We can fly without wings

by Kiwi


1

自分の前に鎖を付けた手枷で吊り下げられている彼を見た瞬間に、健は秀麗
な顔を僅かに青褪めさせた。その名前を呼ぶのを我慢するのは、健にとって
は辛かったが難しいことでは無かった。唯傍らに立つ男が自分の反応を愉し
む様な、観察する様な目で自分を窺っているのが、表面上は変わらない健の
心に冷たい汗を浮かべさせた。
「この男を知っていますか?」
健の肩に手を掛けて身動きを封じているような、男の手は力強い。簡単には
振り解けない。
「いいえ。何者何ですか?」
「それを話して貰おうと思って訊いているのだが、中々素直に話してくれな
い。貴方のような人間には、少し刺激が強すぎるだろうか?」
そう言いながらこの国の軍部を総括している男は、もっと顔が見える様に繋
がれている男のがっくりと落とされた頭を、長い枯葉色の髪を掴んで引っ張
った。口元から微かな呻き声が発せられて、彼は眉を寄せて顔を上げた。
「目を覚ましたか?」
苦痛から逃れる為に自ら齎した僅かな安息から、彼は又苦痛に満ちた現実に
引き戻された。漸く開いた薄青い瞳が、一瞬健を捉えて、直ぐに又閉じられ
た。
「お前は何者だ?何を探っている?」
健と共に男が入って来た時から、いや、多分もう何時間も拷問係は同じ質問
を繰り返しているのだろう。聞かれる度に彼は、打撲だらけの顔を拷問係に
向けて、切れて血が流れる唇から同じ言葉を紡ぎ出す。
「・・俺は・・シェリーを殺した犯人を捜しに来ただけだ」
その答えが気に入らないのか、手にした鞭を彼の身体に振り下ろすと、大き
く身体が揺れて軋むような鎖の音に混ざって、噛み締めた悲鳴が洩れた。
「・・シェリーと言うのは誰なんです?」
健の問いに肩を抱いた男は答えた。
「先日死体で見つかった女性カメラマンですよ。ユートランドから来たと言
っていましたが。貴方もユートランドの出身でしたから、この男と何か関係
が有るかと思いましてね」
探るような男の目から健は逃れるように、顔を背けた。
「寒いのですか?震えていますが・・」
「・・血の匂いが刺激過ぎて・・」
青褪めた唇を震わせて答える健に、男が目を細める。
「私は好きですね・・」
うっとりと呟くように、彼は薄い刃のナイフを懐から取り出した。それを手
に歩み寄ると、優雅とも言えそうな動作で、戒められている男の胸の上に刃
を滑らせた。皮膚が切り裂かれて極僅かに肉が抉られたのか、彼が苦痛に又
身を捩った。
男はナイフを口元に持って行き、刃を伝う血を舌先で絡め取ると、薄い笑い
を浮かべてナイフを仕舞いこんだ。
「・・時間を取らせてすみません、健。国王が貴方を待っているでしょう。
もう部屋に戻ってくれて良いですよ。何しろ国王は今貴方に一番御執心だ。
側に姿が見えないと心配なさる。此処からはこの者に部屋まで案内させます。
私はもう少しこの男と話が有りますので」
「・・はい、大臣。では失礼します」
背中に向けられた薄青い瞳を感じながら、健は部屋を後にした。詰問する男
達の声と噛み締めた苦痛の叫びが、聞こえるはずの無い閉ざされた扉から耳
に響いてきた。が、彼はこの地下に昔から有ると言われている部屋に連れて
こられた時と、何も変わらない歩みで先を立つ男に続いた。

権力を握ることだけを願っている人間は、その為には幾らでも手を汚せるら
しい。自分の右肩口に焼けるような痛みを感じながら、ジョーは目の前に有
る酷薄な瞳を睨み付けた。決して致命傷にはならないように、けれども確実
に力を殺ぎ取るように、彼が自分に付けた傷は今三箇所。打撲も鞭打たれて
出来た蚯蚓腫れも、大した傷ではない、今は未だ。だが、これが何日も続け
ば、シェリーと呼ばれていた女と同じ運命を辿るのは確実だろう。
「ちぇっ、ヘマしちまったな・・」
小さく呟いたジョーの声を聞きとがめて、大臣が耳を口元に寄せる。
「何か話す気になったか?」
「腹が減ったな・・そろそろディナーにしてくれよ」
気の利いた返事は返って来ないで、代わりに平手で頬を数発殴られた。
「絶対に下に降ろすな。其の儘一晩中吊り下げておけ。体重で手首が外れる
までだ」
側に立つ兵士に命じて、大臣は部屋を後にした。


