コードネームはA

by Kiwi


1
ロッカーの小さな鏡に自分を写して、彼女は「ホッと」溜息を付いた。時刻は朝の7時。
今日も又一日が始まる。ワインカラーのフレームで縁取られた眼鏡越しに、ヘイゼルの瞳
が鋭く見返した。
「よし!」と誰に言うでもなく掛け声を掛けて、彼女はTシャツの上から白い割烹着を身
に纏った。序に長い髪を落ちてこないように結ぶと、更に上から白い布を被ってピンで留
めた。これで彼女の支度は完璧だ。白い布から食み出しているオレンジ色の髪やヘイゼル
の瞳に割烹着は似合わないと、言われた事も有るが、彼女は其の出で立ちが気に入ってい
た。ほぼ身体全面と、しかも腕までも汚れから守ってくれるこんな機能的は代物が他に有
るだろうか?
すっかり準備の整った彼女は、自分の職場に急ぐべくロッカールームから出ようとした。
が、自分が開けるよりも先に扉が外から開けられて、大柄な女性が入って来た。手にはス
ポーツバック。どうやら何時もの様にジムに行って来たらしい。自分同様化粧気の無い顔
に、濃い色のサングラスを掛けている。
「あら、ユードリア。今から?」
「そう。カーラ、そっちは?」
「あたしもこれからよ。さっき朝食を食堂で取って来たばかり」
カーラは何時もと同じ、其の身体に似合う大らかな笑いを浮かべた。
「さっき食べてたら、来たよ」
態と顰めたような声で、カーラはユードリアに耳打ちをした。誰が、かは分かっている。
知らずに頬が火照ってくるが、そんな気持ちを打ち消すように、殊更声を上げてみた。
「誰がよ」
「昨日は泊まったのかな?相変わらずの黒いスーツ姿。幾ら目立たない方が善いと言った
って、あの雰囲気を何とかしないと直ぐに一般人じゃ無い事は分かるよね」
「・・今日は、お守りは?」
誤魔化しても無駄だから、一番気に成ることを聞いてみる。ユードリアの目下、一番の関
心事は、この機関の最高責任者の一人である南部博士に何時も付き従っているSPだ。
「今日は一人だったよ」
だってこの時間じゃないと、カーラは自分もユニフォームに着替えながら答える。彼女は、
薄いクリーンスタッフ用のライムグリーンのユニフォームだ。
それならばこんな事をしている場合ではない。ユードリアは、自分の荷物を持つとそそく
さとロッカールームを後にした。
「あれ?もう行くの?」
振り向くとユードリアの姿は、もう無かった。
「・・・もう、食事終ってると思うけどな。速メシだもの、SPってさ」

食堂の配膳用のカウンターから覗いてみたが、カーラの推測通りSPの姿は無かった。
「カーラったら、もう少し早く教えてよ」
言っても詮無いことを呟いて、彼女は他のスタッフに洗い物の指図をしながら、自分はラ
ンチの用意に掛かった。此処でも軽食やコーヒーなどのソフトドリンクは取れるが、別に
カフェが有るのでこの時間はあまり社員は遣って来ない。
「今日のA定食はカニクリームコロッケにしよう。するとB定食は魚かな・・」
そう言ってユードリアは、自分の気に入りのSPが、焼き魚が好きだったのを思い出した。
遠く離れた島国の出身の彼は、器用な手付きで箸を使って綺麗に焼き魚の身を解して食べ
る。国際色豊かなこの機関には、様々な人種がいる。従って食堂のメニューもバラエティ
に富んだものだが、自分の好みが優先されるのは此処のチーフである自分の特権だ。
「B定、焼き魚に決定!」
ユードリアはかなり強引にランチのメニューを決定した。
「えー、焼き魚嫌だよ。俺肉が良い」
「あっ、俺、カニクリームコロッケ大好き!」
メニューをホワイトボードに書くと、頭上から聞き慣れた声。それにユードリアは顔を上
げずに、反論した。
「この間貴方達の要望通りお肉にしたでしょ。偶には魚も食べなさい」
「ユードリア、定食焼き魚が多いぞ。それって島田の好物だからだろ」
「そんな事無いわ。ちゃんとメニューの回転は考えてます」
「でも、ジョーの言う通り、この二週間俺達が昼食を取った10回の内、お肉が三回に対
してお魚が五回。しかも其の魚料理の内、四回は焼き魚でしたよね」
『もう、嫌だわ。そんな事をチェックするガキなんて』
ユードリアは態と溜息を付いて、自分と殆ど背丈が変わらなくってしまった顔馴染みの子
供二人に言い聞かせる。
「魚の方が身体には良いのよ。特に青い魚は・・」
お説教を始めたユードリアの視線が、自分達とは違う処に留まっているのを二人は辿って、
顔を見合わせた。逞しい身体を着慣れたスーツに包んだ島田が、近付いてくる。
「・・あいつ最近鼻が利くな」
「と言うより、俺達の行動パターンが読まれてるんじゃないかな?」
「次は、あいつが余り来たがらないような処に行こうぜ」
「二人ともこんな所で遊んでいる暇は無い筈ですよ。今日は立花医師とセーム医師に検診
をして貰う予定でしょう。博士はお忙しいんですから、手を煩わせてはいけませんよ」
「お前は其の忙しい博士の側を離れて良いのかよ」
「仕事中に研究室に入ることは、俺には許されてはいません。その代わりにあんた達のお
守りを仰せつかりました。さっさと来なさい」
「そんな事は秘書に遣らせれば良いじゃねえか。何もお前が来なくても」
「秘書が相手じゃ、健は兎も角あんたは直ぐに逃げますからね」
言いながら島田は「逃がしませんよ」と、ジョーの二の腕をしっかりと掴んだ。
「ユードリア、二人が邪魔をしてすみませんでした」
出て行こうとする島田の背に、思わず声を掛ける。
「今日B定食、焼き魚ですから」
「・・それは楽しみですね」
微かに緩めた口元に喜んで、ユードリアはホワイトボードにかなり大きな字で「B定食:
焼き魚」と記入した。

