敬愛するデューイさんへ・・・
COMMIT NO NULSANCE !

by ヒューイ


<1>

 俺の名はジョージ・アサクラ。理由あって俺がこの名で呼ばれる事はあまり無
い。普段はジョーと呼ばれている。あまり流行らねえ割には在り来たりの呼び名だ
が、お陰で目立つ事も無い。なにしろ俺は10年以上も前に、故郷の墓に入ってい
る筈の人間なので、目立つ訳にはいかないのだ。
 もちろん、俺は幽霊では無い。俺は親父のとばっちりで僅か9つの歳に両親と一
緒に " 殺された " が、偶然、俺の育ての親であり、現在の俺のボスでもあるDr.
ナンブ・・・そう、ISOのメインブレインとの誉れ高きネクシャリストにして、世界有数
の複合企業ナンブ・コンツェルンのオーナーでもある、あのナンブ・コーザブロウ
だ・・・に助けられたのだ。まあ " 殺された " という剣呑な経緯からも分かるよう
に、俺の親父はマフィアという因業な稼業をしており、なかなか有力なファミリーの
ドンだった。その因果なストレインの出自故、俺はジョージを捨て、ジョーにならざ
るを得なかったと言う訳だが、まだガキだった俺は本当の事情を理解しちゃいな
かった。そして、俺はガキなりにそれまで生きて来た世界の流儀に従って・・・マ
フィアの掟はただ一つ。「流された血は、それを流させた者も血でしか購えない」、
だ。・・・親父とお袋の仇を打つ事を誓い、強くなろうと決心した。目的を果たすため
には手段は選ばないと決心したのだ。

「上手いぞ、ジョー!」
 通常はシューティング距離7メートルからのマン・ターゲットに入れば良し、とされ
るこのリボルバーの全弾を俺は距離15メートルからきちんと決め、そう声を掛けら
れて、得意になっていた。
 このサンダー・ファイブという変わったハンドガンをご存知だろうか?コルト、
S&Wといった老舗ではこういった変わり種、ゲテモノは決して作るまい。だが逆に
名も無い弱小メーカーが作り出すこの手のニューウエーブというのは、得てして殺
傷能力がブランド物よりも高かったり、またどこかで非常に使い手に「得」な特徴を
備えているものだ。こいつの「売り」は、45コルトのブリットとなんと通称フォーテン
と呼ばれる410番のショットシェル、つまり散弾を撃つことが出来る、という点だ。3
個の鉛玉とその後ろにぎっちりとつまった散弾が当たったら・・・普通の弾丸が空
けるようなきれいな風穴は望めやしない。着弾創は熟れ切ったザクロのように、ず
たずたに弾けることだろう。まったく実戦向きのと呼ぶに相応しい、そしてプライド
なんざかなぐり捨てた凶器と言うに相応しい代物だ。だが、そのメリットのため、こ
の銃を撃つのは難しい。5発のフォーテンを装填可能なシリンダーは長さが81ミリ
もある。全長が222ミリとS&W・M29.44マグナムよりも短いのだから、当然バレ
ルは僅か54ミリしか無い。まあ、バレルとは名ばかりでその役は果たしていない
のだが、とにかく当たりゃしないハンドガンの中でも、こいつは難しい。
 そいつを15メートルの距離からマン・ターゲットの、しかもセンターに寄った2つ
の円の中に納めたのだから、俺は嬉しくなっちまった。こんなガキに銃を撃たせて
くれ、様々な戦い方を教えてくれる本当の理由なんぞは知る由も無かったが、俺
にとっては居心地のいい " 家 " だった。
 俺は16になっていた。もういっぱしの " 大人 " のつもりだった。



<2>

 ユートランドシティ郊外の海辺に建つこの " 家 " は、Dr.ナンブの別荘だそうだ
が、まるで軍か警察の施設なんじゃないかと思える設備を持った馬鹿デカイ建物
で、ここが当時の俺の " 家 " だった。確かに何だか得体の知れない " 死人 "
が暮らすにはお誂え向きのロケーションだったし、俺は地下に完全防音のシュー
ティング・レンジやらロケットランチャーまで揃った銃架部屋、マーシャルアーツの
訓練や筋力トレーニングが出来るジムまで完備されたここがとても気に入ってい
た。

 Dr.ナンブはさすがに多忙らしく、あまりここへは顔を出さなかったが、それでも
戻って来ると、必ず、
「ただいま、ジョー。元気そうだね、何か欲しい物は無いかね?」
 と、優しく微笑んでくれた。
 意識不明だったと言う話だが、俺は憶えている。夏の終わりの避暑地の浜辺
で、血塗れになって転がっていた俺を抱き上げてくれた彼の腕のぬくもりと、その
時、交わされていた短い会話を・・・。
(博士、出血が激しい。もう手遅れじゃないのか?)
(いや、この子はまだ生きている。きっと助けてみせるさ。)
(しかし、後々、面倒な事になるかも知れないぞ。)
(そんな事を言っている場合ではない。さぁ早く車をー)
(ははは、あなたらしいな、博士。)
 後に知った事だが、笑いながら砂を蹴って駈けて行ったその男は " バロン " と
呼ばれる博士の親友だった。本当の名は今だに知らないが、元空軍のエースパ
イロットだったとかで、第一次世界大戦の空の勇者 " レッド・バロン " に因んでそ
う呼ばれているらしい。彼は当初、あからさまに俺を「邪魔だ」と言い、「いつか厄
介の種になる」と言っていたが、博士はそれを意に解さぬのか、解していてそうす
るのか、「だから何だと言うのかね?」と笑って俺を育ててくれた。
 これも後に知った事だが、バロンは親友であると同時に博士の片腕であり、ビジ
ネスのパートナーだった。だがそれは少しばかり複雑なようで、まだそういった込
み入った事情や人間関係が分かる年齢ではなかったが、俺は直感的にバロンは
" 光 " である博士を支える " 影 " ではないかと思った。
(ほぉ?)
 そう告げた時、バロンは初めて俺の存在を肯定したのかも知れない。
(ジョー、守れるか?)
 何を?・・・とも問わず、俺は頷いた。
 外した事の無い濃いサングラスの中でバロンは初めて破顔い、そして言った。
(ならば強くなって、俺と一緒に守れ。)
 それからは単独で頻繁にここを訪れ、俺が必要としている敵討ちのためのー真
の目的は他にもあったのだが、当時の俺にとってはそれだけが全てだったー様々
な技術や知識を教えてくれた。もちろん他にもインストラクターはいたが、彼に勝る
奴はいなかった。特にバロンは射撃が巧く、旧式のモーゼルで抜く手も見せずに
次々とダミーを倒す早撃ちや、あらゆる姿勢から正確にシューティングする曲撃ち
に、俺は心底憧れたものだ。

