Wishes

by Kiwi


1
「ジョー、ちょっと手伝って頂戴」
自分を呼ぶマーサの声に、ジョーはテレビのスイッチを切った。寝転がっていたソファから身を起こして、彼は声のする方に歩いて行った。リビングの扉を開けた途端に,鼻を突く森の匂いがした。マーサの主人で有る庭師のボブが大きな樅の木を、暖炉から少し離れた場所に据える所だった。
大きさよりも、生の木を使っているのに驚いた。これからクリスマスの飾り付けを待っている樅の木に、ジョーは知らずと手を伸ばして触れた。
「生の木を使うんだ」
近くに寄ると、森の香りは一段と強くなる。
「そうよ。これからクリスマスまで、段々と強くなるこの木の匂いに包まれて、ツリーの根元にはプレゼントが並んで・・去年まではあまり大掛かりにクリスマスを祝うことはしなかったの。旦那さまは、人を招いてパーティをしたがるような方ではないし、一緒に住んでいるのがあの一成ではね・・」
確かに二人ともクリスマスを祝うタイプではない。
『あれ?マーサの言い方だと、今年は違うみたいだけど?』
「今年はジョーが居るから、私も料理のし甲斐が有るわ」
ジョーの口にはしない質問に、マーサは時々的確に答える。以前不思議に思って尋ねた時に、「私だって、母親ですもの」と目尻に皺を寄せて笑っていた。そう言えば、マーマも俺が欲しがっているプレゼントを、何も言わなくても毎年呉れたっけ。これが、両親が居なくなって初めてのクリスマスなのだという想いが浮かんだのを、ジョーは頭から追い払って、態と明るい口調でマーサに尋ねた。
「何をしたらいい?」
「其処に飾りが有るから、飾って頂戴。ツリーを飾るのは子供の役目よ」
マーサの言葉にジョーは澄んだ水色の瞳を見開いた。両親が生きていた頃住んでいた屋敷では、ジョーは何もしたことが無かった。大勢居た召使や、自分には優しかったが、何時も自分の両親を取り囲むように付き従っていた屈強な男達が、必要な事を全て遣ってくれた。しかし南部の屋敷では、何人かの使用人が居るにも関わらず、ジョーは自分で出来ることは自分でするように、マーサから教えられていた。今までジョーにとってのクリスマスツリーは、ある朝目覚めたら大きなリビングの中央に備えられていて、クリスマスが終われば何時の間にか姿を消していた物だった。だから、このマーサの申し出は彼にとっては、大層楽しそうに聞こえた。瞳を輝かせて、ジョーは色取り取りの飾りを手にした。

一度付けた飾りを外して他の枝に移したり、又戻したり・・そうしてかなり長い時間をジョーはツリーの飾り付けに費やした。気が付くと、窓から覗く庭はすっかり暗闇に包まれている。飾りも後は天辺に飾る金色の星だけだった。
使っていた踏み台の一番上に乗って懸命に腕を伸ばしたが、それでも樅の木の天辺には届かない。どうしようかと思い悩んでいると、車の音がした。ジョーは踏み台から飛び降りると、玄関に走って行った。車から降りて来た島田に駆け寄ると、ジョーは彼の手を引っ張った。
「島田ちょっと来い」
こうしたジョーの偉そうな物の言い方には、島田はもう慣れっこだったが、少し意地悪くジョーの頭を小突いてやった。
「目上の人間に対する言葉使いが出来てませんね」
「いいから早く来い」
やっぱり言っても無駄か・・と呆れたような笑いを浮かべながら、島田はジョーに手を引っ張られて、屋敷に入った。
「ああ、もうそんな季節ですか?」
飾られたツリーを見て、島田がおざなりに言った。彼にとってはクリスマスなど、いや大半の祝日や行事は何の意味も成さない。
「ちょっと屈め」
いきなり言われた意味が分からずに立ち尽くしていると、ジョーが島田の耳を引っ張った。
