Family

                       by Kiwi

1

スニーカーの結び目を直して、ジョーはウォークマンのスィッチを入れた。気に入り
の音楽を聴きながら、彼は南部の屋敷を出て、海岸に向かってジョギングを始め
た。晩秋の朝の空気は冷たくて、半袖短パンの肌には痛いくらいだ。が、走り出し
て、直ぐにそんな思いも消えた。唯前だけを見つめて、彼は走り続けた。時折同じ
ようにジョギングをしている若者や、時には初老の人々とすれ違い、お互いに挨拶
を交わす。それももう、ジョーにとっては日課だった。
夏が終わっても綺麗に日焼けしたままの、彼の長い手足や、精悍なと呼ぶにはま
だ幼い、それでいて見る者にその意志の強さをはっきりと分からせるような顔に、
やがてうっすらと汗が滲み出す。決して速すぎず、遅すぎず。何時ものペースで、
彼は走り続けた。
海際まで走ってジョーは一度止まり、荒くなってきたその呼吸を整えた。朝日はや
っと遠くに見える水平線から昇り始めたばかりで、その暖かな光でジョーの姿を包
んでいた。
もうじき彼は南部の元に来て、二度目の誕生日を迎える。自分の身の上に起こっ
たことや、無念さ、憤り、悲しさを忘れる日は絶対に来る事は無いと分かっていた
が、それでも彼はここでの暮らしに順応してきていた。
背中を伸ばして、額の汗と首筋に張り付いている髪を払うと、彼はもと来た道を走
り出した。

南部の屋敷まで帰ると、ジョーは南部の車の隣に止まっている、高級車を暗い目
で見た。昨晩遣って来た南部の母親が未だ滞在しているのを、思い出したから
だ。
自分の養子だと紹介する南部に、彼の母親は冷たい目を向けて、ジョーが出来る
限りのマナーの良さで口にした挨拶にも、何の関心も無いように顔を背けたままだ
った。その後の食事の間も、未だ居間で話をしている二人に「お寝みなさい」と言
って自室に戻る時も、彼女はまるでジョーなどは存在しない様な態度を取った。
「今日は帰るって言ってたけど・・」
それでも、今日学校に行くまでは彼女と過ごし、無視し続けられる事に耐えなけれ
ばならない。重い足取りで、ジョーは玄関を入った。
階段を昇って自分の部屋に行こうとしていたジョーの耳に、南部と母親の口論が
届いて来た。どうやら彼らは話しながら、南部の書斎から居間に移動して来ている
らしく、話し声は当人たちの興奮も手伝って、段々大きくなってきた。
「何度も言うように、これはジョーには全く関係有りません」
立ち聞きがお行儀の悪いことなのは知っていたが、自分の名前が南部の口から
出たので、思わずジョーは階段の上から階下を覗き込んだ。
「孝三郎、貴方は確かに南部家の跡取りでは有りません。だからお前が医学を修
めるのも、化学、宇宙工学等の博士号を取るのも、許可しました。だからと言って、
勝手に何処の馬の骨とも知れない子を引き取ったり、何時までも独り身でいたり
するのは、対面上許しておくわけには行きません」
「私はもう貴方に指図されなければ成らないほど、子供では有りませんし、私の結
婚とジョーは何ら関係有りませんよ」
「誰かと結婚するにしても、あの子は邪魔なだけでしょう。あんな得体の知れない
子が南部の籍に入っているかと思うと、ぞっとするわ」
母親の言葉に南部の我慢も限界だった。
「もういい加減にしてください。貴方にジョーをそんな風に言って、傷つける権利は
有りません。この話を止めて下さらないなら、朝食前に引き取って下さって、結構
ですよ」
南部の剣幕に少しはたじろいだが、それでも母親は最後通告を彼に言うのを忘れ
なかった。
「とにかくこのお話を受けて、身を固めるのね。もう過ぎた事を言ってあの子を放り
出すのも、世間体が悪いし。あちらは養子を別宅に住まわせるなら、構わないと言
ってらっしゃるし」
頑固な母親の言葉に、南部は思わず頭を抱えた。そして、母親を居間に残し、キッ
チンへ行ってしまった。

