FLY HIGH !

by ルーイ

ライズは、健が山盛りのドーナツと格闘しているのを、呆れたような、不思議そうな貌つ
きで眺めていた。挙げ句に、紅茶カップにも触れず、席を立った。
「大佐、食べないんですか?」
「君が全部食え」
ポケットから携帯を出しながらだったので、また仕事かと少し気の毒になった。
南部の話しだと、ライズは一族傘下のいくつかの優良企業の大株主らしく、特に何もしな
くてもまこと優雅に暮らしていけるはずらしい。
何を好き好んでこんな多忙の、文字通り殺人的な激職に就いているのだろう。
俺がドーナツ食うのより、よっぽど不思議だよな、と健は思った。

耳元で窓ガラスが叩かれた。目を向けると、ライズが" 来い "と親指で車を指している。
ああ、やっぱり仕事か。健も、立ち上がった。
「飛行司令室に寄ってくれ」
「今日は帰宅じゃなかったんですか?」
「予定が変わった。…今、気分が悪くなるくらい食ってるか?」
「どうってことないですよ。腹五分目ってとこです」
飛行司令室の真ん前に車を付け、ライズだけ下ろし、そのまま帰ろうとした。
「今度は君が付き合え」
「は?」
「フライトスーツに着替えるんだ」

**

表情は反射的に強ばったが、そんな心の機微を斟酌してくれる相手ではなかった。
機械的に航空装備を身につけ、ヘルメットを抱えて列線に走った。
ニケの複座の演習機が待機していた。
「君は前席へ行け。コントロールは俺がする」
「は、はい」
コックピットに身を沈める。未明の基地は、オレンジがかった黄色に明るかった。
アーミングエリアでの最終点検が終わるごとに、機体の安全ピンが抜かれて行く。ラスト
チャンスを通過する。もう戻れない。
2基のエンジンに火が入る。機に力が漲ってくる。サーキットブレーカーをひとつひとつ
オンにしていく。電子機器が覚醒する。
やがて、軽い振動とともに、乗機がゆっくりとランウェイに入った。
「大佐。なんのつもりですか」
答えは無い。轟然と離陸滑走。20メートルもある巨大な機体が、夜の空に軽やかに舞い
上がった。

ISOの海上の演習空域まで、ライズは無言で操縦桿を握った。
−あれから、戦闘機では戦っているのか。
突然、あの抑揚の無い声が飛び込んできた。あれから、それは即ち、
「いいえ」
ライズがISO入りした日。健が、飛行感覚の狂いを、自覚した日。
機体が大きく旋回した。急上昇から、反転して急降下。体がシートに押しつけられる。左
右に引っ張られる。浮かび上がる。超低空の高速度飛行。10メートル下に海面が見える。
そのまま水平に旋回。さらに逆方向に転回。急上昇。
「た…」
言いかけて、唇を噛み締めた。大佐、これは。
−機の動きが読めるだろう。
今は燃え落ちたあの山深い基地での、霧深いISO基地を走る車の中での。
−君の感覚は、機の動作と一致しているだろう。
激しい振動とGに健の体が振られ、捻られる(カリプソ、エイト・ポイント・ロール、ナ
イフ・エッジ・パス)。超高速で機体を振動させながらの急上昇、反転急降下(バーチャル・
クライム アンド ロール)。
どちらが空で、どちらが海なのか。何回目のロールに入っているのか。機体をどちらに立
て直すのか。ことごとくが、健には" 読めた "。
−あのときの君程度の感覚の狂いなら、現役パイロットでもある。二日酔いで飛ぶとか、
な。
ライズは、ぴったり同じアクロを、ぴったり同じタイミングで、ぴったり同じコースで3
回繰り返した。健の体の筋肉もまた、その動きに合わせて緊張と弛緩を繰り返した。覚え
ている。どこか分からないけれど、感覚を越えた感覚が。
−コントロールを渡す。君がやれ。
「はい」
掌が汗だった。
−人間の五感というものは、そんなに脆弱ではない。どこかが必ず必要なことを覚えてい
る。パイロットは、そのために何千何万時間を飛ぶ。記憶する媒体を増やすために、深く
するために。何時如何なる場合でも、思い出せるために。
ライズの飛んだコースをぴったりなぞろうと、大きく旋回した。
トリガーは、視覚でもいい、方向感覚、或いは時間の感覚でもいい。最も研ぎ澄まされた
何かが、パイロットを呼び覚まし、シルフを呼び、機を風に乗せる。
最後に操縦桿を握ったとき、自分の思うタイミングよりも、アクションが確実に遅れてい
くのが分かった。神経系がやられたな、と思っていた。
−まだだ。行け。
同じ事を、同じタイミングで、同じコース上で。
−もう一度。
吐きたくなるくらい、涙も出ないくらい、繰り返した。もう一度。
もう一度。
もう一度…。

