I would like to stay with you

by Kiwi


扉を叩く音は最初雨の音かと思った。それほど雨は激しく降っていたから・・。その 音が
何度か繰り返されて、漸く其れが人の手によるものだと気付いたのは、自分の名前を 呼ぶ
声がその合間に聞こえて来たからだ。
「健――。おーい居ないのか?」
時計を見れば深夜の12時過ぎ。いっそ居留守を決めたかったが、相手の立てる音はど んど
ん強まって、このまま寝かせてくれる気は無さそうだ。
「一体何だってこんな時間に人の家に遣って来たんだ、あいつは」
悪態を吐きながら健は、マドンナの抱擁にも似た温かなベッドから這い出した。
そんな間にも扉を叩く音と自分の名前を呼ぶ声は休むことを知らない。扉の前に立っ て、
健は溜息を吐いた。鍵を開けると、雨に濡れたジョーが立っていて、思い切り不機嫌 な顔
をした健にいきなり抱き付いた。
抱き付かれた健は自分が濡れる事よりも、まずその行為に驚いて、眠気を帯びていた 青い
瞳が覚醒したように色を増した。
「何遣ってるんだ!」
怒ってみたら、首筋に腕を回したままのジョーが歌うように言った。
「相変わらず綺麗だな、健」
綺麗と言われて喜ぶ男が居るかどうかは知らないが、少なくとも健は喜ばなかった。 幼い
時から一緒に育って、互いに良く知っているジョーの口から出た言葉なら、尚更だ。
「何を言ってるんだ」と怒りかけて、相手が酔っ払っている事に、彼は気が付いた。 赤味
を帯びた頬と、身体から漂うアルコールの匂い。何時ものキツイ光が損なわれた瞳が、 仄
かに煙った冬の空色だった。
「早くベッドに入れよ」
タオルを出してやるが、自分で拭く気が無いのか佇んだままだ。
「断っておくが、濡れたままじゃ寝かさないぞ」
「シャワー・・浴びる。貸してくれ」
「・・大丈夫か?」
健は目を細めてジョーを見た。今夜のジョーはかなり酔っている。自分よりも遥かに 酒に
は強いジョーだから、これほどに成るにはかなり飲んだ筈だ。
「ジョー、まさか運転してきたんじゃ無いだろうな」
「・・車は置いて来た」
勝手知ったるジョーはバスルームに消えている。健は床に残った水溜りにチラリと視 線を
走らせたが、其れを無視した。
「どうせ明日には乾いてるさ」
こんな夜中に拭き掃除をする気は更々無い。バスルームから届いてくる水音に、健は 耳を
傾けるとキッチンに向かった。どうやら酷く酔っ払ってはいるが、バスルームで倒れ る心
配は無さそうだ。酔いを醒まさす為にコーヒーを淹れようと、ケトルに水を満たして レン
ジに掛けた。
何時もよりもかなり時間が過ぎても出て来ないジョーに、「まさか本当に倒れてるん じゃ」
と、健が腰を浮かせ掛けた時に扉が開いてジョーが出て来た。
「是は俺のだから使うなよ」と言い渡して置いて行ったバスタオルで、濡れた髪を拭 きな
がら出て来た彼に、健はコーヒーのカップを手渡した。
「・・酒は無いのか?」
未だ飲む心算か・・。と非難めいた顔をして、健は否定の言葉の代わりにソファに腰 掛け
たジョーの手に、温かいカップを押し付けた。
観念した様にカップに口を付ける相棒の向かいに腰を下ろして、健は質問した。
「何だって、こんな時間に酔っ払って俺の家に来たのかな?」
カップを口に運んだジョーは、健の顔をじっと見詰めたが、返事は無い。
「ジョー。何なら雨の中帰って貰っても良いんだぜ」
「・・健、お前男に抱かれたことあるか?」
突然の質問に噎せて健は、激しく咳き込んだ。
「おい、大丈夫か?」
此方を見ているジョーを、健は咳き込んだ所為で、涙まで滲んで来た瞳で見返した。
『まさか・・男に抱かれた所為で、酔っ払って来たんじゃ・・』
漸く咳き込みが収まった健は、心を静めてジョーに問い質した。
「ジョー、お前まさか・・」
自分を見詰める猜疑心の塊のような健に、ジョーは慌てて否定した。
「あ、いや。すまねえ、変な事を訊いちまった。忘れてくれ」
「忘れてくれ」と言われても、現に自分の耳には届いているし、まさか?とつい疑っ てし
まってしまったし。第一男に抱かれるどうのこうのとは、聞き捨てならない。根っか ら女
好きのジョーのセリフとは思えない。
「今日はレースの仲間と飲みに行ったんだろ。何か有ったのか?」
問い詰めても、黙ったままのジョーが口を開くのを健は辛抱強く待った。

