Winter Blue

by Kiwi

俺が九年近く住んでいた島とは違って、ゆうとらんどには四季が有る。季節毎に変わっ
て咲く花々や、色を変える木々は、俺にとっては二年過ぎた今でも珍しい。取り分け冬
の暗く重い雲から舞い降りてくる白い雪は、目を見張るほど綺麗で、俺は何時も降り続
ける雪の中に飽きもせずに佇んで、風邪をひいては島田にからかわれ、マーサにベッド
に追いやられていた。
その日ゆうとらんどに、この冬初めての雪が降った。今年の冬は例年より寒さが厳しい
という予報通り、去年より少し早い初雪だった。出掛けようとする俺に、わざわざ追い
かけてまで、マーサが手編みの長いマフラーを渡したのは、二日ほど前から俺が時々咳
をしていたからだった。
「風邪を引いているのに、出掛けるんですか?健なら待っていたら、直に来ますよ」
マーサは、大きな身体につけた何時でも白いエプロンで手を拭きながら、俺にそう言っ
た。
「健と迎えに行くって、約束したんだ」
昨日又健のマーマが入院した。電話で今日からこの屋敷に来ることを話した健は、何と
なく何時もと違っていた。それが何故だか俺を少し不安にさせる。
「大丈夫だよ。又直ぐにマーマの所に帰れるさ」と言った俺に、「そうだね」と応えた
あいつの声はほんの少し、涙声だった。会うたびに痩せて行く健のマーマは、それでも
綺麗だったけれど、決してその病が軽くは無いことを俺にも分からせた。
言い出したら絶対に聞かない俺を知っているマーサは、仕方なさそうに俺の首に長いマ
フラーを巻いてくれた。この間、健のマーマが編んでくれたマフラーだ。健と色違いで
編んでくれたそれは、とても暖かで、でも少しだけ心に重かった。
『これを編むのに無理をして、具合が悪くなったのかな』
深い青色のマフラーは、とても気に入りだったけど、そう思うと俺はマフラーを巻きた
くは無かった。
「平気だよ。そんなに寒くないし」と言う俺の言葉は、マーサの厳しい表情で遮られた。
「マフラーをしないなら、外出は駄目ですよ」
仕方無しに俺は、其の儘バス停まで歩いて行った。

バスの時間は確認して来たのに、バスが来る気配は一向に無い。俺はベンチに腰掛けて、
バスの来る方をじっと見つめた。冷たさを含んだ風が吹いて来て、俺はマフラーを顎の
上まで持ち上げた。寒さに身を震わせると、二回ほど咳が出た。
明け方には止んでいた雪が又降り始めた頃、やっとバスの姿が見えた。俺が座っている
べンチの前に止まって、中から健が降りて来た。何時もの様に教科書や勉強道具を入れ
たリュックを肩に、手には着替えが入った小さな鞄。そして首には俺と色違いのマフラ
ーが巻いてある。俺の前に立った健の瞳は何時もの澄んだ青色じゃなくて、何処か暗い
翳りが有った。それでもあいつは笑いながら、俺の横に腰を下ろした。
「・・・ジョーがそのマフラーをしているのを見るのは、初めてだね。とっても良く似
合うよ。お母さんが見たら、きっと喜ぶ」
「じゃあ明日の日曜日に、一緒に病院に行ってやるよ」
ちょっとぶっきら棒に言った俺に、健は嬉しそうに頷いた。
「お母さん、きっと喜ぶよ」
もう一度言う健の、青い瞳の翳りが更に濃くなって、次には涙が溢れてきた。後から後
から流れてくる涙に、俺はどうしていいか分からなかった。
「お母さん、もう退院出来ないかもしれない。駄目かも知れない」
「・・・博士がそう言ったのか?」
やっと搾り出した俺の言葉に、「ううん」と健は首を振った。
「担当のお医者さんも、南部博士も何にも言わない。でも・・」
『でも、分かるものなんだろうな』と俺は思った。俺の両親は突然殺されてしまったけ
ど、その日俺は何となく不安で、遊びながら何度もパーパとマーマの方を振り返ってた。
何時もは遊びに夢中で、決してそっちを気にしたりしなかったのに・・・。幾ら子供で
も、誰も言わなくても、きっと分かるのだ。そしてたまらなく不安になるのだ。入退院
を繰り返しては、痩せて行く母親の姿を見ている健なら尚の事。
「大丈夫だよ」俺は又言った。それしか言えない自分に腹を立てながら。
健の涙が止まるまで、俺達はベンチに座っていた。
「マーサに心配掛けたくないんだ」
呟いた健の言葉は、俺も同じだ。俺は未だ降っている雪を何時ものように、見上げて。

