チェックメイト

by アリー

雨上がりの泥土の中で、健は地面に腹ばいになりスナイパーライフルであるM21を構え
ていた。両ひじを支えにし頬に銃床をぴったり当て上部についているスコープを覗いてい
る。その眼差しは真剣そのものである。
息を止め、狙い、そっとトリガーを絞る。
“パァァァン”
乾いた音が平原に鳴り響く。
ジョーが隣に片膝をついて座り、600メートル先の標的をスコープで確認している。
「命中!」
ジョーは眼をスコープに当てたまま健に親指を立てた。健は大きく息をつくと、そのまま
ゴロリと横になった。陽射しを全身に受け、うーんと伸びをする。
「ハァーッ、永遠に訓練が終わらないかと思ったぜ。」
ライフルを脇に置き、健は仰向けのまま太陽に向かって手を伸ばした。
ジョーは健の射撃結果をカードに記入している。
「いや、たいした上達ぶりだぜ、後半は随分命中を稼いだじゃないか。」
枯葉色の髪のシチリア人は多少の驚きを込めて言った。健は勢いをつけてくるりと立ち上
がった。
「ちぇっ、自分は午前だけで終わったくせに。」
「終わったのかね、健。」
われ鐘のようなその声に二人が振り返ると、迷彩服を身にまとった中肉中背の四十才半ば
の男が立っていた。しっかりとした体格であったが贅肉はひとかけらもついておらず、そ
れは厳しい訓練と節制を自らに科していることを物語っていた。健とジョーはその男を見
ると、あわてて身を起こし気をつけの姿勢をとった。その軍人は二人の指導役にあてられ
た教官ミスター・トム・フェランであった。トムはジョーからカードを受け取ると眼を通
した。そして、鷹のように鋭い眼でジロリと二人を見た後、ゆっくりと頬をゆるめて笑み
を浮かべた。
「フム、なかなかよろしい。これで君らも二週間の訓練が終了ということだな。」
教官の言葉に、健もジョーもうれしそうにハイタッチをした。訓練のあいだ中しかめ面の
まま健とジョーを軍隊式に徹底的に絞り数々の試練を与えてきた鬼教官は、弟子達に慈愛
のこもった視線を注いだ。
「君らがこのまま私の隊の狙撃手として入隊しないのを、非常に残念に思うよ。」
トムは胸を張って手を後ろに組んだままの姿勢を保ち、あくまでも鬼教官としてのポーズ
を崩さなかったが、その瞳は明らかにうれしそうに輝いていた。
「教官、褒めてくれたのはここに来てから初めてじゃないですか!」
健がうれしそうに言う。
「結果は追って南部博士に報告することになっている。君たちは博士の元に戻るようにと
のことだ。さぁ、宿舎に戻って、その泥だらけの身体と顔の迷彩を落としてこい。」
 健とジョーはお互いの顔を見つめあった。二人とも緑と灰色と黒の太いラインで顔中を
キャンバスにしていた。日頃とあまりにも違うものを互いの顔に認めてニヤッと笑うと、
教官に敬礼をして一目散に宿舎に向かって駆けていった。


 トム・フェランは自室に戻ると椅子に腰を下ろし、デスクの上の電話に手を伸ばした。
数回の呼び出し音の後、落ち着いた声が応答した。
「南部です。」
「やあ、博士。フェランです。お預りした二人は、今日、全ての課題をクリアしましたよ。」
「フェラン少佐。ご協力をありがとうございます。」
「それで、結果については詳しくはレポートにして送ります。なかなか興味深い青年達を
預からせてもらいましたな。まずジョーですが、射撃のテクニックは素晴らしいものを持っ
ていますね。実際、完成されていて、射撃に関しては私が新しく教えることはありません
でした。まあ、狙撃手の仕事といえば、それ以外の要素もずいぶんありますから、偵察、
観測、敵に近づく時のカムフラージュの方法などを教えました。彼は頭のいい男ですな、
飲み込みもカンもいい。それから、健ですが、きっと彼はこういった射撃の経験はなかっ
たのでしょう。最初はずいぶん戸惑っていたようですが、最終的には非常に良い結果を出
すことができました。」
「なるほど。」
受話器の向こうの南部は彼の部下の成績に非常な満足をおぼえたように相づちをうった。
フェラン少佐は二人の成績のレポートをめくりながら更に言葉を継いだ。
「南部博士の御依頼は、あの青年達にプロの“狙撃”について一通り教えてほしいという
事でしたね。その点においては合格点を与えるどころか、二人とも私の部隊に今すぐにで
も加えたい程です。いい素質を持っていますよ。え、?・・・そうです。ジョーだけでは
なく、健もです。ふふふ、意外に思われますか?我々の予想を上回る上達ぶりを博士にお
見せしたかったですよ。
 だが、訓練だけでは狙撃の全てを教える事はできません。スコープの向こうにあるのが、
単なる標的か血の通った人間かではまったく違うからです。
 狙撃手は撃つ時を迎えるまで、長い時など一週間もそのスコープに獲物を捕らえ続けま
す。歯を磨いたり、新聞を読んだりする姿を見て、その人物に親しみの情を覚えるのが人
間でしょう。その相手に、必要な時はいつでも弾を送り込み、覗きこんでいるスコープの
中で、自分の撃った弾丸で相手が死んでゆくのに堪えなければならない。それに折り合い
をつけられる人間だけが一流の狙撃手となれるのです。あの二人にそれができるかどうか
は私にはわかりません。あとは実際に戦ってみるしかないのです。」
 フェラン少佐は受話器を置いた。そして、二人のレポートをしばらく見つめていた。結
局、あの二人の狙撃の才能の開花を見る事ができてうれしいのか、それとも、若者達がこ
の狙撃という過酷な現場に身を投じなければならない状況を悲しんでいるのか自分でもよ
くわからなかった。


 南部はフェラン少佐の報告に感謝を述べて電話を切った。そして、眼鏡をはずし目頭を
指でそっと押さえると、ため息をついた。これで、健とジョーは狙撃にかけては最高の指
導教官のもとで、その技術を体得したことになる。
 しばらく天井を見上げたまま考えをまとめていたが、眼鏡をかけ直すと机の上に置いて
ある報告書を検討し始めた。この報告書の届け主はコードネーム“アルファ”という男で、
二年という長期にわたってギャラクターに潜入している情報部員であり、南部がもっとも
信頼をおいている一人だった。そこにはアルファが多くの情報から一片の感情も交えずに
下した結論が記入してあった。それは南部耕三郎の暗殺が計画されているということだった。

