挿絵

 

BLACK-AND-WHITE

"Whose Side Are You On ? "

by 鷲尾 さゆり

<1>

 赤外線暗視機能を持つバイザーを通してもその通路の闇は濃く、ともすれば足元さえおぼつかない。わずかに枝道と思しき長方形の陰が左右に並んでいるのが見てとれた。
(行けるか?)
 健はブレスレットに組み込んだ特殊GPSで枝道の方向を確認する。このまま真直ぐ進んでいてはすぐに奴らに追いつかれてしまう。なんとか二手に分かれなければ。その枝道はうまいことに外部への通路まで延びているようだった。
「ここに通路があるぞ。」
 健は背後のジュンにそう囁いた。
「こっちも真っ暗ね。」
「ああ。やはりこの建物はおかしい。外見は普通のビルと変わらないのにYコードのGPSがうまく作動しない。それに誰かが追って来ている・・・。」
「そうね・・・私も気配を感じるわ。でもなぜ黙って追って来るのかしら?」
「分からない。だが二手に分かれよう。このままでは追いつかれてしまう。」
 背後に感じるその気配は確実に2人との距離を縮めつつある。熟練したものでなければ感じることもないであろうわずかな気配。事実、ビルの中に潜入し、この通路に出るまで、健すらもその気配に気付かなかったのだ。
(しまった!)
 そう思った時にはただもうこの真っ暗な通路を奥へと進むしかなかった。いや、誘導されて進まされているのかも知れない。ならばなんとか活路を見い出さなければ。
「俺はこのまま先へ進む。ジュンはそっちへ行け。何とか外へ出られそうだ。」
 自分が囮になればきっとジュンは逃げられる。 気配を読む限り、追っ手の人数は多くはない。
「気をつけて行け。無理はするなよ、ジュン。」
「ええ。健、あなたも気をつけてね。」
 ジュンの体温が闇の中に消えるのと同時に背後の気配は急速に接近して来た。人数が減ったのが分かったのだろう。
(来たな!)
 ぴたりと半身を壁面に付けて、健が迎撃態勢を整えたその時、鋭い閃光が走った。まる で超新星の爆発を思わせる閃光弾の強烈な光に、一瞬たじろいだ健はそれでもかろうじて弧を描いて迫る鋭い切っ先をはねのけた。
「!!」
 攻撃レンジが読めない。だが、留まっていてはやられる。これは本物の殺気だ。
 一か八か、白いマントを翻して健は一気に相手の懐へ飛び込んで行った。バイザーにぼうっと人影が映った瞬間、身を屈めてそいつを床に倒すとそのまま覆い被さってブーメランの鋭い刃で喉笛を切り裂く。闇の中を血の匂いが広がって行った・・・
 嗅ぎ慣れた匂い。死の匂い。

 健達の身体に叩き込まれたマーシャル・アーツは一撃必殺の技だった。殺さなければ殺される状況下での究極の二者択一ならば、生物は常に生き残る方を選ぶ。そこには迷いも躊躇いもなかった。機械的とも思える動きで、健は同時に襲って来た2つの影を交し、蹴り上げ、確実に喉元を狙って倒していく。
(あと1人だな?)
 気配がそう教えている。じりっと相手が後退したのを感じて、それを追おうとした時、床に広がった血溜まりに足を取られて態勢が崩れた。あ、と思う間もなく頭上から迫って来た切っ先を左腕で払う。致命傷を受けてはならない。例え腕を切断されようとも一。
 刃はブレスレットに当たった。その刹那、健は3600FMHZの高周波と虹色の輝きに包まれた。
「くっ!」
 経験したことのない恐怖と慣れた感覚―変身ジェネレーターが作動した時に感ずるあの言いようのない高揚感―に必死に抗って、握りしめたブーメランごと相手の胸に飛び込んで行く。最後の影は声にならない叫びを上げつつも健の首をがっと掴むと断末魔の力で絞めあげた。凄い力だ。だがやがて指から力が抜け、そいつはスローモーション・ピクチャーのようにゆっくりと倒れて行った。
 やった!
 だがもはや立っていられない。落下するような感覚に襲われ、膝を折った健だったが、不思議ともう恐怖は感じなかった。

