I never tell you

by Kiwi


会話の終った子機を広いソファに放り投げて、セームは口元に笑いを浮かべた。バスルー
ムから聞こえてくる健とジョーのはしゃいだ声に、その笑いが更に深くなる。
「連絡を入れて置いたから、今夜は此処に泊まって・・明日は夕方までに帰れば良いな。
島田に連絡は必要なしっと」
あいつは別にスタッフでもなければ、二人の保護者でもないのだから・・。セームは長身
を革張りのソファに横たえた。
『今夜はこの別荘の近くに有るレストランに連れて行って、食事をして・・明日は朝から
馬にでも乗りに行くか。二人とも動物は好きみたいだし』
二人の好みは十分に把握している。おまけに邪魔は居ない。降って湧いたようなこの夜に、
セームの笑いは止まらなかった。
「セーム、俺達着替え無いんだけど」
閉じていた瞳を開くと、間近にグレイ掛かった水色の瞳が有った。自分と鼻先が触れ合う
くらいに近付いているその顔に、一瞬ドキッとする。シャワーを浴びたての未だ雫を垂ら
した髪の毛が、自分の頬に冷たく触れた。
「ああ、着替えね」
言いながら起き上がってジョーを見ると、何も身に纏っていない。
『何て嬉しい格好を・・・。じゃない、眼の毒の格好をしてるんだ』
「ジョー、幾ら着るものが無いからって、素っ裸で出てくることは無いだろう」
「良いじゃないか、男同士なんだから。バスローブを置いている処も分からないから呼ん
だんだけど、お前返事しなかったじゃないか」
自分がすっかり自分の考えに没頭していたことを、セームは今気が付いた。
「バスローブね・・」
立ち上がって彼は、クロゼットから真新しいローブを二枚出すと、ジョーに渡した。
「着替えは買って来たよ、さっき寄った店で」
ジョーでも知っている高級ブティックのロゴが入った紙袋を、セームは続いて彼に渡した。
「セーム。俺達、こんなの買うほど金無いぜ」
紙袋を抱えて、困った様にジョーがセームを見た。
「これは俺の奢り。パジャマも入ってるよ。その代わり今晩と明日一日付き合ってくれ
る?」
「明日は・・」
言い掛けて、唇を噛む。
「何か予定が有った?」
「いや、何処に連れて行ってくれるんだ?」
「馬に乗りに行かないか?近くに乗馬センターが有るよ。初心者でも大人しい馬が相手だ
から大丈夫だよ」
「馬!行きたい」
瞳を輝かせたジョーに、セームは心の中でブイサインを出した。
「馬、好きかい?」
「ああ。昔、島で乗ってた」
『それはつまり両親が生きていた時ということか、それはもしかして拙かったかな』
だが、その思いは嬉しそうなジョーの顔で打ち消された。
「明日、絶対だぜ」
「OK。そんな格好でいたら風邪を引くよ。もう一度ちゃんとシャワーを浴びてバスロー
ブを着るんだよ」
主治医らしく釘を刺して、セームは些か残念では有ったが、ジョーをバスルームに追いや
った。ジョーから話を聞いたらしい健の歓声を耳にして、又セームの顔が緩んだ。
『両手に花だ』
「それにしても、何か明日有りそうだったな、ジョーは」
もしかして島田と約束でも有ったかな?チラリと浮んだ懸念をセームは涼しい顔で、頭の
中のゴミ箱に投げ捨てた。
「俺は何にも知らないものな、明日の事は。選んだのはジョーだし」
漸くバスローブを身に纏って出て来た二人を、セームは嬉しそうに迎えた。

「Dr.セーム」と何時も礼儀正しい健が、セームを呼んだ。
「何?健」
「俺達、今夜本当に訓練所に戻らなくて、良かったんですか?」
「ちゃんと連絡は入れて置いたよ、立花に。教官には奴から連絡が行くと思うし、問題は
無いと思うけど」
「それなら良いんですけど」
レストランから戻って来た三人は、只今広いリビングルームでセームのコレクションの映
画を鑑賞中だった。セームの別荘が有る辺りは、初夏でも夜にはかなり冷え込んで来る。
火を入れた暖炉の前で、夫々がソファの上で身体を伸ばしていた。
「セーム、キッチン借りても良いか?」
起き上がってジョーが尋ねるのに、セームが怪訝な顔をした。
「良いけど、どうして?お腹が空いたの?」
「ココア、作ろうと思ってさ。健も飲むだろ?」
「うん。ジョーのココアは絶品ですよ、Drもどうですか?」
「俺は遠慮しておくよ。でも、ココアなんて有ったかな?」
「有るんじゃないか、それ位」
「子供が居ないからなあ、此処には・・」
先に立ってキッチンに入っていく二人に、セームも付いて来た。
「自分の別荘なのに分からないんですか?」
「何時もは使用人が居るからなあ・・」
「あれ?そう言えばその人達は?」
「いやあ、丁度休みと重なって・・」
立花と島田が聞いたら、張り倒されるような見え透いた嘘だった。
「有った!」
独りで棚をゴソゴソと探していたジョーが、目的の物を見つけ出した。
「じゃあ、俺はブランディで付き合おうかな」
「グラスは?」と辺りを見回していると、健が、グラスがきちんと仕舞われているキャビ
ネットから取り出した。完成したココアをマグカップに注いで、ジョーが一つを健に手渡
す。
「マシュマロも有ったぜ」
ジョーがマシュマロの入った袋を、暖炉の前に座った健の抱えた膝に放り投げた。
「マシュマロ?」
「暖炉の火で焼いて、ココアに入れるんだ」
暖炉で焙ったマシュマロを、ジョーは自分と健のカップに入れた。一口飲むと甘さが口一
杯に広がる。
「美味しいね」
「・・だろ」
大型テレビの画面ではアクション映画。其れを見ながらココアを啜っている二人を見て、
セームは至極幸せだった。
『明日帰らないと駄目かな・・。何か口実は無いものかな』
その夜のブランディは何時もよりも美味だった。
「ジョー、島田さんに連絡しなくても良いの?Dr.絶対にしてないと思うよ」
小さく耳打ちした健に、ジョーは鼻を鳴らした。
「あいつに連絡なんてしなくても良いさ」
「明日、約束が有ったんじゃなかった?」
「あいつだって約束を破ったんだ。俺が破ったって良いだろう」
「ジョーがそれで良いなら、俺は良いけどね」
ココアを飲み干しながら、健の瞳がチラリとジョーを窺った。けれども、ジョーはそれに
は気が付かない振りをした。