2

きちんと整頓された南部の部屋に来る度、ジョーは居心地の悪さを感じる。
それは、多分必要最低限の家具しかないことや、正面に据えられた南部の重
厚なデスクや、自分には何かは分かっていても十分に使いこなせない様々な
機械に周りを囲まれている所為かも知れない。だが、どうやらそう感じてい
るのは彼一人らしく、他の四人のメンバーはそれぞれ他愛もない事を話しな
がら、ソファに落ち着いていた。その様子を横目で見ながら、ジョーは何時
もの様に壁に自分の長身を凭せ掛けて、目を閉じた。何かが彼の心を苛立た
せていた。それが何なのか、彼には分からない。
『何となく嫌な感じがする・・』
予感のようなそんな想いが南部からの召集命令を受けた時から、彼に付き纏
っている。

やがて現れた南部が任務の説明をするのを、何処か上の空でジョーは聞いて
いた。
「では、健とジョーは早速取り掛かってくれ給え」
南部の言葉に健が「ラジャー」と、何時も通りの返事をして、何時も通り留
守番を仰せつかった竜と甚平が不満を唱えて、ジョーは漸く我に返った。そ
して自分が南部の説明を殆ど聞いていなかったことに気が付いた。が、そん
な事を言えば又南部のお小言を喰らうだけなのは重々分かっているので、ジ
ョーも了解の意を示して健と共に部屋を後にした。
「健、今回の任務は何なんだ?」
まさか何も判らないまま任務に付くことも出来ないから、ジョーは南部の前
から逃れた事をよい事に、健に尋ねた。
「お前?聞いていなかったのか?」
「・・ちょっと考え事をしていて・・」
極まり悪そうに少しだけ長身を縮めたジョーに、健は呆れたような笑いを向
けた。
「珍しいな・・」
意外そうに見詰め返す健から、更に居心地が悪そうに目を逸らしてジョーは
肩を竦めた。まさか「何となく嫌な予感がする」と、言うわけにもいかない。
何の根拠も無ければ、確信も無い。その上、だからと言って任務を止められ
る訳でもない。
「そんな時も有るさ」
言葉を続けるのを避ける様に、ジョーはズボンのポケットから煙草を取り出
して口に咥えた。それを無下に健が取り上げる。
「此処は禁煙ゾーンだぞ」
「チェ・・」
舌打ちをして、ジョーは健に提案した。
「喫茶室に行こうぜ。あそこなら煙草が吸える」
「そうヘビースモーカーでも無いくせに・・。まあいい、ついでに任務につ
いて説明するか」

ISOの職員専用喫茶室のコーヒーは、値段が安い分味が落ちる。これには、
健とジョー両者の好みが珍しく合致している。それが分かってから、二人は
決して此処でコーヒーをオーダーすることは無かった。健はミックスジュー
スのストローを弄び、ジョーはストローを咥えてグラスのコーラーを飲んで
いる。
「コーラーなら自販機で買うほうが得だぞ」
「ジュースみたいな甘い物を飲みたくなかったんだよ!」
「余計な事を言ってないで、早く本題に入れよ」
ジョーの発言に健は口を尖らせた。
「誰の所為でこんな手間を取るのかな?」
自分の非を認めなければ、健は絶対に話を始めないのが分かっているから、
ジョーは素直に下手に出た。
「博士の説明を聞いていなかった俺の所為です」
「その通り」
満足した様に頷く健に、ジョーは「こいつ物の言い方が博士に似てきたぜ」
と口には出さずにうんざりとした表情を浮かべた。そんなジョーの顔付きを
横目で見ながら健はストローを丸く窄めた唇に押し当てて、ジュースを吸い
込んだ。白い喉仏が上下して、グラスの中身が少しずつ減って行く。決して
華奢ではないその首筋に、ココア色の長い髪が纏わり付いてTシャツから覗
く肌の白さと対比している。こいつの髪は随分伸びたなと、自分よりも更に
長く肩に掛かっている様を見て、ジョーは思った。櫛を入れているのか、い
ないのか自由気侭な方向に伸びている髪は、見た目は固そうだが、指を差し
入れると意外に柔らかいのを知っている。白い首筋から目を離して、氷が多
めに入りすぎて薄くなっているコーラーを飲んだ。

