FULL MOON < behind Breathe 4 >

by ルーイ

住宅街とはいえ、都心だ。それなのに、門から玄関までジョーの運転で一走りできてしま
う。夏は鬱蒼とした樹影、冬は木漏れ日の並木道。木々の間から、屋根の天辺が見え、石
畳の道が緩やかなスロープを描いて玄関のアーチへ向かう。
ジョーは表玄関へは乗り入れず、脇に逸れ、ガレージの手前で車を止めた。
鍵を入れて、暗唱番号。ゆっくりとシャッターが開いていく。シャッターの向こうに、ツナギ姿
のメカニックが見えた。
「お久しぶりです」
この家の主のコレクションの管理をしている。2年近いご無沙汰なのに、彼はあのお馴染
みの微笑みでジョーを迎えて呉れた。
そして、迎えてくれたのは、彼だけでは無かった。

「釣れた、釣れた。本当に釣れたの」
ずんずん近づいてくる割れ鐘のような声。ライズ一族の事実上の総帥。アーサー・ライズ
の祖父、資産天文学的数値、である。釣れた?何が?と思った。
「いや。とんと顔を見せんもんだからの。あれが、君は速いスポーツカーで釣れる、と言
いおったから、ほれ」
老人が指さすほうを見て、息を呑んだ。
ブガッティ・ヴェイロン。世界最速のロード・ゴーイング・カー。確か、50台やそこらの限定
生産ではなかったか。値段は…。表情が固まるのが分かった。
「気にいらんのか。好みじゃなかったか」
そんなジョーに、老人の満面の笑顔が、ちゅんとしょぼくれた。
「…へ…いや、まさか、凄えなあ、って思って」
好きとか嫌いとかいう問題じゃねえよ、この、お金持ちめ。…溜め息。
「気に入ったかの。持って行くか?」
笑顔が戻り、満足げに頷く。
「あ、ああ、もちろん、好きだが。…俺にゃ、維持管理できねえ」
そんな給料は貰っていない。
「そうか。君は相変わらず忙しいのじゃな。よろしい、好きなときに乗りに来なさい。遠慮
無く来なさい。いつでも来なさい」
老人はジョーを促して、屋敷内に続く廊下へとドアを潜った。ジョーはメカニックを振り
返って肩を竦め、彼はジョーにウィンクを返してきた。

晩秋の冷たい夕暮れ時、暖炉には赤々と火が点っていた。炎は心を鎮めてくれる。
食前酒が振る舞われた。ジョーはグラスを火にかざしてから、唇にあてた。
「ワイフは悪友と旅行中での。君に会えなんだと分かったら拗ねるだろうて。来週末には
戻るでな」
来週末以降にまた来い、ということらしい。−君は祖父母のお気に入り。
服装はいつも適当、物腰も言葉遣いも乱暴。世辞でも冗談でも無いのだろうが、俄には信
じかねた。しかし、どうも本当のようだった。

「みな、元気なのかの…ほれ、ジュンとか言った女の子。あのこはどうしとる」
「元気だぜ。ISOで総合職だ。相変わらずきりきりやってるぜ」
「結婚したんか」
「いや」
老人が、おや、と言ったような顔をした。
「好きな男のヒコーキの整備をするんじゃと言っとったが…あ、いや、…ふむ」
老人は、ジョーの表情を計りながら、何も言わせずに言葉を切った。不憫じゃの。
ジョーも黙って、大窓ごしの裸の木立に目をやった。
「あのこなら、小包爆弾ごときで、実家に逃げ帰ったりせんかったろうて」
確かに、起爆装置を外すくらいのことは、難なくやってのけるだろう。
「南部さんに、もっとゴリゴリやっとくんじゃった」
「ジュンは、こんな上流階級向けのお姫様じゃねえ。…合わねえよ」
「あれの今の女房はれっきとした上流階級のお姫様じゃぞ。合っとるか?」
苦笑。その" あれ "の監視兼護衛の任についている以上、事情はそれなりに知っている。
「それ見い。あれも味方の少ないやつじゃったから、あんな結婚をせざるを得んかったん
じゃ。…が、今はもう、大丈夫じゃ」
「けど。ソシアルだ、クラシックだ、ってオンナじゃねえんだって」
「そんなもんうちに来てからやりゃあええ。儂はな」
老人の、眼だけが笑っていなかった。
「君もそうじゃが、あのこのな、貌が好きなんじゃ。闘志に溢れとる。決して退かん、勝つ
まで戦い続ける、その顔がの」
そういう若いのは、最近は滅多におらん、と老人は息をついた。
「一生懸命ヒコーキの話しをしとった。…いい目をしとった…」
白いヴェールを引くジュンの姿が一瞬だけ浮かんだ。ジュンの女の子としての幸せを考え
るなら、あの時、本当にもっとゴリゴリやっておくべきだったのか。
メンバーが解散して、それぞれが新しい職に就いてから、ジョーからは3人には連絡をと
っていなかった。特殊部隊の尻尾を引きずっている自分が、3人の未来の邪魔になると思
ったからだった。ビジネススーツを身に纏うジュン。近くて遠いジュン。まだ覚えているのだ
ろうか、俺を、…健を。

