To Midnight Deja vu

by さゆり




「ジョー?」
 なぜそう思ったのか?
 それはケン自身にさえ納得の行く理由も何ら論理的な根拠もない…そう、強いて言えば直感とでも言って片付けるしかない極めて感覚的なものだった。確かに直感とか第六感とかいう一種超感覚的なものは存在するし、事実ケンはそう言った感覚に幾度となく彼自身の生命を−いやチームメイトやもっと多くの生命さえも−委ねて来た経験を有している。だが…
「ジョー?」
 稲光に浮かんだその黒いシルエットを目の端に捉えた瞬間、なぜそう問うたのだろうか?何の迷いもなく、なぜ?…とケンは自身を訝しく思った。そんなワケはない。そんなハズはない。なぜならばジョーはもうこの世にいないのだから…そしてそれを誰よりも知っているのはこの俺じゃないか−と。しかし…
 闇を切り裂く稲光の中、件の黒いシルエットは「ああ」とその問いに答えるように頷いた。
「ははは…」
 そうか。やはりジョーなのか…と、ケンは低く笑った。直感とか第六感とかいうものの存在は確信出来ても、現実主義者のケンにとって凡そ霊魂だとか幽霊だとかいうものの存在は信じられぬものでしかないし、まさかそうした存在を自身が感じ取ることがあろうとは夢にも思っていなかった。いやかなりな現実感を伴って目の前にいる−「いる」と感じる−ジョーと対峙してさえ、信じ難かった。だからケンは「ジョー」と思しきその黒いシルエットを自身が見ている夢か幻覚だと思った。
 だから笑った。
 忘れようと努力しているのに、やはり俺はあいつを忘れられずにいるらしい。
 ケンは自身のその心の弱さが妙に可笑しかった。なるほど人というのはこうした時に幽霊などという有り得ぬものに出逢った気になるものなのか、とそんな人並みな感覚がまだ自身の中にあったことが可笑しかった。
「で、ジョー、何をしに来たんだ?おまえ、俺に何か言いたいことでもあるのか?」
 恨み言のひとつも言いたくて来たのなら、遠慮せずに言えよ。ふふふ、何を言われたって驚きゃしないぜ。だってそれは結局は俺の心の片隅に沈殿しているものなんだろうからな。ならば洗い浚い引っ張り出して、もう二度とこんな夢だか幻覚だかは見ないようにしちまいたい。ああ、そうさ。イヤなんだ。おまえだってイヤだろう?俺の勝手な後悔だの未練だので引き合いに出されるのは…
「さあ言えよ、ジョー。あの時みたいに「恨むぜ」ってさ。だって、おまえはきっと俺を−」
 言いかけた言葉を熱い口唇が遮った。
「…?」
 いないはずのジョーの、存在しないはずの口唇の熱さを口唇に感じてケンは息を呑んだ。
 そんな…馬鹿な!
 だが存在しないはずの熱い口唇は確かにケンの口唇を捉え、それを弄り、それを抉じ開けて舌先を進入させると巧みに歯列を越えてケンの舌に舌を絡みつかせた。愛し合う者同士が交わすようなディープキスに息が詰まりそうになってケンは思わず存在しないはずの相手を引き離そうとし…そしてそれが出来ないことに気付いた。
 当たり前だ、だってジョーはいやしないんだから。そしてこれは俺の妄想に過ぎないんだから−と思いつつ、しかし口の中で蠢き続ける熱い舌と口唇の端から顎へと溢れた生温かい唾液は幻というにはあまりにも生々しくて…ケンは慄くように喘ぎ、もう一度いやしないジョーを振り払おうと試みた。
 と、ふいに熱い口唇はケンを開放した。
「な…何のつもりだ?ジョー。まさかおまえ、あの夜のことを…」
 
 怒鳴りかけてケンは自身の言葉にハッとした。
 あの夜?…ああ、あの夜もひどい雷雨だった。
 ずぶ濡れの俺をおまえはいきなり抱き寄せた。
 抱き寄せて重ねた口唇でおまえは何と言った?
 憶えているのは照れたようなおまえの笑い声。
 「へ、冗談だよ」と肩をすくめたおまえの…