「で、本題だが」
唐突に健が至極真面目な顔で切り出した。それにジョーも真顔で構える。こ
こから先は遊びじゃない。
「二日前、アーリア国でこの遺体が発見された」
健がテーブルに投げた写真を見たと同時に、ジョーは顔を嫌悪に歪めた。未
だ若い女の写真だ。金髪に白い肌。美人の部類に入るだろう、生前は・・。
だが、その死体は無残に切り刻まれて、うつ伏せになった全裸の身体には至
る所に傷が有る。そのどれもが致命傷になるほどでは無いことが、余計に不
気味だった。明らかにこの死体を作り出した人間は、その行為を愉しんで最
後に飽きた玩具を捨てるように、白い首を掻き切って彼女を死神に渡したの
だ。
「お前こんな物を見せるなよ。コーラーが不味くなるだろ」
「ジュンや甚平には見せてないけどな、流石に」
『そりゃあそうだろう』
ジョーは思った。同じ女性のジュンやガキの甚平には些かどころか、かなり
刺激が強い。ジョーでさえ胸が悪くなった。嫌と言うほど屍は見てきてはい
るが、こんな殺すのを愉しんでいるような死体をみるのは初めてだ。警察に
でも勤めていたら、何度かお目に掛かっているかも知れないが。
健とても胸が悪いのは同じらしく、彼は早々に写真を分厚い茶色のファイル
に仕舞い込んだ。
「だけど、何で又こんな殺しと俺達の任務が関係有るんだ?殺しは警察の仕
事だろ!」
「俺達の仕事は犯人を探すことじゃないさ。もっと別の物を探すんだ」
?マークを顔に浮かべたジョーに、健は天使も斯くやと思われる微笑を向け
た。
「俺達が探すのはギャラクターさ」
笑いながら健は、更に何枚かの写真をジョーに手渡した。

「賭けてもいいが、あの死体を作り出したのは、こいつだぞ。何か知られた
くない事を嗅ぎ付けられて、口を封じたんだ」
ジョーの指摘に、健は「だろうね・・」と、あまり気にしていないような返
事を返した。そこには、切れ長の鋭い目をした人物が写っている。健がアー
リア国の軍事大臣だ、と言ったその男は、いかにも酷薄そうな雰囲気を醸し
出している。
「俺はズタボロのお前の死体を引き取りに、モルグに行くのは御免だぞ」
「俺が近づくのは国王。それにお前こそヘマを仕出かして、そいつに捕まる
なよ。俺だって、切り刻まれたお前の死体にご対面はしたくないぞ」
「へっ、そんなヘマするかよ!」
不敵な笑いを浮かべて言い切るジョーに、健が釘を刺した。
「油断は禁物だぞ。それと深入りもだ。俺達の任務はあくまでアーリア国と
ギャラクターとの関係を探ることなんだからな」
「・・分かってるよ」
諜報部に所属していた、殺された女が消息を絶つ前に転送して来た写真には、
軍事大臣とギャラクターの女隊長が写っていた。軍事大臣がギャラクターの
隊員なのか?それとも何らかの利害関係で結び合っているだけなのか?国
王は知っているのか?探し当てる前にエージェントは死んだ。
「IDを忘れるなよ。それとお前はシェリーに関する書類をよく憶えて置け
よ」
「OK」
ISOが用意したIDとシェリーというエージェントの資料を手に、ジョーは
立ち上がると、「じゃあな・・」と、後ろ手を振って喫茶室を出て行った。
飲み干されないまますっかり薄くなったコーラーが、テーブルに残って居る。
健は思いついた様に、グラスに立っているストローに口を付けた。微かにジ
ョーの唇の温もりが残っている様な気がする。
「やっぱり自販機のコーラーの方が、旨いぞ・・」
ストローから口を離して、健は呟いた。


