May be..Maybe…

by Kiwi


「貴方なんか、大嫌いよ!」
自分がこの二週間付き合っていた女が甲高い声で言い放ったのと同時に、マニュキアを塗
られた手が自分の左頬に当たった。パシーンという何処か小気味良い音が辺りに響いて、
其の日立花は彼の人生で通算8回目の失恋?をした。立ち去っていく女のハイヒールの足
音を聞きながら、立花は自分の白い肌を赤く染めていった女に感嘆した。
「いい平手だなあ・・」
熱を帯びたようになっている其処を右手の掌で冷やして、「さてと・・」と立花は踵を返し
た。其処に二人の少年が立っていて、立花は少しだけ嫌な処を見られたな・・と顔を顰め
た。
「ドク・・頬っぺた赤くなってますよ、大丈夫ですか?」
「お前是でフラれたの8回目だろ。よく是だけ短期間に8回もフラれられるな」
「別に付き合いたくて、付き合っているんじゃないから構わないよ」
先程の女が聞いたら確実にもう一発喰らいそうな立花の発言に、ジョーは肩を竦めた。
「お前、そんな風だからフラれるんだぜ。どうせデートの時に、専攻の細胞学の話でも延々
としたんだろう」
図星だ。何でそんな事まで分かるんだろう。それに最近は目の前居る少年二人の話まで加
わるから、付き合っているガールフレンドにしては、面白くないことこの上ないだろう。
「せっかくISOの付属病院のエリートで、顔だって良いのにさ。勿体無いぜ。女心が分か
ってないところは、島田と同じだよな」
「島田と一緒にしないでくれる。あんな筋肉ゴリラに比べたら、俺の方がマシだよ」
心配そうに健が渡して呉れた、濡らしたハンカチを受け取って、腫れた左頬に当てる。ひ
んやりとした感触が、火照った頬に心地良い。
「島田が筋肉ゴリラなら、立花は学問狂いの朴念仁かな。女を黙らすのは、キスして抱き
締めるのが一番だけど、偶には相手の話も聞いてやったり、喜ぶような話もしてやったり
しなきゃ」
『是がローティーンになったばかりの奴のセリフか!』
「ジョー、ドクは自分が付き合いたくて、女性を誘ってるわけじゃないんだから。好きで
も無い人を喜ばすなんて無理だよ」
「向うから寄ってくるのは、知ってるさ。きっと『貴方の研究に興味が有るのよ』とか言
われて、得意げに講義したんだぜ。馬鹿みたい。興味が有るのは研究じゃなくて、本人に
決まってるのにさ」
「・・君達、何しに来たの?俺をからかって遊ぶ心算なら、帰ってくれるかな」
冷たい瞳でトレードマークの眼鏡越しに睨まれて、此処は是くらいにしておいた方が賢明
だとジョーは思い、自分は一歩引いて、是から先は健に任せる。
「ドク・・俺達お願いが有って来たんです」
健は自分の強みを知ってか知らずか、大きなサファイア色の瞳を輝かせて立花を見上げた。
こうした時大人が女も男も絶対に逆らえないのを、健はと言うより、ジョーは知っていた。
案の定立花は瞳を和らげる。
「何?珍しいね、健がお願いなんて」
「ドク、明後日の夜時間有りますか?」
「明後日・・」
自分の頭の中でスケジュールを確認する。女とは手が切れたから、無理矢理時間を奪われ
る心配は無い。研究をする時間は幾らでも必要だが、それとて急ぎと言うわけではない。
「暇だけど、何?」
「バスケの試合のチケットが手に入ったんです。でも、博士は忙しいし、俺達だけじゃ行
っちゃ駄目だって、博士は言うし・・」
「島田は?」
二人がもしかすると、自分よりも懐いているSPの名前を自然と挙げた。自分に頼むより、
簡単だろうに。
「島田は、其の日は一日博士の護衛なんだ」
「じゃあ、俺は補欠か?」
「・・ドク、お願いします。俺達どうしてもこのゲームが見たいんです。博士に無理を言
って取って貰ったんです」
「立花、頼むよぅ」
珍しくジョーまでオネダリモードになっている。「好いよ」と言って、二人の頭に手を乗せ
た。見上げて来る笑顔に、自分の顔も笑みを作る。女と付き合うよりは、余程気が楽だ。
「絶対ですよ」
向けられた健の笑顔は、今まで付き合ったどの女よりも綺麗だった。その顔に「あれ?」 と思う。
『健はこんなに綺麗だったけ?』
昔はそれなりに上手く女と付き合っていた。最近何となく面倒臭いのは、自分が研究で忙
しい所為だよな・・。取り留めの無い女のお喋りが煩わしいのは、自分の元に遣って来る
健との会話が楽しいからじゃないよな・・。

