密やかな午後

by Kiwi



「二人の様子を見て来てくれないかね?」と雇い主は言った。島田は眉を片方だけ器用に
上げて、雇い主である南部を見た。
「養い子達が心配で?それだけで貴方は俺を彼らの所に行かせようとするのですか?」
愚問だから、口には出さなかった。SPの自分が何故又護衛すべき人物の元を離れて、彼
らの訓練を見に行かなければならないのか・・。
「直ぐに行きますか?」
「今から行けば午後早々には着けるだろう。何なら其の儘今日はあちらに留まってくれて
も良い」
留まって何をすれば良いんだろう・・。島田は密かに天を仰いだ。そう思いながらも少し
だけ高まる想いが有るのは、久し振りに見るあいつの所為だろう。南部の元を辞した島田
は愛車のキイを取り出した。
二人の居る訓練所まではISOから車で二時間ほど。これは島田の運転でであって、公式に
は三時間と言われている。其処へは最初の日に南部共々二人を送って行った。職業柄、カ
ーナビは必要無い。一度行けばロードは頭に入る。多分地図を見るだけで島田は記憶出来
る。眩しい光を避けて、彼は濃い色のサングラスを掛けた。それだけで、彼の持つ雰囲気
が一層険しくなる。それは自分の身に染み付いたカモフラージュだった。薄く浮かべた口
元の笑みだけで、グラス越しの意外に柔らかな彼の瞳の変化を窺い知れる者は居ないだろ
う。只二人を除いて・・。巧みに操られるハンドルで彼の車はモーターウェイを走り抜け
て行った。

軽く口を綻ばせて眠りについている健を、立花は起こさない様に注意深く抱き上げるとベ
ッドに寝かせた。午後の眩しい日差しを、ブラインドを細めて避ける。泥だらけのスニー
カーを脱がしたら、それに反するような白いソックスが現れた。本来なら気にする筈の汚
れたTシャツも、何故か其の儘ベッドに寝かせるのを躊躇わせなかった。枕に広がる濃い
茶色の髪にも、所々泥が跳ねている。
「ベッドでなく、床に寝転んで眠り込んだのはこの所為かな?」
白い顔にまで跳んだ泥を指先で、拭ってやった。
「それにしても気に成る・・。さっきの寝言は何なんだ?」
尋ねてみるが答えは無くて、只幸せそうな口元が今度は違う名前を呼んだ。
「・・ジョー」
「こらこら、偶には俺の名前を呼んでくれよ」
何となく面白くない。立花は白衣のポケットから煙草を取り出して口に咥えた。火を付け
るなり其れを横から取り上げられた。視線を向けると、何処から入って来たのかジョーが
煙草を横取りして咥えている。
「こら、未成年だろ!」
咎める様な立花の言葉に、彼は視線を少しだけ上げて答えた。
「立花もセームと同じ煙草なんだ。メンソールって、男は駄目なんじゃなかった?」
茶化したように言う、ジョーの枯葉色の髪にも泥が跳ねている。健とは違う色の肌にも、
健と同じ様に泥が跳ねていた。
『健は泥が着いていても綺麗だが、こいつは反対にこんな出で立ちが良く似合うな』
ショートパンツから伸びた長い脚は、健と違って裸足だった。スニーカーは何処かに放っ
て来たようだ。汚れたTシャツが、健康的な肌の色に跳んだ泥が、少し野性味の有る顔立
ちを一層映えさせて・・そう、何処か野生の獣に見えた。
「健は?」
一回だけ吸った煙草を立花に返して、ジョーは尋ねた。
「ベッドで寝てるが、用事か?」
「いや・・。訓練がきつかったから、疲れたんだろう。お前が良かったら、其の儘寝かし
て置いて遣れよ。今日の訓練はもう終ったし・・」
「・・健は疲れて眠っているのに、何で君は元気なのかな?」
「健は俺みたいに手抜きをしないからさ」
『あの教官達相手に手抜きをしているのか?』
そんなジョーの豪胆さに立花は驚いた。
「君はセームの処で昼寝か?」
「ドクター用のベッドの方が寝心地が良いからな・・」
呟いていた言葉が途切れて、ジョーの口元が綻んだ。
『おや、こんな表情もするんだ』
自分が入り込んできたブラインドを閉めていなかった方の窓から外を眺めていたジョーが、
窓枠に手を掛けて其の儘身を乗り出そうとする。
「此処は二階だぞ」と、老婆心で声を掛ければ「だから?」と返された。そう言えば彼ら
にそんな心配は要らなかった。綺麗に着地した泥だらけの身体が駆け出して行った。

