ANOTHER STORY OF THE GATCHAMAN バナー


The boy who named K
- Another story of the GATCHAMAN -


by 鷲尾さゆり

The boy who named K


        
        「三人で押さえ込んだんだ。絶対逃げられないと思ったさ。」
 本来の目的を達成出来なかったからか、単純に惜しかったのか、
その士官は本当に悔しそうだった。
 
 (「何をするんです?」
 昨夜、用事があると騙して連れ込んだ部屋には、二人の仲間が
待機しており、ドアをロックすると同時に両側から肩と腕を拘束
した。そいつは驚いたように空色の瞳を見開いてそう言ったが、
今にして思うといやに落ち着いた声だったかも知れない。だが、
その時は彼らはそんな事に気づきはしなかった。
「おまえがあんまり生意気だからさ。」
「生意気って?俺が何かしたって言うんですか?」
 いきなりやって来て、俺のポジションを盗ったじゃないか?と、
若い中尉はカッと頭に血が昇った。
「その口の利き方が生意気だって言うんだよ!ガキのくせしやが
って・・・」
 得手勝手な怒りに任せてチョコレート色の髪を鷲掴みにした。
緩いウェーブのあるその長い髪は掴み易かったが、同時に短髪が
規則の軍隊に似つかわしくないその長さも癪に触る。つっ、と痛
みに整った顔歪め、一瞬、キッと鋭い目で睨んだが、
「おまえがいなくなれば、俺はまた飛べるんだ。」
 と、言う中尉の言葉を聞くと、何かを言いかけ、だが何も言わ
ずにはぐらかすように長い睫毛を伏せてしまった。視線を逸らし
た事が攻撃者を調子に乗らせたのだろう。掴んだ髪をさらに乱暴
に引っ張られ、思わず浮かべた苦悶の表情が彼らの嗜虐性を刺激
したようだ。
「・・・思い知らせてやる!」
 脅すだけで済ますか、実際に痛い目に会わせるか?彼らにそこ
までの打ち合わせはなかったらしい。一瞬の空白が生まれた。そ
の隙を見逃す事なく、そいつは唐突に、そして俊敏に行動した。
気がつくと髪を掴んでいたはずの指が開き、無闇に手の甲が痛く
なっていた。そして、彼らの目の前から消えたそいつは、涼しい
顔でドアの側に立っていた。)
 
「でも逃げられたのか?」
 彼らのチームリーダーであるニューマン少佐は静かな口調で、
そう問い質した。
「ああ。あのガキは妙にすばしっこいじゃないですか?アッと
言う間にすり抜けやがって...。」
「いや、俺はしっかり捕まえてたんだ。だがあのガキは特殊なマ
ーシャルアーツを使うぜ。」

 (「そんなのは言い掛かりだ!いい加減にして下さい。」
どうやって二人がかりの拘束を振り切ったのか?
「なぜ、放したっ?しっかり押さえてろと言ったじゃないか!」
「いや、押さえてたさ!」「この野郎め!」
 慌てて捕まえようと手を伸ばした一人の手首を捉えると、捻り
上げると同時にそれを支点にタッと床を蹴って、そいつは軽々と
三人の頭上を後方宙返りの要領で飛び越えた。手首を捻られた士
官が悲鳴を上げ、残る二人が振り返った時には、ドアの反対側に
ある窓を引き上げ、にやりと笑うそいつが見えた。ドアに引き付
けられて距離を稼がれてしまった以上、再度の捕獲は間に合いそ
うもない。小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「それに何をされたって俺は逃げ帰ったりしませんよ。」
 帰れるものなら、と思う気持ちが全く無いと言えば嘘になる。
しかし、そんな弱音を吐く訳にはいかないし、それを見せる事も
出来ない。もし、あいつが居たら、殴り合いだろうな、と思うと
急に可笑しくなってクスッと笑ってしまった。
「何を笑ってやがる?」
「いえ、別に。でももう寝る時間なんで、お先に失礼。」
 人を食った挨拶を残して、そいつはするりと闇の中に消えた。
「おい、ここは三階だぞ!」
 我に返った彼らが慌てて窓から外を見た時には、もうどこにも
その姿は無かった。なんてガキだ、信じられん!と、一人が唸り、
まるで忍者みたいだな、ともう一人が呟いた。)
 
 「俺もそう思う。第一、俺達のチームに参加するくらいだもの
な、普通じゃないのさ。」
 さて、それだから「生意気だ」という理由で「押さえ込んだ」
んじゃなかったのか?その坊やを。と、少佐は内心可笑しかった。
彼らのチームは特殊だったし、エリート意識は無論、チーム全
員に共通のものだ。だから、チームメイト達の気持ちは分からな
いでもない。確かにあの坊やは生意気だ。しかし・・・。
「で、押さえ込んでどうするつもりだったんだ、中尉?」
「ちょっと痛い目に会わせてやろうと思っただけですよ。」
「君の発案なんだろ?で、それは一号機の前席をあいつに取られ
たからか?」
 若い中尉はあからさまに嫌な顔をした。彼はチームの中では一
番若い。が、階級はもっと年上の何人かと同じかそれよりも上だ
った。そして彼らのチームにある複座の戦闘機は五機、つまり乗
員は十名で、件の坊やを含めると十一名になる。だから、誰か一
人が地上に取り残される事になり、現在それがその中尉という訳
だ。エリート意識とプライドが人一倍なのは、まあこれも理解出
来るし、いきなり割り込んだ坊やに自分のポジションを奪われた
悔しさも分かる。しかし、だからと言って卑怯な振る舞いを容認
する訳にはいかない。
「今回の配置については坊やも含め、全員がテストを受けて決定
した事じゃないか?そうだろ、中尉?納得がいかないのであれば、
正式な上申書を提出したまえ。」
 だが、ここは口頭での注意に留めて良いだろうと、少佐は判断
した。なにしろ未遂以前に逃げられたんじゃ話にならん。痛い目
に会わされて、坊やが泣きついて来たのならいざ知らず・・・。
「それにあいつはずっとチームにいる訳じゃなし、ま、預かりも
のだからな。大事にしてやってくれよ。まだハイスクールにいて
当然の子供じゃないか?ムキになるなよ。」
 そう言って笑うと、少佐は踵を返した。その背に、別の士官が
声をかける。
「なんであんな坊やが、こんな所に来たんですかね?」
「知らんよ。だが、上層部が決定して送って来たんだ。何か訳が
あるんだろ?名前まで伏せてあるし、な。」
 滑走路が午後の陽に照り返って、ひたすら眩しかった。そう言
えば、「K」は何の頭文字なんだろうな?と、少佐はふとそんな
事を考えていた。