 その夜は久しぶりに博士とバロンが揃って別荘に戻っていた。
 俺はサンダー・ファイブが扱えるようになったのをバロンに見て貰いたくて、2人
が居る筈の居間へと上がって行った。射撃に夢中になっていたのでもうだいぶ夜
も更けていたが、たぶんいつものようにまだグラスを傾けている事だろう。そうした
機会には俺も同席するように勧められてはいたが、話が難しくてうんざりする事の
方が多かったので大抵は途中から顔を出すか、または最初に近況を話すとそそく
さと消える事にしていた。
 思った通り、居間の大きな両開きのドアに嵌まったステンドグラスから、花に似
た優しい彩りに染まった灯りが漏れている。
「失礼します。」
 と、いつものように小声で告げて遠慮がちにドアを開けたが、そこには誰も居な
かった。俺は狐につままれたような気分だった。見事な象嵌が施されたテーブル
の天板の上には、確かにグラスが3つあった・・・3つ?では、あいつが居たの
か?・・・ケンがここに?



<3>

 ケンは俺と同じようにDr.ナンブの養い子のひとりで、俺よりも3つ年下だ。しかし
同じ養い子と言っても、俺のように偶然に拾われて来た、縁も所縁も無い言わば
野良犬の子とは違い、奴は博士の最も大事な友人だった男の息子であり、同時
に博士がかつて愛した婚約者の忘れ形見なのだそうだ。と、言う事はつまり博士
は信頼していた友人に婚約者を奪われた、という些か複雑で微妙な関係になる。
一説には、数多の女性があらゆる手管を駆使して着こうとしている " Mrs.ナンブ
" の座が未だ空席で、博士が独身を貫いているのは博士がその婚約者を忘れら
れずにいるから、だそうだ。
 マフィアの掟の一つに「仲間の女房を犯した者には石を銜えさせる」ってのがあ
る。つまりダチの女には手を出すんじゃねえ、と言う警告で、違えれば殺されたっ
て文句は言えないのだ。俺がもし博士だったら、いくらまだ正式なバシタじゃな
かったとは言え、そんなに愛していた自分の婚約者を奪った野郎のガキなんぞ引
き取りゃしねえ。しかし、人格者というのか、それとも噂話し以上にもっと複雑な事
情があるのか、博士はケンを引き取り、非常に大切にしているのだそうだ。もっと
も、博士は俺の事も大切にしてくれていたが・・・。
 だが、口性無い連中は「博士はケンの父親を合法的に殺害した」だの、「ケンの
本当の父親は博士だ」だの、挙句の果ては「博士はかつての婚約者に生き写し
のケンを倒錯した愛の対象にしている」だの、ひでえ事を言っていて、そう言った
噂話しは色々と今も後を絶たないが、まあ、どうでもいいがね、と俺は思っている。
当時から俺でさえ知っていたくらいだから、当然、博士の耳にも入っている筈だ
が、当事者である博士が何も言わないのだから傍でとやかく騒ぎ立てる必要は無
いのだ。よしんば噂の全てが真実だったとしても、それに大した不都合があるとは
俺は思わない。
 とにかく、はっきりしているのはたったふたつ。何がどうであろうと、博士は俺の
命の恩人だ、と言う事実と、そして、ケンと俺は " 違う " のだ・・・と言う事で、これ
だけは確と頭に叩き込んで忘れてはならない、と俺は思っている。何が " 違う "
のかって?決まってるじゃねえか。今、ここに居るのが、" 望まれて " か " 偶然
" か、の違いさ。

 俺がそのケン・・・ワシオ・ケンに初めて会ったのは、あいつのマーマが天国に召
された少し後だった。ケンにまつわる話しは嫌と言うほど聞いていたが、大陸を挟
んで反対側にある名門パブリック・スクールの寮にいたあいつはなかなかここへ
は来なかった。いや、正確には連れて来られなかった、だろう。毛並みも躾も良い
血統書付きの子犬が野良犬の子に噛まれでもしたら大変だから、なのだろう。だ
が、何か事情が変わったらしく、ケンはここへ連れて来られた。当時、ケンは11
才。東部のパブリック・スクールでプレパラトリーを終えたばかりだった。
「ジョー、この子がケンだよ。これからはここで一緒に暮らす事になった。仲良くし
てくれるね?」
 博士はそう言ってケンを俺に引き合わせた。飛行機の関係からか、たまたまそ
の日の博士のスケジュールの都合からか、ずいぶんと朝早い時間だったのを憶え
ている。ケンはそれが癖なのか、あまり瞬きをしない大きなブルーの目でジッと俺
を凝視め、それから可愛らしい口元にゆっくりと笑みを浮かべて、
「初めまして、ジョー。どうぞよろしく。」
 と、大人びた口調で礼儀正しく挨拶した。俺はその時の事を今も時々、夢に見
る。
 ケンは、朝の透明な光の中で初めて出会ったケンというその少年は、驚くほど美
しかった。
 俺はその朝の出会いを、恐らく一生忘れやしないだろう。
 と、同時に俺は瞬時にして俺自身が " 守るべきもの " は、このケンに他ならな
い、と悟った。" 望まれて " か " 偶然 " か、それはまだ分からなかったが・・・。


