晩夏

by ナッパちゃん 



日が落ちるまでには、まだ少し時間があった。
ユートランド郊外のショッピングセンターの駐輪場。大きな紙袋を抱えた健が、自分がバイ
クを駐めたはずの場所でいきなり足を止めた。
「どうしたの、健?」
後ろから歩いてきていたジュンが、のんびり声
をかける。それとは対照的に張りつめた声で、健は答えた。
「俺のバイクがないんだ」
「ええっ?!」
追いついてきたジュンが覗き込むと、確かにその通りだった。隣のブースにはジュンが乗っ
てきたオレンジ色の大きなバイクがちゃんとある。だが健が自分のバイクを置いた場所に
は、ポッカリと隙間が空いていた。
「盗まれたのかしら?!」
心配そうにジュンが言ったときには、健は荷物を足下に置いて駆け出していた。

最短距離で駐輪場を走り抜け、駐車場から公道へ出るゲートのそばで、健は自分のバイクを
見つけた。
少年たちの一団が、それも盗んだものとおぼしき数台のバイクを囲んで、誰が乗ってゆくか
と声高に笑いあっている。中には健のバイクもあった。ジョーのレース仲間から譲り受けた
ばかりのセコハンだが、ジェットブラックのカウルとタンクが印象的な、シャープな500
ccだ。見間違えるはずもない。
「・・・待て!」
健が吠えた。
だだっ広い駐車場には遮蔽物もなく、走ってくる健の姿を見た彼らは急いで逃げ散ろうとし
ていた。既にエンジンがかかっていた二台はそのままゲートを走り出て行ってしまったが、
幸いにも健のバイクにまたがっていた少年は明らかに用心を怠っていた。もともと健にすら
扱いにくいバイクで、ボタン一発で始動させられるようなタイプではない。
少年が焦ってキックを繰り返すうちに、健はあと数歩の所まで迫っていた。そのとき、ブル
ルンとエンジンが唸って、少年はぐっとハンドルを握りこんだ。健があっと声を上げたの
と、バイクが前へ飛び出すのとが同時だった。
「危ない!! 手を離せ・・・!!」
ゲートの脇はコンクリートブロックを積み上げた低い塀だ。
いきなりスピードを出したバイクは、少年ごとその塀にぶつかっていった。

          ****

「・・・遅いな」
窓の外を眺めながら、ジョーがぽつりと呟いた。
「もう日が暮れちまうぜ。あいつら、いったいどこまで買い物に行ったんだ?」
「アッパーサイドのショッピングセンターだと言ってたぞい。バイクなら、こっから10分
もかからんわ」
カウンターに肘をついていたリュウが、ぼんやり答える。そのカウンターの中では、こんな
店の従業員には似つかわしくないような年頃の少年が、ひどく面倒くさそうにグラスを磨い
ていた。甚平だ。

ユートランドの下町には、あまりはやらない小さなスナックがたくさんある。ここもそう
いった店のひとつで、名前をジュンといった。店のオーナーと同じ名前だった。

ジョーの視線は相変わらず窓の向こうに向けられていた。夕暮れの街はそろそろ淡いブルー
グレーに染まろうとしている。ジョーはついさっき店に来たのだが、ジュンと健が買い出し
に出たのは午後早くだったと聞いていた。
「それにしちゃ遅くねえか?」
「いいじゃんか、ちょっとくらい遅くてもさ!」
綺麗に磨き上げたグラスを照明に透かしてみながら、甚平が声を飛ばした。
「デートだよ、デート! きっと港
のほうにでも寄り道してんだぜ。でなきゃ、お姉ちゃんがこないだから行ってみたいって
言ってた、公園のそばのカフェだな。とっても雰囲気よくて、夜になると木にいっぱい明か
りがついて、サイコーなんだってさ」
「へえ。そりゃ一度行ってみたいもんだわ」
「リュウじゃあ似合わないよ!」
「なんじゃと? もういっぺん言ってみろい、甚平・・・」
カウンターではのどかな口げんかが繰り広げられていたが、ジョーはもう聞いていなかっ
た。

          ***

それからしばらくして、ジュンが荷物を両腕に抱えて戻ってきた。
「リュウ、お願い! 荷物がまだあるの、運ぶの手伝ってくれない?」
「ラジャー!」
あたふたとついていくリュウの背中越しに、甚平が素っ頓狂な声を上げた。
「あれっ、お姉ちゃん! 健のアニキは?」
「先に帰ったわ。雨になりそうだから、ですって!」
ちっとも信じていない口振りだ。気にはなったが口には出さず、ジョーは眉をひそめた。空
はますます暗くなっていた。