 宿舎の前のベンチで、そのKは本を読んでいた。
「目が悪くなるぞ。この日陰はもうずいぶん暗い。」
 そう声をかけると、ハッとしたように本から顔を上げたが、た
ぶんもうかなり前から自分の接近には気づいていたのだろう。僅
かに引いた右足はいつでも行動に移れるようにとの予備動作だ。
いったい、この子は何者なのか?何故、こうした事を身につける
必要があるのか?
「ああ、そうですね。夢中になっていて気がつかなかった。」
 にこりと微笑んだ顔は実際の年齢よりも幼く見える。言動が大
人びているし、操縦技術もいっぱし以上なので、こうして改めて、
その子供っぽい顔を見るとちょっと不思議な感じだった。
「夕べは中尉達が失礼したようだね。で、揉め事の原因は何だっ
たんだい?」
 とぼけて探りを入れてみる。
「別に何でもありませんよ。俺がひたすら逃げたってだけで。」
「ふむ。で、理由は?」
「それはこっちが聞きたいや。」
 ま、どこでもよくある事なんですよ、結局は厄介物ですからね。
少佐だってチームの方が大事でしょう?と思ったが、それは噫
にも出さず、Kは知らん顔のまま、
「ワーレン中尉は俺が帰れば、一号機に復帰出来るのですか?」
 と、訊いた。
「中尉がそう言ったのか?」
 頷いて、それから眩しい滑走路をじっと見つめる横顔がちょっ
と辛そうだった。自分が中尉の居場所を取ったとでも思っている
のだろうか?
「テストがあっただろう?君が帰ったらまた同様のテストがある。
中尉が以前のポジションに戻れるかどうかは、ま、彼の頑張り
によるね。だから君が気にする事は何もない。」
 ワーレンの奴め、しょうもない事を、と内心舌打ちする思いだ
った。が、振り返って、
「気にはしてませんが・・・。それじゃあ、中尉の実力では難し
いかも知れませんね。」
 と、言った氷のように冷ややかな青い瞳にはゾッとした。
「おいっ!」
 思わず肩を掴んだ・・・つもりだった。しかし、Kは滑らかな
動作でその手を交わしており、見切ったように手が届かないぎり
ぎりの所にいる。そして、またにこりと微笑んだ。
「これからセスナに乗るんで、失礼します。少佐。」
「セスナ?」
「ええ。ハタノ大尉が愛機に乗せてくれるんです。」
 真直ぐに明るい滑走路へと走り出して行くチョコレート色の長
い髪が、陽射しにきらきらと輝いている。ベンチに取り残された
本を拾い上げながら、少佐はチッ、と今度は音を立てて舌打ちを
した。

 ワーレン中尉とその周辺の数人には筋違いな理由で憎まれてい
るようだったが、概してKはチームメンバーに評判が良かった。
皆、一様にKに対する好奇心もあって、何かと面倒をみているよ
うだったし、何よりもK自身の明るさと素直さが大きなファクタ
ーだろう。幼さを残す可愛い笑顔も人気だった。
「どうだ、ちょっとばかり怖かっただろう?」
「でも昔の飛行機乗りは、ああだったんでしょ?」
 旧式なセスナで二人が出かけた少し後、彼らが飛んだ方角に季
節外れの雷雲が発生した。報告を受けた少佐は肝を冷やし、無線
で呼びかけたが応答がない。はらはらしながらそれを数回繰り返
し、夕方ぎりぎりになって戻ったセスナに駆け寄ると、なんと機
体に落雷したのだと言う。
「なあに大丈夫だよ。相変わらずの心配性だなぁ、JJ。」
 老練な大尉はそう言って笑った。あんたの心配なんかしてやし
ない、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んでいると、件の大事
な預かりものが、
「JJって、何です?少佐のあだ名ですか?」
 と、笑いながら余計な口を挟んできた。
「こいつはジョセフって言うんだが、面倒なんでジョーにしたん
だ。ところがもう一人、ジョーがいてね。で、こっちが・・・」
「へえ、少佐もジョーなんですか?偶然だな。」
「そんな事はいいから、大尉!とにかく坊やを連れて無茶な事は
しないでくれ。」
「凄かったなあ、キッド!翼の上を稲妻が走ったんだよな。」
「で、計器も無線も全部イカれたんですよ、少佐。あっと言う間
に何もかも!」
 それで二人は計器無しの時代に戻ったつもりで、目的の山まで
フライトを続けて来たのだと言う。いい練習になったろう?と片
目をつぶる大尉も大尉だが、楽しかったと答えるガキもガキだ。
呆れて物を言う気にもならなかった。
「キッドって、何だい?君のあだ名か?」
 この子に当たっても仕方がない、と思いつつ、つい冷たい口調
で嫌味を言ってしまった。Kはそれを敏感に感じ取ったらしく、
途端に真面目な表情を浮かべて、
「すみません。ご心配をおかけして・・・」
 と、素直に詫びた。一方、大尉の方は知らん顔だった。何しろ
大尉はチームの最古参で、かつては少佐の教官だった人物なのだ
から当然と言えば当然だ。大尉は将官になる事を頑なに拒み、長
く現役を貫いて来た本物の空の男だった。

