解放 

by アリー

< 1 >

 ブレスレットの発信音でめざめた。まくら元の時計は9時を指している。
「こちらG1号。」
 寝起きであることがわからないように、意識して歯切れよく応答する。
「健、すぐに来てくれ。」
「ラジャー。」
 応答し終わった後、ゆっくりと身を起こす。大丈夫だ。今日は吐き気はしない。しかし、
相変わらずの頭痛はある。医務室から処方してもらった錠剤を口に放り込みオレンジジュ
ースで飲み下した。
 あの時医者は、あまり頭痛がつづくようなら、精密検査をしなければならないといって
いたっけ。最近体調が悪いのは自覚していた。どこがどうというわけではないのだが、だ
るかったり、頭痛が頻繁におこったりした。だが、どちらもがまんできないほどではない。
 健は鏡をのぞいた。いつも通り、やや童顔な自分が鏡の中で、気難しい顔をしていた。
「ばか、しっかりしろ。」
 鏡に映る自分に向かってつぶやく。
 任務に集中しろ。そうすれば、痛みなど気にならなくなる。

 ジョーはIDカードをポケットにしまい込みながら会議室の扉を開けた。
「ジョー、丁度いいところに来た、今、健と任務の詳細な部分を詰めたところだ。」
 南部が資料を差し出しながら言った。
「すみません。遅れてしまって。」
 ジョーは資料に目を通しながら、椅子に腰をかけた。テーブルの上には、ヨーロッパの
地図や建物の見取り図等がひろげられていた。健は書類から目をあげると、“久しぶりだ
な”とでもいうようにうなずいた。
「今までの戦いにより、エゴボスラーの統制力にも陰りが見えてきた。国連軍との会議で
決定したのだが、ヨーロッパにおける形勢の逆転をねらって、大進攻作戦を行うことにな
った。それで・・・。」
 南部は健とジョーに一人の人物の写真を手渡した。望遠カメラでとったものを引き伸ば
したものらしかった。
「この人物が、進攻作戦の鍵をにぎっている。名はアレックスという。この男は、ギャラ
クターの支配下となっているヨーロッパとアフリカの一部にまたがる地域のレジスタンス
組織のリーダーだ。用心深い男で、写真は、今手渡したものしかない。名前もたぶん偽名
だろう。彼の組織が、国連軍の進攻作戦に合わせて一斉蜂起をする。この作戦がうまくい
けば今度こそギャラクターも追い詰められるだろう。」
「で、この男をどうするんです?」
 ジョーが尋ねた。
「うむ、三日後アレックスは国を抜け出て中立国であるスイスの都市ジュネーブで国連軍
の司令と会談を行う予定だ。その護衛を君たちに頼みたいのだ。会談が行われるのは中立
国内であるから、あくまでも隠密に行動しなくてはならない。国連軍の護衛も勿論就くが、
人数や装備はごく限られたものにならざるを得ない。諸君、頼んだぞ。」
「ラジャー」
 南部が室内から出ていった後、健がジョーに尋ねた。
「遅れるなんてどうした。レースにいっていたのか?」
「ああ、祝勝会の会場から抜け出してきたところさ。もっとも、皆シャンパンでべろべろ
に酔っていたから、俺がいなくなった事なんか誰も気が付かねえよ。」
「どおりで、お前シャンパンの匂いがする。」
 健がジョーの髪の毛をつかんで言う。
「え? そうか?」
「うそだよ。」
 健が笑った。笑っている健は誰が見ても科学忍者隊のリーダーとはとても思えないだろ
う。明るく素直な笑顔。ジョーは、それを見るたびに思う。どうしてこいつは不必要なほ
ど綺麗な顔をしているんだろう。しかし、敵前に立つとき、こいつの姿を見て震え上がら
ないものはいない。
「おまえは何をしていたんだ?あいも変らず空の散歩か?」
 健の笑顔がさっと消えた。
「まぁ、そんなところだな。」
「?」
「さぁ、任務の支度をしよう。時間はないぞ。」
 健はジョーの肩をひとつたたくと、行動を開始した。


