LOVELY2<沈黙の町で>

by アリー

 健とジョーはモーターの修理に使う部品を買いに近くの町に向かって車を走らせて
いた。
「あの女優さんさ・・・。絶対博士に気があるよな。」
鼻歌まじりで運転していたジョーが、ふと気が付いたように言った。
「ああ。久しぶりの再会。ロマンチックな海岸。開放的な夏の雰囲気。博士と
女優さん、今ごろは少しは発展してるかな。」
健は助手席のリクライニングをだいぶ傾けた椅子の上で気持ち良さそうに伸びを
しながら答えた。
「賭けるか?」
健は青い瞳をいたずらそうに光らせジョーの横顔をのぞき込んで尋ねる。
「じゃあ、何も起こらないほうにビールを一杯。」
ジョーはニヤリと答えた。
「ちぇっ、それじゃあ賭けは成立しないぜ。」
健はなーんだという顔をした。
 ジョーは埃の舞い立つ道を巧みに車を操縦しながらぼやいた。
「あーあ、俺はどうせなら、あのジョアンナ・フォスターとふかぁーい知合いになり
たいよ。今、彼女もそこのロケ地に来ているんだろ。」
ダッシュボードの上に置いてあるジョーの財布からのぞいているグラビアの切れ端
の上で、ビギニ姿のジョアンナ・フォスターが白い歯を見せて微笑んでいる。
「じゃ、修理が終わったら、博士を迎えがてら見にいこうぜ、そのジョアンナ・
フォスターをさ。」
夏の休暇にわくわくするような楽しみがまた一つ加わった。夏の休暇のリゾート地に
若い男の胸を焦がすアイドル女優が来ているという。
撮影現場をひやかして写真の一枚でも一緒に撮ってもらい、あわよくばサインもして
もらおう。写真の中で肩でも抱かせてもらえれば、後でジュンや甚平に大威張りで
自慢できるぜ。
健とジョーはただのごくありふれた若者のように、この夏の休暇をうんと楽しもうと
意気込んでいた。


街道沿いにぽつりぽつりと家が増え、やがて小さな町に辿り着いた。ジョーは
その町唯一の大通りをゆっくりと車を走らせ、道沿いに見つけた金物屋らしき店の前で
停車した。
「部品を買ってくるから、ちょっと待っていてくれ。」
健はジョーにそう言うと、身軽に車から出て店に向かって歩いて行った。
金物屋の前に立ち、薄汚れたガラス越しに店内を覗くと、様々な径のホースや
パイプ、工具に、釘、鎖などが所狭しと店内に吊り下げられ並べられているのが見て
取れた。
健は古ぼけた扉を押して中に入った。夏の日射しの照りつける外よりも、室内の
ほうが遥かに涼しい。薄暗い店内に徐々に目が慣れてくると、店の奥のレジの前に
誰かが座っているのが見えた。
「こんにちは。」
健は声をかけたが、店主はうつむいたまま何の返事もない。ゆっくりと近付いて
覗き込むと、店の主人は白眼を向いたままぼんやりと座っていた。
健は慌てて駆け寄り店主の脈と呼吸を調べた。やや弱くはあるが脈も呼吸もある。
しかし、目は焦点を失い、こめかみに汗が浮いていた。
「熱中症かな?」
健は独り言をつぶやくと、椅子に座っていた店主の体をゆっくりと脇の床に寝かせ、
襟のボタンをはずしてやった。
その時、健は背後に人の気配を感じた。そして、振り向こうとした瞬間、後頭部に
ものすごい衝撃を感じ、そのまま意識を失って床に倒れ込んだ。

頭がズキズキと痛む。まるで大鐘が耳もとで鳴り響いているようだ。俺はいったい
どうしたんだっけ。目をそっと開けると見知らぬ部屋の天井と心配そうなジョーの顔が
見えた。
「健、大丈夫か?」
そうか、誰かに殴られて気を失ってしまったのか。だんだんと意識がはっきりして
きた。耳の後ろを手でそっと探ると十cmほどの傷口に触れ、手のひらを見ると
べっとりと血がついていた。
「ちきしょう、俺としたことが・・・。」
健はうめきながらゆっくりと身を起こして言った。
「ゆっくり起きろよ。今までひっくり返っていたんだから。」
