Fragile

by ナッパちゃん



その頃オレたちは、ユートランドシティの下町に部屋を借りて住んでいた。
どこから見てもボロなアパートの、5階の部屋だ。年代物のエレベータはいつも故障してい
て、オレたちは毎日階段を歩いて上った。
コツ、コツ、コツ。
30キロのウェイトも背負わず、普通に歩いて階段を登るくらい、その頃オレたちが受けて
いたトレーニングのメニューに比べればどうってことはないはずだった。だが実際は、一日
のプログラムを終えてアパートにたどり着く頃には膝を上げるのさえ辛いことがあった。そ
れくらいハードなスケジュールをこなしてた、ってことだ。

夏の、蒸し暑い夕暮れだった。
オレは支給された部屋代をケチって手に入れたバイクをアパートの玄関ホールに入れ、盗ま
れないようにしっかりとロックをかけた。こいつのせいで、オレたちの部屋代は2割増しに
されたんだ。反対側にはオレのルームメイトのバイクがあって、アイツが先に帰ってきてい
ることがわかった。
ちょっと会いたくねえな、と思っちまった。だがいつまでも避けられるわけじゃない。
作戦評価のテキストがぎっしり詰まった重いザックを担ぎ直し、とぼとぼとオレは階段を
登った。建物の中は風が通らず、むっとするような熱気がこもっている。たちまち噴きだし
た汗のせいでジーンズが足に貼りついて、一段上がるごとに膝が突っ張った。鬱陶しいが、
どうしようもない。
やっと部屋の前までたどり着き、カギを出そうと尻ポケットに手を突っ込んだ途端、ドアが
内側からバンッと開けられた。
戸口にはぐっと顎をひき、腕を組んで、オレのルームメイトが立ちはだかっていやがった。
青い、でっかい目がオレの顔を厳しく睨みつけてる。正直言って、目眩がした。
「・・・ジョー、オレの言いたいことはわかってるだろうな?」
お帰りの挨拶もせず、部屋にも入れてくれずに言うセリフが、これだ。だがその日のオレは
本当に疲れてたんだ。コイツと口論するのも億劫なくらいに。
「ああ、すまねえ、健。忘れてたわけじゃねえんだ。けどホワイト少佐のクラスが長引いち
まって、抜けられなかった」
「オレが先週言わなかったか? 少佐は課題を完全に理解したと証明しない限り帰してくれ
ないから、徹底的に予習をして行けと」
「オーケイ、オレが悪かった。悪かったから、そこをどいてくれ」
「なんだ、その態度は!? 南部博士がどんなに忙しいか知ってるだろう! その博士を
すっぽかしておいて、おまえは・・・!!」
ああ、ここはなんて暑いんだ。
早朝から午前中いっぱいはカラテのトレーニング、昼飯を食うのもそこそこに軍の士官候補
生たちに混じって講義に出て、それからずっと暑い教室でデスクにしがみついていたんだ。
腹がへったし、べたつく汗も流したい。床にでも座りたい。せめてもうすこし涼しい場所に
行かせてくれ。
「聞いてるのか、ジョー?!」
「聞いてるさ。悪かったって言ってるだろう? なあ健、本当にクタクタなんだ。頼む。中
へ入れてくれねえか」
そう言いながら、オレはザックをどさりと廊下に置いた。健はさすがに気が咎めたのかも知
れない。オレの腕をつかんで部屋の中へ引っ張り込み、ものすごい音を立ててドアを閉め
た。

           ***

もちろん、忘れてたわけじゃない。
今日は16時からISOで、南部博士と健とオレとでミーティングの予定だった。南部博士
はISOの技術主任で、オレたちの育ての親みたいなもんだ。そして近い将来、健をリー
ダーにして特殊部隊を作ろうって計画を立ててる。オレは健の補佐役だ。
軍隊みたいな大がかりなもんじゃないと、博士は言った。ほんの数人のスペシャリストで
チームを組んで、主に諜報活動や敵の懐に入り込んでの破壊工作にあたらせる。そういう部
隊を作りたいのだと。
敵。
ギャラクター、という組織のことだ。ずば抜けた科学力にものをいわせて、世界を一気に支
配してしまおうと企んでいるのだと博士は言う。
オレと健は、ヤツらをこの手で叩きつぶすために、どんな厳しいトレーニングにでも耐える
つもりだった。いざ”現場”へ出たときにヤツらと対等以上に渡りあおうと思ったら、身に
つけておかなきゃならないことは山ほどあったんだ。

