スウィートハート

by アリー
Art by さゆり

 ひと仕事を終え空輸サービスの事務所に受領書や集金を渡しに来た健は、事
務を担当しているジュディに声を掛けられた。
「ねえ、健、明日の夜は空いている?」
ジュディはデスクの上で頬杖をつきながら尋ねた。ジュデイは青い瞳で金髪の女
の子だ。自分が女であることを充分知っている子で、彼女に熱をあげている男は
両手で数え切れないほどいる。
「いや、予定は何もないし、仕事も早朝からだから、昼の三時頃にはあがれるはず
だよ。」
「わぁ、それじゃあ、夕御飯を一緒に食べましょうよ。ね。健。5時に“ハーフムー
ン”ていう喫茶店で待っているわ。」
ジュディは満面の笑顔を浮かべた。赤い唇に美しくそろった白い歯がのぞく。健は
興味なさそうに頷いてみたものの、心臓が急に鼓動を早めていた。
 この思い掛けない誘いはどういう意味だろう。ひとつ、彼女は飛行機の整備をた
だでして欲しい。ふたつ、どうしても行ってみたいレストランがあって、たまたま俺
がおごってくれそうに見えた。
ばかな。いくら俺が鈍いといっても、こんな明白なことは間違えようがない。最初
の理由は有りえないだろうし、二番目のは、もっと有りえないだろう。
ということは、明日のバレンタインの夜を共に時を過ごす相手として、俺を
選んだということじゃないか。あんな綺麗な女の子が、いきなり俺を誘ってくるとは
どうしたんだろう。あまり話した事がないとはいえ、ちょっぴり、うれしかった。こん
な事があるなんて、明日は大嵐にでもなるのではないだろうか。


翌朝、空には低く雲が垂れこめ、風が空を鳴らしていた。夕べ頭をよぎった通りに
雨がふってきたので、苦笑しながら家をでた。事務所に着く頃には折悪しく霙混じ
りの雨が降りだしていた。
「おはよう。おー、寒い。すっかり濡れてしまったぜ。」
ドアを勢いよく開き、健は上着を傘替わりにしてちっぽけな空輸サービスの事務所
に飛び込んだ。
事務所の机の前では小太りの気のよさそうな男が受話器を首にはさみ、なにやら
忙しげに話をしている。健はタオルをとると、ゴシゴシと上着と頭を拭き始めた。
「こんな天気で、今日は飛べるのかい?ビリー。」
男が受話器を置くのを見て、健は話し掛けた。ビリーは、眼鏡の曇りをハンカチで
拭くと、バインダーをのぞき込んだ。
「雲が低いし、天候は悪化するらしい。あと一時間もすれば、運行中止になるだろ
うな。だけど、どうしても今日中に届けて欲しいっていう荷物がきててサ。」
ビリーが親指で、肩越しに指さした方向を見ると、部屋の片隅の荷物置き場に、丈
夫そうな袋が一つと辞典ほどの厚さの箱の包みが置いてあった。
「郵袋の方は、明日でもいいんだけど、その箱がなあ、特別料金を払っても今日中
にお届けして欲しいんだと。」
「わかった。飛ぶよ。それで、どこまで運べばいいんだ?」
「袋の方は、いつものようにマークスビルだよ。」
マークスビルは大平原のど真ん中、陸の孤島のような町だ。定期的に郵袋を引き
受けている得意先である。
「それから、この箱は?」
健は三十センチ四方の箱を手に取った。見た目よりも軽かったが、よく見ると横に
赤十字のマークがついている。
「それは、ベア湖のほとりのヤノーシュ・ラカトシュさんにお届けする品物で、今朝、
秘書が持ち込んだんだよ。」
健は箱をひっくり返しながら、得心したように頷いた。
「ああ、あのバイオリン弾きね。ちょっと変わっていて、すごい僻地に住んでいるん
だ。前に行ったことがあるから場所はわかるよ。すこし心臓が悪いって言ってたか
ら、その薬なんだろう。」
壁にかかっている時計を見ると、午前七時をすこし回ったところだった。
「いそいで機の点検をして出発しよう。でないと、陽が落ちる前に戻れなくなる。」
健は昨日かわした約束とジュディの赤い唇を思い浮かべてつぶやいた。


離陸して2、500フィートまで高度を上げ、水平飛行を保つ。マークスビルまで通
常ならば五十分のフライトだが、今日は雨が吹き付け視界は悪い。
晴天時の飛行ならマークスビルは息抜きにぴったりの手頃なフライトであった。地
平線と、その彼方に向かうハイウェイを目印にしながら、空の青と褐色の大地のコ
ントラストを楽しむのは健のお気に入りのフライトの一つだった。しかし、今日はそ
のお楽しみは味わえないどころか、雨と風に翻弄され計器に気をくばりながら神経
をすり減らす飛行を辛抱強く続けざるを得ない。
しかし、めずらしく勤労意欲に燃える健に神が味方をしたのか、マークスビルに到
着するころには、雲も切れ大地の姿も見えるようになってきていた。