(「俺はあの子を知ってるよ。」
 イニシャルだけのKがやって来た時、大尉はそう告げた。聞け
ば二年ほど前に、ジェット戦闘機の操縦教官をしたのだと言う話
だった。大尉はその教官としての経験と技術を見込まれて、よく
他所のチームや基地に出張訓練に呼ばれる事があるのだ。だから
大尉はKの本当の名前やある程度の素性は知っているのかも知れ
なかったが、そうした事は一切口に出しはしなかった。ただ、K
の訓練についてだけを言葉少なに語った。
「初っ端のフライトで、あの子は無闇にスロットルを開けてなぁ。
真直ぐに空の果てまで飛んで行きそうだったっけ。」
「へえ、そりゃ珍しいな。」
「うん。普通は怖くて抑えようとするもんだろ?気を失うまです
っ飛ぶとは思わなかったよ。まあ、本人は「失速するのが怖かっ
た」と言ってたがね。」
 そう言って笑った大尉は本当に嬉しそうだった。自分の最初の
フライトを思い出しても、なかなかスロットルなど開けられない
ものだ。「何をやってる?速度を維持しろ!高度を取れっ!」何
度、そう怒鳴られた事だろう?それほど怖いものだ、ジェット機
で空を飛ぶと言う事は。いや、最初に乗せられるプロペラ機でも、
いや、例えば自転車や自動車等にしても同じではないのか?
「特別なんだね、あの子は?」
「うん。たぶん、大鷲かなんかの生まれ変わりだな。」
「まさか何かの軍事目的で才能のある子に英才教育を、というの
じゃないんだろうね?」
 以前、一部では実際にあった事だし、と懸念を口にすると、
「いや、あの子は宇宙飛行士になるんだと言ってたよ。ISOが
いよいよ本格的なアストロノーツを育てる計画なんじゃないのか
?今はロケットよりもシャトルの時代だし、それなら基本は飛行
機だからな。ま、今度のレオナ計画でも専任の若い宇宙飛行士を
養成してるって言うじゃないか。」
「それならばいいんだが・・・。」
「いずれにしても、俺達にはどうする事も出来んよ、JJ。せい
ぜい飛び方と生き残る方法を教えてやるのが関の山だ。」
 多くの若者を見送ってきた大尉はそう言って笑ったが、少佐の
心は晴れなかった。Kが垣間見せる特殊な雰囲気が、どうしても
ただのパイロットやアストロノーツに必要なものとは思えなかっ
たのだ。少佐自身、空軍の特殊部隊に在籍した経験があり、そう
した雰囲気には鼻が利いたからかも知れない。)

 翌朝、ブリーフィングルームにはKを含め、チームの全員が集
合していた。
「さて、本日は諸君のお楽しみ、乱交パーティーの日だ。」
「待ってました!」「やりまくるぞ!」と言った歓声がドッと上が
る。俗称・乱交パーティーと呼ばれるこの訓練は、つまり機種や
作戦が異なる他のチームとの合同演習の事だった。戦闘機が飛躍
的に発達した現代の空軍では、かつてのような大編成同士の戦闘
はまずあり得ない。大抵は四機程度の少数精鋭チームが、音速の
ドッグファイトを展開する事になる。通常はチーム内の友軍機同
士で模擬空中戦を行うが、更に実戦に近いものとして考案された
のがこの乱交パーティーなのだ。言うまでもない事だが、実弾を
撃つ訳ではなく、搭載コンピューターに接続されたヘルメット内
の照準器に完全に捕捉された段階で、「撃墜」とマークされて「G
AME OVER」となる約束だ。
 フライト・コースや展開についての説明中は怖いほど真剣だっ
た音速の猛者達も、必要な説明を聞いてしまうと勝手な雑談を始
める。実戦を想定してと言っても、平和な今、その実感は薄い。
演習自体がもはやゲーム感覚であり、少佐でさえ浮かれた気分に
なるのは否めなかった。
「何と言っても、乱交パーティーほど面白い訓練はないぜ!」
「そうですか?」
 少佐の懸念をよそにKはチームにすっかり溶け込み、今日も明
るい笑顔を見せて皆と談笑している。
「キッド、首尾良く美人を見つけたらさ・・・」
 別の士官がKの肩を抱いて、片目をつぶって見せた。
「見つけたら?」
「一気に行け!さもないと、あっと言う間にヤラれちゃうぞ。」
「うーん・・・」
 真面目な顔でKが唸った。お?と、その顔を皆が見つめた時、
「分かりました。サッと抱きしめて、キスしちゃうんですね?」
 と、とぼけた冗談を返した。こいつ!、言うじゃないか?やれ
るもんなら、やってみろ!と、無骨な指が長い髪をくしゃくしゃ
と掻き回し、皆が背中を叩く。あはは、と笑うKを少佐は無言で
差し招いた。

