THE BLUE ROSE - Homage to The Spell of Blue -

by さゆり




(1)

「ジョー、レンチを取ってくれ。8分の5インチのやつ−」
 旧式なレシプロ機のレストアに熱中しているケンは振り返りもせずに上にした掌を俺に差し出した。
「チェ、ものぐさしねえで下りて来い」
「手が離せないんだよ。なあ、ほら、早く」
 そう言ってさらに伸ばした指先に、
「これか?」
 と、俺は御所望のレンチを乗せてやったところでふいに悪戯心を起こして、
「すまん」
 と、あいつが握ろうとした瞬間、それを引っ込める。
 ん?と、奴の指が何も無い空間を探り、そしてからかわれたと気付いたのだろうが、ケンは相変わらず背を向けたままでこっちを見ぬまま、もう一度掌を差し出した。
「おい、ジョー…」
 目一杯広げた5本の指があいつの苛立ちを代弁して「早くしろ!」と上下に揺れる。
「何やってんだよ、ちゃんと受け取れって−」
 ほら、と再び指に触れたレンチを今度は逃すまいと素早く握ろうとしたが…、今度も俺の方が早かった。「おい!」、「ほらよ」と三再びそれを繰り返すと、ステップの上でまだこちらを見ぬまま、クソッとケンは小さく毒づいた。
「あっははは、ケン、意外と鈍いな、おまえ」
「ジョー、おまえなぁ…、わっ−」
 むかっ腹を立てたところを嘲笑われて勢い良く向き直ったケンは、狭いステップの上に散乱している工具だかオイルの染み込んだウェスだかに足を取られたらしい。半身を捩ったまま思わず差し出した俺の両腕の中に滑り落ちて来やがった。
「だ、大丈夫か?」
 驚いて仰向いた俺のすぐ前、そう、鼻先が触れそうなくらい近くにあいつの顔があって、大きく見開いた夏の空みたいなその瞳が俺を見ていて……あ、吸い込まれちまいそうだ…と思った瞬間、
「馬鹿野郎ッ!くだらん冗談はよせ!」
 ケンは小気味のよい罵声を浴びせて俺の手を振り払った。
「すまねえ。つい−」
 面白くてよ、と笑うと、俺の足下に落ちたレンチを拾い上げてフンッとそっぽを向いた。
 ちょうど真上に来た太陽が、風に踊るチョコレート色の髪と少し陽に灼けた肌をきらきらと輝かせて、俺はあいつのその眩しいほど健康的な姿に少し目を細める。
「んな怒んなよ。ちょっとしたジョークじゃねえか」
「あ、そ」
 そのぶっきらぼうな物言いと子供っぽく唇を尖らせたその横顔。それらはやっぱり”健”のものだ。たったひとり、心の底から愛したあの健の面影をこのケンに重ねることは果たして正しいのだろうか?−と、その思いに俺はずっと躊躇し続けている。以前の俺だったなら迷うことも躊躇うこともなく、きっとこいつを抱きしめて、思いを遂げたことだろう。以前、あいつにそうしたように。だが、今の俺達は……。

「くっ、なんて固いんだ」
「おい、どうした?」
「ここのボルトが固くてさ、こりゃエアレンチが要るな」
「こいつか?よし、任せろ」
 苦もなくそのボルトを外す俺の指先を見ていたケンは、ハッとしたように顔を上げて俺の横顔を凝視める。だが「何だ?」と訊くことはない。ケンは俺がサイボーグだということを識っている。与えられた記憶、知識としてそれを認識していても、ただまだそれに慣れていないのだ。
「こっちのも全部外すのか?」
「…ん?ああ、頼む」
 よしきた、と頷いて、俺はあいつが何とか取り繕うとしているぎこちなさに気付かぬふりをする。
 そう、今の俺達は”以前”の俺達ではなく、同時にもう1つの”以前”の俺達でもない。
 あのイブの夜明けに”健”の−DRの呪縛から解き放ってしまったケンは、俺を含めこれまで生きて来た健の記憶の”すべて”を忘れることなく、しかし自らがクローンであるという事実とそれに附随してケンを悩ませていた疑問のみを失くした状態で覚醒した。
(負けたよ、ジョー。でもクリスマスが終ったら俺と一緒に戻るんだぞ)
 その澄んだ空の色の瞳を俺に向けて、屈託のない笑顔を浮かべてくれたケンを見た時、俺は生まれて初めて心から神に感謝する気になった。だが同時にそれは本物の、真実、神の恩寵なのか?という怖れと不安の始まりでもあった。
 山の中のあの小さな町でクリスマスを過ごしてベースに戻った時、そして新しいブレスレット−翌朝、ケンが投げ捨てたブレスレットを探し出した俺は何食わぬ顔でそれを破壊した−が再びあいつの手首に戻った時、仇敵の残党が存在する限りは、と置かれたGセクションのトップであるG1号が少し戸惑ったような様子を見せる時、俺はたまらないほどの不安に駆られた。
−いつかこのケンも、いなくなってしまうのではないか?−
 と。
 概ねケンはそれまでのG1号と大差なく巧くやっていたが、サイボーグの俺に戸惑うのと同様、”識っている”だけが故のぎこちなさは如何ともし難い。GセクションへのDRの命令はG1号にしか伝達されないし、散り散りになって疲弊した残党どもももはや大した騒ぎを起こすわけでもないから、表面上は何も変わらぬという状況のまま日は過ぎて行く。しかし、DRは”すべて”を知っているのだし、それにそもそもDRが自らのコントロールを離れたケンを”このまま”にしているということの方が不思議だ。
 いつか……DRはもっとマシな”健”を甦らせるのだろうか?
 いつか……こいつは突然、その姿を消してしまうのだろうか?

「ジョー、おい、ジョーってば」
 拭い去れぬ不安な予感から俺を現実に引き戻したのは、あいつが俺の名を呼ぶ声だった。
「え?」
 どうしたんだ?と怪訝そうな青い瞳が俺を目を真直ぐに覗き込んでいる。
「ああ、すまん。ちょっと考え事してたもんで…」
「そうか。な、昼飯にしようや。お陰で捗ったぜ」
 おう、と応じて、俺達は眩しい初夏の陽射しが照りつける滑走路を突っ切って、ベースのカフェテリアへと肩を並べて歩いた。
「な、さっきは何を考えてたんだ?ジョー」
「ん?いやなに、あのオンボロが無事に大会に出られたとして−」
「出られたとして?って、おい、何言ってるんだ、ジョー。ブルーローズ号は勝つ。時速845キロの世界レコードを持つあのレアキャット号を追い抜いて、きっと勝ってみせる!」
「あ、そ」
「おい、何だその言い種は?だいたいおまえは”ブルーローズ”って言葉の意味を知ってるのか?ジョー」
「ヘン!知ってるともさ、俺が付けた名前だぞ。おまえこそ意味分かって言ってんのか?ケン」

 The blue rose、それは「有り得ないこと」、それは「不可能なもの」。
 しかし、俺はこの語句が持つ呪縛を解いて、こいつと一緒にいたかった。
 この穏やかな一時よ、叶うものなら永久に続いてくれ、と祈りながら……


(2)

 ランチタイムのカフェテリアはいつものように美味そうな湯気と食器が触れ合う音、人々の話し声や笑い声で賑やかだった。このベースに詰めているのは多国籍軍からの派遣人員で、同僚以外はお互い見知らぬ奴ばかりといった者が殆どだ。Gセクションと連携している人員とて例外ではなく、だから表向きは”ISOの関係者”としてしか知られていない俺達に特に関心を持つ奴もなく、比較的気ままに過ごせるってのはありがたい。

