You'll Be My Heart

by yu-jin



(1)

 あいつはいつも少し悲しそうに見える顔をして俺を受け入れる。飴玉みたいな目をほんの少し陰らせて、眉根に小さな皺を刻み、俺をゆっくりと飲み込んでいく。俺はやつのその顔を観ながら、久し振りのやつの暖かさを楽しむ。
 「あっ。ああ…」
 吐息のような小さな声が漏れる。
 俺はやつの顎に手をかけて、濡れる紅を啄ばんだ。柔らかい弾力を幾度も吸いながら、やつの白い肌を指先でなぞる。脇腹を俺の指が滑り下りた途端に、やつはブルリと震え、飲み込んでいる俺をキュッと締め付けた。
 俺はやつの吐息ごと、深くその口を吸う。
 閉じた目を縁取る長い睫毛が微かに震えている。
 俺の与える刺激に素直に反応するその身体を、俺はいつも通り時間をかけて楽しんでいた。
 「…気が済んだか?」
 幾度かの頂きを迎え、ようやく俺はあいつの身体を放して、その横に仰向けに転がる。その俺に、あいつは目を閉じたまま、そう呟いた。
 「何がだ?」
 俺は視線を天井へと向けたまま、やつが問おうとしていることを聞き返す。
 「…いや。いい…」
 俺に背を向けたやつのその白い背中に、俺はそっと指先を伸ばした。
 すっと指の腹でなぞると、ビクリとやつの身体が震える。
 「嘘付きだなおまえ」
 やつの背に残る大きな傷痕。
 俺はそれに吸いよせられるように、ゆっくりと唇で、舌先でそれを辿る。
 俺はこの傷痕の本当の理由を、つい最近思い出した。
 「事故で怪我したなんて」
 「嘘じゃないさ」
 やつの声が笑っている。
 俺はそのやつの身体を背後から抱き寄せた。
 「あの時俺を庇って一緒に吹き飛ばされた時のやつなんだろ。おまえ知ってたんだろ、俺の親父達のことを」
 首筋に顔を埋め、俺はやつの耳元で囁く。
 「いや。俺もあの時のことはあまり覚えてない。気が付いた時には病院のベッドの上だったからな」
 「嘘だ」
 俺は一層キツくやつの身体を抱く。あいつは俺に身を任せたままだ。
 「嘘じゃないさ。おまえがあのジョージだってことも、随分後になるまで判らなかったからな」
 嘘だ…。
 俺は言葉にせぬままそう繰り返す。
 実際、こいつが言うようにそれは嘘ではないのかもしれない。
 だが、あの夏の終わりの浜辺で、俺の親父とお袋が殺されたあの浜辺で、俺を庇ったこいつが俺と共に爆風に飛ばされたことも事実だ。それが、ようやく俺が取り戻した最後の記憶だ。
 こいつと共に海底深く調査に出た時に思い出した記憶は、俺にとって最も思い出したくはないものだった。そして、その記憶と共に海上に浮上した時、俺に差し出したこいつの手を取った瞬間、沈み行く太陽に照らされた穏やかなあいつの瞳に、俺は忘れていたもう一つのその記憶を取り戻した。
 『ジョージぃ!!』
 絶叫する声と同時に、俺は飛び掛かって来たこいつと共に砂浜に倒れ込み、その直後に火柱が上がった。俺達は直撃に近い爆風に煽られ、それでもこいつは俺を離さなかった。
 その事件の起きる前の日に出会ったばかりだという俺を庇って、俺と共に砂浜に叩きつけられたこいつのことを、俺はその瞬間まで忘れていた。
 ふっと小さくやつが笑う。
 「何だ?」
 「ん?。あの時の博士を思い出したんだ。俺のベッドの横で、ずっと手を握っててくれた」
 「俺は、心配そうな顔で覗き込まれたことを覚えてるよ」
 いくら思い出したとはいえ、俺にとって当時の記憶はかなり曖昧だ。病院を二、三度代わったような気もするが、それも定かではない。意識がハッキリした時に側にいたのはこいつではなく、博士だった。身体の傷以上に精神的に参っていたらしい俺は、随分と長い時間をぼんやりとして過ごしていたようだった。
 俺の腕の中でゆっくりと身体の向きを替えたやつが、両腕を俺の肩にまわし、俺の瞳をその明るいブルーの瞳で覗き込んだ。
 「何、考えてる?」
 「いや。あの後おまえはどうしたんだ?」
 「暫く入院してたな。リハビリがそのまま訓練になっちまったけどな」
 俺はやつの腰を引き寄せた。
 「さっきの答えな…」
 「ん?」
 「まだ気が済んでねぇ」
 「バカ、そのことじゃ…」
 言い掛けたヤツの言葉を唇で塞ぐ。
 判っている。
 そんなことをヤツが尋ねたわけではない。
 俺の肩を掴み掛けたヤツの手から力が抜ける。俺のそこには漸く包帯を解かれたばかりの新しい傷があった。
 俺はヤツの右足を持ち上げ、幾度も味わった花園へ指を差し入れた。
 「んっ…」
 ヤツの甘い吐息が漏れる。
 俺はゆっくりとヤツをほぐしながら、再び猛り始めた己を静かに沈めて行った。
 俺の最後の封印はあの島で解かれた。
 銃を手にしたアランが、俺の全ての封印を解き放った。
 アランは俺の親父を売った。
 「おまえ、知ってたんだろ?」
 「んっ…」
 俺はやつの歓喜の壺を押し上げながら、チョコレートブランの髪に覆われる耳を軽く噛む。
 やつは俺の腰に足を絡め、俺の首にしがみつく。
 「知ってたんだろ…」
 俺はもう一度やつの耳の中に囁いた。
 「な…、なに…を?」
 やつは俺の分身に押し上げられながら、掠れる声を吐息と共に押し出す。
 「アランのことだ。あいつが俺の親父を奴らに売ったってことだ」
 やつの髪が俺の肩口を撫ぜて揺れる。
 「言えよ」
 俺は激しくやつを突き上げる。
 俺の肩にピリピリとした痛みが走る。堪えきれぬように俺の肩を掴んだやつの手に白い節が浮いていた。
 「…言えよ」
 俺は無駄だと知りながら同じ言葉を繰り返す。やつの髪は、その度に揺れた。
 そして、返事の代わりに、俺の口をその柔らかな唇で塞いだ。
 俺の舌を追い、やつの柔らかな舌が絡まる。
 俺はやつの頭を引き寄せてその口づけを受け入れた。