「たまらんの。オダ君も退役したということじゃし」
行方をリサに聞いたが、ナイショ、とはぐらかされてしまっていた。
「素直で利口で、ええこじゃった。女の子じゃったら、嫁にしておった」
あれが女だったら、やつなんかより俺だよ、と思った。自信は、かなりあった。
「ああ、そうじゃそうじゃ。ドーナッツを山ほど持って見舞いに来た…」
そ、それは…。
「チョコレート色の髪の、青い目の」
やっぱり、と思った。ふん。…あいつあれで結構義理堅いからな。義理だ、義理。
「あのこはまたきれいで、まっことええ顔をしとった。ふっふっふ。あれが、女の子じゃ
ったら…決まりじゃったな」
あれが女だったら、絶対に俺だ、と思った。自信どころでは無かった。全プライドが掛か
っていた。あ、でも、と心がぐらついた。あいつが女だったら、案外、現実的で計算高い
かもしれねえな。したら、資産に目が眩んじまうかも。いや、それでも本当に好きなのは
俺だぜ。うん、絶対に俺だ。
何の裏打ちもない、闇雲な自意識過剰状態だった。…何の意味も無いが。

「ところで君はいつまで南部さんのとこにおるつもりじゃ。余所の空気を吸うつもりは無
いんか」
「俺は何もできねえからよ。長官が哀れに思って置いてくれてるのさ」
「そんなことあるか」
老人は、呵々と笑う。
「南部さんはそんな甘っちょろい御仁じゃあらせん。儂のところに来んか」
「俺には会社勤めなんぞ無理無理」
考えただけで大爆笑だ。
「あれがの、20代は勝手をさせてくれ、と言いおっての。即ち、30で企業入りするっ
ちゅうわけだ。で、君みたいな目の男が必要になる」
「だ〜から、無理だって言ってるじゃねえの」
「儂の目に狂いは無い。好きに条件を出してみい」
「俺みたいなもんに、そこまで言ってくれて、本当に有り難いって思ってる」
でも、とジョーは唇を湿らせた。
「まだ、俺の戦争は終わっていねえんだ」
老人は悲しげに微笑して、首を横に振った。どいつもこいつも…。
「戯言をほざきおって。戦争は終わったんじゃ。切り離された蜥蜴の尻尾を追っかけ回し
てどうする。忘れられんでも忘れるんじゃ。でなきゃ未来など開かれん」
どいつもこいつも、か。ジョーは、" あれ "を想う。南部を想う。オダを、リサを。
ジュンを、甚平を、竜を。そして、何よりも誰よりも、健を。
「俺の一番のダチが、終わらねえ戦争を、今も戦ってるんだ。俺は、それがたかが蜥蜴の
尻尾でも、動かなくなるまで追っかけなきゃならねえのさ」

「馬鹿者が」
老人の唇が歪んだ。
「しかし、儂はそういうどうしようもない大馬鹿野郎が大好きでの」
また、呵々と破顔した。
「若いは強いじゃの。いくらでも回り道していられる」
得心がいくまでやれ、と老人は笑い、ジョーも釣られて笑みを零し、頷いた。

「じゃが、今の話しは忘れんでくれよ。いい答えを待っとるからな。そうじゃ、君、もう
ステディはおるのか。儂の孫にええ娘が…」
「あんたの孫?アーサーみたいのか?」
アーサー、老人言うところの" あれ "、即ちライズ大佐のことである。
あのレベルのプラチナブロンド美人なら、よろしくお相手しなくも無い。
「あそこの娘じゃないわ。第一あんなにキツぅない」
「性格じゃねえ。顔だよ、容姿」
「おお。儂そっくりじゃぞ。かわいいぞ」

パス。
ということで、パカッと口を開けて笑い飛ばしたジョーだった。


END < FULL MOON



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