あいつ・・

by Kiwi


 其れは未だ冬ではなく、秋から少しずつ冬へと移り変わっていく途中の季節。俺とあい
つは出会った。お互いの肩に置かれた暖かい博士の手を、振り払うには自分達は無力で、
でも博士の言葉通りに仲良くするには子供過ぎて、傾き掛けた秋の夕陽に冷えた空気で少
し身体を震わせた。あれはもう遠い昔・・。

 ジョー
 お互いに知り合ってもう八年。博士の屋敷で一緒に暮らし始めてもう五年。だけど健は
相変わらず掴み所が無い。鬱陶しいほどお節介で、優等生で。だけど一緒に居て息が詰ま
るほどの堅物でもない。訓練所での受けは抜群に良い。教官もスタッフも・・果ては訓練
中の俺達の医療ケアをしてくれるDr連中や、食堂のスタッフでさえも、健を「良い子だ」、
「優等生だ」と称する。で、俺は?「手癖が悪いスケコマシ?」「訓練よりもデートに忙
しい?」「反抗的だ?」・・まあ、そんな評価だろう。
 隣で課題のレポート・・(あー、そんな物も有ったな。俺は何処にやったっけ?)を片
付けている健はすっかり長くなった髪を首の後ろで束ねている。何時もは無造作な奴の髪
が綺麗にゴムで結ばれる程、今日は暑かった。俺はといえば、これまたすっかり伸びて鬱
陶しく眼を覆ってくる前髪を、先ほどからしつこく掻き上げている。冷房が入っていない
訓練所の部屋は暑かった。窓は大きく開け放たれては居るが、其処からはそよっとも風が
入って来なかった。
「何で冷房が入らないんだ」
 何度目かの俺の不満に、レポートから顔も上げずに毎度同じ事を健が答える。
「未だ早いから。この訓練所に冷房が入るのは6月末から8月末まで。其れまでは冷房は入
れられない。何度同じ事を言わせるんだ」
「そんな風に区切れるもんじゃないだろう、季節なんて。第一今日はこんなに暑いじゃな
いか」
 俺の言葉に健は「そうか?」と小さく首を傾けて此方を見る。飛び切りのサファイアブ
ルーの瞳が長い睫に縁取られて瞬く様は、ノン気の俺でもちょっとクラッとする。
『おいおい、最近デートがお預けだからって健に欲情してどうする!』
 自分を叱咤して傍らの雑誌を手に取るが、Tシャツとショートパンツからすらりと伸び
た手足に向う自分の視線をどうしようもない。俺よりも体温の低い健は、俺が不満を訴え
る暑さも気に成らないらしい。額にも露になった首筋にも汗は見えなかった。それさえも
が、健をまるで現実の存在では無いようなイメージを抱かせる。スニーカーを履いた長い
脚をぶらぶらさせながら、健はレポートに没頭中だ。更に暑さを感じてしまった俺に、こ
いつ気付いて無いよな・・。手際良く資料を抜き出しては、健はレポートを続けていく。
『あれ?待てよ。何でこいつ俺の部屋でレポートをしてるんだ?』
 疑問符をぶら下げた俺の眼の端で、健はペンを置くと大きく背伸びをした。
「レポート完了!ジョー、お前も遣らないと明日教官に叱られるぞ」
 健の言葉に俺は肩を竦めて見せた。教官に叱られるのは慣れてるさ・・。