 ほどなく小さな町が見えてきた。相変わらず、西部劇にでてくる町のように時が
止まったようなたたずまいである。
ただ、東側に小さな町には不似合いなほど大きな滑走路があった。
着陸許可を受けると、健は滑走路にきれいに着陸しエンジンを切った。街の人々
がぞくぞくと集まってくる。
 健は愛機から、郵袋を投げ下ろした。袋はドサッと音をたてて地面に落ちる。
「よう、健。よく来た。待ってたぜ。」
「よう!ジャック、あー、もう腹ぺこだよ、朝食がまだなんだ。こいつに燃料。俺にも
何か食わしてくれよ。」
健はセスナ機の胴体を手でたたきながら言った。しかし、郵袋を受け取った中年
の男は、すまなそうに答えた。
「健。夕べから息子が腹痛を起こしちまって、ひどく痛がっているんだよ。悪いけ
ど、燃料を補給したらすぐにボールダーまで連れて行ってくれないか、一番近くの
病院といえばあそこなんだ。近くに空港もあるし。向こうへはきちんと連絡しておく
から。」
 健は、あの赤十字シールのついた小箱とジュデイの小猫のような笑顔を一瞬思
い浮かべたが、男は健の腕をつかんで離さない。まるで、ここで腕を離したら健が
逃げ出すのではないかと疑っているようだ。
「わかった。操縦席の後ろは荷物置き場だけど、そこでいいなら、乗っけていく
よ。」
ジャックは健の手を握り締め感謝の意を伝えると、子供を連れてくるために小走り
で立ち去った。
 腹ぺコの上、今朝のフライトで少々くたびれていた為、健が思わずのびをしなが
ら燃料補給をしていると、そばかすが顔に残る15、6の少年が、先程の男に付き
添われ毛布にくるまれてやって来た。健は少年が乗り込むのに手を貸してやり、
だいじょうぶだというように背中をなぜてやった。少年は健に向かって力なく微笑
むと頷いた。健のセスナ機は再び大空めざして離陸した。


「ごめんよ。よけいな仕事を増やしちゃってさ。しかも、バレンタインデーだもんね、
きっと健の事を待っている彼女がいるんでしょ。」
そばかすの少年は、ちいさな声で尋ねた。
「彼女ってわけではないけど、まぁ、俺にだって一つや二つお誘いぐらいあるさ。」
健は得意げに話した。
「あーあ、こんな時に盲腸になるなんてついてないな。せっかく、モニカが放課後
渡すものがあるからって言ってきたのに。」
少年はがっかりしている。健は人生の先輩として、かわいそうな少年に何かアドバ
イスを言わなければという気持ちになった。
「大丈夫さ、今日は会えなくても、きっとお見舞いにきてくれるさ。多少のトラブル
は、恋のスパイスみたいなもんだよ。まぁ、俺の経験から言うと、女ってものは、
ベットで痛みに男らしく耐えている姿に弱いんだ。彼女の愛も一気に燃え上がる
ぞ。」
「そうかな?そうだといいな。うん、僕、少し元気がでてきたよ。」
健は、少年の尊敬の眼差しを背中に感じながら、気分よく鼻歌をうたっていた。こ
の少年を空港で降ろして、赤十字の箱さえ届ければ、あとは・・・。
 毎年、ジョーのバレンタインの自慢をうんざりしながら聞くだけだったが、今年は
違う。あいつも俺に対する認識を替える時がきたようだ。ジョーが目を丸くして武勇
伝に聞き入る様を想像すると、思わず笑みがこぼれてくるのであった。


