月の雫

by Kiwi

何時もの様にジョーは、何の前触れも無く島田の部屋に遣って来た。電話を掛けてきた事
も無ければ、前もって約束していた訳でもない。ふらりと遣って来て、玄関のチャイムを
傲慢に鳴らすか、島田が居ない時なら、何時の間にか作った合鍵で勝手に入る。一度「そ
れじゃあ泥棒ですよ」と得意そうに作った合鍵を見せるジョーに言った事が有るが、「じ
ゃあ俺は将来泥棒にも成れるな」と妙に嬉しそうに言われて、何を考えているんだと頭を
抱えてしまった事が有る。

今晩は島田が居たので、チャイムに応えて、玄関の扉を開けて遣った。ウイスキーやバー
ボンが無造作に押し込まれたキャビネットの上の時計が、夜の11時を指している。
「何か用ですか?俺は明日博士のガードで、朝早いんですが・・」
ジョーが此処に来た理由は分かっているが、深夜の訪問に対して、せめてもの嫌がらせを
試みる。
「此処に来るのに、他の用事なんて有るかよ」と、何時もと同じ拗ねた口調で答える。
「あんたとは長い付き合いですが、たまには可愛らしい事は言えないんですか?」
「可愛らしい事って何だよ?」
問い返す表情は、何時もは鋭くてキツイ目が丸くなって、幼さが未だ有る。
『こういう時のあんたは変に可愛いな』と島田は少し目を細める。だが、そんな考えをジ
ョーに察しさせて、この後更に傲慢になられるのも癪なので、彼は態とジョーが死んでも
口にしないであろう言葉を言ってやる。
「抱いて欲しい。抱いてくれ、て言えませんか?」
島田の言葉にジョーは彼には珍しいほど赤くなって、そっぽを向いた。
「ならいい、帰る」
腰を下ろしていたソファから立ち上がろうとするのを、左手の手首を掴んで止める。そこ
には先日博士から5人に渡された、薄い金属製のブレスレットが部屋の照明に光っている。
意外に細いジョーの手首にそれは似合っている。「博士の発明の秘密兵器だぜ」と先日ジ
ョーは島田に言ったが、その詳細を未だ彼は知らない。
「素直じゃないですね、相変わらず」
「俺が素直になったら、竜や甚平が気味悪がるだろう?第一・・」
と続ける言葉を遮って、彼の唇を島田は塞いだ。言葉には出来ないくせに、行動は何時も
彼の心情に素直だ。ゆっくりと唇を離せば、そこから洩れる吐息はさっきまでのふてぶて
しさを裏切っている。だが絶対にそんな弱みを見せないように、いや、むしろそれが当然
の行為の様に、彼は頭を毅然と上げて、着ていた半袖のTシャツを無造作に脱ぎ捨てる。
それをソファの上にポンと投げて、次は何の躊躇いも無くジーンズに手を掛ける。ムード
も何も有った物ではないのだが、それが如何にも彼らしくて島田は嫌いではない。
『たまにはムード満点で、着ている物を一枚ずつ剥ぎ取ってみたい』
という邪な考えも浮かぶのだが、それを実行したら二度とジョーは此処に来ないような気
がする。
『そう言えば最初の時もそうだったっけ』
その晩遣って来た彼は、いきなり島田にキスをした。驚く島田の瞳を宝石のような水色の
瞳で(アクアマリンという宝石と同じ色だと、後日島田はらしくもない宝石店のショーウ
ィンドで知った)じっと見返すと、彼は何も言わずに服を脱いで、「付いて来い」と言わ
んばかりに島田のベッドルームに行き、一人には不似合いな大きなキングサイズのベッド
に膝を抱えて座った。後から入って来た島田に、彼はその長い前髪を鬱陶しいのか、癖な
のか、何度か掻き上げて、口には出さずに「早く脱げよ」と命令した。その態度が余りに
も自然なので、島田はジョーが女性だけでなく、男性との経験も有るのかと思ったが、そ
れは島田の誤解だった。
「女の方が好きです」と言った島田の言葉に嘘は無い。ジョーにしても自他共に認めるレ
ディスマンだ。なのに何故自分とジョーは惹かれあうのだろう。