2
「大体さ、何でこの国で焼き魚定食なんだよ」
器用に診察用の椅子に膝を抱えてジョーは座って、背中を椅子の背もたれに預けた。口を
尖らせて訊いてくるが、そんな事をいきなり聞かれても主治医のセームには答えようが無
い。
「一体何の話?」
「だからさ、昼の定食。どうしてユートランドで焼き魚定食なんだ」
「私は兎も角、立花を初めとする一部の職員には好評のようだが・・」
「・・島田もね」
「ユードリア、島田の好みを重視しているような気がする。ズルイよな、俺や健が言って
も、メニュー変えてくれないのにさ」
「・・番犬を餌付けする気か?」
一瞬脳裏に焼き魚定食をお預けされている番犬島田のイメージが浮かんで、ジョーは身を
捩って笑い出した。笑い転げた反動で、椅子から落ちそうに成るのを、セームが手を取っ
て助けてやる。
「そんなに可笑しい事を言ったかな」
「いや、ちょっと想像して」
答えながらも未だ笑っているジョーに、「あんまり騒ぐと検査が出来ないよ」とセームが釘
を刺す。
「早くして、朝飯抜きだから腹減ったよ」
「OK。心拍は異常無し。後は採血と検尿だけだよ」
「・・そういうの無しにならない?」
「・・本気じゃないよね」
真面目に聞き返されて、仕方なく左腕を出す。
「俺は昔から注射は嫌いなんだ」
静脈の周囲をアルコール綿で消毒すると、セームは針を挿入した。大した痛みでも無いの
に、ジョーは痛そうに眉を顰める。
「可笑しな子だな。怪我の治療とかは我慢するくせに」
「・・こういうのは嫌いなんだ」
抜き取った針の跡に貼られた絆創膏を嫌そうに彼は見詰めた。
「我慢したご褒美に昼食をご馳走しようか?」
セームの提案に少しだけ考えて、ジョーは頭を振った。
「今日はいいや。又今度」
「・・今度は無いかもしれないよ」
大人の余裕でそう言えば、「そんな事無いさ」と自信有り気に返されて、セームは苦笑した。
「OK。じゃあ又今度」
「明後日なら空いてるよ」
椅子から立ち上がって出て行こうとするジョーに、セームは紙コップを渡した。
「ジョー、検尿を忘れないようにね」
心底嫌そうに彼はカップを受け取った。

「ドクター。お昼一緒に取りませんか?今日は焼き魚定食ですよ」
診察結果をカルテに記入していると、健がそう言った。顔を上げると青い瞳が其処に有る。
「良いよ。少し待ってくれる?」
「はい」とそれに答えると、健は行儀良く椅子に腰掛け直した。自分には分からない専門
用語を、立花が書き連ねるのを辛抱強く彼は待った。
「それにしても、やけに焼き魚多いね」
「ジョーが、きっとユードリアが島田さんの事が好きだからだ、って言ってました」
「其れは又、物好きな」
立花の発言に健は意外そうに青い目を瞬かせた。
「島田さん、カッコ良いと思いますけど」
「そうかな」
健の島田への褒め言葉に、何故か言葉が尖る自分を立花は不快に思った。
「俺は好きですけど、ドクターは嫌いなんですか?」
「あいつを好きだと思ったことは無いし、これからも絶対に無いね」
「其処まで断定しなくても・・」
「いや、絶対に無い!」
確信を持った立花の言葉に、健は苦笑した。
『ドク、時々子供みたいだな』

廊下の端に島田が立っている。それに視線を向けると、彼は黙ってジョーの方に歩いて来
た。
「終りましたか?」と尋ねられて、「うん」と答えると、「じゃあ飯を喰いに行きますか」
と続ける。
「健は?」
「さっき立花と行きましたよ」
「・・車を出しますか?」
訊かれて、愉快そうにジョーは島田を見上げた。黒のサングラスでは隠せない口元が笑っ
ている。その口元に顔を近付けて、暫く其の儘でいると、見えない筈の瞳の光が和らいだ。
「無理しなくても、コロッケを食うよ」
「素直じゃ有りませんね」
「いやあ、俺は至って素直だぜ。自分の感情に・・」
見上げて来るジョーのグレイ掛かった瞳に、今度は島田の方から顔を近付ける。が、其の
行為を突然止めて、島田は廊下を駆け出した。
「どうした?」
曲がり角まで走って来た島田に追い着いて、ジョーが尋ねる。
「誰かが見ていました」
「俺達を?見てどうする?ゴシップにもならねえぞ」
「それはそうですが、気に成りますね」
自分に此処まで気付かせずに居た人物が、気に成る。島田はもう一度背後を振り返りなが
ら、そう言った。

3
「アンダーソン長官。Kからメッセージが届いています」
美人揃いの秘書の中でも、群を抜くと言う評判の第一秘書は、アンダーソンのデスクに、
白い紙を置いた。鷹揚に頷いて、それでも中々の紳士である彼は秘書に今日の新しいスー
ツを褒めることを決して忘れないで、デスクに置かれたメッセージに眼を走らせた。
「・・うーん、相変わらずKの走り書きは、読むのが難しい。タイピングをしてくれた方
が読みやすいのだが・・」
口の中で不満を訴えるが、其れを面と向かってKなる人物に言えるほどの、大胆さは彼に
は無かった。
何とか苦労して、メッセージを読み終えると、彼は強張った顔でメッセージを握り潰した。
其の儘其れを自分専用に隅に置かれたシュレッダーで切り刻む。
「是は由々しき事態だ!彼は知っているのだろうか」
デスクの端の電話に手を伸ばしかけて、其の手を止める。
「いや、其れよりも事の信憑性を確かめねば成らん」
彼は秘書室に通じるインターコムを押した。

「冗談でしょう?」
驚きを含んだ声に、笑いを含んだ声が答える。
「本当よ、嘘を付いても何の得も無いわ」
「確かなの?」
もう一度最初の声が尋ねる。
「あたしの情報を信じられないの」
「・・立ち直れないわ」
「兎に角もう少し、調べるようにとのお達しよ。貴方も気を付けて見張って」
「・・分かったわ」
何処と無く落胆した声で答えると、大きな手で背中を思い切り叩かれた。
「元気を出しなさい、って。未だ決まったわけじゃないわ」
「それにしても、何だってこんな仕事をしなくちゃ成らないのかしらね。こんな事の為に、
あたし達は居るんじゃないのに」
不満を言いながら、声を潜めて話していた女子トイレから相棒は出て行った。
其れと入れ違いに入って来た女子社員に軽く挨拶をして、彼女もトイレを出た。肩越しに
振り返ると、女子社員が向日葵色の髪に飾られた小さな顔をこちらに向けている。扉を閉
める前に、もう一度彼女は自分を見ている緑色の瞳に微笑んだ。
「確か庶務に新しく配属された子だったわね、名前は・・そうハル。これは要注意かも」
Kに報告しようか・・と彼女Yは考えた。首に巻いたクリーム色のスカーフを、考え事を
している時の何時もの癖で弄ぶ。其の儘視線を巡らすと、Dr立花とDrセームが二人の少
年を連れて行くのが見える。
「おっと、仕事仕事・・」
呟いて彼女は一室に姿を消した。

