Ignorance is bliss

by さゆり




「子供が欲しいんだ」
 と彼はいつになく生真面目な面持ちで言った。
「ふむ、子供かね?まあ君の事だ、作り方を知らぬ訳でも怠けている訳でもあるまい?」
「ああ、もちろん励んでいるさ。妻は素晴らしい美人だからな。いや、君が知らない筈は無かったな。こいつはとんだ失敬をした」
 高笑いしながら、殊更自慢げにそう言ってのける彼の無神経さには眉を顰めさせられたが−何せ彼の妻は私の婚約者だった女性なのだ−そうした心の内を見せぬよう、私は努めて事務的な口調で言った。
「ではまず君の精子を検査をしてみよう」
「種だけでは片手落ちじゃないのか?畑の方に問題があるって事も−」
 いや、と私は彼の質問を遮った。
「婚約に際して彼女の検査は済ませてあるよ。私の婚約者、つまり現在は君の夫人である訳だが、彼女の卵細胞には何も問題は無かった。もちろん念のために再度検査をしても構わないが、せっかく訪ねてくれている事だし、今日はまずは君の検査を−と勧めているのだよ。射精してくれればすぐに検査出来るのだが…」
 彼は立ち上がると、ニヤッと笑いながら言った。
「わかった。そこのナースをちょっと拝借するよ」

 1時間後、私は彼に結果を告げた。
「一番心配していたのは無精子症というケースだが、これではないね。君の精液には相当数の精子が認められるし、動きも活発だ」
「ははは、俺の種に問題があるわけがなかろう?」
「今まで女性を妊娠させた事は?」
「そんなヘマをする俺じゃないさ」
「なるほど…」
 もっともらしい表情を崩さぬまま頷いて見せたが、私は内心ほくそ笑む思いだった。彼は無精子症ではなかったが、いわゆる乏精子症というもので精子は沢山あっても受精に適する精子数が少ないというケースだった。しかし私はその事実を彼に伝えはしなかった。伝えぬまま、
「精子にも卵子にも問題が認められないのにも関わらず、妊娠し難いといったケースの場合は人工的な顕微受精で簡単に解決出来るよ。試してみるかね?」
「ああ、ぜひ頼む。俺は俺の子が欲しいんだ」
 彼のような男が子を欲しがるとは些か不思議な気がしたが、私は微笑んで、
「わかった」
 と彼の希望を承諾した。

 数カ月後、私の手によってかつて私の婚約者だった女性の卵子に顕微受精させてその母体に戻した1つの生命は着実に受胎し、そして順調に発育していた。
「おめでとう、男の子だね。あと半年もすれば念願の我が子を抱く事が出来るよ」
「ありがとう。君のお陰だ。いや、まったく。持つべきものは友達だな」
「ははは、君達のお役に立てて、私としてもこんなに嬉しい事はないよ」
 上機嫌この上無し、といった彼の笑顔を見ながら、私は生まれて来る彼の息子に思いを馳せた。そう、確かにその子は彼の息子として誕生し、彼もそうと信じて疑う事はあるまい。同時に母であるかつての私の思い人とてそれを疑う事はないだろうし、ましてその子自身、真実を知る事はないだろう。
 私が告げぬ限り誰にもわからぬ "真実" −私は顕微受精に際して、採取した彼の精子の中から健全なものを選び出し、それを彼女の卵子に人工的に受精させる、という通常の方法を取らなかった。彼の精子が子を成す事に不適格なものであった事は、正に神の意思だったろう、と私は思う。だから私は神に代わって私が愛した女性に相応しい精子を受精させた。
 その精子の持ち主であり、生まれて来る子の本当の父親である青年はすでにこの世にいない。夏の空を思わせる美しい青い瞳と、そして "剣" …ケンという名が顕わす通りの類い稀な美貌と才能を合わせ持つ若きパイロットもまたかつて私の思い人だった。しかし、ケンは思いがけぬ事故で空に散った。いや、あれは本当に事故だったのだろうか…?
 
「…なあ、鷲尾。ひとつ、私の頼みを聞いては貰えまいか?」
「うん?何だね、南部。改まった顔をしていったい何の頼みかな?」
「君達の息子の名付け親にならせて欲しいのだよ」
「ほお、それは構わないが…で、何と付けるつもりかね?」
「ケンはどうだろう?」
「何だって?」
 一瞬、ギョッとした彼の表情に私は "やはり" と思った。だから何食わぬ笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「ケンさ。君が健太郎だからな、その一字を貰って健。どうだい?良い名だと思わんかね?」
「あ、ああ…なるほどケン−"健" か、うん、良い名前だ」
「ふふふ、君の息子に相応しい名だろ?きっと元気良く、健やかに育ってくれるに違いない」
 そう。そして、きっと……



 The end.



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