Whisper

by Kiwi

その店を出た時には、空は一面ベールのような闇に覆われていた。その中に浮き上がるよう
に煌く星々が、遥か遠くからその光を送っている。
未だそう遅い時間ではない。スナックジュンとは又違う意味で、気の置けない店で過ごして
いた二人だったが、自分達と同じくらいの年の連中が騒ぎ始めたのを、鬱陶しく感じて出て
来たのだ。ふと目を遣った時計は、未だ真夜中まで大分ある事を示している。先に立って店
を出た健は、寒そうに膝まで有るコートの前を合わせ、襟元のマフラーを巻き直した。
遅れて出て来たジョーといえば、同じ様に寒そうに一度ブルッと身を震わせたが、コートの
ボタンは外したままで、マフラーどころか手袋もはめていなかった。
「おい!早く来いよ」
健の声に、立ち止まって煙草を口に咥えていたジョーは顔を上げた。同時に手にしていた煙
草のパッケージを、健に向かって放り投げる。パッケージが、綺麗な放物線を描いて、健の
手の中に落ちた。同じ様に煙草を咥えながら窺えば、ジョーはポケットから出したライター
で火を点けているところだった。意外に長いが、髪の色よりも幾らか色の薄い彼の睫は、普
段あまりその存在を感じさせない。しかしこうして、そのアクアマリンの瞳を半ば覆うよう
に目を伏せると、長い睫が彼の顔を一際艶かしく見せた。
その場から動かないジョーに、仕方なさそうに健は彼の傍まで戻って来た。健の口元の煙草
にライターで火を点けて遣って、ジョーはそのライターを又ポケットに仕舞った。何時もは
100円ライター専門のジョーだが、今日はダンヒルのライターが仕立ての良いコートに似合っ
ている。
『誰かからのプレゼントかな?』
少し沸いた好奇心に健は瞳を輝かせて、ジョーにライターの事を尋ねてみた。健の質問にジ
ョーは、肯定とも否定とも取れるような薄い笑いを浮かべた。が、健はその笑いを肯定と受
け取った。もう直ぐクリスマスだ。大方何処かの女から貰ったものだろう。
「こんな所に立ってたら風邪を引いちまうぜ」
そう言いながら歩き始めたジョーに、「自分が止まっていたくせに・・」と健が不満を唱え
る。文句を言いながらも健はジョーの横に並んだ。
それから彼らは暫くの間黙って歩き続けた。寒いのか少しだけ背中を丸めて、ポケットに手
を突っ込んだまま歩くジョーに、「寒かったら、コートの前を留めろよ」と健が声を掛ける
が、ジョーは何も答えずに歩いて行く。何時もはジョーの車で健の飛行場まで帰る。しかし
今ジョーの車は博士の元でメンテ中なので、仕方無しに彼らは寒い中歩いていた。車に乗れ
ないのが、ジョーにとっては一番の不満で、今晩はだから少し機嫌が悪い。形の良い口元を
少しだけ歪めて、薄青い瞳でじっと前を睨むようにして歩く彼の姿は、甚平あたりが見たら
「怖い」と思うかも知れないが、健にとっては、子供の頃と少しも変わらない駄々っ子のよ
うに映る。
決して言葉には出来ないが、健にとってはこの状況は不快ではなかった。歩く度に揺れるジ
ョーの枯葉色の髪が、街頭の灯りに照らし出されて色を変える様や、歩みを進める長い脚、
広い肩幅を、新しい発見のように健は楽しんでいた。
ダウンタウンから健の飛行場まで車を飛ばせば、直ぐに辿り着く。でも今日はかなりの時間
を掛けて、二人は歩かなければならない。一人で歩くのは真っ平だが、話し相手が居れば苦
ではない。二人は他愛もない事を話しながら賑やかな繁華街から、やがて静かな住宅街へと
差し掛かった。家々の壁や玄関がクリスマスのディスプレーで美しく飾られている。色取り
取りのライトが飾られた家の前で、二人は暫く佇んだ。
「もう直ぐクリスマスか」
小さく呟いたジョーに健が笑った。
「これだけ街中クリスマス一色なのに、今まで気が付かなかったのか?」
「・・・そういう訳じゃないけど」
意外そうな健の言葉に口篭ったように言って、ジョーは長い前髪を掻き上げた。
「デパートのショーウインドーやレストランの飾りって、何だか現実離れしているようで、
あんまり実感が無いんだ。でも、こんな風に飾られた家を見ると昔を思い出すな・・」
未だ博士の家に住んでいた頃は、毎年二人でクリスマスツリーを飾った。マーサが作ったご
馳走を食べて、プレゼントを開けて・・遥か遠い昔の事の様だ。夫々に別れて暮らすように
なってから、マーサには会っていない。無邪気な子供だった自分達を思い描いているマーサ
に、余りに変わった自分を見せたくなかったから。
窓から覗く部屋の中は暖かそうで、大きなクリスマスツリーが見える。小さな子供が母親に
何やら強請っている声が耳に入って、思わず二人の口元に笑みが浮かんだ。
「今年はマーサに会いに行こうか?」
健の言葉にジョーも頷いた。
「いいな。俺も久し振りにマーサの七面鳥が喰いたい」
「ジュンの料理じゃなく!」
二人同時に言って、笑い転げた。
笑いが漸く止まる頃、二人は又歩き出した。頬に触れた冷たい感触に健は顔を上げた。今年
最初の雪が夜空から舞って来た。白い欠片を掌で受け止めると、淡いそれはあっという間に
溶けてしまう。その儚さを惜しむように、健は見つめた。
「お前クリスマスプレゼントは何が欲しい?」
いきなり問われた言葉に、健は驚いた様にジョーを見た。ジョーのこんな申し出は、珍しい。
「そうだな・・」と健は考え込んだ。そして、優雅に笑うとジョーの耳元に唇を寄せて、小
さく囁いた。言葉に顔を赤らめるジョーの顔を両手で挟んで、健は彼に口付けた。それに応
える様に目を閉じたジョーの、長い睫が少し震える様をうっとりと眺めながら、健は両腕で
彼を包んだ。空から舞い落ちる雪が、二人の肩に止まっては熱に触れたように直ぐに溶けて
行った。


The End

Art by   ナギ

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