 健とジョーはゴール前の陸上選手のように脱衣所に走り込むと、泥だらけの迷彩服を脱
ぎランドリーボックスに放り込んだ。そして、だだっ広いシャワー室に足を踏み入れた。
今日の訓練は、獲物を追う猟師のように気配を完全に消して泥水の中を匍匐し、きまぐれ
な風を読んでしぶとく狙撃のタイミングを計るというフィールドを使った厳しい訓練だっ
たため、髪の毛から足の先まで泥だらけになっていた。
カランをひねると熱めのシャワーが疲れた身体にふりそそぐ。慣れない姿勢を長時間続け
たために起こった肩や腕の筋肉の凝りが溶けてゆくような気持ちがした。健は石鹸を手に
取ると体中に塗り付けて擦った。勿論、迷彩を施した顔にもシャボンを塗りたくり、熱い
シャワーで洗い流す。
「おい、ジョー。この訓練にどういう意味があるのだろう?」
ジョーは隣のブースで頭を洗っていたが、犬のようにブルッと顔を震わせて水を切ると、
健の方に顔を向けた。
「俺に聞くなよ。お前が知らないなら、俺はお手上げに決まっているだろ。」
「狙撃なら、お前一人で充分だろ。俺まで訓練を受ける必要がどこにある。」
「最初に少佐に習ったじゃないか。」
そういってから、ジョーはフェラン少佐の口真似をし始めた。
「近代の狙撃は、通常二人一組で行われる。その場合、一人が狙撃手もう一人が観測手を
務める。また、このチームの中でどちらも狙撃手として完璧な技能を備える必要があり、
武器を交換すると同時に役割も交換して任務を遂行する。と、要するに、そういうことな
んだろう。」
「俺達が誰を狙撃するっていうんだ。カッツェか?」
「それを考えるのは、俺の役目じゃないな。南部博士の役目さ。ま、どっちにしろ向こう
に帰れば説明してもらえるさ。行こうぜ。」
ジョーはそういうとタオルで手早く水気を拭き取り、さっさと更衣室へ歩み去った。


チェックメイト 2


 朝の太陽がビルの壁面をオレンジ色に照らす頃、一台のジャガーがユートランド市内の
大通りを走っていた。郊外の博士の別荘からここ迄の道のりを快適に飛ばしてきたジョー
の自慢のジャガーも、朝の通勤時間にさしかかった為かスピードは次第に落ち、信号に
ひっかかる回数も増えていた。車内のラジオからは、一日を始める聴取者に向けた軽快な
ポップス音楽と交通情報が流れ出している。昨夜遅くユートランドに戻った健とジョーは、
今朝は久々に南部と共にISO本部に出勤する亊になっている。
 あまりにも平和な朝の情景に、思わずラジオの曲に合わせて口笛を吹いていたジョー
だったが、唐突な南部の一言にそのメロディは突然とぎれた。
「ジョー、ここで降ろしてくれないか、少し歩きたい気分なのだ。」
後部座席の南部の声に、ジョーは驚き、ルームミラーを使って思わず南部の姿を確認した。
南部は脇に置いていたコートを手に取って降りる仕度をしている。いったいどういう風の
吹き回しだろうか?
助手席の健が小声でささやいてきた。
「俺が博士を護衛をしていく。車を脇に寄せてくれ。それにしても、めずらしいことを言
うもんだ。」
ジョーはジャガーをゆっくりと歩道の脇につけた。南部はコートを羽織り帽子を頭に載せ
ると身体に沁みるような冷たい空気の中へ出ていった。それを見て健は素早く助手席から
飛び出した。
「じゃあな。」
健は、車のドアを閉めると南部博士のすぐ後について歩き始めた。ジョーは首をひねった
まま二人の姿をしばらく追っていたが、ハンドルを回すと車の流れに戻り、ISOビルに向
かってアクセルを踏んだ。


 南部は、公園の中を通る遊歩道をブリーフケースを片手にゆっくりと歩きだした。
「散歩するにはなかなか良い道だろう。」
「ええ、まぁ。」
普段は、セキュリティーの為に通勤のルートを変更することはあっても、このように何の
意図もなく歩くことなどなかったので、正直いって健は南部の真意を図りかねていた。し
かし、南部は、冬枯れの並木道を心から楽しんでいるように見える。
 健はゆだんなく辺りを警戒しながら歩いていたが、南部が立ち止まり健の姿をじっと見
ていることに気が付いた。
「健、君がそうしてその木の下に立っている姿を見ると、懐かしい昔が甦ってくるような
気がする。私は昔、こうしてよくこの道を散歩した。研究で行き詰まって考えがまとまら
ない時など、この道を一体何回往復したことか・・・。」
南部は過ぎ去った若き日を回想しているのだろうか、遠い瞳をして健を見つめていた。
「友人が危険な任務に就いて音信が途絶えた時、絶望に打ちのめされ、そのベンチに腰を
掛けていた。そして、私が顔をあげた時、あいつが・・・鷲尾健太郎が立っていたのだ。
そう、今の君のように若い鷲尾が、まだ、顔に硝煙のすすをつけたまま、この木の下に
・・・あの時ほどうれしかったことはなかった。」
登り始めた太陽が斜め上からふたりの顔を照らしている。
「それから、二人で祝杯をあげて夜通し飲んだ。あの頃は私たちも若かったのだ・・・。
変だな。急に昔話をしたくなった。」
足下の枯葉が、かさかさという音をたてて舞ってゆく。公園は人通りも少なく、平和な静
寂が広がっている。
 南部が、健に亡き父健太郎の話をするのはめずらしいことだった。それは南部と健に訪
れた健太郎の死という衝撃を“時”がようやく癒したという亊なのだろうか。確かに当初
の悲しみは薄れ、今では平静を保ったまま父の話を聞くことはできるし、南部と父の絆が
感じられてうれしくもあった。だが、今日の南部は普段とはどこか様子が違った。
「どうしたのですか、今日は、なんだかいつもと違いますよね。」
健はなんとなく釈然としない顔で尋ねた。
「いや、別にどうしたというわけではないが。・・・ああ、そうだ、ジョーと二人で二週
間の訓練をご苦労だったな。少佐から連絡を受けている。今回の任務はこの訓練と関わり
があるのだ。向こうについたら詳しく話をしよう。」
南部は落ち着いた温かい口調で健に言い、再び美しい並木道を歩きだした。


