During your sleep

by Kiwi


マンションの最上階から臨む景色を見るのが、ジョーは好きだ。海に面したバルコニーに
据えられたデッキチェアーに腰を下ろして、彼は飽きないで海を染めながら夕日が落ちて
行くのを眺めていた。傍らのテーブルに置かれた背の高いシャンパングラスから、泡の立
つ金色の液体を口に含んで喉を湿らす。勿論島田のコレクションから失敬したそれは、シャ
ンパンという名で呼ばれるものではなかったが、ドライな味がジョーの好みにぴったりだっ
た。
「遅いな・・」
「この時間になら帰っています」と島田が指定した時間になっても、彼は戻って来ない。
それも別に珍しいことではない。南部の仕事次第で、島田の帰宅時間が変わることも、休
みだと言っていても変更になるのは何時ものことで・・だから、あまりジョーは気にしな
かった。
一人でワインを一本空ける頃、玄関の扉が開いて島田が帰って来た。
「遅かったな・・」と掛ける声に、「ええ・・ちょっと」と答える島田は、何時もの彼ら
しい軽口も叩かず、ソファに腰を下ろした。疲れた様に脱いだ上着の上に、毟り取ったネ
クタイを放り投げる。
「上着皺になるぞ・・」
様子が違う島田に何を言えば良いのか、咄嗟に思いつかないジョーは、自分でも些か的外
れだなと、思う言葉を掛けて島田の横に腰を下ろした。
「どうかしたか?」
ジョーの問い掛けに「いいえ」と首を振って島田は上着のポケットを探って、煙草のパッ
ケージを取り出すと、一本咥えた。が、火も点けずに、直ぐにそれを灰皿に押し付ける。
「島田。何か有ったか?」
「何でも無いんですよ。本当です。ちょっとシャワーを浴びて来ます」
ぎこちなく笑って島田は立ち上がった。その瞬間に自分の顔面に灰皿が飛んで来て、思わ
ず彼は左の手でそれを払い除けた。厚手のクリスタルで出来た灰皿が、島田の足元に音を
立てて転がった。
「ジョーいきなり何をするんですか?」
「お前右手どうかしたか?」
尋ねられて、島田が少しだけ顔を強張らせた。
「どうもしませんと、言っても信じては呉れないでしょうね」
「・・・さっきから右手を一度も使ってないだろう。ヘマしたのか?」
ストレートに訊いて来るジョーに、島田は苦笑した。
「ちょっとね、掠り傷ですけど」
「博士には怪我は無かったのか?」
「ええ、幸いね」
「にしてはお前が落ち込んでいるみたいだけど」
又ストレートに訊いて来る。諦めて島田はもう一度ソファに腰掛けた。
「・・一人殺られました。未だ入ったばかりの若い奴だったんですけど。多分あんたや健
と二つか三つくらいしか変わらないでしょうね」
可笑しな事を言うものだと、ジョーは思った。島田はそんなにセンチな奴だっただろうか?
危険を十分承知の仕事だろう。それで命を落としたからといって、此処まで気にする奴だっ
たろうか・・。別に島田が自分の仲間の死に対して無関心だとか、責任や後悔を感じない
と言うのではないが、それでも何時もの島田なら博士の命を一番に考えて、此処まで気に
はしない。少なくとも表面上は・・。そしてそれは、その死者の年齢とか、家族が居るか
とかは関係ない。
「いえ、本当に何でもないんですよ。傷も大したこと有りませんし、ちょっと疲れただけ
で・・シャワーでも浴びてすっきりしてきますから」
探るようなジョーの水色の瞳を避けて、島田はバスルームに消えた。身に着けていた白い
シャツを剥ぎ取ると、洗濯籠に放り込んだ。動きに不満を訴える右腕を無視して、彼はシャ
ワーのコックを手に取って浴びようとした。けれどその手首を掴まれて、島田はそちらを
向いた。
「片手じゃ出来ないだろう」
「大丈夫ですよ」
ジョーの手からコックを奪おうとするが、殆ど手加減無しに右腕の傷口を叩かれて、思わ
ず小さく呻いた。
「痛いじゃないですか!」
「ほ〜ら、痛いんじゃねえか」
「怪我してる処を馬鹿力で叩かれりゃ、誰だって痛いです」
島田の言葉ににやりと笑ってジョーは、彼の身体に心地良い湯を浴びせた。
「俺が洗って遣るから」
「・・いいですよ!」
「心配しなくても変なことしないぜ、怪我人相手になんか」
いや、寧ろ危ないのは自分の方だ。身の内に燻っている気持ちが、そんな事をされたら出
口を求めて暴れだす。この手の中の存在を確かめたがるように、歯止めの利かない行動に
出たくなる。島田の想いに関係なく、ジョーの手に握られたスポンジが彼の身体を滑って、
泡立たせていく。逞しい胸からもっと下方にとそれは広がり、ズキッとするような痛みを
彼に齎した。
「ちょっと屈め」
言われて素直に身を少し屈めると、今度は髪の毛に長い指先が差し入れられて、シャンプー
された。自分の短くて固い黒髪と違って、ジョーの髪の毛は柔らかく指先に絡んで来てい
たな・・と、意外に生真面目な顔をして自分の頭を洗っているジョーを見ながら思い出し
た。
頭の先からつま先まで温かいお湯で清められて、幾分疲れも取れたような気がした。目を
傍らの人物に移せば、一仕事を終えてうっすらと額に汗を滲ませている。彼は長い前髪を
何時もの動作で、張り付いた額から掻き上げた。
「ほら・・拭いてやろうか?」
バスタオルを渡しながら訊いてくるのに、首を振る。
「いえ。一人で出来ます」
「そうか」
「ジョー」
バスルームを出て行こうとする後姿に声を掛ける。
「ん?」と言うように、こちらを向くのに笑い掛ける。
「・・一人では出来ないことが有るんですが、手伝って貰えますか?」
「何を?」
「すっかり熱くなった身体を冷ますのを・・」