「痛っ。あんた何をするんですか!」
思い切り耳を引っ張って自分の顔に近付けると、もう一度ジョーは彼に言った。
「ちょっと屈め!」
仕方なく言われた通りに島田はその身を屈めた。その肩に両足を掛けて、ジョーは島田の肩の上に乗った。
「立て!」
「あんたね、俺は踏み台じゃ有りませんぜ」
「踏み台じゃあ届かないんだ・・よし、これで好いぞ」
樅の木の天辺に収まった金色の星を、ジョーは満足そうに見つめた。
「出来たのなら、いい加減降りて貰えませんか!」
島田は不満を訴えるが、ジョーは一向に降りる気配は無い。
「いいなあ、島田は背が高くて。俺も背が高くなりたいな」
「あんただって見る見るうちにデカくなりますよ。態度と同じ位にはね」
「・・・早くデカくなって、強くなりたいな」
毎晩見る悪夢に負けない位に。パーパとマーマの仇が取れる位に・・。
「俺としては、これ以上偉そうにされるのは、真っ平なんですが・・」
何時までも肩の上から降りないジョーに、痺れを切らして島田は彼の両足首を掴むと、ソファに放り投げた。が、ジョーは綺麗に空中で回転すると、ソファに器用に着地した。
「危ねえだろう」
少しも堪えてないジョーに、島田は諦めた様に首を振った。

2
「マーサ、明日から又健が来るから、宜しく頼むよ」
遅くに帰宅した南部が出迎えてくれたマーサに話しているのが、台所で皿を洗っていたジョーの耳にも届いた。途端にジョーの顔は不機嫌になった。ジョーの手の中でディナー皿が、ガチャガチャと大きな音を立て始めた。
「ジョー、お皿をそんな洗い方をしては駄目よ」
マーサに叱られて、ジョーは「はい」と素直に返事をした。それでも口元が尖っているのは変わらない。
「ジョー、どうかしたの?皿洗いがそんなに嫌?いくら男の子でも料理や片付けの出来ない子はモテないわよ」
「別にモテなくてもいいよ」
そんなジョーの言葉に、マーサは大層に眉を顰めた。
「まあジョー。そんなにハンサムなのに勿体無い。早くガールフレンドを作って、連れて来て頂戴。気になる子は居ないの?」
「・・居ないよ、そんなの」
クラスメイトに心惹かれる様な女の子は居ない。それにどちらかときつい顔立ちのジョーは、同級生からは敬遠されている。「怖そう」と表現されている自分の評価に、ジョーは別に何も感じない。近付いて来るクラスメイトを、今の彼はどちらかと言えば、鬱陶しいと感じている。
「女の子は皆、健みたいなのが好きなのさ」
可愛らしくて、優しげで、笑顔が素敵で・・健に対する女の子の評価は、理想のボーイフレンドだ。
「貴方だって素敵よ。もっと笑ってごらんなさいな。きっと人気が出るわよ」
「嬉しくも無いのに、何時も笑ってなんか居られないよ。健じゃあるまいし!」
実際健の怒った顔をジョーは見たことが無い。差し伸べられる手にソッポを向いても、呼びかける声を態と無視しても、健は懲りもせずにジョーに近寄って来た。変な奴。嫌な奴。これが健に対するジョーの評価だ。優等生で、友達も多くて、誰にでも優しい健は、ジョーにとっては目障りでしょうがない。南部博士や、島田、マーサさえも、健の方が可愛いに決まっていると、ジョーは思っていた。
「皿洗い終ったよ。もう部屋に帰って善い?」
タオルで手を拭いて、そう言うジョーに、マーサは湯気の立つカップを差し出した。
「もう少し話をしない?」
ココアが入ったカップを受け取って、ジョーはコクリと頷いた。
「・・ジョー、未だ悲しみが癒えないのは分かるわ。でも、そうやってずっと心を閉ざしていくの?そんな事をしても、何も解決しないわよ」