 ISOビルの最上階にある日当たりの良い広々とした部屋で、健とジョーは南部と向かい
合ってレザーのソファーに座っていた。部屋には華美ではないが趣味の良い調度が置かれ、
このソファーに座る者をくつろいだ気分にさせるように工夫がされていた。しかし、健と
ジョーはこれからの任務についてあれこれと思いをはせていたので、くつろいだ気分とは
懸け離れた心境にあった。
「先月の末、アルファから連絡が入った。」
健とジョーは南部から書類を受け取り、熱心に読みはじめた。二人とも“アルファ”とい
うコードネームはよく耳にしていた。凄腕の情報部員で、この男からもたらされた情報を
基に幾度となく作戦を遂行していた。そして、その情報が誤っていたことは一度たりとも
なかった。
書類に眼を通してゆくと、そこには彼等が心から恐れている情報が書かれていた。
「博士。これは、博士の・・・」
「そうだ、アルファの情報によると、私の暗殺の計画がたてられているとのことだ。」
健とジョーは厳しい顔をして眼を合わせた。二人の表情には動揺が表れていた。
 自分たちの一番の弱点は博士なのだ。博士さえ地上よりいなくなれば、ISOも科学忍者
隊も崩壊してしまうだろうという怖れを心の奥で常に感じていた。それは、考える亊さえ
恐怖を伴うものであり、互いに口に出す必要もないほどの自明のことだった。
 健は博士の顔に視線を戻したが、その表情のどこにも怖れや脅えを表していなかった。
博士は恐怖を感じないのか?健はその考えをすぐに打ち消した。死に対して怖れを感じな
い人間がいるはずがない。俺達の為だ。俺やジョーが冷静に任務を遂行できるように、す
べての感情を押し殺しているだけだ。博士の穏やかさに隠された意志の強さや覚悟に改め
て畏敬の念を抱いた。
「ここには“クイックシルバー部隊”が遂行か?と書いてありますが、どういうことで
しょうか。」
ジョーが質問をした。
「うむ、アルファの報告では、クイックシルバーとは、ギャラクターの中でも独立した特
殊部隊の一種らしい。狙撃の名手で構成された集団で、戦場での狙撃から要人の暗殺まで
その活動範囲は広いが、ほとんど実体がつかめていないそうだ。」
「アルファでも掴めない情報があるのですか。」
ジョーが軽い驚きを込めて聞いた。アルファへの信頼はそれ程絶対的なものだった。
「ギャラクター内部でも、極秘扱いになっている部隊らしい。すばやく変化しつづけ、捕
まらない、そしてとらえどころがなく、毒を持つ・・・というのが部隊名の由来だそうだ。」
書類を見つめていた健が、ふと顔をあげて言った。
「狙撃・・・そうか、だから俺達にあの訓練を受けさせたのですね。」
南部は頷いた。
「そうだ、彼等の作戦を阻止するためにはまず、狙撃というものはどういうものかを良く
知ってもらわねばならなかった。私も今回の亊でフェラン少佐にアドバイスを求めたとこ
ろ、私の行動のうち“何時、何処で”が明確な状況が一番危険だろうと言われた。」
南部は、ちょっと言葉を切りふたりの顔を眺めた。ジョーは黙って話を聞いているもの
の、その瞳は“気に入らねえ”と叫んでいた。暗殺という手を仕掛けてくるギャラクター
が気に入らねえ、任務にボスの命を賭けるのが気に入らねえとその理不尽に怒っているよ
うに見えた。
 一方、健の青い瞳には、困難な任務に対して必ずやり遂げてやるという確固たる信念が
浮かんでいた。健とジョーのそれぞれの顔に強い決意を見て取った南部は、わずかなため
らいさえなく、この二人の若者に自分の生命を賭けようと思った。
「私の今後のスケジュールで“何時、何処で”が公表されているのは、ドリア国で行われ
る国際エネルギー会議出席だ。君たちに私の護衛および逆狙撃によるクイックシルバー壊
滅を命じる。」
南部の言葉に健とジョーはラジャーと叫んだ。


チェックメイト 3


 ドリア国は赤道近くに位置している。気候は雨期と乾期に分かれていて気温は高く、近
代的な都市の周りには、広大な砂漠が広がっていた。そして砂漠の下には、この国の唯一
にして最大の資源。何万年もの歳月と地殻の圧力が作りだした黒い液体が無尽蔵に眠って
いた。
 薄暮の中、健は大通りの街路樹の下を急いで歩いていた。日中と夜では温度の差が大き
いドリア国では、六時過ぎといえば、もう既にTシャツでは肌寒さを感じるほどだった。
道行く人はオフィス街から吐き出され家路に急ぐ勤め人がほとんどで、健は人の流れに逆
らって駆け出す事もできずいらいらと歩いている。
 十日前、健とジョーはドリア王国に入国し、手分けをしてターミナル、そして会議場と
なる国際会議場のビル等、警備のポイントを徹底的に下見をし、それと同時に、警察や
シークレットサービスと打合せを進めていた。
 健とジョーの今日の予定は、南部の宿泊するホテルの最終のチェックをすることであっ
た。そこでは、今、ジョーが健の事をいまや遅しと待っているはずである。
 街角を曲がるとすぐ目の前に巨大なホテルがそびえ立っていた。ホテル一階の通りに面
した部分はガラス張りになっていて、夕闇の中、ガラス越しにシャンデリアが眩しく輝い
ている。ふと気が付くと、一人の男がまばゆいばかりの光を背にして、こちらを向いて
立っている。強烈な光のおかげでシルエットしかわからないが、ほっそりとして、長身で
・・・なんだ、ジョーか。時計を見ると、約束の時間を30分も過ぎていた。