「−で、エンジンは4000馬力のレフトL3350を搭載して、そいつをさらにフルチューンしたってわけさ」
 ハムサンドを頬張りながら、ケンは「どうだい」と言わんばかりの顔で俺を見た。
「ま、確かにエンジンはすごいな。だけどよ、元の機体は半世紀以上も昔のオンボロ−いや、オンボロどころか残骸だったんだぞ、あいつは」
「そんなの珍しくもないさ。レアキャット号だって元はグラマンF8Fだし、ストレガ号だって同時代のP51ムスタングだ。それがアンリミテッドレースの醍醐味じゃないか。わかってないなあ、ジョー」
「わかってないのはおまえだぜ、ケン。いいか?そもそもレースってのは−」
 かつて健と幾度となく繰り返したやりとりをケンと再び繰り返すのは些か不思議な気がするが、同一の遺伝子を持ち、まして与えられたものとはいえ18年間の記憶も同一なのだから当然といえば当然なのかも知れない。気性だけでなく、ちょっとした癖や嗜好も殆ど同じで、今日のランチメニューにクリームマッシュルームスープを見つけた時の嬉しそうな顔には笑ってしまった。
「そりゃ勝つってことが大事なのは分かるけどさ、それよりも大事なのはそのために頑張って努力する、そして全力を尽くすってことだろ?」
「ま、どこに意義を見い出すかって違いだな。俺は勝たなきゃイヤだね、全力を尽くそうが尽くすまいが要は勝ちゃいいんだ」
 頑張ったってどうにもならないものはどうにもならないって時もあるのさ、と俺は胸の中で呟いた。どうにかしたかったぜ、あの時だって…せめてあの野郎に一矢報いてやりたかった。しかし無情にも羽根は逸れた。ああ、だけど、おまえに−いや、あいつに本部への入り口を知らせることは出来たっけ。なるほど、あれが全力を尽くすってことかもな……
「うん?おい、ひとりで何をニヤニヤしてるんだ?ジョー」
 思い出し笑いなんてイヤな奴だな、と目の前で笑っているこのケンもあの時のことを識ってはいる。だがそれは報告書を読んだというようなもので、口に出せばまた戸惑った顔を見ることになってしまう。それに健もあの後のことは何も言いやしなかったし、俺にとってもあの後のことは正に報告書のみの出来事なのだから−−だから、別に何でもねえよ、と俺は立ち上がった。
「コーヒー要るか?」
「いや、スープをもう一杯」
 やれやれ、とコーヒーとスープのカップを持って戻った俺は少し離れた壁際に意外な人物の姿を見つけた。
 何であいつがこんな所に?−と思う間もなく、
「ドクター!ドクター・カイン、こっちです」
 ケンは屈託のない笑顔を向けてそいつにそう呼び掛けていた。

「珍しいですね、ドクターがここにいらっしゃるなんて」
 やあ、と応えたそいつはISOセル・バイオ研究所の科学者で、博士と共に健の細胞サンプルをクローンニングし、DRの下でケンを目醒めさせた当事者だとかで、その後もGセクションの−主にケンの−担当医を勤めている。実際の作戦行動に投入されるGナンバー要員には専任のドクターが不可欠で、かつては博士がそうだったが、還って来た俺のためにはサイバネティクスの専門家が、そして細胞破壊に冒された健とクローンであるケンのためにはセル・バイオの専門家が必要になったというわけだ。
「ハンガーで聞いてね、それで急いで探しに来たんだよ。ケン、具合はどうなんだい?」
 フレームレスの華奢な眼鏡の奥から不安げな眼でケンを凝視しながら性急な口調で訊ねるドクターにケンが首を傾げる。
「え、具合って?」
「そう、胸に痛みは?咳は出る?食欲は…ありそうだね。どれ、ちょっと熱を−」
 繊細な指先をあいつのチョコレート色の前髪に差し込んだドクターの方が今度は「おや?」と首を傾げた。
「胸膜炎で大騒ぎだって聞いたんだが…」
 ああ、と頷いて、ケンは愉快そうに笑い出した。
「ドクター、それじゃ『ガラスの動物園』ですよ。えーと、俺が大騒ぎしてるのは”プルローシィ”じゃなくて”ブルーローズ”です」
「あ…なんだ、聞き間違いか。いや、びっくりしたよ」
 『ガラスの動物園』?ああ、『明日に向かって撃て!』や『スティング』であんなにかっこよかったポール・ニューマンが歳食ってから「妻に捧げる」とか抜かして撮ったつまんねえ映画か?でもあれにそんな件あったかな?と一瞬考え、いやそんなことはどうでもいい。問題は何でこいつが来やがったか?ってことだ…と、
「で、ドクター、何か急用でもあるんですか?わざわざこっちに来るなんて」
 単刀直入に訊いてやった。実のところ、俺はこいつが嫌いなのだ。何故ってこいつにとってケンは”貴重なサンプル”でしかないからだ。もしかしたら、と俺は考える。こいつがいなかったら或いはケンは存在しなかったのかも知れない、と。いくら完璧な理論と方法を持っていたとしてもDRには”手”がないのだから−。そして今、俺が懸念しているもうひとつの、もしかしたら、とは−
「やあ、ジョー。ええと、実はだね…」
 俺の存在にたった今気付いたという表情で口籠っていたドクターは、
「そのスープは?」
 と、おおよそ俺の質問とは関係のないことを訊ねた。
「クリームマッシュルームです。美味いですよ、ドクターもいかがですか?」
「ケン、君はそのスープが好きなのかい?」
 ええ、まあ、とあいつが頷く。
「そうか。ええと、それの成分表はどこにあるのかな?」
「さあ?」
「で、他には?他にどんなスープが好き?」
「スープですか?えーと、そうだな。チキンクリームも好きだけど…」
「ここのスープはどれもキャンベル社の業務用ですよ。レシピが知りたいなら製造元に問い合わせればいい」
 愚にもつかない応酬に俺は苛立って口を挟んだ。ンなことよりも、ここへ何をしに来やがったんだ?と睨みつけると、ドクターは我に返ったように瞬いた。
「すまない。あんまり食欲がないのでね、つい…」
「それは良くありませんね。どこかお加減でも?」
 と真顔で気遣うケンに彼は弱々しく微笑み返した。
「いや、私じゃないんだ」
「こいつの食欲は問題なく旺盛で、健康にも何ら問題は無しですよ、ドクター」
 だからとっとと帰れと言わんばかりの俺の口調にも怯まず−いや、怯んだことは怯んだらしいが、それでもドクターは、
「そう、それは何よりだね。でもその、ちょっと君の血液とサンプルを採らせてもらえないかな?ケン。定期のメディカルチェックはまだ先なんだけど、あの、すぐ済むから」
 と、切り出した。
 イヤな予感がした。
 健康だった頃の健のサンプル−ケンの元になった細胞だ−はもう残されていない筈だが、同質同一のサンプルはケンから採取することが出来る。クローンニングの本来的な意図が「遺伝的に均一な個体からなる個体群を得る」ことならば、複製の複製でもそれは一向に構わないということで、しかもこいつはそのレシピも腕も持っていやがる……
 DRが望んだものとは異なる存在となってしまったであろうケン。
 やはり「有り得ないもの」はその存在を許されないのだろうか?
 しかし、そうした張本人である俺にそれを止めることは出来ない。
 案の定、
「ええ、いいですとも。もうすぐ大会ですし、ちょうどよかった」
 と、ケンは笑顔で頷いた。


(3)

(ジョー!)
 俺を呼ぶあいつの声がする。
(大丈夫か?ジョー)
−あ…ああ、大丈夫だ。だから俺に構うな−
 ちくしょう、油断したぜ。あいつらがまだこんな強力な武器を持っていたなんて。だがこれは何だ?メカニカルパーツがいかれちまったのか?く、身体が…
−くそっ、身体が動かねえ。ケン、行け!俺に構わず行くんだー!
(馬鹿なことを言うな!何で俺がおまえを置いて行けるんだ)
−ケン、駄目だ。来るなッ!来るんじゃねえっ!−
(う、うあーーッ!)
−ああっ、ケンッ!ケェーーン!−
 再び照射されたビームに変身ジェネレーターがやられたのだろう。虹色の光芒が揺らめく中、白い翼を失くしたあいつは長い髪を翻してその場に倒れた。
 くそぉッ!
 凍り付いてしまったようにまるで動こうとしない身体を、それでも俺は無理矢理引き剥がそうと遮二無二もがいた。動け!動きやがれよ、こン畜生!
 ミシッ…と嫌な音がして左肩に激痛が走ったが、そンなことに構っちゃいられねえ。腕なんかどうなったっていい。あいつを…ケンを助けなくては……
 