(2)

 俺がこいつと出会ったのは、あの日の前日だった。いかにも見るからにいいとこのお坊ちゃん風のこいつは、アラン達にとっていいカモだったようだ。裏路地へ引き込まれ、アラン達に取り囲まれたこいつは、自分よりも上背のある男達に囲まれても臆することもなく、今と変わらないその大きな目で相手を見据えていた。
 強請、たかりと、ガキの遊びにしたところで褒められたものじゃないが、それが男の強さだと憧れる馬鹿な年頃だった。
 その場に遅れて合流した俺は、アラン達が取り囲んでいるそのガキを見た瞬間、訳も判らず腕を掴んで走り出していた。
 「何するんだ!」
 気の強そうな声に「逃げろ!」と叫び、俺はやつの腕を掴んだまま走った。
 自分でも何故そんなことをしたのか判らなかった。背中から「ジョージ!」と呼びかけられる声も気にならなかった。
 市場を走り抜け、表通りに出て俺はようやくやつの手を放した。
 「バカ。一人であんなところを歩くな」
 そう怒鳴った俺に、やつは良く晴れた日の空のような目を大きく見開き、それからまるで木洩れ日のような微笑みを浮かべた。
 「助けてくれたんだ」
 「ふんっ」
 俺はまるで疑うことを知らないような真っ直ぐなその視線に、慌てて横を向いた。走ったからばかりではない大きな鼓動が俺の胸の中で鳴りやまずに響いていた。
 それが何だったのか、それを知ったのはもっと後のことだ。

