3月の土曜日の午後

by あずき

  その日もどこかで確実に戦闘が続いていたはずだ。
  その時もどこかの街の瓦礫の下では男や女や子どもの屍体が腐臭を放ってい
たのだろう。

「お姉ちゃん、大丈夫かい?」
ソファに身を沈めているジュンにジンペイが声を掛けた。
「ええ、もう平気よ。別に病気じゃないんだし」
まだいくらか青い顔をして、それでもジュンは幸せそうに微笑む。
「それより、あなたは早く、今日の主役のとこに様子を見に行ってあげなさいな」
「ハハッ、オイラだって、主役の一人なんだけどなー。ま、いっか。じゃ竜、こいつを
ちょっと頼むよ」
おう、と陽気に答えて、竜はジンペイから引き渡された小さな女の子を高々と抱き
上げる。

「まーったく、必要なときにはちゃんと出てきて父親やるはずの男は、なーにやっ
てんのかのお」
「あら、ジョーを当てにしてても埒が明かないわよ。それに今日は健からの・・・」
噂をすれば影、が、慌ただしげに部屋に飛び込んできた。
「すまん、遅くなって。病院からの道が大渋滞でな」
「おお、なんとか間に合いそうじゃな、早く着替えろや。おっと、その前にほれ、愛
娘に久々のご挨拶じゃ」
パパ、と大きな緑色の瞳を輝かせるダークブロンドの女の子のばら色の頬に、
ジョーは優しくキスする。
「ママはどうした?」
そう問い掛けられた女の子の代わりに、ようやくソファから身を起こしたジュンが声
を掛けた。
「元気そうね、ジョー。健からのお祝いのメッセージは、もらえた?」
「ああ。今日はえらく調子がよさそうでな、ちゃんとした肉声と動画でもらってきた
ぞ」
そう言って、ジョーはポケットからメモリを取り出して見せた。

「それよりジュン、お前、大丈夫かよ。健も心配してたぞ、先週はあいつのとこに顔
出してねえって?」
「健の検査の時間とかち合っちゃって、会えなかっただけよ。メッセージは毎日
送ってるのに。心配性ね」
「そら、心配にもなるじゃろ、自分の息子とその母親のことじゃからのお」
ジュンはようやく血の気の戻った頬に穏やかな微笑を浮かべる。
「こっちは二人目だし、もうとっくに安定期に入ってるから、大丈夫なのに」
「でもあいつ、先端医療には根深い不信感を持ってるからな」
「あら、体外人口受精なんて、先端医療のうちに入らないでしょ」
「ほいでも、心配できるうちに心配しときたいんじゃろ、お前のことも、自分の息子
のことも」
三人の間に、ごく短い沈黙が流れた。

「そういや、ジンペイは? 今日の主役だろ?」
「もう一人の主役のとこに、顔出しに行っとるわい」
「向こうは、もう8ヶ月めの後半だっけか?」
「ええ。だからドレスは特注。大変だったわよ。でも、すっごく似合ってて素敵な
の」
「おお、そうじゃジョー、お前も早く着替えんと」
「そうだった。式が始まるまで、あと・・・20分てとこか?」
「そうね。急いで。あたしたちは、一足先に行ってるから」
「おう。俺も追っつけ行くからな。あ、メモリ持ってっといてくれよ」

  正義はもはや訪れない。悪が世界を支配することも、もう永遠にありえない。
  それでもその時その場所は晴れ晴れとして暖かかった、いつかの3月の土曜
日の午後。

-end-


Top  Library List