「今日は遣ってもらうぞ、ジョー。お前がこのレポートを明日提出しなければ、連帯責任
で俺まで週末の外出は禁止なんだからな」
 おや、そんな事は聞いていなかった。このレポートを出さなければ、週末外出禁止だっ
て?冗談じゃない、これ以上女ッ気が無かったら、俺は本当に健だって襲いかねないぞ。
俺は別に下半身だけで生きてるわけじゃない。だけど、未だ成長途中のガキなんだ。覚え
たばかりの柔らかな温かみが、至って恋しい年頃なのだ。
 仕方無しに俺もレポートに取り掛かることにする。確かこの辺に放って置いたはず・・。
「健、お前もう出来たんだろ。写させてくれよ」
 面倒な事は極力避けたい俺は、オネダリモードで健に頼んだ。が、健は至極綺麗な顔で
(実際こういう時のこいつは何で又、何時も以上に綺麗なんだろう)きっぱりと拒絶する。
「まるっきり同じレポートを出してどうする。お前が写したのは丸分かりだろう」
「何でお前が写したとは思わないんだよ」とは、訊かなかった。当然取るであろう教官の
反応だから。
「面倒臭いな・・。」
 健が用意していた資料にざっと眼を通して、俺は提出用に用意されているレポート用紙
を、本棚の隅から抜き取って来た。ワークブック形式は性質が悪い。自分でノートパッド
に書くレポートなら、二、三行でエンドマークを付けてやるのに・・。出来なんざ、この
際関係ない。兎に角出したらこっちのもんだ。俺はペンを手に取った。
 ブツブツと問題を読みながら頭を抱えている俺を、健は俺のベッドに腰掛けたまま見て
いる。
『何だってこいつは自分の部屋に帰らないんだろう?俺がちゃんとレポートを終えるのを
見張ってるのか?』
「コーヒー飲むか?」
 珍しい淹れてくれるのか。健の申し出に俺は頷いた。だが、健は動こうとしない。俺の
方をじっと見ている。
「コーヒー」
 再度言った健の言葉で納得した。成る程俺が淹れるわけね・・。この部屋についている
簡易キッチンの隅に有るコーヒーメーカーに、水を入れる。湯が沸いて、コーヒーが落ち
てくるまでの間、俺はテーブルに戻った。デスクは無い。ベッドの隣に置かれた四角いテ
ーブルが、デスクの代わり。因みに椅子は一つしか置いていない。ベッドに腰掛けた健の
正面に座る破目になった。レポートを書き終えて寛いだのか、健は雑誌を(勿論俺のだ)
を片手に鼻歌混じりだ。
『あんまり歌は上手くないな、こいつ』
 音の外れた処で、クスッと笑って、「何だよ!」と睨まれた。「いや、別に」と話をは
ぐらかして、俺は腰を上げた。音を立て始めたサイホンに近寄って、カップを用意した。
 こんな静か過ぎる午後は嫌だが、嫌いじゃない。レポートは嫌いだが、健とこうしてい
るのは嫌じゃない。差し出したカップを健の日に焼けていない右手が受け取った。
「サンキュー」と小さく動いた唇に、合わせた様に綺麗な瞳が笑った。さっきの顔よりも、
もっとドキッとした。
 やっぱり俺は欲求不満なんだ。だから健にまでクラッとするんだ!
「週末は絶対に外出するぞ」
 ペンを握り締めた俺に健がクスリと笑った気がした。