 クローンニングの専門家でありDRの " 手 " であるドクターの異例の来訪に俺は苛ついていた。おまけに妙な地震が相次いで起こったとかで、およそ関係がないだろうと思われるGセクションにまで調査出動の要請が舞い込み、ほんの数日前までの長閑な雰囲気とは一転して慌ただしくなったことも勘に触った。
(チェッ、何だってこんなつまらねえ調査に俺達が駆り出されなきゃならねえんだよ?)
(仕方が無いだろ、任務なんだから)
(だけど地震だぜ?ンなものは自然現象だろうが。俺達には関係無いじゃねえか)
(しかし以前と似たようなパターンでランダムに地震続発というのは人為的なものかも知れん。その疑いがあるからDRは俺達を出動させたんだ。前と同じ原因だとしたらやはりあいつらの仕業だからな)
(けどよ、ケン。こンな調査をちんたらやってたら今度の大会に間に合わないぜ?)
(何だ、ジョー。おまえ、ブルーローズ号の悪口ばかり言ってたクセに)
(オンボロはオンボロだがな、せっかくのレースを棒に振るって手は無えぜ、ケン。おまえだって本当は悔しいんだろ?)
 ん…と、あいつはちょっと眉を寄せて俯きかけたが、すぐに顔を上げそしてきっぱりとした口調で言った。
(ま、今回がダメでも次があるさ!)
(チッ、相変わらず融通の利かないやつだな、おまえは−)
 おまえ…任務、任務って。おまえには「次」は無いかも知れないんだぞ?それなのに…と俺はそんなケンを見ているのが辛かった。
 苛ついていたところに持って来て、降って湧いたような出動−ミサイルをぶっ放せる類いの出動ならまだしも、地道な調査と来てはうんざりだ−が重なり、俺は慎重さを欠いていたのだろう。加えてこの2年、特に大きな動きを見せなかった奴らをすっかり舐めて掛かったのが最大のミスだった。そしてそれに気付いたのは−情けないことだが−誘き込まれるように入り込んだ無人の地熱観測ステーションの内部で、突然強力なビームを浴びて身動きすらままならぬ状態に陥った時だった。そしてそれを激しく後悔したのは、あいつが叫び声を上げもんどり打って倒れるのを目にした時だった。
−くそぉッ!−
 死力を振り絞って立ち上がろうとしたその瞬間、閃光が走り、俺は……

「ジョー!」
 俺を呼ぶあいつの声がする。
「大丈夫か?ジョー」
「あ、ああ…大丈夫だ」
 戻って来つつある意識の中、俺はそう応えながら目蓋を抉じ開けた。
 ぼぉっとした視野の中にぼんやりと白い影が浮かび、その瞬間、俺はハッとして跳ね上がるように上半身を起こし、その白い影を掴んでいた。
「ケン!ああ、良かった。無事だったんだな、ケン」
 しかし、焦点を合わせようと瞬いた俺の視界の中でケンはふっと皮肉な笑みを浮かべた。
「しっかりしろ、ジョー。おまえの目は節穴か?」
「な…」
「俺を見忘れたのか?」
「健?おまえ、健…なのか?」
「ああ、そうだ」
 健だって?生きていたって言うのか?まさか!…だがよく見れば確かにこいつはあのケンではない。そっくりだが、何と言えばいいのだろう?かつて健が−そしてケンが放っていた眩しいほどの生命の輝き−そう、それが感じられない。そして思わず掴んだその腕はゾッとするほど細く頼りなげで…
−ああ、こいつはもうそんなに長くねえな−
 刹那、そんな不吉な思いが脳裏を過った。最後の戦いが迫っていた頃、それでも諸刃の剣を振るうことをやめなかった健に感じていたその哀しい予感。
 と、いうことは…しかし…
「ジョー、これを見ろ」
 微かに口元を歪めて、健だと名乗るそいつは俺の目の前に右手を差し出した。静かに差し出されたその手にはもうほとんど " 正常な " 組織が残っていなかった。
 ああ、健だ!
「健、おまえ…生きていたのか?」
 空の色の瞳が微かに揺れ、健は、
「まだ死んではいない、というだけさ」
 と呟いて、その痛々しい右手を纏っている白い上着の背後に隠した。
「どういうことだ?」
「俺のクローンが話したこと全てがデタラメではなかったと言うことだ。いや、むしろほとんど " 真実 " だったと言うべきだな」
「おまえは死んではいなかった。だが、今も細胞破壊は癒えず、だからあいつが代わりに、と言うわけか?」
「そうだ。そしてあいつの記憶をコントロールしていたのはDRではなく、本当は俺だったと言うわけさ。おまえがあいつの中のICチップをぶっ壊しちまうまでは、な。ふふふ、だから " そっくり " だったろう?ジョー。以前のあいつは…」
「まあな。だが今だってあいつは、おまえ " そのもの " だぜ、健」
「フン、" 俺 " ならあんなドジは踏まんさ」
「そうだ!健、あいつは無事なのか?あいつ、行けと言ったのに戻って来やがって−」
 いや、と健は首を横に振った。
「Gセクションの僚機が回収出来たのはおまえだけだ」
「何だって?じゃああいつは−」
 思わず飛び起きた俺は左腕が無いことに気付いた。
「腕を引き千切るとはいくらサイボーグとは言え無茶をしたな、ジョー。だが左腕だけで済んで良かったぜ。Gセクションにとっておまえは得難い存在だからな」
「おいっ、健!」
 貴様、何てことを言いやがる!と詰め寄る俺を顧みようともせずに、健はコンソールに向かうとキーを叩いた。
「ヒギンズ長官、その後何か動きはありましたか?」
−「おお、G1号。今し方、君が言った通り奴らからのメッセージが届いたよ」
「そのメッセージをこちらに転送して下さい」
−「ああ。しかしこれが磁気テープでね、今、再生出来る機材を急ぎ用意させているところだ。何だってこんな旧式なものを送って来たんだろう?」
「おそらく解析させないためでしょう。アナログテープはデジタルデータと違ってもはや解析の専門家もいませんからね」
−「おお、再生の準備が整ったそうだ。一緒に見てくれたまえ」
「ではモニタ1にお願いします」
−「わかった」

 モニタに写し出されたそのテープには、鎖に吊り下げられ顔色を失ったケンの無惨な姿が収められていた。


(4)

 くそったれな残党どもの要求は例によって「全面降伏」だった。そして「さもなくば−」だ。さもなくば攻撃を開始する、と。これまで尽く我々の作戦を砕いて来たG1号とG2号を失ったISOにもはや打つ手は無い、と。
−「3日間の猶予をやろう。この美しい地球が再び業火に包まれるか否かは、DRと諸君の判断に掛かっているという事を忘れずに、急ぎ代表者会議を召集してよく話し合いたまえ。そして24時間毎にその途中経過を−」
「ちくしょう、勝手な事を抜かしやがってっ!」
 怒りに任せて右の拳をコンソールに叩き付けた俺を健は、
「喧しいぞ、ジョー。まだメッセージは終わっていない」
 と低く嗜めた。
−「…以上の局のニュースにて報告してもらおう。そうそう、逼迫した事態である事の証拠に諸君の不死鳥のこの惨めな姿を流すといいかも知れんな。ふふふ、見たまえ」
 冷笑を含んだ声が見せつけたその映像に俺は息を飲んだ。
 それは幾人もの男達がケンを痛めつけ、嬲ろうとしているシーンだった。
 抵抗は拘束と暴力に封じられ、引き毟られ、押さえ込まれたケンの裸身。
 下卑た嘲笑の下で、ついにケンは叫び声を上げて白い喉を仰け反らせた。
−「我々の仇敵がまさかこんな女みたいな顔をした坊やだったとは些か驚いたよ。しかし陵辱し辱めるにはもってこいの相手だ。それに坊やにはこの方法こそが最も相応しいもてなしではないかね?見たまえ、この惨めな姿を……」
 髪を乱し、苦痛と屈辱に端正な顔を歪ませたケンを幾人もの男達が嬲る。
 その苦しげな表情に俺は全身の血が逆流する思いだった。
「ふふふ、ではヒギンズ長官並びに諸君、色好い返答を期待している」
「クソッ!俺のせいで…」
「待て!ジョー」
「待てだと?今のを見たろう?このままじゃあいつは−」
 健は冷ややかな一瞥を寄越したが、すぐにコンソールに向き直ってしまった。
「ヒギンズ長官、直ちに各国と各セクションの代表を召集し、DRと共に対策を決定してください。GセクションはDRからの出動命令に備えます」
−「分かった。しかしG1号、その、あのG1号はいったい…?」
「あれは俺の "ダミー" です」
−「ダミー?と言うことは、彼が…」
「そうです。あれがクローンのG1号です。ですから "あれ" の事はご心配なく」

