DECRESCENT MOON < behind Breathe 1>

by ルーイ

夜陰の中、炎に追われ、火の粉に巻かれ、挙げ句に滝のような豪雨に煽られて、車に駆け
込んだときには、前も後ろも上も下もない濡れドブ鼠だった。
南部の指示通り、南部の別荘に辿り着き、とりあえずはシャワーの恩恵に浴した。
人心地ついて、やっとこの災難の根本原因を思い出した。客室に放り込んで、部屋着だけ
投げつけてきた。逃げるようなタマではない。そう気にすることはないだろう、と思いつつも、
ドアをノックした。軽く食わねえか?返事がない。ドアは簡単に空いた。部屋は空っぽだっ
た。
裏切られたような気持ちが湧き上がった。窓から、波打ち際に佇む人影が見えた。
怒りと悔恨が引っ込んで、代わりに苦笑が込み上げた。

「入水自殺か。ならもっと遠くでやってくれ」
春未だ浅い海風は、冷たく湿っていた。振り返った人影は逆光線で、表情は知れなかった。
ジョーの方に歩み寄って来ながら低く呟くように言った。
「ちょっと待て。日が昇る」
海に向かって腰を下ろす。少し離れたその横に、ジョーもぺったりとしゃがみ込んだ。水平線
につうと光の線が引かれ、日輪が顔を覗かせる。雲が先ず茜色に染め上げられ、続いて藤
色へのグラデーションが夢見るように広がっていく。
健の病室は真南向きだ。朝日は見えない。思わず洟をすすり上げた。
「もういいぞ」
やがてその男はぽつりと言った。
「何が」
いいのか。
「俺に鉄砲玉を仕込むんじゃないのか」
「じゃあ俺は、殺る相手を助けるためにあの炎の中を走り回ったってわけかよ」
「生殺与奪権を握り、最後はあの爆破事件の火元の仕業とする」
「なるほど。すげえな」
ジョーはからからと本気で笑った。男は、怪訝そうな、不思議そうな顔でジョーを見ていたが、
ややあって水平線に向き直った。
「軍はオペレーションHSの全貌を欲しがっている。戦後間もなくからの、俺をターゲットにした
テロは殆どが軍の極右派が糸を引いている。始めは脅しだった」
淡々としたものだった。
「もとより俺はあの生化学兵器のことは知らない。吐きようがない。無視していたら、近頃は
ただの脅しではなくなってきた。表向き、軍とISOは対立しながら、俺の暗殺では協力関係
にある、違うのか」
「被害妄想じゃねえの」
「極右派はまだ戦争を終わらせたくない。俺が敵の残党に惨殺されたことにすれば、世論
を味方に付けられる。ISOは、…長官は、俺が居なくなれば、君たちの正体を暴露される
心配が無くなる」
「俺は、あんたを殺るつもりは無えぜ」
声は落としたが、腹には力を入れた。よっと声を掛けて立ち上がった。
「はっきり言っておく」
ジョーは笑みを引っ込め、代わりに、声音を堅くした。
「俺のシゴトは、あんたの監視兼護衛だ」
さらに、念を押すようにゆっくり言った。
「あんたが、追いつめられて、妙なことをゲロしちまわないように、俺はあんたを護ってる。
何しろ…」
空は藤色から水色へと朝の装いに色を変える。
「俺のリーダーが、あんたが死ぬのを望んで無えからな」
手を延べる。男はその手を取り、弾みをつけて立ち上がった。
「黙っていればいい」
「あんた、そんなに死にてえの?」
まさか、と首を横に振り、砂を払った。
「俺はまだ死ぬわけにはいかない。極右派は失脚させる」
ジョーは満足気に微笑んでみせた。そう来なくちゃな。
「俺はあんたの泣き言なんぞ金輪際聞きたくねえ。いいか。何があってもポーカー・フェイ
スでいろよ。まあ、今回みたいな派手なテロのときには助けてやる」
男の唇から、妙に力の抜けた笑いが漏れた。ジョーはその背を突き、家に入るように促し
た。