「すまん!待たせたな。」
ロビーに飛び込むなり、声を掛けたが、途中でその声はたよりなく消えていった。
  振り返ったその姿は、ジョーではなかった。枯葉色の髪や背格好は似ていたが、切れ長の
グレーの瞳に薄い唇と、ジョーとは似ても似付かない男がけげんそうに健を見つめている。
「人違いでした。すみません。」
あわてて健が詫びると、男は気にするなというように手を上げ、再び、ガラスの壁の方に
向き直った。その時、男の左耳に銀色に光るものが目に入った。それはドラゴンに三日月
を組み合わせたエキゾチックなデザインのピアスだった。
“銀のピアス・・・か。”
 端正で落ち着いた横顔にピアスというアンバランスのような、それでいて妙に艶めかし
いような取り合わせが深い印象を与えた。
健が人違いをしたきまり悪さに頭を掻いた時、自分の名を呼ぶ声が聞こえて振り返った。
「おい、遅いぞ、健。何やっていたんだ。」
ジョーが腕組みをしてこちらを向いている。
「ジョーか。」
「“ジョーか”じゃねえよ。他に一体誰と待ちあわせしてるってんだよ。」
「ああ。」
「なーに、寝ぼけてるんだ。おいっ、起きろ。」
ジョーは健の頭を小突いた。
「痛いじゃないか。いや、今お前だと思って、他の男に話し掛けてしまって。」
ほら、と指を指した空間には、もはや、誰の姿もなかった。
「あれ、いつの間に?あの男どこへ行ったんだろう。」
後ろにも眼があるのではないか、と言われるほど気配を読むのに長けている自分なのに、
あの男が去ったことは全く気が付かなかった。健は不思議そうに首をかしげた。
「何言ってんだよ。夢をみたんじゃないのか?さぁ、行くぜ、任務。任務。」
ジョーは、フロントに向かって歩きだした。


 エル アンダルーズホテルの支配人は一流ホテルを統括するにふさわしく、人物を見抜
く目には長けていた。しかし、今日訪ねてきたこの二人の若者ほど、どの項目にも分類し
ようのない者は初めてだった。
 フロント係に呼び出され、目の前にいる若造が警備状況の最終チェックの為にやって来
たと説明された時、内心の驚きを隠すのにひと苦労した。
 支配人は穏やかな微笑みを浮かべつつ二人を見つめた。一人は、濃い茶色の髪、意志の
強そうな眉に青い瞳を持ち、礼儀正しい話し方をし、押しが強い訳ではないのにどこか逆
らいがたい雰囲気をもっている。
 もう一人は、枯葉色の髪、ダークグレーの瞳。先の男よりやや背が高く、やせ型で視線
も鋭い。男性的な魅力溢れたその容貌は、さぞ女性たちを虜にしているに違いない。
 二人共、一分の隙もない身のこなしをしていたが、そうかといってシークレットサービ
スのような猛々しさはみじんも感じられない。さらに、二十歳そこそこであるのに、ISO
の最高機密に触れる権利を有する身分証明を所持している。
 今朝、直々にアンダーソン長官から支配人に電話があり、二人に対しては出来うる限り
の便宜を図るようにとの連絡を受けていた。この者達は、一体何者なのだろうか。支配人
は沸き上がってくる興味と疑問を顔にださないように努めなければならなかった。
「そういう事情でしたら、私がスウィートルームに御案内いたしましょう。」
支配人は、慇懃な物腰で、エレベーターホールへと歩み始めた。


 ホテルの支配人に案内されて、健とジョーは、実際にVIP達が宿泊する最上階のスィー
トルームにやってきた。広々とした室内には豪華な調度品やソファーが並んでいる。
「今回の会議に出席なさるお客様は、最上階のこちらのフロアに御宿泊なさいます。また、
念のため、この下の階にも一切、他のお客様はお通ししません。」
 健とジョーは、カーテンを開き窓の外の風景を確認した。眼下に近代的なビルが広がり、
夕闇が迫る中で、都市の明かりは宝石のようにきらきらと輝いていた。その光の洪水の向
こうには黒々とした闇が広がっていた。闇は郊外に広がる砂漠のせいであり、その彼方の
地平には夕焼けの残照が藤色に光っていた。
「素晴らしい眺めでございましょう。こちらを御利用いただく高名な南部博士にも、きっ
と気に入って戴けるものと自負しております。」
「残念だな。このカーテンは、博士の滞在中は絶対に開けないでくれ。客室係のメイドに
も、窓もカーテンも開ける必要はないということ徹底させておいてくれ。」
ジョーがぶっきらぼうに言うと、支配人は面食らって黙り込んだ。
健は窓の外を見下ろして考え込んだ。ホテルは街の中心街に位置しているだけに、周囲に
はデパート、オフィスビル等が密集していた。俺がクイックシルバーなら何処から狙撃す
るだろうかと何度も頭の中で繰り返していた。
 健は振り返ると支配人に向かって話し掛けた。
「では、次にこのホテルの中をひと通り、つまり、配膳室から従業員休息室、裏口、地下
の搬送口、文字通り全てをみせていただきます。ああ、勝手にチェックしますから案内は
不要です。」
支配人は眉を大きく釣り上げたが、アンダーソン長官の電話を思いだし、見事に訓練され
た慇懃さで、うなずいた。
「かしこまりました。」
二人の若者は支配人を部屋残しさっさと出ていった。
 フロントに戻った支配人に、フロント係の女性達は興味津々で尋ねた。
「あの方達は、もう帰られたのですか?若くて素敵な方々でしたわね。」
「君たちに、あの若者達がどんなに魅力的に見えるのかは知らないが、年の功から言わせ
てもらえば、恋人にするとしたら、結局、平凡なタイプの男が一番いいと思うがね。」
支配人はため息と共にそう言うと、首を振り振り歩み去った。