 「浜辺に…」
 俺から唇を離したあいつが、俺の首の後へ両手を回し、いたずらの計画でも話すような少し子供っぽい笑みを浮かべて俺を見る。
 「あの浜辺に、誰といたんだ?。ジョー」
 一人で砂遊びをしていたと思い込んでいた俺は、やつのその問いにドキリとする。
 あいつは、まるで脈打つ俺の動揺を確認するかのように、俺の首筋にその唇を寄せた。
 「おまえと一緒だったのか?」
 「…おまえが一人で砂遊びなんかするわけないだろ」
 細切れになっている映像が少しずつ繋がっていく。思い出すことに抵抗がなくなったとは言え、まるでバラバラになった紙芝居のような記憶は、丹念に辿らない限りその全貌を表してはくれない。
 「…ふふっ。ははははっ」
 俺は思わず声を上げて笑っていた。
 そうだ。あの時俺は楽しかったのだ。
 あの親父とお袋の死に直面した最悪の記憶の中に、どこか甘酸っぱい懐かしさを感じていた。両親と共に出掛けた記憶が殆どない俺には、親と一緒にいられることが楽しかったのだと思い込んでいた。
 「そうか。おまえと一緒にいたのか俺は」
 「砂遊びなんてやってられるかって言われたけどな」
 やつはそう言って小さく笑うと、俺に動けと催促するかのように腰を揺らす。
 俺はやつの腰に腕を回し、身体ごと引き寄せながら態勢を替えた。仰向けた俺の目の前にやつの空がある。
 「自分で動けよ。俺は病み上がりだからな」
 「よく言うぜ」
 やつの空が明るく笑っている。
 俺はその空に焦がれていた。あの瞬間から。
 「おまえは、何であの島にいたんだ?」
 上体を起こして俺の身体を跨がったやつに俺は解けない疑問を口にする。
 「…んんっ。博士が何の用もないのに、学会の帰りにあの島に行くと思うか?」
 やつは俺をより深く迎え入れながら、そのしなやかな白い背中を、毛並みのいい猫のように反らせた。
 「まさか…」
 俺がそう口走った瞬間、やつの中で俺は強く締め付けられる。
 親父に接触するために博士はあの島に足を運んだということか?。
 「大人の話をするのにおまえは邪魔だったんだろ。だが、手元に置いておかなければならないほど事態が切迫してた。結局間に合わなかった」
 「おまえは最初から…」
 「おまえに接触しろと言われてたんだよ。親でさえ手を焼くおまえをあの島から連れ出すためにね」
 何てこった。
 俺は一瞬呆然とし、それからやつの腰に手を添えて強く引き寄せた。
 「ああっ!」
 やつの髪がふわりと舞って、ピンと張った背中が更に深く反った。
 「まんまとおまえの、いや博士の策に落ちたってことか?」
 「…違う。博士は間に合わなかったんだ」
 「アランがその邪魔をしたってことか」
 やつはもう何も答えなかった。
 答えぬ代わりに俺を深く迎え入れ、俺を感じ、俺に反応した。

 まったく馬鹿なことだ。
 俺は同じヤツに二度初恋をしたらしい。
 『ジョー』として始めてこいつに引き合わされた時も、俺はこいつの飴玉のような空色の瞳に感電しちまった。あの島のあの裏路地でこいつを一目見た瞬間と同じように。

 きっとこいつは知っていてあの時アランの前に立ちはだかり、その結果俺がどうするのかも、おそらくこいつには判っていたのだろう。
 アランが手にした銃に弾は入っていなかった。
 あいつが神父になったのは、遥か10年前の俺への贖罪だったのかと思うことは、俺の勝手な幻想なのだろうか。
 そして、アランもまたこいつに銃を向けることによって起きるあの結末を知っていたのかもしれない。
 気は済んじゃいない。
 あんな結末を望んだわけではない。
 後味の悪い苦みがこびりついている。
 だが、俺の心の奥底にそれを望む自分がいたこともまた確かだったのかもしれない。
 そして、どうすることもできぬまま10年という歳月をその後悔と共に過ごしたのだとしたら、アランもまたその終わりを望んでいたのかもしれない。
 拭うことのできない強い苦みを噛みしめながら、俺はこいつのパウダースノーのような肌を、チョコレートのような髪を、そして何より飴玉のような瞳を味わい続けた。

 まったく俺は…。
 厚い雲に覆われた空を見上げながら、俺はあの晴れた日の明るい空が見たいと思った。
 身体が揺れているのは、異常活動を始めたマグマの悲鳴なのか、あるいは俺の身体の断末魔の叫びなのか、それももう薄らぐ意識の中では判らない。
 願わくば、バイザー越しではないお前のその瞳が見たかった。
 いつかまた巡り逢うことがあったなら、俺はきっとまたおまえのその瞳に恋をする。
 苦しいこともあった。
 辛いこともあった。
 けどよ。
 楽しかったな。ケン。


The End...


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