ジョーが起きようとする健の背中を支えた。
「車で待っていたら、お前の声と物音が聞こえたんで飛んで来たらあの男が・・・。」
ジョーの指差す方を見ると、ちょっといきがっているような風体の革ジャンを身に
付けた24、5歳の青年がすまなそうな顔をしてジョーの後ろに立っている。
「このスコップでお前を殴り倒していたんだ。びっくりしたぜ。」
なるほど、床の上には血のついたスコップが放り投げてあった。青年はポケットに
手を突っ込み肩をすぼめて言った。
「本当にすまないことをした。俺はてっきりあんたがゾンビ化して、オヤジを襲って
いるように見えたんだ。」
「オヤジって、この店主が君の父親なのか?」
口下手そうな男に変わってジョーが口を開いた。
「健が気を失っている間に事情を聞いたんだが、こいつ・・・キースも俺達よりも
少し前にこの町にオヤジさんを訪ねてきたんだが、その時には町の住人は皆正気を
失ってゾンビみたいになっちまっていたそうだぜ。」
「なんだって?町中がか?」
健は思わず大声を出し、その後痛みのあまり頭を押さえた。
 その時、ジョーが窓の外を見て、声を上げた。
「おい、見ろ!ギャラクターだ。」
健とジョーは反射的に身を隠した。キースは急にビクッとすると慌てて物陰に隠れ
た。そっと覗くと、銃を携帯したギャラクターの隊員達が民家を一軒一軒確認しながら
こちらに近付いて来ている。普通の隊員に混じって白衣を羽織った隊員も数人いた。
彼等は普通の隊員より格上のようで、武器は携帯していないが指揮を取っているのは
彼等らしかった。
彼等を片付けるのは簡単だが、それよりもまず、この町の人々をこんな風にした
原因を探らなければならない。健は額を押さえた。ちくしょう、どうしてこんなに
ズキズキと痛むんだ。
「ジョー、それからキース君。あいつらに手を出さないでくれ。まず出方をみると
しよう。」
「わかった。」
二人が答えるのとほぼ同時に一人のギャラクター隊員が金物屋の店内に入って来た。
カウンターの下で健、ジョーとキースは息をひそめている。ギャラクター隊員の足音が
木の床の上をギシギシと近づいて来た。
「おお。ここにもいたのか。よーし、大人しくしてくれよ。」
ギャラクターは店主の手首に手錠をかけると、店の外へと連れだそうと腕を引っ
張った。
「オヤジッ!」
飛びだそうとするキースをジョーが取り押さえた。そのわずかな物音に反応して、
ギャラクターの足音はピタリと止まった。健がそっと覗くと不審そうな顔をしたギャラ
クターは振り返って店内を見回している。三人は息を止めた。
そよ風が開け放しの店の入り口から奥の窓へと抜け、天井から下がっている細い鎖が
チリチリと鳴った。三人の神経が限界まで張りつめたとき、ようやくギャラクター隊
員はドアの方へ向き直り店主を連れ、店の外へと去っていった。
 健とジョーはホッとして息をついた。
「キース君、後で必ず俺達がオヤジさんを助けてやる。だから、今は我慢してくれ。」
健はキースに話しかけた。キースは黙って頷いた。しかし、健はキースがどこか
思い詰めたような顔をしていることに気が付いた。
三人はギャラクターの一団が去り表通りが静かになるまで待ってから店を出た。
健とジョーはキースに一緒に来るようにと促した。キースはうなずいてジャガーの
後部座席へと向かった。
「ジョー、あの青年の様子、なんだか気になる。お前も注意していてくれ。」
健はジョーに囁いた。


南部は居間でジョアンナと向かい合わせに腰を掛け、忍耐強く今までの経過を質問
していた。普段、南部が接するのは常識をわきまえた大人や頭脳明晰な人間であり、
その両方の要素を兼ね備えていない人間との会話は久しぶりであった為、いささか
困惑を覚えていた。
「始めから話してごらん。何時頃から皆の様子がおかしくなったのかい?なぜ君