そこまで聞いて、ジョーは震える足を自室に向けた。扉を開けて、汗が渇いてき
て、冷たくなっているTシャツと短パンを脱いで、バスルームに入った。温かいお
湯の下で、ジョーは溜息をついた。
確かに自分は南部の母親からしたら、得体の知れない人間だろう。怪我した自分
を南部は助けて、引き取ってくれたけれど、その事を南部は負担に思った事は無
いのだろうか?ジョーは今まで自分が、そんなことを一度も考えた事が無いのに
気が付いた。当たり前のように南部の用意してくれた、養子の手続きの書類にサ
インをし、この家の子になったけれども、それによって、南部に大変な迷惑を掛け
ているのだろうか?
自分が居る事は、南部にとって邪魔な事なのだろうか?
自分が居るから南部は結婚することが出来ないのだろうか?

時間を掛けてシャワーを浴びてから、通学の準備をすると、ジョーは階下へと降り
て行った。そこで彼は、居間で新聞を読んでいる島田を見つけた。
「おはよう御座います、ジョー」
向かいのソファに腰を下ろすと、新聞から顔を上げないで島田が声を掛けた。
「おはよう。・・・島田、俺今日はスクールバスで行くからって、博士に言っといてく
れないか?」
ちょっと考えてジョーは言って、テキストやバインダーが入ったリュックを手に立ち
上がった。
「なんでまた?それに、あんたもう朝飯食ったんですか?」
毎朝彼は仕事場に向かう南部と一緒に、島田の運転で学校に行く。帰りは住み込
みの使用人が迎えに来る。ジョーの学校までは車で15分ほどだが、スクールバス
はかなり遠回りになるので、使っていなかった。
「朝飯はいらない。今日は健とスクールバスで待ち合わせをしてるんだ。遅くなっ
たから早く行かないと」
健の家はスクールバスのルートになっていて、さほど不便ではない。
「成る程・・・」
と答えながら、島田はどうもおかしいな・・と、いう疑問を抱いた。
「あんたどうかしたんですか?」
「別に・・・。俺もう行くから。博士に言っといてくれ」
足早に出て行くジョーを引きとめようか、一瞬彼は考えたが、結局そのまま行かせ
る事にした。
『今からかったら、落ち込ませそうだしな』
彼は新聞を畳んで、ジョーの伝言を南部に伝えるべくキッチンに向かった。
キッチンに入って、南部と母親の両方から見つめられた島田は、ジョーが朝食をパ
スした訳が分かったような気がした。
『俺もパスして、バーキンにでも行くべきだった』
が、彼はジョーと違って大人なので、それなりの処世術も身に付けていた。出来る
限り愛想良く彼は南部に告げた。
「ジョーは今日、スクールバスで行くと言ってもう出ました。遅くなったので、朝食は
要らないそうです」
「まあ、時間にゆとりが無いほど何をしていたのかしら?食事が要らないのなら、
早くに言えばいいのに、材料だって勿体無い」
当然の如くまた非難を始める南部の母親に、南部は苦い顔をしてコーヒーを啜り、
仕方無しに島田は言った。
「ジョーはいつも朝はシリアルしか食いませんよ。俺が二人前食うんです」
俺もジョーに甘いな・・と感じながら、島田は二人前のオムレツとハッシュドポテトを
平らげた。