「あんな人居たっけ?」
Yが出て行った後、化粧を直しながらハルは考え込んだ。勿論、ハルが巨大なこのビルに
勤めている人間を全て把握しているわけではないが、彼女は女性男性に限らず、美しい者
が好きだ。美人とハンサムはきちんとチェックしている。庶務課もかなり細分化されてい
るこの機関でのハルの役目は、蛍光灯の備品交換や二月に一回発行されている社内報の発
行も有って、他の部署に比べるとかなり職員と触れ合う機会が多い。
「美人とハンサムは忘れないはずなんだけど・・」
変だなあ・・。未だ私が知らない美男美女が居るのかしら・・。此処で美人が多いところ
と言うと・・。まずはアンダーソン長官の秘書室。そして南部博士の秘書達。後は・・?
と考え込むが其れらしい人物が見当たらない。
化粧を直す手を止めて彼女はかなり長い間考えていた。だから、トイレの扉が開いたのに
気が付かなかった。
「ちょっとどうかしたの、ハル?」
呼ばれて顔をそちらに向けると、クリーンスタッフのユニフォームに身を包んだカーラが、
補充用のトイレットペーパーを片手に立っていた。もう片手には掃除用のモップとバケツ。
大柄なカーラを頭一つ以上小さなハルは見上げた。
「何ボーッとしてたの?又誰かいい男を見つけた?」
「ううん、今日は女の人。カーラは私より此処長いし、いろんな人を知っているでしょう?
ブルネットにヘイゼルの瞳の美人見たこと無い?」
「あたしはあんたみたいに女の人には興味ないからね・・」
答えながらもカーラの手は洗面台の掃除を続けている。
「もー!又誰かこんなに髪の毛を落として・・。自分が掃除しないと思って・・」
「カーラ、私言っとくけど、別に女性が好きなわけでは無いからね」
「美人は好きなんだろ?」
「だって、男でも女でも綺麗な人は見ていて楽しいし・・」
「まあ、どっちにしてもブルネットでヘイゼルの瞳の女は知らないね。男なら確かDrセ
ームがそうじゃなかったかな?」
「Drセーム・・良いわね、彼」
「あんたこの間Dr立花も良いって言ってなかったかい?」
「どっちも良いわ・・。庶務にも問い合わせが多いのよ、あの二人。それと南部博士のSP」
「あー、あの恐い顔して何時も博士の側に付いてる奴かい」
「うん、私は、島田さんはちょっと苦手。だって恐そうなんだもの」
「ちょっと良い男では有るんだけどね。後ろから声を掛けたら銃を突き付けられそうだよ
ね」
カーラはそう言って笑ったけれど、ハルは少し震えた。確かにあの眼で見られたら、恐い。
良く健やジョーは平気で懐いているものだ。先日博士の屋敷に届け物に行った時の、島田
の鋭い眼光を思い出した。
「でも、あの二人の子供は懐いているみたいだね。きっとそんなに恐い奴じゃないんだよ」
「そうかなあ・・」
どちらかと言えば、健やジョーの方が変わっているのでは?とハルは考えた。
「あんた、こんな処でサボっていて良いの?」
カーラに言われて我に返る。左手の腕時計を見ると、既に15分も此処に居たことになる。
「わー!KITT先輩に叱られる」
バタバタと靴を鳴らして、ハルは出て行った。
カーラは其れを見送ると、エアータオルを雑巾で綺麗に拭き始めた。その底に付いている
小型の盗聴器を確かめて、彼女はニヤリと笑った。
「トイレは噂話が一杯聞けるからね。それにしてもYったら・・グズグズしてるから顔を
見られるのよ」
『まあ、どちらにしても素顔じゃないから良いけどね』
鼻歌混じりで、彼女は床をモップで拭き始めた。耳に嵌めたイヤホンからラジオ番組が聞
こえてくる。ポケットの中に入っているラジオのダイヤルを掃除の合間に、回して周波数
を変えた。次の番組みの方が気に入ったのか、彼女は唇を緩めた。

「どうして今日は又、顔に似あわない物を食ったんだ?」
聞こえてくる声は多分ジョー。そしてそれに答えているのは、島田だ。会話の場所は食堂
の側の男性トイレだな・・とカーラは察知した。
「俺だって偶にはああいう物も喰います」
「・・偶にはね」
笑いを含んだ声が聞こえて、ジョーのものであろう足音がした。それから訪れた沈黙に、
カーラは音量を一杯にした。その耳に「バリッ」という様な音が響いて、後は何も聞こえ
なくなった。
「・・流石油断なら無いわね」
どうやら又余分な経費が掛かりそうだ。カーラは苦い顔をして、イヤホンを仕舞った。

「結構高性能の盗聴器ですが、何の目的で男性トイレに仕掛けたんでしょうね?」
島田が問うが、ジョーにもそんな事は分からない。只、カメラは仕掛けられていなくて良
かったな・・と島田の首に手を回した状態で思った。自分の首筋に触れられた男の唇に、
泳がせた視線の先に其れを捕らえたジョーは、島田に合図をした。エアータオルの下に貼
り付けられていた小型盗聴器を島田の靴が無残に踏み躙った。
「誰と誰が密会してるか、確かめてたりして・・」
「それは又悪趣味な・・。それなら、もっと聞かせて遣るべきだったかも知れませんね」
「・・どっちが悪趣味なんだよ」
首に回した手を解こうとするのを、島田が止める。
「午後時間有りますか?」
耳元に近付けた唇から洩れる言葉は何時もよりも甘い。
「・・有るぜ、ウンザリするほど」
笑ったジョーに島田が続けた。
「俺もです」

