L' ARBRE DE NOEL '06
- Silent Night -


by さゆり




(1)

 樅の木には星の飾りと赤いリボンを、
 ジンジャーブレッドハウスには砂糖の雪とキャンディーで飾りを、
 ご馳走には焼いた七面鳥と丸太に似せたブッシュ・ド・ノエルを、
 窓の外には白い雪とスノーマンを‥‥

 この季節、居間にクリスマスの飾り付けをするようになって、もう10年ほどになる。
 習慣になってしまったからなのか、極めて個人的な感傷からなのか、私は今年も聖なる夜をこの居間で過ごすことに決めて、暖炉の傍のアームチェアに腰を下ろした。
 明々と燃える暖炉の火影を凝視めていると、さまざまな出来事が懐かしく脳裏に浮かび上がって来る。それらは或いは愉快なものであり、また或いは哀しいものでもあったが、過ぎ去った時とともに私の記憶の中でただ静かに、しかし確実に息づいている。
 ふと‥‥
 傍らにかつて常に感じていたものの気配を感じて、私は掛けているアームチェアの足下に目を転じた。しかし、今もそこに敷かれたままのラグの主はもういない。そう、いつも私の足元のこのラグに行儀良く伏せていたジャーマン・シェパードがこの家からいなくなったのもこの季節のことだった‥‥。


「おーい、ギー!どこにいるんだ?」
 おや?あの声は――と、私が読んでいた本から顔を上げるよりも早くギーは立ち上がってドアの前で尾を振っていた。
「よぉ、帰って来たぜ、ギー。あはは、びっくりしたろ?」
 勢い良くドアを開けざまそう笑った声の主は、ギーばかりでなく私までもがそこにいると認めると、ブルーグレイの目を子供っぽく丸くして、その場に棒立ちになった。
「ああ、びっくりしたとも」
「は、博士‥‥?あの、まさかいらっしゃるとは思わなかったもンで‥‥」
 うむ、と私は笑った。
「予定していた会議が急に流れたのでね、今夜はゆっくりと本でも読もうかとさっき戻ったところだ。おかえり、ジョー。だが今年はずいぶんと早いな」
 えへへ、と照れたような、少し困ったような表情を浮かべるジョーは7年前と少しも変わらぬやんちゃ坊主に見えた。しかし、実際にはもう抱き上げることなど不可能なほどに成長し、その精悍な面差しはすっかり一人前の青年のようだ。長ずるに従って彼の中に流れる" 血筋 " 故か、はたまた両親の不幸な最後がトラウマになっているからか、彼は反抗的な態度を取るようになり、ごく親しい者を除いては厳しく他者を遠ざけるようになってしまった。またことあるごとに「復讐」という言葉を口にしては、ひとり自分の殻に閉じこもるような頑さも見せ始めていた。ちょうど反抗期という年頃でもあろうし、確かにここへ来るまでの生活や育った環境からか、気性や口調も荒く、また大人びた風貌と鋭い眼光から15、6の少年と見えぬ点も相俟って、派手な喧嘩なども耐えないらしい。
 とは言え、私にとってジョーは可愛い息子のひとりに過ぎず、照れ笑いを浮かべながら、ギーを優しく撫でている彼を厳しく問い詰める気にはなれなかった。大凡の見当は付いている。現在、彼が学んでいる私立の軍事教練校の教官からたびたび報告―主に " 困った奴だ " という内容のものだ―は受けている。また何かやらかすか叱られるかして、カッとなって飛び出して来たのだろう。
「まあいい。どうせ間もなくクリスマスの休みだからな。ところで食事は済ませたのかね?ジョー」
「いえ、まだです‥‥そう言えば腹減ったぁ」
 ホッとした表情を浮かべて、首を横に振りながらまるで子供ような口調で答えたジョーに私は思わずまた笑ってしまった。変わらないな、ジョー。後先考えずに飛び出して、きっと食事をすることも忘れて、真直ぐに帰って来たのだろう――
「そうか、私もまだなんだ。しかし今夜は戻る予定ではなかったので、食事の用意はさせていない。だが、キッチンに何かあるだろう。それで何か作ってあげよう」
「えっ、博士が、ですか?」
「そうだ。いかんかね?何度かおまえとケンに食事を作ってあげたことがあっただろう?少し待っていたまえ。まああまり私の料理は美味くはないかも知れないが‥‥」
「待って下さい、博士!」
「うん?」
「あの、その、俺もお手伝いしますから―」
「そうかね?それは助かるよ」

