ANOTHER STORY OF THE GATCHAMAN バナー

SEQUENCE

by さゆり。

1.
 車を降りて、ふと見上げた空は、あいつの瞳と同じ色だった。
 懐かしいな、とジョーはひとり微笑んで、風さえも光る季節の陽光にウン、と大
きく身体を伸ばす。ユートランドシティから休息も取らずに真直ぐフリーウェイを飛ばし
て来た軽い疲労が、その青い空に吸い込まれて行った。
 
 近代的で清潔な建物、もっともそれ以外の形容は無いのだが、そこがISO付属
の総合病院であり、また同機関の特別医学研究所も兼ねているとあっては致し方
あるまい。もうすっかり内部の様子は分かっている。そう、数え切れないくらい通っ
て来た場所だから。レセプションにIDなど提示せずとも、奥まった一画にある研究
エリアへのカードキーを受け取れるほど、ジョーはここの顔見知りだった。
 カードを差し込んで、一般と隔絶されたエリアへと進み、更にガードマンが見張っ
ているエレベーターで最上階へ。降りると、エレベーターホールと廊下は更に特殊
強化ガラスで仕切られており、その扉は脇に控えたガードマンにしか開けられな
い。この中は二重三重に守られた特別な場所なのだ。
「やぁ、早いね、ジョー。」
 夜勤明けなのだろう。中年のそのガードマンは些か眠そうな目を瞬かせながら、
にこりと笑った。
「おはよう、マイク...いや、おやすみかな?そのトシで徹夜は辛いだろうぜ。ご
苦労さん。」
 この野郎!と、引っ叩く真似をした彼を交わして、ジョーは降参だ、と両手を上げ
て見せた。まったくもう、と呟きながら彼が日毎に変わる暗証番号を押して扉を開
けると、一瞬、微かな風が巻き起こる。この先のエリアは温度や湿度といった当然
のものばかりか、気圧までもが一定に保たれているからだ。
「じゃあな、マイク。早く交代が来る事を祈ってるぜ。」
「ジョー、そんな事より早く行ってやれよ。博士から連絡を貰って、こんなに早く来
たんだろう?」
 ガードマンはジョーが誰であるのか、また彼がたびたび尋ねて来るこの先の一
室に居る男が何者であるのかを知りはしない。かつても今も、彼らのIDは極秘中
の極秘だった。
(親友なんだ、たったひとりの。いや、兄弟かな?)
 いつだったか、ジョーはそう言った事があった。勿論、ガードマンはこの先のエリ
アがどういった研究をしているとか、またそこに収容されている男が恐ろしく特別な
病人だと言う事は知っている。詳しい事情は知らなくとも、彼にはジョーの言葉だ
けで充分だった。だから、言わずにはおれなかったのだが、その言葉にジョーのブ
ルーグレイの瞳が少年のようなはにかみを含みながらも、まるでクリスマスの朝
のように輝いたのを見ると、まるで我が事のように嬉しかった。
 さあ、と促されて、ジョーは自分の足が微かに震えている事に気付いた。じゃあ、
と片手を上げて歩を進めると、胸の中が急に熱くなった。
(あいつが目を醒ましたって?あいつが...。あいつは俺を憶えているだろうか?
いや、忘れる訳が無えさ。ああ、でもなんて長い間、あいつは眠ってやがったんだ
ろう!)
 足だけでなく、ジョーは心までが震えている事を自覚した。
「良かったな、ジョー!」
 そして、背後からのその声がただ無性に嬉しかった。
 
「失礼します。」
 ノックしたドアはすぐに内側から開けられた。
「ジョー!来てくれたんだね?」
「頂いたメールにレスもせずにすっ飛んで来ました。で、立花博士、あいつは?」
 ああ、と頷いて、立花と呼ばれた白衣の医師は窓辺に置かれたベッドを指し示し
た。見慣れたベッドにはいつものように真っ白なカバーがきちんと掛けられてい
る。大きな窓からは見慣れた風景が見え、午前の陽が優しく差し込んでいる。そし
て、その中にひとつだけ、見慣れないものがあった。それは背もたれを起したベッ
ドに居る若い男だった。チョコレート色の長い髪を淡いブルーの病室着の肩に垂ら
したその男は、ジョーの接近に気付かないのか、真直ぐに前を見つめていた。彼
はあれ以来、一度も目を醒まさなかったのだ。ましてやこうして身体を起す事な
ど、有り得なかった。
「け..ん...!」
 くそ、もどかしいくらいの声しか出やがらねぇ。こんな時に、とジョーは舌打ちし
た。だが、喉に詰まったのは声だけだったろうか?もう一度、呼びかけてみようと
したが、それが出来なかった。ジョーは名を呼ぶ代りに、その腕に触れた。と、じっ
と前を見つめていた男がゆっくりとジョーへと顔を向けた。
 晴れた空の色をしたその大きな瞳が、一度二度、瞬き、そして、ジョーを映した。
 
