遠い海

                       by Kiwi

1
地中海に浮かぶ島は遠かった。自国から国際線でイタリアまで、その後シシリー
のパレルモへ国内線で向かい、借りたセスナ機を飛ばして一時間ほど。彼らはや
っとBC島と呼ばれる島へ辿り着いた。
「ここに一体何が有るんですか?」
操縦していた若い男は、後部座席を振り返って尋ねた。
「ここである人間に会うことになっているのだ」
「それだけですか?」
自分の若いボディガードの開けてくれた扉から、セスナ機を降りながら、南部は彼
の顔を怪訝な表情で見た。
「帰りには人数が増えてるって事ですよね。てことは、その人間ってのは博士にと
って重要、且つ命が危ないって事ですか」
「その通りだ。何故分かるのかね?」
「二人にはセスナがでか過ぎますから。これだともう3,4人は乗れるでしょう」
自分の眼鏡に適ったこの若いボディガードを、南部は頼もしく見つめた。実践の戦
闘能力だけでなく、常に冷静で、状況判断に長けている彼を見つけて、南部はSP
から引き抜いたのだ。
「まあ、そういうことだが。意外にここまで来るのに手間取ったお陰で、約束の時間
に遅れそうだ。島田、悪いが急いでくれたまえ」
レンタカーに乗り込んで、南部が命令する。
「分かりました」
答えるより早く、エンジンを掛けて、アクセルを踏み込んだ。急発進の衝撃にシート
に押さえつけられながら、南部が叫ぶ。
「事故を起こせとは言っていないぞ」
「避けられない方が悪いんですよ」
返事を返したものの、島田は僅かばかりスピードを落とした。
窓から見る風景は美しい海と、南国を思わせる青い、何処までも蒼い空だった。こ
んな長閑な小さな島に、潜んでいる闇の部分を感じ取る事が、南部には難しかっ
た。が、それは確かに存在し、今日会う人間の無事を保証する代わりに、彼はそ
の情報を入手することが出来るはずだった。
「目的地はあの海岸ですね」
確認する島田に頷いた時、空気を切り裂いて何かが爆発する音がした。
ハッと表情を変えるのと、ブレーキを踏んで、車を急停止するのが殆ど同時だっ
た。ドアを開けて走り出す島田の手には、44マグナムが鈍い光を発している。少し
遅れて南部も駆け出した。遅かったのだ・・という後悔がその胸に去来して、南部
は悔しさに唇を噛んだ。
その場所まで辿り着いて、南部は一瞬息を呑んだ。海岸の砂が大きく穿たれ、傍
に血まみれの子供が倒れていた。辺りには爆発で飛ばされたテーブルや椅子の
残骸が、これも又、血塗られて、その姿を晒していた。
「・・な、・・なんて事を」
南部は子供に屈み込んで、首筋に触れた。
微弱な脈が当てた指先に感じられて、一先ず溜めていた息を吐き出した。しかし、
子供の体から溢れる様にして流れ出ている血が、決して一刻も無駄に出来ないの
だ。と、言う事を南部に思い出させた。
「島田」
一声呼ぶと、島田は風の様に南部の側に来た。その手にはもうマグナムは、握ら
れては居なかった。
「向こうで、両親も死んでますよ。あっちは即死でしたね。サイレンサーつきの小型
拳銃のようですから、かなり至近距離から撃たれたと思われますね」
「暗殺者は?」
「俺が来た時には、もう居ませんでした」
手早く止血を施して、子供を抱きかかえようとする南部を制して、島田は自分で子
供を抱き上げた。
「人が集まってきましたよ。どうします?」
「取り敢えずここの診療所に運ぶのが無難だろう。この状態で、長時間の飛行は
どちらにしても命取りだからな」
南部の指示に頷いて、島田は車に向かった。
島の小さな診療所にはオペの出来る施設も無いだろうと思っていた南部だった
が、その懸念は裏切られた。施設自体は小さいが、中に備えてある医療機は最
新式で、それが又なんとも胡散臭さを南部に感じさせた。それでいて、そこには医