2

車のバックミラー越し窺うと、南部は目を閉じて憮然とした表情を浮べている。
『う〜ん。これはこっちも機嫌が悪そうだ』
島田はそう思ったが、どうにも今朝のジョーの態度が気になって仕方が無い彼
は、南部に尋ねた。
「今回の来宅も、やっぱりお見合いなんですか?」
「今週の日曜日に、無理やりお膳立てをしてくれたよ」
苦虫を潰したような声で、南部が答えた。それ以上南部がこの話題に触れたく無
さそうだったので、島田は行き掛り上平らげた二人前の朝食に胸焼けをしながら、
黙って車を走らせた。
現代社会にお見合いなんて必要ないと、島田は常々思っている。好きなもの同士
が結婚し、嫌になったら別れればいい。足枷が煩わしいなら、一生独りでいれば
いい。彼自身、養わなければならない家族を持とうなどと、思った事も無い。ベッド
を共にした女は大勢居ても、一生を共に過ごしたいと思った女は居なかったのだ
が。どちらにしても当人の問題だ。
『だが、どうも上流階級は話が違うらしいや・・・』
毎度母親がお見合い話を持ってくる度に、南部の機嫌は最悪になる。まあ、あの
母親が相手では無理も無い。ここ一年ほど現れなくて、島田としても喜ばしい限り
だったのだが。
そう言えば、ジョーがこの家に来てから、来るのは初めてだ。
『ジョーの奴おばさんに何か言われたかな?』
対面や家名を重んじる南部の母親が、ジョーを引き取ったことに対して、好感情を
抱いてないどころか、反感持っていることは容易に想像できる。自分自身も胡散
臭い奴と思われている事を重々知っている島田は、昨晩は出掛けて、南部の母
親との夕食を逃れたのだから。
『まあ、おばさんも今日は帰る事だし、誕生日ももう直ぐだし、ジョーの機嫌もその
内直るだろう』
そう考えて、彼はジョーの誕生日が今週の日曜日だという事を、思い出した。
「同じ日だな・・」
島田の口から漏れた言葉を南部が聞きとがめた。
「何がだね?」
「いや、ジョーの誕生日が今度の日曜日でしょう」
「ああ、見合いは残念な事に昼間らしい」
南部の口調はかち合ったら、こちらを優先すると言わんばかりだ。その態度が母
親の癇に余計障るのだろうが、これに関しては島田としても大いに納得出来る事
であった。

島田が胸焼けに耐えている頃、健は思いがけない人物をスクールバスに見つけ
て、目を丸くした。
「ジョー、どうしたの?」
驚きながらも嬉しそうに、ジョーの隣に腰を下ろす。
「別に・・」
返って来る答えは相変わらずぶっきらぼうだが、健は気にならなかった。取り留め
の無い話を、窓から外を見ているジョーに話し掛ける。それにジョーは「ああ」とか
「うん」とか余り気の入っていない返事を返した。
「ジョー、今日変だよ。何か有ったの?」
ジョーが好きなバスケットチームの昨晩のゲームについて話しても、その調子なの
で、健は「熱でも有るの?」と、ジョーの額に手を当てた。神妙な顔をして、チェック
したが熱は無さそうである。
「健」
いきなりじっとそのアクアマリンの瞳で見つめられて、健はドキッとした。
「何、いきなり」
「お前のパーパは博士と親友だったよな」
「うん、お母さんがそう言ってたよ」
「お前のパーパは結婚したのに、何で博士はずっと独身だったんだ?」
「そんなこと僕は知らないよ」
そりゃあそうだ。ジョーは自分の質問の馬鹿さ加減に呆れた。朝飯抜きなのがい
けないのか?思考回路がマイナスに成っているのか?どうも頭が正常に働いて
ないらしい。怪訝な顔の健を他所に、ジョーは又物思いに沈んだ。