― 待てよ。この感覚は味わったことがある。 ―
 そんな思いがふと脳裏をかすめた。

 初めてジェット機で飛んだ日の空の蒼さ。複座の練習機で体験した恐ろしいほどのG。シュミレーターで作られたものとは全く異質の、それは圧倒的な、畏怖すべき力だった。降下し、上昇する。ただそれだけの操作がセスナ機のようにはいかない。コントロール・スティックを握る指につい力が入ったのか、機首の仰角が大きくなった。
―「前席、上昇角度に注意しろ。スティックを引くな、スロットルを戻せ。」
 スロットルを戻したら失速するのではないか?一瞬の迷いだったが、ターボジェットエンジン搭載の高速機は放たれた矢のように空の高みへと急上昇して行った。
「!!」
 視界が急速に狭くなる。身体はシートに押し付けられたまま全く動かない。青く輝いていた空が、ふっと暗くなったように思えた時、練習機は急上昇から徐々に水平飛行へとその姿勢を変えていた。
―「大丈夫か?コントロールできないまま急上昇する奴があるか!墜落するぞ!」
 後席でデュアル・コントロールしていた教官がインカム越しに怒鳴ったっけ。
―「ブラック・アウトの状態になったらおしまいなんだぞ!」

 あの時と同じように視界がどんどん狭く、暗くなる。身体はやはり動かない。
― ああ、これがブラック・アウトか。ならば俺は墜落するんだな。―
 そして、健は意識を失った。

<2>

 ユートランド・シティ郊外の海岸近く、切り立った崖の上に建つ南部博士の別荘に健とジョー、そしてジュンの3人が呼び出されていた。

「あれ、竜と甚平は来てないのか?」
「甚平は竜に釣りに連れて行ってもらうって出かけたわ。」
 そこへ南部博士が入って来た。私邸だというのに、いつものように居ずまい正しくスーツを着ている。
「急に呼び出してすまなかったな、諸君。」
 この人はこんな堅苦しい格好で、肩が凝らないんだろうか?と、健は何となくおかしくなった。そう言えば博士がラフな格好でいるのは見たことがない。もうずいぶん長いつきあいなのに。だが、そんなことはおくびにも出さず、尋ねた。
「何かあったのですか?博士。」

「諸君、まずこれを見てもらいたい。」
 モニターに写し出されたのは一人の男の写真だった。時代がかった将校服のようなものを着こみ、無表情にテラスに立っているその男は、非常に稀れではあるがTVニュース等にも登場する。ただこの写真は粒子が粗く、あまり鮮明ではなかった。
「これはドーマニア国の大統領じゃないですか?」
 健が言った。
「しかし、ずいぶんと写りの悪い写真だな。」
 と、ジョー。南部は頷いて続けた。
「これはISO保安局のエージェントが密かに撮影したものなのだ。なにしろ大統領は滅多に人前に姿を現わさない。しかもこの写真を送信した直後、このエージェントは消息を絶ってしまった。」
「まあ!」
「つまり捕まっちまったって事ですか?」
 ジョーの眉根に皺が寄った。南部はいくぶんうつむくとモニターのスイッチを切り、そのまま窓辺へ歩み寄る。そして陽光を反射する海を眺めて目を細めた。
「おそらくな。いや、たぶんもう生きていまい。これまでも生きてドーマニアから戻ったエージェントはいないのだ。」
 健は南部のこの表情を知っていた。もう9年も前になる。夜も遅い時間で、ベッドにいた健を「起きなさい、健。お母さんが君を呼んでいる。」と揺り起こした時も博士はこんな目をしていた。
「それで博士、我々の任務は?ドーマニアで何を調査するんです?」
「うむ。」