 乱れた髪をかき上げながら、Kは少佐の側にやって来た。
「何ですか、ニューマン少佐?」
「K、君が同意してくれるなら、一号機の後席には俺の代わりに
ワーレンを乗せたいんだが、どうかね?」
 Kは微笑んだまま、素直に頷いた。
「それはあなたが決定する事で、俺が口出しするのは越権行為で
しょう?」
 顔は穏やかに笑っていたが、青い瞳は相変わらず冷たい。複座
の戦闘機の場合、一般に前席は操縦士、つまりパイロット席で、
後席は航法士=ナビゲーター席である。航法士は搭載コンピュー
ターを駆使してパイロットを補佐し、同時に兵装システムを管理
・操作する。デュアルコントロールが可能なので、どちらに座っ
ていても機体を操縦する事は可能だが、訓練においては通常、教
える立場の者が後席に着く。中尉のプライドは保たれるだろうが、
果たして中尉は後席で役割通りの責務を果たすだろうか?そして、
Kのこの冷たい眼差しはやはりワーレンを見下しているからなの
か?ワーレンには試練が必要だ。我慢し、協力する事を覚えなけ
れば、中尉は駄目になる。少佐はそれを惜しんだ。リーダーとし
て、出来の良い者を伸ばす事は当然だが、反対に躓いた者を上手
くフォローし、再上昇させる事もまたリーダーの使命だった。ワ
ーレンを進歩させたいと思ったし、それ以上に、この出来はいい
が生意気な坊やに自分のチームメイトを見下したままでいて欲し
くなかった。
「では決定に従ってもらおう。中尉は優秀なパイロットだし、後
席の経験も積んでいる。それは俺が保証するよ、キッド。必要が
あれば俺が五号機でサポートする。」
 君には気の毒だが、一時的な預かりものよりもチームのメンバ
ーが大事なのだ、と思う気持ちを悟られまいとして声音が優しく
なったからかも知れない。Kはふっと青い瞳を和ませた。
「キッドって呼んでくれましたね、少佐。」
 こっちの思惑を見透かされたのか?と、どきりとし、思わずそ
の肩に手を置こうとした。だがそれは再び果たせなかった。チー
ムの皆に今の今まで頭を撫でられ、肩を抱かれ、少しも緊張した
様子など見せなかったKなのに。
「確か、中尉は例のシュミレーション・テストで必要のない緊
急脱出をしたんでしたよね?」
 かけがえのない乗員の生命と、そして数百億もする高価な戦闘
機を無駄にしないよう、こうしたテストは通常、シュミレーショ
ンで行われる。Kが参加した時に行われたテストは主に緊急事態
下での対応の観察が目的だった。なにしろ「大事な預かりもの」
だ。万一があっては、との配慮からだったが、ワーレンはこのテ
ストで思わぬ失態を演じ、そして一号機の前席をKに譲る事にな
ったのだ。
「安全を最優先しろと教えたのは俺だ。あの時も結局、機体も
乗員も無事だったんだし・・・。」
 それは言い訳だった。中尉は見切りが良過ぎた。機体に対して、
そしてペアを組んでいるはずの仲間の生命に対しても。
「ま、場合によっては俺だって中尉のように勝手に脱出するかも
知れないし・・・。」
 いつもきちんと喉元まで上げたフライトスーツのフロントジッ
パーを人差し指で弾いて、Kは笑いながらそう言った。

 その日は昨日と打って変わった曇天で、滑走路は重く鉛色に沈
んで見えた。すでに格納庫から滑走路に出され、ずらりと機首を
並べた五機のジェット戦闘機は、整備員達の熟練した腕によって
小気味良いアイドリング排気音を響かせている。ターボ・ジェッ
ト・エンジンの原理自体は簡単なものだ。取り入れ口から吸い込
んだ空気をタービンブレードで圧縮し、霧状に噴射するケロシン
と混合した状態で点火するだけだ。高オクタン価の石油系燃料は
爆発的に燃焼し、後部排気孔から炎とともに凄まじい轟音と巨大
な推力を機体にもたらす。一九四一年にグロスター・ホイッスル
が初めて大空を飛んでから半世紀以上が経過し、ジェット・エン
ジンも機体も搭載される機材も飛躍的な進歩を遂げたが、御し難
い猛禽を駆って飛ぶ事に変りはない。だからこそジェット戦闘機
のパイロットは花形なのだ。彼らは猛禽を意のままに操り、音速
の壁を超え、遥かなる蒼空の頂きへと駈け昇る事が出来る選ばれ
た人種なのである。
 各機体にそれぞれの乗員が乗り込み、整備員達と最終的なチェ
ックを繰り返す。エンジンを吹かす度、かつてそう呼ばれた笛の
音に似た甲高い排気音が辺りに響き渡った。彼らは皆、緊張し、
そして多忙を極める作業に没頭する。ラダーやフラップは滑らか
に稼動するか?可変翼の動きは?ランディング・ギアは大丈夫か
?搭載コンピューターや電気系統に異常はないか?レーダーやそ
のディスプレイ、無線、コンパス等は完璧か?そして乗員の生命
を守る為の機材は?
『PMS、INSともに異常ないか?確認せよ。』
 レシーバーを通して、少佐がKに細かいチェック項目を指示し
てきた。自分が後席に乗らない事をかなり気にしているらしい。
「飛行性能管理装置、及び慣性航法システム、異常なし。」
『姿勢表示装置、確認せよ。』
「ラジャー、確認中・・・、異常なし。」
『高度計、並びに水平位置表示装置、確認せよ。』
「両装置とも異常なし。燃料流量計も確認、異常なし。」
『酸素マスクは?Gスーツのホースはちゃんと接続したか?』
「大丈夫ですよ。」
 うるさいな!と言い返したら、すっ飛んで来て引きずり降ろさ
れるかな?と、Kは可笑しくなった。何だか初めて小学校に通っ
た日の母親を思い出す。ハンカチは持ったの?あら、バッグの肩
紐が長いみたいね、とどうでも良い事をいちいち気にしてくれた
母のようだ。それから後の母親の記憶はあまり無かったが、病没
する一年ほど前、セスナの操縦を習い始めた、と話した時に見せ
た怒りにも似た厳しい表情だけはいやにはっきりと憶えている。
いつも優しかった母親が見せた一度きりの顔だった。お母さんは
何であんな顔をしたんだろう?
「お母さん・・・。」
 知らず知らず、そう呟いていたらしい。ヘルメットに内蔵され
たマイクがそれを拾った。
『K!ママが恋しいんなら、そこから降りろっ!』
 突然、怒声が飛んだ。ハッとし、そして次の瞬間、恥ずかしく
なって、何をっ!と、怒鳴り返しそうになった。しかし、辛うじ
てそれを抑え、
「すみません。」
 と、詫びるその言葉に重なるように中尉の笑い声が響いた。
『坊やのお守りはちゃんとやりますから、ご心配なく。少佐。』
 Kの後席に着く事を渋るかと思ったが、中尉は意外にも喜んで
それに応じた。しかし、Kに謝罪もしなかったし、相変わらずの
不遜な態度ではあったが、やはり空を飛ぶ事を心から愛している
んだな、とKでさえ中尉の人となりを見直すほどの素直さだった。
だからこのくらいの憎まれ口は気にしない事だ。第一、こんな
時に迂闊にも母親なんかを思い出した俺が悪いんだ、とKは色の
濃いバイザーを引き下げて黙っていた。