<4>

 さて、テーブルに残された3つのグラス・・・タンブラーが2つと博士愛用のブラン
デーグラスが1つ。内、タンブラーの1つにバーボンが残っている。ケンは13、いや
もうすぐ14になろうとしていたが、体質的なものか、食事の時のワインすらまだ碌
に受けつけない。これはあいつが飲み残したものだろう・・・俺は半ば茫然とそん
な推察をしていた。
 居間は居住棟の殆どワンフロアを占めるほど広い。間仕切りは無いが、置かれ
たソファやテーブルによっていくつかのコーナーに分かれており、バーキャビネット
が設えらえたこの一画にのみ灯りが点いていた。いったい?・・・と、思った時、
「ジョー。」
 ふいに暗がりから名を呼ばれて俺はギクリ、とし、
「私だよ、ジョー。こっちだ。」
 それがバロンの声だと分かってホッ、とした。が、間髪を入れずに、
「い、いやだ、ジョーを呼ぶなっ!」
 と、いつになく慌て、取り乱したケンの声が響いた。いったい何だと言うんだ?短
気な俺は最前、柄にも無く驚かされた自分に腹を立ててもいたので、何やら妙な
雰囲気ではあったが、構わずに2人の声がした方へと大股に広いフロアを突っ
切って行った。フットライトと窓からの月明かりだけが頼りだったが、部屋の様子は
よく知っている。2人が居るのはたぶんロフトにある博士のプライベートな書斎へと
通じる螺旋階段の向こうだろう。

 予想は当たった。
 そこの奥には図書室へ通じるドアがあり、本を読むためなのかー俺は昼寝に使
うだけだがーゆったりとした大きなカウチが置かれている。カウチの上に人影を認
め、だがどうにも妙な2人の姿勢と聞こえて来る苦しげな息遣いに、俺は足を止め
た。
「バロン?」
 そう呼び掛けてジッと目を凝らした俺は、その場に立ち竦んだ。
「な、何を・・・?」
 いつもはきちんと並べられている大小幾つかのクッションは大いに乱れ、その上
にケンが逞しい片腕で押さえ込まれていた。いや、彼はただ押さえ込まれていた
訳では無い。ほっそりとした身体の上にはその片腕の本体が伸掛かり、後躯を押
し付けるように強引にケンを・・・俺はもう女を知っていたから、彼らが
" 何をしている " のか、はすぐに理解出来た・・・そう、ご想像の通りさ!バロンは
ケンを犯していたのだ。博士とケンの噂は耳にしていたし、その理由には俺なりに
頷ける部分もあったが、何故?
 常日頃、ケンは博士にはそれも不思議では無いと思えるほど従順だが、バロン
の事はむしろ嫌っており(だからケンは決してこうした処へは顔を出さなかったの
で、俺は3つのグラスをまず奇異に感じたのだ)、反撥する節さえあったのに・・・ま
さかこんな・・・俺は混乱して、思わず叫んだ。
「ケンっ!」
 ケンは俺の声に一瞬だけ目を開け、辛そうにこちらを一瞥したが、すぐにまた長
い睫毛に縁取られた目蓋を閉じてしまった。ただ眉を寄せ、唇を噛んで、力づくで
与えられる苦痛と屈辱に耐えているのか?だが、表情の無い妙に静かなその顔
はそんな時でもゾクリとするほど美しくて・・・俺は惚けたように動く事も、目の前の
異様な行為から目を離す事も出来ず、そこに突っ立っているしかなかった。

「ジョー、サンダーファイブは当たったか?」
 気取った細い髭を蓄えた口元が訊いた。こんな時に訊くような事か?と半ば呆
れながらも、可笑しなもので、
「あ?ああ、15メートルから全部・・・。」
 俺も阿呆のように答える。と、バロンはおや、と言う顔をして、やおら俯せに押さ
え付けていたケンの背を抱いてカウチから引き起こした。
「くぅ。」
 と、呻いてケンは身悶えたが、力で適う訳が無い。所詮空しい抵抗だった。間も
なく逞しい腕と胸に抱きとめられ、諦めたように動かなくなった。ケンはフロントジッ
パーを全部下げられているが、気に入りの白いウォームアップを着たままだ。すら
りと伸びた腿の半ばまでを隠しているそのウォームアップの中で、何かを確かめる
ように指を動かしながら、バロンが訊いた。
「ケン、どうした?急にこんな・・・」
 ケンは俺に顔を見られたくないのか、下を向いていやいやをするように頭を振
る。項垂れた白い首筋は痛々しかったが、そこに薄らと射して来た淡い血の色が
艶かしい。無理矢理に犯されていても、それが男同士でも、快感はあるのだろう
か?ケンの吐息はただ苦痛を訴えているだけでは無い。
 バロンは低く笑って、
「ふふ、そうか。ジョーがいるからだな?」
 そう、健の耳の中に囁いた。
「違う!ジョーは、かんけいな・・・」
 紅潮した顔を上げて、ケンは激しく頭を振った。だが、熱い吐息に語尾が乱れ
た。
「ならば何故だ?いつだって人形のようなおまえが、こんなに感じてるのは何故
だ?」
 いつだって、だと?と、俺は我が耳を疑った。
 じゃ、ケンはいつもこんな事をしてたって言うのか?
 それに、俺がいるからどうしたって言うんだ?
 