診察が終ったのは、ジョーの方が先だった。診察といっても月に一度の検診のようなもの
だし、至って健康な二人だからそう時間も掛からない。きっと健は立花と話し込んでいる
のだろう。主治医に成る前からの付き合いの彼が、ジョーとても嫌いではないが、健は取
り分け懐いている。立花の診察が終っても、色々な話をして自分よりも遅れて出て来るこ
とは良く有った。自分も主治医のセームと時には話し込んで、健を待たすことが有ったが、
回数は絶対的に健の方が多かった。
「ちぇ・・健。又かよ」
小脇に抱えたスケートボードを、ジョーはコンクリートの上に降ろした。緩やかなスロー
プを描く階段の手すりに腰を凭せ掛けて、彼は健が来るのを待っていた。待ち合わせの公
園は、暑い夏の日差しが剥き出しの腕や首筋に痛いほどだ。流石にこんな時間に公園で遊
ぶ子供達も、付き添いの母親達も居ない。シンと静まった公園に、自分と植えられた木々
が影を落としている。
「じっとしていても暑いだけか」
最近二人で凝っているスケートボードに足を掛けて、ジョーは滑り出した。本当は此処で
スケートボードをしてはいけない事になっている。ボード専用の場所は公園の端に有る。
診察が終ったら、健と二人で練習をしようと約束していた。
「でも未だ健は来ないし・・。誰も居ないんだし、少しくらいなら好いよな」
練習を始めて未だ数回。でも、平坦な場所は全く問題が無い。徐々にスピードを上げて、
ターンをして、ストップ。二回ほど繰り返した時に、話し声が近付いて来た。その声が聞
き慣れたSPの声で有ると気付いた瞬間に、ジョーは茂みに身を隠した。
「これっきりって事?」
吐き出された言葉は激しい。少しだけ、ジョーは身を縮ませたが、相手は顔色も変えなか
った。 「そう思ってもらって結構です」
嫌味な程の丁寧口調は、きっと怒った女を余計に怒らせるはず。ジョーの予想通り、女の
右手が上がって島田の頬目掛けて振り下ろされた。が、島田は其れを受けてやるほどの優
しさも、労わりもないのか、自分よりも数段か細い腕を難なく受け止めると、女の顔を見
詰めた。
「特定の女と付き合う気は有りません。それは以前にも言っていた通りです」
「じゃ、どうして私と・・」
「貴方がそれでも良いと言ったからですよ。忘れましたか?」
ジョーの位置からは島田の顔しか見えない。彼は全く何時もと変わらなかった。少し細め
た眼が、威圧するように女を見下ろす。女は・・肩を震わすと、一歩退った。其れを見て、
島田が拘束していた腕を離す。女は島田に背を向けると、駆け出した。
『島田の馬鹿野郎!フルにしたってもう少し遣り方が有るだろうに。これなら未だ殴られ
て遣るだけ、立花の方がマシだ』
夏でも着ているスーツの懐から煙草のボックスを取り出して、島田は一本口に咥えた。一
口吸って紫煙を吐き出すと、ジョーの隠れている茂みに顔を向けた。
「盗み見はいけませんよ」
「せめて殴られてやれば好いじゃねえか。立花はそうしてたぞ」
茂みから出てそう言うと、島田は「真っ平です」と冷たく言った。
「勝手に押しかけて来て、我儘を言う。思い通りに行かないと、腹を立てる。別れると言
う。女は皆同じですね」
「お前もやっぱり女心が分かってないや。我儘だって時には聞いてやるもんだぞ」
「俺はあんたの我儘だけで、手一杯です」
「俺はお前に我儘を言った覚えは無いぞ」
「女の名前を覚えるのは得意な癖に、他はトンと物覚えが悪いですね」
「どうせ、俺は頭が悪いよ」
ソッポを向いて言い捨てると、ジョーは又ボードに飛び乗った。
『それじゃまるで俺の所為で、女にフラれたみたいじゃねえか』
「冗談じゃねえや」
腹立ち紛れに今まで遣ったことの無いことに挑戦する。無謀にも彼は階段の手摺を滑り降
りようとした。彼を乗せたボードは最初順調にスロープを滑って・・そして・・飛んだ。
健の目の前でボードが宙を飛んで、大きな木の幹にぶち当たった。
「ジョー!」
ボードよりも重いジョーは、木の遥か手前で石畳に叩き付けられた。
「ジョー、しっかりして」
「どうしました?」
駆け寄って来る島田に「ボードから落ちたんです」と告げると、ジョーが呻いた。
「大丈夫ですか?」
尋ねる島田に、頷いて立ち上がろうする。
「島田・・立てない」
「・・ジョー、右足骨折してますよ」
呆れたように言う島田の声が、魔の宣告に聞こえた。
「明後日のバスケの試合――」
「まあ、無理でしょうね。頭を打たなかっただけ、儲けもんですよ」
ネクタイで副木を脚に固定しながら、島田が冷たく言った。
「もう、ジョー。此処でスケボしちゃ駄目って言われてただろ。馬鹿なんだから」
健の言葉に、何も言い返せない彼だった。