4
ISOにはビル内に様々な設備が有って、職員は低料金でサービスが受けられる様になって
いる。その中でもビューティクリニックは女性職員だけでなく、男性職員にも密かに人気
がある。ガラス張りの受付カウンターを過ぎると、
待合室。そして夫々に隔離されたトリートメントルームが有る。その一室で彼女達はペデ
キュアの真っ最中だった。
「今日はワインカラーにして」
エナメルの色を指示すると、Kは手にした雑誌のページを捲る。その横で、Yはフットマ
ッサージを受けていた。心地良いマッサージが眠気を誘う。
「良いよね、あの子達」
眠りに落ちかけていたYを引き戻したのは、突然のKの言葉だった。
「あの子達?」
「健とジョー。Yは前から顔馴染みだろ?」
「ああ。あの子達ね」と相槌を打った。
「其れって今貴方達が調査をしている子達でしょ」
Yをマッサージしている女性が顔を上げずに問うた。それにKの爪を手入れしているもう
一人が、答える。
「KとYの、今回の任務の対象は二人ですものね、羨ましいなあ。可愛いじゃない、二人
とも。それに付いている男たちが又・・」
「男前だものね」
セラピスト達はトリートメントの手を止めて、目を輝かせている。
「あんまり大きな声で喋ると、隣の部屋に聞こえるわよ」
Kが透かさず止めるが、二人はキャラキャラと笑い有っている。YやKに比べて未だ若い
この二人は、任務そのものよりも、対象に興味が有る様だ。
「此処の部屋は完全防音ですもの」
「大丈夫よね――」
「良いから、早くトリートメントを終えてよ。忙しいんだから」
眠りを妨げられて、不機嫌になったYが言う。
「島田とジョーが怪しい仲だからって、そんなに荒れなさんな」
Kの言葉にグッと詰まってYは、それでも精一杯の虚勢を張った。
「あたしは別に。任務に私情は挟まないわ」
「ふふん」と意味有り気に笑ったKは、それでも「流石はYね」と頷いた。
「でも良いわ、あの子達」
「あら、珍しい。Kが男を褒めるなんて」
「ちょっと誤解を招くような言い方をしないでよ。あたしは男の好みが煩いだけなのよ」
「好みが煩かったら、絶対島田だと思うけどな」
「睨みが利けば良いってもんじゃないのよ。未だ子供だけど、絶対に好い男になるわ。二
人とも」
「私がもう少し若ければね・・」とつくづく残念そうに、Kは言った。

汚れた処が綺麗になるのは大好きだ。この仕事は第二の天職だと思っている。勿論本職が
一番好きなのだが、自分の本来の姿を変えてこの仕事をしていると、色んなものが見えて
くる。オフィスやトイレの汚れを落としている自分に気を払う人間は誰も居ないから、自
分は何処へでも入って行けて、好きな情報を手に入れることが出来る。其処で、人間の汚
さや狡さを窺うのも決して稀ではない。
「うーん、今日はこの観葉植物を動かして掃除をしよう」
夫々のオフィスへと続いている廊下に置かれたその観葉植物の鉢は、かなり大きかった。
毎日ジムで鍛えているカーラだが、動かすには骨が折れそうだった。それでも、今日は此
処を綺麗にするぞと決めたら、其れを押し通したいカーラだった。大きな鉢に手を回すと、
「よいしょ」と声に出して、其れを持ち上げようとした。
「あれ?」
思いの外軽い荷物に視線を巡らすと、少年が反対側から鉢を同じ様に抱えている。
「あら?」
「一人でこんな物を持ち上げると、腰を痛めるよ」
にやけた様な男が言ったのなら、大きなお世話と押し切るカーラだが、相手が子供、しか
も自分が今一番興味を持っている人物だから、カーラは有り難く申し出を受けた。鉢を二
人で隅まで運ぶと、掃除を始める。
「有難う、もう大丈夫よ」と手を動かしながら言うが、枯葉色の髪をした少年は其の儘立
ったままだ。
不思議そうに見ると、横を向いたまま、「もう一度戻すだろ」と答えた。成る程、戻す時に
も手伝って呉れるのか・・。カーラの口元に笑いが浮かんだ。
手早くモップで廊下を掃除すると、彼女はもう一度その子と一緒に鉢を戻した。
「どうも有難う。お蔭で助かったわ」
カーラの言葉にその子は照れたように横を向くと、「他にはもう動かすものは無いの?」と
訊いた。「無いわ」とそれに答えて、カーラは自分よりも未だ背の低い少年を横目で窺った。
『小さくても男の子よね。綺麗な筋肉をしてる。長官は彼らに付いて詳しく説明はしてく
れなかったけど、この筋肉の付き方は普通にスポーツで付いたものじゃないわ』
「ジョー」
廊下の端から駆けて来た健がジョーを呼んで、ジョーは嫌そうに顔を顰めた。
「博士が待ってるよ、早く」
近くまで走って来ると、健はジョーの手を取って引っ張った。
「今日は買い物に行く約束だっただろ。島田さんが車を出してくれるって」
「俺、行きたくないよ」
「駄目だよ、俺もジョーもすっかり、スーツキツくなっただろ、新調しなくっちゃ。今度
のパーティには絶対に出席するように、って博士が言ってるよ」
「ISO主催のパーティに出るなんて、やだよ」
「そんな事を言ってると・・あっ」
健の小さく上げた声に、ジョーだけでなくカーラも顔を向けた。大股で歩み寄って来た島
田が、ジョーをジャガイモの入った袋か何かのように、肩に担ぎ上げた。
「放せ、島田」
「俺も忙しいんです。さっさと終らせて下さい。健、行きますよ」
「島田、下ろせ。行くから」
羞恥に顔を染めるジョーを憐れんだ様に、健は見て先に立って行く。
「あんたは信用出来ません」
一喝の元に、島田はその手を緩めないまま大股で元来た道を帰って行った。
「あらら、逃げてる最中だったのかな。悪いことしたかも。それにしても、放って置けな
い相手なんだろうね、あいつには」
モップとバケツを持つと、カーラは足早に歩き出した。此処からは別の仕事だ。新しいウ
ィッグを試してみるかな。金髪なら、コンタクトはグリーンにしよう。紅を引いていない
口元が笑いを浮かべた。

定食の置かれたトレーを手にして、カーラはその皿の下に小さな紙が敷かれているのに、
気が付いた。カウンターに立つユードリアに、カーラは小さく頷いた。手近なテーブルに
付いて視線を巡らせば、今日は珍しくDr二人に連れられた健とジョーが、同じ様に定食
を口に運んでいる。二人のトレーに可愛らしいデザートが乗っているのは、Drの奢りだろ
うか。
「今日は、番犬は?」
立花の質問に、ジョーがフォークを忙しく動かしながら答えた。
「島田は明日のパーティの為に会場警備の手配中」
「それで、今日はセームとランチなのか?」
少しばかり不機嫌そうなジョーの言葉に、笑いを含んで立花が尋ねると、セームから反論
が返る。
「俺はスペアか?」
「Dr、ジョーの不機嫌の原因は、明日のパーティに出席しなくちゃならないからなんです」
健の言葉にジョーが眉を吊り上げる。
「俺は別に不機嫌じゃない。この顔は生まれつきだ」
「まあまあ、ユードリア特製のデザートでも食べたら、旨そうだよ」
宥めたセームに鼻を鳴らして、それでもデザートを手に取る。
「コーヒーは?」
肯定の意味で頷けば、セームがカップをジョーの前に置く。同じ様にデザートを手にした
健に、立花もコーヒーを渡してやった。ジョーの不機嫌そうな顔が一掬いのデザートで、
少し和らぐ。其れを見るセームと、幸せそうな健を見詰める立花の顔も何処と無く柔らか
なのは、彼らにとっても二人はやはり特別なのだろう。そんな事を考えていたカーラは自
分の食事がすっかりお留守に成っていたことに気が付いた。泳がせた視線の先に、割烹着
姿のユードリアが出て行くのが見えた。慌てて彼女は食事を終えて、席を立った。

