I Wish…

by Kiwi


扉が閉まる音で、俺は目を覚ました。薄目を開けて辺りを窺うのは、何時の間にか付いた俺の癖だ。自分の部屋に誰も居ないことを確認した俺は、次に自然とベッドの横に置かれた目覚まし時計で、時間を確認する。午前1時。何時も遅くまで書斎で仕事をしている博士でさえ、そろそろ眠りに付いている頃だ。
『健か?あいつ一体何をしているんだ?』
こんな時間に部屋を出て行ったのが、先週から博士の屋敷に来ている健に違いないと、俺が思ったのは何も不思議な事じゃない。母親が入院する度に此処に遣って来る健は、優等生で周りに心配を掛けるのが嫌いだから、勤めて明るく振舞っているけれど、夜中に嫌な夢を見て堪らなく不安になる事が有るのを、俺は知っている。泣いたように目を赤く腫らして、それでも涙は流さないで、声を押し殺したように枕を抱えている健の姿を俺は何度と無く見ている。それは健も同様で、俺が両親の夢を見る度に魘されたり、自分ではどうしようもなく流れそうになる涙を噛み殺したりしている姿を、知っている。だから俺は足音を立てないように、階下に向かう廊下を歩いて行く健の姿が、見なくても想像がついた。そして当然の事のようにベッドから出ると、俺はベッドの上からガウンを取って、パジャマの上から身に付けた。

しんと静まり返った博士の屋敷は何時もより広く感じられて、俺を少し不安にさせる。灯りが届かない廊下の端に誰かが潜んでいるような気がして、俺は自分でも分からない内に息を殺して、周りを窺った。健の姿は直ぐに見つかった。俺と同じ様にガウンをパジャマの上から引っ掛けて、階段を下りて行くところだった。声を掛ける気は無かった。誰だって一人で泣きたいことも有る。唯、あいつが何処に行くかを確かめたかっただけ。
『キッチンに行ってミルクでも飲む気か?』
それなら良い。自分は知らん顔をして、ベッドに戻るだけだ。隣の扉がもう一度開くまで、きっと眠れることはないけれど・・・。それは自分にいつも健がしてくれる気遣いと同じだ。だが、そんな俺の想いとは違って、健は玄関に向かって歩いて行く。
『何処に行く積もりだ?』
俺は自分の考えに笑った。何処にも行く所は無い。俺にも健にも。母親と住んでいる家が有る健でさえ、その母親が入院している今では、何処にも行く所は無い。俺がそんな事を考えている間に、健は玄関の扉を開けた。其の儘出て行く健の後ろを、俺は気付かれない様に、少し時間を置いてから追いかけた。
時間を置き過ぎたのか、俺が外に出た時には健の姿は見えなくて、俺は幾らか焦って辺りを見回した。
「やっぱり来たな」
頭上からした健の声に驚いて俺は声の方を見上げた。博士の屋敷に有る一番高い木の上から、健が手を振っているのが見える。意外に明るい健の声に、泣いているのかと思って此処まで付いて来た自分の間抜けさに腹が立った。「ふん」と踵を返そうとした俺に、健が「上がって来いよ」と笑いかける。あいつの言葉通りに行動するのが癪で、俺は態とそっぽを向いた。けれど部屋に帰るでもなく、健が昇っている木に背中を凭せ掛けた。
「今日は流星が見える、ってテレビで言っていただろう。此処からは凄く星が綺麗に見えるんだ」
そう言えばそんな事を言っていた。
「だけど何故夜中に抜け出して、星なんて見に来なくちゃならないんだ?」俺の質問に健は答えてくれない。
「此処まで上がって来たら、教えてあげるよ」
少し意地悪そうなあいつの言葉は、俺にしか見せない健流の甘えだ。
「行くから、ちょっと待ってろ」
言うなり駆け出した俺を健は不思議そうな顔で見たが、何も言わなかった。

暫くして健の所に戻って来た俺は、あいつに保温性の水筒を下から放り投げた。それを木の上から体勢も崩さずに、器用に健が受け止める。それに少しだけ遅れて、俺は健の座っている枝に腰掛けた。
「何だこれ?」
怪訝そうな健の手から水筒を取り上げて、俺は中の液体をカップに注いだ。それを健に手渡すと、甘い香りのココアから立ち上る白い湯気が、暖かそうに健の頬を撫でた。
「温かくて美味しいね」
一口飲んで健が言った。
「ジョー特製だからな」と俺が言うと、「どこが違うの?」とあいつが尋ねた。
「業務秘密だ」
「ずるいぞ!」
「飲みたくなったら、又作ってやるよ」
俺の答えに満足したのか、それ以上健は何も言わずにココアを啜っている。カップの中身が半分以上無くなった所で、俺は健に訊いた。
「で、真夜中にこんな所で流星を鑑賞する理由を聞いてないけど」
「流れ星に願いを掛けると叶う、って言うだろう?だからさ」
ポケットから四つ折にした白い紙を取り出して、健はその紙を俺に渡した。広げてみると、健らしい几帳面な字で願い事が箇条書きにして有る。
「・・・お前これ全部言うつもりか?」
「大丈夫。早口言葉には自信が有るんだ」
「ふう〜ん」
俺が意味有り気に笑いながら健に白い紙を返したのは、多分健の本当の願い事が分かっていたから。そんな俺に「何?何か言いたそうだね?」と健は訊いたが、俺は答えなかった。幾つも書かれている願い事の中で、本当に叶えて欲しいのは多分二つだけだろう。
「ジョーは何をお願いするの?」
「そうだな・・」
考えていると、星が流れた。隣で健が降り注いでくる星々に向かって、願い事を唱えている。俺も遅れて呟いた。

結局願い事は叶わなかった。健の母親の病気は治らなくて、死んでしまった。願い通り生きていた父親は、健の目の前で逝ってしまった。

そうして俺は夢から覚めて、重い瞼を開けた。冷たい風が身を切るように感じられる。こんな所で眠り込んで、昔の夢を見るなんてどうかしてる。岩陰に座り込んでいた体勢を、少しでも楽なようにと身体の位置を変えた瞬間、頭の奥でズキリと鋭い痛みが走る。荒い呼吸が収まるまで、俺はじっと待った。額に浮かんだ冷たい汗も風が直ぐに乾かしてくれて、次には寒気が襲ってきた。辺りは未だ静かだ。俺の居る場所を奴らが嗅ぎつけるまで、後どれ位時間が有るだろう?広がる夜空はユートランドで見るのより、星が多い気がする。今もし星が流れたら、何を願おうか?
「もう一度お前とあの木の上で星が見たいな。今度はココアじゃなく、酒でも飲みながら・・」
唇を綻ばせて俺は呟いた。だが、そんな願いさえもう叶わないのを俺は知っている。

近づいて来る足音に、俺は顔を上げて羽手裏剣を取り出した。

THE END
Art by Tsukuyomi
Art by Tsukuyomi


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