露わになった綺麗に日焼けした素肌に手を滑らせると、ジョーの身体がビクッと震えて、
閉じた瞼に翳りが落ちる。島田の指に吸い付くような彼の肌は、若さ故の弾力に満ちてい
る。左手の指をその枯葉色の髪に差込み、そっと梳いてやりながら、右手は彼の左脇腹の
古傷に触る。ここに触れられるのをジョーは嫌う。怒ったように身を捩って島田の手を払
おうとするが、唇を同時に首筋から乳首の辺りに這わせると、そんな抵抗も無になる。少
し開いた口元から洩れる吐息が、最初に彼の抵抗を裏切り、彼が今欲しているのは何より
も自分の腕なのだ、という事を島田に教えてしまう。唇を古傷から更に下へと進め、立ち
上がりかけたジョーの物に達した時、漸く彼は両脇に垂らしていた腕を、島田の首に廻し
た。咥えた物に舌で緩やかな刺激を与えると、それは姿を変え、我慢するのが辛いように
ジョーは眉根に皺を寄せ、島田の黒い髪を両手で掴む。その手を捕らえて掌に唇を押し当
てると、島田は指先を一本一本口に含んだ。島田に含まれた指先から電気のような痺れが、
身体全体に広がって、ジョーは閉じていた目を開けた。が、島田の少し意地悪そうな目と
合うと、プイっとその顔を逸らす。けれども島田はそれを許さずに、ジョーの顔を両手で
挟んでじっと瞳を覗き込んだ。
「感じますか?」
底意地の悪い島田の問いにジョーは答えない。代わりに島田の股間に手を伸ばして、彼の
ものを少し乱暴に愛撫する。
『ああ・・あんたは何時も不器用ですね』
ジョーは決して口にしない。抱かれている時の彼の表情は何よりも雄弁に彼の心情を表し
ているのに、口から出るのは何時も憎まれ口ばかりだ。
今度は自分の指をジョーの少し開いた口に含ませる。生暖かい口中で右手の中指と人差し
指を、唾液で湿らせた。十分に湿った指をジョーの秘所に潜り込ませると、ビクリと彼の
下半身が震えて、蕾は島田の指を二本とも根元まで咥えた。ゆっくりと丹念にそこを揉み
解して、ジョーの呼吸が早まっていくのを確かめてから、島田は自分の物を抜き出した指
の代わりに入れる。腰を進めながら、再びジョーの物に手を伸ばして、彼はジョーを射精
へと導いた。

汗ばんだ身体を横たえて、ジョーは左手首のブレスレットの表面に軽く触れた。冷たい金
属の感触はヒャッとして、火照った体には気持ちいい。
「訓練のほうは進んでますか?」
「・・相変わらずの奴も居るけどな」
クスッと笑ってそんな憎まれ口を利く。本当にそう思っているわけではないだろうに、何
処までも不器用な奴だ。島田はふと頭の中を過ぎった質問をしてみた。
「危険な任務ですよね、科学忍者隊は。あんた死ぬのは怖くないんですか?」
「分からないな・・怖くはないと思う。それが戦いの中で一瞬の内に訪れる死なら。親父
やお袋の仇を討てないのは嫌だけど、それでも戦闘中に死ぬなら良いかな。下手に生き残
って、病院で苦しみながら死ぬのだけは御免だな」
「あんた病院嫌いですからね」
「・・・俺が死んだらお前は泣くかな?」
そんな問いかけに島田はジョーの顔を見つめた。
「泣きませんよ」
「だろうな」
『俺はずるい大人ですから』
「あんたはどうです?」
ジョーに比べれば危険度は少ないが、島田とて南部を守るためにはその命を標的にする事
も有る。
「・・・泣くわけねえだろ」
一瞬裸の背中が硬直して、吐き出すようにジョーは答えた。
それは嘘だろうと、島田は思う。傲慢でふてぶてしい彼の恋人は、意外なほど脆くて柔ら
かな心を持っている。それが島田でなくても彼は強がった口調の後で、一人できっと泣く
のだ。
「・・じゃあ今泣かせて上げましょう」
意地悪く笑って島田は、もう一度ジョーの腕を掴んだ。