「あたしの方は確定。そっちは?」
訊いてくるカーラにユードリアは肩を竦めた。
「こっちもよ。長官には報告した?」
「未だ。纏めて報告しておくわ」
「・・長官は博士に報告するかしら?」
「そうねえ・・。するんじゃない。だって長官もあの二人はお気に入りらしいから。特に
健の方は・・」
「どっちにしても、こんなつまらない任務は御仕舞い。明日のパーティはあたし達も、長
官の警護に出るわよ」
続けたカーラの言葉にユードリアはヘイゼルの瞳を輝かせた。
「やっと、本来の仕事ね。浮気調査の興信所みたいな仕事は、もう沢山」
「それは同感だけど。島田が明日の警護は指揮を取るらしいから、あたし達はあくまで、
長官に何か危険が及ばない限りは待機よ」
「それでも浮気調査よりはマシよ」
二人しか居ないロッカールームで、割烹着を脱ぎながら吐き出したユードリアは、島田と
ジョーの間に相当ショックを受けているらしい。カーラにしても、あの取り澄ました立花
と健の組み合わせは少なからず驚きで有ったのだが、彼女は別に立花に何の好みも抱いて
いないので、「へー」と、思っただけだった。それにしても、報告を受けた時の長官の反応
が見物だわ・・と不謹慎な事を考えるカーラであった。

5
金色の髪にグリーンの瞳。これは本来のカーラの姿ではない。生まれた時の色は、確かプ
ラチナにアクアブルーだった。最近はその色を忘れるほど、濃い栗色に茶色の瞳をしてい
る時が多い。ブルネットにヘイゼルの瞳。横に立つユードリアの、普段の髪の色はオレン
ジだ。オリジナルはどうだったのか、自分は知らない。只、オレンジで無いのだけは確か
だ。何時ものような地味な化粧を拭うと、実は派手な顔立ちが現れる。其れを有る程度引
き立たせるような化粧を施すと、アンダーソン長官のプライベートチームAでの彼女達の
顔に成る。柔らかな素材のワンピースは、実は戦闘には不向きだ。綺麗にペデキュアされ
た素足を包むサンダルも、走るのには向いていない。だが、滅多にする機会の無いこうし
た装いを、心の何処かで喜んでいるのは、やはり自分達が女だからだろうか?赤い紅を引
きながら、カーラは横目でユードリアを見た。ワインカラーに縁取られた彼女の口元が、
艶やかに光っていた。
「長官、何か言ってた?」
化粧室の鏡から視線を外さずに、ユードリアが尋ねる。
カーラはそれに答えずに、クスッと噴出した。
「何よ?」
「一瞬信じられないような顔をしてね・・。それが又見物だったんだけど・・その後、ブ
ルブル震えて、南部博士のオフィスに走っていったわ。恋愛なんて本人の自由なのにね」
「そう言う訳にもいかないんじゃない、男同士なんだし。で、博士は何て?」
「それは知らないわ、盗み聞きしてないもの。でも、博士も他の連中も何も変わらない所
を見ると、博士何も言って無いんじゃないの」
「ふーん、博士意外にリベラルなのね」
「どうかしらね・・未だパーティの始まる時間じゃない?」
「あと少し有るわ。でもこんな格好だから、少し余裕を持って行かないとね」
壁に掛かった時計を見ながら、ユードリアが答える。会場に向かう為に扉を開いた彼女は、
慌てて扉を閉めた。
「何よ?」
背後からぶつかりそうになったカーラが、声を上げた。
「立花と健が、前に立ってるのよ」
「だから?私達変装済みよ」
「いや、何だか好いムードで・・」
「あら、そうなの?どれどれ・・」
「男子トイレに行くのかしら?」
「あー、残念。このトイレには盗聴器仕掛けて無いわ。この会場は長官の秘書の管轄だか
ら、必要ないと思って」
「あっ、トイレには行かないみたい。通り越して真っ直ぐ行ったわ」
「と言う事は、もう会場に行くのかしら?」
扉から姿を現した二人の視線の先を、スーツ姿の健と立花は歩いて行く。
「会場へは未だ行かないみたい」
「二人で何する心算なんだろう。見たい」
カーラは好奇心丸出しで、後を付けようとする。が、その前に黒いスーツ姿の島田が立ち
はだかった。
「何処へ行く心算ですか?此処から先は関係者しか立ち入りで来ませんよ」
鋭い眼光に見据えられて、カーラとユードリアは密かに舌打ちをした。
『余計な邪魔を・・』
『せっかく健と立花のデートが盗み見出来たのに・・・。あー、それにしても、食堂でご
飯を食べている島田さんも素敵だけど、こうして仕事をしている姿は又、格別に・・』
眼が自然とハートマークになるユードリアの腕を、カーラが引っ張った。
「ちょっと思いっきり私情が入ってますけど・・」
「どうかしましたか?」
尚も尋ねる島田に、二人は意味もなく愛想笑いをすると、仕方なくパーティの受付に歩み
寄った。
招待状を差し出すと、長官の第二秘書がにっこりと微笑んで、其れを受け取る。側に座っ
た向日葵色の髪をした女性職員に渡すと、彼女がリストをチェックした。今日は薄いクリ
ーム色のワンピースを着こなしたハルが、「ご案内します」と先に立って、二人を会場に案
内した。
「ちょっと何で今日はハルが此処に居るの?」
「今日は大規模なパーティなので、庶務から人を借りたんです」
カーラに訊かれた第二秘書が声を潜めて報告する。
「予定と違う時には連絡するように、セーラは言われなかった?」
「すみません」
睨まれて彼女は小さくなった。
「変更はそれだけ?」
「はい。セーラさんは中に居ますから」
先に会場の扉の前に着いたハルが、不思議そうに此方を見ている。急いで追い着いたカー
ラはユードリアとハルに「御免なさい。さっきの警護の人が素敵だから、受付の方にお名
前を訊いてたの」と、「些か嘘臭い」とユードリアに後で指摘された言い訳をした。
二人を案内し終えたハルは、その出で立ちに相応しいハイヒールを鳴らして受付に帰って
来た。が、前に立つ長身の男の姿にビクッと身を縮ませた。
「ハル」
島田の潜めた声に、ドギマギしながら「はい」と彼女が返事をする。
「さっきの招待客の持っていた招待状は本物か?」
「はい。ちゃんと調べました」
「なら、良いんだが」と、少しも良く無さそうな顔で、島田は会場の扉を凝視している。
「あー」
突然上げたハルの声に、島田が驚いたように其方を見る。
「何だ一体」
「マニキュアしてなかったんだ」
「マニキュア?」
「ペデキュアはしているのに、マニキュアはしてなかったんだ。あの人」
「だから、誰がだ」
いくら島田でもマニキュアくらい知っている。ペデキュアは確か足の指に塗るエナメルな
筈だ。
「この間女子トイレで会った人。だから何だか変な感じだったんだ。綺麗にペデキュアし
て、ピシッとスーツを着てたのに、手の爪が短くてエナメル塗ってなかったから・・」
「アー納得して良かった」
ハルは一人で納得しているが、島田は何の事が全然分からない。
「俺が訊いてるのはさっきの客なんだが」
問い掛けた島田は、巡らせた視線を受付に近付いて来た二人に止めた。昨日購入したスー
ツに身を包んだジョーが、セームと一緒に歩いてくるところだった。
「今日の主役がこんな所でウロウロしていて良いのか?」
知らずと強くなる眼光で見据えると、「主役は俺だけじゃないからね」と何処吹く風で返し
て来る。
「成る程、ではもう一人の主役は?」
「健と仲良くしてるんじゃないかな。ジョー、島田は今夜警備で忙しいから、俺と一緒に
行こう」
不機嫌に見詰めてくるジョーの視線から島田は、目を反らした。
『この野郎』とセームを睨んだが、ジョーの肩に回したセームの腕は其の儘だ。
「誰かにもう一人の主役を探させてくれよ。もう直ぐパーティが始まるから。最初は兎に
角顔を出さないと、拙いだろう。後は何をしようと自由だけど」
「分かった。直ぐに探させる」
島田は自分のように黒いスーツを着て立っている男を、呼びつけた。