学校から帰ってくると南部の母親の車は消えていて、ジョーは昨晩からの重い気
分が少しはマシになるのを感じた。それでも南部の母親が言っていた、自分が厄
介者という感覚は付いて回っているのだが、本人が居なければ、面と向かって嫌
な表情を浮べられる事も無い。
車から降りて使用人に礼を言うと、彼は玄関を入った。
「お帰りなさい。ジョー」
家政婦のマーサがエプロンで手を拭きながら、彼を出迎えた。
「朝食を食べなかった上に、ランチを忘れていきましたね」
叱られたようにジョーは首を竦めたが、マーサの目は怒ってなかった。彼女にして
も南部の母親は大の苦手なので、ジョーの気持ちは分かり過ぎるほど分かってい
た。
「クラブもしてきたのならお腹が空いたでしょう?直ぐに夕飯にしますか?」
「博士は?今日は遅いの?」
「さっきお電話が有って、今日は遅くなるそうですよ。先に食事を終えて、お寝みな
さい」
「島田も博士と一緒に帰ってくるの?」
今日は島田に、銃の撃ち方を教えてもらう事になっている。
「島田さんは他の方と交代して、夕飯までには」
話を遮るように車のエンジン音がして、島田の車が入って来た。
「島田」
ジョーの声に、島田は車の中から手を振った。
「今帰ってきたところですか?」
ジョーが未だリュックを肩に掛けたままなのを見て、島田が尋ねた。コクリと頷い
て、ジョーは島田が車から降りてくるのを待った。
「今日は銃の撃ち方を教えてくれるだろ」
「ああ、そうでしたね」と、頷いて、島田はジョーの頭を軽く小突いた。
「なんだよ?」と、言う顔をするジョーに、
「あんた、自分だけ朝食をパスして、逃げましたね。お陰で俺は二人前朝食を食べ
させられて、午前中ずっと胸焼けしてましたよ」
「俺、お前に俺の分を食べろなんて、言ってないぞ」
「作ったマーサが可哀想でしょうが」
島田に言われて、ジョーは表情を変えた。彼は怪我をして動けなくて、言葉も話せ
なかった時に、ずっと世話をしてくれていた家政婦が大好きなのだ。マーサの元に
駆け戻って行くジョーの後ろ姿を見送って、島田は煙草に火を点けた。
「これ位からかってもいいよな」
マーサがジョーを叱るわけが無いのが分かっているので、ちょっとした胸焼けのお
返しをさせてもらった。が、家の中に入った島田は、反対にマーサに怒られた。
「つまらない事を言って、子供を苛める人が有りますか、いい年をして」
自分の母親ほどのマーサに言われて、島田は苦笑いをするしかなかった。マーサ
の豊かなヒップの後ろからジョーが顔を覗かせてニッと笑った。
『この小悪魔め』
島田の想いは勿論言葉には成らなかった。

