人は必要経費の請求書を作るために、Arowana に引き返した。



                    END



アジア・アロワナ(学名 Scleropages formosus)
体長60cmから70cmくらいに成長する。ワシントン条約 (CITES) の絶滅危惧種に指定され、原産地のインドネシア、マレーシアなどからの輸入は養殖個体のみ認められている。また、輸入する際には許可証が必要である。非常に高価な魚種である。特に、突然変異種である赤色(辣辛紅龍)又は金色(過背金龍)の個体は、高額で取引される。


作中引用:中原一也「覗く瞳、濡れる心」より



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