師が常勤していないのだった。何か緊急の事態には、本土から医師が派遣されて
くる、と説明するもう中年に差し掛かる看護婦は、こんなオペを経験した事も殆ど
無さそうだったが、それでも役には立ってくれた。
夜がすっかり更けた頃、帰っていく看護婦を見送って、南部は子供の病室に入っ
ていった。ベッドの側で腰掛けていた島田が腰を浮かすのに、目でそのままで居
るように合図して、南部はまだ容態が安定していない事を示しているモニターを確
認して、深く考えに沈んだ。その姿を島田は無言で見つめる。彼の役目は何であ
れ、南部の決定に従い、その従事に自分の全てを賭けて尽くすだけである。
やがて南部が決心して顔を上げて、島田はゆっくりと立ち上がった。

2

キラキラと輝く美しい海をジョージは見つめていた。夕陽が波間を赤く染めていくこ
の時間の海が、彼は一番好きだった。何度か振り返って、テーブルに腰掛けてい
る両親に手を振る。その度に彼らはその手を振り返してくれた。両親は誰かをずっ
と待っていた。秋の初め、吹いてくる海風は冷たくは無いが、日の陰りと共に季節
の変わりを感じさせた。
「ジョー」
誰か呼ぶ鋭い声が、自分の父親のものだとは思えなかった。いつもの彼の深い
落ち着いた、バリトンとは違っていたから。それでも彼は振り向いた。そして、彼は
もう手を振り返してはくれない両親を見つけた。そうして・・・・
そうして、彼は目覚めた。一番に気が付いたのは、全身に広がる痛みだった。そ
の痛みが先刻目にした物は、夢ではなかった事を自覚させた。思わず父親の手
から取って、構えた拳銃の重みまで、憶えている。じゃあ、パーパとマーマは何
処?俺がお葬式をしてあげなかったら、二人とも天国へ行けない。周りを探そう
と、頭を少し動かしただけでも、眩暈が襲ってきて、彼の考えを遮る。
「気が付いたかね?」
見た事も無い紳士が、気遣うように声を掛けた。
話し掛けられた言葉は、イタリア語ではなかった。それが英語だと判るまで、暫くジ
ョージは考えなければならなかった。彼は英語を少しは理解することが出来た。言
語は何をするにも一番大切だからと、彼の父親が専属の教師をつけていたからで
ある。
「心配しなくても大丈夫だよ。君はもう安全だ」
パーパもマーマも居ないのに、何が安全なんだろう。見た事も無い人物をどうし
て、自分が信用できるのだ。
自分の怪我をしていない方の手を取ろうとするのに、『放して!』と、言おうとした。
だが、言葉は彼の口から零れなかった。幾ら口を開けても、自分の声は出て来な
かった。恐怖が喉の
奥から湧き上がって来た。自分は身動きが出来ないばかりか、話すことも出来な
くなってしまったのだろうか?呼吸が段々と浅くなってきて、いくら息を吸っても、
息苦しさが治らない。
傍らの男が慌てて、酸素マスクを彼の口と鼻に当てた。
「落ち着いて、ゆっくりと呼吸をするんだ。そう・・そう・・いい子だ」
苦しさから逃れたい一心で、ジョージはその指示に従った。
「君は重傷を負ってオペをしたばかりだから、興奮したり急に動いたりしてはいけ
ないよ。まだあれから一週間しか経っていないんだから」
『一週間!?どうしてそんなに経ってしまったんだ。じゃあ両親のお葬式は?二人
は天国に行けないの?』
「君のご両親のお葬式は、島の住人に頼んできたよ。それと君のお葬式もね」
『でも俺は生きてるのに。怪我が治ったら、俺は島に帰るんだ。アランや友達が、
俺が死んだなんて、信じるわけ無いよ』
「君のご両親が会うはずだったのは、私だよ。彼らは君と一緒にこの国に来ようと
していたんだ。すまない、もう少し早く着いていれば・・・」
では、本当にもうあそこには帰れないのだ。自分は両親だけでなく、友達も、そし
て、故郷さえも失くしてしまったのだ。涙がポロポロと流れた。泣きたい時にさえ、