3

「島田、幾つ位になったら独りで生活できる?」
夕食後、地下の射撃場で、ジョーはリボルヴァーに弾を装填しながら訊いた。
「え?何か言いましたか?」
島田はヘッドフォンをずらして、もう一度聞いた。
「何歳になったら此処を出て、独りで暮らせるんだ?」
「あんた此処の暮らしが嫌なんですか?」
「そんなんじゃないけど・・」と首を振って、ジョーは装填し終えたリボルヴァーを的
に向けた。銃声がして、全弾を撃ち終える。島田の教え方が良いのか、天性のも
のか、ジョーは射撃が上手かった。マーサは子供に銃を教えるのを快く思っていな
いが、南部は案外すんなりと訓練を許した。射撃を習いたいというジョーの思惑
が、両親の仇を討ちたいということなのを、どう南部が思っているのか島田にも分
からないが、彼自身はそれもまた、
ジョーがジョーで有る為に必要な事かもしれないと思う。
「じゃあまた何で?」
「だって俺厄介者だし。博士が結婚して、本当の子供が出来たら邪魔だろ」
「博士が結婚したらねえ・・・」
さて、南部にその意思があるかどうかが不明なのだが。南部は若くして、頭の固く
て、伝統やらばかりを重んじる学者の世界でその台頭を表し、自分の所属する
ISOでも、既に確固たる地位を築いている。実家が資産家だったことも有るが、他
の学者と違って経済にも明るいのか、自分自身の資産も学生の頃から豊かだっ
た。権力は有る。財力も有る。その容姿も十分である。女にもてないわけは無いと
思うのだが、行動を殆ど一緒にしている島田が知る限り、現在付き合っている女
性は居ないようだ。まああの母親の言う事を聞いて、お見合いでもして身を固める
なら、別だが・・
「当分はその心配は無さそうですけどね」
今朝の苦虫を潰したような顔から想像するに、今回の話も南部の気には入らない
様だ。
「でも博士のマーマは博士が結婚するって言ってた」
「あのおばさんが縁談を持ってくるのは、何時もの事ですが。あんた博士とおばさ
んの話を立ち聞きしましたね」
「・・・俺の名前が出たから、つい聞いちゃたんだ」
もう練習する気も無いらしく、ジョーは備え付けの椅子に腰を下ろして、両膝を胸に
抱えた。膝頭に顎を乗せて、視線を彷徨わせている彼の横に、島田も腰を下ろし
た。
「俺の見たところでは、博士は当分結婚する意志は無さそうですよ。無理やりお見
合いの日取りだけは決められたみたいですけど。博士だってあの年で、何もかも
母親の言う通りにはならないでしょうしね」
「・・・だけど、マーマの言う事は聞いて、大事にしてあげないといけない」
膝に額を押し付けたジョーに、島田は拙い事を言ったと後悔した。逆らうべき母親
や父親が、彼にはもう無いのだった。ああ、それでなのか・・南部の母親に冷たい
目で見られて、無視をされていても、普段のジョーには珍しいほど、大人しいいい
子で居たのは。自分の所為で南部が母親と気まずく成らない為。
「でも、その為に博士は自分の意思を曲げなければ成らないんですか?大丈夫、
博士もきっとおばさんのことを考えてますよ」
「うん」と、頷いて、ジョーは立ち上がった。もうかなり夜も更けている。そろそろ寝
ないとマーサに叱られる。
「ところで島田」
「何ですか?」
「お見合いって何だ?」
「ああ、あんたの国にはそんな面倒なものは無いんですね。お見合いっての
は・・・」
階段を昇りながら、島田はジョーにお見合いについて説明してくれたが、それには
大きく彼の主観が混入されていた。

4

翌日健は朝からご機嫌で、何時もにも増して明るい笑顔を振り撒いている。彼の
隣の席についてコミックを開いていたジョーが、横目で窺っていると、暫くはきりっ
と真剣な顔になるが、又その口元が幸せそうに緩む。何がそんなに嬉しいんだ
か、傍で見ていると釣られて微笑むと言うよりは、こいつ大丈夫か?と問い質した
くなるほどだ。
「健。お前どうかしたのか?」
仕方無しにジョーが尋ねると、健が満面の笑みをジョーに向けた。
「今度の日曜日、バスケの試合だろ」
「ああ」とジョーは頷いた。先週メンバーが発表されて、健とジョーはまだ4年生だ
が、その実力からメンバーに選ばれていた。
「メンバーに選ばれたのがそんなに嬉しいのか?」
「ううん」と、首を振ると、健の長い髪が一緒に揺れて、「女の子のように可愛い」と
誰にも言われる顔を軽く叩いた。
「お母さん最近具合が良いから、試合を見に来られるんだって」
「へー」と答えて、成る程とジョーは納得する。健の母親は病気がちで、しょっちゅ
う入退院を繰り返している。母親が入院している間は、健は何時も南部の所に預
けられているのだが、母親の容態が比較的落ち着いているらしく、最近は来てい
なかった。
母親が試合に来られる事を素直に喜んでいる健を見るのは辛くないはずが無かっ
たが、彼女が入院している時の、健の寂しさもジョーには分かっていてので、彼は
何も言わなかった。
「ジョーは?博士は見に来るんでしょう?」
「・・・博士は忙しいから駄目だと思う」
昨日島田がお見合いについて説明した後、南部のお見合いは今度の日曜日だと
教えてくれた。今度の日曜日午前11時から。「大体は飯を食いながらするんです
よ」と島田は言っていた。午前11時。丁度試合が始まる時間。「そうか・・」と俯くジ
ョーに、「大丈夫。夜の誕生日パーティまでには、きっと帰ってきますよ」島田は、
ジョーが誕生日のことを気にしていると思ってそう言った。
「あれ?でもジョーの誕生日だよね」
「マーサがパーティは、夜遣るって言ってた。健のマーマも来るだろ?」
「そう言っていたよ。ジョー、誕生日のプレゼント何が欲しい?」
「う〜ん。S&W357マグナム・・ナイキのバッシュウ・・デカイ犬・・・ガールフレン
ド・・・独りで暮らせる年齢と金」
「は?ジョー、僕のお小遣いで買えるものにしてくれる?それに何最後のは?」
「何でも無い」
年を取るのが遅すぎるよ。未だ10歳なんて・・・