 窓から振り向いた南部は、もういつもの冷静な表情を取り戻していた。
「ドーマニアは国連非加盟国だ。だからこのエージェントの消息を公に追及することはできない。しかもユーロ条約機構と相互不可侵条約を結びながらも、非常に厳しい航空管制を敷いているので、科学忍者隊と言えどもゴッドフェニックスで向かえば領空を侵犯したとして攻撃されるだろう。」
 フッと不敵な笑みを浮かべて、ジョーが言った。
「構うことはねえや。どうせ背後にはあのギャラクターがいるに違いない。叩いちまえばいい。」
「待ってよ、ギャラクターがいるかどうか分からないから調査してるんじゃないの?単純ね、ジョー。そんな事をしたら国連軍と戦争になるわ。」
「ジュンの言う通りだ。背後関係についても調査は慎重に、そして極秘裏に行わなければならない。そこで今回は君達3人に潜入してもらいたい。もちろん竜と甚平も待機し、要請があり次第ゴッドフェニックスを向かわせる。」
 ジュンがいつもの癖で、人さし指を頬に当てたまま尋ねた。
「でも博士、どうやって入国するんです?ドーマニアは閉鎖的な独裁政策をとっている国でしょう。観光客っていうのも不自然ですし・・・。」
南部は初めて微笑むと、テーブルの上のファイルを示した。
「これを見たまえ。明後日からドーマニアで開催される国際親善スポーツコンペティションの資料だ。」
「なるほど。ドーマニアは、金メダルホルダーの選手が沢山いるスポーツ王国でしたね。でもこのコンペティションと俺達とどういった関係があるんです?」
 資料をパラパラとめくりながら尋ねた健に、意外な答えが返ってきた。
「君達にはアメリス国の代表選手としてドーマニアに行ってもらう。」
「なんですって!?」「そんな・・・」
 3人は思わず顔を見合わせた。

<3>

― 「アテンション・プリーズ。ドーマニア行き特別チャーター便にご搭乗のお客様、ただ今よりご搭乗の手続きを開始いたします。7番カウンターへお越しください。」―

 アメガポリス国際空港の出発ロビーはいつものように混雑している。その一角にある特 別室で健、ジョー、ジュンの3人はISO保安局アメリス支局のエージェントから選手として入国するのに必要な物品を受け取っていた。

「南部博士に依頼された物は全て揃えてあります。パスポートとビザ、これがユニフォームと式典用のブレザー、そしてこれがアメリス国選手団のIDです。通信機や武器の類は必要ないとのことでしたので準備していませんが、大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。ご心配なく。通信機などは博士が用意してくれましたから。」
 まだ年若いがっちりとしたエージェントは、人懐っこい笑顔を見せて挙手の礼をとった。
「それではここで。選手団に役員として同行しているグレン少佐が現地でお待ちしています。お気をつけて。でも正直なところ羨ましいですよ。自分もテコンドーには少々自信がありましたので、もしかしたら・・・と思っていましたから。」
 エージェントが部屋を出て行くのと同時に、
「ああいう可愛いのがいの一番に狙われるんだろうな。」
 と、ジョーが笑った。思わずつられて健もジュンも笑い出す。
「正義感旺盛、一本気で、任務に忠実・・って、まるで誰かさんみたいだよな?」
「ま、そうかも知れんが俺は今回は補欠だ。それよりおまえみたいに可愛くないのを狙ってくれるかどうかの方が心配だぜ、ジョー?」
「可愛くない分はシューティングの技術でカバーするわよね、ジョー?」
「任せとけって。見事敵のハートを射抜いてみせるぜ。」
 ジョーは茶目っ気たっぷりに指でバーンとやって見せた。