「ふざけるのもいい加減にしろ!おい、何が "あれ" だ。あいつは、あのケンは "ヒト" なんだぞ!確かにおまえのクローンでおまえのダミーかも知れないが、 "モノ" なんかじゃねえ。れっきとした一人の−」
 カッとなって胸ぐらを掴んだ俺の手を払おうともせずに、健は「ふんっ」と鼻で笑った。
「たかがクローンに情が移ったのか?おまえらしいと言えばおまえらしいぜ、ジョー。だが俺の身替わりに、と言うのなら…」
 健の指がキーの上を滑ると、モニタにおぞましいシーンが再現された。
−(うう…、う、あーーーッ!)
「2年近く一緒にいながら、あれを抱かなかったとはおまえらしくもないな、ジョー」
「……」
 抱きたかったさ。あいつがおまえじゃないと端から分かっていても−
 おまえと同じ色の瞳で俺を凝視め、おまえと同じ笑顔を俺に向ける、おまえそっくりなあいつ…だから、俺はあいつを抱くことが出来なかった。一線を越えてしまったらきっと俺はあいつをおまえと同じくらい愛してしまっただろう……
「おまえだって結局はあれを "モノ" として見ていたんだろ?だから−」
「そうじゃねえっ、ちがうっ!」
 怒鳴り返しはしたものの、俺の指はすっかり萎えて健の胸から滑り落ちた。
 あいつは、ケンは "モノ" なんかじゃねえ。
 涙を浮かべて「俺は誰だ?」と問うたあの声、腕の中に抱き止めたあのぬくもり、陽射しを浴びて輝いていたあの笑顔、再び失うことを心の底から怖れたあの存在が "モノ" なんかである筈がない。
「なら、本気で惚れたとでも言うのか?ジョー」
 クックッと小さく笑いながらからかうように言った健のその言葉に俺はハッとした。
 そうか、だから俺はあいつがいつも気掛かりだったのか、と。
 そうか、"腕力" が違うなんてのは誤魔化しだったのか、と。
−(うう…っ!)
 それなのに…俺のせいであいつはあんな目に……
「ちくしょうッ!」
 苛まれるあいつの姿を見ていられず、飛び出そうとした俺を健が制止した。
「待てと言った筈だぞ、ジョー」
「止めるな、健。ダミーだろうがクローンだろうが俺はあいつを助けに行くぜ!」
「どこへ?」
「どこだっていいさ!世界の果てまで、俺はあいつを−」
「馬鹿者ッ!3日しか無いんだぞ?そんな事を言っている場合か?」
 ぐっ、と唇を噛んで振り返った俺は健の言葉に度胆を抜かれた。
「ジョー、俺達の敵はXだ」
「な、何だって?」
「Xの正体は依然謎のままだが、奴の意思−プログラムもまた依然として "生きて" いるんだ。張り巡らされたネットワーク、あらゆるサーバーアーカイブ、またそれぞれの端末やファイルの中に点在する奴のプログラムの断片を完全に消去する事は不可能に等しい。そして残党どもはBH作戦の…」
「分子爆弾の投下プログラムを拾い上げたってのか?」
「ああ」
「何てこった!それじゃあの地震はやはり奴らの仕業だったのか」
「ああ、だからDRはおまえ達を出動させたのさ。だが今回の地震は分子爆弾によるものではない」
「何故分かる?」
「規模が小さ過ぎる。おそらく奴らは初期型の核弾頭程度しか持っていないんだ。しかし発生地点から推てXが穿った投下坑を使用した事は間違い無いのだから侮るわけには行かん。それにこうしてメッセージを送って来たという事はそれなりの勝算−つまり実際に分子爆弾を持っている、という事だろうぜ」
「くそ、あの気狂いどもめ!あれを使ったら地球は−」
 ああ、と健は頷くとジッと俺の目を見据えた。
「奴らもまたBH作戦の最終目的を知らんのだろう。あのミュータントが知らなかったようにな。Xの真意が地球を消滅させる事とも、BH作戦が地球消滅プログラムとも知らずに奴らはそれを再試行しようとしているのならば、俺達は何としてもそれを阻止しなければならない。ジョー、俺のクローンがどうのと言っている場合ではない事は分かるな?」
 それは−−その通りだ。
「ああ…」
 ふっ、と空の色をした瞳が微かに笑ったような気がした。
「…で、どうするんだ?健」
「"どうする" か、は代表者会議とDRが決める。俺達は出動に備えるだけだ。だから、ジョー…」
「うん?」
「まずその左腕を治せ。その間に俺は "あいつ" の居場所を突き止める」
「どうやって?」
 あれだ、と健はリピートを繰り返しているモニタを指した。
「見ろ、おまえの腕が写っている」
「へッ、我ながら無気味だぜ。床に転がされた腕の指が動いてやがる…あ、そうか!」
「そうだ。おまえの腕のメカニカルパーツが発しているパルスを捉まえる」


(5)

「奴らがG1号とG2号という切り札を抑えたと思い込んでいる今こそが絶好のチャンスだ。ふん、BH作戦もろとも一気に葬ってやるさ」
 薄い笑みさえ浮かべて落ち着いた声でそう言うと健は作業に没頭してしまった。こうなっちまうともう取りつく島が無い。
「ジョー、おまえのドクターがメディカルルームで待機している。早く行け」
 案の定、そこで何をしている?と言わんばかりの口調だった。
「メディカルルーム?」
 そう言えばここはどこなんだ?と今さらのように室内を見渡したが、健はもう振り返りも応えもしなかった。
「ジョー、ここはISOセンタータワーの地下です。メディカルルームへは私が−」
 こちらです、と傍らに控えていたドクター・カインが代わって応えてくれた。見ればフレームレスの眼鏡の奥から不安げな眼差しをモニタの中のケンと健の背に交互に注いでは小刻みに身体を震わせている。それはそうだろう…と俺は思った。あんたはあんなにもケンを "大切" にしていたんだもんな。イヤな奴だが、悪い男ではないんだ−と、だから、
「大丈夫ですよ、ドクター・カイン。あいつはこの俺が必ず助け出しますから」
 そう言って、俺は気弱げに頷くドクターに頷き返した。

「ジョー!てめえ、この馬鹿野郎!」
 開口一番、俺の主治医であるドクター・キジマは例のよっての罵声を浴びせやがった。
「うるせえ!四の五の抜かしてないで早いとこ腕を付けてくれ」
「ふざけンなよ!いいか?サイバネティクスはロボットじゃないんだ。壊れました。はい、そうですかってスペアと交換すりゃ済むってモンじゃねえんだぞ」
 彼は科学者のクセにとにかく口が悪い。加えて一見しての印象もドクターとは−ましてISOサイバネティクス研究所のチーフクラスのドクターとはとても信じ難く、いかにも科学者然としたドクター・カインとは正に対照的だ。しかし、"腕" が確かなのとどちらかと言えば俺にとっては親しみ易い人物−そう、キジマは神業のようにマシンを絶好調に仕上げる腕っこきのピットクルーに似ていた−だったから、彼が来てくれた事に俺は内心ホッとしていたのだが…
「特におまえは奇跡のようなサイボーグなんだ。付けてやりたくとも俺達の科学では同じモンは造れねえって言っただろうが−」
 それを台無しにしちまいやがって、と彼は溜息を吐いた。
「ヘッ、そンなら何でもいいぜ。利き腕じゃないからな、バランスさえ取れりゃ構わねえ。適当にロボットアームでもマネキンの腕でもくっ付けてくれ。とにかくこのままじゃ−」
 健はきっと俺の腕の在処、つまり "あいつ" の居所を突き止める筈だ。そしてDRと代表達は−多少の駆け引きはあるだろうが−きっと奴らを叩き潰す決定を下す筈だ。だからそれまでに出動出来る状態になっていなくては、と俺は焦れていた。
「だから馬鹿だって言うんだよ、おまえは!"適当でいい" なんてサイバネティクスパーツがあったら誰も苦労しねえ!」
「ちぇ、偉い医者なンだろ?あんた」
「偉い医者だから苦労してんじゃねえか!」
 ちっきしょう!とキジマは悔しそうにスツールを蹴った。と、
「あの…」
 件のドクター・カインが声を掛けて来た。
「G2号の "ライブパーツ" なら私のラボにあります」
 えっ?と俺ばかりでなくキジマも思わず目を剥く。
「以前、G1号の "パーツリジェネレイト" の件で御相談した折、お目に掛けたかと…」
 あ、あれか!とキジマは合点がいった様子だったが、俺には何の事だかさっぱり分からない。
「よし。ドクター・カイン、準備が出来次第、至急そいつを繋ごう」
「既に準備は整っています、ドクター・キジマ。いつでもどうぞ」
「おい、G2号の "ライブパーツ" だのG1号の "リジェネレイト" だのっていったい何の事だよ?」
 手術室へと急き立てられながら俺は訊いた。しかしキジマはそれには答えようとせず、
「ジョー、さっき "何でもいい" と言ったよな?」
 といやに厳しい口調で念を押しただけだった。
「…ああ」
 そしてそれに対して俺はやはり頷くしかなかった。クローンニングの専門家が何故?という疑問と "ライブパーツ" 云々という言葉に生理的な嫌悪感にも似た不安を覚えたが、この際だ、そンな事を言ってる場合じゃねえぜ…と。