2

「もっととばせよ」
助手席で両手を組んでいるジョーの機嫌は悪い。結局あれから眠ることなく楽しんだので、
彼の全身は何となく重くて、しかも身体の奥は今も疼いている。
「はいはい」
ここは逆らわないほうが賢明である。島田は又アクセルを踏み込んだ。
南部を別荘に午前6時に迎えに行く事になっている。「眠いし、あそこは痛いし、俺は絶
対に行かないぞ」と駄々をこねるジョーを、何とか宥めて別荘に連れてきたのだ。
「あんた今週に入って一日も別荘で寝てないでしょう。いい加減にしないと博士にお小言
を喰らいますよ」
「そのうちの半分はお前の処に来てたんじゃないか。残りは女の所だけど・・それに朝帰
りしても同じだろ」
「それはそうですけど、それでも帰らないよりはマシでしょう。放っといたらあんた何日
でも俺の所に居るんだから。俺が居ようと居まいとお構いなしで。一体誰のマンションな
んだか・・・それに女好きの正義の味方ってのもどうかと思うんですけど」
「スーパーマンもスパイダーマンも彼女と上手く遣ってるぜ」
「あんたみたいに取っ替え引っ替えじゃないでしょう!」
「男はお前だけだぜ」
「それは光栄ですよ」
相変わらずの憎まれ口に島田も応じてやる。少しはご機嫌が治ったようだ。最初の30分ほ
どは一口も口をきいて貰えなかった。
秋の夜は長い。未だ夜は明ける気配も無かった。ジョーは黙って窓から夜の町並みを見て
いた。島田の住むダウンタウンから、車は郊外の海岸沿いへと走り抜ける。やがて南部の
豪奢な別荘が見えてきた。
「島田!そこで車を停めろ!」

緊迫したジョーの声に島田は、一瞬も躊躇わずに車を停めた。
「どうしました?」
「何か影が動いた」
言うのももどかしく、車を飛び降りる。さっきまでの気怠そうな雰囲気はとっくに消えて
いる。表情が怖いくらいに変わって、ジョーは天性の戦士に変化した。
走り出すジョーの先には成る程、幾つかの黒い影が動いている。
『くそ!島田の所為で身体が重いぜ』
心の中で悪態をつきながら、ジョーはそれでも凄いスピードで駆け抜ける。さすがに追い
付けずに僅かずつ島田は遅れる。
「若者にゃ敵わないや」と言いつつ、懐から44マグナムを取り出す。
ジョーが追い付くよりも早く、影の方が気配を察して歩みを止める。
「此処に何の用だ?」
セキュリティゲートの前で、立ち止まった影を油断無く見据えながら、ジョーは尋ねた。
暗闇に紛れる様な黒のシャツに黒いパンツ、どう見ても好意的なお客様では無い。一歩歩
みを進めると、その分距離を開ける。やっと追い付いた島田が横に並ぶのを、ジョーは止
めた。
「お前は別荘に行け。仲間が居たみたいだ。博士が無事か確かめて、博士を守れ!」
その言葉に頷いて、島田は走り去る。
影とジョーはじっと動かずに睨み合った。先に動いたのは影の方だった。驚くほど軽い身
のこなしで飛び上がると、ジョーの喉元を目掛けて、蹴りを繰り出す。それをクロスした
両腕で受け止めると、今度はジョーがその足首を掴んで、放り投げた。が、相手は鮮やか
に空中で後方に回転すると、綺麗に着地した。蹴りも強烈で、受け止めた両腕が微かに痺
れている。低く身を滑らせて影の足を払いに行けば、身体の奥が不満を訴える。
「島田の野郎」と呪詛を上げながら、ジョーは影の右足を払い相手のバランスを崩した。
そこに狙いすました正拳を入れたのを、相手が身を捩ってかわした。ジョーの拳の風圧で
被っていた覆面が破れた。それをもどかしそうに影は脱ぎ捨てた。
街灯が照らし出す中、二人は息を乱して再び見詰め合った。覆面の下の顔は鼻梁が高く、
端整だった。形の良い唇を薄い笑いに歪めて立つ男の髪は、周囲よりも漆黒の闇色で、背
中まで覆っていた。
「強いなお前は。だが、俺の顔を見た以上は死んで貰う」
言い終わらない内に、自分の目を目掛けて飛んで来た何かを、ジョーは左腕で防いだ。そ
こにチクッとした痛みを感じて、調べると長い針が刺さっている。それを無造作にジョー
は引き抜いた。血は流れない・・代わりに視線が揺らいで、眼前の男の姿が何重にも見え
る。
「毒か?」
「大丈夫即効性では無いから・・じわじわ死ぬのと、一思いに殺されるのとどちらが望み
だ?」
男の言葉にはもっと強い毒が含まれているようだ。ジョーは彼を睨みつけようとしたが、
自分の視界がどんどん霞んでくるのを感じた。意識を失っていくのではなく、視覚が失わ
れているのだ。目の前に居るはずの男の姿が、ボヤケてやがて何も見えなくなった。急に
襲われた暗闇に彼の恐怖心は弥が上にも増す。
『このままじゃ、嬲殺しだ』
彼は右手で左手首のブレスレットの表面を軽く叩いた。「ピーッ」と言う小さな発信音が
した。