「だけどよ、その極右派の親玉っつーのは実の兄さんじゃねえの?」
「そうだ」
「第一、あんたが元気で生きてるって、ヨメさんに連絡しないでいいのか」
「必要ない。俺の死を一番望んでいるのは彼女だ」
「激しいねえ」
お家柄の考えていることは分からない。ジョーは首を横に振った。
「大佐、だったっけか、昇進したっけか?」
「大佐だ。アーサーでいい。もう公式の付き合いじゃないからな」
口の中で、そのファーストネームを反芻してみた。しっくり来なかった。

**

健を見舞うときには、話題は必ず吟味しぬいて持って行く。明るい、能天気な話ししか、
ジョーからは出さない。そんな他愛の無いネタのひとつとして、ジョーはライズの結婚話
しを健の耳に入れた。笑って、へえ、とか言うと思っていた。なのに、刹那、健の表情に
翳りが落ちた。見間違いではなかった。心が軋んだ。
戦争中の任務で、健がライズの僚機を勤めたことがある。二人の間にピンと張り詰めた、
琴の糸のような空気が気に入らなかった。癪だった。しかし、健はこの男に何かあったら
悲しむだろう。この男が、健の知っているあの男である限り。
「あいつは勘がいいのさ。人の生き死ににもだ。で、自分のせいにする」
ライズは黙って、食後のコーヒーを口に含んだ。
「そういうやつなんだ。そういうやつなのに、今まで見送ってばかりいたんだ」
母親も、父親も、よりによってジョーまでも。
変わり果てた姿で帰ってきたジョーに、健は泣くことも詫びることもできず、顔を上げる
ことすらできずに、ただ黙って頭を垂れていた。あんなふうに追いつめるために戻ってき
たのでは無かった。痛かった。もう、健にあんな顔はさせない。その思いは心の奥底にま
で深く深く根を張っている。そのためには、何だって。

「ISOに行くまでは」
不意にライズが口を切った。
「君たちのことを、ただ戦うだけのメカニックだと思っていた」
ついと顎を上げてジョーを視た。
「俺は死なない。君らの正体も、オペレーションHSも明るみには出させない」
「せっかくの出世のネタなのにな」
「馬鹿な。君たちを売って昇進などしたら、ニケが俺を許さない」
「黙ってればいいじゃねえか」
「そういう話しはどこからか広がるものだ」
軍とISOの蜜月はとうに終わって、今はまた手酷い腹のさぐり合いが続いていた。オペ
レーションHSを巡って、戦後処理の主導権を巡って。

「今頃、あんたは重傷でISO病院に居る。後は、長官とリサ、それからあんたの部下任
せだ。…しばらくぐうたらしてるがいいさ」
「有り難い。早速ぐうたらさせていただこう」
立ち上がる肩先が、戦争の頃より尖って見えた。戦いは、ここでも続いている。
擦れ違いざまに、強く言った。
「へばるなよ」
「ああ。君も、G1もな」

窓から、白い砂と、青い海。青い空と、白い雲。透明な風。小さく残る下弦の月。

「…その名前で呼ぶのは止めてやってくれねえか」
「?」
「やつは、もう、あんたの任務…コマンドじゃない」
ライズは、この男にはそぐわないふんわりとした微笑を浮かべて頷いた。出て行きかけて、
何か思い出したように立ち止まった。ポケットから、鍵束を出してジョーの鼻先に突き出
した。
「何よ」
「車を祖父のところから家に移した。また好きなときに乗りにくればいい」
この野郎、と思った。掌で受け止め、握り締めた。
「じゃ、遠慮無く」
「ちゃんと飯どきに来い」
「言われなくても」
どちらからということなく、笑った。

「前の鍵、返さなきゃな」
「それは構わない。君は祖父母のお気に入りだ。顔を出してやってくれれば喜ぶ」
おやすみ、ジョー。とライズはあっさりドア向こうに消えた。
あの豪華な老人を思い出す。俺なんかのどこが、と一人ごちる。悪い気はしなかった。こ
いつに何かあったら、あの面白い爺さんも悲しむんだな、と思った。

頑張らなきゃな、と背筋を伸ばし、胸を反らせた。
みんなで長生きしなきゃあな。
なあ、健。


END < DECRESCENT MOON



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