3

女の白い両腕が背中を這って、其の儘首に絡められて、「もっと・・」と身
体を引き寄せる。その欲望を満たす様に顔を近付けると、その分繋がりが深
くなる。小さく溜息混じりに、「ジョー」と女が呼んで、うっとりと瞳を潤
ませる。そんな女の様子にジョーは取って置きの笑顔を向けて、そっと耳元
で囁いてやった。
「一緒に住んでいた友達とは、仲が良かったのかい?」
「ううん・・それほどでもなかったわ・・」
シェリーという女性エージェントが一時期フラットをシェアーしていたこ
の女を探し出すのは、そう難しいことでは無かった。シェリーが住んでいた
アパートに張り込んで、直ぐに彼女の部屋に帰って行くこの女を見つけて、
偶然の様にバーで声を掛け時、部屋に誘ったのは女の方だった。
「友達が殺されてから、一人で部屋に帰るのが怖くて・・」
そう言った彼女は「今まで他の友達の所に寝泊りをしていて、今日は着替え
を取りに戻ったの」と続けた。
成る程俺はラッキーだった、ってわけだ。話を聞かせて貰う為には、それな
りのサービスをするのは当然だ。そして、決してそんなサービスが嫌いでは
ないジョーだった。
「お互いの事について話したりしなかったのかい?」
黙らせようとする様に自分の唇を貪ろうとする女に、一度応えてから、その
唇を盛り上がった女の胸元に下ろして、固く尖ってきた乳首を含んだ。呪文
のように、先程聞いた女の名前を呼ぶのを忘れない。
「あぁ・・」と悲鳴を上げて、女が身を震わせた。
「あ・・あんまりシェリーは自分の事を話さなかったのよ。・・何時も暇さ
えあれば、カメラを片手に写真を撮りに行っていたわ。ねえ・・ジョー早く」
「何時もは、どの辺りに撮影に行っていたんだ?」
ジョーの瞳が僅かに険しくなったのに、瞳を閉じている女は気付かない。其
の儘強請るように言う。
「あ〜ん。わ、分からないわ。・・でもロトリア湖の近くだと思うわ。一度
だけ写真を見たことが有るの。その時ロトリア湖が何枚も写っていたか
ら・・ああっ」
「サンキュー」
口元に笑みを浮かべて、ジョーは女の唇にもう一度だけキスをした。

ロトリア湖が全貌出来る場所に、ジョーはレンタカーを止めた。シェリーと
同じ雑誌社に勤めるカメラマンという、ISOが用意したID通り、カメラを
片手に車を降りる。望遠を使って湖の周辺を窺うが、澄んだ湖水は深い碧の
色合いを見せているだけで、何も変わった事は無い。
「・・読みが違っていたのかな」
だとしたら、此処で待っていても無駄だ。
「直接大臣を張る方が、手っ取り早いか」
立ち去ろうと車に戻りかけたジョーの耳に、エンジン音が微かに伝わって、
彼は咄嗟に身を隠した。探った視線の先に、軍のものらしいジープが走って
いく。方向を確かめたジョーは手近な木に、飛び上がった。立ち並ぶ木々の
枝に次々と飛び移ると、ジープのバックに飛び乗った。
「巧く基地まで案内してくれよ」
小さく呟いたジョーの声は、エンジン音に掻き消されて、勿論誰にも聞こえ
なかった。だが、ジョーの思いとは裏腹にジープは市街に向かって走り出し
た。
「ち・・出直すか」
ジープから身を躍らせようとした瞬間に、ジープが急加速してカーブをスピ
ンしながら曲がった。振り払われそうになる両手に力を入れて身体を支えた
が、眼前に付き付けられた拳銃でドジをしてしまった自分に気が付いた。
止まったジープから降りたジョーの心臓から、銃のターゲットは動かない。
革のジャンバーのポケットから兵士が取り出したIDを見た大臣の瞳が、一
層細く、残忍に光っていた。