南部の部屋に忍び込んできた数人の影を、影というのは正しくは無い。部屋の灯りを島田
が点けたので、その黒ずくめの姿は灯りの元で、露わになっている。覆面をしているので
顔かたちは判明できないが、体つきからして全員が男だ。既に起床していたので、南部に
被害は無い。島田はさすがに部屋の中で銃を使うのは避け、自分の鍛え上げた体術を生か
した戦いをしている。相手も中々の使い手だったが、健達の加勢も有って、後に倒れてい
るのは黒い男たちだけだった。
「アジア人ね。中国系かしら?」
覆面の下から現れた顔を見て、ジュンが言った。
「使っているのも中国拳法のようでしたから、まず間違いないでしょう」
島田が答えた時、4人のブレスレットから一応に金属音が響いた。
「ジョーは?」
健の問いに島田が答える。
「門の外で、一人片付けてるはずですが」
「ジュン、後は頼むぞ」
言うより早く健は走り出した。その後に島田が続いた。
「それは通信機なんですか?」
健の左手のブレスレットを指差して、島田が尋ねる。二人とも全速力で走ったままだ。
「まあ、そうです。他にも使い道は有るんですけど、今は未だ極秘で・・だからジョーが
これを使って連絡してくるのは、よっぽどの事のはずです」
健の言葉に島田は表情を僅かに変えた。
『さては向こうのほうが、強敵だったか?』
首に廻した腕で頚骨を折ろうと締め上げるのを、一歩前に踏み出して、出来た僅かな緩み
に乗じて、ジョーは男を背負い投げで投げつけた。地面に叩きつけるつもりだったが、相
手はまた綺麗に地面に着地したようだ。何処に男が居るのか分からない彼には、反撃の仕
様も無い。立ち尽くしていた足元を掬われて、自分のほうが地面に音を立てて倒された。
咄嗟に受身を取って、転がったのを上から圧し掛かられて地面に貼り付けられる。首元に
冷たい金属の感触が当たる。
「往生際が悪いな。一思いに楽にしてやるのに」
男の手の中のナイフが薄く皮膚を裂いて、血が流れ出す感覚がする。
『健。早く来い』
「ジョー」
健の呼ぶ声と、島田の発射した銃声が同時に聞こえて、ジョーの首筋からナイフが離れた。
銃弾が男の長い髪を未だ明け切らない空に飛んで、チラッと島田と健を見た男は風のよう
に走り去った。
「島田さんはジョーを頼みます。俺はあいつを追いかけますから」
「深追いは禁物ですよ」
「分かってます」
短く答えて、健は走り出した。その姿も一瞬のうちに見えなくなった。
島田はジョーの側に膝を付いた。
「仕留めたか?」
「しくじりました」
「ざまあ無いな・・・」クッと小さく笑ってジョーは言った。
島田のネクタイを掴んで、島田の顔を近づけると、彼は小声で囁いた。
「・・・・分かりました」
島田の答えに彼は、満足したように目を閉じた。