 石造りの由緒ある教会の礼拝堂で、国連軍司令とレジスタンスのリーダーの会談はひそ
かに行われていた。美しいステンドグラスを通して、陽光が礼拝用の背もたれのある
簡素な椅子を照らし出していた。レジスタンスのリーダーが礼拝堂の中央の椅子に腰を掛
けていた。彼はうつむいて話に聞き入り、彫りの深い顔が時折かすかにうなずいていた。
彼の向かい側には、国連軍の方面司令官と副官および参謀達が座っていた。教会の内外で
は護衛の兵士達十数人が銃を構えたまま警戒にあたっている。
 荘厳な礼拝堂の内部では、健とジョ−がアレックスの背後にまさに影のごとくひかえて
いた。彼らはGスーツではなく、街に出かけるようなカジュアルな姿だったが、服装に反
しその表情は非常に厳しかった
 
 ようやく長い戦いが終わりを迎えようとしていることを健もジョーも南部も名もなき兵
士にいたるまですべての者が感じていた。彼らの誰もが、戦地ですごす夏はこれで最後で
ある事を知っていた。しかし、どのような終結を迎えるのかについては、誰も確信できな
かった。総裁zがいる以上、最後の最後までゆだんはできなかった。ただ、大攻勢による
勝利こそがエゴボスラー率いる軍隊の士気を低下させ、ギャラクターを追い詰める最後の
一押しとなるはずだった。アレックスは、全てを賭けた最後のレジスタンス活動のために
ギャラクター占領下の故国から抜けだして来たのであった。
 健もジョ−も神経を研ぎすまし警戒をしていた。もし、この秘密会議の情報が漏れ、こ
の場に、敵が乱入するような事態になったとしたら、何をおいても、レジスタンスのリー
ダーを無事に逃がさなければならなかった。ジョーが薄暗い隅から気配もなく現れ、腕組
みをして会議を見つめていた健に話し掛けた。

「健、あいつが“アレックス”だろ。」
「ああ、組織の人間ですら、彼を直接知るものは少ないらしい。だが、その用心深さが、
彼を生き永らえさせてきたのだろう。しかし、その彼がこの地にやって来たとはな。」
「いよいよ大詰めということさ。俺たちは、とにかく無事にあの男を、もう一度国境の向
こうに送り届ければいいんだろ。なあに、大丈夫さ。偽造書類もこの通りそろっているし
。」
 ジョ−は胸のポケットを手でかるく叩いた。
 健は話題の主である背の高い褐色の瞳の男のほうに向き直った。
「どんな気持ちかな?」
 健は男を見つめたままジョーに語りかけた。
「なにが?」
「いや、占領地域からここまで抜け出して来たんだろ?不安定で表面的とはいえ、ここに
は自由と平和がある。手を伸ばせば、それをつかむことができるのに、危険の待っている
国へ戻っていくんだぞ。」
「心のどこかじゃ、逃げちまいたいって思っているかもしれない。それが、人間ってもん
だぜ。だけど、こいつは国に戻るさ。そういう目をしている。おまえが、その立場でも、
やっぱりそうするだろ?」
「そうだな。」
 健は意外なほど真剣な表情でつぶやいた。
 
 アレックスは司令の話をじっと聞き入っていた。彼は一見すると白人のようであったが、
褐色の瞳と癖のある黒髪がどこかエキゾチックな雰囲気をたたえていた。
 彼は低い声でゆっくりと話した。
「とにかく、大事なのは国連軍の作戦開始の決定です。こっちは即座に一斉蜂起にはいる
から、始まったら途中で止められないのです。大勢の市民の命がかかっているということ
を忘れないでいただきたい。」
 国連軍の司令も大きくうなずいた。
「侵攻作戦の48時間まえに打ち合わせ通りの暗号を流す。更に8時間前に二度目の暗号
を流す。その後は一切変更はない。作戦は必ず行われる。」
「わかりました。それでは、あとは実行するのみと言うわけですね。」
 褐色の瞳の男が口をひらいた。
「次に会う時はお互い勝利のパレードでしょう。私のとっときのシャンパンを閣下にごち
そうしますよ。」
 彼の一言を合図のようにして、皆、立ちあがった。戦わすべき議論はすべて終わり、検
討すべき課題もすべて尽きたのだった。リーダーと国連軍の司令は互いに握手をかわした。
「アレックス、君に会えて良かったよ。くれぐれも気をつけてくれ。」
「私もです、司令。幸運と共にあるように・・・我々にはそれが必要です。」