 この2年間、ケンは初めて会った時の印象のままに、素直で可愛いい俺の弟
だった。賢くて、礼儀正しくて、真面目で、そして、聖画の中から抜け出て来た天
使様みたいに美しくて・・・と、ふいにケンが泣き出しそうな顔を上げて、俺を見た。
晴れた空に似たブルーの瞳が何かを言いたげだったのを、今も憶えている。
「ジョー、さあ、ここへ来るんだ。」
 バロンの声がどこか遠くから聞こえた気がした。しかし俺はその声では無く、ケン
の瞳に吸い込まれるようにそこへ近づくと、迷う事無く、微かに震えているその唇
にそっと接吻けた。



<5>

 異常な状況だと言う事は充分に解っていたが、俺には正しい判断など出来な
かった。そして俺は、軽く合わせたケンの唇の柔らかさと意外な冷たさに夢中に
なった。啄むように幾度も唇を唇で挟み込み、あやすように片手を髪の中へ差し
入れて、さらに唇を舌先で愛撫すると、
「う・・・」
 と、小さく呻いて、ケンは俺の接吻けから逃れるように顔を背けた。その横顔の
美しさ・・・くっきりとした鼻梁、ぴたりと閉じられた睫毛は円やかな頬に影を落とす
ほど長く、その下に在るあの鮮烈なブルーの瞳を思わせる。眉を寄せ、必死に耐
えているその表情さえ、傾国の、と謳われた美女・西施も斯くや、といった風情
で・・・俺は陶然となった。断っておくが、俺は決して男に欲情するような性癖は持
ち合わせていないし、いくら可愛らしいからと言ってケンをそうした対象に勘違いし
た事も無い。しかしそれらは、まだ女を知り初めたばかりだった俺には、堪えられ
ないほど煽情的な光景であり感触だったのだ。ザマあ無いぜ、まったく。
 俺のそんな様子を見透かしたのだろう、バロンはいつの間にかケンから身体を
離していたーつまりバロンは己の欲望を満足させるために行為に及んでいた訳で
は無かったのだー。抱きとめていた腕からも解放されたケンは支えを失って、カウ
チの上に片膝をついた俺の胸に崩折れて来た。反射的にその背を抱いて仰向け
にすると、俺は既に熱く火照った身体の下にケンを組み敷いていた。

「ジョー、抱いてやれ。ケンはおまえを欲しがっているぞ。」
 抑え切れない欲望の背を押すように、バロンが優しい声で言った。
 ケンが俺を欲しがっている?
 ケンが俺に抱かれたがってる、ってのか?
 見下ろすと、ケンは固く目を閉じたまま、俺の下で喘ぐように微かに息を弾ませて
いた。しかし、抵抗する様子は微塵も無く、このまま身体を重ねれば恐らくケンは
素直に俺を受け入れるだろう。
(ケンを抱きたい!ケンを自分のものにしたい!)
 俺はその時、心の底からそう思った。
「くっ!」
 激情にも似たそうした思いが、ケンの身体を束縛し、自由を奪っている俺の指に
力を加えさせたのかも知れない。ケンはごく短い、だが極めて鋭い喉声を発して身
体を強張らせると、唐突に目蓋を上げた。刹那、一瞬対峙したそのブルーの瞳が、
驚愕に震えているのを見、俺は・・・。

 俺は結局、ケンを抱く事は出来なかった。

「どうした、ジョー。それがおまえの " 愛 " ってやつか?」
「俺には・・・俺には出来ねえよ!」
「ははは、そんな事で " 守れる " のか?おまえの " 守るべきもの " を。」
 バロンは揶揄うように笑いながら、ロフトへの螺旋階段を昇って行くと書斎のドア
を叩いた。
「博士、もうすぐヘリが到着するぞ。まだ終らないのかね?」
 少し間があって、ドアが開く音が上から降って来た。
「いや、待たせてすまなかった。」
「で、結果は?」
「うむ、君が言った通りだったよ。やはりボーイング社とノースロップ・グラマン社の
株がかなり大量に買われているようだ。」
「やはり、か。よし、本社に戻って早めに手を打とう。あのデカブツなら何とかなるん
だろう?」
「おいおい、あの汎用コンピューターは素粒子物理学のために導入したものだ
よ。」
 2人の声が降りて来た。俺は黙ったまま、衣服を整えてカウチに座ったケンの乱
れたチョコレート色の前髪を撫で付けてやった。
「ロッキードと、マーチンマリエッタはどうだった?」
 そんな俺達を一瞥しながらも、バロンは最前の事など無かったかのようにまるで
知らん顔のまま、何やら仕事の話を続けていた。
「今は合併してロッキード・マーチン社だよ。おや、ジョー、もう練習は終ったのか
ね?ああ、ケンもまだいたんだね。慌ただしくてすまないが、急な仕事が入ったの
で、私達は本社に戻るよ。」
 博士はいつもながらの穏やかな笑みを浮かべ、その後ろから、バロンが顔だけ
をこちらに向けて、俺に笑いかけた。
「ジョー、この次はサンダーファイブの撃ち方のコツを教えてやるからな。しっかり
練習しておくんだぞ。」
 じゃあ、と俺とケンに軽く手を振って行きかけた博士を、
「博士!」
 と、ケンが呼び止める。うん?と振り返った博士は、
「お土産のリクエストかね?ケン。」
 と、優しく訊ねたが、ケンは頭を振るときっぱりとした声で言った。
「博士、俺、やっぱりUSAAに行きます。」



