I just wish…

by Kiwi


その店は街の中心を挟んで、スナックジュンとは反対側に有る。ジュンが、若者が多く集まるのに相応しい比較的明るい照明や、若者好みの音楽で出迎えてくれるのに対して、その店は照明も薄暗く、流れている音楽も黒人の歌手が少し掠れた様な声で歌うブルースだ。凡そ若い健に似合わないようなこの店に、彼は偶に遣って来る。その夜も重い扉を開けて入って来た健に、店の主人が何も言わずに目線で歓迎の意を示した。
「ジムビーン」
止まり木に腰を下ろしてオーダーすると、主人のルウはロックグラスに大きな氷を一欠けら入れて、豊かな香りのバーボンを上に注いで健の前に滑らせた。
健が一口飲んだ処で、漸くルウは口を開いた。
「今日は、相棒は?」
ぶっきら棒な物の言い方は少しジョーに似ている。ぶっきら棒なようで、底には沁みるような温かさが有る。
「どうかな?来るかも知れないし、来ないかも知れない」
少し投げつけるような健の言葉に、ルウが思わず目を瞠った。こんな言い方をする健は珍しい。そう言えば何時もは澄んだ青の瞳が少しだけ翳っている。苛立ちと後悔と、少しだけ含まれた悲しみと・・そんな感情が健の瞳に渦巻いているのを感じ取れるのは、自分がやはりこうした商売が長い所為かもしれない。陽気な酒を飲む者は此処には来ない。そういう者は別の店に行く。此処に来る客は物憂げな表情で、ブルースを聴いて酒を啜る。そうした客の何人かは真っ当な職業に付いていない。店を終えて帰る道すがら、さっきまで店で飲んでいた客が息絶えた身体を投げ出しているのを見つけることも有る。ドラッグを巡って殺されたり、警察に捕まったりしているのを新聞で読んで、名前も知らないのに、「ああ、これはあいつらだ」と感じることも有る。
健やジョーはそうした連中とは異なっては居るが、やはり何となくきな臭いものをルウは感じていた。立ち居振る舞いからは育ちの良ささえ感じられるのに、ちょっとした彼らの仕草がそれを裏切っていた。
「今日はイブだから、商売上がったりだよ」
言いながら自分もジムビーンを入れたグラスを片手に、ルウは健の隣のスツールに腰を下ろした。そんなルウを横目で見て、健は手の中のグラスを呷った。きつい香りの液体に少し噎せて、咳き込んだ。

「昔話をしようか」
熱い塊が喉元を過ぎた時、健が口を開いた。そんな事を言い出したのは、流れ出したブルースが子供の頃聞いたことが有る曲だったから。未だ二十歳になっているかどうかも分からない程若い健から、昔話という言葉が出るのを不思議な気持ちで聞きながら、それでもルウは口を挟まなかった。こうした商売はお客が酒のつまみに話したことを、適当に聞き流していつまでも覚えていないことがコツだ。だからルウは黙ってグラスを上げて、健を見た。それを了解と受け取って、健は話を続けた。
「俺があいつに会ったのは、もう10年以上前。やけにきつい薄青い瞳を全ての者を拒絶したようにぎらつかせて、あいつは俺の前に立っていた。おずおずと俺が差し出した手を握り返そうともしないで、くるりと背を向けてしまった。口を利いて貰えるまで、一ヶ月掛かった。笑って貰えるまで更に一ヶ月。それから友達と呼べるまで三ヶ月。でもそれからは早かった。何時の間にかあいつは、俺の兄弟よりも近い存在になった。あいつが引き取られていた家に、俺も一緒に住みだして・・そうして・・」
『俺は自分の気持ちに気が付いた。自分が友達以上の気持ちであいつを見ていることに・・だけどそれを明かすつもりは無かったのに』
それきり口を噤んでしまった健に、何も言わずにルウは次のジムビーンを注いで遣った。

自分には何も告げずに一人で尋ねた故郷で、ジョーが自らの夥しい血にその身を染めて倒れているのを見た時に、健は自分の呼吸も止まるかと思った。自分の白い翼が血に染められるのも構わずジョーの傍に膝を折って、彼の首筋に伸ばした指先が微弱では有るが確かに脈打つのを捕らえた時に、健は僅かに安堵したように止めていた息を吐き出した。ジョーを探して銃を構えた神父の前に、自分がジョーだと告げて身を晒したのは、一度死神から奪い返した存在に再び手を伸ばされるのが許せなかったからだ。しかし、その結果はジョーの心に又新しい傷を作った。自分の手で幼馴染を葬ってしまったという傷をジョーに負わせる位なら、自分が始末を着けるべきだった。アラン神父の死に、健は何の後悔も抱いていない。只それをジョーに強いてしまったことだけに、彼の後悔は有った。

