退屈な午後に

by Kiwi

「良いか一回勝負だからな」
 ジョーの真剣な表情に、健も真剣に頷く。
「OK。ズルは無しだぞ」
「ジャンケン」
 結果は健がパーで、ジョーはグー。勝負に敗れたジョーは、力無く膝を付いた。
「やったー」と喜ぶと、健は何時までも床に両手を付いて絶望に耐えているジョーを靴先
で突付いた。
「何時までも愕然としてないで、早く行って来いよ。もうこんな時間なんだぜ」
 冷たい健の言葉にジョーは漸く立ち上がると、窓の外を見た。外は未だ激しい雨が降り
続いている。ああ・・それなのに・・。ジョーはもうもう一度健を横目で見たが、彼はも
う悠然とソファに寝そべって雑誌などを読んでいる。
「健、どうしても駄目なのか?」
 耐えられない様な辛そうな声で聞いてくるジョーに、健は冷たく言い放った。
「往生際が悪いぞ。勝負で決めただろう」
 健の言葉に「どうせ俺は往生際が悪いよ」と溜息を付いて、ジョーは上着を手に取った。
 何だってこんなに降っている時に、昼飯の買出しに行かなければ成らないんだ。しかも
・・・徒歩で。車が有るならまあ良い。ちょっと離れたスーパーまで買い物に行くくらい
お安いもんだ。だが、今日は、G2号機はメンテ中。他に持っている車と言えば、レース仕
様。街中を走る車じゃない。しかも外は土砂降り。全くついてないとしか言い様が無い。
渋々彼は雨の中を飛び出した。

 そもそも健が、冷凍庫に唯一残っていたピザを昼飯に食べる事を拒否したからいけない
のだ。
「これは不味いから嫌だ。ジョー、スパゲッティを作ってくれよ」
 最初健の提案をジョーも悪い事だと思わなかった。だが、健の食料が入っている棚を散々
探しても、スパゲッティは見つけられなかった。
「無いぞ」
「あー、そう言えばこの間食べたんだ」
「冷蔵庫の中も空。缶詰のミートソースさえも無い。おまけにスパゲッティも無い。健、
諦めろ。昼飯は冷凍のピザだ」
「独りで居る時ならいざ知らず。何でお前と居る時にまで、不味いピザを食べなきゃなら
ん」
『おい、健。其の理論はチト可笑しかないか?』
 眇めた眼を向けられて、健はニコリと笑う。
「お前何時も言ってるよな。イタリア男は料理くらいお手のものだって」
「いや・・そりゃお前に比べりゃずっとマシだけどよ。材料も無いのに、どうやって作る
んだ」
「買出しに行って来いよ」
「何で俺が。お前行けよ、俺が作るんだから」
「だってお前、俺が買い物をして来たら、絶対に文句を言うじゃないか。このソースは不
味いだの。この野菜は新鮮じゃないだのって」
『確かに』
 それは其の通りだ。
「メーカーも全部メモしてやるからさ」
「嫌だよ、外雨だもの」
「だから?」
「風邪を引いたら困るだろ」
「じゃあ、俺は引いても良いのか」
「・・仕方ないな。ジャンケンで決めよう」
 どうやらこれ以上譲歩をしてくれる気は無さそうだ。ジョーもその意見に同意した。
 そして・・

「冷て――」
 スーパーの買い物袋を提げて戻って来たジョーは、扉を開ける前に頭を振って水飛沫を
飛ばした。序に空いている方の手で、上着の濡れを払う。
「やれやれ・・」
 漸く帰り着いたと扉を開けると、中からタオルが飛んできた。健が投げたタオルは願い
違わずジョーの頭に着地した。
「よく拭けよ、雫が垂れる。靴もマットでよく拭ってから入ってくれ」
「何だ、俺の心配をしてくれたのかと思ったのに」
「してるさ」
 湯気の立つカップを渡してくれる。中身はインスタントのスープ。これでも冷えた身体
を温めてくれるには充分だ。
「サンキュー」
 受け取って一口飲むと、スパゲッティを茹でる湯を沸かし始める。湯が沸くまでは取り
敢えずすることも無い。ジョーは濡れた上着をヒーターの側の椅子に掛けて、すっかり雨
を吸って身体に張り付いたTシャツを脱いだ。
「Tシャツとジーンズは洗濯しないと・・」
 だが、此処は健の家。着替えは無い。
「健、着替えを貸してくれ」
 読んでいた雑誌から顔を上げると、健はチラリとジョーを見て直ぐに又、視線を戻した。
「適当に着てくれて良い。それより、メシは未だ?」
「・・・今湯を沸かしてるよ」
 食い意地の張ったプリンスに溜息を付いて、濡れた髪をタオルで拭きながら、健の洋服
ダンスを物色する。
「これで良いか・・」
 白いシャツを引っ張り出して身に着けると、邪魔な袖口を捲り上げる。
『ジーンズはまあ良いか。膝から下が濡れてるだけだし・・』
 キッチンへ戻ると丁度湯も沸いていた。ジョーはレンジに向かって昼食の支度に取り掛
かった。
「なあ・・」
 直ぐ横で健の声。チキンと格闘中のジョーが「うん?」と答える。
「全部より少しだけ見える方が、よりセクシーだって言うだろう」
「あー?何だポルノ雑誌の話か?」
 頭の中で想像する。確かにオールヌードよりも、例えば大き目のシャツを身に纏って開
いた部分から覗く白い肌の美女の方がセクシーかも知れん。
「まあ、そうかもな。でも人夫々の好みだろ」
「そうだな。でも、俺はそっちの方が好みだな」
 手伝う気は無いのか、又ソファに戻って行く健にジョーは?マークを顔にぶら下げた。
『何が言いたかったんだろう』
 だが、其の疑問は直ぐに消し去った。答えの出ない問題を考えるような性分では無い。
其れよりは健のご機嫌が悪くなる前に、昼飯を作り終わった方が良い。