訓練所の建物は見ても楽しくは無い。建造物としての価値が有る訳でも無いし、其の上此
処の建物はかなり古くて余り機能的とも言えなさそうだ。車をロックした島田は其の儘玄
関を潜ろうとした。其の行く手を正面玄関と自分の間に影が降り立って遮るのを、グラス
越しに島田は眼を細めて見た。反射的に手が上着の下に行きそうになる。
「俺を撃つ気かよ!」
玄関の横に聳えている大きく高い木から、飛び降りて来た影がそう言って自分を見返して
いた。
「あんまり人を脅かすからですよ。いっそ一回撃った方が勉強になるかもしれませんね」
サングラスを掛けた物騒な男の物騒な言葉も、彼には堪えない様ですたすたと自分に歩み
寄って来る。
サングラスを外しながら「久し振りですね」と言うと、「そうか?たかが二週間だぜ」とケ
ロリと返された。自分が思うほど彼はこの再会を喜んでいないのだろうか・・。
「何しに来たんだ?」
「博士にあんたと健の様子を見て来てくれと頼まれました」
「・・・心配性だな、博士も」
「あんたは元気そうですが、健はどうです?変わり有りませんか?」
所々泥をつけて、裸足で立っているジョーを眩しげに眼を細めて見ると、島田は尋ねた。
あくまで職務に忠実な男だ。ジョーは苦笑を浮かべた。
「健は元気だが、今は立花の部屋だ。行かない方が親切ってもんだな」
「・・二人とも元気ならそれで良いでしょう。博士にはそう報告しておきますよ。それで
俺の仕事は終わりです」
「・・それで?」
「そうですね・・・。別に此処ですることも有りませんし、今から帰れば夜になるまでに
帰れますし」
普段の彼からは想像が出来ないほど、はっきりしない。何時もなら「帰ります」ときっぱ
り言い切るところだろうに。
「此処、夜には星が綺麗だぜ」
「それは一見の価値が有りそうですね」
「せっかく来たんだ。泊まって行けば健にも、セームにも立花にも会えるぞ」
最後の二人は余り会えても嬉しくは無い。だが、健の様子を確認するのは、自分の今日の
仕事だと自分に納得させる。少しだけ神経質に眉を寄せて、自分の決断を待っているジョ
ーに、彼は笑いかけた。
「俺の泊まる部屋は有るんですかね?」
「予備の部屋くらい幾らでも有る筈だぜ」
先に立ってジョーが玄関を潜る。其の後に続きながら島田は、『また少し背が伸びたな』と
改めて感じた。

大股で歩いて行く肩先で長くなった髪が揺れている。その背中に「ジョー」と呼ぶと、
「ん?」と振り向いた。
「俺と同じ部屋に今晩は寝ますか?」
「何だ、夜だけか?」
誘った言葉に余裕で返された。こっちも大人の余裕で言ってみる。
「・・シャワーを浴びて、その格好を何とかしたら考えましょう」
「お前の部屋で浴びるよ」
しれっと言うところが憎たらしくて、可愛くて・・苛めてやりたくなる。
「その言葉を後悔しても知りませんよ」
何も答えずにジョーは、島田に宛がわれた部屋の扉を開けた。むっとするような部屋の熱
気に、ジョーが窓を大きく開けて風を入れる。何時もの様に前髪を掻き上げて自分を見返
す彼に、先程の言葉も忘れた様に口付けた。所々泥の跳ねた彼の髪からは、日向の匂いが
する。その香を島田は感じながら、更に彼に回した腕に力を込めた。そして・・。

THE END




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