「俺はパーパとマーマの仇を取りたいんだ。早く大きくなって、力を着けて、絶対にあいつらを殺してやる!」
そうしなければ、自分の悲しみや憎しみは、決して癒える事は無いのだと、ジョーはカップを両手で握り締めた。
「ジョー・・」
自分の首に回されたマーサの暖かな両腕に、ジョーはビクリと身体を震わせた。其の儘抱き締めてくるマーサに、ジョーは少し驚いた。問い質した気に、彼は身じろぎをしたが、マーサの腕は緩まなかった。
「そんな事を考えては駄目よ。・・そんな悲しいことを言わないで頂戴。貴方には、そんな事を、そんな悲しくて、危険な事を考えて欲しくはないの」
自分の頭に零れ落ちるマーサの涙を、ジョーは感じた。それだけで、彼はもう何も言えなくなる。
「・・・分かった。御免なさい、マーサ。もう言わないよ」
ジョーの言った言葉を、決して信じたわけではなかったが、マーサは彼の頭の天辺にキスをした。そして、額にもう一度キスをすると、漸くその手を解いた。解放されて、ジョーはカップを片手に立ち上がった。
「ココア、部屋で飲んで良い?」
「いいわよ。・・・・ジョー」
キッチンを出て行きかけたジョーは、マーサに呼び止められて、歩みを止めた。
「世の中で、一番親不孝なのは何か分かる?」
「罪を犯すこと?」
「いいえ」とマーサは首を振った。
「それも有るかも知れないけれど、私は、子供が親より先に死ぬことだと思っているわ。・・だから決して私より先に死なないでね」
何時もは強い輝きに満ちているマーサの瞳が、何故か悲しそうで、ジョーは気掛かりだった。けれど、ジョーの視線をマーサはそれと無く外して、彼に命じた。
「もう遅いわ。早く寝なさい」
背を向けて、自分のカップを洗い始めたマーサに、ジョーは結局彼女の悲しみを尋ねられなかった。

3
「ジョー、ジョーったら」
何時までも扉の外で自分を呼んで止まない声に、ウンザリしてジョーは扉を開けた。其処に健の笑顔を見つけて、ジョーは不機嫌に問い質した。
「何だよ。何か用か?」
「一緒にゲームをしようよ。南部博士が二人で遊ぶようにって、買ってくれたんだよ」
言った途端に鼻先で扉を閉められた。一瞬ションボリして、しかし直ぐに気を取り直して、健は又扉をノックし始めた。博士に「ジョーと仲良くしなさい」と言われただけでなく、健としても彼とは友達に成りたかった。それはジョー同様に、健もまた孤独感を味わっていたからだ。
「お前には親が居る」
ジョーはそう言って、健を拒絶する。確かに彼には未だ母親が居た。しかし、病弱で入退院を繰り返す度に、南部の元や、時には施設に預けられている健は、母親と過ごせる時間はそう多くは無かった。ともすれば「父親のように強くなりなさい」と命じる母親の前で、健は余り自分を出せはしなかった。健の父親がテスト飛行中にその行方を絶ってから、一人で健を育ててきた彼女を見て来た健は、我侭を言うような事は出来なかったし、自分が母親を支えなければならないという思いが強かった。或る者は健の事を「優等生で申し分の無い子供だ」と言う。或る者は「優しくて、明るくて、面倒見が良くて・・」と彼を評価する。が、それは決して彼が望んだ評価では無い。大人の言うことを素直に聞く健の心の暗い部分を、誰もが気付かない。健は寂しかった。自分の心の欲求を素直に出せないことが、そして、その葛藤を誰にも気付かれないことが・・
初めて会った日に、差し出した健の手に顔を背けたジョーは大人から見れば、礼儀知らずと思う者も居るかもしれない。しかし自分の存在をまるで無視しているかのように、話しかけても知らない振りをしている彼の存在は、健にとっては或る意味新鮮だった。ジョーは人にどう見られようと決して気にしないのだ。