健が選んだのは、純白の馬だった。大人しい性格らしいその馬は、健を見ると鼻面を彼の
頬に押し当てた。
「可愛い・・」
馬の首を撫でながら健が感想を洩らす。
「健は乗馬の経験は無いんだよね」
セームの言葉に彼は頷いた。
「初めてですけど、難しそうですね」
「大丈夫、良く調教されているから。インストラクターの教えてくれる事を良く聞いてね」
「はい」と素直に頷く健を見ると、やはり可愛いな・・と思う。流石に面食いの立花が気
に入るはずである。でも、やっぱり俺は・・と辺りを見回して、もう一人を探した。
「ジョー、もう馬は選んだ」
声を掛けると、枯葉色の髪の毛が揺れて此方を振り返る。
「俺、こいつが良い」
厩舎の中に繋がれている黒馬を指差して、彼は言った。ジョーが指差した黒馬は、セーム
から見ても良い毛並みだった。その分懐いていない人物を素直に乗せてくれなさそうな眼
差しが、誰かを連想させた。
「これは初心者用じゃないと思うけど・・」
「こいつが良い。・・駄目か?」
少し上目遣いに見られると、自分の中の自制心が少し揺らぐ。
「・・・昔乗っていた馬に似てるんだ」
印象的な瞳を細められると、仕方が無いと、インストラクターに歩み寄る。
『いかん。あんな眼で見られたら、グラリと来る』
足早にインストラクターに近付きながら、彼は溜息を付いた。

「あれ?あれは島田の車だよな」
研究室から玄関に止まった車を見て、立花は首を傾げた。
「あんな所で何をしてるんだ?」
口に出してから、自分の迂闊さを笑った。何をして居るも、ジョーがらみで無ければ、彼
がこんな所に来るはずも無かった。が、当人のジョーと健は昨晩セームの別荘に泊まって
から、未だ帰って来ていない。
『セーム、遣ったな・・』
こいつは楽しみ。島田は一体どうするだろう・・。一見軟弱そうに見えるセームだが、彼
も又一筋縄では行かない変人だ。この対決はコブラとマングースよりも面白いかもしれな
い。自分の変人さは棚に上げて、立花は島田がセーム達の到着まで居ることを切に願った。
島田は職業柄、時間にルーズな人間は大嫌いだ。それでも彼には珍しく、車の中で5分待
った。続いて、煙草を吸いながら車の扉に凭れて5分。彼としては破格とも言える10分
が経過した時、彼は運転席に戻り掛けて、辛うじてその歩みを止めた。
「訓練の関係かも知れん」
咥えていた煙草の火を踏み躙って消すと、彼は訓練所の玄関に向かった。
「今日の島田は我慢強いな。これが部下だったりしたら、最初の2、3分で帰ってるとこ
ろだよな」
面白そうに島田が消えた先を眺めていた立花は、まさかその矛先が自分に向けられるとは、
思ってもいなかった。だから、低いその声が背後でした時には、彼は不本意ながら、飛び
上がった。
「立花、セーム達は未だ戻らんのか?」
「昨夜はセームの別荘に泊まるって連絡が有ったけれど。今日は未だ何も連絡は無い」
「昨晩の事は下で聞いた。今日は早くに戻る予定だったそうだが」
「せっかく別荘まで行って、只泊まるだけで帰るのは勿体無いからゆっくりしてくるんじ
ゃないのか。今日、明日は訓練も休みだし」
自分の言葉に少し苛立ったように島田が、眼を眇める。まさか是位で銃を向ける筈も無い
事は分かっているが、それでも島田の右手が上着の辺りを滑ると、ドキッとする。
『全く心臓に悪い奴だよな・・。セームもいい加減にしないと痛い目に遭うぞ』
思いながらも、島田をからかう絶好のチャンスを逃す気はしない。
「で、今日は何の用?又博士に偵察を頼まれた?」
「訓練が休みの時は、外泊も可だと言うんでな」
それは確か。多分セームが態々健とジョーの訓練に同行したのは、その辺が狙いのはず。
そういう面ではセームは流石に抜け目も無ければ、場数も踏んでいる。
「ジョーがそう言ったのか?つまり今日明日は外泊でデートの予定だったわけだ。でも、
ジョーから何も連絡は無かったのか?今日お前が迎えに来ることを知っていたんだろ」
「今日午前10時に来ると言って置いた」
すっぽかされたのか、是は面白い。心成しか落胆している様に見える島田は、初めて見る。
「お前ジョーに何かした?」
質問に、眇めた眼が更に鋭くなる。
『おや、心当たりが有るのかな』
「・・まさか、あれ位で・・。いや、あんな風で結構約束事には煩いから・・」
口の中でブツブツと言っているのが、面白い。こんな面白い島田は、初めてだ。立花は何
かを企む時の癖で、ニコリと笑いながら島田に言った。
「もう直ぐ帰って来るだろう。ゆっくりしていったらどうだ?」
こんな事を言う立花は初めてだ。何処か空々しいものを島田は感じていた。だが、彼は頷
いた。
『此処で機嫌を損じた儘だと、後々面倒だ』
つむじを曲げたジョーは中々厄介な存在なのだ。