チェックメイト 4


 健とジョーは一日のスケジュールをすべて終え、バーのカウンターでグラスを傾けてい
た。地元の人間が気軽に出入りする店で店内は騒がしかったが、それがかえって二人の張
りつめていた神経をくつろげさせた。
「埒が明かねえな。」
ジョーがバーボンをグイッとひと飲みして言った。
「こっちは警備の要所をチェックするしかねえなんて、奴等の有利さには変わりはねえさ。
相手の人数も顔も年齢もわかってないんだぜ。クイックシルバーは、とっくにドリア
国内に潜入し入念な準備をしているはずだ。奴等が看板に恥じぬプロならばな。」
健もジョーの言葉に頷いた。
「確かに情報が少なすぎる。博士の命がかかっているのに情報部は何をしているんだ。博
士も博士だ。ダブルを立てることすら了承してくれないんだぜ。」
健もめずらしく愚痴めいたことを口にするとグラスを飲み干した。
「明日の朝のフライトで博士がいよいよやって来る。今日はこうしておまえと飲む最後の
機会なのに、酔えない酒だなあ。」
健はバーテンに追加を注文するとため息をついた。
 ジョーはふと思い付いたように口を開いた。
「なぁ、健。情報部に貸しのある男がいるんだ。そいつに言って、アルファに情報をもっ
とよこすようにとプレッシャーをかけてみるか。」
「博士や情報部を飛び越してか?まずいんじゃないか?」
「博士から情報部の幹部を経由してなんてまどろっこしいことをしていたら、とてもじゃ
ないが間に合わないぜ。」
ジョーは腕時計をチラッと見た。
「十時半か、よし、これから電話を・・・。」
 その時、ガラスの砕け散る音がジョーの言葉をかき消した。
 ガチャーン、ガラガラ。と同時に何人もの男がわめく声がする。健とジョーがうるさそ
うに首を回すと、地元の若者数人が喧嘩を始めていた。酔っ払ったような大声と酒の瓶が
割れる音が続く。女の甲高い悲鳴がいっそう興奮と喧騒を高める。軍服の前をだらしなく
はずした男達が十人ほど立ち上がって興奮したように怒鳴っていた。
「世界中からやってくるVIPの警護の為にドリア国中から集められた軍隊だろう。どこの
山奥から来たか知らないが、それにしても程度の低い兵隊どもだよな。」
ジョーが呆れたように言った。
 健とジョーは騒ぎを無視して飲み直そうとしたが、地元の人間が加勢に駆け付け、騒ぎ
はますます大きくなる。したたかに酔った兵たちは、腰の銃を取り出した。健もジョーも
それを見ると放っておくことは出来なかった。ヘタをすると、このままでは死人がでるか
もしれない。
 健とジョーが地元の若者と兵隊の間に割り込んだ時、同時にグレーの瞳の背の高い男と
赤毛の若者が出てきて、鉢合わせをした。双方、同じ亊を考えたらしい。ただ、タイミン
グが示し合わせたようにピッタリだったので、二組の若者達は眼を合わせてニッと笑った。
「なんだ、なんだ、おまえら文句あるのかぁ」
酔って気が大きくなった兵隊達は身体をふらつかせながら銃を構えている。
 赤毛の若者はグレーの瞳の男よりもやや若く血の気も多いらしい。ちらっと見て相棒に
合図を送ると
「それじゃ、お先に!」
と健とジョーに叫び、兵隊の抱えていた銃を蹴り上げた。兵隊がよろけたところをジョー
の拳がヒットする。兵隊はふっとびテーブルの向こうまで転げていった。仲間がやられて
頭に血が上った兵隊たちは、一斉に四人めがけて襲いかかってきた。そこに地元の若者も
加わって店内は大乱闘になったが、一番危険な、銃を振り回している兵隊達は四人の男の
連携のとれた技によってアッという間にのされていった。
 興奮した若者たちがいまだ大乱闘の最中に、健はグレーの瞳の男に近寄り、袖をひいて
囁いた。
「相手は軍隊だし、ここに残っていると後が面倒だ。混乱に乗じて抜け出そうぜ。」
 その男は頷くと今度は地元の若者を投げ飛ばしている赤毛の男の上着をつかんで騒ぎの
中から連れ出した。健もジョーに眼で合図を送ると、ジョーも姿勢を低くして抜け出して
きた。丁度入口からは通報で駆け付けた警官が入ってきたところだった。
「手を上げろ、壁に向かって立て、お前も、お前もだ。」
警官は有無を言わせず、次々に若者たちを乱闘から引き離しては乱暴に押さえ付ける。四
人の男は大騒ぎになっている店内から裏口を通って外へと抜け出した。


 表通りにはパトカーがサイレンを鳴らしながら次々とやって来ている。四人は店の裏手
から続く迷路のような路地を走った。表通りの喧騒が次第に遠ざかってゆく。街灯もない
細い道だが、この国独特の白く塗られた民家の壁が月明かりに白く光っていた。路地と路
地が交差した所で四人は立ち止まった。
「ここまでくればもう大丈夫だろう。」
健は改めてグレーの瞳の男を見て、あ、と小さな声を洩らした。
「君はこの前、エル アンダルーズホテルで会ったよなぁ。」
男のグレーの瞳に驚きの表情が浮かんだ。赤毛の男はきょとんとして健と相棒を交互に見
ている。
「あの時、俺に声をかけた男か・・・。偶然だな。よく気が付いたな。」
「その変わった形の左耳のピアスでわかったんだよ。」
健に言われて男は左耳に手をやった。そこにはドラゴンに三日月を組み合わせた意匠の銀
のピアスが光っていた。
 グレーの瞳の男は目を逸らし黙ってピアスに手を触れた。赤毛の男はそれを見て、わざ
と明るく言った。
「これは俺の兄貴の形見なんだ。もとは襟の徽章だったのをピアスに直したんだ。いいデ
ザインだろ。」
「それは・・・。」
すまなかったと健が言う前に、グレーの瞳の男が構わないというように微笑んだ。
「君たちはどこかの軍関係の仕事をしているのかい?」
ジョーが聞いた。
 グレーの瞳の男は首を振った。
「・・・昔、徴兵で訓練を受けた亊はあるけど、今は関係ない。ここへは旅行できたんだ。
君たちは?」
「俺達は・・・。」
ジョーは健の方をちらっと見る。
「いとこの結婚式に出席するために来てるんだ。なっ。」
健もジョーの言葉に、にっこり笑って頷いた。
「明日の式の前祝いをあのバーでしていたんだよ。とんだ前祝いになってしまったけど。」
 ジョーは周囲を見回した。右も左も似たような民家が立ち並んでいる。石畳の道はわず
かに右手に向かって上り坂になっているようだ。
「それにしても迷路のような道だな。どっちへ行けばホテルに戻れるやらわからなくなっ
ちまった。」
ジョーが途方にくれたように言う。道を尋ねようにも、この時間では通行人もいない。
 グレーの瞳の男はレンガで組まれている塀にサッと登り、あたりを見回した。
「市街地の方向なら、下りのこの道を行けばいい。」
健も塀の上に登ると、グレーの瞳の男は健の肩に手を置いて身体の向きを斜めに変えた。
「いいか、この向きにタワーが見えるだろう。背の高いビルの隣のライトアップされたや
つだ。あれはエメラルドタワーという名で呼ばれていて、タワー正面が市街地の方向を向
いているから、あのタワーから右方向に向かうことを念頭において歩いていけば間違いな
い。」
「へぇ、なるほど。助かるよ。この迷路のような小道で一晩中さまようのはまっぴらだか
らな。俺達はこの道を下って行くよ。君らはどうする?」
「私達は右手の道を行く。ここでお別れだな。」
「世話になったな。縁があったら今度は酒でも飲もう。おまえ、後で頬を冷やしておけよ。
赤くなっている。」
ジョーは赤毛の男の頬に触れた。男は自分の髪の毛と同じくらい赤くなった。
「ちぇっ、これは地元の奴にやられたんだよ。あいつら興奮してみさかいなく殴りやがっ
て。」
グレーの瞳の男と赤毛の男は笑うと健とジョーに向かって手を差し出した。
「いとこ殿によろしくな。じゃあ。」
 四人の男達は、偶然の出会いの中で得た一瞬の友情を確かめる様に握手を交わした。そ
して別れの挨拶と共にそれぞれに道へと去って行った。