−よし。帰投だ。

健が着陸し、タキシード・インした。コックピットから這い出し、ヘルメットを外した途端に
汗が噴き出した。思わず機体に手をついて長く吐息した。
「最後の2回は君本来のフライトだったな」
顔を上げると、あの無表情が、いつもの抑揚の無い口調で、踵を返した。
「ご苦労だった。帰るぞ」
「大佐」
「何だ」
「運転、替わってもらえますか?」
歩くのが、やっとだった。

「気分が悪いのか。食い過ぎじゃないのか」
ライズがハンドルを握った。運転してもらうのは初めてだな、と思った。
「そんなに食べていませんてば」
ジャケットの袖口で、まだ残る汗を拭いながら言った。
「戦争は次の戦いで終わる。そうしたら、今のシゴトからは足を洗って、体を治せ。君の
感覚は不安定だが、ちゃんと生きている。まだ、致命傷ではない。本当に好きなら諦める
な」
頬を伝って来たのは、汗だけでは無かった。これも、ぐいと袖口で拭い取った。

基地の照明が流れて行く。雪が斑に白く浮かぶ。
「俺が下りてから、ひとりで運転して帰れるか?」
この一言で、現実に引き戻された。
「ちょっと自信無いです。泊めて下さいよ」
少しの間ののち、ライズはきっぱりと言い放った。
「構わないが、条件がある。俺の安眠妨害をしないなら、だ」

**

勝手にやれ、と客室に放り込まれた。
シャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。体がGを覚えていて、まだ緊張が解れない、ゆ
らゆらと揺れる。
疲れ切っているのに、眠れない。喉の渇きも覚える。勝手知ったる他人の家、仰るとおり
勝手にやらせて頂きます、とキッチンに立ち、冷たい水を呷った。
人気が感じられない。出掛けたってことは無いよな、と主寝室を覗き込んだ。

健が暗殺者だったら、至極簡単な仕事だっただろう。それほど熟睡していた。
髪は湿っている、肩は剥き出しのまま。
「風邪、引きますよ」
上掛けを引っ張り上げても、無反応。育ちが良いというべきか、どうしようも無いという
べきか。こうなると、悪戯心が抑えられない。鼻と口を手でしっかり覆って蓋をした。
眉根が寄る。睫毛が震える。それを見る健の唇から堪えきれない笑いが漏れる。
半身を起こして、健を見上げる瞳は、奇異なものでも見つけたような色だった。
「信じられないことをするな…」
「あんまり可愛らしかったので」
反射的に、健を睨み返してきた。これだけ不機嫌なのは、寧ろ珍しい。
「十日で十時間くらいしか寝てないんでしたっけ」
「知ってるなら、ここから出て行ってくれ」
低い小さな声だった。怒ったな、と思った。そんなに疲れているのに…。
首ッ玉に齧り付いた。ライズは、不意を喰らってピローに押し倒された。
「大佐」
答えは無い。激怒だな、と思った。
「今日は、ありがとうございました」
あれだけ何度も同じ事を繰り返せば、健レベルのパイロットなら、若さなら、それが例え
病を得ていても、最高の時を思い出すことができる。その記憶が、幸せな偶然の重なりに
なるまで待って、そこで終わらせた。まだ、致命傷ではない、と言って。
俺に退路を呉れたんでしょう、と健は小さく呟いた。
ライズが息をつく気配がした。勘違いするな。まだ少し、怒気を含んでいた。
「君自身が好きなのに、俺が代わりに飛んでいても意味はあるまい」

…なぜずっと飛んでいてくれないんですか…。
健のあのことばへの、こたえ。
「そうですよね。俺が好きなんですもんね」
蒼天も、飛行機も。太陽も月も星も。雲も風も。光も影も。翼も。
ニケ歴代ナンバー1のパイロット。ああ、彼もこう言っていたな。
−やるなら主人公。うちに来いよ。

そして、主寝室のベッドで目が覚めた。妙にすっきりと爽やかだった。
主の姿が見えない。起き出すと、居間のソファに横になっているのが目に入った。もう昼
前ですよ、と揺さぶっても起きない。同じ事ばかり2回するのも、と思ったが、味が忘れ
られず…。…大成功。
「二度とISO絡みの仕事はしたくない、と長官に言っておく」
寝入りばなは叩き起こされる、ベッドは盗られる(健の寝相がとんでもなかったらしい)。
ライズは、頭痛がする、と顰め面で前髪を掻き揚げた。
「大佐、俺が次の戦いで死んでも、俺のこと、忘れませんね」
「忘れる」
「忘れませんよね」
「忘れてやる」
ちょっと泣きそうな顔をしてみたら、慌てたように継ぎ足した。
「君みたいのは、殺されたって死なない」

神さま、俺にもまた、飛べる日がくるのでしょうか。

よく晴れあがった、寒い朝だった。


END < An extra story of Breatthe [FLY HIGH !]
注:このお話は、Breathe本編とは、ちょっとくらい関係あるかもです(爆)




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