「是で良いですか?」
慣れない手付きでネクタイを結び直していた健が、立花を見返した。新調したてのこのス
ーツは、未だ健には少し大きくて、その分彼を華奢に見せる。
「駄目、未だ曲がってるよ」
VIP専用のラウンジにはもう誰も居なかった。つい先程まで誰かが居た証に、テーブルの
上には口紅が付いたままのカクテルグラスと、底に薄くなったウィスキーの残ったグラス
が置かれている。此処でひと時の密会を自分達の様に楽しんだのか、それとも人目を憚ら
ないカップルか。そんな事を考えながら、立花は健のネクタイに手を伸ばした。当然結び
直してくれるのだろうと思っていた健の予想とは逆に、立花はそれも新品のネクタイを健
のカラーから抜き取った。
「ドク、結び直してくれるんじゃないんですか?」
「そのスーツ良いね。凄く似合ってるよ」
「そうですか?島田さんの見立てなんですけど」
又感情を逆撫でするような事を、平気で言う。健は時折掴み所が無い。妙に子供に見える
時と、自分でも太刀打ちできない程大人びて見える時が有る。自分が良い様に手玉に取ら
れているような気がする。奴はそんな風に感じた事は無いのか?それとも、其れさえも楽
しんでいるんだろうか?あの番犬は。
「ああ、良く似合うよ。でも、俺はそんな物を身に着けていない君の方が、好きだけどね」
ネクタイを外したシャツの首筋に唇を近付けると、「駄目ですよ、ドク」と健が嗜める。変
に冷めた健の言葉に立花は代わりに熱くなる。
「何故?」
「パーティの前に降ろしたてのスーツとシャツを皺にしたら、博士に叱られます」
「皺にしないから・・」
「・・脱げば良い」と続けながら、立花は健の上着を剥ぎ取ろうとした。
「ドク、貴方は今日の主役でしょ。Drセームと一緒にスポンサーの方々に、若手の研究者
として紹介されるんじゃ無かったですか」
「単なるお飾りさ、俺達は。若しくはスポンサーから金を集める為のまたたびかな・・」
「駄目ですったら」
髪の生え際に寄せられる唇を健は、避けながら唱えた。
「其れくらいにしておくんだな、時間だぞ」
「無粋だな、相変わらず」
黒いスーツに立花は不服そうに言うと、剥ぎ取った上着を健に掛けてやった。
「セームが探して来いと言うもんでね」
「良くあいつお前にそんな事を命令したな」
「誰かに探させろと言っていたが、他の者に見られたら健が困るだろう。俺の部下に口の
軽い者は居ないがね」
「島田さん、ジョーはもう会場に行きましたか?」
「5分ほど前に入りましたよ。貴方も急いで下さい」
「島田さんが見張ってなくて大丈夫なんですか?」
「大丈夫でしょう。餌を投げて来ましたから」
「餌?」
「ちょっと年嵩ですが、飛び切りの美女を二人。ジョーに見張るように言っておきました」
話しながら大股で歩いて行く島田に、健と立花は遅れないように足早になる。
「それって、不審人物ですか?」
健の問いに島田がはっきりしない顔をした。
「俺にもよく分かりません。只、ちょっと気に成るもので、序にジョーの足枷に使わせて
貰いました。ああ言っておけば、脱走はしませんから」
会場の前に立っていたSPの一人が島田の姿を見つけて歩み寄った。
「異常は?」
「有りません」
「受付はもう終了しているな」
「はい。もう片付けも終りました」
「立花も健も聞いての通りです。早く会場に入って下さい。もう始まりますよ。俺は中に
居るから、何か変わったことが有れば、直ぐに連絡を入れろ」
「分かりました」
分厚い扉を開いて、三人は中に入って行った。