 まさに一同が握手の後それぞれ引き上げようとした時、教会の外で銃声が聞こえた。
反射的に健とジョ−はアレックスをかばい床に伏せさせた。
 国連軍の兵士がそれぞれ指示を受け、持ち場についた。
ギャラクターが入り口のドアから突入して来た。国連軍の兵士は一斉に射撃を開始する。
「ちっ、やつら、どうやってかぎつけたんだ!」
 ジョーは椅子や机を盾とし銃をかまえ押し入ってくるギャラクターを正確きわまりない
射撃によって倒していった。ジョーが銃を撃つ度に一人あるいは二人の敵が倒れてゆく。
ギャラクターは予想外の激しい抵抗にじりじりと後退していく。
「ジョ−、ジョー!」
 銃声に負けないように健が大声で叫ぶ。
「彼を連れて先に地下室へ行け。俺はやつらの様子を偵察してから、追いかける。」
「ラジャー」
 ジョ−はアレックスの姿勢を低くさせ礼拝堂の脇の扉から地下室へと続く階段を降りて
行った。ギャラクターは一旦退却し、いまや主戦場は、教会の庭となった。教会を取り囲
むようにして態勢を立て直している。健は石造りの壁に身を寄せ応戦しながら、素早く敵
の人数、装備を確認する。
 上空から戦闘用のヘリが次々と舞い降りてきた。国連軍はこのまま安全地帯まで、ヘリ
で撤収するのだろう。国連軍司令に視線を走らせると、白髪が髪に混じる歳であるのにい
まだ意気盛んな司令はうなずき、ゆけとでもいうように、あごをしゃくった。
 
 弾丸の跳ねる中、健は教会の庭に散開する兵士と入れ違いに礼拝堂の中に走り込んだ。
階段を駆け降りると、地下室は倉庫になっていて、さまざまな備品が整然と置いてあった。
薄暗く冷やりとした地下室をなおも進むと、ジョ−とアレックスが一番奥にある古い本棚
を横にずらしていた。
「外の状況はどうだった?」
 ジョ−が本棚を力一杯押しながら尋ねる。
「撤収用のヘリが来ている。司令の方は心配ない。しかし、ここが急襲されたということ
は、国連軍から情報が漏れていると考えたほうがいいだろう。」
「なんだって?国連軍から情報が漏れているだって?」
 アレックスが健に詰め寄った。
「なんということだ。我々の行動が全てばれているのか?」
「その可能性が高いでしょう。いま我々の仲間が必死でスパイをあぶり出しているはずで
す。」
 アレックスは怒りの表情で喰って掛かって来た。
「現状はどうするんだ、我々は今敵に囲まれているんだぞ!わかっているのか?」
 ジョ−が二人の間に割って入った。
「今は、細かい事をぐだぐだ説明している暇はねえ。とにかく、しっかり守ってやるから、
遅れずについて来い。」
 アレックスは不機嫌そうに黙り込んだ。
「よし、じゃあ、俺達も行くとするか」
 ジョ−が健のほうを振り返ると、健はこめかみに手を当てて顔をしかめていた。
「おい、健!」
「ああ、すまん、聞いてなかった。なんだ?」
「どうしたんだ? 具合でも悪いのか」
 ジョ−が心配そうにのぞき込む。
「いや、たいした事はない。」
 健は痛み止めらしき錠剤を口の中に放り込んだ。

< 2 >

 本棚の裏側は、地下水道へと続く抜け道になっていた。ヘリの音と銃声が地下室にまで
聞こえて来た。健はアレックスを連れ地下水道へと降りていった。ジョ−は内側から本棚
を元の場所に戻そうと数分間格闘したが、手を掛ける所がない為上手く閉まらなかった。
ジョ−は舌打ちをして、身を翻し二人の後を追った。
 地下水道は大人が立って歩ける程の高さがあったが、水面の脇にある通路は狭く足場は
悪かった。懐中電灯のわずかな光りを頼りに、一同は早足で進んだ。地下水道が交叉して
いる場所で、健とジョ−が立ち止まり、懐中電灯で地図を照らし出した。

「さて、脱出の計画はどうするんだ」
 アレックスが先程と違い落ち着いて話し掛けて来た。
「この先に地上にでる管理用の出口がある。そこから脱出だ。」
 健が答えた。
「なるほど、それでは、もう一つ質問がある。君たちは国連軍ではないとすると、一体何
者なんだ?」
 アレックスは問いただした。
「あんたが不審に思うのもしょうがないが、俺たちの正体は知らないほうがいい。とにか
くあんたの命を必ず守る。これだけは信じてくれ。」
 ジョ−がぶっきらぼうに答えた。
 だが、ジョーは心の中では、信じろっていうのは無理な話だろうと思っていた。なにし
ろ、レジスタンスを長くやっていれば裏切りなどは何度も経験してきたはずだ。しかも、
やっとこぎつけた会議の場で、襲撃されたとあっては猜疑心が起きるのも当然だろう。
 