「アンドリュー達と今晩は一緒だったんだ。色んな話をして・・レースの話とか、女 の
話。何処其処の誰が好みだとか、そんな話」
「分かるだろ」とふられて、「ああ」と頷き返す。
「そうしたら、いきなりアンドリューが男はどうだって言い始めて。・・皆笑ったよ、 最
初は。冗談じゃないって。だけど、アンドリューが・・」
「アンドリューが?」
言葉の先を促しながら健は頭の中で考えていた。
『アンドリューって、どいつだっけ?』
「・・やっぱり良いや」
良くはない。健は身を乗り出した。
「言いかけて止めるなんて、男らしくないぞ。それでもコンドルのジョーか」
訳の分からない言葉だが、ジョーには一番の効果が有る。彼は健を睨むようにして、 かな
り大きな声で告げた。
「『ジョーは綺麗だから、抱きたい』って言ったんだ。俺をだぞ。この俺の何処を捕 まえ
て綺麗なんて言葉が出てくるんだよ」
興奮気味に話すジョーに、健は大きな青い瞳を細めた。
『迂闊だった。まさかこいつの周りにそんな事を思う奴が居るなんて
何故だか、いきなり鮮明にアンドリューなる人物の顔が思い出された。
『あいつ今度会ったらぶん殴ってやる』
些か物騒な事を健は考えた。
「おい、健。聞いてるのかよ」
「ああ、聞いてるよ」
「俺はきっと気味の悪そうな顔をしたんだと思うよ。『本気にするなよ、冗談だよ』っ て、
アンドリューが慌てて言ったけどよ。そう思うには、アンドリューの表情が真剣すぎ て、
俺は奴らよりも先にその店を出ちまった」
言葉を切ったジョーが、手にしたコーヒーを一口飲む。日に焼けた喉元が健の目の前 で上
下した。
「女なら一杯抱いたさ。でも、男を抱きたいと思ったことは無いし、まして抱かれる なん
て考えたこともない」
「で、何で俺に訊くのかな?」
健に青い瞳で見据えられて、ジョーは首を傾げた。
「お前以外に誰にこんな事を訊くんだよ。竜にか?」
「俺だって男に抱かれた事も、抱いた事もないぞ」
「うん、そりゃそうだよな」
納得したように、頷くジョーの瞳はコーヒーも功を奏さなかったのか、眠そうに瞬い てい
る。
「兎に角今日はもう寝ろよ。遅いんだから」
予備の毛布を放ってやると、其れを受け取ってジョーはソファに行こうとする。
「其処で寝る気か?明け方は冷え込むぞ」
「お前ベッド一つしか持って無いじゃないか」
泊まりに来て、ジョーは何時もソファで眠る。子供の頃は二人で一つのベッドに眠る こと
も有った。育った博士の屋敷を出る少し前から、其れも無くなった。ジョーのトレー ラー
に備え付けられたベッドは勿論、自分の家のベッドも、男二人で寝るには少し窮屈だ。 お
互いデカクなったもんな・・。苦笑して健はベッドに腰を下ろした。
「風邪を引くよりは良いだろ」
「其れもそうだな・・」
自分が先に横に成ったベッドに「もっと詰めろよ」と言いながら、ジョーが入って来 る。
ジョーの体温の方が健よりも高い。冷え切った健の足に触れたジョーの温かみが、ゾ クリ
と背中を泡立たせた。
「お前の足、冷たいぞ」
「その分心が温かいんだ」
「・・言ってろ」
ジョーが眠そうな瞳を閉じた。確りしていた言葉よりは、酔いが回っていたのか、忽 ち彼
は寝息を立て始める。狭いベッドでは当然お互いの身体が近付いてしまう。健は少し この
提案を後悔した。動かした先に瞳を閉じたジョーの顔が有る。
「そう言えば昔から、此方向きでないと寝られない奴だったな」
苦笑が昔を懐かしんで健の口元に浮かんだ。幼い頃にベッドに潜り込むと、それは魘 され
たジョーを気に掛けてだったり、他愛も無いお喋りを只二人で楽しむためだったりし たの
だが、此方に向けたジョーの寝顔が有った。
「何でこっちを向いて寝るの」
「俺はこっちを向かないと、寝られないんだ」
そんな事さえも喧嘩の材料になるような年も有った。

「ジョーは綺麗だから・・か」
綺麗と言われるとジョーは怒るのだろう。だが、健はアンドリューがそう言った意味 が分
かる気がした。伸びやかな肢体は、こんな仕事をしているにしては細身だ。それは彼 自身
もそうだが、ジョーの方が幾分背が高い分、細く見える。勿論其れは華奢と言うので は決
して無いし、こうして身に着けた物を取り払えば、肩のラインや胸の厚さは逞しく見 える。
彫られたような精悍な顔立ちは、自分が望んでも手に入れられなかった男らしい物だ。
「綺麗」と言う言葉をもし男性に与えるのなら、きっとこんな男にだ、と健は思う。
決して女性的ではなく、強さと男らしさを備えた生き物が健にとっての美しい男だ。 「綺
麗」と健は良く評される。其れを嬉しいと思ったことは、彼には無い。その言葉は何 処か
自分が男臭さを感じさせないと言われているような不快感を、健に齎す。

「俺が『お前を抱きたい』って言ったらどうする?」
呆れるだろうな。信じないか、それとも。怒るかな?殴られるかも・・。
何度か繰り返してきた問いかけを、実際に訊いてみる勇気は未だ無い。先を越される 前に、
行動にでるべきか。それでも、きっとジョーは俺の側にいるだろう。こいつはそうい う奴
だ。
手を伸ばして腕に触れれば、自分よりも高い体温を楽しめる。触れた指先に微かに長 い睫
が揺れて、それでもその眼は開かなかった。きっと中はもっと熱い筈。
「お前を抱きたい。おい、返事をしろよ」
返事の代わりに伸びてきた腕に抱えられた。焦った健の耳に「アイリーン」とジョー は呼
んだ。
「女の名前なんか呼びやがって」
怒って叩き起こしてやろうかと思った時に、ジョーの声が続いた。
「・・シャーリ・・クレア・・」
次々に出てくる名前に、健は呆れた。
「相変わらずなんだから・・。まあ、男の名前が出てこないから良いか」
自分もベッドに深く沈んで、健は目を閉じた。眠りに入る前に、アンドリューを脅か して
おく事を彼は密かに決意した。
「こっちはこんなに待ってるんだ。横から攫われて堪るもんか」
「・・健」
最後に上がった自分の名前に、健は口元を緩ませた。
「お休み・・ジョー」


The End


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