6
確かに美人なのだ・・。立食形式のパーティ会場で、自分よりも僅かに離れた位置でシャ
ンパンを傾けている二人を横目で見ながらジョーは思った。
「あの二人を見張って下さい」
島田にそう頼まれたジョーは、無理矢理出席させられたパーティの暇潰しが出来たことを
喜んでいた。これで何かヤバイ事が起きてパーティが流れないかなと、不謹慎な事を実は
考えている。側に張り付いていたセームは南部に呼ばれて、長官の元へと行った。其れを
幸いに自分の横を通り過ぎようとしている給仕のトレーから、さり気無くジョーは白いワ
インの入ったグラスを取った。其れを咎める様に見返す給仕をチラリと睨むと、何も言わ
ずに彼はその場を離れて行った。
「K、ジョーがこっちを見てるわね」
ユードリアの言葉にカーラも頷いた。
「さっき島田にマークされたみたいだから・・。うーん真剣な顔して可愛いわね」
片手に持った皿からオードブルをフォークで突き刺しながら、彼女は其方の方を見てニコ
リと笑った。一瞬笑いかけられたジョーは、困ったような顔をして、次には真っ直ぐに二
人に向かって歩いて来る。是には二人の方が焦ってしまった。
「どういう心算かしら?」
囁くユードリアをカーラが制する。
「しっ!黙って」
歩み寄って来たジョーは二人をじっと見詰めていたが、手にしたワイングラスで口元を湿
らせると口を開いた。
「俺、何処かで貴方達に会いましたか?」
掛けられた言葉に一瞬顔が強張りそうに成るが、其処は年の功、二人は顔色を変えなかっ
た。今の自分達を見て、普段の姿を思い浮かべられる人間は居ない。少し考えるような振
りをして、カーラは返答した。
「貴方のような可愛い坊やに会って居たら、絶対に忘れないと思うけれど、
残念ながらそれはないようよ」
「・・俺も多分美人は忘れないから、お会いしたことは無いんでしょうね。だけど・・」
「だけど?」
「其方の方は標準より少し高いくらいですが、貴方は女性にしてはかなり長身ですよね。
最近それくらいの背の高い人に会ったことが有る様な気がします」
『あの時か・・』
カーラは心の中で舌打ちをした。自分は確かに女性としてはかなり大柄だ。この年齢とし
ては長身の健やジョーよりも、更に高い。流石に島田には劣るが・・。
『中々油断のならない坊やだこと』
言葉を失ったような二人にジョーは楽しそうに笑った。
「どっちが本当の貴方ですか?俺は勿論此方が好みだけれど」
「貴方・・」
一歩踏み出したカーラが狭めた分だけ、ジョーは踊るような足取りで距離を戻した。
「ジョー、此方に来なさい」
自分を呼ぶ南部に振り返って「はい」と答えると、彼は二人の元を離れた。
健の肩に手を置いた南部が自分を呼んでいる。側には会った事も無い紳士と貴婦人。退屈
なパーティは未だ始まったばかりだった。
「是は健とジョーです。私の養子でして・・」
南部が自分達を紹介する紳士と連れの貴婦人に、健とジョーは礼儀正しく挨拶をした。そ
れくらいのマナーは、二人とも幼い頃から身に着けている。普段、粗野な言葉を好んで使
うジョーでも、遣ろうと思えば最高級のマナーで人に接することが出来るし、食事も出来
る。只、気楽な方が好きなだけである。一応紹介が終ると二人は解放された。島田の姿を
眼で探すと、壁に染み付いた黒いスーツが見える。
「島田さんに言われた見張りってあの二人?」
尋ねてくる健に、「ああ」とだけ答える。其の儘視線は例の二人の女性に戻したが、二人は
相変わらず談笑をしながら食事中だ。
目線を会場全体に移して、アンダーソン長官の第一秘書セーラに止める。長官の背後に控
えるようにして立っている彼女は、何時ものキチッとしたスーツではなく肩を露出した淡
いグリーンのドレス姿だ。手にしたシャンパングラスの中で金色の泡が、踊っている。ド
レスに合う様に薄いグリーンに塗られたマニキュアの長い爪が、会場のライトに鈍く光る。
其れを見たジョーは「ああ、爪が短いんだ」と呟いた。何処か違和感の有る二人の指先。
自分の知っているマニュキアを塗った女性は、皆不必要な程爪を伸ばしていた。
「爪が短いということは二人とも・・」
綺麗に塗られたマニュキアの爪が短いということは、職場が長い爪が不向きな処だ。一人
はクリーンスタッフ。もう一人も同じ処か?それとも厨房、後は看護婦くらいか・・。
「何処か怪しいのか?」
「島田が気にするほど、怪しいとは思えないな・・。だが、問題はどうして此処に居るか
だな」
侵入したスパイのようにも思えないが。念の為に島田の耳にだけは入れておこう。壁の染
みに声を掛ける。
「島田!」
ジョーに呼ばれて近付こうとした彼は、不意に歩みを止めた。耳に付けていたレシーバー
を、聞こえ易いように嵌め直した。
「分かった、直ぐ行く」
短く答えて彼は、通信を切った。その様子に健とジョーが駆け寄って来る。
「どうした?」
「何か有ったんですか?」
「いえ、何でも有りません。少し警備に不備が有りました。俺は少しの間持ち場を離れま
すから、貴方達は博士と長官を護衛して下さい。出来ますね」
了解の意味で頷いた二人に「頼みます」と言い残して、島田はその場を離れた。

「Y、島田が出て行ったわ」
「ええ、私も見た。どうしたのかしら?」
「あの男が持ち場を離れるなんて余程の事よ。私が行くから、後をお願い」「あー、ズルイ。
島田さんの後ならあたしが追いたい」
「あんたは思い切り私情を挟むから駄目」
カーラに決め付けられて面白く無さそうに、ユードリアは手にしたワインのグラスを干し
た。
「未だ男前は山ほど居るでしょう。せっかくおめかししたんだから、楽しみなさいよ」
「楽しむのはどっちよ」
未だ不満だらけの彼女を置いて、カーラは会場を抜け出した。其れを見咎めたジョーが健
の髪を引っ張る。
「痛いじゃないか、ジョー」
「あの女が出て行った。俺後を付ける」
「ジョー、島田さんが博士達の護衛を頼むって言っただろ」
「それはお前に任せるよ」
「ジョー!」
其方の方が面白そうだと思ったら、健の制止を聞くようなジョーではない。
溜息を付いて、健はもう一人残ったユードリアを油断無く見詰めながら、それと無く南部
と長官の側に移動した。