<6>

 そうか、と頷いて、博士はほとんど表情を変えずにバロンと並んで歩き出した。
 俺は、何度勧められても首を縦に振らなかったUSAAー空軍士官学校ーに、ケン
が自ら " 行く " と言い出した事よりも、ケンが初めて自分を " 俺 " と称した事に
驚いた。思わず見つめたケンは、だがいつも通りのケンで、白いウォームアップ・
スーツのフロントジッパーを癇性に喉元まで引き上げて、あまり瞬きをしない目で
チラッ、と俺を見ると、やおら立ち上がって2人を追って行った。
「おいー・・・」
 つられたように俺もその後を追う。考えてみれば、ケンはいつも博士を見送って
いたのだから、当たり前の行動だったのかも知れない。恩知らずの俺はサボった
りもしたが、ケンは真夜中でも早朝でも必ず戸口に立って博士を見送るのだ。微
笑みに寂しさを滲ませて・・・まるで、幼い子が出掛けて行く父親の背を追うよう
に・・・。
 
 別荘の前庭には既にナンブのロゴマークを付けたヘリが着陸していた。
「ご苦労だったな。よし、代わろう。」
 いつものように、いや、当然の事としてバロンがパイロットからコレクティブ・ス
ティックを引き継ぐ。そして、彼が計器を確認し、ヘッドホンとインカムを付け終える
まで、博士は乗り込まない。これは車でも同様だった。こうした様を見ると、俺は親
父や親父の同業者達を思い出す。喰うか、喰われるかーのヤバイ世界で生き残
るには、何よりも疑り深さと慎重さが必要なのだ、と親父は教えてくれたっけ。もち
ろん俺は博士達が " まっとうな " 世界に生きているって事は重々承知していた
が、どんな世界だろうとヤバイ奴はヤバイし、喰うか喰われるか、なのも同じだと今
も思っている。人が定めた " 法 " という範疇に入るものもハミ出すものも、それら
は須らく自由競争社会に於いては如何様にも正当化されるものなのであるー例え
ばそれが " 侵略戦争 " という許されざる方法だったとしても、だ!ー。
 バロンがOK、と親指を立てたのを見、博士は俄に回転数が上がったローターの
強風に、やや前屈みになって1、2歩踏み出し、だがそこで急に振り返ると、
「ケ・、・いで!」
 と、ケンを呼んだ。いつものように行儀良く立っていたあいつは弾かれたように駆
け出し、両手を広げた博士の胸に飛び込んで行った。大気を切り裂く大きなブレー
ドが巻き起こす風と、そのエンジン音に掻き消されて、2人の声は俺の耳には届か
なかった。だから、チョコレート色の髪を激しく踊らせたケンをその胸に抱いた博士
と、屈み込んだ長身の博士の首にしっかりと両腕を巻き付けたケンとの間に、如何
なる会話があったのかー或いは無かったのかーは、今もって分からない。しかし、
やがて舞い上がって行くヘリを振り返り、振り返り、戻って来たケンの頬には涙が
光っていた。
 
 月明かりの夜空に消えて行く航法灯を見送りながら、俺達は並んで戸口の前に
座りこんでいた。ちょっと気まずい " 2人きり " だった。
「・・・MD-520、ノーター・・・あいつはとっても難しいヘリなんだよ。」
 最初に口を開いたのは、ケンだった。
「ああ、あのヘリは変わってるよな。ケツに小さいローターが無いけど、どうやって
方向をコントロールするんだろう?」
「ノーターはね、尾部回転翼の代わりにタービンの排気ガスを利用して方向を制御
するのさ。マクダネル・ダグラス社って軍用機が主だろ?急旋回が可能になれば
それだけ有利だからね。でも、この発想はロックウェル・MBB社に盗られちゃった
んだ。」
 俺はケンのその精一杯、背伸びをしているような大人びた口調が妙に可笑し
かった。恐らく、居間での博士とバロンの話しの受け売りなのだろうが、しかし、ケ
ンは実際、その歳にしては驚くほど物知りで、何故か不思議なほど事情通だった。
「ふぅん。ロックウェルてえと、あのX-31か?でもあれはヘリじゃねえじゃん?」
「うん、デルタ翼の戦闘機さ。まだ実験段階だけど、でも、ジェット排気を尾部のパ
ドルを制御する事で、あんなに急角度の旋回飛行が可能になったのは、ノーター
があったからだよ。もちろん、ヘリにだって活かされてる。ロシアのKa-50ー」
「ウィアウルフ、ホーカムだ!」
 と、俺が引き取ると、ケンは、うん、と頷いて、ニコッと可愛い笑顔を見せた。いつ
もと変わらぬ笑顔に、俺はホッとし、訊きたかった事を切り出す事が出来た。
「なあ、ケン。おまえ、本当にUSAAへ行くのか?」
「うん。」
「本当は嫌なんじゃないのか?」
「ううん、そんな事は無いよ。ぼ、いや、俺、飛行機が好きだし、父さんのように博
士の開発した新型機のテストパイロットになりたいなぁ、と思ってさ。」

