NEW MOON < behind Breathe 2 >

by ルーイ

夕映えの刻だった。
ISO1階のメインホール。健の後ろ姿を見つけて、足が凍り付いた。
南部との立ち話、相槌を打って頷く頭の動き、小首を傾げるさま。
なぜ。

南部が、ジョーを見つけて呼びかけてきた。健の後ろ姿が振り返った。
と同時に、冥い安堵と失望が、吐息になって唇から漏れた。
「いいところに来た。統合情報部まで一緒に」
「大丈夫です」
オダは小さく首を振った。すぐそこですよ。確かにジョーの足では5分足らずだ。
南部は、いや、と大きく首を振り、
「やっと歩けるようになったばかりではないか。いいから、どこかで食事でもして帰りた
まえ」
いいね、と念を押すように言った。

「飯食って、とか言ってもなあ」
時計を見る。6時すぎ。日が長くなったな、とふと思った。
「定時過ぎてる。お前、もう帰っていいの?」
オダは、小さく頷く。その積もりだったから。
「別に予定は無えんだろ?足、伸ばそうぜ」
でも…。と、困惑したような曖昧な答えが戻ってきた。

並んで、ゆっくりと駐車場に向かった。
歩けるようになったといっても、元通りにではない。痛みを噛み締めるような、一歩一歩
確かめるような歩調だった。いかにも若い、といったあの、走るような長いストライドは
見る影も無かった。
「やっぱり、帰る」
「何よ。俺と飯を食うのがイヤなのか」
「…そんなことない」
イヤなのは、誰かと一緒に歩くのことなのだ。苛つかせてしまうから、気を使わせてしま
うから。
「なんなら、抱っこして連れてってやろうか?」
ジョーが巫山戯て両手を広げると、やっと微笑を浮かべた。どきり、とした。
笑顔が哀しみの表情を形作るようになっていた。
健と、同じだった。

健はガラスの無菌室に居た。
病状の悪化による、徘徊と、抵抗力の著しい低下のためと医師は言う。
ジョーの目には、痩せてはいるが、まだ時折強い輝きを放つ青い瞳と、確乎とした意志を
思わせる口元とが、紛れもなくリーダーたる健だった。そんなに重篤な状態とは、とても
思えなかった。なのに。
健は、涙する代わりに微笑みを浮かべる。ジョー、お前、墓守みたいだな。
馬鹿野郎、お目付役だ。我が儘で、向こうっ気ばかり強え病人のな。
じゃあ、看守だ。

車のシートに着いた途端、オダは長く息を吐いた。
「だいぶ辛いのか」
シフトを入れる。
「まだリハビリだから」
薄く笑う。その顔から目を逸らせ、ルームミラーからドアミアーに視線を走らせた。
喋る口調も変わった。発語が難かしいのだと、オダは言う。思うように言葉が口から出な
いと。自然、必要最低限度のセンテンスしか口にしなくなる。あの、のどかな天然坊主か
ら、能天気な笑顔と、天性の噛み合わない会話をとってしまったら、ちょっと近寄りがた
い雰囲気のスパコンだけが残ってしまった。
けれど、オダは、ガラスの部屋から戻って来て、ここで、呼吸して生きている。
「焦るなよ。あの状態から、ここまで治って来たんだからな」
「…うん」
時間はかかるな、と思った。いいさ、時間を掛けて何とかなるなら、いくらでも。

シティ中央部の官庁街を軽く流していく。
「なあ」
呼びかけると、ジョーを見上げて小首を傾げている。まっすぐな、黒い瞳だけが変わらな
い。
「お前、ガラスの部屋で、何考えてた」
「何、って」
口籠もる。
「何も」
「何も?俺のこと、思い出してもくれなかったって?」
吹き出す気配がした。横目で見ると、それは健も知っているオダの笑顔だった。
「命の恩人のことはずっと考えてたよ」
「それから?」
「…よく、覚えてない」
千万億土より遠い、透明な壁の向こう側。四角く切り取られた、白いばかりの世界の中で、
そこの住人は何を思い、感じているのだろう。
「…」
ジョーの沈黙に、咎められたとでも思ったのだろうか。
「ごめん…」
掻き消えそうな、声が追いかけてきた。きつくきつく、拳が握り締められる。思わず、車
を道路脇に寄せて、止めた。
「悪かった…ISOの俺の部隊にも酷えケガしたやつがいて、たまんなくてさ。…お前は、
そこまで治ってここにいる…」
オダに向き直り、その拳に掌を載せる。
「お前と同じように、治って出てくるって、俺は、だから、思っていられる…」
くしゃりと髪を掴み、両の頬を手挟み、不安げな瞳を覗き込む。
「ただ思っていたいだけなのかもしれねえ…でも、お前は支えになってる。ゆっくりゆっ
くりでいい、ちょっとずつでいい、治って行ってくれよな、頼むから」
健には指一本触れることを許されない。指先に感じる体温の尊さなど、失ってから気付く
もの。
急に、抱き締めたい衝動に駆られた。自分自身の思いに抗いきれずに引き寄せて、黒い髪
に顔を埋めた。
「…元気だせ」
幽かに、頷く気配がした。

その日、久しぶりに統合情報部に足を踏み入れた。
リサと軽い打ち合わせを終え、並んでフロアを歩きながら、健に似た後ろ姿を探して、我
知らず視点を彷徨わせていた。
「オダ?」
リサがぽつりと呟いた。表情の変化で図星と知れたらしかった。
「辞めたの」
「え?」
「退役したのよ」
それ以上、何も言わない。リサはジョーの問いかけを待っていたのかもしれない。ジョー
は、リサが言葉を継ぐのを待っていた。
「あの子のおかげで、政府のインフラ復旧は当初の予定より半年早く終わったわ。私たち
はあの子に助けられたのだけれど」
重い溜め息。珍しいことだった。
「ケガ、そんなにひどかったのか」
否定もせず、肯定もせず、リサはふうっと息をつき、髪を払った。
「あなただったら、よかったのかしら」

ひとりごとのような、ないような。
訝しげに眉根を寄せるジョーに、彼女は僅かに唇を歪めただけで、口を閉ざした。
それ以上を問うことは、できなかった。


END < NEW MOON

Art by Sayuri
Art by Sayuri



Top  Library List