「ああそうですか。それは何よりですね」
扉を開けてオフィスに入ると、南部は誰かと電話中だった。仕方無しに島田はソフ
ァーに腰掛けて、電話が終わるのを待った。南部の表情が穏やかなことから推測
するに、仕事関係や、恐ろしい母親相手では無さそうである。
「ええ、日曜日の6時から」
「・・・いや、私は聞いていませんが」
「そうですか。では日曜日に」
電話を切った南部は、眼鏡越しに島田をチラッと睨んだ。
『おや、俺何かしでかしたっけ?』
南部が口を開くまでの10秒間ほどの間に、島田の脳裏を数々の事が過ぎった。
「島田」
「何でしょう?」
「君はジョーにお見合いの話をしたね」
「しましたが何か?ジョー、おばさん、いや博士のお母さんの用件は知ってました
よ」
「・・・じゃあ、あの時ジョーは聞いていたのかね?」
「ジョギング後、タイミング良く」
「なんて事だ」と言わんばかりに額を押さえて、島田の向かい側に腰を下ろした。
「だから内緒にしていたのだな」
「何を?」という島田の問いかけには耳を貸さず、南部は電話を取り上げた。
「で、俺を呼んだ用は何なんですか?」
「今日は早く帰る。途中買い物に寄るが、君はどうするかね?」
「・・・・お供します」
デパートは嫌いだが、仕事上そう言わないではいられない、損な島田であった。

5

日曜の朝ジョーは何時ものようにジョギングを済ませて、身支度をするとマーサに
「健と約束をしているから」と言って、家を出た。
ポーチで二階の南部の部屋を見上げると、未だカーテンが引かれたままだ。
『博士の奥さんになる人はどんな人かな?』
島田の言うお見合いというのが、どうもジョーにはピンと来ない。そうした結婚で、
人はずっと愛し合っていけるものだろうか?
「上流階級は家柄の釣り合いや、資産とかを重視するものなんですよ」と、島田は
言ったが、実のところジョーには南部が資産家なのか、上流階級なのかも分から
ない。だが、そうだとしたら、随分と窮屈な暮らしである。自由に恋人を選べないな
んて、絶対変だ。博士が選んだ人が俺を嫌いなら、俺は何時でも出て行くけど・・
カーテン越しに動く影が見えて、ジョーは自転車に飛び乗ると、後ろも見ないで走
り出した。

ウォーミングアップが終わって、試合は時間通り始まった。
時折観客席を窺う健の視線の先には、彼に良く似た母親の姿が在る。彼のキラキ
ラと輝く青い瞳は母親譲りだ。病気がちの所為でその頬は痩せて、青白かったけ
れども、健の母親は美しかった。
「健のマーマは綺麗だな」
試合前にジョーは健にそう言った。
「うん、僕もそう思う」
ちょっと照れて言う健に、彼は「お前にそっくりだ」と、続けた。
自分は両親のどちらに似ているのか、ジョーには分からない。彼の手元には一枚
の写真も残っていない。両親の顔は何時か記憶の向こうで、ボヤケしまうだろう。
「お前マーマを大事にしろよ」
ジョーは健が羨ましくて、そう言った。
「・・・分かってるよ」
ジョーの意図が分かったみたいに、健が微笑んだ。