 古ぼけたホテルの一室で赤毛の男がライフルの手入れをしている。
「まだ、寝ていないのか?レッド。」
グレーの瞳の男が声を掛けた。レッドと呼ばれた赤毛の男は、ライフルを革製のバックの
中にそっとしまうとジッパーを引き上げた。
 グレーの瞳の男は壁際に置いてあるテレビのスイッチを入れた。テレビの画面には、明
日開催される世界エネルギー会議の為に来訪するVIPの映像が流れている。
「訓練通りに臨めばいいんだ。レッド。南部を倒せば、この戦いは終わりになる。」
「ルーク、本当に終わりになるのかなぁ?」
赤毛の男はベッドに寝転がって、コードネーム“ルーク”ことグレーの瞳の男に聞いた。
ルークは椅子に腰掛けてレッドに話し掛けた。
「なぁ、レッド。お前の兄貴が死んでから、ずっと考えていたことなんだが・・・チェスっ
て知っているだろう。」
赤毛の男はベッドの上で天井を見つめながら答えた。
「ああ、ゲームのチェスのことかい?」
「そうだ。チェスと同じで、この戦いも互いのキングを詰まないと終わりにならないんだ
よ。」
ルークはテレビの画面に眼を向け、話を続ける。
「チェスで、俺のコードネームの由来になっているルークっていう駒があるだろ。科学忍
者隊はいわばルークみたいなもんだ。縦横無尽の大活躍だものな。だけど、いくらルーク
やビショップを取ったとしても、ゲーム自体は終わりにならないんだ。キングを詰むこと
によって勝敗は決する。」
「そうか。それじゃあ、向こうのキングが南部耕三郎だとして、こっちのキングはベルク・
カッツェなのか?」
「ばーか、あんな奴がキングのはずないだろう!その上だよ。総裁Xがこちらのキングさ。」
レッドは吹きだした。
「ひどいなぁ、ルークは。一応、カッツェは大幹部なんだよ。」
ルークは澄まして答えた。
「あいつは昔から虫が好かないんだ。」
 テレビ画面に南部の顔写真が映った。ルークは画面に向かって銃を持った気分で狙いを
つけるジェスチャーをした。
「チェックメイトだ。さぁ、寝よう。明日は早いぞ。」


チェックメイト 5


 翌日、健とジョーは背広を身にまとい空港のロビーで南部博士の到着を今や遅しと待っ
ていた。ジョーは腋の下に吊ってある銃を上着の上から触れて確認していたが、ふと口を
開いた。
「夕べはあの後、情報部の男に連絡したが、まず思いっ切り怒鳴られたよ。アルファは大
変な危険を冒して潜入していて、でき得る限りの情報を送っているんだから、勝手な口を
出すんじゃねえってサ。」
「それで?」
健が尋ねる。
「俺が賭けの貸しについて、ごくさりげなくほのめかしたら協力を申し出てくれてな。」
健はおかしそうに笑った。ジョーが“さりげなくほのめかす”亊などある訳ないじゃない
か。
「それで、アルファにもう一度、なんとか情報を取るように連絡するってさ。どんな小さ
な取るに足らないような亊でも、俺の携帯に連絡させるそうだ。」
「そうか。」
健は椅子に座って頬つえをついて考え込んでいる。
 その時、ブリーフケースを下げた南部博士がゲートから出てきた。二人は即座に椅子か
ら立ち上がり駆け寄った。南部博士は健とジョーの姿を認めると頷いた。
「博士、命令通り警備のポイントをすべてチェックしておきました。あの・・・やはりダ
ブルをたてることを了承していただけないでしょうか?」
健が真剣な表情で切り出す。健とジョーはこの話題について、夕べから何度も話し合って
いた。ジョーも同意を表明するように黙ってうなずいている。
「ダブルをたてたとしても、結局そのダブルが標的になるだろう。健、私には、それは出
来ない。」
南部博士は平然と、むしろ健を諭すように話した。健とジョーは、お互いに眼で合図を
送った。
 どこまでも清廉で剛直な南部の性格を熟知し、尊敬を抱いている二人だったが、警備す
るうえでは却ってその美点が妨げとなる。健とジョーは博士の両脇に張り付いた。これか
らは一瞬一瞬が危険に晒される訳だ。ジョーが車を回し、ドリア国の国際会議場に向かっ
た。


 議事堂の大ホールで先年即位したばかりのアリ国王によって国際エネルギー会議の開会
が高らかに宣言された。これから五日間に渡って、世界中の国々の大臣級の閣僚が一同に
会し、将来のエネルギー計画について活発に議論を交換するのである。健とジョーは会場
の片隅にひっそりと控え南部博士の周囲をゆだんなく見張っていた。