『ジョーは自由だ』
羨望にも似た想いが健には有った。一種の憧れ故に、拒否をされても健はジョーを嫌えなかった。
何度呼んでも開かない扉に、健は溜息を付いて凭れた。洗濯物の籠を抱えたマーサが、それを見咎めて近寄って来た。
「健暇なの?」
「うん。何か手伝う?」
丸みを帯びた頬を膨らませていたのを、健は笑顔に変えた。
「じゃあおやつにするから、ジョーを呼んで来て頂戴」
「・・僕は台所でお茶の用意をするから、マーサがジョーを呼んで来て。ジョー、僕が呼んでも来てくれないよ、きっと」
俯いたまま告げる健の思いは苦い。マーサは苦笑混じりの溜息を付いた。
「相変わらずね、ジョーは」
洗濯籠を下に置くと、マーサは扉を叩いて声を張り上げた。
「ジョー、早く扉を開けて出て来なさい。そうしないとクリスマスパーティはお預けよ!」
告げられた言葉の内容よりも、声の主に驚いてジョーは扉を開けた。
「マーサ。何か用?」
開かれた扉に満足して、マーサは再び洗濯物の籠を手にした。
「これは貴方の洗濯物よ。ちゃんと仕舞いなさいね」
「分かってるよ」
答えるジョーの髪の毛をくしゃっと掻き混ぜて、マーサは踵を返した。
「おやつだから、下に下りていらっしゃい」
「・・・洗濯物を仕舞ったら」
此処にマーサが居るのが、ジョーには不思議だった。
『きっと健が告げ口をしたんだ。』
その場にもう居ない健に対して、ジョーは不快気に口元を歪めた。健は嫌いだ。女の子のように可愛い顔も、学校の教師達が口を揃えて褒める優等生の処も。何よりも自分の秘密を知っている事が、一番嫌いだった。
悪夢に魘されて、それから逃れたくて跳ね起きた。堪え切れずに嗚咽を洩らしながら、涙を流した自分を健は知っている。眠れない夜を過ごしても、ジョーはそれを博士やマーサには言いはしなかったから、誰もジョーが毎晩両親の夢を見ては、涙していることを知らなかった。
一度だけ島田に「あんた、ちゃんと寝ているんですか?」と尋ねられたことが有る。地下のレンジで射撃の訓練をしている島田を見ながら、ジョーがまどろんだ時に、彼を揺り起こした島田が少し茶化したように、けれど瞳は驚くほど真剣に尋ねた。「昨日、ちょっと夜更かししたんだ」答えたジョーの言葉に、ジョーを疑わしそうに見て、それでも島田は博士にもマーサにもそれを言わなかった。
だから未だに両親のことが恋しくて、泣いている自分を誰も知らない。健以外には・・。バスルームから互いに行き来できるようになっている二人の部屋だが、その扉を相手の部屋に行くのに使うことは無かった。その夜健がその扉を開けたのは、ジョーの部屋から洩れる泣き声を耳にしたからだった。ジョーがそんな姿を見られたくないと思っている事に気付くには、健は未だ幼すぎた。悲しそうに肩を震わせているジョーを、健は其の儘にして置けなかった。けれど、肩に掛けられた手は邪険に振り払われて、涙を滲ませながらも冷たい水色の瞳が、健の掛けようとした言葉を拒絶した。
「出て行け!」
ぶつけられた枕が身体に当たって、痛かった。それよりも向けられた瞳の鋭さが、投げつけられた言葉の激しさが、健には痛かった。
「御免なさい」
小さく言った健の言葉は、更にジョーの感情を逆撫でする。
『こいつは何時だって良い子ちゃんなんだ!』
「出て行け!」
健は静かに扉を閉めた。

4
屋敷を出てジョーは、ずんずん裏の森に向かって歩いて行った。南部の屋敷は騒々しい街の中心から少し外れた所に有って、その広大な庭の周りには隣家は見当たらない。
「ジョーその森は深いから、行っちゃ駄目だって南部博士が言っていたよ」