昼食も終わり、午後遅くになって漸くセームの車は訓練所の門を潜った。凭れ掛かった窓
から覗いていた島田が、手にしていた煙草を灰皿に押し当てた。堆く積まれた吸殻に立花
が呆れた様に眼を遣った。殆どが長いまま其処に捻り付けられている。続いて又咥えよう
とした新しい煙草を、彼は火を点けることなく、今度は指先で捻り潰した。日中かなりの
気温になるこの季節でもキチンと着ているダークカラーのスーツの背中が、ピンと張り詰
めたのに、立花は息を呑んだ。
先に車から降りた健が反対側の扉を開けると、セームが降りて来たジョーに手を差し出す。
瞬間それに頭を振って拒否したジョーを、セームは軽く抱き上げた。島田の手の中で、煙
草がボックスごと握り潰された。
「邪魔したな」
のそりと立ち上がった島田に、立花も続いて部屋を出る。
『こんな面白い物を見逃して堪るか』
嫌そうに此方を見る島田に、例の笑いを浮かべてみせる。それに鼻を鳴らして、彼は大股
で外に出た。
「良いって言ってるだろう」
「患者は主治医の言う事を聞くもんだよ」
自分の腕の中で暴れるジョーを、セームが押さえ付ける。
「どうしたの?」
立花が尋ねる横で、島田は苦虫を潰している。「主治医」と言われたら、如何に彼でも口を
挟むのは差し控えているのだろう。
「Dr.セームに乗馬に連れて行ってもらったんですけど、ジョーが落馬して・・」
「ちゃんと受身をしたから、何処も傷めてない!」
健が言葉を繋ぐのを妨げて、又暴れ出したジョーが声を荒げた。
「それは検査をしてみないと分からないだろう?検査が終るまでは、俺の監視下だからね」
「歩けるから降ろせって、言ってるだろう」
「こんな絶好のチャンスを逃すような事をすると思う?」
「主治医の手を煩わすことは無い。俺が運ぶが」
進言と言うよりは脅迫に近かい島田の言葉を、セームは気に留めなかった。
「博士のSPの手を煩わすことは無いよ。大丈夫、こう見えても力は有るんだ。・・君ほど
じゃないけどね」
「降ろせよ、セーム!」
「ジョー、あんまり暴れると降ろすんじゃなくて、落とすよ。俺は島田じゃないんだから」
訓練所に入って行く、セームの背中を見送って、立花が率直な感想を洩らした。
「島田・・君相当ジョーを怒らせたんじゃない?」
「何時ものジョーなら、Dr.セームに運ばれるよりは、島田さんを選びますよね」
追い討ちを掛けるような健の言葉に、島田は煙草を探して、先程自分が箱ごと握り潰した
のを思い出した。
「一体俺が何をしたっていうんだ!」
ダークカラーのスーツから怒りのオーラを漂わせて、彼は呟いた。