2.
「G2号、聞こえますか?ジョー、分かりますか?」
 落ち着いた声がそう繰り返していたのをジョーは記憶している。うるせぇや、と知
らん顔を決め込もうとした瞬間、すべてを思い出した。そうだ!地球は、俺達はどう
なったんだ?あれから・・・。
「良かった。覚醒しましたね、ジョー。」
 呼びかけていた声の主が微笑んでそう言った。
「俺は帰って来たんですか?他のみんなは・・・、健は?」
「心配いりません。あなた方は全員、帰還しました。みんな、それぞれに手当てを
受けています。ジョー、あなたが真っ先に覚醒しましたよ。やはり特別なんです
ね。」
 特別な身体、特殊な機能を持ったジョーは回復も早かったし、これまでの記憶も
完璧だった。しかし、数日遅れて覚醒したジュン、甚平、竜は、回復は順調だった
が揃って記憶に欠損があった。彼らは科学忍者隊となるべく訓練を受けていた
チームメイトであったという事、お互いがどんな人間であるかという事、といった部
分は記憶していたが、辛く、長かった一連の戦いについては何一つ、記憶してい
なかったのだ。

「どういう事なんです?」
 それを知らされた時、ジョーはそれを告げた男に詰め寄った。
「最終的に起動し、あなた方を帰還させた南部長官のあのシステムが、記憶の一
部をロックするプログラムになっていたのです。南部長官はPTSDによってあなた
方の今後の人生に悪影響があっては、と憂慮されたようです。」
「PTSDって言うと、あの戦争とか事故のトラウマが、ってやつですか?」
「そうです。外傷後ストレス障害は四十年ほど前にあったあの愚かなトナム戦争
で、非常に大きなトラウマを負った帰還兵が社会に適応出来なくなった事から研
究されるようになったのですが、戦争に関わらず、日常的な事故や幼児期の異常
体験などからも頻繁に起こり得る精神障害なのです。」
 そうか、俺が苦しめられたあの夏の日のフラッシュバックはそれだったのか、と
ジョーは頷いた。確かに女性のジュンや子供の甚平、それにお人好しの竜には辛
過ぎる日々だった。忘れられるものならその方がいいに決まっているが、まさか博
士がそこまで考えていたとは・・・悪夢に魘される俺を博士はいつも心配してくれ
たっけ・・・。ジョーはその愛と、必ず平和は来るのだと信じ、常に未来を見通してい
た南部の偉大さに、今さらながら胸を打たれた。しかし、自分の記憶が完璧なの
は?
「俺が何もかも憶えているのは、どういう訳です?」
「恐らく、あなたの中に組み込まれたAIが記憶をバックアップしていたんでしょう。」
「なるほど。」
 ジョーの口元にシニカルな笑みが浮かんだ。ロクでもねえメカニズムだぜ、まった
く。だが、今、ジョーはそれを受け入れていたし、感謝さえしていた。何故なら、こう
した経緯がジョーに全て打ち明けられる事となった理由のひとつに、
「他のメンバーには訓練中の事故で負傷したと説明してありますし、現在のとこ
ろ、彼らはそれを信じています。しかし、果たして記憶のロックが完璧なのか、また
今後、何か不都合が生じないかどうかについて、ジョー、あなたに継続調査をして
頂きたいのです。南部長官が残されたこのプログラムとシステムが完成すれば、
私達は多くのこの症状に苦しむ人々を救う事が出来るのですよ。」
 と、いう依頼があったからだ。確かに地球の存亡に関わる危機に晒され続けた
のだ。世界中で数知れないほど多くの人々が、大きな後遺症に悩まされている事
だろう。薔薇と閃光の悪夢を取り除く手助けになるなら、尚の事だ。だから、
「いいですとも。引き受けますよ、喜んで。」
 と、ジョーは言下にそう答えた。それにもうジョーには他にやるべき事も無かった
から・・・。
 
3.
 そしてもうひとつの理由は健だった。
「重篤な状態です。」
 と、医師達は説明した。
「どんな状態なのか、具体的に教えては貰えないんですか?さもなきゃ、面会の
許可を・・・。」
「なにぶんにも意識が回復していませんので。」
「いや、それでも顔を見るくらいは・・・。それも出来ないって言うのはどういう訳で
す?みんなも心配してるんですよ?」
「チーフと相談してみます。ジョー、時間を下さい。」
 何度となく繰り返した問答の末、ジョーはようやく健に会う事を許された。それま
では、ただ「生存中」・・・その素っ気無い事実が伝えられるのみで、もし、ジョーが
他のチームメイト同様だったら、それ以上の事を知る機会は無かったかも知れな
い。
 