4

アーリア国の国王はパーティ好きらしい。自分がこの国に遣って来てから毎
晩の様に催されているパーティに、些か健はウンザリしていた。国王に疑わ
れずに接近する為に、健はユートランドから留学して来た資産家の息子とい
う身分をでっち上げている。大学で知り合った女学生が大臣の一人を父親に
持つことを巧く利用して、国王のパーティに出席出来た上に、王宮での滞在
を許されたことは任務の都合上は結構なのだが、必要以上に接近して来る国
王に健は愁眉を寄せていた。
『どちらにしても、ジョーがドジをして捕まったからには早々に片を付けな
いと・・』
本当にズタボロのジョーを、モルグまで引き取りに行く破目になりそうだ。
内心健は焦るが、今の所決め手が無い。それと無く健は軍事大臣の酷薄そう
な横顔を窺ったが、その横顔からは何も掴めなかった。唯シャンパングラス
を傾けて談笑しながら、浮かべている薄い笑いが健の心を不安にさせた。

「健・・何か心配事でも有るのかね?」
声に振り返ると、国王の茶色の瞳が笑っていた。
「いえ・・」
「憂いを含んだ顔も美しいね、君は。私の希望に応じてくれる気になったか
な」
言葉を続けながら、国王は健のココア色の髪を一房掴んだ。
「・・綺麗な髪だ。どうして此処まで伸ばしているのかね?誰かに触れさせ
る為かな?」
「つい面倒臭くて・・」
ふと心に浮かんだ嫌悪感を億尾にも出さずに、健は微笑んだ。
「・・部屋に来てくれるだろう?健」
さり気無く自分の腰の辺りに降りて来た手を、健は微笑を壊さずにすり抜け
た。
「では、今晩」
優雅な身のこなしで健はワイングラスを、国王に差し出した。
「午前12時に・・待っていて下さいますか」
「勿論だとも」
頷く国王の瞳が満足げに光って、彼は健から渡されたワインを飲み干した。

地下に有る重厚な扉の前で、健は懐から細いピンを取り出した。それを鍵穴
に入れると、器用な指の動きで鍵を開けた。
「ジョーに習っておいて良かった」
何処で覚えたのか、ジョーはピンで鍵を開けたり、気付かれずに人様の懐か
ら必要な物を拝借したりするのが得意だ。面白がって教わったのが、ひょん
な所で役に立つ事も有る。極力音を立てないように扉を開けて、中を窺った。
鎖に両手首の手枷で吊り下げられているジョーが、目に入った。辺りに見張
りが居ないのは確認済みだが、健は注意深く中に入った。
「ジョー」
声を潜めて名前を呼ぶと、固く閉じられていた水色の瞳が開いて彼を捉えた。
「・・健。逃げろ・・罠だ」
ひび割れた唇から洩れた言葉が終るよりも先に、きつい照明が当てられて、
一瞬目が眩んだ。
「国王の部屋でお休みではなかったのかな?健」
冷たい声の主は見なくても分かる。軍事大臣の声だ。
「大臣こそ、こんなに遅くまでお仕事ですか?」
「中々口を割ってくれない強情者を痛めつけるのは、私の趣味と実益でね。
その上、今度は又随分と可愛がり甲斐の有る獲物が掛かってくれた様で、ゾ
クゾクしていますよ」
「強情さでは俺も負けませんよ。何をしても無駄です」
「そうかもしれませんな。まあ貴方には国王も御執心だし・・違う愉しみ方
も有るかもしれません。・・綺麗な髪ですな。これも国王の気に入りの一つ
と言う所でしょうか。これを切ったら国王はどうなさるでしょうな」
「国王に背反する気ですか?」
「元々私には、アーリア国王への忠誠心など有りませんよ。何れはクーデタ
ーでも起こして国王は排除します。その為の後ろ盾も有りますしね」
手の中で弄んでいたナイフで、大臣は健の髪を一房切り取った。
「思っていたよりもずっと柔らかい。ああ・・動くとその綺麗な顔に傷が付
きますよ」
尚も刃を髪の毛に差し込んで来た手首を、健は掴んで横に真っ直ぐ引いた。
ココア色の髪がバサリと音を立てて床に落ちた。瞬間信じられない様に、大
臣は目を瞠った。歯噛みをして飛び掛ろうとしたジョーを拘束する鎖が、抵
抗するように鳴った。
「・・惚れ惚れするようないい目をしていますね。国王の愛玩には勿体無い
とは思っていましたが、今の目が本当の貴方ですかな」
「貴方に切られるくらいなら、自分が切った方がマシなだけですよ」
健の手の中に有るナイフに、周りを囲んでいる兵士達が銃を構えた。
「これだけ周りを囲まれているのですよ。怖くはないのですか?」
その言葉に健はひどく楽しそうに、クスリと笑って、手にしていたナイフを
大臣に返した。
『直ぐに出て行くさ。ジョーと・・』
ひび割れた唇を更に血が流れるほど噛み締めて、自分を見ているジョーに、
健は口付けた。
其の儘二人は暫く唇を合わせて、健が青い瞳をジョーに据えたまま唇を離し
た。口元に薄い笑いを浮かべると、同じ様にジョーも笑った。
「恋人との永久の別れというわけですかな・・」
揶揄する様に笑った大臣に健は、黙って肩を竦めた。
『今に分かるさ・』
「そっちは始末しても構わん。どうしても口を割らないなら、口を永遠に封
じてしまう事だ」
健を引き摺るようにして、大臣は部屋を後にした。