 アレックスはしばらく健とジョ−の顔を見つめていたが、二人に対して握手の為の手を
さしだした。
「わかった。君たちを信じる。」
 ジョーは驚いた。思わず横の健を見ると大きく眼を見開いていた。
「私は自分の選択を悔やんだことはない。今回もきっとそうなるだろう。」
 アレックスは不敵な笑顔を浮かべ、健、ジョ−と固く握手をかわした。
「では正体不明の君たちを私はなんと呼んだらいいのかな?」
「俺は健。こっちの怖い顔をしたおにいさんがジョ−だ。」
 ジョ−はへっというように脇を向いた。しかし、それが、彼の屈折した照れ隠しである
ということは健にはわかっていた。
「さあ、急ごう」
 三人は、前進を開始した。


「チクショウ!情報漏れだと?」
 ジョ−がひとりごとのようにつぶやいた。健はちらりとアレックスを見ると彼に聞こえ
ないように小声でジョ−に囁いた。
「アンダーソン長官や南部博士も国連軍の中にネズミが紛れ込んでいることに、気が付い
ていたのさ。だから、わざわざ俺達を呼んで護衛につけたんだ。」
「健は知っていたのか?」
「ああ、だが、ネズミが動くかどうかまでは、わからなかった。もちろん、博士も会議の
重要性もアレックスが重要人物だと言う事も承知している。できれば囮にするようなこと
はしたくなかったはずだ。しかし、大反抗作戦の前にどうしてもスパイを捕らえる必要が
あった。だから、スパイが情報を漏らす事を承知で会議を開いたんだ」
「なんてこった。」
「だから、俺達が命がけで守るんだ。今頃きっと南部博士がスパイをあぶり出しているは
ずだ。」
 その時、ジョ−は自分達の背後に“何か”の気配を感じた。
「おおい!静かにしろ」
 突然ジョーが叫んだ。
「足音が聞こえる」
 健もアレックスも凍りついたように立ち止まった。
 
 三人が息をころし立ち止まったせいで、暗い地下水道は天井から水滴の落ちる音さえ聞
こえる程静まり返った。すると、水の流れる音に混じってかすかに複数の人間の足音が聞
こえてきた。
「どっちの方向からだ?」
 健がややうつむき加減に頭を傾け耳を澄ます。
「向こうからだ。」
 右側を指さして短く答えた。こういう時の健は憎らしいほど冷静だ。明るい笑顔を持つ
親しみ易い男は姿を消し、妥協を許さないリーダーが現れる。
 ジョ−は健のリーダーとしての資質については信じ切っている。健はいつでも最善の方
法に最短の時間でたどりつき決断を下す。ところが、今日の健はいつもとは少し違うよう
な気がした。さっきの足音もいつもなら、健がまっ先に気が付くはずであるのだが、なん
となく反応がいつもより遅れているような気がする。
 わずかな明かりに照らされ暗闇の中に健の端正な顔が浮かび上がっている。
「ライトを消せ。急ぐぞ。」
 ライトを消すと、真の暗闇が現れた。しかし、健は地図が完璧に頭に入っているらしく、
迷いなく進んでゆく。暗闇の中で、それぞれの息づかいと足音だけが響く。

「ここだ。梯子を登る。見てくるから下でまっていてくれ。」
 同時に健が鉄製の梯子を登る音が聞こえてきた。アレックスの荒い息使いが隣から聞こ
える。
「少しへばったんじゃないのか?」
 ジョ−が尋ねた。
「俺がへばっているかって? ピクニックみたいなもんだぜ。」
「見栄を張るなって。きつかったら言えよ。」
「余計なお世話だ。」
 暗闇の中で表情はわからないが、最初の冷たい事務的な感じは消え、仲間に対する柔ら
かい調子にとって替わっていた。