「何か要る物は無い、ジョー?」
ギブスを嵌めて未だ二日目。杖を付いて歩くのも未だお許しが出てない。当然退屈の極み
のジョーは、マーサの問いに首を振った。欲しいのは自由。此処から出ること。でも、其
れは言えない。こうなったのは自分の所為だから。
「何も要らないよ。お腹も空いてないし、喉も乾いてないよ」
「退屈なのね」
分かっているわよ、とマーサの眼が言っている。
「今晩は楽しみにしていたバスケのゲームの日だから、余計よね」
少し寂しそうなジョーの髪を梳かすと、マーサは「食事が終ったら、お薬を飲んでね」と
念を押して出て行った。
「行かない」と言い張った健を、無理矢理立花と行かせた。自分は自業自得だけど、健は
関係ないから。最後まで渋っていた健は、立花に「お土産を買って来よう」と言われて、
漸く出て行った。
『お土産を楽しみにして、テレビでゲームを見よう』
そう思っていたのに、薬の所為で眠くなってくる。ゲームが始まるのは、午後8時。後10
分で始まる・・。

騒々しいアナウンサーの声にも妨げられないで、ベッドの主は眠っている。左の頬に勲章
の様に貼られている絆創膏が、彼にはとても似つかわしく見える。島田はジョーが握り締
めているリモコンを取り上げると、テレビのスイッチを切った。小さく口を開けて、寝息
を立てている顔を暫く見詰めて部屋を出た。書斎で書類を揃えている南部よりも先に車に
戻る為に、急ぎ足で階段を下りる。雇い主より一足先に戻った彼は、煙草に火を点けなが
ら、ベッドランプだけを点したジョーの部屋を見上げた。
前にも増して女の機嫌を取るのが面倒なのは、きっと他にもっと手が掛かる奴が居るから
だ。そして、そいつを捨てないのは、きっと其れが其れほど嫌ではないからだ。嫌ではな
くて、多分・・・。
扉が開いて、南部が歩いて来た。島田は煙草を車の灰皿に押し付けると、雇い主の為にド
アを開けた。

The End



Top  Library List