「健の意識はまだ戻らないのかしら?」
 ジュンが昨日と同じ言葉を繰り返す。その頃、入院中といっても、ほとんど健康体
に回復したチームメイト達は、毎日のように快適な談話室や屋上などに集まり、持
て余した時間と閑を潰す事に腐心していた。
「事故の時、最後まで現場に残っていた健の怪我が一番酷かったちゅうが、大丈
夫なんじゃろうか?」
「竜、何を言うんだよ!あの兄貴が大丈夫じゃない訳がないだろ?でもさぁ、やっ
ぱちょっと心配だよね?」
 竜と甚平も健を案ずる気持ちは変わりはしない。そして、この後には、
「ジョー、あなた、何か聞いてない?健もこの病院にいるんでしょ?いつになったら
会えるのかしら?」
 と、質問されるのだった。ジュンが聞かなければ、甚平か竜か、誰かが必ず似た
ような事を聞く。だが、それはジョーにも分からない事だった。確かにジョーだけが
真実を知ってはいたが・・・。
「俺にも分からねえよ。ま、甚平が言う通り、あの健のことだ。そのうち、ケロッとし
た顔でここにやって来るさ。」
 そう、ジョーも似たような返事を繰り返す。それが事実だったら、どんなに嬉しい
事だろうか!だが、仲間に余計な心配は掛けられないし、迂闊に漏らした糸口か
ら誰かが記憶を取り戻さないとも限らない。だから、ジョーは辛いな、と思いはして
も惚け続けるしかなかった。それが与えられた任務なら、きっと健もそうしただろ
う・・・と、ジョーはふいに何もかもを背負い込んで、それでも静かに笑っていた健
の澄んだ瞳を思い出した。
 
「ジョー、G1号に会いますか?」
 その日は唐突にやって来た。
「あなたはもとより、他のメンバーもすっかり回復しましたし、明日にも退院の許可
が出ます。しかし、あなたからの報告では皆さんをG1号に会わせずにいる事も、
もう限界のようですね?」
「ええ、みんな、健を、健の事を心配していますからね。」
 健という名前ではなく、認識番号であいつを呼ぶあんたには分からないかも知
れないが、例え共に戦った記憶が無くとも、みんな、健を思う気持ちは何も変わっ
ちゃいねえんだよ。と、ジョーはカッとなるのを抑えるのに苦労しながら、そう短く答
えた。
「我々はG1号、いや、健を覚醒させる事にしました。」
「覚醒させる...って?」
 医師は職業的な義務として、患者の容態やそれに対する自身の感情を、言葉や
表情に出す事が無いように訓練を積むと言うが、ジョーはその医師が一瞬、気の
毒そうに瞑目したのを見逃しはしなかった。わざとらしく二度呼んだ名前に素早く
気付いた医師の事だ。つい本音が出た、と取って良いだろう。ジョーの語気が荒く
なる。
「それじゃ、あいつの意識は戻らないんじゃなくて、わざと眠らされているんです
か?」
 医師はもう表情を隠そうともせず、小さく頷いて、眉を寄せると言葉を続けた。
「健は已然、重篤な状態にあります。ジョー、彼に会ってもどうかショックを受けない
で下さい。我々も出来る限りの手は尽くしていますし、健も頑張っているのですか
ら・・・。」
「ジョー、君達は、そして健は地球を救ってくれた恩人だし、英雄だ。だから、今度
は我々が何としてでも彼を助ける番だよ。我々を信じてくれ。」
 同行したISO長官が取り成すように、医師の言葉を補う。
「長官と先生方の努力はもちろん分かっています。大丈夫ですよ。どんな状態だろ
うとも、俺は健を信じていますから、あいつに会わせて下さい。」