 上の方から光が降り注いできた。健が出口の蓋をずらして開けたのだ。下から見上げて
いると健の影が素早く外にすべりでた。
「よし、上がってこい。」
 上から健が呼び掛けた。アレックスが器用に登ってゆく。続いてジョ−も地上にでた。
地下水道のすえたような臭いの空気を吸っていたので、新鮮な空気がうれしかった。辺り
はもう夕闇に包まれはじめている。市街地の古い建物の中庭のようだった。
 三人は、お互いの顔を見合わせ無事を確認した。
「さて、どうする?」
 アレックスが尋ねる。
「この先の通りの貸倉庫の中に車を用意してある。これは国連軍には情報がながれてない
はずだから使っても大丈夫だろう。もっとも・・・」
 健は、片目をつぶって続けた。
「もっとも、これもばれていたとなると、ネズミは国連軍ではなく、ISOの中にいるって
事になるな。」
「冗談きついぜ。」
 とジョーが言う。アレックスも笑った。この二人がどんな危機を前にしようと、平然と
冗談のいえるタイプの男達であることがわかってきたからであった。

< 3 >

 通りでは数台の警察車両がサイレンを鳴らしながら走っていった。
 アレックスは帽子を目深におろした。ジョーはスタンドで新聞を買い、読む振りをして
周囲の様子をうかがった。警戒が厳しい割には、市民達は、ごく普通の生活を送っている
様子であった。
「この辺りは、ギャラクターと国連軍の境界地域で、しょっちゅう占領者が変わる。市民
はどっちが占領しょうと生活していかなきゃならない。多少のドンパチには、皆慣れっこ
になっているのさ。」
 アレックスが、声をひそめて説明する。三人は暗くなる前に倉庫を探しだした。健がポ
ケットから鍵を取りだし倉庫の扉を開けた。中には黒いバンが一台とまっていた。健は荷
台からビジネススーツを取り出すと二人に手渡した。
「俺達はビジネスマンだ。靴を履き替えるのを忘れるな。」
 アレックスは口笛を吹いた。
「ビジネスマンの扮装は久しぶりだな。」
「ジョー、運転をたのむぜ。」
「ああ。」

 ジョーが運転席に乗り込み、健とアレックスは後部座席に座った。
 ジョーの胸のポケットにはISOが用意した偽造の運転免許証とパスポートと通過パスが
入っていた。国籍は中立国であるスイスとなっていて、商用で国境通過の許可をとったこ
とになっていた。もっともらしく見せるため、何種類かのビジネスレターや見積書、宿泊
先のホテルの予約シートなども身に付けていた。健とアレックスもそれぞれ同様の書類を
身につけた。
「よし、ふたりとも聞いてくれ。」
 健は地図を取りだした。
「国境はここから二時間程車を走らせたところにある。幹線道路を避けて行くから多少遠
回りになるが、その方が安全だからな・・・」
 説明しながら、健はこめかみに手を当て眼を閉じた。
「おい、健。しばらくは問題ないから、運転中は寝ていろ。」
 ジョーが遮るように言う。
「俺は、別に・・・」
「朝から、その痛み止めの錠剤を何錠飲んでいるのか?」
 ジョーは恐い顔をしてにらんだ。
「そんなに、たびたび飲むって事は、ちっとも薬が効いていないってことじゃないか。」
 健はジョーから目をそらし外をみつめた。その顔色は青ざめて見えた。
 アレックスも健の肩に手を置いた。
「私は昔医者をしていた。私の目から見ても、君は休息が必要だ。」
 健はあきらめたように言った。
「わかった。何かあったらすぐに起こしてくれ。」

 
 美しい森林の中を車は進む。
「こんな風景を見ていると、まるで戦前のようだな。」
 アレックスが、ため息とともに話した。
「これから行く所は、どんな所なんだ?」
 ジョーが、健を起こさないように小声で聞いた。
「俺は、主に都市部で活動しているから、もっと殺伐とした風景の所だよ。だが、地方に
行けばこんな景色もあるかもしれない。だけど、今の今まで景色を見てきれいだと感じる
気持ちを忘れていた。今の俺は、君らという護衛がいて、中立国にいる。寝ている時も、
食べている時も、いつやつらが踏み込んでくるかと緊張している生活とは大違いだから
心に余裕ができたんだろう。」
「国に戻るのは恐くないのか?」
 ぼそっとジョーが言う。
「恐いよ。いまだって、小便をちびりそうさ。だけど、終わるまでは、終わらないってこ
とがわかったから、どうしたってやり遂げなければならないわけだ。なあ、ジョー、この
戦いが早く終わればいいよな。」
「まったくだ。」
「ジョー。」
「ん?」
「君は、戦いがおわったら、何をするつもりなのか?」
 ジョーは、自分のプライベートを人に話すことに少し戸惑っているようだった。が、結
局話しだした。
「俺は、実はレーサーのはしくれなんだ。いまは、この仕事もあるし、年に何回かしか出
場できないけど、戦いが終わったら、もっと本腰を入れてレースに出場して、タイトルを
総なめにしてやる。そのあと、スポンサーを集めて自分のチームを作って、俺が総監督に
なる。それで、いい車をつくって、いいドライバーを育てて、世界中を転戦する。」