「大体考えてみたら、何も無いのに島田が持ち場を離れるもんか」
歩きながら呟いて、ジョーは島田と先程の女性を探した。
「で、物は見つかったのか?」
耳に飛び込んで来た島田の激した声に、ジョーは歩みを止めた。受付が設けられていたホ
ールの端に立っている円柱に身を隠す。
「未だです。犯人は全部で5個の爆弾を仕掛けたと言ってます。その内4個は見つかりま
したが、残りの1個が。もしかすると会場内に仕掛けられたのでは?」
「会場は入念にチェックしていた筈だが・・」
長官の秘書室に突然舞い込んだ電話は、「今日のパーティを盛大な花火で祝ってやる」とい
う物だった。名前も名乗らない不審人物からの電話を、受けた秘書は咄嗟に録音して、警
備に連絡をした。念の為にチェックをした警備が見つけた爆弾は4個。残りは犯人の言う
事を信じるとしたら、1個だ。
「目的は何なんだ?金か?」
「要求は何もされていません」
『じゃあ、一体何の目的で?』
「兎に角爆弾を見つけろ。他の爆弾は処理済みか?」
「終ってます」
「まさかとは思うが、一応会場を探してみるか」
顔を上げた島田を「島田さーん」とハルが呼んだ。
少し間延びしたようなハルの声に、島田は舌打ちをした。
「今は忙しい」
「この荷物タグが無いんです。不審物でしょうか?」
預かった荷物を、持ち主に渡したタグの半券とチェックしていたハルが、カウンターの中
から身を乗り出して島田に訴えていた。
「何?どれだ?」
「このブリーフケースなんですけど」
「貸してみろ」
カウンターにハルが置いたケースを、島田は彼には珍しいほどの丁重さで開いた。
「ひっ」
詰めたような息がハルの口元から出た。
「ハル、下に降りていろ」
ホールの端に有るエレベーターを島田は示した。ガクガクと頷きながら、ハルがカウンタ
ーから離れた。
「お前それ止められるのか?」
背後でした声に、島田は驚いたように振り返った。
「『中で護衛をしていなさい』と言いましたよ」
「こっちの方が面白そうだったから」
肩を竦めるジョーに島田は苦笑いをする。
「で、止められるのか?」
「爆弾処理は、したこと有りませんね」
「何処かへ持って行くとか」
「時間が無さそうですよ」
島田の指差したカウンターは、残り3分を示している。
『3分だと、せいぜいエレベーターの中だな。それでも此処で爆発するよりも被害は少な
いか』
もう一度蓋をしようとした島田の手を赤い指先が止めた。
「あたしに遣らせてくれる?」
グリーンの瞳を見上げたジョーに、カーラは艶やかにウインクした。
「どうせ、移動も間に合わないし。あたしに遣らせてよ。本当はYの方が得意だけどね、
こういうのは」
不審気に見返す島田に「大丈夫よ、滅多に失敗しないから」と彼女は笑った。

「此処を切って・・」
口調ほど簡単では無いことは、頬に滲んだ汗で分かる。しんと静まり返ったホールにカー
ラが切るコードの音が、やけに大きく響いた。
「止まったの?」
島田の後ろからハルが顔を覗かせる。どうやら下に逃げなかったらしい。
『好奇心も程々にしないと、早死にするぞ』
カーラの手元を覗き込んでいるジョーとハルに、島田は苦笑した。
「未だよ。赤と黒。どっちかを切れば停止。失敗すれば爆発!どうしようかな、あたし訓
練では何時も最後の判断で失敗するのよ」
無情に減って行くカウンターを見ながらカーラは呼吸を整えた。
「あんたに任せるわ」
切断に使っていた事務バサミをカーラはジョーに投げ渡した。
「俺?何で俺なんだよ」
「あんた運強そうだもの。勘で良いから、好きな方を切ってごらん。きっと大丈夫だから」
「そ、そんなこと・・」
自分の手に何人もの命が掛けられるなんて・・もし、失敗したら?博士は?健は?セーム、
立花・・此処に居る島田も自分も・・。いや其れよりもパーティに参加している全員の命
が奪われるかもしれない。ハサミを手にしたジョーの指が、震えた。
「ジョー。どっちを切ります?俺が切りますから、あんた決めて下さい」
『あんた一人にはさせませんから・・』
そう言う様な島田の黒い瞳をキッと見返して、ジョーは赤いコードを切った。

7
静寂が耳に痛かった。いや、実際は扉を隔てた会場ではパーティが未だ続いていて、厚い
扉を通してでも聞こえてくるざわめきが、宴は未だ酣なのを教えている。それでも一瞬爆
発音を予想していたジョーには、恐いほど静かに感じられた。止めていた息を吐き出して、
倒れこみそうになるジョーを島田の強い腕が抱き止めた。
「良く遣りましたね」
珍しい褒め言葉に軽口を叩く元気も無かった。只視線を動かすと、何時の間にか女性の姿
は消えていた。どうやら敵では無かったようだが、一体何者なんだろう。
『明日探したら会えるかな?』
多分それは無理だろう。何事も無かったような顔をして会場に戻ると、健がもう一人も何
時の間にか居なくなっていたと教えてくれた。事後処理の為に少し遅れて戻って来た島田
が、「犯人が捕まりました」とだけ耳打ちをした。
顔を上げて先を促すと、「単なる売名行為のようなものですよ」と吐き捨てるように続ける。
「ISOのビルを爆破して、有名になりたかったそうです」
「・・とんでもない奴だな」
乾いた喉を潤そうと給仕のトレーから取ったワイングラスを、島田が有無を言わさずにオ
レンジジュースのグラスと交換した。


「脚立持ちますよ、先輩」
重い脚立にヨロヨロしながら歩いていると、背後から声を掛けられた。ハルは、振り返る
と声の主に言った。
「先輩は止めてください。そっちの方が年上なんですから」
「でも此処ではハル先輩の方が長いんですから、先輩ですよ」
白いシャツに趣味の良いネクタイを締めた年上の新人は、ニコリと笑い掛けた。
「そう、じゃあ持ってくれる?有難うジェイ」
濃いブラウンの髪を肩先まで伸ばした彼は、軽々と脚立を持ち上げると先に立って歩き出
した。
「先輩、腹減りませんか?」
「未だ10時よ」
「今日の定食何かな?」
「・・焼き魚定食かしら」
「又ですか?」
「ユードリアが島田さんの喜ぶ顔とジョーの嫌がる顔を見たがってるからね」
「島田さんって、南部博士のSPですよね、有名な。ジョーは?」
「それはね・・」
ハルの説明にジェイは至極楽しそうに笑ってみせた。目的地まで遣って来て脚立を備える
と、ジェイは軽々と上まで登って、ハルが差し出す蛍光灯を受け取って取り替える。廊下
に面した高い窓に見るとは無しに眼を遣ると、中に島田とジョーが見えた。
「相変わらず熱いわね」
口元を綻ばせて、彼は仕事を終えると身軽に飛び降りた。
「先輩、次に行きましょうか」
二人の邪魔をしない様に、ジェイは足早に歩き出した。

THE END


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