 管制官が離陸許可を告げ、メカニックの猛禽達は滑らかにタキ
シングしながら、滑走路へと向う。そして轟音とともに、次々と
大空へ舞い上がって行った。雲はますます低くなり、あっと言う
間に彼らの機体は見えなくなってしまった。チームを編成する五
機すべてが離陸準備を整えてはいたが、通常、作戦行動を取るの
は、どの空軍においても殆どが四機編隊である。アクロバットチ
ームが例外的に五機で編隊を組む事は知られているが、これは一
機が指示機の役割を果たすからであり、現代の戦闘においては指
示を仰いでいる暇は無い。ここの五号機も訓練中の指示機には違
いないのだが、それ以上に非常事態や荒天時におけるチームのサ
ポートが最も重要な役目となっている。だから彼らは親しみを込
めて五号機をマザー・グースと呼びならしていた。
「JJ、行くんだろう?」
 五号機のパイロットであるハタノ大尉が訊ねた。既にヘルメッ
トのバイザーを下げ、機体は滑走中心線に乗っている。
「この雲じゃオレンジ・サワー(訓練支障天候)になるぞ。」
「よし、行こう。」
 頷いて、少佐も身軽な動作で後席に乗り込むと、管制官に離陸
を告げる。いつもは大尉とペアを組んでいる温厚な少尉が笑顔で
手を振った。強力なターボエンジンが唸りを上げ、機体は信じ難
い速度で重力を振り切って上昇する。雲は低く、そして厚かった。
だが雲の上に出、高度一万メートルから四万五千メートルの間
に広がる成層圏は、三六五日快晴だ。通常航行高度である一万二
千メートルに達したマザー・グースは水平飛行に移った。
『一号機から四号機へ。現在高度と飛行速度を維持。演習空域に
も厚い雲があるので、オレンジ・サワーも考えられる。その際に
は指示により速やかに帰投せよ。』
『ラジャー!』『ラジャー!』
 と、少佐の指示に各機のパイロット達が答える。
「JJ、キッドのママは何年も前に死んじまったそうだよ。」
 と、機内通話に切り替えて、大尉がぽつりと告げた。
「そうか。じゃ、悪い事を言っちまったな。」
「おまえさんがお袋みたいに口やかましいから、思わずあんな事
を言ったんだろうさ。」
 大尉は屈託なく笑ったが、少佐は胸が痛んだ。眼下に続く雲海
のようにぴたりと自分を閉ざしているKと、どこまでも青いこの
空の色に似たKの瞳と、そのどちらが本当のKなのだろうか?
そしてKは何故、そうしていなければならないのか?

 真っ先に離陸した一号機は編隊の先頭を順調に飛行していた。
空は今日も明るく輝いている。ジェット機の経験はまだ二年に満
たなかったが、十の時から飛ばし始めた小型セスナで培ったKの
飛行感覚と技術は、確かに抜きん出たものがあった。そうと意識
した事はなかったが、やはり心のどこかで、四つの時にこの大空
の彼方へ消えてしまった父親に、近づきたいと願っていたのかも
知れない。とにかくKにとって空を飛ぶ事は嬉しかったし、楽し
かった。それは「目的」と「理由」を知った今でも少しも変わら
ない。そして空はいつもKを暖かく迎えてくれた。怖いと思った
事など一度も無かった。