「へぇ、おまえの夢はそうだったんだ。」
 健がいつの間にか目を開け、微笑んでいた。
「なんだよっ、起きているんだったら、そう言え。」
 ジョーが顔を赤くして怒鳴った。健は緩めていたネクタイを締め直しながら尋ねた。
「アレックス、君は医者だったんだろう、じゃあ、戦いが終わったら元の仕事に戻るのか
?。」
 アレックスはニヤッと笑った。
「どうも、諸君は勘違いしてるらしい。」
 健もジョーもきょとんとした顔をした。
「医者は医者でも、俺は船医だったんだ。世界一周するような豪華客船のな。おまえ達が
想像したのは、病院で白衣に身を包み、患者の喉をのぞき込みむずかしい顔をしている俺
の姿だろ。」
「違うのか・・・」
「ふふ、俺の患者といえば、サンデッキで軽い日射病になった老婦人とか、美しい深窓の
ご令嬢だよ。 いつか美しいマダムが診察して欲しいと俺の部屋にやってきたことがあっ
たな。それで、彼女、スカートを徐々に上までめくり上げ、俺はうやうやしく且つ丁寧に
診察申し上げたというわけさ。」
「この世で、一番うらやましい職業だな。」
 健がややあきれ気味に言う。
 アレックスは、遠くを見つめ、かつてそこにあった楽園を懐かしむように語りだした。
「燃え上がる様に赤く染まる熱帯の夕焼け。何千匹もの飛び魚が一斉に水面からジャンプ
する光景。バケツをひっくり返したようなスコール。信じられないほど濃い霧の中で、幾
重にも響きわたる霧笛。ああ、あの当時の事を思い出すと気が狂いそうになるほど懐かし
い。」
 そして、口をつぐみ、褐色の瞳に暗い影が立ちこめた。
「あの船はいまではどこの港につながれていることやら。船長も、航海士も皆、陸にあげ
られ消息不明だ。」
 三人のあいだに一瞬重苦しい空気が流れた。

 アレックスはわざと明るく尋ねた。
「健、そういえば、君は平和が訪れたら何をするんだい?」
 健はちょっと考え、それから困ったように笑った。
「俺は何をしようか。戦いを終わりにすることで頭が一杯で、終わった後の事を考えた事
もなかった。」
 ジョーはショックを受けた。戦いに全てを捧げきっている健に対して説明のつかない不
安を感じた。健はジョーが抱いている不安にみじんも気づかず、アレックスとの会話を楽
しんでいる。
「健、将来について考えないのは良くないぞ。たとえ、どんなことでも現世への未練が在
ったほうが生と死の瀬戸際のときに絶対に違ってくる。そういう意味じゃ、いい奴ほど早
く死ぬってのは真実をついているな。健、おまえは人が良すぎるんじゃないか?とにかく、
こう、手で触れられるような現実的な未来を強く思い続けること、それが生き延びる秘訣
さ。」
「手で触れられるような現実的な未来ねぇ。」
 健は感心したように繰り返した。それから、笑いながらジョーを見つめた。
 ジョーは健と目が合い、思わずドキッとした。
「なんだよ?」
「いや、俺の具体的な未来を考えたら、お前がいた。きっと、俺の隣で、口笛でも吹きな
がら車の整備でもしていて、それで、俺にいろんな文句ばかり言うんだ。食い物や天気や
ふられた女についてとか・・・」
「なんで、俺が女に振られてんだよ。」
「仕方ないだろ、手で触れられんばかりの現実感を追及したら、そうなったんだから。」
 あいかわらず透き通るような笑顔だった。ジョーは自分の胸に浮かんだ不安を振り払っ
た。こんなに、明るく笑っているんだぜ。なにを心配することがある?