3

「深追いは禁物ですよ」と島田には言われたが、彼らの狙いが南部である以上又狙われる
可能性が有る。健としては早くに片を付けたかった。
身の軽い男の後を同じルートで辿りながら、健は男の行く先に目星を付けた。この男も中
国系らしく、目指すのはユートランドの街の外れに有る中国人街のようだ。夜は既に明け
始めて、異国情緒の町並を照らし出している。その中を男は先程までとは打って変わって、
ゆっくりとした歩みで通り過ぎていく。健は気付かれないように十分な距離を取って、そ
の後に続いた。
「何処まで付いて来る?」
後ろを振り返る事も無く掛けられた言葉に「チェッ、気付かれてたのか」と健は舌打ちを
した。仕方なく彼は男の前に姿を現した。
「今度は随分と可愛らしいのが出てきたな。未だ子供のくせに危ない事に首を突っ込まな
いほうが良いぞ」
健は何も答えずに肩を竦めた。実際健とジョーは同い年だが、比較的童顔の健は何時もジ
ョーより若く見られる。何時もはそれが喧嘩の種の一つになるのだが、今日の健はそれを
逆に生かすつもりだった。ジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、自分より頭半分以
上高い男を見上げた。勿論ニッコリと微笑むのは忘れない。
「博士を何故狙ったんですか?」
「殺しを金で請け負った。所謂ビジネスさ」
男の答えは有る程度予想していた。尋ねたのは唯隙を狙いたかっただけ。答えが終わるよ
り前に、健の身体は移動して、男の左手首を捻って合気道の要領で投げ飛ばした。それを
受身で綺麗に流して入れてくる蹴りを、健は紙一重でかわした。ココア色の髪の毛が風圧
で舞い上がる。
「中々やるな、お前も。成る程見かけでは分からんもんだ」
「貴方も、その腕をもっと有効に生かそうとは思わないんですか?」
「俺は十分有効に使ってるさ。唯人とは価値観が違うだけだ」
「誰に頼まれました?」
「依頼主の秘密はバラせないんだぜ。それがこの世界のルールだ」
「殺されても?」
「殺されてもさ。もっとも・・」
男が途中で言葉を切って、何時の間にか手にしていた長い針を、後方に向かって投げた。
ビルの陰に隠れてライフルを構えていた男が針を喉元に受けて、絶叫した。その針には全
て毒が塗られているのか、男は暫く痙攣を繰り返して、やがて息絶えた。
「・・依頼主がルールを破った場合は、契約不履行だ。そうだろう?」
だからと言って、こちらに味方してくれるわけでも無さそうだ。健は毒物を使うような遣
り方は好きではない。形の良い眉を思い切り顰めた。
「・・未だ博士を狙う気ですか?」
「言っただろう、契約不履行だ。仕事の成り行きを見張られたり、果ては口封じをしよう
としたりする奴らとは一緒に仕事は出来ない」
もう話は御終いだと言うように、男は背中を向けた。
『このまま帰していいのか?』
健は一瞬悩んだ。が、その時ブレスレットからジュンの声が聞こえた。
「健、健聞こえる?」
「こちら健。ジュンどうしたんだ?慌てて」
「健、ジョーが大変なの。直ぐに帰って来て!」
「ジョーがどうしたって?」
「とにかく早く帰って来て」
「分かった」

通信を切って、走り出しかけた健に男が声をかけた。
「ああ、忘れてた。ジョーってのは、さっきの坊やか?」
「そうだが・・お前ジョーに何か!」
先程までは殺気を窺わせながらも、丁寧語で話していた健の口調が剣呑に変わり、表情も
更にきつくなった。その変化を面白そうに見つめながら、男が続けた。
「ベラドンナを知っているか?イタリアでよく使われていた毒薬だ。それをベースに俺が
作った毒を塗った針を、刺してやったんだ。即効性じゃ無いが、数時間後には死ぬ」
「解毒剤は?どうやったら助かるんだ!」
「何故俺がそんな事に答えなくちゃ成らない。俺はあいつに何も恩は無い」
「教えてくれ!でないと」
「どうする?力ずくで答えさせるか?」
男の言葉に健は下唇を噛み締めた。力ずくで尋ねたところで、答えてくれそうな相手では
無い。
「・・頼むから。俺に出来る事なら何でもする」
「面白いな。何故そこまでムキになる。あいつはお前の何なんだ?恋人か?」
「・・ジョーの恋人は他に居る。俺にとってジョーは・・親友で兄弟で・・」
『居なくなったら、きっと半身を失ったようになる相手』
「じゃあ、お前は俺の物に成れるか?」
「構わない。それでいいのか?」
「違うな、俺の言っているのは身体の話じゃない。心ごと俺の物に成れるか?」
「言ってる意味が分からない。そんな事今決められるはずも無いだろう。身体だけで良か
ったら、今直ぐにでも呉れてやる」
「・・・分かった」
健の言葉に男は頷いた。きつい目をして、吐き出す健の言葉は純粋すぎて自分には眩しす
ぎる。彼はその人生で初めて、憐憫をかけた。自分に背を向けて歩き出す男に、健は慌て
た。
「待ってくれ!」
「薬を取りに行って来る。そこで待っていろ」
ホッとした表情に健に何故か嫉妬を感じながら、男は立ち去った。