「あ−、つまり・・先に新作のチョコパフェをハルと食べたのが、ご機嫌を損ねた原因な
のか?」
あまり話したがらない島田が食堂で、コーヒーを片手にポツリ、ポツリと洩らした言葉を
「なーんだそんな事?」と言いたげに立花が締めくくった。
「其れしか思い当たらん」
「でも、たかが其れ位の事であれ程怒るか?何か他にしたんじゃないのか、手荒く扱った
とか・・」
「それ以外には考えられんな。あれであいつは結構約束事には煩いんだ」
「お前も気を付けるんだな」と島田は、向うから着替えを終えて食堂に入って来た健を顎
で示しながら、珍しく忠告をした。
「俺は健を差し置いて、デートなんてしないからね」
「デートじゃないと言ってるだろうが」
噛み付きそうな番犬から十分な位置を確保して、立花は健を手招きした。
「健、ジョーのおかんむりの原因は本当に、チョコパフェなの?」
「まあ、切っ掛けは」
意味有り気な健の言葉に、島田が身を乗りだす。
「切っ掛けはってのは、どういう事です?それにチョコパフェなんて何時でも食えるでし
ょう?何なら今からだって」
「チョコパフェは食べたいですけどね、俺もジョーも。ジョーがあそこまで怒っているの
は、誰かと島田さんが先に食べたということが問題なんですよ」
「あれは偶々仕方なく・・。ハルがオーダーしたいと言うものだから」
「・・ジョーは島田さんの一番で有りたかったんですよ。たかがチョコパフェですけどね。
ジョーってあんまりそういう独占欲を見せないのに、羨ましいな島田さんは」
片肘を付いた手に丸みの残る顎を乗せて、健が呟いた。そんな健の様子に立花は何となく
面白くない。反対に何処と無く島田は嬉しそうだ。
『番犬でも照れるのか』
先程の苦虫を潰したような表情と打って変わった彼の顔を見て、立花は嘲笑った。
「Drセームの診察は未だ掛かるんでしょうか?」
健の問いに、「ああ・・」と立花が反応した。
「長く掛かるんじゃないか、島田が諦めて帰るくらいには」
「それほど長く掛かるのなら、セームの手には余るということではないのか」
「何時ものジョーなら、セームに付け入る隙は作らないはずだけど、可哀想なジョーは島
田に失望しているし、セームにとっては絶好のチャンスかも」
グシャと言う音がして、本日二箱目の煙草の箱が、島田の手の中で紙屑に変わった。
「気に成るなら、見に行けば・・」
無責任な立花の物言いに、島田の手は、今度はテーブルの端を掴む。大して頑丈でも無い
それは、彼の握力で悲鳴を上げた。
「様子を見に行って俺に何をしろって言うんだ。診察室の覗きか?それとも扉の前をウロ
ウロするのか?」
「・・・でも、島田さん。ジョーの誤解を解かないと、いけないんじゃないですか。機嫌
が直らないと、当分ジョーに相手にされませんよ。ジョーって子供の頃から、頑固ですか
ら」
『それは、分かっている』
顔を顰めて、島田は先程買っておいた予備の煙草を取り出して、火を点けた。ジョーは健
に比べると単純だ。いい意味素直で、子供のようだ。その分、一度損ねた機嫌を取るのは
難しい。
「今更、チョコパフェを食べに連れて行っても無駄でしょうね」
溜息を紫煙と共に吐き出して、島田は考え込んだ。
「・・長い付き合いなんだ。対策は幾らでも有るだろう?健、こんな痴話喧嘩をしている
二人は放っておいて、食事にでも行こうか?」
「ドク、俺もジョーの怪我の具合を心配しているんですけど・・」
「大丈夫だよ。もし、本当に具合が悪ければ、とっくにセームが俺を呼んでるよ。外科は、
あいつは専門外なんだから」
「それは、そうですけれど」
「俺達が居ると却って遣り辛い事も有るだろうしね。ちょっと放って置いてやろう」
二人を心配してやる義務は立花には無い。邪魔者無しに健と外出出来る方が、彼にとって
は先決である。そして、其れを止めて、自分達を週末の暇潰しにされるのを好む様な酔狂
な趣味は、島田には無かった。
「健。偶には立花に旨い物をご馳走になったらどうですか?なにしろISOの特殊プロジェ
クトチームのエリートは高給取りですから」
『この間、自分の給料は俺の倍は有ると言って自慢していたくせに・・』
皮肉の心算か・・とも思うが、此処は援護射撃を喜んで受けよう。立花は微笑むと、健に
反論の暇を与えない様に、言葉を繋いだ。
「じゃあ、行こうか」
「・・島田さん、未だ帰りませんよね?」
「俺は今日明日の為に、休暇を取ったんですよ」
「手ぶらでは帰れませんよ」と言う様に、彼は笑った。
その様子に嬉しそうに健が笑った。こっそりと島田に耳打ちをする。
「俺はDrセームも勿論大好きなんですが、島田さんと居るジョーが好きだから、応援し
ますよ」
耳元に寄せられていた健の唇が離れて、島田は口元に笑いを浮かべた。是ほど有力な味方
は、まず無いだろう。自分の正面で何事かと窺っている立花に、彼は態と大層に頷いて見
せた。
「宜しくお願いします」
ピクリと動く立花の目線を完全防御して、彼は残りの苦いコーヒーを飲み干した。
「島田」
立花が口を開きかけるのを、健が止める。
「ドク、食事に行くんでしょう。此の儘で良いですか?」
「ああ。其れほど厳しいドレスコードの店じゃないから。其の儘で十分だよ」
斯く言う自分も、今日は淡いグリーンのサマーセーターにスラックスだ。偶にはキチッと
したレストランも好いが、健との他愛も無い会話と食事を楽しむのなら、もう少しカジュ
アルな方が好い。車のキイを取り出しながら、立花は余裕の微笑だった。
「脂下がった顔をしやがって、覚えて居ろよ」
些か八つ当たりな発言は島田の心の中に、留まった。