「しかし選手と言っても―」
「うむ。実は選手でなければ困るのだ。これを見たまえ。」
 南部は再びモニターのスイッチを入れた。写し出されたのは十数人に及ぶ青年達だった。みな一様にスポーツマン然とした身体つきをしており、中にはかなり著名な格闘技選手もいる。
「彼等はみなドーマニアとその周辺国で開催されたコンペティションに参加し、その際に失踪またはドーマニアに亡命してしまった選手達だ。」
「あまり評判の良くない独裁政府に亡命なんておかしいわ。」
「でもよ、ああいう国って言うのはスポーツ選手には天国だって話も聞くぜ。生活は国家が見てくれてただ好きなスポーツに打ち込んで、メダルを獲れば英雄だそうだ。イデオロギーの違いなんてのは、それぞれの勝手だからな。」
 ちょっと皮肉な口調でジョーが言う。何の心配もなしに自分の好きな事ができたら、俺は何をやるだろう?やはりパイロットだろうか?健はふとそんなことを考えた。
「確かにジョーの言うことにも一理ある。だが国も人種も違う彼等が亡命以降、家族にさえ、いっさいコンタクトを取らないと言うのは不自然だ。」
「家族にも?それはやはり妙ですね。連絡が取れない状況におかれているのかしら?」
 本当の家族がいないジュンだが、だからそれがどんなに大切か、が分かる。もし、私にパパやママがいたら、絶対にそんなことできないわ・・・と、ジュンは思った。
「彼等がどういう状況にあるかということはもちろん調査してもらいたい。そしてもう一つの任務は、ドーマニアが彼等を使ってスペシャル・フォースの開発を進めているらしいとの情報の調査だ。」
「スペシャル・フォースって何ですか、博士?」
 真直ぐに見つめる健の青い瞳を見つめ返して、南部は静かに言った。
「選抜された少数精鋭のメンバーを強化し、調査、偵察、局地攻撃などの特殊作戦に投入するための部隊だ。特殊な装備とともにマンパワー・コストに優れた、例えるならかつてのグリーンベレーやSAS等のように効果的なリーサルコマンドとしても機能できる部隊がスペシャル・フォースだ。」
 南部はいったん言葉を切り、そして、静かに言った。
「つまり君達、科学忍者隊のような特殊作戦部隊を作ろうとしているのだ。」
「科学忍者隊のような?」
 ジョーとジュンは、そう訊ねた健の顔にほんの一瞬だが、鋭い緊張が走るのを見た。きっと南部も気がついたに違いない。だがそれを無視するように事務的に話を続けた。
「そうだ。ジョー、君はエア・ライフルの選手としてドーマニアが欲するような活躍をしてくれ。まあ君の射撃の技術なら間違いなくメダルを獲れるだろう。健とジュンは調査とジョーのバックアップだ。危険な任務だが、君達ならできる。頼んだぞ。」
「ラジャー!」
 3人は声を揃えて答えた。そして、そう答えた健はもういつも通りの健だった。

<4>

 3人は手早くそれぞれの荷物に渡された物品をパッキングしていった。
「おい、パスポートとビザを持って外国に行くのは久しぶりだな。」
 ジョーがまたクスッと笑って言った。無理に冗談めかしているようでもある。ジョークを言えばいつも通りに返してくる健だが、何だか違和感があった。ジュンも同様のことを感じているらしい。常に絶対の自信と強固な意思で決して弱みを見せようとしない健。
 しかし、2人はアンビバレントな健が存在する―健自身は肯定しないだろうが―ことを知っていた。
(危なっかしい奴だ。)と、ジョーは思う。
(バランスを崩したら、どうなるか分からない。)と。
 だが、そうした危惧を表面に出す2人ではなかったし、健の強さにはやはり全幅の信頼を寄せていた。
「そうね、何だか面白いわ。でも私のパスポートって・・・あー、やっぱり!」
「どうしたんだ、ジュン?何がやっぱりなんだ?お、MISS JUN NANBUになってるのか。どうせならMRS. JUN WASHIOにしといてくれれば良かったのになあ、ジュン?」
「あら、私は別にMRS. JUN ASAKURAでも構わないのよ。」
「おいおい、ジュン!」
 すました顔でジュンはジョーを躱してしまった。笑いながら健はそんな2人を促した。
「さあ、行こうぜ。乗り遅れたら大変だ。ジョー、エア・ライフルを忘れるなよ。なにしろ浅倉選手は金メダルの有力候補なんだから、な。」
「ふん、補欠の鷲尾選手に言われたかないね。」
「ははは。」