少年を空港に迎えに来た病院職員に無事に託すと、健は、いよいよ最終目的地
のベア湖畔に向かった。計算していたより時間がかかり、陽がだいぶ傾きはじめ
ている。セスナは夜間飛行は許されていないから、スケジュールは
非常に際どいことになりそうだった。着陸したらぐずぐずせずにすぐに飛び立たなけ
れば、ジュディに待ちぼうけを喰わせることになるだろう。仕事に追いまくられる悲
惨なバレンタインだけにはしたくなかった。
とうとう、ベア湖畔の小さな滑走路が見えてきた。慎重に着陸させると滑走路の脇
に停めてあるロールスロイスが目に入った。車の傍らにヤノーシュ・ラカトシュ氏が
うれしそうに立っている。
うれしそうに?健はセスナから箱をかかえて降りると不思議そうにヤノーシュを見
て、再び箱を見た。
「ヤノーシュさん、心臓の具合は大丈夫なんですか?」
くだんの彼は、にこにこと近寄ってくる。
「心臓?おお、君の姿を見て、いっそうときめきはじめているよ。」
「は?」
ヤノーシュは健の頬にハンガリー風の歓迎のキスをすると、肩に手をかけた。
「健、それでは、これが私から君にプレゼントだよ!」
健が苦労して持ってきた箱を、ばりっと開けると、中味は・・・チョコレートだった。
「これを・・・チョコレートを、俺にですか?」
健は唖然としてつぶやいた。
「ヤノーシュさん、あなたは今のところピンピンしているじゃないですか!この赤十
字のシールはウソだったんですか!」
「いや、事実としては合ってなくても、心情としてはウソじゃないさ。思いの丈を伝え
ることこそ、私のハートの特効薬だよ。チョコレートを気にいってくれただろ。健。」
健は空を見上げた。タイムアウトだ。空には夕闇が訪れ始めている。ジョディは、
誰もこない喫茶店でコーヒーをひたすら頼み続けることになるだろう。そして、今年
もまたジョーから一方的に自慢をされるに違いない。しかも、わけのわからない男
の為に・・・。
がっかりして視線を地上にもどすと、わがままで利己的で傍若無人だが、どこか憎
めないヤノーシュが、健の顔をいじらしくものぞき込んでいた。健はあきれたように
彼を見つめていたが、まいったというよう肩をすくめるとヤノーシュの車に向かって
歩きはじめた。
「二つほど約束してください。ヤノーシュさん。まずは、うんと豪華な夕食をご馳走し
てくれること。次に、夜は俺の寝室に忍び込んだりしないこと。いいですか?」
ヤノーシュは、大きなゼスチャーでうなずき、胸の前で手を組み合わせ大喜びだっ
た。
結局、健は美しい湖畔のお城のような屋敷で、うれしさに目を輝かせた男の奏で
るセレナーデを聞きながら、バレンタインの夜を過すことになったのだった。


 翌日、ようやく事務所に帰りつき、テーブルの上に書類を広げ、昨日の記録を記
入していると、ジュデイがやってきて、コーヒーを並々と淹れたマグをテーブルの上
にドシンと置いた。
コーヒーの滴が、書類の上に飛び散った。抗議をしようと見上げると、蝶の触覚の
ような眉を、思いきり引き上げ、青い瞳をカッと見開いて怒る女性が立っていた。
「ジュディ、昨日は・・・」
「昨日はあたし四時間も待ったのよ。お陰様であそこのメニューにあるコーヒーを
全種類飲むことができました。このコーヒーは、そのほんのお礼よ!」
ジュディは、頭をあげくるりと振り向くと、ヒールの音も高々と立ち去った。
健は、ため息をつきコーヒーを一口飲んだが、そのまま噴き出した。書類の上に茶
褐色の染みが広がり、それは一瞬にして提出不可能となる悲惨な状態となった。
 そのコーヒーは物凄く濃く、そして、さらに、しょっぱかった。


ジョーは、車のキーを抜き、健のいるであろう事務所に向かって歩き始めた。
一昨日の電話では、今年はいつもとは違うぞとか、ジョーにだけ女性を独占させて
おくものかとか大口をたたいていたが、あれだけ張りきっていたのなら、あの坊や
はとうとう女をモノにしたのかもしれないなと考えた。もっとも、健は男の目からみ
ても充分魅力的なのだから、積極的にアプローチさえすれば女にもてることは間
違いなしのはずだが、あの天然記念物級のニブさではなぁとジョーはひとり笑って
しまうのであった。
事務所の扉を開けると、健がつまらなそうにテーブルの上をタオルで拭いているの
が目にはいった。
「おう。」
健は、ジョーの顔を認めて声をかけた。ジョーは健の向かいに腰を掛けた。
「今日の仕事は終わりなんだろ?」
「この書類さえ、書き終わればね。」
茶色の染みだらけの書類をつまんでひらひらと持ち上げた。健は不機嫌そうに口
を開いた。
「ジョー、夕飯をおごれよ。昨日は良い目をみたんだろう。」
「もちろん、そうさせてもらうつもりさ。だから迎えにきたんじゃないか。そのかわ
り、電話で言ってた武勇伝とやらを聞かせてもらうぞ。」
健の負けず嫌いの瞳がきらりと光り、ふんと軽く鼻を鳴らして言った。
「最初に言っておくが、俺の武勇伝は高いぞ。ロマンあり、冒険あり、人生の教訓
ありだ。」
「わかった、わかった。」
ジョーは健をなだめるように言う。窓からは春の到来を思わる暖かな陽射しが入り
込み、二人の姿を包んでいた。


END


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