4.
 案内された部屋は病室というよりはまるで研究室のようだった。そこに、沢山の
モニタやコンソールと、その数だけのドクターや研究員に囲まれて、沢山の医療機
器と、その数だけのチューブやコードで繋がれた健が居た。素っ気無いベッドは南
部とISOの医療チームが開発した、あのバイオ・リアクターのようだ。
「健!」
 そう呼びかけても無駄だと説明されていたが、ジョーは呼ばずにはいられなかっ
た。そして、間近に見る健は・・・、そう、ワックス・ミュージアムの展示品ーすごい
ぞ、睫毛まで1本1本、植えてある!ーか、もう少し正直な言い方をすれば、死体
に見えた。
「生きているんですか?本当に、これで?」
 率直な驚きが、思わず唇からこぼれる。
「生きている。少なくとも、生物学上、この個体はまだ死に至ってはいないし、我々
はそうならぬよう、努力しているのだ。」
 冷徹な言葉が一人のドクターから発せられたが、ジョーは腹を立てる気にもなら
なかった。いや、どこか懐かしいその物言いにジョーはその男を振り返った。
「あんたは?」
「このチームの責任者のクレイグ博士だ、ジョー。博士はノーバル賞学者で、現
在、世界最高の医学者なのだよ。」
 ジョーの短気とその腕力を熟知している長官が、些か慌てたように口を挟むと微
笑んで頷いた。言外に、我々は健のために高名なドクターを招聘し、最高の医療
を提供しているのだ、との含みがあるのだろう。フン、とジョーは鼻で笑うと精一杯
の嫌味を言ってやった。
「地球を救った英雄を死なせちゃ、ISOの名が廃るってもんですよね。そうでしょ
う、長官?」
 うむ、と、それでも厳粛な面持ちでそれを肯定する長官を無視して、最高の医学
者だというクレイグが話し出した。

「生物の完全死とは即ち全細胞死を指す。一方、医学上の個体死とは心停止、ま
たは脳死によって決定されるが、こうした医学上の死体であるドナーから肝臓や
心臓、眼球等の臓器が移植用に提供される事は知っているね?それはつまり、ま
だ細胞レベルでの死が臓器に及んではいないからだ。」
 何だ、いきなり?と訝しく思いながらもジョーは、ええ、と相槌を打った。よし、と頷
いて、クレイグは一つのモニタを大型のスクリーンに転じた。角の丸い長方形が
びっしりと並んでおり、そのほぼ中央に球形の濃い部分が浮いて見える。
「これは彼の体細胞の一部を拡大したものだ。細胞膜に包まれた原形質の真ん中
にあるのが核だ。この小さいものは小胞体やミトコンドリア等の細胞内小器官であ
り、これらが様々な働きをし合って細胞をコントロールしている訳だが、これらがど
う働くかという図面が核の中にある染色体に含まれる全遺伝子、全DNA、即ちゲ
ノムの中に記されているのだが・・・。」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ、博士。」
 学者っていうのはこれだから困るぜ、とジョーが長広舌を遮る。
「質問は後にしてくれたまえ。まだ説明が終っていないのだ。」
「説明を分かり易くしてもらえませんか?要するに細胞が生きている限り、こいつ
は生きているという訳なんですね?」
 度の強い眼鏡の奥からじっと見詰める眼差しが妙に懐かしい。南部の説明も学
者特有の言い回しで、よく理解出来ない時もあった。それに焦れて外方を向いた
りもしたし、甚平や竜が的外れな事を言い出す事もあった。そして、健はいつでも
真面目に、熱心に博士の話を聞いていたっけな、とジョーは我知らず、微笑んだ。
おい、起きろよ、健。おまえが眠ってるから、俺がおまえの代わりに真面目に聞か
なきゃならないじゃねえか・・・。
 
「結論を急ぐと全てが分からなくなる可能性があるが、君の見解は概ねコレクト
だ。」
「細胞が生きているから健は生きている。それが正しいのならば、なぜこいつは目
を醒まさないんです?動かないんです?俺にはまるで、まるでこいつが・・・。」
 ジョーが言い淀んだ言葉をクレイグが引き取った。
「死んでいるように見えるかね?」
 それに答える事は出来なかった。代わりに、そっと鼻孔に手の平を近づけてみた
が、呼気は感じられない。たぶん、触れれば、その肌はゾッとするほど冷たいのだ
ろう。
「心配はいらない。呼吸は気管内チューブでコントロールしている。彼の肺細胞は
自力呼吸はおろか、生存に必要な酸素交換さえ覚束ない数しか機能していない。
だから足りない酸素は人工肺で補ってから、直接、動脈に戻している。」
「息が出来ないって、それじゃ健は死んじまう!」
「ネガティブ。こうしている限り、彼は死なない。」
 ジョーは怒鳴った。
「それで生きていると言えるんですか?」
 クレイグはゆっくりと瞬き、そして初めて極めて人間臭い言い方で、
「気の毒だが、健は間もなく死ぬ、と言った方がいいだろうね。ジョー、私も君の意
見に賛成だよ。」
 と、答えた。
 