「前席、そろそろ演習空域だ。美人がやって来るぞ!」
「マザー・グースからの指示は?」
「何もないが・・・いや、チャンネルがおかしい。」
「どうしたんです?」
「分からない、応答がないんだ。何か電波障害が・・・」
 後席の中尉がそう言いかけた次の瞬間、レーダーが何かを捉え
た。後部上方から何かが急速に接近して来るが、反応が妙だ。
「二機で追尾して来るなんて事があるんですか?」
「分からん。とにかく反転上昇!あいつらの上に出るんだ!」
「ラジャー!」
 操縦桿を引き、スロットルを開けて加速上昇し、大きく弧を描
くように機体を横転させる。急速に加わるGに応じて、圧縮空気
がGスーツに送られ、遠心力によって下半身に血液が貯留するの
を防ぎ、脳に必要なだけの血液が送られるようにしてくれる。こ
のGスーツと相応の訓練が無ければ、人間の身体はこの強烈なG
に耐えらるものではない。これらが無ければ、アッと言う間に虚
血性脳貧血に陥り、手が痺れ、視界が暗くなる、いわゆるブラッ
ク・アウトの状態になり、そのままなら失神の後、死に至る。
「よし、上を取ったぞ!」
「ちょっと待って、中尉。あれをー」
 Kの言葉が終わらないうちに、先を飛んでいた機影がレーダー
モニターからふっつりと消えた。まさか、と思う間もなく、爆発
四散したらしい閃光が、眼下に視認出来た。
「嘘だろう?これは演習だ・・・。」
 中尉が抑揚のない声で言った。Kも驚いて、瞬きを繰り返す。
しかし、レーダーモニターの中、狙いすましたように真直ぐ上昇
して来る機影は紛れもない現実だった。
「接近してくる!」
「上昇しろ!逃げるんだ、振り切れっ!」
 だが、追尾して来る機影の上昇速度は、乗機のそれを明らかに
上回っている。
「無理だ、振り切れない。」
 Kはそう呟くと、突然、操縦桿を思い切り前に倒した。
「馬鹿!やめろっ、何をする気だ?降下してどうするっ!」
 その刹那、何かが機体側部とキャノピーをかすめた。Kがそれ
を待っていたように操縦桿を横に倒すと、弾かれたように機体は
急激に傾き、そしてまっ逆さまに墜ちて行った。それを確認する
ように、くるりと一回転した謎の機影は、そのまま空の彼方へと
飛び去った。

 墜ちながら、機体は六、七回、回転しただろうか?後部ノズル
から噴出された排気が、真っ白な螺旋を青い空に描いて、緩やか
に広がって行く。高度計の数字は恐ろしい早さで減りつつあるは
ずだ。おかしな話だが、急降下しているのか、急上昇しているの
か、Kにはよく分からなかった。だが、機体が回転した回数は数
えていられた。そして、徐々に操縦桿を毎秒三度づつ、仰角が十
八度になるまで引き絞る。離陸の時と同じだ。違うのはその手順
を何度も繰り返さねばならない事と、果たしていつまで耐えられ
るだろうか?という事だった。機体は七・五Gまで安全が保証さ
れているし、訓練は積んでいる。だが、Kと空とを隔てるキャノ
ピーと、KをGから守るスーツに些かの問題が生じていた。骨が
軋むほどのGと寒さに身体が悲鳴を上げているが、フライトスー
ツの下に隠したウェアは特別な物だ。死ぬ事はあるまい。
「後席、聞こえますか?中尉、大丈夫ですか?」
 九十割る十八は、五かな?俺は何回、この手順を繰り返した?
苦しいのはGのせいか、それとも酸素マスクもやられたのか?
こんな簡単な計算がなぜ出来ない?
「・・・前席!早く水平飛行に戻れっ、降下をやめろ!」
 あ、無事だったか、とKはその声が無闇に嬉しかった。
「早く機首を上げるんだっ!フラップを下げろ!」
「中尉、高度は?高度計を見て下さい。」
「高度六千五百、まだ降下中だ。機首を上げろったら!」
「やってますよ。後方レーダーに何か写ってますか?」
「前席、計器に異常があるのか?なぜ自分で見ないんだ?」
「ジャイロを見て・・・水平ですか、これで?」
「!・・・前席、コントロールを渡せっ!」
 中尉は後席の操縦桿を握ると、せっかちに怒鳴った。
「アイ・ハブ・コントロール!」
 だが、続けてKが応えるはずのユ−・ハブ・コントロールは返
って来ない。代りに返って来た言葉にワーレンは愕然とした。
「駄目だ。あんたにコントロールは渡さない。」

 演習空域で両チームの先頭機が消息を絶った。詳細は不明だっ
たが、演習は速やかに中止され、後続機にはすでに帰投命令が出
されていた。五号機、マザー・グースだけがフル・スロットルで
問題の空域へと急ぐ。
「ガキどもがっ!まったく世話を焼かせやがる。」
 ハタノ大尉の罵声が心配の裏返しだと言う事は少佐には痛いほ
ど分かっていた。無事でいてくれ、と祈るしかないが、祈ったと
ころでそれが必ず神に届くかと言えば、そうではない事もニュー
マン少佐は身に染みて知っていた。
 
(「何故、俺を連れて行ってくれないんです?」
 あの時は上官だったその男の言う事が理解出来なかった。
「おまえは、まだ若過ぎるよ、JJ。」
 鼻下に髭をたくわえた口元がそう言って笑ったっけ。憧れ続け
た男だった。男と同じ国連空軍の特殊部隊に配属された時の興奮
と喜びは今も忘れられない。しかし、男はそこを去って行ったの
だ。男と共に行く事が出来たのは二名だけで、どんなに望んでも
自分は連れて行ってもらえなかった。
「JJ、おまえもそのうち結婚して、子供が出来る。部下も出来
る。そうなった時、おまえにも俺がおまえを連れて行かん理由が
分かるだろう。」
「あなたにだって奥さんも子供もいるじゃないですか?」
「そうさ。だからだよ、JJ。」
 そう言った男の顔は厳しく、それでいてどこか哀しそうだった。
それから、ふっと微笑んで、達者でな、と片手を上げた姿を見
たのが最後になった。二年ほど経った頃だったろうか?その男が
乗ったISOの試作機が南の洋上で行方不明とのニュースを知っ
たのは。それきり、男は帰って来なかった。そして、少佐は理解
したのだ。行く者の思いと、残された自分が何をしなくてはなら
ないのかを。)
 