(ちぇ、悪い冗談だぜ!まったく…)
 あの時、俺はそう言ってそっぽを向いたけれど、そうしたのは怒ったからばかりじゃなかったんだ。何だか妙に胸がドキドキして、たぶん赤くなっていただろう頬をおまえに見られるのが恥ずかしかったからなんだ。
「ジョー…」
 あの夜のように、まるでそこにジョーがいるかのようにケンはうずくまる闇に呼びかけた。
「俺を抱きたいのなら抱けよ。そんなことが心残りとは、ははは、おまえらしいや」
 言いながら、ケンは恐らくは自身のリビドーが見せている思いもかけないこの夢−或いは幻覚に半ば驚き、同時に半ば呆れもしながら、それでも闇に向かって手を差し伸べた。
「来いよ、ジョー。今度はおとなしく抱かれてやるから…」
 真実ジョーが自分を抱きたかったのか?−は、もうわからない。もう永遠にわかりはしないことだ。しかし、どうやら俺はジョーに抱かれてもいいと、いやもしかしたら抱かれたいと思っていたらしい。だからこんな愚にもつかない夢だか幻覚だかを見ているんだ。ならば抱かれればいい。どうせこれは俺の夢、俺の自慰行為なんだから…
 だから差し伸べた手を熱い闇が引き寄せても、その熱い闇に抱きすくめられても、ケンはジッとしていた。
 再び塞がれた口唇に感じる熱い口唇も、身体を弄る熱い指の感触も、すべては自身の欲望の化身のものとケンはそれらの愛撫にただ身を任せた。熱い吐息がまだシャワーの滴に濡れている首筋をかすめ、熱い指が羽織っていたバスローブを肩から落としても、思わずしがみついた何も無いはずの闇の中に熱い肉体が存在していても、ケンはそれを不思議とは思わなかった。夢うつつに欲望を満たすことは誰にだってある。別に恥ずかしいことではない。だからケンは熱い闇相手のその行為に没頭した。
「…うっ」
 窓枠に両手を付いたケンを背後から闇が貫いた。経験したことのない痛みと感覚に我知らず逃れようとするその細い腰を熱い両手が捉えて放さない。そうしてさらに身体の奥へと熱い昂りを突き進めて来る。
「い…やだ、ジョー、い、痛い」
 そんなこと言っても無駄だ。だってこれは俺が勝手に見ている夢なんだから…
「ううっ」
 わかっている。わかってはいるが、でもこんな…
 闇は慣れぬ行為に戸惑うケンの片膝を掴んで胸につくほど折り曲げさせるとさらに結合を深くし、さらに激しく突き上げた。
「−!」
 声にならぬ声が仰け反った喉から迸り出る。こんな…こんな風に俺はジョーに辱められたかったのか?こんな…こんな事で俺はジョーに対する負い目を贖うつもりなのか?女のように犯されて喘がされ、やがて追い詰められて声を上げ、おまえにすがりついて請うことを俺は望んでいたんだろうか?…稲光のストロボが激しく明滅を繰り返す中、熱い闇に翻弄され混乱するケンの耳の中に低く囁く者があった。
『…ちがうぜ、ケン』
「ジョー?」
 ハッと目を見開き、振り返り見た背後は闇。
 が、刹那、閃いた光が壁に映し出したのは、重なり合うふたつのシルエット。
「ジョー!」
 くく、と実体を持たぬそのシルエットが低く笑った。
『いつかの夜の俺の言葉を、忘れちまったとは言わせないぜ』
「な、何の事だ?いつかの夜って」
『惚けるなよ、ケン。おまえは憶えている。だから言ったんだろ?"おとなしく抱かれてやる"ってよ』
「……」
『ふふ、信じられないって顔だな、ケン。信じられないのなら夢とでも幻覚とでも思うがいいぜ。おまえがどう思おうと俺はおまえを…』
「うっ、あ、ああ−」
 まとわりつく闇は気を失うまでケンを存分に犯し続けた。気が遠くなるまでのことをケンは鮮明に記憶している。抗い難い抱擁。数え切れないほどの接吻け。背後から貫いていた楔を引き抜かれた瞬間の感覚と、仰向けに転がされて再び押し入れられたそれの滾る熱さ。そうしてそうされている間中、閃いていた稲光とそれに浮かび上がる懐かしいシルエットとそいつが熱い吐息の合間に繰り返し低く囁いた言葉…
『ケン、俺はおまえを…』
 知っている言葉だった。あの夜、確かに聴いた言葉だった。デジャヴーのように繰り返される熱い闇との接吻けを、確かにケンは知っていた。
 だけど、しかし…それでもケンはそうした出来事のすべてを自身の夢と片付けたかった。


「ねえ、どうしたの?」
 問われてケンは半ば閉じていた瞼を上げた。
「どうしたって、何が?」
 首筋に赤い口唇を寄せていた女にそう問い返す。
「コロンよ」
「コロン?」
「どうしてジョーと同じコロンをつけてるの?」
「何もつけてやしないぜ。それにジョーと同じって、俺はあいつがどんなコロンを使ってたのかも知らない」
 そお?と少し尖った声で応えながらも女は再びケンの首筋に口唇を寄せ、マニキュアが光る指をシャツの中に滑り込ませた。この女の欲望には応えてやらなければならない…ケンは自身にそう言い聞かせて来た。あの日、あいつがそれを望んだのだから…と。だからケンは求められるままに女の背を抱き、赤い口唇に口唇を重ねた。しかし女の甘ったるい鼻声は長くは続かなかった。
「これは何なのよ?」
 今度ははっきりと棘を含んだ声が暴き立てた薔薇色の証。
 胸に肩に太腿に散りばめられた熱い闇の名残。
 瞬きも忘れて鏡を凝視めていたケンを遠い雷鳴が呼んだ。
 夢と片付けたかった激しい雷の夜のデジャヴー。
 だけど、しかし…そうしてケンはあの夜とそして昨夜の出来事のすべてがただの夢ではないと知った。
「行かなくちゃ−」
 去ろうとするケンを女の腕が引き止める。待って、行かないで、ねえ、お願いだから…徐々に懇願の色合いを濃くするその女はかつて知っていた女によく似ていたが、もうこの先の自身の人生には何の意味も関わりも無い女であるという事をケンは既に確信していた。


「ジョー…」
 なぜそう呼ぶのか?
 それはケン自身にさえ納得の行く理由も何ら論理的な根拠もない存在に過ぎない。
 だが確かにジョーはそこにいる。熱い闇に潜んでケンの訪いをジッと待っている。
 だからケンは稲光に浮かぶその黒いシルエットの甘い接吻けと熱い抱擁が紡ぎ出す狂おしい真夜中のデジャヴーに今宵もその身を委ねる。

 くく、と実体を持たぬそのシルエットが低く笑った。



.....THE END



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