4

視力が戻った時に映ったのは、自分を取り巻く得体の知れない化け物だった。悲鳴を上げ
て起き上がるのを、押し止める南部の姿は無気味な怪物に見える。その手を振り払い、ベ
ッドから転がり落ちた。駆け寄って助け起こそうとした、竜の身体をジョーは恐怖に歪ん
だ顔で、蹴り倒した。そのままドアに向かって走り出す。
「島田―」
南部の叫びに島田が飛び込んで来た。
「ジョーを捕まえてくれ!」
命令に傍らを駆け抜けようとしたジョーの手首を掴んで、引き止める。
「放せ!化け物!」
言うより早くジョーは、掴まれて居ない左の肘打ちを顔面に入れた。
「あんた何を遣ってるんです」
肘打ちを自由なほうの掌で受け止めて、島田は聞いた。
「島田、ジョーを捕まえていてくれ。どうも幻覚症状が出ているらしい」
「それで俺たちが化け物に見えるって訳ですか?」
会話の間にも、ジョーはその手から逃れようともがいている。
「いい加減に大人しくしないと、手首が折れますよ」
島田の忠告も彼の耳には届かない。懸命に自分を拘束する怪物から逃れようと、必死に暴
れる。
「仕方が無いな」
一言言って、島田はジョーの鳩尾に拳を入れた。苦しそうに呻いて、彼は意識を失った。
「これは毒の所為なんでしょう?どうすりゃ治るんですか?」
「今何の毒が使われたかを調べているところなんだが、未だ判明しないのだ。それが分か
らなければ、手当ての仕様が無い」
「じゃああいつを引っ張ってきて、吐かせるしかないでしょう」
「健から何か連絡は?」
「有りません。俺が奴を引っ張って来ましょうか?」
「ジュン、健を呼び戻してくれ。私はもう少し調べてみる。島田、君はジョーを頼む」
「俺に任せて貰えるんですね」
意味深な島田の言葉に、南部は眼鏡越しに瞳を光らせたが、「任せよう」と背を向けた。
島田はジョーが寝かされている部屋に入ると、ジョーを毛布で包むと抱き上げた。不安げ
な残りの3人に、ちょっと笑ってやる。
「又意識が戻って暴れられたら困るので、地下のジムに連れて行きますから。ジュン、健
が帰って来たら寄越してください」
「分かりました」
健と連絡を取り終えたジュンが、頷き返した。

「最初は瞳孔の拡大が起きる。そして、視覚障害。それは一時的な物で、次には幻覚・錯
乱が始まる。自分の周りに居るのは、化け物ばかり。そのうち極度な緊張から呼吸困難、
死に至る」
車を走らせながら、残酷な事を事も無げに話す男の端整な顔は、酷く酷薄に見える。健は
彼を信用して良いのか、確信が無かった。けれども、ジョーを助ける術が他には見つけら
れなかった。
「お前の信頼する博士がどんな人物か俺は知らないが、俺の毒を分析するのには時間が掛
かるぞ。何しろ色々混ぜてるからな・・」
男の言葉は何処までも冷たい。それなのに彼は何故自分とこうして別荘に向かっているの
だろう。
黙り込んでいる健を横目で見て、彼は訊いた。
「心配するな。俺は約束を守る。あいつには恨みも恩も無いから、死のうが生きようが関
係ないが、俺は今お前に興味が有る。だから約束は守る。間に合えばな」
間に合えば?健の背中に冷たい汗が流れる。
「速く。もっと速く」
男は必死な健の様子に、フンと鼻を鳴らしてアクセルを踏み込んだ。
『ここまで必死になるのが気に入らない』
それは彼が初めて感じたヤキモチだった。