熱くなった身体を冷ますどころか、もっと熱くなってしまったのは、何時もより激しく攻
め立てた自分の所為なのか?それとも自分の怪我を気遣って、あまり拒絶もしないで身体
を開いてくれたジョーの所為なのか?何度かの欲求を満たした後眠りに付いたジョーの髪
を、島田は梳かしてみた。さっき思い出した通りの感触に、満足そうに唇を綻ばせる。自
由になる方の左手で身を起こすと、ベッドの横のサイドボードから煙草を取って、咥えた。
紫煙が昇って行くのを、目を細めて見詰めながら、彼はもう一度ジョーの髪に触れた。
「あいつの髪の色の方が、もう少し濃い色だったな・・」
自分の目の前で撃たれた男の髪の毛は、ジョーと同じくらいの長さが有った。後ろ姿が似
ているな・・と思っていた身体が、銃弾に弾き飛ばされて、ジョーに良く似た色の髪の毛
を広げながら彼は倒れ落ちた。その姿が一瞬手の中の存在と重なって、背筋を冷たいもの
が流れて行った。有り得ない事ではないのだと、思う自分の弱さは今まで持ったことの無
い物だった。
『それだけ自分はこの存在が大切なのだ』
柄にもなくそんな事を思う。もし、本当にそんな日が来たら、自分は何時もと同じ様に振
舞えるだろうか?
「甘えたこと言ってるんじゃねえ」と、言われた様な気がして、島田は苦笑した。
『こんな事を考えるのは、あんたが眠っている間だけにしますから・・』
短くなった煙草を島田は灰皿でもみ消した。ジュッという最後の溜息がして、シーンと辺
りが静まった。ふと手を伸ばして、彼は傍らのジョーの首筋に手を押し当てた。其処には
確かに脈打つものが有る。ホッと息を吐くと、水色の湖水の色にも似た瞳が此方を見てい
た。
「・・どうかしたか?」
「・・何でも・・。何も有りませんよ。眠って下さい」
答えた島田に、ジョーは手を差し伸べた。
「お前も寝ろ。寝付くまで抱いててやるから・・」
自分の首に回された腕の温かみに、ホッとしたように、彼は瞳を閉じた。


The End



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