 出来上がったチキンフィトチーネが湯気を立てて、テーブルに置かれる。其の横にはワ
イングラス。今日は何もすることが無い。こんな午後は昼間からワインを飲んでも善いだ
ろう。そう思って買い物の序に白ワインを一本仕入れて来た。其れをグラスに注ぐと、豪
華とは言えないが、一応ランチの用意は終了。健を呼んでテーブルに着く。まずは白ワイ
ンを一口。上等なワインは買えないが、シャルドネを使った其のワインは値段、味共に許
容範囲だ。
「まあまあだな・・」
 貧乏な割には口の肥えたプリンスが、そう言ってグラスを置くと、フィトチーネに取り
掛かる。感想は?と窺うジョーに、健は何も言わない。多分この味も許容範囲なのだろう
と、ジョーは思った。
 皿のフィトチーネも無くなって、空いたワイングラスに注ぎ直して、又空けて・・。
それでも、窓を叩く雨音は一向に静まらない。
「よく降るな・・」
 ポツリと零したジョーのセリフが宙に浮いた。健からの返事は無くて、只自分を見詰め
る青い瞳が其処に有った。別に答えを期待していたわけでもないのだが、何やら先程から
沈黙している健が不安に感じるのは、日頃の行いの所為だろうか?
『・・フィトチーネが不味かったとか・・。いや、それなら健の事だ、絶対文句が出てる。
じゃあ、あの事がバレたとか・・。それともこの間の報告書、以前の奴をコピーしたのが
バレた?』
「あのさ、健。お前何か俺に言いたい事が有るのか?」
「・・別に」
 背けられた顔に不満が募る。じゃあ、何だって人の顔をじっと睨んでるんだ。
「別にって顔か、それが。さっきから黙りこくって人の顔を睨んでるんだぜ。言いたい事
が有るならはっきり言えよ!」
 健の説教を聞くのは真っ平だと思っていたのだが、健の態度についそう言ってしまった。
自分を睨みつけてくるジョーに、健の瞳が細められた。
「本当に言っても、良いんだな」
蒼さを増した健の瞳に、どうやら逆鱗に触れたと感付いた。
「やっぱり、言わなくて良い」
 分かれば良いんだと、鷹揚に頷く健に「どうして何時も俺はこいつに勝てないんだ」と
絶望が過る。
「分かったら、さっさと片付けろ」
『片付けまで俺かよ・・』
 シンクに向う背中が泣いている。
『俺は健の世話女房じゃねえ』

「もう、これ以上は働かねえからな」
 温かいヒーターの前に置かれたソファに、ジョーは寝転がった。雨が降り続く外とは格
段に温められた室内で、寝そべる彼は身体を伸ばして至極幸せそうに眼を閉じた。傍らに
腰掛けて本を読んでいる健の長い髪を手持ち無沙汰に弄んでいると、其の指を掴まれた。
「よせよ」
 何処と無く険を含んだ彼の物言いに、「どうした?」と尋ねる。健は他の者は兎もかく
ジョーが髪に触れるのは、嫌っては居なかった。それなのに、掴まれた手に込められた力
は、意外に強かった。引こうとした手に、健が更に力を込める。
「其の儘動くなよ!」
 命じられた意味もよく分からずに、それでもジョーは身動きをしなかった。健の青い瞳
が距離を詰めて、近付いて来た唇が一瞬躊躇うように止まって、そして自分の物と合わさっ
た。探る様に侵入してきた健の柔らかな舌が、ジョーの舌を求めて徘徊して、捉えたそれ
に絡みつく。
「良いだろう?」
 唇を離して健が尋ねる。「何が?」と聞き返したジョーの声が掠れた。
『こいつ、何時の間にこんなにキスが上手くなりやがった』
「何時も人の事を鈍いと言っている割に、お前も勘が悪いな。俺はお前を口説いてるんだ
よ。抱きたいって言ってるんだ。分かるか?」
『分かるわけが無いだろう、そんな事。第一この組み合わせなら、どう考えてもお前が抱
かれる方じゃないか』
 自分が健に抱かれている姿など想像出来ない。反対なら・・・好いかも知れない。
だが・・・。
「・・健、お前酔ってるんだよ」
「あれ位のワインで酔うか!」
 見詰めてくる瞳は確かに真剣そのものだ。しかも健の指は器用に片手でボタンを外し、
片手は少しずつ露になる肌に触れてくる。
『こいつ、何時からこんな芸当を覚えやがった』
「ちょ、ちょっと待てよ。何で俺なんだ?どう考えたって、この組み合わせなら、抱くの
は俺だぞ」
 ジョーのうろたえも健を止められない。健の指先がどんどん下に降りて来た。
「嫌なのか?」
 湖水のような瞳で見詰められると、首を横に振れない。自分の未だ渇ききらないジーン
ズに掛かる健の手を、振り払えない。露になった下肢に触れる健の指は、ワインの所為か、
熱を帯びたように温かかった。
『俺は流されているだけなのかも知れない』
 そう思いながらも、不思議と自分の物に触れてくる健の手が不快ではなかった。

 身体を覆った毛布を健が首元まで引き上げた。熱が冷めた素肌に感じる間近な互いの温
かみ。外は未だ雨音が響いている。今日は何もする事が無い。此の儘朝までこうしている
のも、好いかも知れない。長い髪に触れてきたジョーの指に、健は心地良さそうに瞳を閉
じた。


The End


Top  Library List