 手伝うどころか、その夜の夕食はジョーがほとんど作ってくれた。私は彼の指示に従ってパスタの茹で時間を計測したり、オリーブオイルとビネガーと塩胡椒を撹拌したり、缶詰めを開けたりしただけだった。
「大したものだな、ジョー。おまえの意外な才能には驚いたよ」
「缶詰めのソースを使ったパスタとサラダくらいで、そんな大袈裟な‥‥」
「いや、とても美味い。そうだ、ジョー、ギーにも何かやってくれんかね?最近、ドッグフードをあまり食べていないようなのだ」
「そう言えば、ギーの奴、少し痩せたようですね」
 どれどれ、とジョーはドアの前に寝そべっているシェパードにパルミジャーノチーズをたっぷりかけたフードボウルを差し出した。
「さあ食っていいんだぜ、ギー」
 訓練が行き届いている犬は主人の許可なしには物を食べないものだそうで、ギーも例外ではなく、ここへ来た当初は私が許可するまでフードを食べようとはしなかった。本能を凌駕する訓練とその忠誠心には感動さえ覚えたが、多忙な私は毎日帰宅出来るわけではなく、こうなると犬に無用の絶食を強いることになってしまう。困った私はギーにこう命じてみた。
(このボウルに入っている物は、私の許可がなくとも食べてよいぞ)
 と――。果たしてそんな複雑なことを犬が理解するだろうか?との懸念は杞憂に終り、ギーは直ちにそれを理解した。以来、この問題で再び頭を悩ますことはなかったのだが、ジョーに話した通り、近頃はギーのボウルにフードが残っていることが多くなったのだ。
「本当だ、食べませんね。このチーズは大好きだったのに‥‥おい、ギー、どうしたんだ?おまえ」
 ギーはゆっくりと尾を振って、ジョーの手を静かに舐めたが、やはり何も食べようとはしなかった。
 ふむ、と私は改めてギーを子細に観察してみた。
 大好きなジョーが帰ったというのに、いつものようにはしゃぐ様子を見せないというのはやはりおかしい。私との生活では礼儀正しく節度を守る犬だから気付かなかったが、もしや‥‥
「ジョー、明日の朝、獣医に往診してもらおう」
 はい、と頷いて、ジョーは心配そうな顔を俯かせて、その夜、いつまでもいつまでもギーを撫で続けていた。


(2)

「まあもっと詳しく調べてみないと何とも言えませんが、ギーの症状からみて‥‥」
 翌朝、診察を済ませた獣医師はそこで言葉を切ると、努めて事務的な口調でおそらくは縦隔型の悪性リンパ腫がかなり進行した状態であること、そのため胸部に水が溜まり加齢により衰えた心臓にさらに負担をかけていること、そしてもう治癒は望めないだろうということ‥‥等を告げ、それから少し眉を寄せて、
「お気の毒ですが一週間‥‥或いは長くても十日保てばいい方かと‥‥」
 そう最終的な診断を下した。そしてもう一度、お気の毒ですが、なにぶん年齢が年齢ですので、と続けて瞑目した。
「そうですか。いや、ありがとうございました。しかし最近食欲がないなと思ったくらいで、気付かなかったとは迂闊でした」
「動物は口をききませんからね。ましてギーのように強い犬は気力だけで倒れるまで頑張ってしまうので、気付いた時には手遅れというケースも決して珍しくはないのですよ。ところで今後のことですが‥‥その、お忙しいのでしたらうちの病院へ入院させましょうか?」
「俺が‥‥俺が看ます!」
 私が獣医師の厚意―愛するものを見送るのは、例えそれが犬だろうと辛いことには違いない―に応えるより早く、ギーの傍らにひざまずいていていたジョーがきっぱりと言った。俯いたまま顔を上げようとしないジョーに、私は「そうか」と頷き、獣医師は「そうだね」と微笑んだ。
 