前半が15分程過ぎた所で、健がマンツーマンで付いていた相手の選手に、足を
引っ掛けられて、コートに倒れた。
「健!大丈夫か?」
駆け寄るチームメートに、大丈夫と頷いて健は立ち上がった。心配そうな母親にも
笑いかける。そして、健は自分の隣に立っていたジョーの肩を掴んだ。
「・・・?何処か傷めたのか?」
ジョーの言葉に首を振って、観客席を指差す。健の視線の先には南部と島田の姿
が在った。南部は健の母親の横でジョーに向かって手を振った。
「博士?何で?」
ジョーの凝視に南部は頷いた。隣では島田が肩を竦めている。
『俺未だあの家に居ても良いんだ』
ジョーは自分の表情が誰にも見えないように俯いた。暫く見ていた健が、ジョーの
手を引っ張った。
「未だ試合中だよ」
ジョーは顔を上げて、頷いた。

「島田今のジョーのシュートを撮ったかね?さっきの健のは?」
「博士俺の右手はカメラのシャッターを切るためでなく、銃を握るために有るんです
が」
「あ、今のは撮ったかね?」
「文句を言うなら、自分で撮って下さいよ」
「自分で撮影したら、試合が見られないだろう」
『じゃあ、俺は見られなくても良いのか?』
まあ良いか・・今日は面白いものを見せてもらったし・・島田は笑いを噛み殺した。
見合いの席で、開口一番「自分には養うべき子供が居て、彼と離れて暮らす気は
毛頭無いし、それが納得できない者と結婚する気も無いと」言ったときの、南部の
母親の顔は見物だった。真っ青になって次には真っ赤になった。
もっと観察して居たかったが、南部がそれだけ言うと、踵を返してしまったので、島
田もそこを後にするしかなかった。
「島田!」
「はいはい。撮ってますよ」

6

誕生日のプレゼントは・・健からボードゲーム、健の母親からバスケットシューズ。
(健が情報を提供したのか、ナイキだった)博士からはゴールデンレトリヴァーの子
犬。何で俺が犬を欲しがって居たのが、分かったんだろう?
ジョーは半袖のTシャツとショートパンツに着替えて、部屋を出ようとした。ベッドの
横で伸びをする子犬に、笑いかける。
「お前も来るか?」
子犬は「ワン」と、一声吠えて付いて来た。
何時ものコースを走って、海岸で息を整える。見上げる子犬を抱き上げた。
「この犬は君の物だから、君が責任を持って世話をする事。この犬が居る限り君
はこの家に居て、世話をしなくてはいけないよ」
博士はそう言って、ジョーの肩に手を置いた。ジョーが「はい」というまで彼の手は
そこに在った。
去年の誕生日は最悪だった。両親と迎える誕生日はもう来ない。でも、俺は未だ
一人ぼっちじゃない。

ジョギングを終えて帰ってくると、ポーチに人影が在った。
「あんた何処まで行ってたんですか?遅いですよ」
煙草を吹かしながら言う島田は、かなりの時間自分を此処で待っていたのか、寒
そうに剥きだしの逞しい腕を摩っている。
「何でこんな所で待ってるんだよ」
「あんたに誕生日プレゼントを渡そうと思って」
「S&W357マグナム?」
「あんたには未だ10年早いです!」
と、言って島田はジョーに写真を手渡した。六ッ切りサイズのそこには、試合中に
南部を見つけた自分の顔が写っていた。照れたような、べそをかいたような・・・
「あんたのべそをかいた顔なんてそう見られるもんじゃ有りませんから、記念に」
写真の中の自分は不細工だ。でも幸せそうだった。
「島田」
「何です?」
「Thanks」
島田の背中に顔を埋めて、やっと聞こえるような声でジョーは言った。
『おっ、可愛いじゃないか』
島田は意外に思った。
「でも、お前写真は下手糞だな」
「俺はボディガードで有って、カメラマンじゃ有りません」
玄関を入っていくジョーの後ろ姿を見送って、島田は煙草の残りを片付けた。中で
吸うとマーサが五月蝿いのだ。
『やっぱ、可愛くないや』
火を消した煙草を手に、彼も玄関に消えた。

The End


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