「・・・そんなわけで、バイクはキーホールに傷がついただけで無事だったんだけど、健は
すごく怒って・・・」
今日はカウンターのスツールに座って、甚平が作ってくれたミックスジュースを飲みなが
ら、やっと落ち着いたジュンはゆっくりと話した。
健のバイクが盗まれたこと、彼に追われた犯人の少年がバイクをいきなりスタートさせて、
そのまま塀にぶつかってしまったこと。幸いにも少年はかすり傷で済み、すぐに駆けつけた
警備員に引き渡されたこと・・・。
「でもね、健ったら、その子を殴ったのよ。まだ甚平くらいの小さい子で、不良グループの
下っ端だったんじゃないかしら。もち、バイクのことなんて詳しくなかったわ。だからひと
りだけ逃げ遅れちゃったのね」
「ひょえー、おいら、アニキに殴られるなんて絶対にゴメンだよ!」
健の、カラテの腕を知っている甚平が怖そうに言った。
「そうでしょ。それがね、こういうふうに・・・バーン、って」
腕を高く振り上げ、手首のスナップをきかせて、ジュンが平手で人をぶつふりをした。
「すごい勢いで殴ったのよ。免許もない子どもがバイクに乗るな、大ケガしたらどうするん
だ、って怒鳴って。・・・びっくりしちゃったわ」
「そりゃあ健らしくないのう」
リュウも口をへの字に曲げて、うつむいた。
「女の子や子どもを殴るなんてのは、まったく健らしくないだわ」
「でしょ。・・・それで、店の前まで来たら、雨が降りそうだから先に帰るって急に言う
の。絶対おかしいわ、健ったら!」
ひとしきり喋って気が済んだらしいジュンは、くるりと椅子を回してジョーを振り返った。
窓際のテーブルにぽつんと座った彼が、ずっと会話に加わらないでいるのが気になったのだ
ろう。
「ねえ、ジョーもおかしいと思うでしょ?」
「・・・いや、おかしかねえんだ」
ちょっと照れくさそうに苦笑したジョーが、
自分の鼻を親指で指して言った。
「昔、人のバイクに黙って乗って、ケガをしたのはオレなんだ」

          ***

数年前、孤児となったジョーと健が南部博士の家に引き取られていたころ。
資産家である南部の邸宅では、何人もの使用人が働いていた。運転手や警備員、料理人もい
たし家政婦もいた。庭師さえいた。
若い一人の庭師はいつも、ピカピカ光るバイクで通ってきていた。
ある日ジョーは、以前からかっこいいと思っていたそのバイクに、キーがつけっぱなしに
なっているのに気がついた。
「やめろよ、ジョー! 怒られるぞ・・・!」
「ちょっと乗ってみるだけだよ。ええっと、これがスターターで・・・」
「ジョー!」
「どいてろって。怖いんだったら先に家に入ってろよ、健」
一緒に学校から帰ってきた健がジョーの悪戯を止めようとしたが、すっかり夢中になってい
たジョーは聞こうともしなかった。
ジョーにしたところで、本当に乗り回してみようというほどの気はなかった。ただ憧れてい
た大きなバイクにまたがって、スロットルを動かしてみたかっただけだ。
ところが、バイクは不意に動き出した。バランスを失いそうになってとっさにハンドルにし
がみついたジョーは、そのままバイクと一緒に数十メートルも跳ねとんで、庭師たちが丹誠
こめた生け垣に突っ込んでいったのだった。

          ***

「・・・気がついたときにゃ、病院のベッドの上さ。軽い脳震盪と、あとココの骨が折れて
た。すぐにくっついたがな。博士にも後でこっぴどく叱られたが、何より健が怒っちまっ
て・・・しばらく口もきいてもらえなかったぜ」
いつものTシャツの上から鎖骨のあたりを撫でながら、ジョーは大げさに溜息をついた。
「オレが目を覚ました途端、わあわあ泣きやがったクセによ。あの時のアイツの顔は、
ちょっと忘れられねえな」
骨が折れた、と聞いたジュンは、自分も痛そうな顔をしてジョーを見つめた。
「知らなかったわ。もうすっかりいいの?」
「ああ、たまに雨が降ると気になるが、どうってことはねえ。・・・だからな、心配はいら
ねえよ、ジュン。健のヤツ、ガキがオレみたいにケガしたかも知れねえと思って心配したも
んで、ほっとしたついでに腹を立てやがったんだ。きっと今頃、大人げないことをしたと
思って落ち込んでるだろうよ」
涙もろいところのあるリュウがちょっと鼻をすすった。
すっかり日が暮れて暗くなった街に、雨の最初の雫が落ちかかってきていた。

          ***

そろそろ夜の客が来はじめた「ジュン」を出たジョーは、リカーショップで大きなボトルの
ワインを一本買った。
幹線沿いの歩道にバイクを停め、公衆電話にトークンを放り込む。3回コールしたら、相手
が出た。
「・・・よう、健。暇か?」
なんだジョーか、と面白くもなさそうな声が答える。いつものことで、気にもならない。
「この前のレースで勝った祝いに、仲間がワインをくれたんだ。ちょっといいヤツだぜ。こ
れから飲まないか?」
このくらいの嘘は許されていいはずだ。
『そりゃいいが、ろくなつまみもないぞ』
「いいさ。ジュンのとこで、チーズをかっぱらってきた。おまえが今日、ジュンと買ってき
たヤツだけどな」
電話の向こうで、健が笑うのが見えるような気がした。
『待ってるよ、ジョー。今日みたいな日には、古傷が痛むだろう?』

電話を切った時には、雨は本降りになっていた。
(古傷が痛む、か・・・?)
痛むと言うほどではない。だが、そこにその傷があることは、低気圧が来るたびに思い知ら
される。これはそういう傷なのだ。
ジョーは走ってバイクに戻り、めったに被らないメットを被って雨の中を走り出した。
明日は晴れると、予報が出ていた。


          *END*
Art by ゆうと・らん
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