だけが無事だったのだと思うかね?」
「知らないわよ。気がついたら他の人が変になっていたのよ。怖いし、わけがわから
ないし、心細かったわ。」
ジョアンナは長い睫を震わせて訴えた。ジョアンナは天使のように美しい容姿を持ち
ながらも、どちらかといえばわがままで勝手な性格だった。むしろ、その類いまれな
美しさが彼女をスポイルしてしまったのであろう。
今回の事件はジョアンナにとって理解の範囲を遥かに越えた出来事であり、それに
対抗する唯一の手段はヒステリックに泣くことだけだった。
そんな彼女に対して南部はひたすら忍耐強く接し、ジョアンナは時折癇癪を起こし
ながらも、ようやく話し出した。
「今朝から気がのらなくて、どうしてかっていうと、監督のロジャー・バーネットが
あたしに昨日のシーンをやっぱり撮り直しだっていうのよ。昨日陽が落ちて撮影が
出来なくなるまでNGを出し続けたシーンをよ。もうすっかりいやになって私の控え室
になっているトレーラーにこもっていたの。」
ジョアンナは鼻をすすった。
「それは何時頃の話かね?」
「午前中いっぱいはストライキをしてたわ。トレーラーの外でトニーが、彼は助監督
なんだけど、扉をどんどん叩きながらいいかげんにしろ、って怒鳴っていたわ。でも、
トニーなんてちっとも怖くないんだから、あたしは無視してたの。
しばらくすると何も物音が聞こえなくなって、お腹もすいたし喉も乾いたから
そっと外へ出てみたの。ところが誰もいないのよ。普段は100人もの人間がそれぞれ
大騒ぎして仕事をしているはずなのに。」
「うむ、それから?」
「とにかく水を飲もうと思って。海岸から道を登ったところに地元の人が使う小さな
小屋があって、中には炊事場があるのよ。ロケ隊の調理もそこで行っていたわ。
で、あたしが小屋の戸を開けたらメークアップ係のジェーンが私に向かって飛び
かかってきたの。驚いたのなんのって、腰が抜けそうになったわ。彼女、いつもは
気が弱くってネズミみたいにおどおどしているのよ。なのに目つきはイッちゃってる
し、口から泡をふいてるしで、もう、気味悪くて思いっきり彼女を突き飛ばして、
トレーラーにかけこんで内側からしっかりと鍵をかけたの。後はあなた達も知っている
通りよ。」
「どうして君だけがゾンビにならなくてすんだのか心当たりはあるかね?」
「わからないわ。」
ジョアンナはそれだけ言うと、手で涙を拭っている。南部はため息をつき、胸のハン
カチをジョアンナに手渡した。すると、彼女はそのハンカチで鼻をかみ始める。
南部はソファから立ち上がった。これ以上この子から聞きだせる事は何もなさそう
だった。
南部が外へ出ると、白く塗られた外階段にアニーが腰をおろし煙草を吸っていた。
細身の煙草が美しくマニュキアされた指によく似合っている。
アニーは、上着もなく砂で汚れたワイシャツにネクタイを緩めた姿の南部をじっと
見つめると口を開いた。
「あの子相手じゃ、疲れたでしょ。」
そして、煙草を吸うと、南部にかからないように顔を脇に向け、ふうっとはき出した。
アニーはバックから煙草を取り出すと"吸う?"という様に首を傾けた。南部は
首を振って断るとアニーの隣に腰をおろした。
「ウイルスか?薬物か?催眠術のようなものだろうか?あの大勢の人間を一度に
おかしくさせるとはどういうことなのだろうか。」
「ウイルスなら、私もそのうちゾンビに変身するかもね。朝、トニーと間近で
向き合って話をしたから。さっき、最初に私に襲い掛って来た男よ。」
「君は朝から何かを口にしたかね?」
南部はふと思い付いたように聞いた。
「いいえ、いつも朝は何も食べないのよ。今朝はボトルの水を少し飲んだだけ・・・
どうして?」
「ひょっとしたら・・・・・。」