 その頃は予てより密かに動向を調査していたある組織が徐々に明確な意思を見せ始めた時期でもあり、通常のプロジェクトの他にその対応策とそのために必要なさまざまな開発や研究に時間を割かねばならず、私は極めて多忙だった。従って家に居れる時間も限られたものになってしまったが、ジョーは献身的にギーの看病をしてくれた。いや、看病と言ってもただ撫で擦るとかミルクを少しづつ飲ませてやるといった極めて消極的な方法しかもはや成す術は無かった訳だが、それでもギーにとって大好きなジョーがずっと傍にいてくれるというのは何よりだったのではないだろうか、と思う。
 ある夜、もう真夜中も過ぎた頃に戻ると、ギーがいつもそうして来たようにきちんと戸口に座って私を出迎えてくれた。
「ただいま、ギー。今日は気分が良さそうだね。ところで、ジョーはどこかね?」
 忠実な犬は私を居間に案内した。
「おや‥‥」
 彼はギーのラグの横で眠っていた。おそらく付きっきりでいるうちに寝入ってしまったのだろう。緩やかに伸ばした右手は今の今まで犬を抱いていたことを物語っていた。おまえはこうしてずっと‥‥と、私はジョーの優しさが嬉しかった。" 短気、粗暴、反抗的、協調性の欠如 " 報告されて来るそうした彼の欠点のすべてが、いつか彼の本質であるこの無償の愛と献身に置き換わることを祈って、私はブランケットをそっと肩に掛けてやった。
「風邪を引くぞ、ジョー」
 と、ギーは「心得た」とばかりにラグの上に戻ってジョーに身を寄せたのだった。
「ははは、偉いな、ギー」
 愛するものを互いに気遣い、慈しむその姿はとても美しく、掛け替えのないものに思えた。
 ケンとジョーもこうした関係を構築してくれたら‥‥と、思った。
 懸念が徐々に深刻な脅威として形を成しつつある中で、私は彼らに過酷な使命を負わせる決断を下さなければならなかった。かつて人類が経験したことのない未知の災禍―それは外交手段である国家間の戦争とも、またイデオロギーや宗教間の諍いとも異なるものだ―に立ち向かうために、私には " 武器 " が必要だったからだ。人を、まして養子とは言え最愛の息子達を武器とすることの是非は私には判らない。はっきりと判ったのは「辛い」という感情だけだった。彼らは私の意向に従い―恐らくジョーは主に復讐という動機からだったかも知れないが―、そして幸か不幸か、彼らは私の目的を達し得るだけの資質を十二分に備えていたのである。
 それから約2年。さまざまな訓練の中でふたりはほぼ同等の知識と技術を身に付け、そしてほぼ同等の評価を受けていた。しかし、ふたりには決定的な相違点があった。
『ケンは従順な優等生だが考え過ぎ、ジョーは反抗的だが行動力に富む』
 それぞれの教官は異口同音にふたりをそう評した。確かにそれも真実である、と私は思った。しかし " それだけ " ではないこともまた事実で、ジョーの親しいものに対する思いやりや優しさは教官達には信じられないだろうし、またケンの一筋縄では行かぬ強情さや並外れた決断力も理解出来ないだろう。ある意味では反抗的なのはケンの方であり、むしろジョーの方が従順だった。しかしふたりが正反対―まるで水と油の例えの如く―なのは否めない事実であり、相変わらずふたりは仲が良いのか悪いのかよく判らなかったし、今後他のメンバーを加えた " チーム " として、果たして巧くやって行けるだろうか、との不安もあった。だがそれでも私はふたりを信じていたし、また私だけは他人に見せようとしないふたりの " 素顔 " を把握しているのだと思っていた。
 そう、少なくともこの時、ケンが帰って来るまでは‥‥。
 