            ***

部屋の中も、外と同じくらいに暑かった。冷房なんて気の利いたものはない部屋だ。それで
もありがたいことに、風の吹き込む窓がある。
「・・・おい、ジョー!」
シャワーを浴び、濡れた髪を乾かそうと思って窓辺をブラブラしていると、キッチンのほう
から健が呼んだ。まだ声が尖っていやがる。オレは素直に窓を離れてキッチンへ行った。同
じ部屋に住んでるヤツと、喧嘩をするのはうまくない。
特に、そいつが情報を握っているときは、だ。
オレは健と向かい合った椅子の背もたれをまたぐように座り、その上に腕と顎を乗せた。行
儀が悪い、とまた文句を言われるかと思ったが、今日の健は顔をしかめただけで黙って見過
ごしてくれた。
「何だ」
「何だ、じゃない。今日のミーティングの内容を聞きたくないのか?」
「いや。聞かせてくれ」
「まったく、よりにもよって、どうして今日来なかったんだ。博士は資料も全部用意して、
オレたちを待っててくれたんだぞ」
「面目ねえ。・・・で、何の話だったんだ?」
「驚くなよ。オレたちの他のメンバーの話だったんだ」
「な、何だって!?」
これが驚かずにいられるか。オレは空腹も吹っ飛んだ思いで声を上げた。健は何とも言えな
い表情をして、その日初めて、ちょっと笑ったようだった。
「落ち着けよ、ジョー。オレは写真も見せてもらったぜ」
「いよいよ計画が動き出すんだな。どんなヤツらなんだ?」
「ああ、・・・オレたちの他に、3人なんだ」
「5人か、予定通りだな。ヤツらの年は?」
「まあ、待てよ。順番に説明するから。・・・まず、ひとりはオレたちと同い年で、パイ
ロットだ。アメリスの空軍で戦闘機の操縦訓練をしてたんだが、身体がデカすぎて戦闘機の
コクピットにおさまらなくなって、爆撃機に乗り換えたんだそうだ。すごいバカ力で、ベン
チプレス200キロは軽いらしい」
「へえ、すげえな! 頼りになりそうなヤツじゃねえか」
「だろう? で、次のメンバーは・・・オレたちより年は下だが、メカニックに関しては天
才的だそうだ。爆発物や危険物の扱いもうまい。それに合気道の有段者で、そのへんの男に
は負けない腕前だって書いてあったな」
へえ、とまた相づちを打とうとして、引っかかる部分があるのに気がついた。言ったほうの
健もまずいと思ったのか、黙ってふいと目をそらす。
「・・・おい」
説明しろよ、と。視線だけで先を促すと、しぶしぶと言った様子で口を開いた。
「そうさ、女性なんだ。だが南部博士が選んだメンバーだぞ、それだけの能力があるってこ
とだ。それより最後のひとり、こっちのほうがオレは・・・何て言うかな・・・」
「健、さっさと吐けよ。言っちまえば楽になるぜ」
「・・・まだ子どもなんだ。今言った彼女の弟分で、忍者の末裔だとか」
オレはとうとう呆れ果てて、椅子の背にゴツンと額をあてた。爆撃機のパイロットだってい
うマッチョな大男はともかく、後のふたりは女とガキ。南部博士はいったい何を考えてるん
だ?!
たぶん、健も同じことを考えていたんだろう。言うだけのことは言ってしまったというよう
な顔で、・・・さっきまであんなに怒っていたことも忘れたように、壁に貼った飛行機のピ
ンナップをぼうっと眺めている。その横顔を見ていたら、ちょっとコイツがかわいそうに
なった。
昔から、オレ以上に博士にはなついていた健だ。オレと同じ学校へ行っていた時分も、その
後も、そして今も、博士の期待に応えるために努力しているフシがあった。たぶん、小さい
頃に行方不明になった親父さんの面影を重ねている部分があるんだと思う。本人はきっと
「違う」と言い切ることだろうが。
その博士の考えに賛同できずに悩むなんてのは、コイツにとっては初めての経験なのかも知
れない。
「・・・まあ、実際会ってみなきゃ、どんなヤツらかわからねえよな!」
せいぜい明るく、オレは言った。
「ウダウダ考えたってしょうがねえ。博士には何か特別な考えがあるんだろうぜ」
すると健は、ハッとしたように視線を戻して、オレの顔をまじまじと見た。いささか思いが
けないリアクションで、オレの背中もほんの少し伸びた。
「な、何だ?」
「いや、何でもないんだ・・・」
ゆるく頭を振っておいてから、健は急に立ち上がった。
「ジョー、腹がすかないか? メシに出よう」
オレに異論があるはずもなかった。

          ***

オレたちが話している間に、日はすっかり暮れていた。蒸し暑さは相変わらずな上に、足下
が暗くなった階段をゆっくりと下りながら、オレたちはどこへ行こうかと話しあった。
先に降りるオレの後から、コツン、コツンと健の足音がついてくる。ひとりのときはやけに
気になる手すりの汚れにも、3階の一室からいつも漂ってくる饐えたようなにおいにも、今
は気づきもしなかった。きっと階段の段数も減ってる。そうでなきゃ説明がつかないほど、
1階へ降りるまでの時間が短い。
これからまたバイクを出すのは面倒だ、とオレは言った。健も頷いて、それじゃ近くで済ま
そう、と答えた。
「どこがいいかな。・・・そういえば、この先の角に新しいスナックができたの、知ってる
か?」
「ああ。なんて店だっけ」
「”ジュン”とか言ったかな。噂じゃ、すごく可愛い子がいるらしいんだ」
「へえ! 行ってみようぜ」
言いながら玄関のドアを押し開けたオレの頬を、夜風がひんやりと吹きすぎていった。ジー
ンズのポケットに両手を突っ込んで狭い街路に出ると、頭上の窓からは何かうまそうな料理
の匂いと、子どもたちのはしゃぐ声が降ってくる。
おかげでオレは、健がひとりごとみたいに呟いた言葉を聞き逃すところだった。

”オレたちは向こう見ずに突っ走っていつか命を落としそうだから、自分と一緒に守るもの
があったほうがいい、って博士は言ったんだ。そんなことないよな、ジョー?”


          *END*



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