南部は気持ちを集中させるように額に手をあて考え込んだ。
アニーは階段に煙草の火を押し付けて消し、目を閉じて考え続けている南部の顔に
唇を近付けた。
「コウ・・・。」
アニーはかすかに呟き、まさに南部に唇がふれそうになった時、エンジンの咆哮と
タイヤがけたたましく石をはね上げる音が聞こえてきた。アニーは驚いて顔を上げ
道を見ると、一台のジャガーがフルスピードで疾走して来る。南部もはっとして
顔をあげ、ジョーのサファイアブルーのジャガーを眼にすると立ち上がった。
ジャガーはみるみるうちに近付き、別荘の前で鮮やかにスピンターンを決めて
止まった。
「博士ッ、」
健が助手席から飛び出して来る。
「おお、いい所に来た。健!ジョー!大変な事が起こったのだ。」
「博士もですか?実は俺達も町で大変な目に会って来たんですよ。」
健は驚きに眼を丸くしながら博士のもとに走って来た。
「どうしたのだ、健。頭に怪我をしているじゃないか。大丈夫かね?」
南部は心配そうに尋ねると、健は手を振った。
「ええ、平気です。たいした怪我じゃありませんから。それよりも、俺達が行った町で
恐ろしい事態が起きていたのです。」
健は町での事件について説明を始めた。南部は真剣そのものの表情で話に聞き入って
いる。
「健、それは、我々がロケ地で遭遇した事件と非常に似ている。そうか、町中の者が
ゾンビのようになっていたのか。」
南部は興奮した面持ちで何度かうなずいた。
その時、キースがジョーの車から降り、近づいて来た。キースは南部の顔を見ると
驚愕の表情を浮かべ、凍り付いたように立ち止まった。健は冷静な眼でキースを
観察していたが、あえて何も気付かぬふりをして南部に紹介した。
「博士、この青年は町で出会った男でキース君と言います。丁度、今朝あの町に
やって来たそうです。彼の父親もゾンビ化していて我々の目の前でギャラクターに
連れ去られてしまったんです。」
南部は知性溢れる茶色の瞳でキースを見つめる。
「そうか、それは気の毒なことだ。だが、私達がきっと助け出そう。あきらめては
いけない。さぁ、中へ入りたまえ。君に、2、3聞きたい亊がある。」
南部はキースの肩にいたわるように手をかけると別荘の入口への階段を登っていった。
アニーは腕組みをし、あっけにとられて南部達のやりとりを見ていたが、別荘の
ドアへと向かう南部の後ろ姿を見送ると黙って肩をすくめた。
「振られたの?」
 突然の声に振り向くと後ろにジョーが立っていた。
「坊やのくせに、なまいきね。」
アニーはジョーの姿を認めるとふっと笑った。
「コウの朴念仁ぶりには今さら驚かないわ。」
ジョーがエスコートするようにアニーの腰に手を回した時、なんともいえぬ甘い
花の香りが鼻をくすぐった。
「いい香りだ。」
「この香水"エスケープ"っていうのよ。ふふっ、おかしいわね。まさにこの状況に
ピッタリ。」
そして先程の事件のために砂にまみれた自らの姿を見て自嘲したように言った。
「いやね、なんて格好をしているのかしら。二十年も女優をしているのにね。」
アニーは風に乱れた髪をほっそりとした手でかきあげる。
「その大女優さんが、なんで急に博士のところに来たわけ?」
アニーは、ジョーの声にこもった真剣な響きにはっとし、それと同時に、多少
プライドが傷つくのを感じた。自分は彼等にとっては、南部に近づく不審な女だと
いうわけだ。
「あら、博士のボディーガードとして、私の存在が気になるってわけね。」
アニーは少々皮肉めかして言った。
「半分はボディガードとして、あとの半分は男として興味がある・・・と言ったら?」
そう言いながらジョーはアニーのグリーンの瞳をのぞき込んだ。
その時、アニーは初めて気が付いた。この青年が男らしい野性味あふれた風貌を