再び覚醒したジョーは、更に手が付けられないほど暴れ始めた。島田を怪物としか認識し
ていないので、全く容赦が無い。
「やれやれ、実践の訓練をさせられるとは思わなかった」
軽口を利くのも一苦労だ。ジョーの蹴りの何発かは、防御の隙をついて彼の身体に入って、
一瞬息が止まったし、顔面は拳を避けた時の風圧で薄く表皮が切れ、血が滲み出した。
『もう一度気を失わさせるか』
そう思って蹴りを入れる為、彼は足を上げようとした。
「あっ・・あ」
ジョーの口から洩れた苦しそうな息遣いが、島田の行動を止めた。両手を首の周りに、苦
しそうに喘ぐジョーの身体を島田は、抱えた。
「どうしました?ジョー。おい!聞こえますか?」
「い、息が出来ない」
微かな声で苦しそうに答えるジョーを、島田はジムのマットに横たえた。側の毛布を掛け
てやる。呼吸が浅く早くなっている。島田はジョーの鼻を摘むと、息を口から吹き込んで
やった。それを何度か繰り返す。そのうちジョーの呼吸が安定してきた。目を閉じている
彼を島田は抱きかかえてやった。
「こんな事を何度か繰り返していたら、本当に死んじまうぞ。何とか成らないのか!」
誰に激するわけでもなく島田は声を荒げた。此の侭ではジョーが、彼に命じた事を実行し
なくてはならない。
「もし、毒の所為で俺が見っとも無いほど苦しんで、それでも助からないと分かったら、
お前が殺してくれ」
あの時ジョーはそう言った。
「分かりました」と自分は答えた。だが、自分は本当にジョーを殺せるのか?
「島田さん」
背後でした健の声に彼は振り返った。その横に一件の張本人の姿を見つけて、睨み付けた。
男は島田の刺す様な視線など一向に堪えない様子で、薄い笑いを口元に浮べている。
「雛鳥を守る親鳥ってとこかな。愛する雛を守る為に傷だらけだな」
「健、此処にこいつが居る訳を訊いてもいいですかね」
「ジョーに解毒剤を与えてくれる様に、頼んだんです。博士が毒の成分を分析して、解毒
剤を作るより、作った本人に当たるほうが早いですから」
「善意で引き受けてくれる相手には見えませんが。それにどこまでこいつが信用できるか
分かったものでは無いでしょう」
「俺は別にどちらでも良い。この坊やが頼むから来ただけだ。そいつが死んでも、俺には
痛くも痒くもない」
男の言葉に島田が又鋭い視線を向ける。
「島田さん。手遅れになってしまったら、彼でも助けられないんですよ。彼は俺にジョー
を助けてくれると、約束しました。約束を守ると言う彼の言葉を、俺は信じたいと思いま
す」
「どうする?」
揶揄を含んだ口調の男を更に睨みつけて、島田はその場を彼に譲ってジョーから離れた。
懐から薬の入った壜を取り出すと、男はその液体を口に含んだ。其の侭ジョーに口移しで、
飲ませる。ジョーの喉下がゆっくりと上下して、彼はその液体を飲み干した。
「本当は自分が遣りたいだろうが、これも一種の劇薬なんでね」
更に睨みが強まった島田に男が肩越しに言う。
「助かるんだろうな」
「勿論。完全に毒が抜けるまでは、2,3日掛かるがね。その間はSEXもキスもするなよ。死
にたくなければ」
「余計なお世話だ」
立ち上がって男は健の方に歩み寄った。
「借りを払う気になったら、何時でも来い。それまで貸しにして置いてやる」
二人の会話で大体の成り行きは理解できる。島田は健の表情を窺った。が、そこから彼の
感情は読み取れなかった。島田にとっては、仲間内から「無愛想だの、表情が余り無いだ
の、冷たいだの」と言われているジョーのほうが余程感情が読み取り易かった。しかし健
の思惑がどうで有れ、島田にとって決して愉快な事では無い。
「気をつけるんだな。雛は雛でも二羽とも猛禽類の雛だからな」
「何を今更分かった事を言っている。か弱い雛じゃないからこそ、手に入れたかったのじ
ゃないのか?」
背中に浴びせた言葉を軽く返されて、「違いない」と島田は苦笑いを浮べて、ジムから出
て行く二人を見送った。

5

「今日ジョーは、島田さんのマンションへ行くでしょう?」
言葉は疑問形だが、質問にしては確信を持った口調で健は島田に尋ねた。
「多分ね」
島田も推測形で答えているが、これもかなり確信がある。大体においてジョーは病院を出
た時には、島田の住処へ遣って来るからだ。入院中や治療中は仕方ないとして、その直後
の本来より弱った自分の姿を、特に仲間に見せるのをジョーは嫌っている。だから何時も
暫く島田の部屋に隠れている。
「俺今晩は別荘に帰らないつもりなので、博士たちには島田さん達と一緒に居る事にして
おいてくれませんか?」
又しても願望形だが、有無を言わせない口調だ。
「あんたまで俺に嫌な役回りを押し付ける気ですか?」
僻みっぽく不満を訴える島田に、健は天使のような微笑を向けた。
「今晩ジョーと過ごせるのは俺のお陰ですよね」
「健。俺を脅迫する気ですか?」
「とんでもない。俺はそんな怖い事出来ませんよ」
「どっちが怖いんだかね」
呆れている島田に「お願いしますね」と手を振って健は走っていった。
「何をお願いされたんだ」
突然した声に島田は飛び上がった。彼にとっては南部に言い訳をするよりも、厄介な相手
が壁に凭れて睨んでいた。
「あー、健が今晩は外泊するそうなので、俺たちと一緒に居る事にしておいてくれって・
・」
「健が外泊?」
ジョーの目が鋭く細められた。
「島田、お前俺に何か隠してるな」
「何も隠してませんよ」
「俺と違って健はガキの頃から、嘘ついてまで外泊するような奴じゃないんだよ」
「本当ですよ。あんた俺が信用できないんですか?」
「お前みたいな奴を信用できるかよ」
『健。あんた本当に俺に嫌な役を押し付けてくれましたね!』