5

「可哀相にな、お前は用無しだってよ」
兵士達が口元に下卑な笑いを浮かべて、周りを取り囲んでいるのを、ジョー
は無関心な目で見詰めた。
「・・水をくれ」
「何?」
「喉が渇いた。水を飲ませろ」
じっと見据えたようにして命じるジョーに、一瞬怯んだ様に引いたのを恥じ
るように、彼らは又残忍な笑いを浮かべた。
「いいぜ。末期の水って奴だな」
互いに顔を見合わせながら、彼らはジョーの両手枷に繋がれた鎖を、天井か
ら解いた。彼の身体を拘束したまま、部屋の片隅に据えてある洗面台に連れ
て行った。一人がジョーの頭を押えつけて、蛇口を捻る。栓をした洗面台か
ら溢れ出した水が、忽ち床を湿らせて、流れとなって行った。息が詰まりそ
うになって、身動ぎするジョーの頭を後ろに居た男が力を緩めずに押えつけ
る。次第に力が抜けて行く身体に、兵士達の笑い声が上がる。
「もう、それくらいにしておけよ。一気に殺したら楽しみが減るぜ」
一人が掛けた言葉に「そうだな」と同調して、男が力を緩めた瞬間、ジョー
はその男の背後に回って、手枷に付いている鎖で男の首を絞めた。其の儘力
を加えると、ガクリと男の首が垂れて身体が崩れ落ちた。その腰から拳銃を
抜き取ると同時に、正面の男にジョーは口に含んでいたピンを吹いた。尖っ
たピンの切っ先が兵士の目に刺さって、彼は苦痛に呻いた。唖然としていた
他の兵士達が我に返ったように拳銃を構えるのに、次々とジョーはトリガー
を引いた。