 ほぼ同時刻、ルークとレッドは非常階段をつかって、エメラルドタワーの中ほどにある
タワーの管理施設に入り込んだ。二人は担いでいた革製の細長い袋をそっと床に下ろすと、
ジッパーを開けた。中にはスナイパー・ライフルと援護用のセミ・オートマチックのカー
ビン銃、そして狙撃に必要な特殊装備がはいっていた。
 二人の男は大きめの窓を半分程開け、部屋の中央にあるテーブルを窓際に寄せた。そし
て、その上にスナイパー・ライフルを据え付けた。レッドは袋の中から、黒い布を取り出
すと、相棒に手渡した。ルークはそれをスナイパー・ライフルの銃身に丁寧に巻き付けた。
この布は日光の反射で銃身が光るのを抑えるためにカムフラージュの役目を果たすの
である。
「ルーク、どっちが先に狙撃手になる?」
「俺が最初に狙撃手をやる。後は一時間交替でやろう。レッドは観測手を頼む。」
ルークは、テーブルの上に腹ばいになりスナイパーライフルを構えた。スコープの中の十
字の先にはエル アンダルーズホテルのエントランスが映っていた。


 会議は非常に盛況を呈し、各国の代表がまさに机を叩かんばかりの勢いで意見を述べあっ
ていた。
 その日の予定を三十分も延長し、ようやく第一日目は終了した。大ホールのあちらこち
らで各国の参加者がそれぞれ挨拶をしたり、握手をしたりと人の流れが入り乱れている。
 ホールの出口に向かう南部の後についていたジョーは背後に人の気配を感じた。次の瞬
間、ジョーは振り向きざまに拳銃を構えた。
「・・・・・。」
後に立っていたのは、南部に今まさに声をかけようとしていたアリ国王だった。国王は鼻
先に突き付けられた銃を呆然として見つめている。ジョーはあわてて銃を脇のホルスター
に戻した。
「これは、アリ国王。私の警護の者が御無礼を致しまして申し訳ありません。」
南部は驚き、ジョーの前に割り込むと、あわててアリ国王に非礼を詫びた。
「いや、そのように詫びる必要はない。私も南部博士の事情について耳にしている。今回、
ここの警備も手厚くするように指示しているところです。」
確かに国王が言う通り、国際会議場内もここ迄の道筋も大勢の警官や軍人によって警備さ
れていた。
「南部博士、我が国がこのような国際会議を開催することができるようになったのも、博
士の協力のおかげです。もし、あの時ギャラクターを撃退することができなかったら、こ
の国はめちゃくちゃになっていたでしょう。一言お礼を言いたかったのです。それでは、
また。」
  アリ国王は王者の風格を保ち、ゆっくりと歩み去った。南部と健とジョーは深々と礼をし
て見送った。アリ国王はジョーの前でふと立ち止まり、声をかけた。
「なかなか素晴らしい警護ぶりだった。」
ジョーは国王に対してひたすら礼を取った。背後から小声で健がからかった。
「国王に銃を突き付けておいて不敬罪に問われずに済むとは、ジョーは大物だなぁ。」
「ちぇっ。」
ジョーは口を尖らす。健はからかいながらも、今のジョーの抜き手の早さには内心舌を巻
いていた。
“これぐらいでいい”健は自分に言い聞かせた。南部博士の命さえ守れるのなら、例えそ
れが度を超した集中で周囲に多少のひんしゅくを買おうとも構わないと思った。
 三人は国際会議場を出ると、ジョーがハンドルを握る車でエル アンダルーズホテルへ
と向かった。


「ルーク、交替しようか。」
レッドが声をかけた。ルークはスコープから眼を離しテーブルから降りると、レッドから
双眼鏡を受け取り、役割を交替した。これからの一時間はレッドが狙撃手で、ルークが観
測手になる。
「いつ南部が現れてもおかしくな時刻だ。ぬかるなよ、レッド。」
「わかっている。ルーク、風は右方向から時速七キロメートルだと読んでいるんだけど、
どう思う?」
「俺もそれくらいだと思う。この距離だと一発目で当てるのは難しいかもしれないな。
撃ってみて修正が必要になるかもしれない。」
「俺の腕に間違いはないんだから、ルーク、着弾観測をしっかり頼むよ。」
「こら、誰にものを言っているんだ。」
ルークは双眼鏡をのぞいたまま笑った。亡き親友の弟は、少々わんぱくなところがあるが、
兄におとらず才能を持っている。最近、チームに入ったばかりだったから、ぜひ、自信を
つけさせてやりたかった。
「南部はお前がやれよ。」
レッドは真剣な声で返事をした。
「わかってるさ、まかせてよ。」


チェックメイト 6


 車が交差点の角を曲がり、エル アンダルーズホテルが見えた時、ジョーの携帯電話が
鳴った。
「はい、こちらジョー、アルファだって?」
ジョーが思わず大声で返事をする。南部は驚いてジョーを見つめた。健の顔にも緊張が走
り、耳をそばだてている。ジョーはアルファの言葉を大声でそのまま復唱し始めた。
「今回の作戦にはクイックシルバーのメンバーのうち、“ルーク”と“レッド”という
コードネームの二人が参加している。ルークはクイックシルバーのリーダーで、レッドは
赤毛の男だそうだ。ルークはいつも左耳に銀のピアスをつけている・・・。」
ジョーは携帯を耳に当てたまま驚愕の表情を浮かべている。そうするうちにも、車はゆっ
くりとホテルのエントランスに乗り入れた。
 一面がガラス張りになっているホテルのエントランスが健の目にはいった。その刹那、
健は思い出した。初めてあの男を、“ルーク”を見た時の事を。
 すらりとした体、切れ長のグレーの瞳。ガラス越しの夜景を背にしてこちらを向き、心
持ち頭をかしげて立っていた。
 健は、思わず瞳を大きく見開いた。そうだ、ガラス越しの夜景には、美しく緑色にライ
トアップされたエメラルドタワーが輝いていた!あの時、あの男はエメラルドタワーから
ホテルのエントランス前への狙撃をする為に下見をしていたのだ。
 健は車の窓から外を眺めた。エントランスに差し掛かるとビルとビルの間の向こう側に、
丁度エメラルドタワーを姿を見せ始めていた。
 さらに、昨夜の“ルーク”の言葉が耳朶に蘇った。“あれはエメラルドタワーといって、
正面が市街地を向いているから・・・”
「ジョー、クイックシルバーはあそこだ。エメラルドタワーだ!」
健は絶叫して、座席の足元からスナイパー・ライフルを取り出し窓を開けた。
「博士、車から出ないで下さい!」
ジョーは叫ぶと運転席から外へ転がり出てエメラルドタワーに向かって走り出した。
 健はライフルを構え、スコープを覗いた。タワーの中程にある窓からライフルがこちら
を狙ってるのが見えた。スコープの中には見覚えのある燃えるような赤毛の男が銃を構え
ていた。“レッド”の子どものように無垢な笑顔が一瞬浮かんだ。健は呼吸を止め、狙い、
そしてゆっくりと引き金を絞った。