『お前が昏睡状態から覚めて開いた瞳が俺を写した時、どれ程俺が嬉しかったか、お前には想像出来ないだろうな』
少しも自分の気持ちに気が付かないジョーに、焦れた様に健が口付けをしたのは、ジョーが未だ医者の許しも出ていないのに勝手に退院した、三日前だった。
「行かなければ良かった。そうしたら少なくともアランは生きていた」
ベッドに縛られている間中後悔と自責の念に駆られていたジョーは、自分一人が生き残ってしまったことに対する嫌悪を、それでも「未だ自分にはする事が有る」と断ち切った。決心するともうベッドに留まっている事は、彼には出来なかった。何時もの様にとは行かないまでも、動ける様になった時
ジョーは病院を抜け出した。そんな彼を探してトレーラーに遣って来た健に、ジョーは意外なほど静かな目を向けた。その瞳を見た健は、もう病院に戻るようには言えなかった。
「それでも俺達は前に進まなくちゃいけねえ。そうだろう?」
少し脚を引き摺って、自分が腰掛けている狭い彼のベッドに移動しながら、ジョーは酒の入ったグラスを健に差し出した。
「お前は程々にしておけよ」
自分もジムビーンの注がれたグラスを手に、健の横に腰を下ろしたジョーに、健は無駄と知りつつそう言った。
「・・今晩はアランの弔いの為に」
健の言葉に答えずに、ジョーは先にグラスを上げると一気に中身を飲み干した。熱い塊に少し噎せた彼の目が、濡れたように見えたのは酒の所為なのか、それとも断ち切ってしまった幼い頃の想い出故だろうか?更にグラスを満たそうと立ち上がりかけたジョーの手を、健は堪らずに掴んだ。未だ癒え切らない傷の所為で、バランスを崩すのを受け止めて、健はジョーの唇を奪った。戯れのようなキスではない、熱い想いを込めた口付けをしながら、健は心の中で唱え続けた。
「お前には俺が居る」
長い口付けを振り解いたのは、ジョーではなく健だった。自分の行動を後悔するように、健は目を見開いているジョーから、後退りをして其の儘トレーラーを飛び出した。

自分の気持ちを露にして、ジョーを困らせる気は無かった。ジョーが自分にそう言った気持ちを抱いていないのは、彼は十分承知していた。
『馬鹿な事をしてしまった』
もう今までの俺達に戻れないかもしれない。苦い思いで、健は又グラスを空にした。
『ここにお前が居てくれさえすればいいのに。二人で他愛もない事を、そう、ジュンのツケの話なんかをして、酒を飲んで。二人で酔っ払って何も考えずに眠れたら、それでいいのに』

「健ちょっとゴミを捨ててくる」
新しいグラスを滑らせて、ルウが健に告げた。それに返事をしないで、健はグラスを取ろうと手を伸ばした。触れたグラスが上から押えつけられて、長い指がグラスを絡め取った。見上げた健に「程々にしておけよ」と何処かで聞いたような台詞を言って、ジョーは手の中のグラスを干した。其処にジョーが居るのを確かめるように、健は右手を伸ばしてジョーの高い頬骨に触れた。二人の顔がどちらからとも無く近づいて、暫くして離れた時、ルウが裏口から入って来た。

それから何度かクリスマスイブに、二人はその店に遣って来た。一緒に来る時も有れば、別々に来る時も有る。けれど帰って行くのは何時も一緒だった。

今晩はクリスマスイブだ。もう直健とジョーが来るだろう。ルウは丁寧に磨いていたグラスを、キャビネットに仕舞った。そして重い扉が開いて、健が入って来た。降り始めた雪に長い髪を濡らしている。
「外、降り出したのかい?」
「・・さっきからね」
「じゃあ、ジョーは車で来ないほうが良いな」
そう口にしたルウに、健は黙って首を振った。光った健の瞳に、ルウは「そうか」とだけ言った。後は何も言わずに、健の前にジムビーンの入ったグラスを静かに置いた。
『お前が此処に居てくれさえすれば良いのに・・』
健の呟きをルウは聞いたような気がした。

The End


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