「目が醒めたか?ジョー」
「ああ」
「どうだ?新しい左腕は?動かしてみろよ」
 俺はゆっくりと左腕を持ち上げると、肘を曲げてまじまじと左の掌を凝視した。これまでと寸分変わらず滑らかに動く5本の指を曲げ、伸ばし、それから手首を返して手の甲を見る。
「ふ〜ん…これが "G2号のライブパーツ" かよ?」
「そうだ。それがおまえの細胞からクローンニングされたおまえの腕だ」
「……」
「何だ?気に食わねえのか?」
「いや、そンなことはないが…」
 もちろん俺はクローンに対する偏見などは持っていない。そうでなかったらケンを受け入れられる訳が無い。だが、たかが腕1本とは言え、"失った" 筈の自身の肉体が "在る" というのはやはり奇妙なものだった。
「なあ、ジョー。おまえは嫌ってるようだがドクター・カインは大した科学者だ。そこまで完璧なライブパーツをクローン再生出来る奴は滅多にいねえ。ま、おまえがその腕を気に食おうと食うまいと俺は構わねえさ。クローン再生したライブパーツとサイバネティクスやメカニカルパーツとで補完し合えれば、もっともっと再生医療は進むぜ、ジョー」
 そう、彼がサイバネティクスの研究に心血を注いでいるのは、度重なる戦いで不自由な身体になってしまった人々に再び自由を−という願いからだという事を俺は知っている。そしてそれに寄与出来るのであればやはりそれは喜ぶべき事だ。しかし俺の気掛りはその点ではなかった。
「なあ…」
「ん?」
「あいつが言ってた "G1号のリジェネレイト" ってのは何の事だ?」
 それは−と言い掛けて彼は眉を寄せると、健の損傷部位を同じ方法で治療出来ないかと相談されたんだが…と、いつになく歯切れの悪い口調で言った。
「断ったんだ。気の毒だが、あの身体じゃ再生したパーツに耐えられないだろうからな」
 なるほど、と俺は頷いた。
 健の細胞は壊れてしまっている。傷の自己修復さえ不可能なほどに。
 いや右手はむしろあの頃よりもひどくなっていた。と、言う事は…
 (まだ死んではいない、というだけさ)
 さっきまるで自嘲するように呟いたあの言葉が健の "真実" なのだ。
「それじゃ健はもう…」
 いや、とキジマは首を横に振った。
「ドクター・カインは大した科学者だと言っただろ?じゃなきゃ健がああしていられる訳がねえさ」
 ああ、そうだな−と相槌を打ち、しかし、ふとひどく厭な "図" が頭に浮かんだ。
 まさか!…打ち消しながらも俺は決して嘘をつかない男に訊いた。
「な、健のクローンは何人いるんだ?」
「うん?二人だろ?パーツと違って完璧なクローン体はそう簡単に造れるもンじゃねえし、生命倫理委員会もうるせえからな」
 二人…か。それならば "ほとんど真実だった" と言うケンの話と辻褄が合う。あの時、健の代わりに出撃して死んだG1号と、そしてオリジナルと思い込まされていたあのケンだ…そうだよな、まさかいくらDRでも、ドクター・カインでもそんな事は……
「すまなかった。妙な事を訊いちまって−」
「つまらん心配よっか、今度こそ大事にしろよ、ジョー」
「 "腕" を…かい?」
 ばぁか、とキジマはいつもの調子で少し笑い、それから真剣な眼差しを向けて言った。
「 "命" を、だ」
「ああ、分かってるって。ありがとよ、ドクター。恩に着るぜ」
「へっ、柄にもなく殊勝なこと言いやがって、馬鹿野郎−」
 彼は照れた笑顔を見せながら煙草をくわえると、吸うか?とパッケージを差し出した。そいつに火を点け、深々と芳しい煙を吸い込んだ途端、アラートが鳴り出した。
−「喫煙は定められたエリアにてお願いします」
「それにドクター・カインは心底 "どっちのケン" も大事に思ってるんだ。だから−」
−「喫煙は定められたエリアにてお願いします」
「るっせえんだよ、この馬鹿野郎っ!」
 チェッ、と舌打ちして彼は立ち上がると、いいか、無茶すんなよ、と言い残して俺に背を向けた。
「ドクター!」
 ん?とオートドアの前で足を止めた彼に俺は、
「その…つまり、ドクター・カインの事は俺なりに理解してるつもりだ。それに "どっちのケン" にも奴が必要だってことも、な」
 と言うことが出来た。そうか、と笑って彼は頷くと部屋を出て行った。おそらく100階分を昇って心行くまで一仕事やっつけた後の一服を楽しむつもりなのだろう。時計を見ると半日近く経っていた。ずいぶんと難しい手術だったのだろうという事は費やされた時間からも推察されたし、改めて見渡した室内は既に片付けられ、カインや他のドクター達の姿は無かった。主治医であり、友人である彼一人が覚醒まで付き添ってくれていたらしい。
−「喫煙は定められたエリアにてお願いします」
 耳当たりの良い女の声だが、造り物のそれには何の感情も思い遣りも無い。
 " 優しくない女はモテないぜ "
 俺は独り言ちて煙草を消すと、徐々に馴染んで来ている "懐かしい" 腕と指の動きを確認しながら指令室へと向かった。


(6)

 指令室に健はいなかった。いざ、と勢い込んでいた俺は些か拍子抜けしたが、考えてみれば奴らが指定して来た時間まではまだ間がある。だから「健は?」と問う前に、
「状況は?」
 と、まずそれを把握しておく事だ、と訊ねた。事ここに至って状況を把握せぬまま「やってやるぜ」などと口に出そうものならきっとあいつは…そう、任務を前にした時のあの恐ろしいほどの冷徹さと鋭さは確かに健のものだ。ケンと暮らした日々の中では垣間見る事はあっても明確にそれを感じることはなかったし、どちらかと言えばはらはらさせられる類いのものだった。俺はそれをただ単に "実際" に経験したかしないか、の差だと思っていたのだが…
「DRからの指示は依然レベル1で「待機」ということで、ヒギンズ長官は代表者会議に出席中です。敵からの新しいメッセージや要求はありません」
「分かった。で、俺の腕のパルスは補足出来たのか?」
「はい。G1号がパルスを追うためのデバイスを急ぎEセクションに造らせています」
 そうか!と俺は拳を握りしめた。やってくれたな。さすがだぜ、健!
「じゃあ健はEセクションにいるんだな?」
「いえ、G1号は自室に戻られました」
「自室に?」
 あの任務の鬼が?と俺は不審げな顔をしちまったのだろう。当直の要員は表情を曇らせて、
「倒れたんです。つまりその、だいぶ無理をされていましたので−」
 と告げた。