「頭は打たなかったよね?」
身に着けていたシャツを脱ぐ様に指示しながら、先に尋ねた事をもう一度セームは確認し
た。それに答えるのも煩わしそうに、ジョーは只頷いた。
「だから、何処も傷めてない、って言ってるだろ」
そう言いながら、シャツを脱ごうとしないのは、自分からその言葉が嘘だと証明している
様な物だ。それは是までの付き合いで十分分かっている。
「ジョー、諦めて早く脱ぎなさい。何なら脱がしてあげようか?」
コンピューターの画面にログインすると、セームの長い指がキーボードに走って、今まで
のジョーのデーターが現れた。
「逐一データーをインプットしなくたって良いだろう」
「これは俺達の義務だからね」
以前、こうして集められた二人のデーターや、コンディションは全てトップシークレット
として、南部の元に送られるのだと聞いた事が有る。
不承不承シャツを脱ぐと、セームの眼が観察するように細められて、左の肩口から二の腕
までの擦過傷と打ち身に止まった。自分の傷を確かめる様に触れてくるセームの指先の冷
たさが、熱を持ち始めた其処に心地良かった。
「擦過傷と打ち身だけで、骨折はしていないね。痛むだろう?」
優しげな問いに頭を振って否定するが、塗られた消毒薬のピリッとした刺激に、自然と眉
が顰められる。外科は専門外のセームだが、包帯を巻く手際は良い。治療を終えると、彼
は直ぐにキーボードにデーターを打ち込んだ。
「あっ、ちょっとシャツを着るのは待って」
「・・もう何処も怪我して無いぜ」
向けてくる視線が少し尖っている。
「マッサージをしてあげるから」
「俺は肩凝りするほどの年じゃない。島田にしてやってくれ。そろそろ年だから」
ジョーの発言に「冗談じゃない」と顔を顰める。あんな奴に触れるのは、金を積まれたっ
て御免だ。
「違うよ、アロママッサージ。アロマオイルは色々な症状に効くんだよ。打ち身にマッサ
ージは出来ないけれど、背中には出来るから。張り詰めた筋肉を解してあげるよ」
セームの説明は分かるようで、分からない。だが、本人はすっかりその気で、作り付けの
棚に備えてある小さな茶色の瓶を手に取っては見、又他の瓶と交換する、という動作を楽
しそうに繰り返している。そんな子供の様の姿を見ると、可笑しい。
「筋肉の痛みに効くのは、ユーカリとマジョラム・・」
幾つか混ぜたオイルの入った小さな容器を診察台の横に置いて、セームはジョーに指示す
る。
「ジーンズも脱いでね。其れから此処にうつ伏せに寝てくれる?」
「背中だけマッサージするなら、ジーンズは此の儘で良いだろ」
「腰椎の下から臀部までマッサージするんだよ。下着も取ってもらった方が良いんだけど」
「男同士だし、良いでしょ」と微笑まれる。
『いや、男同士だけど・・、良いんだけど・・何処と無くセームの嬉しそうな顔が気に成
るんだよな』
少しだけ躊躇って、それでもジョーはジーンズを脱いだ。下着は流石に脱ぐ気はしなくて、
彼は其の儘診察台に横たわった。冷たいシーツが剥き出しの肌に心細い。下半身を覆った
大判のスパタオルが暖かく感じられた。背中に触れるセームの手の感触と豊かな香りが、
意外に心地良かった。彼は静かに目を閉じた。
最初張り詰めていた筋肉から、少し力が抜けた。その様子にセームは口元を緩ませた。滑
らせるオイルがジョーの肌のオリーブ色を濃くしていく。指先や掌に感じられる弾力が、
彼が未だ本当に少年なのだと教えてくれる。
背中のマッサージを終えて下着をスパタオルごと下にずらすと、引き締まったヒップが完
璧な形で現れる。
『幸せ・・』
其処にもオイルを塗りながら、そう思わずにはいられなかった。ゆっくりとマッサージを
すると、固い蕾が見え隠れする。我知らずと視線が其方に向く。それに気付いたかの様に、
ジョーが居心地悪そうに身動ぎをする。
「セーム、もう良い」
言った首筋が少し朱に染まっている。
『可愛い・・』
立花が聞いたら、「物好きな」と鼻を鳴らしそうだが、セームは心底そう思った。だから、
勿体無いなと思いながらも、マッサージをする手を止めた。これ以上続けると、きっと彼
は機嫌を損ねてしまだろう。
「・・有難う。楽になったよ」
俯けて小さく告げる頬が未だ、赤味を帯びている。オリーブ色の素肌を覆うのは、昨晩自
分が用意した些か布地を節約した下着だけ。
『是は或る意味何も身に着けていないより、セクシーかも・・』
アロマオイルの香りに包まれている肌につい手が伸びそうに成る。それを感知したように、
シャツを着られてしまった。
「焦りは禁物」
口の中で小さく呟いた。
「じゃあな」
それだけ言って、姿が消える。閉まった扉に少し惜しそうな眼を向けて、セームは笑った。
「相変わらず素っ気無い」
だが、其処が良いと思う自分は、立花の指摘通り、物好きなのだろう。
『いや、あいつも同じ穴の狢だよな・・・』
「さて、もう一匹の狢は、帰ったかな」
島田がそう簡単に引き下がるはずもないのだが・・。シーツに残る温かみに指を滑らせな
がら、セームは口元に笑いを浮かべた。


診察室を出た途端に嫌な奴に出くわした。だが、そんな表情を見せるのさえも自身の負け
を認めるようだった。だから勤めて自分の行く手を遮るような逞しい身体を無視して、横
をすり抜けようとした。
「ジョー、話が有るんです」
掛けられた言葉さえ、無視した。態と頭(こうべ)を高くして、横を通り過ぎる。
「ジョー」
先程よりも咎めるような声。掴まれた左腕が、悲鳴を上げる。
「ツッ」
其れほど力は込めていない。それなのにジョーは苦痛に顔を歪めて、膝を付いた。その様
子に島田はハッとした。
『左腕を痛めていたのか』
慌てて蹲る肩に掛けた手を振り払われた。見上げて来る瞳の拒絶にたじろぐ。
「助けは要らない」
一瞬自分を睨み付けた瞳が背けられて、彼は立ち上がった。瞳の強さに、立ち去る彼を追
えなかった。
「全てか無か・・潔いねえ」
笑いを含んだ背後の声が癇に障る。島田は、振り向き様声の主をぶん殴ってやろうかと考
えた。しかし敵も然る者、距離は十分に確保している。
「仕事が終ったら、自分のテリトリーに引っ込んでいるんだな」
「患者のメンタル面のケアーも仕事のうちだよ。治療に関与してくるからね」
「患者のメンタル面もケアーしたければ、余計な嘴は突っ込まないことだ」
「君がウロウロする方が余計に感情を逆撫ですると思うが。さっさと自分の塒に帰ったら
どうだ?」
「面白い。俺に喧嘩を売る気か?」
細められた瞳が、セームの顔を鋭く貫く。
「何でも力ずくで無いと解決できないのか?じゃあ、ジョーも抑え付けて言うことを聞か
せたらどうだ?」
「あいつにはそんな手は効かん」
吐き出すように呟く言葉は苦味を帯びている。
『おや、本当に困っているようだ。良いぞ』
自分の絶対優位を、セームは信じて疑わなかった。壁に凭れているセームに島田は一歩近
付いた。さり気無く退路を断つ様に、彼の顔の横に両腕を付く。
「断っておくが、ジョーがお前を選ぶのなら、俺は構わん。だが、其れまで余計な嘴は突
っ込むな。・・自慢の顔を潰されたくなければな」
低い声で告げると、島田は彼に背を向けた。其の儘大股で歩き去る背中を見送って、セー
ムは止めていた息を吐き出した。
「ぶん殴られるかと思った・・・」