雪が止んで健の瞳が何時もの様に澄んだ青色になる頃、俺達は屋敷まで歩いて帰った。
雪に濡れて帰って来た俺達を、マーサはタオルでゴシゴシ拭きながら、散々小言を浴び
せた。
「この寒いのに雪の中で何をしているんですか?さっさとバスに行きなさい。シャワー
じゃなくて、ちゃんと熱いお湯を張るんですよ。健、一階のバスルームを使って!
グズ グズしないで」
追い立てられた俺達は、バスルームへ飛び込んだ。温かなお湯に刺激されて、俺は何度
か咳き込んだ。途端にバスルームの扉が開いて、マーサが顔を覗かせる。
「ジョー、お風呂が終わったら直ぐにベッドに行って、熱を測るんですよ」
その言葉に俺はバスタブの中に沈みこんだ。
「マーサ未だ5時だよ。今晩は健と新しいゲームをする約束なんだから」
「熱が無ければ、ベッドで健とお喋りくらいは出来ますよ」
俺は言い出したら聞かないが、マーサもそれは同じだ。マーサの言う通りに俺はベッド
に入った。
口に咥えた体温計の電子音に、それを取ろうとした瞬間、横から先にマーサが取り上げ
た。チラリと俺を見るマーサに俺はベッドの中で小さくなる。
「37.5度。夕食はベッドで取りなさい。健とのゲームは、熱が下がるまでお預けです
よ!」
「・・俺体温が高いから、大した事無いよ」
「ジョー、マーサの言うことが聞けませんか?それに夜にはきっと、もっと熱が上がり
ますよ」
この手のマーサの予想は外れたことが無い。毎冬同じ事を繰り返して、叱られている俺
は返す言葉が無い。
「夕食を食べたら、きちんと薬を飲みなさい」と、薬嫌いの俺に釘を刺して、マーサは
出て行った。
マーサと入れ替わりで部屋に入ってきた健は、ベッドの中の俺を心配そうに覗き込んだ。
「ジョー、熱が有るって本当?それって俺を雪の中で待っていたから?」
「違うよ。風邪を引いていたのは、二三日前から。それに熱は大した事無いよ」
俺は自分のタイミングの悪さに、ウンザリしながら健にそう言った。何でこんな時に俺
は熱を出してしまったのだろう。健が一番誰かに一緒に居て欲しい時に。
「明日には絶対下がるから、そうしたら一緒に病院に行こう」
俺が言うと、健は少し元気になって頷いた。
「うん。でも無理は駄目だよ。もし熱が有ったら、明後日だよ。お母さんは逃げないん
だから」
俺に言い聞かせるよりも、自分に言い聞かせているような健の口調に、又こみ上げて来
る不安感を追い払うように俺は頷いた。
けれど、結局俺は健のマーマの病院には行けなかった。その夜から俺の熱は40度近く
まで上がって、二日過ぎても平熱には戻らなかった。そしてその間に健のマーマは逝っ
てしまった。
何となく階下が騒がしいのに目を覚まして、俺はベッドの上のガウンをパジャマの上に
羽織って、一階に降りて行った。慌しく行き来する使用人達に声を掛けるのを躊躇って、
俺はキッチンにマーサを探しに行った。彼女の白いエプロンは何時もと変わらない。け
れどその下の服がマーサには珍しく黒一色なのが気になって、俺は恐々マーサを呼んだ。
振り向く彼女の目に涙は無かったが、赤く腫れていた。
「マーサ、誰が死んだの?」
漸く問いかけた俺の言葉に、マーサは「健のママが・・」とだけ、小さく応えた。
「・・健は?」
「今日はお葬式なのよ。健はもう出掛けたわ」
「もうベッドに戻って寝ていなさい」と、マーサは俺を自分の部屋に帰そうとする。
「何で俺に教えてくれなかったの?」
怒りを含んだ俺の声に、マーサは悲しそうな笑みを浮かべた。
「ジョーは熱が高かったし、それに私達に出来ることは何も無かったわ」
だけど、俺はあいつの傍に居てやれたのに…。一緒に泣いてやることが出来たのに…。
大人ばかりの場所で、きっと健は泣かない。あいつのマーマが何時も言っていた様に、
「強くならなくては」と我慢する。俺が居なければ、あいつはきっと泣けない。
マーサが俺をベッドに押し込んで蒲団を掛けてくれる。
「健が帰って来たら、起こしてあげるから」と出て行くのを待って、俺はもう一度ベッ
ドを抜け出した。