 健の部屋は指令室の真下にあった。
 なるほど指令室から専用のエレベーターはあるが、メインタワーを貫いている20基のエレベーターシャフトと最深部にあるGセクションは連絡しておらず、さらにこの階はGセクションへと繋がるエレベーターにも存在していない。つまり外部や他のセクションから完全に独立し、巧妙に隠された空間にあった。オートドアが開くと気圧の変化を感じた。階上の指令室もそうだったが、ここは更に気圧と酸素濃度が高く設定され、しかし逆に重力は減じられているらしく身体が軽く感じられる。やはり健の身体は相当に悪いのだろう。それなのに無理しやがって…
 無機質なその部屋には何も無かった。いや、指令室のあいつのものとほぼ同じコンソール、いくつかのモニタ、デスクや椅子…といった物は在ったし、キャビネットの上には青い薔薇の花が活けてあった。しかし2年もの間、"ヒト" が暮らしているとは信じられぬほどいわゆる "生活感" が無く、飾られた薔薇の花さえ−その造りものめいた "青さ" も相俟ってただひたすら白々しかった。こんなところに、と思うと胸が詰まった。
 そう、あれから2年の間、健はずっとここにいたのだ。
 階上の指令室には幾度か来たこともあったが、俺は健が生きている事実さえ知らなかった。
 何故、知らせてくれなかったんだ?という悔しさが過る。
 どうやら奥まった所にあるコンパートの中に健はいるらしい。そこへ歩を進めると、硬質ガラスにすっぽりと覆われたこれまた無機質なベッド−リアクターだろう−に横たわっている健が見えた。眠っているのか、リアクターによる治療中なのか、健はただ静かに目を閉じている。"倒れた" と聞かされて驚いたが、苦しげな様子もなく−いや、まるで呼吸をしていないのでは?と疑うほど身動きひとつしないその姿に、俺はホッとするよりもむしろ不安を感じた。そして同時に今し方、心に浮かんだ「生存していたのなら、何故それを俺に知らせてくれなかったのか?」という疑問の答えを見つけた気がした。
−もうそんなに長くねえな−
 俺自身が "そう" と自覚したあの時、俺はやはりその事実をおまえに告げはしなかった。そして何も告げぬまま、俺はおまえに背を向けた。
 ちぇ、今度はおまえが俺に背を向けたってワケか…だけど、やっぱり…
「水臭えぜ、健−」
 独り言ちて思わず健と俺を隔てている硬質ガラスを叩いた。
 と、シュッと微かな音を立ててそいつが開き、水槽のようなコンパートの中に横たわっている健が微かに身じろいで小さく呻いた。
「う…」
「おい、健っ!しっかりしろ」
 長い睫毛が揺れて、その下から夏の空の色をしたあいつの瞳が俺を見上げる。
「大丈夫か?おまえが倒れたって聞いて、俺−」
「…ジョー…なのか?」
 健は囁くような声でそう言ってゆっくりと瞬くと、俺を認めたのか小さく微笑んだ。それは懐かしい笑顔だった。ケンのものでも、さっきまでの健のものでもない、かつて−そう、あの別れの夜に、
(良い人生だったぜ)
 と穏やかに微笑んだあの時の健のものだった。
「どうやって "ここ" に?」
「どうやってって、指令室からあのエレベーターで下りて来たんだが−」
 え?とあいつは少し驚いたような顔をした。
「ここへは来ちゃいけなかったのか?」
「いや、"ドア" がおまえを認識するとは思わなかった。ここにはドクター・カインしか入れないものだと…でも何だかまだ信じられないぜ。ジョー、おまえが "ここ" にいるなんて」
「健、おまえ…」
 胸が詰まって何も言えぬまま、俺は跪いて健の痩せた肩に顔を埋めた。
「許してくれ、健。俺は知らなかったんだ。おまえが生きている事もこんなところにいるという事も。知っていれば、俺は−」
 そこまで言って顔を上げた俺の頬にあいつの冷たい指が触れた。指は頬から輪郭を辿るように口唇へと滑り、そこで止まった。
「知っていれば…おまえは?」
 それに「答えろ」と言うのか?「答えるな」と言うのか?問いながら、健の指は俺の口唇に置かれたままジッと動こうとしなかった。

「決まってるじゃねえか。俺はおまえの傍にいたさ!」
 抱き起こして、胸に掻き抱いた俺の背をあいつの両腕が戸惑うように抱き返した瞬間、俺は堪えて来た熱い思いが堰を切ったように溢れ出すのを感じた。顎を掴んで仰向かせたのは俺だったが、口唇を重ねたのは健の方からだった。乾いて、僅かに苦味を帯びたその口唇に口唇で応えようとした瞬間、あいつはハッとしたように俺の身体を押し返した。え…?と見れば、健はひどく驚いたように大きく目を見張って口唇を震わせている。
「どうした?」
 と肩に触れると、健は電気にでも触れたみたいにビクッと身体を竦めて、まるで小さな子供がイヤイヤをするように小さく頭を振った。
「い、いや…何でもない」
 そう答えてくれたが、健の呼吸は明らかに乱れていた。
「すまん、具合が悪いってのに。つい−」
 ついもクソもねえや、まったく我慢のない男だぜ、俺って奴は、と自嘲いながら頭を掻いた俺の左手を見て、
「ジョー、それ、おまえの "手" なんだろ?」
 と、あいつが訊いた。
「ん?ああ、新品の "昔" の俺の手だ」
 動かして見せた腕と指を凝視めながら、健は口元を歪めた。
「ふふふ、救出したらその手であいつを抱けばいいさ」
「な−」
「どうせおまえの事だ。"腕力" が違うとか何とか言って自分を誤魔化して来たんだろ?惚れてるクセに…いや、俺を裏切ってあんなダミーに惚れやがったクセに!」
「馬鹿なことを言うな!そりゃ俺はあいつも好きさ。だけどそれはおまえに対するものとは違う」
 だからだよ、と健はベッドから下りると、素足のまま、少しふらつきながらキャビネットへと歩いて行った。
「俺と同じ顔、同じ姿をしたあいつを "好きだ" と言いながら、おまえはあいつを抱きやしなかった。所詮ダミーだと分かっていながら俺の "代わり" にしなかったのは何故だ?それはあのダミーを俺よりも大事だと思ってるからだろ!」
「健!おい、いったいどうしたって…」
 どうしたって言うんだよ?と言い掛けて、俺はあいつがキャビネットの中から取り出したマグカップにハッとした。それは赤いハートの上におかしな縞猫が寝転がっている絵柄の付いたマグで、もうずっと前に−そう、まだ俺達がユートランドに住んでいて、衝突もし喧嘩もしたがそれでも互いに信じ合い、夢を語り合っていた頃に "俺が" 使っていたものだった。
「ま、おまえがどう思おうとあいつは必ず取り戻して来てもらう。ジョー、これが何だか分かるか?」
 オートフィーダーからそのマグに注がれた赤い液体を見せて、健が訊いた。
「いや、分からん」
「あいつの "血" さ」
「−!」
 こくり、と白い喉がそれを飲み下す様を俺はただ息を飲んで凝視めていた。
「は、ははは…」
 口元を拭って、健は愉快そうに笑い出した。
「そんな顔するなよ、ジョー。俺は生き血を啜るバンパイアじゃないぜ。"血" には違いないがこれはあいつの血液細胞からクローンニングし精製調合したものさ。こうした経口用のリキッドや交換用の血液や細胞やら、みんなあいつから採取したサンプルで造るんだ。分かっただろ?ジョー、だから必ずあいつを取り戻してもらわんと困るそうだぜ。俺が生きて行くため…いや、俺を生かす事だけを考えてるDRとドクター・カインのため…にもな」
「よく分かったぜ、健」
 俺は頷いて、健の手から懐かしいマグカップを取った。
「このカップ、俺ンだろ?」
 ああ、と健が頷く。
「何故だ?」
 健は少し目を細めて、しかしそれでも俺の目を真直ぐに見返したまま、
「そいつでなら−おまえを偲ぶことが出来るそのカップでなら、血だって何だって飲めると思ったからだ」
 と答えた。


(7)