訓練生に与えられているのは、狭いけれど一応個室だ。作り付けの狭いベッドで膝を抱え
ると、ジョーは溜息を付いた。昨晩はそれなりに楽しかった。セームの別荘は南部の物と
同じくらい大きくて、居心地が良くて・・。連れて行って貰ったレストランも、決して堅
苦しすぎず、かと言って自分たちのような子供が気軽に行けるような物でもない。味の方
も申し分なかった。自分たちの好みを全て熟知しているようなセームは、話題も豊富で、
退屈させない。用意された衣類は単に高級品というだけでなく、二人の趣味にもサイズ的
にも、ピッタリだった。だけど・・。
『どうしてセームじゃ駄目なんだろう』
洗練された英国紳士然としたセームの扱いよりも、何処か不器用な男臭い島田の扱いに安
心を覚えるのは、やはり自分が未だ子供の所為なのだろうか?セームに触れられるより、
抱き締められるより、島田の方が温かく感じられるのは・・。
「でも、当分許してやらないからな!」
そう肩肘を張りながら、脳裏に浮ぶちょっとした不安。
「お前が許さなければ、島田が困ると思ってるのか?お前が島田の一番だって、誰か言っ
たか?」
「・・誰も言ってねえよ!」
頭に浮んだ問いに、自分で反論する。
「あいつだって・・俺だって・・一番大切だなんて言ったことは無い」
『俺が許さなくても、あいつには他の奴だって居るさ。そんな事は分かっている。俺だっ
て、抱く女なら一杯居る』
でも、きっと島田の代わりは居ないのだ。そう自然に思う自分が腹立たしい。
今日、久し振りに馬に乗った。島に居た時に何度か乗ったことが有る様な、艶の有る黒い
毛並みの馬・・。俺以外には世話をしていた調教師にだけ慣れていた黒いあの馬は、自分
が居なくなってからどうしただろう・・。自分を乗せて風のように走るあいつが好きだっ
た。
自分の身体を軽々と抱き上げて、ベッドに運ぶ時の、あいつの香りが好きだった。

考えは自分の部屋の扉を叩く音で、中断された。ドン、ドンという大きな音に混じって、
自分を呼ぶ島田の声がする。
「放っといてくれよな」
ジョーはベッドに横たわった。枕で自分の頭を覆って外部の音を遮断した時、先程島田に
掴まれた腕が痛んだ。
『思いっきり掴みやがって』
それでも耳に届く物音に、顔を歪めてジョーは枕を放り投げた。音を立てて扉に叩き付け
られた枕が、一瞬留まりズルズルと落ちる。
「ジョー」
大声で島田はジョーを呼んだ。
「ジョー、此処を開けて下さい。でないとドアを蹴破ります」
冗談ではなく、島田なら遣るだろう。只でさえ自分の部屋の前で、一癖有りそうな島田が
騒いでいるだけでも、充分注目の的だ。この上扉を壊されたら、物見高い奴が多い此処で
は、あれこれと噂に尾鰭が付いて飛び回る。
仕方無くジョーは扉を開けた。少し開いた扉の隙間に、島田が靴を差し込んで、もう一度
閉めようとするジョーを制す。島田の瞳を睨みながら、ジョーは扉に掛けていた手を放し
た。島田は部屋に脚を踏み入れると、静かに扉を閉めた。
「・・何の話が有るんだ」
ベッドに先程と同じ様に、膝を抱えて座り込むと、ジョーは尋ねた。
『言い訳なんて、聞かないぞ』
ベッドの横の本棚に眼を向けたまま、島田の方は見ない。しかし、ジョーに促されても島
田は口を開かなかった。頑丈だが、高価とは決して言えない椅子に腰掛けて、黙り込んで
いる。「話が有る」といった人間が沈黙しているから、ジョーとても何も言うことが無い。
かなり長い間、二人はそうしていた。
「・・俺は・・」
不意に島田が口を開く。何だ?という様に眼を向けたジョーに、「いえ・・」と又、口を噤
む。そして又数秒後、島田は再び口を開いた。
「・・俺は・・」
「何だよ!」
今度は口に出して尋ねたジョーに、島田はいきなり唇を合わせた。隠れ潜んでいる自分の
舌を探し出すように、島田の舌が進む。
『俺は、女じゃ無いぞ』
?いて島田から逃れようとするのだが、逞しい腕が其れを許さない。抱き締めている身体
が熱かった。押し当てられている唇が、それに応え様とする自分の身体が熱かった。何時
の間にか身体はベッドに横たわっていた。それでも島田の口付けは終らなかった。伸ばさ
れた脚がベッドのシーツを空しく蹴った。
『何でだよ!』
身体が痺れたように、力を失う。圧し掛かる逞しい身体を押し返そうとしていた腕が、パ
タリと身体の横に下ろされた。長い口付けが終っても、ジョーは動けなかった。熱を帯び
始めた部分が、感覚を更に鈍くしている。欲しいと思う気持ちを彼は無理に抑え付けた。
唇を噛みながら、彼は掠れた声で尋ねた。
「・・何でだよ?」
自分から身体を離した島田が、其の問いに笑って見せた。左腕に巻かれた白い包帯に、先
程の行為を詫びる様に唇を寄せる。
「今週は是で帰ります。又連絡しますから」
返事に困っていると、扉が閉まって、島田の聞き慣れた足音が遠ざかって行った。
「こんなキスなんかするな、俺が一番で無いのなら。もう、此処には来るな、俺の事を放
って置けよ!」
答える者はもう居ない。彼はベッドに横たわったまま、汚れた天井を睨み続けた。