5.
「へっ、言ってる事が矛盾してるぜ、ドクター!」
 行き場の無い怒りを込めて、ジョーは狼のような目でクレイグを鋭く睨んだ。畜
生!健が間もなく死ぬだと?巫山戯た事を抜かしやがるとただじゃおかねえ
ぞ!・・・思わず握りしめたジョーの拳に、長官が抜け目なく後ろへと下がる。
「あんた、健は死なないと言ったばかりじゃねえか?」
「だがそれでは生きているとは言えないと言ったのは君だぞ。」
 が、クレイグは怯まない。う、とジョーは詰まった。
「ジョー、確かに矛盾なのだ。いま、健は生き伸びる為に、限り無く死に近い状態
でいなければならない。だが、それが果たして彼が望む生なのかどうかは分から
ないし、もし私が医学者でなく神父なら、機械を外し、このまま静かに眠らせてやり
なさい、とでも言うだろう。しかし、私は彼を看取る聖職者ではなく、その命を預
かった医学者なのだ。だから私は何としても彼を、健を死なせはしない。この矛盾
を理解してくれるかね、ジョー?」
 クレイグの言う意味が完全に理解出来たとは言えなかったが、少なくともジョー
にはクレイグという男が分かった気がした。彼は南部と同じだ。科学者の厳しさと
慈父の優しさの両面を備えた彼なら、きっと健を救ってくれるだろう(それが生とい
う形で継続するにせよ、死という形で終結するにせよ、だ・・・)という思いにジョー
の怒りは静かに溶けていった。
 
 まるで研究室か実験室のような病室から、クレイグは健を隣のこの部屋に移し
た。ここは普通のICUくらいに見えるし、まあ面会にも差し障りは無いだろう。
「我々は向うの部屋で監視しているが、ジョー、君はどうする?明日、みんなと一
緒にまた来るかね?」
 てきぱきと必要最小限以外のチューブやコードを外しながら、クレイグが何気無
く、そう訊ねた。覚醒の準備を進めつつ、彼が長官とジョーにした説明はひどく不親
切で・・・いや懇切丁寧だったのかも知れないが、専門用語が殆どで一般的な知
識ではとても追いつかなかったし、理解し切れなかった。
 長官は会議があるとかでとっくに姿を消していたが、ジョーには特に用事は無
い。だからと言って、ここに居てもいいものだろうか?みな、忙し気に働いている。
だが、健の側には居てやりたくて、ジョーは小声で訊ね返した。
「朝まで健の側に居ても構いませんか?」
「ああ、それは構わんよ。」
 髭の中で口元が微笑んだように見えたのは、気のせいだったろうか?それから
クレイグは健に数本の注射を打ち、チョコレート色の髪をふわりとどけて耳の下に
揃えた指を差し入れた。頸動脈の拍動を確認しようとしているらしい。ジィ、と少し
だけ傾けた顔が怖いくらい真剣に健を見つめる。と、ややあって、彼はジョーを振り
仰いで、今度ははっきりと微笑んだ。
「ジョー、健が生き返ったよ。」
 促されて、怖る怖る触れた健の首筋はまだ冷たかったが、トク、トク、トク、という
微かな拍動がジョーの指にも伝わって来た。
「さっきも説明したが、健の全身の細胞はボロボロだ。だから、今は生き残ってい
る細胞をこのリアクターで少しづつ活性化させて、後は機械的に補ってやるしか方
法が無い。そのロスを防ぐ為に仮死状態にまで代謝を抑えてあるんだよ。」
「そう言ってもらえるとよく分かりますよ、博士。」
 さっきとはずいぶん違う親切な、いや、手抜きと言うべきなのか?その説明に
ジョーは思わず笑った。だが、クレイグはもう笑わずに、じっと健の顔を見つめたま
ま、
「覚醒したら苦しいぞ。だが、耐えてくれよ、健。」
 と、呟いた。ジョーの顔から笑いが消えた・・・。
 
 バイタルサインを告げる単調な機械音の繰り返しに、ジョーは一瞬、微睡んだよ
うだった。ふいに、
(・・・生きるんだ。) 
 健の声がそう言った気がして、ハッとして目を開けた。が、健に特に変化は無
い。取り澄ましたようにも見える顔で、ただ静かに目を瞑っているだけだ。あの言
葉は・・・?もう一年ほど前になるだろうか?あの時、病院のベッドで死に瀕してい
たのは健ではなく、ジョーだった。
(ジョー、生きるんだ。)
 あの時、健はそう言って、窓の外に広がる美しい景色をジョーに見せた。彼らが
命がけで守ったその空はどこまでも青く、陽は眩いばかりにきらめき、そうした自
然が、いや、今まで背を向けて来た人々の営みさえもが切ないほどに愛おしく思
え、ジョーはそれらをまるで初めて目にする物のように、目を細めて飽きもせずに
眺め続けた。
(いいな、ジョー・・・、生きるんだ!)
「そう言ったのはおまえじゃねぇか?」
 輝くように笑った健の顔が、目の前にある無表情なそれにオーバーラップする。
「汚ねえぞ、健・・・。」
 ぽつりと独り言ちて、ジョーはじっとその横顔を見つめ続けた。おかしな言い方だ
が、いまは生きている色が、その円やかな頬に微かに認められる。夜が明けれ
ば、ジュンや甚平や竜がやって来る。その為に、健はいっとき、覚醒するのだ。ク
レイグの計算通りに、体内でゆっくりとその準備が進行しているのだろう。健は徐
々に体温や呼吸や顔色や、そうした生きている証を示し出していた。