 そうだ。俺達はスポーツコンペティションの選手としてここへ来たんだ。先に到着して
いた選手団と合流して、グレン少佐に会って、それから開会式だ。ああ、あのブレザー!
「なあんだ、健。ネクタイはどうした?」
「ネクタイはポケットの中だ。」
「呆れた奴だな。どれ、貸してみろよ。俺が結んでやる。ジュンにどやされないうちに、きちんとしとかないとな・・・。」
 結局、あれはジョーが結んでくれたんだっけ?
「苦しいからそんなにきつく締めるなよ。」
「タイって言うのはな、ピシッとしてなきゃみっともねえんだよ。」
 健は腹が立ってしょうがなかった。いまいましいネクタイめ、こんな物の結び方なんて誰も教えてくれやしなかったぞ。だいたいこんな物に何の意味があるって言うんだ?
 それにしても苦しい・・・息ができない・・・。
「やめろ、ジョー!苦しいじゃないかっ!」
 健はそう怒鳴って、喉元の手を思わず払いのけていた。

「気がついた?」
  落ち着いた声がそう問いかける。
― え、ここはどこだ?俺はどうしたんだ?? ―
(誰だ?)
― どこかで会ったことがあったっけ? ―
 淡いピンクのブラウスに白いエプロンを付けた女性は健をじっと見つめている。
(誰だっけ?)
― いや、よく知っている人か? ―
「良かったこと。気分はどう?」
 その女性は優しく微笑むとほっそりした指で健の髪をそっと撫でた。
 懐かしい感触だった。
 ややあって、健は雷に打たれたようにとび起きて叫んだ。
「お母さん?生きていたのか?お母さん!」
「まあ、何を言っているの?」
 夏の空の色をした彼女の目は優しく笑っている。
(いや、お母さんは死んだんだ。この目で見たじゃないか。)
― では、これは誰だ? ―
「お母さん、お父さんが死んだんだ。また俺達を置いて行ってしまった・・・やっと会えたのに・・・ ひとりで行ってしまった・・・お父さんも・・・。」
 口に出すと、胸が締めつけられるように痛んだ。辛い、苦しい!誰か、助けて!
 いくら歯を食いしばってもこみあげてくる嗚咽を止めることができない。
(黙れ!何故こんなことを言う?)
― でも、このままでは苦しい。 ―
「そう、でも大丈夫よ。私はここにいるから。」
 その女性は健を胸に抱くと、幼い子供をあやすように背中を軽く叩いた。
(嘘だっ!)
― お母さんは死んだんだ。 ―
「さあ、何も怖くないからもう一度おやすみ。」
(ち・・が・・う・・)
― 俺を置いて、ひとりで逝ってしまったんだ。 ―

<5>

「ジョー、健から何か連絡はあったかね?」
「それがまだ何も・・・。」
 アメリスのユニフォームに身を包んだジョーは、グレン少佐の問いにそう答えるしかなかった。ジョーはエア・ライフルの正選手として、今朝から開始された予選に出場している。コーチに扮したグレン少佐と選手であるジョーが話していても不自然ではないし、またコンペティションとその周辺の情報収集をするには、エア・ライフル競技の選手という役回りは非常に都合が良かった。この競技は集中力が勝敗を左右する。だから選手はそれぞれのコンセントレーションのためにしばしばアリーナから出て行くことがあり、ジョーが途中でいなくなったとしても大して不自然なことではないからだ。
(ちくしょう、健の奴。どこへ行きやがった?)