声は出てくれなかった。
「声が出ないのは、ショックから来る一時的なものだよ。必ず私が治してあげるから」
南部の言葉もジョージの耳には届かなかった。唯涙が後から後から筋になって、
彼の耳元へと流れて行った。

3

窓から見える屋敷の庭の木々が、晩秋の風に震えている。比較的年中温暖なユ
ートランドでは有るが、朝晩はやはり肌寒くて、ここはやはり島とは違うのだ。と、
ジョーに痛感させた。南部は彼を自分の養子として迎え、国籍と新しい名前を与え
た。ジョー・浅倉と記された書類にサインして、それで御終い。BC島に居たジョージ
はもう何処にも居ない。
あれから三ヶ月近く過ぎて、体の傷はすっかり癒えていた。だが、彼は言葉を失っ
たままだった。
「ジョー、仕度は出来たかね?」
南部の声に、ジョーは振り返った。深い物思いに耽っていた風の彼の肩に、気遣う
ように手を架けて南部はジョーを促した。今日はジョーの誕生日だ。レストランで食
事をしようという南部の提案で、二人はダウンタウンに有る、南部の行きつけのレ
ストランに行く事になっている。
「博士―」
丸顔の可愛い顔をした少年が、扉を開けて駆け込んできた。
「健。よく来たね」
チョコレート色の髪を靡かせて、印象的なサファイア色の瞳を輝かせた健を、ジョー
は眩しそうに見つめた。幸せそうに笑う健は綺麗だった。だから尚の事ジョーに、
寧ろ憎しみにも似た感情を抱かせた。自分を見つめている存在に気がついた健
が、気恥ずかしそうに彼に笑いかけた。
「初めまして、ジョー。僕は健。今日から宜しくね」
差し出された手を、プイと横を向いて拒絶して、それでも南部に言葉の意味を問い
掛けるように視線を投げた。
「ジョー、この子は健。今日から暫くこの家で私達と一緒に暮らすんだよ。今までこ
の家には大人ばかりだったから、健は君のいい友達になるだろう」
「僕のお母さん、病気で入院したんだ。だから南部博士がこの家に呼んでくれたん
だ」
健の言葉にジョーは唇を噛み締める。それでも健の母親は生きている。又直ぐに
会えるのだ。
「さあ、お腹が空いただろう。出かけようか」
笑顔の南部に背中を押されて、二人は部屋を出た。
堅苦しいレストランは好きじゃない。何故自分はこんな誕生日を、迎えなくてはい
けないのだろう。去年はマーマの作ったご馳走とケーキが、テーブルに並べられて
いたのに。普段はあまり自分で料理をしないマーマが、「ジョージの為だから」と、
言って作ってくれた食事。「少し失敗しちゃったわ」と言うマーマの言葉に三人で笑
いながら、頬張ったケーキは甘かった。
高価で美味なはずの食事は、味が無かった。それでもジョーは無理にその塊を飲
み下した。
「お誕生日おめでとう」
健の差し出すプレゼントを、ぎこちない笑顔で受け取った。南部もカラフルな包みを
ジョーに手渡した。自分を見つめている二人に、笑顔を作ってジョーは包みを開け
た。いかにもこの年の子供が喜びそうな玩具が南部の包みから現れ、健の包み
からは一冊の本が出て来た。
「僕の大好きな本なんだ。ジョーも気に入ってくれるといいな」
屈託の無い健の言葉に、その表紙を見つめた。青い海と白い砂浜が描かれた表
紙は、何処か自分の故郷を思い出させて、彼を切なくした。もう決して帰れない、
懐かしくて遠い国。笑顔を作るには辛過ぎて。でも自分が弱虫だとは思われたくな
くて。彼はぐっと唇を噛み締めて、何でも無い振りをした。
食事が済んで屋敷に帰り着いたのは、既に9時を回っていた。それぞれの部屋に
帰って行く子供たちに、「早く寝るように」言って、南部は書斎へ入っていった。
健の部屋はバスルームを挟んで、ジョーと隣り合わせだった。部屋に入って着替
えを済ませると、健は南部の言いつけ通りベッドの中に潜り込んだ。シンとした静