6.
 明け方も過ぎた頃、健は微かに目を開けた。空色の瞳を覗き込んでみたが、そ
れはぼんやりとして、何かを見ているという目ではなかった。事実、すぐにやって
来た例の表情を隠すのが下手な医師も、慎重に瞳孔の反射を調べ、
「瞳孔に異常はありませんが、ジョー、健の視神経はまだ覚醒していないので、何
も見えてはいませんよ。」
 と、告げた。それでも健の瞳が真っ先に映したものが、自分だった事に何となく
満足して、ジョーは一旦自室に戻った。今度はみんなと一緒に(初めて会う顔をし
て)、健を見舞わなければならなかったからだ・・・。
 
 医者というよりは登山家みたいだな、とジョーが思っていた頬から顎までを被う
無精髭を綺麗に剃り、きちんとタイを絞めて彼らを迎えたクレイグはさすがに理知
的な科学者らしく見えた。
「ずいぶん顔色も良くなったし、まもなく動き回れるようになると思うよ。健は頑丈
な身体を持っているし、退院はちょっと遅れるが、心配は要らないさ。」
 クレイグの言葉に皆、安堵の表情を浮かべた。もちろんジュン達にも健の主治医
が世界最高の医者であると伝えられ、それが安心に一役買った事は間違いな
い。また、ガラス越しではあったが、皆の目の前にいる健も事実通りの重病人とは
思えない。ジョーだけがちょっと眉を寄せている以外は何も問題は無く、面会は無
事終了しそうだった。
「すまないね、君達が面会に来るのを忘れて、点滴に鎮静剤を入れてしまったん
だよ。何せ目を離すとすぐに無茶をする怪我人だからね。でも、これでは健は話せ
そうもないな・・・。」
 黙ったまま、ただ緩慢な瞬きを繰り返すだけの健をクレイグがそうフォローし、
「仕方がありませんわ。健、博士の言う事をよく聞いて、早く良くなってね。」
 ジュンが微笑んでそれに答えた時だ。
「・・・ン、ジュン!」
 と、健の声がスピーカーから響いた。クレイグはジョーを素早く見遣ると、辛うじて
「失礼」とだけ言い残してガラスの向うへと飛び込んで行った。仕切られていても
集音マイクで健にもジュンの声は聞こえている。では、健はそれに答えたのか?
「健、みんなが会いに来てくれているよ。何か話す事はあるかい?」
 クレイグがそう呼びかけると、健は微かに頷いて、それから比較的しっかりした
声で訊ねた。
「ジョー、ジュン、甚平、竜・・・、みんな、みんなは?」
「ああ、みんな居る。大丈夫、みんな元気だよ。ほら!」
 クレイグが健を抱き起して、
「健!」「けぇん!」「兄貴ぃ!」
 と、口々に呼んで手を振る3人を見せると、健は大きくその空色の瞳を見張って、
それから嬉しそうに、本当に嬉しそうにゆっくりと微笑んだ。
 