「おまえ‥‥」
 何と言ってやったらいいのか言葉が見つからなかったし、どんな顔をすればいいのかも分からなかった。しかし健はむしろ淡々とした表情で下手をしたら泣き出しそうだったろう俺の目を覗き込んでいたが、やがて「くくっ」と小さく笑うと、
「相変わらず情に脆いな、おまえは」
 と言いながらキャビネットから次々とマグカップを取り出して見せた。それはどれも赤いハートの上におかしな縞猫が寝転がっている、まったく同じカップばかりだった。
「こんなカップはいくつでもある。何もおまえのってワケじゃない」
「だが同じだ。俺のカップと」
 フッ、と健はやるせなさげに笑うと「まあな」と応えた。
「わがままを言ったんだ、ドクター・カインに。これこれ、こういうカップじゃなきゃイヤだ、ってさ。飲みたくもないのに、飲め飲めって煩く言うんだ。味や色が気に食わないと言えば、クリームマッシュルームだのチキンクリームだのとそっくりにしやがって!それに見ろよ、ジョー‥‥」
 痩せた指がパネルの上を滑ると、無機質な天井が、壁が抜けるような青空に変わり、さながら大空を飛んでいるかのようだ。
「空が見たいと言えば、こんなものを見せやがる!それにこれだ。何だってこんなものを飾りやがるんだ!」
 吐き捨てるように言って、指差したそれは青い薔薇。ケンが口にしたブルーローズ、だがそれが旧式なレシプロ機の愛称とは知らずに、少しでも健の気を紛らわせたいとドクター・カインが飾ったのだろう。猫の絵柄のマグカップも、クリームスープも、ホログラフィーの空も、この青い薔薇もすべては健が快適に過ごす事が出来るようにとのドクターの心尽しだったろう。そしてもし健が以前のように、あのケンのように健康だったならば、こうした思い遣りに気付かぬ訳はない‥‥いや、健は気付いているのだろう。気付いているからこそ−労られ、慰められなければ挫けてしまうかも知れない自分に−こんなにも苛ついているのだろう、と感じた。そして、そんな健を俺は懐かしく思った。
「おまえだって相変わらずじゃねえか、健」
「え?」
「思うようにならないと、とんでもないわがままを言い出すそのクセさ」
 大人びた顔で俺達に説教しやがるおまえが時折垣間見せた子供じみたわがままや反抗。それは主に誰も逆らう事の出来ない南部博士に対してのもので、その度に俺はひやひやした−反抗的なのは俺の方だろうって?はっ、よしてくれ。そりゃ些かひねくれてはいたが、俺は博士に正面切って逆らった事なんか一度も無えぜ−ものだし、あの博士がそれを叱ろうとも諌めようともせずに受け入れていたのをただ不思議に思っていた。しかし、俺はある時気付いたんだ。健は確信犯的なわがまましか言い出さず、そしてそれが決して通りはしないと諦めてさえいる‥‥って事に。
 そう、健は少しも変わっちゃいない。そして、DRも−傍にいるのはドクター・カインだが、健の果たされぬと分かって言っているわがままを "聞いて" いるのはDRだ−もしかしたらあの博士の "まま" なのかも知れない。「決して "健" を死なせはしない」−自ら "妄執" と自嘲したその念いと、そしてG1号への揺るぎない "信頼" が、あのケンのみならずこの健までも縛りつけているのは確かだが、しかし俺は初めてDRに俺達の "父親" だったあの南部博士を見つけた気がした。

 それにしても‥‥
 2年の月日を健はいったいどんな思いで過ごして来たのだろう?
 DRの庇護を受け、優しいドクターが付いているとは言え、こんな地下に隔離されて独りぼっちで病と闘う日々−それもただ " 生かされている" というだけだ−が、どんなものなのか俺には想像もつかなかった。
(なあ、ジョー‥‥)
 いつの事だったろうか?静かな声で語りかけたその言葉が耳に甦る。
(俺達は寂しがり屋で、独りぼっちになっちまうと何にも出来やしない。だから‥‥)
 俺達はいつも一緒だ、と少し含羞んだようなその微笑みが目に甦る。
「健、俺は‥‥」
 ああ、と頷いて健は俺の言い訳を引き取った。
「おまえは知らなかった。俺が生かされている事も、ここにいる事も、何もかも、な。ふふふ、だけどジョー、おまえはすべてを知ってしまった。さあ、どうする?さっき言ったようにこれからはずっと俺の傍にいてくれるのか?」
「ああ、そうだ。俺はもうおまえをひとりにはしないぜ、健」
「何年も、いやひょっとしたら何十年も‥‥かも知れないぞ?」
「ああ、何十年でも何百年でも、だ!」
 俺のその言葉を健は、ふん、と鼻で笑った。
「どうだかな?本当に傍にいて欲しい時に、おまえはいてくれた試しが無いからな」
「それは−」
 健、それはいつの事だ?
 あの時、たった一度、背を向けた俺をおまえはやっぱり許してはくれないのか?
 だが「まあ、いいさ」と目を逸らしたのは健の方だった。
「で、ジョー。ケンはどうするんだ?今度はあいつが独りぼっちになっちまうぞ?」
「ケンは‥‥」
 俺の所為でとんでもない目に合わせちまったな、ケン。だけどおまえはこの健と違って健康だし、自由に空を飛んでどこへでも行ける。助け出して、傷が癒えれば、そうさ、俺の不在なんかきっとすぐに‥‥ほんの一瞬だったが、そう思い切るまでに俺は眉を寄せちまったらしい。いや、決して天秤に掛けた訳ではないし、二者択一を迫られればそれは一も二も無く健の傍にいてやりたいというのも本心だ。しかし、それは−
「ふふふ、ジョー、ケンの事なら心配要らないさ」
 と、薄く笑みを浮かべた健が続けたその言葉に俺は凍りついた。
「今回の件が片付いたら、ケンも "ここ" に置く事になる。俺のダミーとしての役目が終われば、あんなクローンに記憶も知性も必要は無い。これから先、あれの役目は俺を生かす為の贄でしかなくなるんだ。記憶も知性も感情もすべて消去して "ここ" にあるドクター・カインのラボで生かして置きさえすればいいんだからな」
「な、何だと?」
「だから、ジョー、何も心配する事は無いんだぜ。所詮あれは俺を生かす為の存在なんだからな。いや、ダミーとしての役目もまだ果たせるか?ふふふ、抱きたくなったら、俺の代わりに‥‥」
「ちがうっ!」
 違う。違う筈だぞ、健。そんな理由じゃないだろう?
 それに俺が "ここ" に、おまえの傍にいるというのもそんな理由からじゃない。
 俺は "おまえ" が‥‥"おまえだけ" が‥‥何故それを分かってくれないんだ?健!
「確かにケンはおまえの糧食かも知れん。だがあいつは "人間" なんだぞ!」
「はっ!何が "人間" だ。あれはクローンだ、俺の細胞から造り出され、俺の記憶をコピーされただけのダミーだ!ただの汚らわしい人工生命体だ!」
「じゃあ俺はどうなんだ?サイボーグのこの俺は?」
 ハッとしたように健は空の色をした瞳を瞬かせた。
 甦った死者であり、汚らわしい人工生命体である俺におまえはかつて、
(ジョー、おまえはおまえだ。身体の一部がメカニックだからって、おまえが" ジョー "じゃないなんてことがあるものか!)
 だからそんなことを言うな、と肩を抱きしめてくれた。俺はそのぬくもりを、その優しさを忘れた事はないんだぜ‥‥そう告げると、健は微かに眉を寄せて口唇を噛んだが、それでも傲然と顔を上げて冷たく言い放った。
「サイボーグは本質的に "おまえ" だが、クローンは "俺" ではない。まったく異質のものだ。ジョー‥‥これはもう決まった事だ」
「へン、決まった事だと?ふざけるな!誰がそんな−」
「ジョー、DRの決定に逆らう事は許さん。そしておまえの最も重要な任務はXの置き土産を葬り去る事だということを忘れるな」
 揺るぎのないその空の色の瞳を睨み返しながら、それでも俺はこいつにだけは決して逆らえない事を知っていた。
 そう、俺は逆らう事は出来ない。
 そう、この健にだけは‥‥


(8)