けさの中で、バスルームの扉の開く音を健は聞いた。
『ジョー、トイレかな?』
暫くしても、再度扉の開く音がしない。水音もしないから、シャワーを浴びているわ
けでもなさそうだった。不安になって、健は耳を欹てた。何の物音も聞こえない。
我慢できなくなって、彼はバスルームに続く扉を開けた。
「ジョー。どうしたの?」
便器に覆い被さって、嘔吐しているジョーに駆け寄って、健は叫んだ。
「博士!早く来て。ジョーが」
健の声に南部だけでなく、使用人達、ボディガードとしてこの屋敷に寝泊りしてい
る、島田までもが、飛んできた。
その間にもジョーは嘔吐し続け、夕食を全部吐いて、それでも止まらず、とうとう胃
液まで吐き続けた。青白くなった頬を歪めて、嘔吐し続けたジョーを南部はベッドま
で運んで、診察を始めた。
「何処か痛むかね?」
南部の質問にジョーは目を閉じたまま、首を振った。
「何か悪いものでも食べたとか?」
島田の質問に今度は健が、首を振った。
「僕と同じ物を食べましたから。食中毒とかでは無いと思います」
「やあ、健。来てたんですね」
「今日からね。また暫く、宜しくお願いします」
二人の会話を他所に、南部は診察を終え、ジョーに取り敢えず吐き気止めの注射
を打った。苦しそうに眉を顰めているジョーの額に浮かんだ汗を、南部はタオルで
拭いて遣る。浅く繰り返されていた呼吸が、少し穏やかになってきた。ジョーは問
いただし気に南部を見上げるが、南部は何も答えずに掛け布団から出ていた彼の
腕を、そっとその中に戻して、柔らかな枯葉色の髪を額から掻き上げて遣った。
「今日は外出をして、疲れただろう。心配しないで眠りなさい」
南部の言葉に頷いて、彼は瞳を閉じた。舌先に胃液の苦さが残っている。水が飲
みたかったが、今はそれさえも吐いてしまいそうだった。
「博士、僕今日ここで寝ていいですか?」
心配そうな健の言葉に、南部は首を横に振った。
「今晩は私が付いているから、大丈夫だよ。君も今日は疲れているだろうから、も
う寝みなさい」
南部に柔らかく、だがしっかりと拒絶されて、健は「はい」と答えると、素直に自室
に戻った。
「原因は何なんですか?」
島田の問いかけに、南部は疲れたように自分の目頭を親指と人差し指で揉み解し
ながら、呟いた。
「恐らく自家中毒だね」
「何です、それ?」
「ストレスからくる嘔吐、腹痛・・・身体的に異常が有る訳では無いのだが、止まら
ない。ジョーは神経的に今、危うい状態居るのだろう」
「おかしくなるって事ですか」
「そういう可能性も有るだろう。自分の目の前で両親が殺されるという事は、子供
にとっては過酷過ぎるトラウマになる。まして、彼は今話せない。叫べない。彼の
想いは内に向かうしかない。私はもっと留意するべきだった」
「難しいもんですね。ガキの心理ってやつは」
「こればかりは私の手にも余るな。児童心理は得意じゃない」
溜息をつきながら、部屋の灯りを落として、南部は島田に部屋に戻るように言っ
た。島田は、彼の言葉に黙って従った。南部の手に余ることに自分が出来る事は
何も無い。
夢を見ているのか、苦しそうにジョーが顔を歪める。何かを叫びたそうに口を開け
るが、そこから声は出てこない。もどかしそうに、喉元に手をやる。その手を南部
は握り締めた。
「ジョー、私たちがここに居る。大丈夫だよ。ジョー」
その耳に届くかどうかは判らなかったが、南部は一心に唱え続けた。
4
翌日になっても、ジョーの容態は改善しなかった。消化が良い物をと家政婦が作っ
た食事も余り口を付けず、食べた僅かな物もすぐに吐いてしまう。脱水症状を起こ
さないようにと、水分だけでも取るように南部は命じたが、それさえも吐いてしまう
状態だった。仕方なく点滴を施しながら、諭すように南部は話し始めた。
「ジョー、このままでは君は死んでしまうよ。私はそんなつもりで、君をこの国に連