「一杯どうです?」
差し出されたワイングラスを、健は無表情で見詰めた。
「眠り薬なんか入っていませんよ」
自分が国王に渡したグラスに睡眠薬が入っていたのを知っているのか、大臣
が少し揶揄かったように笑った。目の前に差し出されたワインを、健は躊躇
うことなく口元に運んだ。赤ワインの渋さに一瞬顔を顰める。高価かどうか
は知らないが、旨くないワインだ。ジョーと二人で買って飲むスーパーの安
売りワインの方が、よほど旨い。
『それは一緒に飲む相手にもよるのかな?』
手の中でワイングラスを弄びながら、健はジョーの事を考えた。
『巧く遣ったかな・・』
そう思いながらも、ジョーなら絶対に大丈夫だという確信が有る。自分が口
付けをした時に、ジョーの口の中に入れたピンで、ジョーなら簡単に手枷の
鍵を外せるはずだ。後は自分が目の前の男に切り刻まれない内に、始末を付
けるだけだ。が、そこまで考えて、健は部屋の照明が少し煙ったように見え
るのに気が付いた。先程までは気が付かなかった薬草か何かのような匂いが
立ち込めて、それに併せたように自分の頭の芯がズキリと痛んだ。
身動ぎをしようとして、自分の肩に側に座った大臣の手が置かれているのに、
気付く。振り払おうとして、自分の身体が重く自由にならないのが分かった。
「どうです、良い香りでしょう。ちょっと気怠くなって、動きが緩慢になり
ますがね。大丈夫、感覚は有るし、私が気持ち良くさせて上げますから。貴
方のこの白い肌に、血の赤はきっと似合います」
うっとりと呟きながら大臣は、ナイフを健のドレスシャツに走らせた。シャ
ツのボタンが無残に弾け飛んだ。シャツの残骸を剥ぎ取って、大臣は健の胸
元に軍人には不似合いな細い指を這わせた。
「・・ナイフを使うなら、さっさとしたらどうです?」
「時間は十分に有るんですよ。愉しんでからでも遅くは無いでしょう。決し
て直ぐには殺しませんから」
指先に続いて、湿った舌が胸元から引き締まった腹部へと降りてくる。それ
はついには健の敏感な場所に辿り着き、ザラリとした感触が健の物を刺激し
た。自分の意識とは関係なく重さを増すその場所に、健は嫌悪を感じた。両
腕を上げて圧し掛かっている男の首を絞めて遣ろうかと思うが、両腕はピク
リとも動かない。
「好みのタイプじゃないんだよ、あんたは・・」
自分の股間に顔を埋めている男に健は、吐き出すように告げた。
「ほう。どんな男が好みなんですかな?」
「俺だよ!」
背後でした声と同時に固い物が、彼の頭に押し付けられた。
「健から離れて貰おうか」
銃口をグイッと押し付けられて、無念そうに大臣は健から離れた。その様子
をジョーは銃を構えて、油断無く見張る。
「・・遅いぞ」
「こっちは怪我人なんだからな。多めに見ろよ。変な香草を焚いていた香炉
は始末したから、身体は動くだろ」
未だ少し頭が重いが、身体の自由は大分戻って来た。ジョーの顔に健は手を
伸ばした。
「そう言えば酷い顔だな・・」
「放って置けよ」
触れられた傷口が傷むのか、ジョーは顔を顰めた。
「それよりお前、もう一本ピンを持ってないか?」
訊かれて健はジョーが未だ鎖を付けたままなのに、気が付いた。
「さっきのは、どうしたんだよ?」
「・・ちょっと別の事に使っちまって」
「俺が外してやるよ」
ズボンのポケットからピンを取り出すと、健はジョーの鎖を外した。手枷で
擦れて血が滲んでいる両手首を、ジョーは獣がするように舌でペロリと舐め
た。
二人の様子を伺いながらジリジリと戸口に進んでいた大臣が、脱兎の様に逃
げ出しても、ジョーは銃を撃たなかった。
「ジョー、大臣が逃げたぞ。発信機は付けたんだろうな」
「抜かりはないさ。ギャラクターのところまで案内して貰おうぜ。暫くデー
トが出来ない面にして貰ったお返しは、ちゃんとしないとな」
その為に態々奴から目を離して、逃げ出せるようにしてやったのだ。
かなり短くなってしまった健の髪に、ジョー手を伸ばした。
「お前の長い髪に、こうやって指で触れるのが好きだったのにな」
「あいつに切られた方が良かったのか?髪なんか直ぐ伸びるだろ」
そう言いながら、健はもう窓から身を空に躍らせている。
「ちぇ・・そんなに我慢出来ねえよ」
健に続いてジョーも窓から身を躍らせた。冷えた風を切って、ジョーは先に
着地した健の横に舞い降りた。ふわりと風に舞い上がるはずの健の長い髪が
無いのが、腹立たしい。
「あいつ、絶対に只じゃおかねえからな」
「早くしろ」と呼ぶ健の後を追いながら、ジョーの瞳が暗闇にギラリと剣呑
な光を帯びた。


The End




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