男の腕の中は意外なほど暖かかった。彼の立居振舞や言葉の冷たさからは、想像が出来な
い。身に付けていた白いシャツのボタンを繊細な指で一つ外して、そこから指先がシャツ
を潜って健の乳首に到達する。爪を立てられて、彼はキュッと目を瞑った。男の唇が健の
唇と重なり、差し込まれた舌が健の物と絡み合う。男が背中で結わえていた黒髪を解くと、
それは闇のように広がって、健の体を包んだ。
長い口付けの後で、男は自分の唇を先程からずっと愛撫していた、健の右の乳首に移した。
軽く舌でその先を転がすと、彼の乳首が固くなる。荒い息を洩らしている健を窺いながら、
今度は左の乳首を唇で啄んだ。
次第に形を変えていく健の物に、彼は漸く手を触れた。少し愛撫しただけで、その物は露
を滴らせ始めた。
「初めてか?」
男の問いに健の答えは無い。唯柳眉を顰めて、押し寄せるような波に耐えている。意地悪
く笑って健の物を含むと、彼は舌先で愛撫した。弾ける様に溢れ出した健の迸りを飲み干
して、彼は健の腰に手を掛けた。未だ固い秘所を湿らせた指で揉み解して、そこに彼は自
分の物を差し入れた。
「あぁ!」と言う悲鳴を口付けで塞いで、彼は健の中に全てを埋めた。
健が驚くほどに、男は彼に優しかった。汗で張り付いた長い髪を掻き上げると、健はゆっ
くりと身を起こした。その行為に「帰るのか?」と尋ねた男に「いいや」と首を振る。そ
して健は彼の傍らにもう一度身を横たえた。
「いいのか?」と問い掛けた男に「何が?」と尋ねる。
「俺は幾らでも待てたぞ」
「・・・俺が待てなかったから」
『島田といるジョーを見るのに、俺はもう耐えられなかったから』
誰かの温もりは欲しかったが、誰でもと言うわけではない。この男の持つ強さが、自分が
強くなる為に必要だと健は思った。島田と居る時のジョーは、自然で年齢相応に見える。
それは彼が幸せなのだろう。自分はこの男と居て、どう変わるのだろうか?
「俺は貴方を何と呼べば良い?」
「ああ、忘れてた」と笑いながら、健の背中に彼は自分の名前を指で書いた。
「何て呼んでもらっても良いけどな」
「星?」
「星星・・シンシン」
「俺は・・」
「知ってる」呟いて、シンシンは健の唇を塞いだ。


「もういい加減機嫌を直してくれませんか?」
ベランダに備え付けて有るデッキチェアーに膝を抱えて座ったままのジョーは、島田の哀
願に耳を貸さない。
「俺の為に健はあいつの所に行ったんだろう!」と図星を指されて、はぐらかしは効かな
かった。
「やれやれ」と恋人の顔色を窺えば、ジョーは抱えた膝に顎を乗せて、昇りきった月を見
つめている。満月に照らされた彼の秀でた頬には、涙の跡が有る。島田が近寄って来たの
に気付いて、グイッと手の甲で乱暴にそれを拭ったが、若さ故の感情の激しさで、又次の
雫が零れ出る。
「あんた、俺が死んでも泣かないって言ったくせに、健が他の男に抱かれたら泣くんです
ね」
「・・あいつが好きな奴に抱かれるんなら、誰が泣くかよ」
「健が自分の犠牲になったと思ってるんですか?あんたが健の立場ならどうです?切っ掛
けがどうで有れ、これは健の選択ですよ。それともあんた、あのまま死んでた方が良かっ
たと言うつもりですか?」
側に立って、自分が気に入っているジョーの枯葉色の長い髪の毛を梳いてやる。そんな島
田の胸にジョーは頭を凭せ掛けた。
「こうしてると、鼓動が聞こえるな。あの時も聞こえてた。それが何故だか俺を安心させ
た。お前が絶対に助けてくれるって」
ジョーの思っていた助けは島田の手によって、苦しみから解放される事だっただろう。自
分はもし必要となったら、そうして遣れるのだろうか?だが、今は考えたくは無かった。
『こういう殺し文句を時々言うから、俺はあんたを放せない』
薄いシャツ越しのジョーの体温に、自分の身の内が熱くなって来るのを島田は自覚した。
「・・ベッドへ行きませんか?此処は冷えてきましたよ」
「いいぜ」
何時もの様に半袖のTシャツを脱ぎ捨てながら、歩いていくジョーを見て、島田は男の言
葉を思い出した。
「か弱い雛じゃないからこそ、手に入れたかったんだろう?」
「違いないや」
口元に浮かぶ笑いを彼は噛み殺した。


The End



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