れてきたのではない。ご両親もそんな事を望んではいないだろう。君にもそれは
分かっているだろう」
分かってはいた。頭では。でも体が受け付けないのだ。昨日自分は両親の居ない
誕生日を迎えた。来年も彼らは居ない。マーマのケーキで祝う誕生日はもう永遠
に来ないのだ。両親が自分の死を願っていないのは確かだ。でも、自分がそれを
願っては、何故いけないのだ。自分にはもう何にも残されていないのに。ジョーの
姿に南部は苦い思いを感じた。全ては私の責任か・・時間に間に合っていれば、
彼は今ごろ両親の懐に守られていたものを。言葉も無く、彼は部屋を後にした。
少しうとうとしていたようで、眼が覚めたときには昼近かった。
『ああもうじき、又家政婦が食事を持ってくるんだ』
今は食物の匂いを嗅ぐのさえ嫌で、ジョーはベッドを抜け出した。胃の中が空っぽ
の所為か、吐き気は少しましになっていた。健は学校に行っているのだろう。屋敷
の中はシンと静まり返っている。
『何処か・・・誰もいない所・・』
ジョーは階段の手摺に縋りながら階下へと下りていった。地下まで下りて、重い扉
の前に彼は立った。
『何の部屋だろう?』
訝しく思いながら、彼はその扉を開けて、中に入った。正面に大きなガラス張りの
部屋が有った。大きなガラスに近付くと、中に若い男が居る。島田と呼ばれていた
ボディガードだと気づき。ジョーは見つからないように身を低くして、彼を凝視した。
島田は前方にある的を相手に射撃練習の最中だった。立て続けに現れる的が狙
い違わず連射され、空の薬莢が地面に落ちる。その背中のピンと張り詰めた筋肉
を、ジョーは美しいと感じた。が、それよりも彼の手中の鈍く光る拳銃から、彼の眼
は離れなかった。
「もう具合は良いんですか?」」
問いかけられた島田の声も、ジョーの耳には届かなかった。じっと彼は拳銃を見つ
め続ける。
「おいジョー、大丈夫ですか?」
近くまで歩み寄った島田の声に、びっくりしたように彼は顔を上げた。
「どうかしたんですか?具合が悪いなら部屋に連れて行きますよ」
問いかけに黙って首を振って、ジョーは身振りで「ここに居たい」と訴えて、隅に有
った椅子に腰掛けた。
『変なガキだな・・』
もう一度的を狙う為に、外していたヘッドフォンを耳にあて直して、島田は拳銃を手
にした。だが、中々いい眼だ。あんな眼を見たのは初めてだ。もうじきこっちに戻っ
て来られるかも知れない。
手の中のマグナムが咆えて、的が砕け散るのを見つめる島田は、ジョーの事は意
識の外へと追いやっていた。
全弾を撃ち尽くしては、又、装填して。という動作を何度か繰り返していた彼は、や
っとジョーの事を思い出した。
幾らなんでも部屋に戻ったろうと、思っていた彼は、椅子の上で器用に丸くなって
眠っているジョーを見つけて、苦笑した。
「よくこんな五月蝿い所で、寝られるもんだな。神経が細かいんだか、太いんだ
か、分からない奴だな」
呆れてジョーの体を抱き上げると、彼は階段を目指した。
「島田さん、大変です。旦那様が!」
半狂乱になった家政婦が、階段口で彼を呼んでいる。旦那様と、いう言葉に反応
したようにジョーがその眼を開いた。それを見て、彼を下ろした島田は階段を駆け
昇った。
「どうしました!」
「旦那様が何者かに襲われて、負傷なさったという連絡が」
「何処です!」
尋ねながら、戸口に向かって駆け出す。背後から病院の名を告げる家政婦にジョ
ーを預けて、車へと走り出す。
一部始終を聞いていたジョーの目が見開かれた。彼は血まみれになった自分の
両親の姿と、南部の姿をそこに見た。
凍り付いていた彼の叫びが、口から溢れ出した。
「嫌―嫌だ。誰かを亡くすのは・・」
ガタガタと震え出すジョーを守るように、家政婦は背後から抱きしめようとする。そ
れを振り切って彼は走り出した。