 意外なことに、ギーの状態を知らせてもケンはすぐには戻らなかった。
(えっ、ギーが?)
 と、ひどく驚いた様子だったが、すべてを聞いた後も、
(でも、この訓練プログラムが終るまでは帰れません)
 とだけ答えて電話を切った。
「ケンの野郎め、なんて冷たい奴なんだ!いい子ぶるのもたいがいにしやがれ!」
 それを知ったジョーは激怒し、そして「可哀想に―」と涙を浮かべた。確かに可哀想、と形容するのが当然と思えるほど、ギーはめっきり衰えを見せており、獣医師が告げた残りの日数を考えると果たしてクリスマスを迎えられるだろうか?せめてケンが帰るまでは‥‥と思わず眉を寄せざるを得ない毎日だった。
 そしてイブの朝、
「ギー!」
 ケンの声が外から犬を呼んだ。
「あの馬鹿野郎!おい、ダメだ、ギー、寝てろってば!」
 どこにそんな力が残っていたのか、ギーはジョーの腕を振り切って庭へと走り出して行った。
「ギー、来い!」
 よろめく四肢を踏み締めながら傍らに走り寄って尾を振るギーをケンは優しく撫で、そして抱きしめた。が、次の瞬間、ケンは立ち上がって背を伸ばすとボールを投げた。
「ギー、行け!さあ、取って来い!」
 ダッと走り出して回収して来ると、ケンは再びボールを投げた。
「やめろ!ケン!よせよ、よせったら!」
 この馬鹿、ギーが死んじまうぞ!とジョーが殴り掛かって止めようとしたが、それでもケンは黙ったまま起き上がってボールを投げ続け、ギーは息を切らしながらも力強くそれを追い続けた。かつていつもそうして遊んだように、私達を結びつけてくれたあの日のように――。
 やがて幾度目だったか、ボールをくわえて駆け戻ったギーは、大きく広げたケンの両腕の中へゆっくりと倒れ込み‥‥
 
 
 暖炉の火影にその時の光景が浮かんで消える。
「ふむ‥‥」
 もしかしたら、私はあの瞬間にケンをリーダーと決めたのかも知れない。ケンならば感傷に溺れることなく、現実を厳しく見つめ、分析し、そして最良の判断に基づいて果敢に行動することが出来るリーダーになれるだろう、と。確かに私の決断は間違ってはいなかった。と同時に、私は間違いなく彼に辛い青春を送らせてしまったこともまた確かな事実である。そして、ジョーは‥‥
 ふと‥‥
 すぐ近くに親しいものの気配を感じて、私は顔を上げた。
「転寝をなさっていると風邪を引きますよ、博士」
「ああ、つい微睡んでしまったようだな。ところで、街の様子はどうかね?」
 はい、と彼は星を頂いた樅の木を見上げて、
「まるでこのツリーのようでした」
「うん?」
「どこの街も何だか懐かしくて、明るいけれど静かで‥‥その、上手く言えませんが、やっと平和になったんだなあ、って感じで‥‥すみません、きっとジョーならもっと気の利いたことを言えるんでしょうけど―」
 うむ、と私は微笑むと、
「イブの夜だというのに御苦労だったな、ケン。わざわざ報告をありがとう。さあもういいから、行きなさい。パーティーでもあるのではないのかね?」
 と促したが、いいえ、とケンは少し含羞むような笑顔を見せて言った。
「クリスマスはやはり " 家族 " で祝いたいと言ったでしょう?きっとあいつもそう思っています。ですから−」


 樅の木には星の飾りと赤いリボンを、
 ジンジャーブレッドハウスには砂糖の雪とキャンディーで飾りを、
 ご馳走には焼いた七面鳥と丸太に似せたブッシュ・ド・ノエルを、
 窓の外には白い雪とスノーマンを‥‥

 私達 " 家族 " はあれから幾度のクリスマスを共に過ごしたのだろう?
 今はふたりきりになってしまったけれど、楽しい事も可笑しい事も、
 また哀しい事や辛い事も、すべてが私達の中に静かに息づいている。
 そして、私達はこれから幾度のクリスマスを共に過ごせるのだろう?
 愛して止まない息子、息子達、そして永久に、と願うこの平和に―
 メリークリスマス‥‥



- THE END & MERRY CHRISTMAS ! -


by Phantom.G
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