 ケンの夢はパイロットか。
 だとすれば、やはりUSAAに進むのはケンにとっては良い事なのだろう。
 俺の夢は何だ?親の仇討ちか?
 だとすれば、俺は何処へ行けば良いのだろう?
 俺はなんとなく遣る瀬ない思いで、溜め息を吐いた。
「ジョー・・・」
 唐突にケンが呼んだ。
「ん?」
「さっきは助けてくれてありがとう。」
 そう礼儀正しく礼を言うケンに、俺は思わず声を立てて笑ってしまった。
「助けた訳じゃねえさ、ありがとう、なんて言うなよ。それに俺はもうちょっとでおま
えを姦っちまうとこだったんだぜ?」
 うん、と、ケンは頷いた。
「ジョーが怖かったよ。ぼ、俺の事を押さえつけた時、ああ、ジョーもなのか?って
思ってさ・・・でも、だから・・・俺、嬉しかったんだ。」
 えっ?と、俺は聞き返した。
「嬉しかったって、どういう意味だよ?」
 それは、と、ケンは頬を赤くした。
「バロンがジョーを呼んだ時は、こんなのを見られるのは恥ずかしいし、ぼ、おれ、
僕はジョーに嫌われてしまう、と思ったんだ。でも、ジョーは僕にキスしてくれたし、
僕を・・・」
 羞恥心からか、動揺しているのか、いや、その両方だったろう。いつの間にか、
ケンの一人称は、 " 僕 " に戻ってしまったようで、俺は理由も無くそれが可愛く
て、そっと手を伸ばしてあいつの柔らかい髪を撫でてやった。
 と、
「でも、ジョーは僕を抱いてくれないのかな?」
 外方を向いたまま、あいつがポツリとそう言った。
 
 シンとした夜の静寂の中、そっとケンの部屋のドアを閉めると、俺達は静かに接
吻けた。柔らかくて、そして冷たい唇をまた軽く啄む。そうしながら、ピッチリと上ま
で引き上げられたフロントジッパーを引き下げて、俺はケンの身体をベッドに横た
えた。
 唇を離した俺が自分のシャツを脱ぎ捨てるのを、あいつはあまり瞬きをしない大
きなブルーの瞳でジッと見ていた。
「ぼく・・・おれ、俺って " 人形 " みたいだ、ってバロンが言うよ。」
 俺の真似をしているのか、最近、首にかかるくらいの長さになったウェーブのある
髪を指で除けて、白い首筋に接吻ける。
「ジョー、" 感じる " って、どういうこと?」
 俺は筋肉が少し付き始めた、だがまだ中性的なフォルムのしなやかなケンの身
体をゆっくりと愛して行く。
「ねぇ、" 悦い " って、どんな感じなのかな? ジョーとなら、" イける " のかな?」
 軽く目蓋を閉じて、ケンは俺に身を任せたまま、しきりとそんな事を言い続けてい
た。乾いた肌理の細かい肌が少しだけ湿り気を帯び、何度も軽く背を反らすまで、
俺はあいつを優しく愛し続けた。
「あっー」
 やがて形の良い顎がわずかに上向き、ケンは短い喘ぎ声を発すると、俺の首に
両腕を回して身体を震わせた。
「ジョー、なんか変だよ・・・いつもと違う・・・ジョー、身体が熱くてー」

 息を弾ませて、
「ジョー、ジョー・・・」 
 と、譫言のように呼び続けるケンを抱きしめて、俺はそっと耳の中に囁いた。
「いいから、もう黙んな・・・ケン。」
 もう落ちようとする月だけが見ていた。



<7>

 『優勝はピルグリム・8!昨年に続きナンブ・モータース圧勝!!』
 派手なパフォーマンスで振り回されるチェッカーフラッグと同時に興奮した声で場
内アナウンスが俺達の勝利を伝える。途端に上がる歓声は響き渡るエクゾースト
の轟音を圧して、ケンの瞳のように真っ青なモナリンス公国の空に吸い込まれて
行く・・・。

「おめでとう、ジョー!」
「やったな、さすがはナンブ・モータースだ!」
 俺は応じ切れないほどの祝福と握手とキスの嵐に、
「ありがとう。ま、運に恵まれましたよ。」
 と、少しだけシニカルに笑って見せる。勝者の謙虚さと、そして余裕ってやつをさ
り気なく見せるのは、ビジネスにおいてはとても大切な事なのだ・・・と、俺は習っ
た。それを倣っている。俺は20になったばかりの、まだまだ青二才の若造だから
だ。

「ジョー、君が自らハンドルを握りたかっただろうね。」
「昨年のピルグリム・7での君の鮮烈な走りは忘れられないよ。」
「そうそう、しかもこんなに若い色男なんですから、神様は不公平なものですな
あ。」
 ワールド・チャンピオン・シップを賭けた、世界最高水準の度胸試しに飛び込む資
格とバックを有する俺にジジイどもは優しい。俺は前年度、3月のアーストラリアGP
を皮切りに10月までの17戦を、ナンブ・モータースのフォーミュラー・ワンに乗って
参戦した。年間優勝こそ逃したものの、ポール・トゥ・ウィンを含め、俺達はかなり
良い成績を納め、新規参入の吸収合併メーカーであるナンブ・モータースの名を世
界中に知らしめる目的を果たせた。速く走る事だけを目的に各メーカーが鎬を削り
続ける、レーシング・カーの最高峰がF1だ。規定排気量3000cc、自然吸気のみ
でターボチャージャーは5年前に禁止になった。覆いの無い独特のタイヤは・・・
おっと、いけねえ。車の話をし出すと、止まらねえぜ!
 ともかく俺は、ジジイどものありがたいお言葉とお追従じみた笑顔に、そいつはど
うも、と戯けて肩を竦めて見せた。もちろん謙虚さも忘れやしないぜ。
「でも、そうしたら優勝は無かったかも知れませんしね。」
 確かに勝負と言うやつは分からないが、正直なところを言わせて貰えば、俺は
やはり自ら " ピルグリム・8 " というあの新型モンスター・マシンを駆って、サー
キット・デ・モナリンスと呼ばれるモンテサルロ市街地を突っ走る、この華やかなモ
ナリンスGPに今年も参戦したかった。だが、俺は今日、メイン・スタンドのド真ん中
に位置するオーナーズ・ブースに居る。それが俺の今の " 仕事 " だからだ。
 