「ジョー、おまえの腕が発するパルスはおまえにしか捉える事が出来ない。我々に出来るのはこの増幅デバイスを造る事と搭乗機の操縦を遠隔操作して−」
「遠隔操作?」
 Eセクションのエンジニアが完成させたデバイスを俺のヘルメットに繋ぐ作業を見守りながら、健はそれを起動させ澱みのない口調で続けた。
「そうだ。おまえが増幅されたパルスを確実に追えるよう、視覚はじめ聴覚その他の感覚をすべてデバイスに特化させる。つまりおまえはコンパスになる訳だ。目的地の座標は捕捉と同時にこちらへ送信されるから遠隔操作に不安を抱く事はない。必ずおまえを奴らの本拠地へ送り届ける。どうだ?ジョー、パルスは捕捉出来るか?」
「ああ、何とかな」
「デバイスの出力を上げればもっとクリアになる。パルスを追尾することに全力を傾注してくれ、ジョー。それから‥‥」
「ん?」
「おまえの搭乗機は俺が操縦する。だから−」
 ふっ、と俺は口の端で微笑んで、夜の闇のような漆黒のバイザーを引き下げた。
「任せたぜ、健。おまえの腕は誰よりもよく知ってるさ‥‥さあ、行こうぜ!」
「よし!デバイス及びエンジン出力MAX!射出角30!−−GO!」
 大空高く射出される強烈なGを身体に感じた次の瞬間、俺はすべての感覚を失った。
 何も無い夜空にたった1つ瞬く星を追うように、俺は俺の腕が発しているパルスを追う事だけに集中する。羅針盤と化した俺が指し示す方向へと健は確実にこのタンデム機を操って行くだろう‥‥待ってろよ、ケン。必ずおまえを乗せて帰るからな。Xが遺した脅威をきれいさっぱり取り除き、今度こそ本当の平和が訪れたらなら‥‥きっとDRも健もおまえを‥‥
 
 マッハスピードで飛行しているのだろうが、もうGも何も感じやしなかった。
 不安はまったく無かったが、耳目を失った俺の脳裏にしきりと浮かぶものがあった。
 夢−いや、一種の幻覚なのだろうか?
 青空の直中にぽつんとおまえがいる。
 立てた両膝を抱えて、うずくまるように青空の真ん中にぽつねんと座っている。
 (ケン!)
 思わず呼び掛けた俺の声にも応えず、ただじっと座っているおまえに近づいて、
 (おい、どうした?)
 と、チョコレート色の髪が流れる肩を掴むと、おまえはゆっくりと俺を見上げ‥‥しかし青空と同じ色をしたおまえの瞳には何の応えも感情も無くて−
 おまえがこんな風にしてるって事は "すべて" が首尾良く運んだ結果なのか?
 じゃあ、まさかおまえ‥‥と、俺は健が口にした "決定" にゾッとしながら、
 (ケン、おい、ケン!しっかりしろ!)
 肩を揺さぶるが、おまえは何の反応も示しやしない。
 (なあ、ケン。何とか言ってくれよ!)
 (無駄だよ、ジョー)
 えっ?と振り返れば、そこにもおまえが立っている。
 (言ったはずだぜ)
 薄く微笑みながらおまえは歩み寄り、そっくりなおまえの傍らに膝をつくと指先でそっくりなその顎を持ち上げ、そっくりなその口唇に接吻けて、
 (ふふふ、何も分かりはしないのさ。何をされても‥‥)
 そうしておまえはそっくりなおまえの腕に抱かれる。ただ空の色をしたその瞳にさらに空の青を映したまま‥‥
 おまえがそっくりなおまえに抱かれる様は息を飲むほど美しく、しかし同時に見ていられないほど切なくて‥‥
 (ケン、よせっ!)
 たまらずに叫んで、俺は俺自身の言葉にハッとした−−ケン?
 何故そう呼ぶんだ?
 片方は健のはずじゃないか−−だが、それは本当に健なのか?
 さっき、一瞬浮かんだ迷いに俺は囚われちまったんだろうか?
 それともこれは夢であり奇妙な幻覚だから−−なのだろうか?

「任務は分かっている。だがケンについてのそんな決定に『はい、そうですか』と従うワケにはいかねえ!見損なったぜ、健。誰よりもおまえとケンのことを心配してくれてるドクター・カインの身にもなってみろ!ドクターはな−」
 決して逆らえないと自覚していても俺は怒鳴らずにはいられなかった。だが、
「やめてください!」
 えっ?−と振り返ると、いつからそこにいたのか、件のドクター・カインが立っていた。
「ジョー、私は‥‥」
 気弱げに言いかけた言葉を飲み込んで、彼は「いえ、いいんです」と小さく頭を振った。
「ドクター・カイン」
 健の声は恐ろしいほど冷たく、そして静かだった。
「時間がありません。今日は長い一日になるでしょう。作戦を開始すれば、もう俺は昨日のように中途で倒れる訳には行かないのです」
「しかし、しかし、またあんな無茶をすれば−」
「俺は俺に課せられた任務を全うせねばならないのです。同様に、ドクター、あなたにはあなたに課せられた任務を全うして頂かなければ困ります。お解りですね、ドクター。あなたが果たすべき事は今日一日、俺を保たせ、今回の作戦に支障を来す事がないようにすることです」
「‥‥はい」
 震える指でドクターは健の上着を脱がせた。
「!」
 ああ、その身体!俺は我が目を疑った。これは何かの実験なのか?
 痩せさらばえている事は充分に分かっていたが、まさかこんな‥‥
 さすがに声は上げなかったつもりだが、俺の驚きは充分に伝わってしまったようで、健はこちらを見ぬまま皮肉な微笑みを片頬に浮かべた。
「そんな目で見るなよ、ジョー。これでもひと頃よりはチューブの本数も減ったし、曲がりなりにも動けるようになったんだぜ。ふふふ、ねえ、ドクター」
 ドクター・カインは困惑の面持ちで一瞬そんな健を凝視めたが、何も言わずに視線を落とした。そして2年の間、恐らくは連日連夜、弛まず繰り返して来たであろう彼の任務−健の治療に没頭し、健もやつの背負った宿命であり、同時に任務を果たすためのものでもある治療にジッと耐えている。俺は今まで知らなかったふたりの姿を−見慣れているドクターとケンの "それ" とはまったく異なるふたりの姿を、いつの間にか空のふりをやめた壁にもたれて眺めているしかなかった。
 と、そこへ指令室から連絡が入った。
−「G1号、Eセクションがデバイスを完成させました!」
「ラジャー、すぐに−」
「あと、あと3、4分です。この細胞機能賦活剤の投与が済めば‥‥」
「5分後に指令室へ上がる。使用機材の準備は?」
−「完了しています」
「よし、急ぎデバイスを搭載し、二度繰り返してプログラムと動作をチェックせよ!最終的なチェックと微調整は俺とG2号が行う」
−「ラジャー!」
「ヒギンズ長官、代表者会議の意向はまとまりましたか?」
−「ああ、まとまったよ、G1号。後はDRの決定を待つだけだ」
「分かりました。間もなく決定が下されるでしょう。Gセクションは10分後に作戦を開始します」
 治療が終わるまでの数分、健は矢継ぎ早やにコンソールを叩き、作戦に向かって既に動き出していた。「まだか?」と言うような鋭い一瞥に促されたドクター・カインがチューブから最後のジョイントを外すのを待ち兼ねたように白い上着を掴んでドアへと歩み出しながら、
「行くぞ、ジョー!作戦を説明する」
 と俺を呼んだ。
「おう!」
 応じて後を追った俺の目に上着を羽織り掛けた健の背中が見えた。
 その瞬間、俺は健に違和感を覚えた。
 そしてふとひどく厭な "図" が再び頭に浮かんだ。
(健のクローンは何人いるんだ?)
 まさか?‥‥いいや、ドクター・キジマも「ふたり」だと言っていたじゃないか。
「おい、聞いているのか?ジョー」
 ほら、これだ。これが健でなくて何だというんだ?
「あ‥‥ああ、聞いてるぜ、健。続けてくれ」
 馬鹿らしいぜ、と一瞬感じた迷いを打ち消しながらも俺は問いたかった。
「健、おまえは本当に "健" なのか?」
 と‥‥。
 しかし、そんな場合ではない事は百も承知だった。



to be continued.....




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