 森林地帯を越えると国境だった。道の数十メートル先にゲートがあった。比較的小さな
検問所だった。車が数台、列をなしている。
「硬くなるな。俺達はこれから取引先を訪問するビジネスマンだ。」
 バスには何回も往来をしたというスタンプが巧妙に偽造され押されていた。
「よーし、つぎの車。」
 ジョーが作り笑いをしながら、窓を開け、パスポートと通過パスを差し出した。
「滞在する都市は?」
「リヨン。」
 一人の兵士が手際よく後ろの荷台を調べる。車内をのぞき込んだ兵士が、首をひねり、
手にしていた書類を見た。
「おい、後ろの右側のおまえ、顔をよく見せてくれ。」
 三人の間の空気がピンと張り詰める。
「俺ですか?」
 健がとぼけて話し掛ける。
「いいや、もう一人の方だ。」
 アレックスは、つばを飲み込むとひきつり笑いをしながら、パスポートを兵士に手渡し
た。健は右手をさりげなくスーツのポケットに忍ばせた。いざとなったら兵士を音もなく
永久に黙らせるためにナイフを握り締めた。ジョーは車を発進させた場合にどのようにバ
リケードを突破し、相手を振りきるかを考えながら、外の道路の様子や兵士の数をうかが
った。
 
 ふと、視線を戻すと兵士がせき払いをしながらジョーを見ていた。ジョーはとっさに何
枚かの紙幣を兵士に手渡した。
「今晩中に取引先に会わないと、大変な事になってしまうんですよ。」
 兵士は身分証をあちこち開いていたが、もったいぶってスタンプを押すとアレックスに
手渡した。
「おまえは、われわれが探している人物に似ているんだ。手間を取らせたな。」
 兵士は紙幣を手にすると急に興味を失ったかのように手を振り、ゲートを開けた。
 ジョーは、ゆっくりと車を回し、検問から安全と思われる所までたどりつくと息を吐き
だした。
「はーっ、ひやひやしたぜ。おい、アレックス、ずいぶん顔がひきつっていたな。」
「当たり前だろ。こっちは善良な市民なんだ。奴等の肩からぶらさがっていた銃を見ただ
けでも、びびっちまったぜ。」
「あの兵士達は、引金を引くチャンスはなかったぜ、一瞬たりともな。」
 健はポケットからナイフを取りだしてみせて澄ました顔をして言った。
「今度から、そういうことは始めに言っといてくれ。俺は気が小さいんだ。」
 三人はどっと笑った。


 翌日、国境の近くにある中程度の規模の都市にはいり、アレックスの指示で、街の中心
部にある公園の駐車場に車を止めた。
「10時にあの噴水の所に仲間が迎えに来るはずだ。それで、君らの任務も終わりという
わけだな。」
「ああ、そうだな。アレックス。俺達は作戦の成功を祈っているよ。」
「やっぱり、君たちの正体を明かしてくれないんだろう?」
「俺はジョー。こいつは健。おまえはアレックス。それ以上でも以下でもないさ。」
「そうだな。」
 アレックスはうなずいた。

 10時になった。白い乗用車がゆっくりとやって来た。中から現れた黒いジャンパー姿
の金髪の男が、噴水の縁に腰をかけた。アレックスは車のドアを開き、二人にむかって振
り返った。
「平和になったら、また、会おう。俺はまた船医になっている。ジョー、君はワールドチ
ャンピオンになれよ。健、お前も何か具体的な願いを見つけろ。そして、そうなりますよ
うにと願え。それが生き残る秘訣だぞ。」
 アレックスは噴水に向かって歩き去った。健とジョーはバンによりかかって腕を組み、
その姿を見守った。
「もし、平和だったら俺達はあの男とは一生知りあいにならなかっただろうな。」
 健が感慨深げに言った。
「俺はともかく、妙にお堅いところがあるおまえとはまず無理だろうな。あいつも、戦い
さえなければ、人から命を付け狙われることなどなく、ただの女たらしの船医として人生
を送っただろうに」
「でも、俺達は戦いのさなかあの男と知りあった。俺はあの男を忘れないだろう。俺は、
いつの間にか自分の未来を考えなくなっていた。あまりにもいろんなことがあって、心は
冷えきって、戦いが終わるその瞬間までしか人生を考えていなかった。だけど、今は、戦
いが終わったら明日の事を考えてみようかと思う。そして、その次の日の事もその次も。」
 健は凛として未来を見つめていた。ジョーはここ数日感じていた不安が何だったのか自
覚した。この男を失うことを恐れていたのだ。あんなに気持ちを張り詰めていたら、人間
そうは持たない。
 それを知らぬ間に健に悟らせてくれたアレックスに感謝した。
 健と共に未来を歩んでゆくことこそ、ジョーの心の奥底にひそむ夢でありせつなる願い
であったのだ。