「島田さん」
停車する立花の車から島田の姿を見咎めていた健は、車から出ると島田に歩み寄った。愛
車に凭れて煙草を吸っていた島田は、「ああ・・」と片頬だけで笑った。
「何処へ行くんですか?まさか」
「・・今週は残念ですが、手ぶらで帰ります」
「何故ですか?ジョーとは仲直り出来たんですか?」
「いいえ・・」
そう答えた島田の瞳が少し寂しそうに見えるのは、決して健の思い違いでは無いはずだ。
「じゃあ何故?」
「無理矢理連れて行くわけにもいきませんしね。ジョーの気が済むまでは、怒られても仕
方が無いかなと、思いました」
「ジョーがDrセームと付き合っても良いんですか?」
「俺は根本的には、ジョーがそれで良いなら良いんですよ」
「成るべくあいつが望むようにして遣りたいと思ってます」
「そんなのは、ジョーが望むことでは有りませんよ」
言うなり健は駆け出した。振り向いて島田に釘を刺すことも忘れない。
「俺が戻るまで、其処に居てください!ドク、島田さんを引き止めて置いてくださいね」
「健――何処へ行くんだ?」
車から降りて来た立花が呼び止めるが、健は返事をしなかった。傍らに立って煙草を吸っ
ている島田に視線を向ける。
「何だ。未だ仲直りしてないのか?」
同じ様に懐から煙草を取り出して咥える立花に火を貸してやる。
「中々手強くてな・・」
苦い笑いを浮かべた島田に、立花はクスリと笑った。
「強面で誰もが避けて通るSPのお前にも、とんだ弱点が有ったもんだ」
「其れはご同様だろう。最近のお前は、健には前以上に極甘だな」
「・・健は可愛いから。容姿だけじゃなく・・。彼は強い、多分俺より。そして弱い、多
分誰よりも。そんな彼を見て行きたいんだ、これからもずっと。戦いが始まっても、終っ
ても」
「ロマンチストな事だ」
吸い終わった煙草を踏み躙ると、島田は車の扉を開けた。
「お前もそうじゃないのか?」
「ジョーは、可愛いさ。だが、俺は奴をずっと見守ってやる事は出来ん。俺は、プロジェ
クトとは無関係の人間だ。博士が俺を解雇したら、ジョーとの接点は無くなる。ジョーが
誰か他の人間を選んだら、それでも良いと思っている」
「何も無かった頃に戻れるのか?忘れられると?」
「・・まさか。その時は消えるさ。生憎俺は焼餅焼きでね。他の誰かに抱かれるジョーを
見ていられるほど、冷静な男じゃない」
言い捨てると彼は車に乗り込んだ。エンジンを掛ける島田を、立花は止めた。
「おい、ちょっと待てよ。健が帰ってくるまで待っていて呉れないと、コッチが叱られる」
慌てる彼に島田は薄笑いを浮かべた。
「偶には喧嘩もするんだな。刺激になって良い」
「おい、島田!」
走り出した車に怒鳴ったが、勿論島田はブレーキの代わりにアクセルを踏み込んだ。

健が訓練所に居た時間は極僅かだったはずだが、出て来た時には夏の太陽は完全に其の姿
を消していた。ポッと燈った玄関の街灯に照らし出された影は二つだった。未だ車の側に
立っていた立花に近付くと、健が尋ねる。
「島田さんは?」
「・・帰ったよ、健が訓練所に入って直ぐに」
「ドク、俺は島田さんを引き止めて置いてくれって頼みましたよね」
「健。君、本当に俺が島田を止めて置けると思ったの?」
「勿論です。でなければ頼んだりしません」
せっかくジョーを連れ出してきたのに・・と言うような健の視線が痛い。だが、立花とし
ても島田の言い分に少し考えさせられる処も有ったのだ。自分達の間柄はこの立場を越え
て、継続していけるものなのだろうか?何時か健は自分以外の者を選ぶかもしれない。そ
れは女性かも知れないし、ジョーかも知れない。それでも自分は健の側に居る事を選ぶだ
ろうか?今まで其れを考えた事も無かったが・・。
『島田に同調したわけではないが、彼にも考えが有るのなら、ジョーとの事は島田に任せ
るべきだろう』
「立花、島田が出て行ってどれ位だ?」
「もう、10分位かな」
「行くの?ジョー」
健の問いにジョーはコクリと頷いた。其れを見て、健が立花にニコリと微笑んだ。その微
笑に立花は、健の言わんとすることが分かった。
「・・俺がドライブするわけね」
「有難う、ドク。それでさっきの事は帳消しにしますから」
『送らなかったら、今度は俺が臍を曲げられる番だったのだろうか』
「だが、ジョー。島田が帰って行ったのに、どうして追いかける気に成ったんだ?怒って
たんだろ」
「あいつの一番が、俺だって分かったから」
ジョーの答えに立花は健を横目で見た。「何かしたの?」と眼で尋ねると、健が「いいえ」
と首を振る。
「今、必要なのはあいつだから。あいつに必要なのも、俺だから。それで良いんだ」