「前席、コントロールを渡せっ!計器無しでどうする気だ?」
「ふんっ、あっさりと機体と仲間を見捨てるあんたなんかに操縦
桿が渡せるか!こっちは計器が死んでるんだぜ。どうやって帰れ
ばいいんだ?」 
「ちくしょう、このガキッ!」
「得意の脱出はしない方がいいぜ、中尉。こんな高空じゃ、人間
は三分と持たないって事くらい知ってるんだろ?逃がしゃしない
よ、あんたは俺の目だからなっ。」
 ワーレンは激怒して喚き続けたが、Kは一歩も譲らず、さらに
意地悪く怒鳴り返した。
「心配する事はないよ。あんたがしっかりナビしてくれれば、無
事に連れ帰ってやるさ!さあ、おうちはどっちだい?」
 寒くて、息が切れて、胸が潰れそうだった。空は見た事もない
ほど、冷たくよそよそしい態度で知らん顔をしている。Kは初め
て空を怖いと感じた。中尉、頼むから、と言いかけた時、機外か
らの交信が飛ぶべき方向を示した。
『方位二○五C、修整・・・左七度、高度三千まで徐々に降下す
る。ヒヨッコども、おっかさんが来たぞ!ほら、ついて来い!』
 視界の中にスッと滑り込んで来たのはマザー・グースだった。

 「どうしてKは中尉にコントロールを渡さないんだ?」
 生意気なガキが!チームメイトを見下すのもいい加減にしろ、
と腹を立てて怒鳴ろうとした時、接近した一号機の主翼の付け根
辺りから何かが盛んに風防下部に吹き付けているのが見えた。
「しまった!送油パイプから燃料を吹いてやがる・・・。」
 もし、中尉にコントロールを任せ、安全高度まで降下したとこ
ろで脱出でもされたら?少佐は総毛立つ思いだった。充分な酸素
の中、高オクタン価のケロシンは射出座席を飛ばすための火薬に
引火し、機体は一瞬で炎に包まれるだろう。
「JJ、見ろ!前席のキャノピーもやられてるぞ!」
 大尉が叫んだ通り、Kの座席のキャノピーは破損していた。コ
ックピットを覆う風防は、外層と内層が強化ガラス製で、その間
を七層もの特殊ビニールとアクリル樹脂が張り合わされた、非常
に頑丈な構造になっている。その一部が鋭利な刃物でえぐられた
ように、きれいに失くなっていた。
「機外温度はマイナス三十℃だぞ。どんどん高度を下げさせろ!
キッドが凍死しちまうぞっ。」
 言われるまでもない。いや、まだ意識を保って、飛行を続けて
いる事の方が不思議なくらいだった。
「大尉、この雲に入っても誘導しきれるか?」
「お手々をつないで飛んでやるよ。ナビを頼んだぞ、JJ!後は
ワーレンにパニックを起こさせん事だ。イジェクトされたらこっ
ちも吹っ飛ぶぞ。」
 大尉は慎重に一号機の主翼の端ぎりぎりに機体を寄せて行った。
点滅を続けるストロボライトの航法灯が重なるほどの接近に、
Kは本能的に機体を翻そうとする。と、すかさず大尉の怒声が飛
んだ。
『逃げるなっ、キッド!この意気地なし!』
 何だとっ、と口唇を噛んで、Kは踏み止まった。しかし翼端が
触れ、衝突すれば、それで終わりだ。自分の死についてはそれを
意識した事も怖れを抱いた事もなかったが、後席と五号機の三人
の人生に終止符を打ってしまうのか?と思うと、それは堪らなく
怖かった。その緊張と恐怖に操縦桿を握る指が震え、ともすれば
姿勢が不安定になってしまう。
『いくらふらついたって、こっちが避けてやるから心配するな!
計器なんか無くったって平気だ。この前の雷を思い出せ!さあ、
おっかさんの手を離すんじゃないぞ!』
『一号機、降下を続けるぞ。K、雲に入ったら何も考えずにこっ
ちの航法灯だけを見て、くっついて来い。ワーレン、ジャイロと
レーダーから目を離すな。後席の計器に異常はないか?』
『異常ありません、少佐。ガキにコントロールを渡すよう命令し
て下さいっ!俺は死にたくない!』
『中尉、俺はおまえを信じているぞ。だから我慢して、Kをしっ
かりサポートしてくれ。雲に入るぞ、乱気流に注意しろ!』
 