今にも発進しようとする車に駆け寄る。窓ガラスを叩いて、ジョーは叫んだ。
「島田。俺も行く!」
思わず眼を見張った島田だったが、時間が勿体無いとばかりにドアを開け、ジョー
を車に引っ張り込んだ。
「しっかり?まってなさい」
命じて、アクセルを思い切り踏み込む。下り坂のカーブを殆ど減速しないでクリアー
しながら、島田は考えた。
今日は自分以外のボディガードが南部を守っていた。それでも腕は確かな奴が三
人付いていたのに。何てこった。自分が付いているべきだったと、彼は唇を噛ん
だ。噛み切った唇から血が流れ出して、鉄の味が口中に広がった。
隣のジョーは未だガタガタと震えながら、それでもじっとフロントガラスを見つめて
いる。ぎゅっと膝の上で握られた両方の拳だけが、彼の気持ちを語っている。
「怖いですか?」
コクリとジョーは頷いた。怖かった。誰か自分の知っている人間を失う事が。だけ
ど、自分の知らない所で、全てが終わってしまうのはもっと怖かった。自分は両親
の為に泣いてあげたかった。その体に縋って、声を上げて泣きたかった。
「怖い。でも俺は逃げちゃいけない」
両親の為に泣けなかった。自分は彼らを守れなかった。手にした拳銃の冷たさ
に、重さに負けた。でも、今度は大切のものを自分で守る。無力さに涙するのは、
真っ平だ。その為にジョーは強くなりたかった。
病院のパーキングに車を滑り込ませて、停めたと同時にキーを抜くのももどかしく、
二人は玄関に向かった。
「島田さん」
島田の名を呼びながら男が走ってきた。今日南部の護衛についていた仲間の一
人だ。
「博士は?」
短く尋ねると、「中です。治療はもう終わりましたが、医師が部屋を用意してくれま
した」
自分たちの失態を苦く感じているのか、彼の表情は険しい。
「被害は?」
「鳴海は・・殺られました。マイケルは、未だオペ中です」
報告を聞いて、島田はギリッと歯噛みをした。その背中が膨れ上がって、怒りに耐
えているようで、ジョーは島田に駆け寄った。固く握り締めている左の拳にそっと
触れる。
「何でも有りません。子供に心配して貰う様なことは有りませんよ」
島田はそう言ったが、彼はその手を掴んだままだった。
南部の病室の前で、ジョーは一瞬躊躇い。そして扉を開けた。その手が小刻みに
震えているのを、今度は島田が支えて遣った。
ベッドに身を起こしている南部を見た瞬間、ジョーの目から涙が溢れ出した。走り
寄って、南部の胸に顔を埋めて、ジョーは声を上げて泣き出した。
「ジョー。声が戻ったんだね」
南部の言葉に何度も頷きながら、ジョーは泣き続けた。
そのまま泣きつかれて眠るまで、彼は南部の手を離さなかった。
翌日、島田は又射撃場に居た。静けさを切り裂くように、銃声が響く。
扉を開けて入ってきたジョーに、背中越しに声をかける。
「よく眠れましたか?」
それには答えずに、ジョーは彼に近付いた。
「島田。拳銃の撃ち方を教えろ」
ジョーの物言いに、島田はおや?と思った。この坊や、人に命令しなれているな。
しかしそんな考えはおくびにも出さず、わざとらしく溜息をついた。
「それが人に教えを乞う言い方ですかね」
「・・・お前博士の雇われ人だろう?」
「やれやれ、あんた口を利けないときのほうが、可愛げが有りましたね。俺はあん
たに雇われているわけでは有りませんよ」
「教えて・・」
口の中でモゴモゴと呟いているジョーに、島田は意地悪く聞き返した。
「何ですか。聞こえませんよ」
「教えてください」
小さく言ったジョーの頭に手を置いて、その枯葉色の髪をくしゃとしながら、島田は
笑った。
「良く出来ました」
彼は笑って、ジョーにヘッドフォンを投げて寄越した。



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