「健、分かるかい?さあ、返事をして!」
 ジョーが戻ると、クレイグが健にそう繰り返していた。え、何だって言うんだ?と、
ジョーは訝しんだ。細胞破壊のせいで確かに身体はひどく蝕まれているのだろう
が、健の意識はあんなにしっかりとしていたじゃないか、と。
「どうしたんです?」
 声を掛けると、もどかし気にクレイグはジョーを手招いた。
「健、返事をしてごらん。さあ、彼が誰だか分かるね?」
 物憂げな青い瞳がジョーを見る。健の呼吸はいやに苦しそうだ。しかし、酸素を
求めて喘ぐように薄く開いたその唇が震え、
「ジョー・・・ジョー、無事・・・か?」
 と、聞き取れるかどうかの微かな声がジョーの安否を確認する。
「ああ、無事だぞ。健、しっかりしろ、苦しいのか?」
「苦しいさ、もう酸素吸入だけではどうにもならん。」
 クレイグはそう言って、真っ白いシーツを剥ぐと健の左の鎖骨の下に挿入したま
まになっている数本のチューブ束の中から2本のチューブを選び出し、止血鉗子を
手際よく操って人工肺から伸びた2本に接続した。カチッ、とハンドルのストッパー
を開けると暗赤色の静脈血と真っ赤な動脈血が、健の胸ととても肺には見えない
四角い機械の間を勢いよく行き交い出した。
「さあ、これで少しは楽になるよ、健。」
 そうか、少しでも回復したように見せる為に仰々しい治療機器は外したんだっ
たっけ。ではまた健は昨日の状態に戻されるのだろうか?そうしておかなけれ
ば、死んでしまうと博士は言った・・・。事実、クレイグは数人の医師と再び沢山の
コードやらチューブやらで健を縛りつけて行く。そうしながら、忙しくあちこちのモニ
タやらビューアーを確認しながら、厳しい口調で指示を与えている。
 「ジョー、もっと話しかけてくれ。健は君達になら反応するようだ。さっきは驚いた
よ。まさか、健があんな・・・。」
「あんなとは、どういう事ですか?こいつが、健がああ言うのはむしろ当たり前
でー」
「当たり前?いや、当たり前ではないね。健の状態からすれば、あれは奇跡に近
い反応だ。」

「あんた、偉そうな事を言っておいて、本当に健を生かし続けられるんだろうな?
治せるんだろうな?」
 フッ、と鼻下にだけ髭を残した口元が笑った。
「治せるなんて言った憶えは無い。」
「何だとっ?」
 ジョーの怒りが爆発した。いや、或いはそうではないか?と思っていた不安が現
実のものとして突き付けられ、八つ当たりにも近い怒りと、哀しみが沸き上がる。
二人は無二の親友であり、生死を共にして来た戦友であり、そして実の兄弟以上
に肉親だった・・・。
 ただ死んだように眠る健を見ているのは辛い。いっそ眠らせてやりたい、と理性
では思いはするが、だが実際に健が目醒める事の無い永遠の眠りについてしまっ
たとしたら?・・・もう二度とあの笑顔を見る事も、もう二度とその声を聞く事も叶わ
ず、健は白い墓標の下に葬られるのか?
 それは・・・嫌だ!
 理屈では分かっていても、それでも嫌なものは嫌だ!
「ちくしょうっ!いい加減な事ばかり言うなっ!」
 行き場の無い感情がジョーを突き動かした。振り上げた拳が苦もなくワゴンを粉
々に砕き、注射器や何かのアンプルや鉗子がけたたましい音を立てて飛び散る。
クレイグがヒュウ、と口笛を吹いた。
「素晴らしい!君は本当にサイバネティクスの傑作なんだな。」 
 ジョーの指が目にも止まらぬ速さで、その胸ぐらを捉える。
「てめぇ・・・!」
 その時だった。
「ジョー、よせっ!」
 と、聞き慣れた制止が飛んだ。え?とクレイグの胸ぐらを掴んだまま、ジョーが頭
を巡らすと、健が起き上がろうともがいているではないか。クレイグの目が信じら
れん、というように大きく見開かれた。
「けん・・・?」
「ジョー、よせ!博士を放すんだ!」
 掠れてはいたが、眉を上げてきっぱりとそう言ったのは紛れも無い科学忍者隊
G1号の声であり、それはジョーが唯一従う彼のリーダーのコマンドだった。

7.
 ジョーの指が離れたのを見て、健は、よし、というように顎を引いた。見慣れた仕
種だった。そして、
「博士・・・。」
 と、クレイグを呼んだ。
「健、私が分かるかね?」
 こくり、と頷いて、それから右手を伸ばすとそっとクレイグの口元を指でなぞる。
鼻下の髭、痩せてはいるが意思の強そうな顎、それから眼鏡、と何かを確かめる
ように指が辿って行き、やがて健はその大きな空色の瞳いっぱいに涙を浮かべて
囁くように言った。
「生きておられたのですね?博士・・・南部博士、お会いしたかった・・・。」
「おまえ、何を言ってるんだ?南部博士はー」
 シッ、とジョーの言葉をクレイグが遮ると、健は苦しい呼吸の合間に言葉を続け
る。
「博士、ジョーは・・・たぶん、ジョーはどこか身体の具合が悪い・・・んです。診て
やって下さい。どうか・・・一人で行ってしまう前に、ジョーを・・・。」
 健が何を言っているのか、ジョーには一瞬、分からなかった。健の記憶はどう
なっているんだ?具合が悪いって、そりゃ俺のエネルギーの補給方法が分からな
くなったあの時の事か?それとも、まさか、あの・・・?
「ああ、分かった。ちゃんと診察しよう。」
 クレイグがそう約束したのを見ると、健はホッとしたように少し笑い、それから
ジョーに視線を移して、真直ぐにそのブルーグレイの瞳を見ながら言った。
「ジョー、これはリーダーの命令だ。いいな?ちゃんと博士に診てもらうんだぞ。」
 そうだ!やはり健はあの時に居るんだ。機器類とその雰囲気からか、病室を南
部の別荘の診察室とでも勘違いしているらしい。だが、なぜ・・・?しかし、ジョーは
今の健に敢えて逆らおうという気にはならなかった。
「分かったよ。」
 ぼそり、と無愛想に答えたジョーに健はもう一度、よし、というように顎を引くと、
静かに目蓋を閉じた。
 