 開会式に続くレセプションが終り、宿舎に引き上げた後、健とジュンはエージェントが消息を絶った地点へ調査に出かけた。
「ジョー、明日から頑張ってくれよ。メダルは大統領がじきじきに授与するそうだ。大統領と直接コンタクトするチャンスはその時しかないからな。」
「ああ、任せておけよ、健。」
「予選で敗退なんていやよ、ジョー。」
 ジュンの冗談に健はいつも通り屈託のない笑顔を見せた。10年前に初めて会った時の、少年だった健と少しも変わらぬ笑顔がそこにあった。
『はじめまして、ジョー。僕はケン、鷲尾 健て言うんだ。』
(俺はあの時、握手もしなかったな。)
 そんなことをジョーはふと思い出していた。部屋を出て行く2人を見送ったジョーは、靴も脱がずにベッドに横になった。目をつぶると、また少年の日が蘇る。両親を殺害され、南部に救助されたジョーはそのまま南部に引き取られ、ユートランド郊外の別荘で暮らすことになった。1年が過ぎた頃、健が南部に連れて来られたのだ。博士は言ったっけ。
『ジョー、今まで子供は君一人だったから退屈だったろう。今日から一緒に暮らすことになった健だ。君と同じ年齢だから良い友達になれるだろう。仲良くするんだよ。』
 仲良く、か。あれから10年。俺と健は一緒に暮らし、離れて暮らし、そしてともに戦 うことになった。だが、あいつは俺の何なんだろう?そして俺は?あいつにとって俺は何なんだろうか?
 そんな取り止めのないことを考えているうちに、ジョーはまどろんだらしい。そのまどろみを破ったのはブレスレットの呼び出し音だった。

― 「ジョー、健が!健と連絡が取れないわ!」
 ブレスレットの声からジュンの切迫した様子がはっきりと分かった。
「ジュン、そこにいろ。今、行くから!」
 ジョーは飛び起きるとエレベーターを待つ間ももどかしく階段を駆け降り、車をスタートさせた。2人が潜入したのは宿舎からそう遠くないところにある合同庁舎ビルだ。なんの変哲もない殺風景で大きな建物だがISOのエージェントはここで消息を絶った。整然とした街路には人影もない。ジョーはアクセルを踏み込むと、ジュンの待つ地点へと車を飛ばした。

「ジュン!」
 合同庁舎ビルの裏手に駐車している車にジュンは1人でいた。
「ジョー!健とはぐれてしまったわ。」
 車から飛び降りざま、ジュンが言った。
「どこで?」
「中よ。誰かに追われて二手に分かれたんだけど、それから連絡がとれないの。」
 その時の状況を聞きながら、ジョーは前方から近づいて来る警備兵に気づいた。
(まずいな。)
 ジュンも彼等に気づき、口をつぐんだ。パッとフラッシュライトの光の輪が2人を照らした。
「そこで何をしている?」
 とっさにジョーはジュンを抱きよせて、
「やめろよ!気がきかねえな。見りゃ分かるだろ?」
 と、怒鳴った。あっけにとられたように、警備兵たちは顔を見合わせている。
「俺たちはアメリスの選手だ。眩しいからライトを下ろせよ。」
「選手の方がこんな深夜に出歩かれては困ります。宿舎にお戻りください。」
 生真面目な顔で言う警備兵を、ジョーはふんっと鼻で笑った。
「宿舎じゃ都合が悪いから出かけて来たんだ。」
「もう!シラけちゃったわ。帰りましょう。」
 と、ジュン。 逢瀬を邪魔された恋人よろしく2人は車に乗った。乱暴にスタートした車に警備兵が叫ぶ。
「こっちの車はー?」
「知るかよっ。誰かがその辺にシケ込んでるんだろ!」

 街路樹の影が後方に飛んで行く。暫くしてからジョーが言った。
「健のことだ。何かを掴んだのかも知れない。連絡を待とうぜ、ジュン。」
「そうね。待つしかないわね・・・。」
 ジュンは唇を噛んだ。追ってきたのは大した人数ではなかった。もし闘いになったとしても健があればかりの敵にやられるとは思えない。もっと大きな危険からも、いつだって健は帰って来た。今は健を信じて待つしかないわ。

 しかし、翌朝になっても健からの連絡はなかった。


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