 俺の名はジョージ・アサクラ。理由ありの俺がこの名で呼ばれる事は、もう二度と
無いだろう。昨年度のナンブ・モータースの主力レーサーであり、最近、オーナー
に就任したばかりの、謎の " ジョー " が今のーそしてたぶん、これからずっとー俺
だ。
 そんな幸運を手中にした若造の身元はと言えば、表向きはーいや、実際もそう
だがーナンブ・コーザブロウの養子のナンブ・ジョーという事になっている。もちろん
取り沙汰される噂は星の数だ。その殆どはどっから出たんだか?と思われる所
謂、根も葉も無い、といったものだが、驚くほど " 真実 " に近い噂が存在する事
も事実だ。虚と実ってやつは案外と仲が良いのかも知れねえ。
「ジョー、大公殿下のお出ましだぞ。」
 隣席の、粋なボルサリーノに黒サングラス、といった出立ちの男の声に思考を破
られた俺は頷いてロイヤル・ボックスを見遣る。
「バロン、博士も一緒なんだろ?」
 あっちへ行ってなくていいのかい?と、言外に付け足して、俺は俺のかつての射
撃や諸々の師匠であり、そして現在はビジネスや諸々の師匠であるバロンに訊ね
た。
「ははは、博士ひとりの方が今回の件は上手く行くさ。それに " 仲間 " がもうひと
り、向うへ行ってる。」
「仲間?へぇ、俺は何も聞いてないぜ。」
「ジョーもよく知っている奴だぞ。」
 バロンは「当ててみろ」と言わんばかりに、気取った細い口髭がよく似合う口元を
歪めた。バロンのこういう表情は誰かに似ているんだよな・・・と、そんな事をふと
考えた時、短いファンファーレが吹奏され、モナリンス公国ローニエ大公ー彼は今
回、俺達がモノにしようと狙いを定めた獲物なのだーと、その一行が姿を現わし
た。
 にこやかに手を振るロマンス・グレーのローニエ大公の横には、銀幕の向こうか
ら大公のハートを射止めたフレーク大公妃ーさすがにすこぶるつきの美人だ
ぜー。それから数人の、俺には誰だか分からないノーブルと言うか気取った男女
が居て、その後方には博士が居り、その隣にーちょうど大公妃の陰になってよくは
見えないのだがー見覚えのあるチョコレート色の髪の若い男が立っている。
「えっ、仲間って・・・まさか?」
 俺は思わず、バロンを振り返った。
 
 まさか、の言葉通り、そいつはケンだった!
 4年前、USAAに旅立って以来、俺はケンに会っていない。ケンは2年間をUSAA
で過ごした後、俺達のかつての " 家 " へ戻る事無く、そのままフランセ空軍の航
空学校に移籍して、今に至っている。休みには「とても気に入った」とかで、同じ欧
州のホントワール等を旅行しているらしく、何度か俺にも美しい湖や雪を頂いた山
の絵葉書を寄越していたが、まさかそのケンが " 仲間 " として、このモナリンスに
来ていたとは・・・と、俺は驚きを隠せなかった。仲間と言う事は・・・ケンは " 全て
" を知っていると言う事になる。同時に、ケンもまた何らかの " 役割 " を持ってい
る、と言う事でもあるのだ。
 俺の、いや、正確には俺も加担しているバロンの仕事だが、簡単に説明すると、
俺の勘が告げた通り、" 光 " であるDr.ナンブを、" 影 " であるバロンのチーム
で全面的にー文字通り、すべてに、であるーサポートする、と言う訳だ。
 一例を示すならば、例えば博士がISO・新型航空機開発プロジェクトの科学者と
して開発中の大型のVTOL機だ。これは垂直離着陸機の宿命とも言える " 燃料を
食い過ぎる " というウィークポイントがあるため、どこの航空機会社も触手を動か
さない。と、言う事は当然、完成はしても量産はされないだろう。金を生まない研究
や開発に投資する愚か者はいない。そこで、俺達はあらゆる手段ー合法、非合法
を問わずーを使って、その研究費用と建造費や維持費を捻出して、博士の信念と
研究をサポートし、実現するのだ。 つまりプロジェクトのスポンサーになるーと、言
えば分かって貰えるだろう。少々、変わっている点は、スポンサーになる側も "
身内 " だ、と言う点で、今回の大型VTOL機開発の問題は、ナンブ・グループ内に
航空機部門を作るー実際には既存の航空機会社を吸収合併したー事で、解決し
たし、既にそのセクションでは試作機が着々と建造されつつあった。
 科学者というのは堅実で地道な反面、リスクテイカーでもある・・・と、俺は思って
いる。バロンはナンブという希代の天才が打って出る " 大勝負 " の魅力に、" 勝
負師 " として共鳴し、また、2人はまだ俺には解らない " 別の大きな目的 " のた
めに動いているのだ・・・と、俺は信じている。同時に、行く当ての無い俺はとりあ
えずは「親の復讐を果たしたい」を理由に、バロンが博士を守るように、俺の " 守
るべきもの " であるケンを守るために必要な力とノウハウを、学び、蓄えてい
る・・・と、言ったところだ。
 ケンは " 光 " 、俺はその " 影 " ・・・。