 健
『俺が見張って無いと、又レポートも提出しないで、教官にお目玉を喰らうんだから・・』
 態々ジョーの部屋に遣りかけのレポートを持って来た理由を、俺はそう自分に言い聞か
せた。案の定レポートの存在を忘れているのか、忘れようとしているのか、ジョーは俺が
テーブルに向かっていても、ベッドに寝転んで知らん振りだ。何もしていないくせに、さっ
きから「暑い、暑い」と訴えて、果ては「何故未だ冷房が入らないんだ」と文句を言い始
めた。
『おいおい、さっきから何回其れを俺に訊くんだ』
 確かに今日は少し暑い。俺が自分の首筋に掛かる髪を、鬱陶しがって束ねるほどに・・。
 あいつは俺よりは伸びて眼を覆い隠すほどになった長い前髪を、文句の度に掻き上げて
いる。掻き上げられた髪は、又一瞬の内に元の位置に戻って、あいつのグレイ掛かった水
色の瞳が全体を見せるのはほんの僅かな間だ。俺はそんな一瞬の動きを堪能していた。T
シャツはとっくに脱ぎ捨てられていて、逞しい肩や胸のラインが、短く切られたジーンズ
の意外に細いウエストへと露に続いている。
『こいつの筋肉の付き方のほうが好きだ』
 又髪を掻き上げたジョーの腕の動きを眼の端で追いながら、(こんなレポートくらい、
他の事を考えながらでも出来るさ)俺は、思った。背だってジョーの方が高いし・・。
同じ年でも、遥かにこいつの方が大人びて見える。その分女を知ったのも、早かった。
「スケコマシ」という訓練所の皆の評価違わず、ジョーは女にモテる。落とした女の数は
誰にも負けないが、自慢の種。外出する週末には、何時もデート。帰って来るのは早くて
真夜中。偶に朝になってから・・。小さく溜息を付いて、俺はレポートを終えた。背伸び
をして、ペンを置くと、此方を見ているジョーに声を掛けた。
「ジョー、お前も遣らないと、明日教官に叱られるぞ」
 俺の言葉にジョーは肩を竦めて見せる。
『成る程、遣らないつもりだな』
「今日は遣ってもらうぞ、ジョー。お前がこのレポートを明日提出しなければ、連帯責任
で俺まで週末の外出は禁止なんだからな」
途端に顔色が変わる。先週は特別訓練で休
み無しだった。今週はどうしても外出したいところだろう。素足が床を踏みしめて、ジョー
はベッドから降りた。俺は、空いた場所に移動した。剥き出しの脚に、ベッドに残った
ジョーの温かみが触れる。
『やっぱり体温高いや、こいつ』
「健、お前もう出来たんだろ。写させてくれよ」
 珍しいオネダリモードのジョーは、何処か子供みたいだ。早く仕上げさせて、自分の部
屋に戻るのは勿体無い。
「まるっきり同じレポートを出してどうする。お前が写したのは丸分かりだろう」
「チェッ」と舌打ちをして俺の用意していた資料に眼を通すと、雑誌や本が意外なほど綺
麗に収められた本棚から、ワークブックを取り出して、ジョーはテーブルに着いた。どう
やら観念したらしい。これだけ言えばジョーは、内容は兎も角、レポートだけは仕上げる
筈だ。だから、本当はもう俺が此処に居る必要は無い。そう、建前は・・。ブツブツと問
題を読んでいるあいつに、俺は声を掛けた。
「コーヒー飲むか?」
 俺の問いにジョーは頷いた。だが、奴は動かない。俺が淹れると思うのか?俺はもう一
度言った。
「コーヒー」
 やっと了解したようにジョーが簡易キッチンへ、歩いて行った。そうそう、こんな物は
上手い方がすれば良い。コーヒーメーカーをセットした奴が、俺の正面に戻って来た。
サラサラとジョーが立てるペンの音がして、暫く止まって、又動き出して・・。雑誌を捲
る俺の唇から鼻歌が出る。こんな静かな午後は好きだ。ジョーとこうしているのはもっと
好きだ。俺の鼻歌に奴がクスッと笑った。
「何だよ!」と睨んだら、「いや、別に」と曖昧な返事。どうせ、俺は歌が下手だよ。
これでも良い声だって言われた事も有るんだぞ、女に。歌じゃないけどさ。
 睨んだ俺の視線を避けるように、立ち上がったジョーがコーヒーの入ったカップを手に
戻って来た。ミルクを注いだラッテ色のジョーの手が、差し出すカップを「サンキュー」
と言って、俺は受け取った。微笑んだジョーの瞳が綺麗だった。俺が見詰めている内に直
ぐに其れは反らされてしまったけれど・・。椅子に戻っていく脚の筋肉と締まった足首に、
綺麗だなと又感じた。
「週末は絶対に外出するぞ」
 ペンを握り直した長い指先に、俺はクスリと笑った。
『絶対に一人で外出させてやるもんか』


The End



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