「おい、健っ!」
 驚いて呼びかけるジョーに、クレイグは頭を振った。このまま寝かせてやれ、とい
うのか?確かに死体同然の身には、随分と疲れる事だっただろうぜ、とジョーは務
めてドライに考えようとしてみた。だが、
「馬鹿野郎、何だって今頃、おまえは俺の事なんか心配してやがるんだ?自分の
身体がボロボロだって時に、よ・・・。」
 そんな極めてウェットな言葉が抑える間もなく口唇から漏れる。と・・・、
「生物は何億、何兆という膨大な細胞の集合体であり・・・」
 また唐突にクレイグが話し始めた。まるで独り言のようなこうした話し方は癖なの
だろうか?だが、ジョーに、というよりも何か自分に言い聞かせているような物言
いだったので、ジョーは特にクレイグを見るでもなく、相槌さえ打たなかった。健は
また目を瞑ってしまったが、昨日のような鑞人形と見紛う深い眠りではなく、普通
の " 睡眠" という感じだった。若干、呼吸が苦しそうなのを除けば、健は穏やかに
ただ眠っているように見える。時折、微かに黒い睫毛が震えるのは、何か夢でも
見ているのだろうか?
 生きているものは例えようもなく綺麗で、そして、恐ろしいほど繊細だ。この精巧
で美しいものも単なる細胞の集合体で、しかもその細胞は生存が危ぶまれるほど
破壊されてしまっていると言うのか・・・?ジョーにはそれが不思議にさえ思えた。
「・・・古くなった細胞は死に、また新しい細胞を作る。この実に素晴らしいシステム
が生きるという事であり、活動を可能にする。しかし、この精緻なシステムにも欠陥
がある。だからこそ、生物は必ず老い、そして必ず死ぬ・・・。」
 死という言葉に言い様の無い現実を感じて、ジョーは思わずすがるようにクレイ
グを見上げた。懐かしく、そして厳しい科学者の顔がそこにあった。
 
「ジョー、私は健を治療する事にしたよ。」
 きっぱりとクレイグは言った。
「治せないんじゃなかったんですか?いや、博士はその方法をー」
 分かっている、方法が無い訳ではないんだ、とクレイグは言い、そして眉を寄せ
た。
「しかし、完全に元通りというところまでは回復すまい。特に既に失ってしまった細
胞を復活させる事は不可能だし、残っている細胞をいくらリアクトさせても、それだ
けでは健は生ける屍のままで居るしかない。だから、もう一歩進んで、残っている
細胞から新しい細胞をリバースさせるんだ。」
「そんな事が出来るんですか?」
「理論上は、ね。いや、実際に癌や遺伝病、伝染病などの最先端治療としても既
に研究が進められている、遺伝子医学の応用だよ。」
 ジョーはちょっと嫌な顔をした。近年、盛んに取り沙汰されるようになった遺伝子
医学・遺伝子科学といったワードの周辺には、どこか胡散臭さが漂っている気がし
てならない。遺伝子操作、クローン・・・そういったものにつきまとう倫理観の欠如と
いった雰囲気が、ジョーには気に食わなかったからだ。
「神の領域を冒して、健の細胞からもう一人の健を創造しようってんですか?」
 だから、皮肉な口調でそう吐き捨てた。
「ネガティブ。だが、ジョー、君はサイバネティクスの傑作なのに、そうした可能性を
否定するのかい?」
「好きで化け物になったんじゃないんでね。」
 その言葉に、クレイグは可笑しそうに笑うと、
「化け物?ははは、それじゃ仲良くしよう。私もフランケンシュタイン博士と呼ばれ
た男だからね。」
 と、言って右手を差し出した。


(つづく・・・)



Top  FicList

バナー ANOTHER STORY OF THE GATCHAMAN