していて、特にその厚めの唇は官能的といっても良いほどであり、歳に似付かわしく
ないほど成熟した男の魅力を放っているということを。
たとえ、さっきのジョーの言葉が自分に対する気遣いから出たものであっても、
悪い気はしなかった。
アニーはかすかに微笑んだ。そして、このハンサムな青年が生まれる以前の、宝石の
ように大切な過去に思いを巡らした。
「私とコウが出会ったのは、もう二十年も昔の亊だったわ。あの頃私は駆け出しの
女優で、ある映画でセスナ機の危険なスタントを請け負った若い男と友達になったの。
その彼と大親友だったのがコウなのよ。皆若かったものだから、よく遊んだわ。楽し
かった。」
 アニーの思いは遠い過去へと飛び、眼を細めた。
ジョーはそれを聞いてほんの一瞬驚いた表情をみせたが、アニーがそれに気付く前に
すぐに顔から消し去った。
「帰らざる青春の日々・・ね。平凡な毎日だったけど、ああいう何でもない日常が
かけがえのないものだったと気がついたのはこの歳になってからだったわ。もっとも、
コウは今もそんな感傷などちっとも抱いてないようだけど。」
「博士にそれを求めても無理さ。」
「知ってるわよ。・・・あたしはもう少し海を見てるから、先に中に入ってて頂戴。」
 女優は海の方を見つめたまま新しい煙草を取りだすと火をつけた。


ジョーが別荘の中に入ると居間では南部がキースと話をしていて、健はその側の
ソファで珍しく横になり眼をつぶっていた。やはり、頭の怪我が痛むのだろう。
「健。」
ジョーが小声で呼びかけると、健は目を開けゆっくりと身をおこした。
「ちょっと来いよ。」
ジョーは手招きして健をキッチンへと誘った。健はキースと南部を二人きりにするのが
気掛かりな様子だったが、それでもジョーの後についてキッチンへ入ってきた。
「なんだよ、ジョー。」
「おい、健。シャツを脱げよ。」
ジョーが床に置いてある買い物袋の中をごそごそとかき回しながら言った。
 健は顔を赤らめて大声をあげた。
「明るいうちから、な、何言ってんだよ。お前なぁ、時と場所ってもんを考えろよ。」
 ジョーはきょとんとした目で健の顔を見上げたが、次の瞬間噴き出した。
「何もとって喰おうっていう訳じゃないんだから、そんな顔をするな。今のうちに
頭の傷の手当てをしてやろうと思ったただけさ。」
ジョーは、今朝健と一緒にマーケットで買い込んだ水のペットボトルを袋から取り
だして言った。
「そういうことか・・・。」
健は自分の勘違いに気が付き、照れ隠しにむっとした顔をしたが、大人しく
Tシャツを脱ぐと、シンクに頭をつきだした。
ジョーが健のチョコレートブラウンの髪を掻き分けると、血が固まって傷口にこびり
ついていた。
「沁みるぞ。」
ジョーは声をかけるとボトルから傷口に水を注いだ。髪をかき分けそっと傷を洗う。
「健、あの女優さんさ、」
「え?」
「おまえの親父と知りあいだったみたいだぜ。」
その一言を聞いて、健は凍り付いた。
シンクに手をつき頭を垂れている。うつむいている健がどんな表情で聞いているのか
ジョーにはうかがい知れないが、腕のかすかな震えが健の気持ちを物語っていた。
数ケ月前、健はギャラクターとの戦いの中で父親を失った。長い間行方不明だった
父と親子の名乗りを上げた直後に、永遠の別れを告げる亊となったのである。
健の嘆きは大きかった。その直前の自分の行動が、間接的であるとはいえ父親の死に
かかわっているということが、より自責の念を強くしたのであろう。
最近ようやく明るい表情を見せるようになり、ジョーも健がすっかり立ち直ったもの
と思い始めていた。
「そうか。」
健はぶっきらぼうに言った。そして、ジョーがボトルから注いでいる水を手に受け、
顔をゴシゴシと洗った。
健は必死に乗り越えようとしているのだ、とジョーは思った。感情のおもむくままに