島田の部屋は二階の廊下の端に有る。俺はノックもしないで扉を開けた。島田が今部屋
に居かどうか俺には分からなかった。が、運の良い事に奴は何時ものスーツ姿から、セ
ーターとジーンズに着替えているところだった。
「島田!」
風邪で寝込んでいる俺がいきなり飛び込んできたのを、島田が驚いた様に見返すのを気
にも留めないで、俺は言葉を続けた。
「健の所に連れて行ってくれ」
それに応えずに、島田は冷たいあいつの掌を俺の額に当てた。
「駄目ですね。あんた熱が未だ下がってないでしょう。そんな事をしたら、俺がマーサ
や博士に叱られます」
「頼むから・・お前しか頼める奴が居ないんだ」
そんな俺の哀願に島田の表情は苦い。だから俺は切り札を出すことにした。
「じゃあいい。バスに乗って一人で行くから」
「そんな体調でバスを待ってたら、死んでしまいますよ」
仕方なさそうに車の鍵を取り上げながら島田は、俺にもっと暖かい服に着替えてくるよ
うに言った。

「この時間なら火葬場ですよ。どうします?」
島田の問いかけは何処か遠くでしているようだ。動き回って熱が少し上がってきた俺は
ぼんやりとしていた。
「ジョー?」
もう一度呼ばれて、俺は目を開けた。
「何処でも良いから、健の居る所に連れて行ってくれ」
何か言いたそうな島田は、それでも無言のまま車を走らせてくれた。

暫く走らせた車を止めると、島田は何も言わないで助手席のドアのロックを解除してく
れた。車から降りると俺は寒さに身を縮ませた。見上げると、広い敷地の真ん中に立て
られた大きな高い煙突から、灰色の煙が冬の空に昇っていく。静かに昇っていくその煙
は死者が上げる最期の悲鳴のようだ。そう思うと、そこから俺はちょっとの間動けなか
った。
「ジョー」
背後でした健の声に、ビクリと身体が震えて、俺は後ろを振り向いた。小さな白い箱を
手にした健の瞳は濡れて居なかった。
「駄目じゃないか、熱が有るのにこんな所まで来て」
こんな時でさえ優等生な健の台詞が頭に来る。黙ったまま俺は怒ったように、健を抱き
締めてやった。
「俺が居ないとお前泣けないだろう」
「泣いているのはジョーじゃないか」
健に言われて、俺は自分頬を濡らしている涙に気が付いた。
「誰だって悲しい時には泣いても良いんだ!俺達は未だガキなんだぜ」
健の青い瞳が翳って、そこから盛り上がった涙があいつの俺よりも丸みを帯びた頬を伝
って行った。俺の腕を?んで泣きじゃくる健の背中が震えるのを、俺は唇を噛んで見つ
めていた。見上げた空にはもう煙は上がっていなかった。唯寒々とした冬の空が、それ
でも青々と広がって、何時もと同じ昼下がりの風景が目に映る。何が有っても一日は変
わらずに始まり、そして暮れて行くのだ。
黒の式服の下で寒そうに震える健の首に、俺は自分が巻いていたマフラーを巻いてやっ
た。その温かみに顔を上げた健に「気に入りなんだ。後で返せよ」言うと、「お母さん、
喜んでるよ」と健が言った。もう一度二人で空を見上げると、俺達は博士と島田の方に
歩き出した。


The End



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