 空一面を覆い尽くす、厚い雲の中に二機は沈み込むように降下
して行った。灰白色の濃淡がすべての視界を遮る。Kは瞳を凝ら
して点滅するマザー・グースの航法灯だけを見つめ続けた。気流
が乱れる度、ふとそれを見失いそうになったが、大尉は言葉の通
り、瞬く間にまたぴたりと翼端を接する位置に戻ってくれた。方
位と高度、諸々の微調整を冷静に伝える少佐の声と、それを正確
に復唱する中尉の声が聞こえる。時折、「大丈夫だ、頑張れ」と
励ます大尉の暖かい声が、それに混ざった。不思議な白い静寂の
中で、Kはいつしか寒さではなく、温もりを感じていた。記憶の
片隅にある父の腕か、母の胸か?いや、眼鏡の奥から自分を見つ
める、静かな眼差しか?喧嘩腰に突っかかって来る、あいつが時
々見せる優しさか?・・・それは、何か大切なものに包まれてい
ると実感出来る温もりに似ていた。
『さあ、もうすぐだ。このままビーコンに乗って着陸すれば、昼
飯に間に合うぞ。がんばれ!』
 果てしなく続くかと思われた雲が切れ、空は再び青く、明るく
輝き出していた。もう怖くはない、もう大丈夫だ、と安堵した途
端、Kはふいに意識が遠退くのを感じた。気がつくと、操縦桿を
握っているのかどうかさえ覚束ない。
 「JJ、キッドはもう限界だ。ワーレンに着陸を任すよう命令
した方がいい。ここまで来れば、脱出はすまい。」
 主翼の不安定な動揺を見て取った大尉がそう怒鳴った。確かに
あのままでは着陸は無理だ。航法システムが完璧に作動していて
も離着陸は最も難しいし、まして一号機は著しくシステムダウン
しているのだ。
『K、ここからは中尉に任せるんだ。コントロールを渡せ。』
 応答はなかった。まずい!咄嗟に、少佐は叫んでいた。
『健っ!目を覚ませ、健!』
 誰かが俺の名を呼んでいる?ハッとして、Kは瞬いた。
『健、着陸だ。中尉に操縦桿を渡すんだ!』
「ラジャー・・・中尉、コントロールを渡します。ユー・ハブ・
コントロール・・・」
 と、今度は掠れた声が素直に応えた。
「よし、アイ・ハブ・コントロール!着陸は任せておけ。一号機
、基地管制からの誘導ビーコンを補足。進入角度よし、降下速度
よし・・・着陸する!」
 スポイラーが動き、ランディングギアが降りる。フラップが微
妙な角度で下がって行くと、さらに高度は低くなり、見慣れた基
地の滑走路が伸びていた。さすがに上手いもんだなと感心してい
るうちに、一号機は無事地上に降りた。駆けつけた救護員がてき
ぱきと装備やヘルメットを外し、脈を取りながら具合を訊ねる。
どっと歓声が上がった方を見ると、中尉が数人と抱き合って、何
か声高にしゃべっていた。それが何となく羨ましくて、夢うつつ
に眺めていると、ふいに誰かが肩を抱いてくれた。
「・・・少佐?」
「よく頑張ったな、健。」
 少佐はちょっと怒ったような、哀しそうな顔で、それでも何と
か微笑もうとしているようだった。その表情には見覚えがあった。
ああ、そうだったのか、と、見上げた空はいつもと変わらぬ青
さだった。そして、嬉しいのに、何故か溢れてくる涙が無性に照
れくさかった。
 
 翌日、ISOから高名な科学者が調査班と共に基地に赴いた。
一号機の破損箇所をチェックし、キャノピー等を研究所に搬送し
てさらに調査し、正体不明機を割り出すとの事だった。
 
 (「では、あの正体不明機はやはり?」
 健の質問に長身の科学者は頷いた。
「君達を攻撃したのは、恐らく高性能のレーザー砲だろう。まっ
たく信じられん科学力を持っているやつらだ。健、ところで身体
の方は大丈夫なのか?」
「ええ、例のウェアを着ていたので凍死せずに済みましたよ。酸
素マスクの不調で、軽い低酸素症を起こしましたけどね。」
 洒落たパンスネイの奥から、じっと自分を見つめるその科学者
の目に、昨日の少佐の顔が重なって見えた。
「私と一緒に戻るかね、健?」
「いえ、予定の期間、ここでの訓練を続けさせて下さい、博士。
あいつも頑張っているんでしょう?」
 そうか、と頷いたその科学者は、優しく微笑んだ。
「ジョーは、些か違う事に頑張り過ぎているらしい。引き取って
くれと上官から電話があったよ。」
 やっぱり殴り合いか?あいつらしい、と健も笑った。)
 
 昼下がりの陽が眩しかった。いつものように本を読もうと宿舎
の前のベンチに行くと、先客がいた。
「珍しいですね。少佐も読書ですか?」
 あ、これ?と、少佐は手にした本を健に見せた。
「この前、君がここに忘れていった本を返そうと思ってね。それ
からワーレンを助けてくれた礼を言いたかったんだ。」
「えっ、何の事です?」
 と、健はとぼけて見せたが、もう少佐は騙せそうになかった。
まあ、いいか?泣き顔まで見られてしまったんだからな。
「少佐、あなたは俺の名前を知ってたんですね?」
「いや、この本のカバーに書いてあったのを見つけたんだよ。」
 カンニングさ、と、少佐は笑った。そして、何だ、そうだった
んですか、と笑う健に本を渡しながら訊ねた。
「このページの、ここに傍線を引いたのは君かい?」
「ええ、そうです。」
 何の衒いも気負いもなくそう答える健に、少佐は僅かに表情を
引き締めた。氷のように冷たい目をし、だが太陽のような笑顔を
見せる健。誰にも心の中を見せずに、しかし誰からも愛される健。
そのどちらもが紛れもない健だった。健はこの先、いったい何
と言う名で答えを探し続けるのだろう?だが、君は強い。挫けて
も、倒れても、負けずに答えを追い続けるのだろう。だからきっ
と・・・と、少佐は微笑んだ。
「いつかこの答えが見つかるといいな。」
 澄み切った青空に似た瞳を真直ぐに向けて、Kと言う名のその
少年は力強く頷いた。
 
 『何者の名において、僕は行動しているのか?』
(サン・テグジュペリ著『夜間飛行』/堀口大學訳より) 

- THE END - Different stories for different fans .
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