 表彰式が始まった。うちの今年の主力レーサーであるヨハン・カーリーはローニ
エ大公御手ずから賜った金のメダルを、これもF1レーサー志願の弟のアルベル
ト・カーリーに掛けてやったりして、なかなか素敵なシャンペン・シャワーを浴びるこ
とが出来た。戦いは終り、一時の休息が訪れる。レーサーもピットクルーも穏やか
な笑みに包まれる至福の時・・・勝ち負けは重要、だがそれ以上に大事なものを
追いかけて、俺達は最速のマシンを駆る・・・俺は一時、レーサーに戻り胸を熱くし
た。
 賑やかで華やかな表彰式は例年通り、そのまま祝賀パーティーへと進行し、小
国ながら世界的に有名なカジノと観光資源が潤沢に財政を潤し、国民には課税す
ら無い。このモナリンス公国の奢りで、参加者は観客も含め、すべてこのパー
ティーの客になり、青く晴れ渡ったモンテサルロの空の下、人々は太っ腹な大公と
元ハリウッド女優の大公妃に乾杯するのだ。
「ジョー!」
 王族の義務である " 愛想 " を一通り振りまき終えた大公一行は、早々と派手
な儀仗兵や地味なSPに警護されたエリアへと移動するらしい。バロンに呼ばれて
そちらへ行くと、既に彼は博士の横に並んで何やら話し込んで居り、俺も些か慌て
て彼らの傍らに混じったが、さっきまで側にいたはずの " あいつ " の姿が見えな
くなっていた。
「ーと、言う訳で、大公も大公妃も私の研究にとても興味を示してくれたよ。」
「そうか、上手く行くといいな。モナリンス公国がスポンサーに加わってくれれば、
我々の計画もずっとやり易くなると言うものだ。後は俺達に任せてくれよ。」
 なあ、ジョー?と同意を求めるバロンの狙いが " 何 " なのかを、俺はまだ知ら
ない。だが、それはどうでもいい事だと思っている。だから、そうですね、と相槌を
打つと、俺は博士とバロンに会釈してその場を離れ、 " あいつ " を・・・ケンを、探
す事にした。

(ジョーの奴、我慢出来ずにケンを探しに行ったな。)
(まあ、無粋な真似はするまい。ところでバロン、フレーク大公妃だが、せっかく一
緒に来て貰ったが彼女はジョーでは駄目だと思うのだが・・・)
(ああ、抜かりは無いさ。君の " 娘 " のジュンが既に接触済みだ。)
(そうか、ジュンがいたか。しばらく会っていないが、ジュンは元気かね?)
(はっはっはっ・・・あなたも暢気な " 父親 " だな、博士。ジュンは相変わらず元
気だよ。)
(すまんが、" 子供達 " の事は頼んだぞ。今はマントル計画をISOの正式なプロ
ジェクトとして発足させるための準備に追われているのだ。)
(うむ、解っている。任せてくれよ、博士。それも俺の仕事さ。)

 だが、大して広くも無い処なのに、俺はなかなかケンを見つけ出す事が出来な
かった。と、ふいに、
「ジョー。」
 ケンが俺を呼んだ。音域は低くなっているが、紛れも無いあいつの凛とした声に
俺は振り返った。
「ケン!」
 目の前にケンがいた。まるで天から舞い降りて来たかと思うほど、まったくの唐
突に・・・。
「ジョー、久しぶりだな。ふふ、会いたかったぜ。」
 ケンは優しく微笑みを浮かべて、あまり瞬きをしない大きなブルーの目で真直ぐ
に俺を凝視めながら、礼儀正しく右手を差し出した。背が伸びて、俺とあまり変わら
なくなったケンは、白いマオカラーシャツの包み釦をぴっちりと喉元まで止め、同色
のジャケットを着てはいるが、ボトムはジーンズ、という無造作な格好だったが、と
ても上品で美しく見えた。士官学校という事で、俺は当然、短髪を想像していたの
だが、ケンのウエーブのある柔らかい髪は緩やかに肩に流れるほど、長くなってい
たーさっきは束ねていたらしいー。ケンは、何年も前のあの朝の透明な光の中で
初めて出会った時と少しも変わらず、いやそれ以上に、ケンは驚くほど美しかっ
た。
「どうかしたのかい?ジョー?」
 問われて、我に返った俺は " 守るべきもの " の右手を握り返して、
「いや、何でも無えよ。大きくなったなぁ、ケン。見違えちまったぜ。」
 と、笑った。ゆっくりと形の良い唇を歪めて、ケンも笑う。
「ははは、そうさ、もう俺もいっぱしの大人だぜ。」
 その時、背後から声がした。
「ケン、こんな処にいたんだね。探していたんだよ。」
「恐れ入ります、殿下。僕は人込みが苦手なものですから。」
「ん、君は?いや、ええと、君はナンブ・モータースの・・・」
「はい、殿下。先程は私どものチームにメダルをありがとうございました。」
「おお、やはりオーナーの・・・そうか、ねえ、君なら知っているよね?ケンは本当
にDr.ナンブの " もの " なのかね?」
「さあ?一向、存じませんな。私には関係の無い事ですからー」
「殿下、いい加減にして下さらないと、僕は帰りますよ。」
「ああ、ケン、怒らないでおくれ。ねぇ、何か欲しい物は無いかい?頼むから笑って
おくれよ、ケン・・・」
 そうか、既にケンは " 仕事中 " という訳か、と俺はあいつに素早く調子を合わ
せると、ケンの真っ青な瞳がニッ、と頷いた。

 あれから4年・・・ケンは17になろうとしていた。
 俺達の " 物語り " はこれから始まる。
 そして、死が2人を分つまで、俺達は " 仲間 " として生きるのだ。
 ケンは " 光 " 、俺はその " 影 " ・・・。


- The End - 



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