 健はジョーと会話しながらも、眼の端で、遠ざかりつつあるアレックスの姿を見るとは
なしに追っていた。そして、その時、何かを感じた。それは、本能や第六感としか説明で
きないような領域のものだった。
 ジョーは自分の横を風が吹き抜けるのを感じた。しかしそれは風ではなく、健が見たこ
とも無いほどの速さで駆け抜けていったからだった。
 次の瞬間、閃光と爆風が襲ってきた。


 待ち合わせ場所にアレックスを迎えにきたのは、以前一度だけ会ったことのある男だっ
た。
「たしか、鉄道の破壊工作の件の時に会ったことがあったな。すまない。名前は確か・・
・」
「ジャンです。アレックスさん」
 ジャンはやせた小柄な男で、空色の瞳が落ち着き無くあたりをうかがっていた。
「すぐに会議を開かなくてはならない。君は、幹部連中のうち誰とすぐに連絡がとれるの
か?」
「私が知っているのはポールさんの連絡先だけです。」
「そうか、わかった。さぁ、行こうか」
 アレックスは促したが、ジャンはアレックスの顔をじっと見たまま動こうとしない。 
ジャンは唇をなめ、なにかを訴えるようにアレックスを見ていた。
 そのまま2秒間ふたりは見つめあっていた。

 ジャンは小声でつぶやいた。
「この車に乗っちゃいけない。」
 アレックスは次の瞬間振り向き、全速力で今来た方向に駆け出した。ジャンは呆けたよ
うにその場に立ちつくしていた。
 だめだ、間に合わないと思ったその時、アレックスは白い影が体当たりするようにして
身体をつかみ、そのままの勢いで地面から飛び去るのを感じた。次の瞬間、ジャンと共に
乗り込もうとしていた車が大音響とともに爆発した。
 白い影は抱きかかえるようにして爆風をさえぎった。
 
 数秒後、眼を開けたときには、車は黒焦げになり煙を上げていた。ジャンは、地面に横
たわり首がありえない方向に折れ曲がっていた。アレックスは口に入り込んだ埃をつばと
一緒に吐き出しながら
「ちきしょう」
 とつぶやいた。
「怪我はないか?」
 ここ数日聞きなれた声が話し掛けてきた。しかし、その声の主は、噂にしか聞いたこと
のない白いマントを身につけた男だった。アレックスは微笑んだ。そして、身体を助け起
こそうと差し出してきた手をしっかりと握り締めた。


 十日後、作戦は開始された。
 ヨーロッパ中を巻き込んだ大攻勢は、各地で広がった抵抗運動に勢いを得て、多くの領
土をギャラクターの手より解放した。この作戦によりエゴボスラーはわずかな領土の中に
立てこもる形となり、形勢は完全に逆転した。
 
 解放の日には、通りという通りでは人々が抱きあい旗を振り祝った。人々は自然に市庁
舎のある広場に向かった。巨大な広場は足の踏み場もないほど人々でごった返し、歓喜の
声であふれていた。市庁舎のバルコニーでは、国連軍の司令とレジスタンスのリーダーが
共に立ち、人々と喜びを分かち合っていた。
 アレックスは司令と抱擁したあと、かねてからの約束通り、とっておきのシャンパンを
グラスに注ぎ、司令と乾杯をした。
 そのとき、広場の上空を、軍の戦闘機や輸送機にまじって巨大な鳥のような航空機が飛
んできた。
「ほう、科学忍者隊がこれから基地に向かって帰るところらしい。」
 司令は側近に話し掛けた。
 アレックスは空を見上げた。青い空に数機の戦闘機を従えるようにして飛ぶその姿は、
美しく威厳すら漂っていた。
 アレックスはしばらく見上げていたが、かすかに微笑んで、数日間運命を共にし、おそ
らくこの先二度と会うことのないであろう友に対してグラスを掲げたのだった。


END


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