後ろから追いかけて来た健の声に、ジョーは鬱陶しそうに立ち止まった。
「誰もお前に付いて来てくれって、頼んじゃいないぜ」
向けられた言葉は激しかったが、健は怯まなかった。
「その森は木が多くて、急な崖が有るのを見つけにくいから入っちゃ駄目だって・・」
「怖かったら付いて来るなよ。お前みたいな優等生は、何でも博士やマーマの言う事を聞いていれば良い。何も俺の後を付いて来ることはないぜ」
自分の制止に全く耳を貸さないジョーを其の儘にして置くことが出来なくて、健はジョーの後から付いて行った。
深い森の中は背の高い木々に遮られて、日の光が届かない。寒々として、暗かった。その中をジョーは後ろから来る健を振り返りもしないで、どんどん進んで行く。その足元の確かさからして、何度かこの森に入って来ているようだ。
「ジョー何度かこの森に来てるね」
健の言葉に面白そうに、ジョーは訊いた。
「何故そう思うんだ?」
「こんなに暗い森なのに、歩き方に不安が無いし、何処に行くか目的が有るみたいだ」
ジョーに並んで答えた健に、ジョーは目を細めた。
『おや?唯の甘ちゃんだと思ったら、中々油断が出来ない奴だな』
そんな思いをジョーは口にしないで歩き続け、やがて彼らは森の中でも一際高い木の下に遣って来た。本当に此処まで健が付いて来ると思っていなかったジョーは、考え込んだ。暫く考えて口元を歪めると、ジョーは健の存在を無視する様にその木に登り始めた。見る見るうちに登って、彼はかなり細い枝の所に辿り着いた。下から見上げる健は自分も登ろうか、どうしようかと思案した。勿論木登りは彼も得意なのだが、ジョーの腰掛けている枝は、どう見ても二人の体重を支えられるほど太くはない。
「ジョー」
下から呼んでみるが、答えは無い。ジョーは暫くの間その木に腰掛けて、遠くを見詰めていた。何が見えるのか、その姿は身動ぎもしなかった。
危なげなく木から下りて来たジョーは、其処に未だ健が居ることに、少し驚いた。
「・・お前未だ居たのか?」
「ジョーを置いて一人では帰れないよ。マーサが心配するでしょう。それに僕、帰り道分からないよ」
『嘘をつけ・・』
と思ったが、ジョーは何も言わなかった。
「あそこから何が見えるの?」
「・・・海が」
健は彼の答えを期待しては居なかったが、意外にもジョーからは答えが返って来た。
「海?」
今度は答えが無かった。来た時の様にジョーは先に立って歩いて行った。

森の出口にマーサの姿が有った。青ざめた顔をして、首を伸ばしてジョーと健の姿を探している。
「ジョー!健!何処に行っていたの?この森に入ってはいけない、って言われているでしょう!」
「御免なさい」
「別に何も危ないことはしてないよ」
謝る健に舌を鳴らして、ジョーはマーサに言った。
「何処に行くとも言わないで、あんな深い森に入って何か有ったらどうするの?」
言いながら、マーサはエプロンの端を掴んだ。そのふっくらとした手が、白くなるほど力を込めて握り締めて、そうしてその手を放すと、二人に背を向けた。
「夕食が出来ているわ。手を洗っていらっしゃい」
不安そうにそれを見ていたジョーに、健が頷いた。
「僕ちょっと部屋に戻ってくるから・・」
すたすたと階段に向かう健に、ジョーは思った。
『気を利かせた積もりなのかな?』
一人でキッチンに入ると、マーサが食事の用意をしていた。
「マーサ、俺何も危ないことはしていないよ」
背中に掛けた言葉にマーサが振り向いた。暗い瞳で、ジョーに腰掛けるように促す。素直に腰掛けたジョーの髪の毛を、マーサの大きな手が撫でる。その手が微かに震えているのを、ジョーは感じた。