「レッド、来たぞ。あと十秒ほどで車はエントランスに着く。いいか、そのまま南部が車
から出たら撃て。」
ルークが言った。
  レッドは微動だにせずライフルを構えている。その表情は穏やかでリラックスをしている
ようにさえ見えた。
  突然、ルークは異様な事態に気がついた。運転手が向こう側のドアから転がり出たように
見え、こちら側の車の窓ガラスが下がった。そして、車の中に銃身が光るのが見えた。
「レッド!」
ルークが反射的にレッドの体を突き飛ばすのと同時に銃弾がレッドの体を貫いた。レッド
の体はテーブルの下へと転がり落ちた。
「レッド、レッド!おい、しっかりしろ。」
ルークはレッドに駆け寄った。レッドは肩に銃弾を受け、床の上で苦しんでいた。血がみ
るみるうちに傷口から流れ出す。ルークはレッドの傷口を調べて言った。
「肩の骨が折れているようだ。早くきちんとした処置をしなければ。」
そう言いながら、首に巻いてあったスカーフをはずすと傷口を縛った。
 手当てをしながらも、ルークは不思議でならなかった。
“なぜ、狙撃をする前に、こちらの居場所がわかったのだろうか?このタワーからホテル
までのは、常識では考えられない距離からの狙撃と言っていい。いったいなぜなんだ”
 そして、レッドの身体をそっと起こすと、彼の額に浮いている脂汗をぬぐった。
“相手に気付かれてしまった以上、南部の狙撃は今や不可能だろう。こうなった上は、一
刻も早くこの場を離れなければ。”
  ルークは素早く結論を出した。
「お、俺はいいから、はやく南部を殺ってくれよ。獲物を無傷で帰したら、クイックシル
バーの名に傷がつく。それに、に、任務に失敗したらきっと叱責を受ける・・・」
  レッドは歯を食いしばって痛みに耐えながら言った。ルークはレッドの言葉に耳も貸さず
に、手際よく痛み止めを注射した。
「いいんだ。俺はもともとカッツェの野郎の事が気に喰わないから。」
「そんな理由あるかい。」
レッドは呼吸を荒くしながらも、かすかに笑った。
  ルークはカービン銃を背負うと、レッドの身体を支えながら歩き出した。


  ジョ−がエメラルドタワーに駆け付けた時、既に近くにいた警官たちがエメラルドタワー
を包囲していた。しかし、警官たちは必死で物陰に隠れ、一人も近寄ろうとしない。タ
ワーの下から繰り出される恐ろしく正確な射撃に圧倒され一歩も動くことが出来ないよう
だった。
  上空に爆音が近づいてきた。ジョーが見上げるとギャラクターのヘリコプターが上空から
舞い降りて来るところだった。
“ヘリで逃げられたら、また、奴等に次の暗殺のチャンスを与えちまう”
  ジョーはビルの陰から走り出し、一回転するとルークに狙いをつけた。ジョーに気が付い
たルークは反応よく銃を向け、引金を引こうとした。一瞬、二人の視線がぶつかった。
  ルークは驚きの表情でジョ−の顔を見つめ、凍り付いたように動きを止めた。
  次の瞬間、ジョ−とルークは同時に銃を発砲した。ルークの弾丸はジョ−の頬を掠めて彼
方に飛んで行った。ジョ−の弾丸はルークの体を貫き、男は仰向けに倒れた。
  ジョ−が銃を構えたまま立ち尽くしていると、上空のヘリコプターから数人の兵士がバラ
バラと銃弾の雨を降らせてきた。我に返ったジョ−は建物の陰へと走り込んだ。
ヘリコプタ−はタワーの前に舞い降り、ほんの数分間着陸してルークとレッドの体を機内
に収容すると、上空へと猛スピードで飛び立った。
  ジョーは激しい息遣いのまま立ち上がり、遠ざかってゆくヘリを見送っていた。


  すべての検証を終え報告を済ませて二人が自由な時間を得たのは、深夜を回った頃だった。
国際エネルギー会議の日程は、あと四日間残されていたが、彼等の心胆を寒からしめた
南部博士に対する危機は去ったのだった。
  健とジョ−は地元の警察からホテルへの帰り道、車を道端に停め砂漠に並んで寝そべって
夜空を見上げていた。
「博士が無事で良かった。あの時、アルファからの連絡がもう少し遅れていたらと思うと、
ぞっとする。」
ぼそっと健が口を開いた。良かったと口では言いながらも、健もジョ−もどこか浮かない
顔をしていた。
「あいつ、あの時何を思ったんだろう。あいつの腕で標的をはずすことなど有り得ないだ
ろうに。」
ジョ−は言った。
「きっと、俺達が感じたのと同じ事を感じたからかもしれない。」
健は答えた。
「ギャラクターの一味なのにか?」
「ギャラクターの一味なのにだ。たぶん。」
しかし、ジョ−の問いに対する正しい答えなど知る術はなかった。ただ、戦いが終わる日
が来るまでは、それぞれ心に葛藤を抱えながらも自分自身にどうにか折り合いをつけてい
くしかなかった。
「あるいは、フェラン少佐なら答えを知っているだろうか?」
「さてな・・・・。」
  二人はそのまま寝転んで夜空を見上げていた。そこには、“ルーク”のピアスに良く似た
下弦の月が銀色に輝いていた。


END


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