ユートランドのダウンタウンで見られる星は少ない。地上の明るい光に遮られて、高層マ
ンションの島田の部屋からも見られる星は極僅かだ。この間訓練所でジョーと見たのは、
満天の星空だったな・・と思い出した。
『そう離れた距離でも無いのにな』
バーボンのグラスを片手にベランダに出ると、涼風が吹いてくる。デッキチェアに腰を下
ろして、彼はグラスを呷った。話そうと思った事が、ジョーの顔を見たら言えなかった。
健が言う通り、彼が此処まで機嫌を損ねているのは、自分の事を特別に思っているからだ。
そう思って、傷付いたようなジョーの顔を見たら、弁解がましいことが言えなくなった。
只想いだけは伝えたかった。自分にとっても彼が特別だという事を。口に出せば、寧ろ色
褪せてしまう告白のように、想いだけを伝えたかった。
玄関でチャイムが鳴った。一回鳴ったそれは、次には扉を叩く音に変わり、そして自分を
呼ぶ大声に変わった。
「島田――、開けろ。早く開けないと、扉を蹴破るぞ」
まさかとは思うが、慌てて扉に向う。扉の前で自分の名前を呼ぶ少年の姿を見咎める人間
が居るかもしれない。其の上扉を壊されでもしたら、「痴話喧嘩だ」「痴情の縺れだ」等と
言われかねない。
「ジョー、もう少し静かにして下さい」
扉を開けて彼を引っ張り入れるなり、島田は叱った。
「お前だって同じ事をしたくせに」
悪びれずに笑って見せるその表情は、此処に遣って来る時の何時もの彼だ。
「・・此処に来たということは、許してもらえたという事ですか?」
「お前が悪いんだ、あんなキスをするから。何時までも、身体の熱が冷めない・・。
だから、責任を取れよ。其れまでは許さない」
雄弁な瞳が島田を捉えて離さない。頭を上げて自分を見返す瞳に、何時も魅せられた様に
島田は其の身体に手を伸ばす。頬に触れた手を髪に差し入れ、同時に唇を合わした。夕刻
にしたのと同じ様に、いや更に深く長く島田はジョーの唇を貪った。膝下から力が抜けて
いくのを支えるように、自分の肩を掴もうとした手が滑って落ちていくのを彼は握り締め
た。固く閉じたジョーの眼が覆う淡い色の睫毛が、苦しさに耐え切れないように震え出し
た時、漸く島田はジョーを解放した。熱に侵された様に潤んでいる瞳は、何時ものような
激しさは無い。けれど島田を変わらず魅了し続けた。
「又・・」
『又・・身体が熱くなる。苦しいけれど振り解きたくなくて、辛いけれどもっと進んで欲
しくなる』 
「又・・何です?」
舌を這わせながら島田が尋ねる。それには答えない。でも、身体は応えてしまう。愛撫に
感じ始めた自分が変化し、更に身体は熱を帯びる。自分の理性や感情が何処か欠落したよ
うな、そうした男の性には何時まで経っても慣れない。ピッタリとしたジーンズがキツイ。
そう思ったのを感じたように、島田の指がその妨げを取り除いてくれた。薄い下着越しに
其の部分を撫でられただけで、もっと確かな刺激が欲しくて堪らなくなる。
「もっと・・」とは言えない。口には出せない。けれどもそんな声が聞こえたかのように、
島田は彼の下肢を露にするとその物を口に含んだ。
「あっ」
丹念に繰り返された愛撫に眉を顰めて、ジョーの身体が小さく震えた。同時に口の中に流
れ込んだ液体を島田は、飲み干した。其の儘湿った舌をジョーの背後にと這わせる。背骨
から一気に、だが充分に焦らすようなスピードで這わされた舌に背が撓って吐息が洩れる。
必死に耐えていた喘ぎが、舌先が到着した箇所で溢れ出す。
「あ・・あっ」
閉ざされた蕾を探る舌先に、朱に染まった頬も身体も気にする暇が無い。湿った箇所に押
し当てられた逞しい物が、秘所を切り裂いても構わなかった。只、自分の洩らす吐息と喘
ぎだけが静まり返った部屋に響くのが、堪らなく嫌だった。そうした理性さえも、島田は
粉々にした。

ほんの僅かの自分でも捉えられない時間を経て、ジョーは瞳を開いた。極僅かだが自分が
意識を手放していたのだと分かる。自分が目覚めた事に気付くと、包んでいた逞しい腕が
更に力を帯びた。未だ完全に覚醒していないかのような虚ろな顔に口付けると、強い光が
戻ってくる。
「ところで、ずっと気に成っていたんですが、この香りは何ですか?」
未だ熱の引かない身体に、滑らされた指先が心地良い。ジョーは島田の腕の中で身体を伸
ばした。
「ああ・・是か。セームがアロママッサージをしてくれたんだ。とっても気持ち良かった
んだぜ。お前も今度して貰うと良い」
「ほう・・アロママッサージですか。セーム医師は色々な特技が有るんですね」
眠気を催したように、小さく欠伸をするジョーには自分の棘は分からないはず。
「うん。背中から腰・・それからヒップまで。セーム、凄く上手いんだぜ」
「・・背中からヒップまでですか」
「・・処で、ジョー。あんたこんな露出の高い下着持ってましたっけ?」
「う〜ん?あっ、それセームが買ってくれたんだ。昨日別荘に泊まった時に」
「俺、もう寝て良い?」
半ば眠った状態でジョーが尋ねる。それに髪を梳いて答えて遣りながら、島田の眼が剣呑
に光った。
『セーム、どうしても俺と喧嘩をしたいらしいな』
自分の厚い胸板に擦り寄って来たジョーを更に抱き寄せる。
「お前には勝ち目は無いがな・・」
余裕で笑った鼻先で、腕の中の存在が寝返りを打って離れた。
「それは無いですよ」
ジョーが離れた分島田は距離を埋めて瞳を閉じた。
“I never tell you how much I love you. But I really need you whole my life."
小さく彼は呟いた。

The End



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