「私の子供も何時もそう言っていたわ。何も危ないことは無いって。でも、帰って来なかった」
「マーサ・・御免なさい」
自分の行動がマーサの悲しい過去を呼び覚ましたのだ、ということがジョーにも分かった。
「丁度健やジョーと同じくらいの年だったわ。遊びに行ったまま帰って来ないあの子を探して、私とボブは辺りを探し回った。そして見つけた時には、あの子は冷たくなっていたの」
マーサの告げた事実に、ジョーは息を呑んだ。
「人があまり行かない森の奥で、高い木に登って遊んで居たのね。足を滑らせて落ちたんだろう、ってお医者様が言っていたわ。首の骨が折れてた。あの子が死んだ時、私は側に居て遣れなかった。いいえ、死んだことさえも知らないで、夕飯の用意なんかをしていたのよ」
「マーサ!止めて!」
悲しい話を聞くのは嫌だ。人の死の話は、自分の前で殺された両親を思い出させる。未だ温かい、でも決して触れた自分の手を握り返してくれない姿を。
「・・ジョー。事実は事実なのよ。目を背けても、耳を塞いでも、それを遮ることも、無かったことにも出来ないのよ」
「でも・・でも、マーサは悲しくは無いの?」
「悲しかったわ。涙がどうしても止まらなかった。眠ることも食べることも出来なかった。でもね、私にはもう一人子供が居たの。年が離れていたからあの子が死んだ時には、未だ赤ん坊でね。泣いてぐずるその子を抱き上げたら、お乳を吸おうとするの。だから、私は生きなければならないと思った。
どんなに悲しくても、辛くても、未だ私にはしなくてはいけないことがあるから・・」
自分のしなくてはならないことは、仇を討つことだと、ジョーは思う。それだけの為に自分は生きているんだ。
「違うわ、ジョー」
剣呑な光を帯びたジョーの瞳を捕らえて、マーサは強い口調で言った。
「貴方の事を必要としている人が居るのよ。私だけじゃなく、貴方の事を想って大事にしている人達が一杯居るのよ。今だけじゃなく、これから貴方が出会う中にも、貴方の事を心配して、貴方が傷付けば同じ様に痛みを感じる人が居るのよ」
「だから自分を大事にしてね」
マーサが抱き締めて、ジョーに言った。
「・・さあ、夕飯にしましょう。博士も今晩は早く帰ってくるそうよ」
「マーサ。博士が帰ってきたよ」
健が顔を覗かせた。
「あら、丁度良かったわね」
出迎えに出て行くマーサを見送って、ジョーは健に目を向けた。
「お前もやけにタイミングが良かったな」
「何の事?丁度博士が帰ってきたんだよ」
『こいつも俺を心配してる一人って事かな?』
健が向けた笑みに、ジョーはにやりと笑い返した。

クリスマスイブの夜に、健はジョーの部屋に枕を持って遣って来た。
「ちょっとそっちに寄ってよ」
図々しくベッドに潜り込む健に、ジョーは呆れた表情を向けた。
「何をする積もりなんだ?」
「今晩は此処で寝るんだ。サンタが来るのを一緒に見張ろうよ」
「・・健まさか、本当にサンタを信じてるんじゃないよな」
「?サンタは居るよ!」
「え?」
「だって僕見たこと有るもの」
「願い事も叶えてくれたしね」
「え?だって・・」
窓の外に何かが動く気配がする。
「まさか・・」
「ジョー、ジョーの願い事は何?」
「秘密」
すまして答えて、今度はジョーが訊いた。
「健お前の願い事は何だ?」
「・・秘密」
『もう、叶えて貰ったから、良いんだ』
微笑んで健は身体をジョーに近付けた。自分と同じシャンプーの香りがする。温かいベッドの中で、二人は懸命に目を開いていた。
「健寝るなよ・・」
「・・寝てないよ・・」
声が小さくなって、そして何時かそれは寝息に変わった。
 
The End


Top  Library List