行動し周囲が見えなくなっていた過去の自分に決別し、どんな状況にも動揺せず正しい
判断が下せるような精神力を身に付けること。健は父親の死を無駄にしないよう、そう
自らに課したに違いない。
傷口を念入りに洗った後、清潔なタオルで押さえ救急箱から取り出した化膿止めの
軟膏を塗った。
「サンキュー、ジョー。」
健が顔を上げた時には青い瞳はいつものように明るく輝き、ジョーは相棒がひとまわり
大きく成長したのを感じた。

 その時、ジョアンナがひょいとキッチンに顔を出した。ジョーはその姿を見ると、
驚きの余り息を飲んだ。
「お、お、おい、夢か。幻か?ジョアンナ・フォスターが眼の前にいるぜ!」
ラテン民族らしく有り余る感情を思いっ切りさらけ出しているジョーを見て、健は
笑った。
「いいか、落ち着けよ、ジョー。南部博士からさっき事情を聞いたんだが、彼女は
ロケ現場でな・・・。」
健はTシャツを着ながら説明しようとしたが、ジョーの耳には一切入っていないよう
だった。ジョーは訳もなく健の腕を揺さぶっている。
「見ろよ、写真なんかよりも、100倍も綺麗じゃないか。まさに天使のようだ。」
ジョーがうっとりと夢でも見ているような顔つきでつぶやいた。健はあきれたように
肩をすくめた。
だが、当の天使はその熱心な崇拝者に歯牙にもかけず、キッチンにずかずかと入って
来て二人の若者に物おじもせず尋ねた。
「あんた達は何者?なにやってんのよ。」
「俺はジョー。こいつは健・・・。君はあのジョアンナ・フォスターだろ。」
「そうよ。ドクター・南部の知りあいなの?」
「ああ、俺達は・・・」
「アーア、今日はもうくたくた。なにしろゾンビにおっかけられたり、ドクター・南部
にいろいろ問い詰められたりしたんですもの。南部博士って偉い人かもしれないけど、
堅苦しくってさぁ。こーんな顔をして、"正確に思いだしてくれたまえ。君の記憶に
謎が解けるかどうかがかかっているのだ"なんて言うのよ!やんなっちゃうったら。
ああ、ミネラルウォーターをもらうわよ。」
それだけ言うとジョアンナは仏頂面でボトルを手にし、そのままごくごくと飲み
始めた。そして手の甲でゴシゴシと口元を拭い、あっけに取られている二人にニカッと
笑いかけ、スタスタとキッチンを出ていった。
 ジョーは茫然とした顔でジョアンナの後ろ姿を見送っている。
「あれが儚い天使のイメージか?」
健がくすくす笑いながらジョーに問い掛けた。ジョーは心の中の天使像が音をたてて
崩れてゆくのを感じた。


 健とジョーが居間に戻ると、待ちかねたように南部が二人に向かって話しかけて
きた。
「どこに行っていたのだね、二人とも。キース君のおかげで事件の原因が明らかに
なったのだよ。
 街の住人やロケ現場の人々がゾンビ化したのは、この近辺にあるギャラクターの
研究施設の汚染事故が原因だそうだ。その汚染物質が地下水を通して広まり、人々を
ゾンビによく似た状態に陥らせてしまったらしい。
危ないところだった。もしも、この別荘のポンプが壊れておらず、水道の水を一口でも
飲んでいたら、今頃は我々も・・・。」
南部は深刻な顔をして言った。偶然とはいえ危機一髪で窮地を逃れたのだ。
「キース君ありがとう。君のおかげで原因がようやくわかった。さて、では、これ
からの対策だが・・・」
「待って下さい。博士。」
突然、健が厳しい声で言い、南部とキースの間に割り込んだ。
「あの時なぜ君は汚染地域であるあの町にたった一人でいたのかい?しかも、仲間で
あるギャラクターの隊員から隠れるようにして。」
健の糾弾にキースの顔はこわばった。


To be continued 


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