Tomorrow・・・

by KITT


 街灯もない夜の道を、ヘッドライトだけを頼りに走っていた。
 お節介なナビはいらない。エンジンの音を遮る音楽も邪魔だ。
 いつもは魅力的なはずの女の暖かさが、嫌だ。あの曲線のみのボディが、丸みを帯びた
優しい声が嫌だ。包み込む、あの柔らかさが、嫌だ。
 筋肉質の硬いボディと、強い光を放つ青い瞳が浮かんだ。
 だからこそ、俺はトレーラーハウスに帰れない。
 ドアの前で、きっと奴は俺を待っている。そんな気がした。
 奴は、もう一度俺に聞くだろう、一体どうしたんだ、大丈夫か、と。
 今、俺が会いたいのは、幼馴染で、最高の喧嘩相手だった、奴。
 だが、一番会いたくないのは、科学忍者隊のリーダー。俺の不調を見抜き、どんなこと
をしてでも俺をこの任務からはずす、奴。

 見知らぬ医者からの連絡を受けた後、私は何度も彼と連絡を取ろうとした。
 無駄だった。彼はブレスレットをはずしているに違いない。
 私の目の前に、十二年前の光景が甦る。
 意識を取り戻し、周囲の人間ととぎれとぎれの会話を始めた彼に、私は十字架のネック
レスを返そうとした。怪我の治療に邪魔だったので、私が預かっていたのである。
 それはこの年の少年にはあまりそぐわない、年代物の銀の十字架で、凝った細工が施し
てあった。きっと、彼の家に代々伝わるものなのだろう。
 それを横目で睨み、彼は十字架を掴んで壁に投げつけた。
「それは、君の両親の形見だろう?」
「神様なんて、もう信じない」
 彼の声はかすれていたが、はっきりしていた。
「パパもママも毎週教会に通っていた。パパは気前良く献金していたし、ママはいつも貧
しい人たちに優しかった。それなのに、神様は二人を見捨てたんだ。」
 BC島は、ギャラクターの島でありながら、敬虔なカトリックの島でもある。
 彼は、食事の前も、寝る前も、常に祈りを捧げる生活をしていたはずだった。
「俺は両親を殺したギャラクターを絶対に許さない」
 彼はぎらぎらした目を私に向けた。
 彼は神に祈ることをやめた。

 俺に「大丈夫か」と言う時、奴の目はいつも、少し挑戦するように
「こんなことでお前がへばるわけがないよな」
 と問いかけていて、それを見ると、俺はどんなにしんどくても
「この俺がこれ位でへばるわけねえだろ、ナメんなよ」
 と、目の色に一言付け加えて、にらみ返していた。
 出会った当時、それは単純な子供同士のライバル心だったが、十年間繰り返されるうち
に、二人だけの儀式めいたものになっていった。
 あの厳しく単調な訓練を耐え抜いていけたのも、ひとつにはこの儀式のおかげだったか
もしれない。
 だが今の俺には、この何気ない儀式をやり過ごす自信がない。
 奴の、「本当に」心配そうな表情だけは、絶対に見たくなかった。そしてすぐに奴の顔
はリーダーの毅然とした顔に変わって、
「任務から外れろ、これは命令だ」と言うだろう。
 甘い博士なら隙を見て逃げ出せるが、奴のことだ、監視付で病院送りだ。
 それなのに、あのなつかしい匂いのする奴にどうしても会いたいと、もう一人の俺が、
体の内側で身を捩る。
 俺は車を繁華街に向けた。
 アルコールの助けが必要だった。

 あの時、神は気まぐれで彼を助けるために、私をあの海岸に引き寄せたのだろうか。彼
の命は、あの海岸で終わっていてもおかしくはなかった。幾つかの幸運が重なり合って、
彼は命をとりとめ、私の息子となった。
 彼の本能的に危機をかわす身体能力、そして何年たっても揺るがぬギャラクターへの憎
しみを見たときから、私の科学忍者隊への構想は始まった。
 そして、もう一人の少年。親友の息子。
 あの年頃の少年には、相手が必要だ。悪ふざけをし、喧嘩をし、大人というものに反抗
する仲間が必要だ。
 ちょうど同い年の二人。親がいないという境遇も似ていたし、能力の点で甲乙つけがた
かった。最高の組み合わせに思えた。今も、そう思う。
 科学忍者隊という構想を、もし私が思いつかなければ、二人は今頃どうしていただろう
か。戦いとは無縁の場所で、酒を飲み、恋人を作り、青春を謳歌していただろうか。
 先日彼は突然、あの十字架を返してくれと言ってきた。
 今頃?私は無意識に不思議そうな顔をしたらしい。
 銀の十字架は今流行っていて、首にぶら下げてると女が寄ってくるんですよ、と彼は取っ
てつけたように言って、頭をかいた。
 女、かね。
 妙に納得できる答えに苦笑して、私は引き出しから十字架を取り出した。
「さすが、博士だ。整理がいいですね」
「無論だ」
 重みのあるそのペンダントは、彼の厚い胸に良く似合った。
 今思えば彼は、既に体の異変に感づいていたのだ。
 私は、めったに飲まないブランデーを、グラスに注いだ。
 久しぶりのブランデーは、かくも苦いものか。
 あの海岸に私が居合わせたのは、彼をこんなにも早く死なせるためではない。

 夜風が体温を奪っていく。
 俺はトレーラーハウスの前であいつを待っていた。
 あいつは、あんなところでミスをするようなやつじゃない。
 いくら疲れているとはいえ、こんなにミスが重なるのはおかしい。
 今日こそは、あいつに確かめようと思った。
 でも、どこかで、俺の思い過ごしであるように願っていた。
 俺も疲れているのだ。あいつにミスに神経質になるのも、きっとそのせいだ。
 そんな風に迷ってしまう自分に気付く。いつものように割り切ることの出来ない自分が
いる。
 あいつの車のヘッドライトが見えないものかと、目を凝らす。
 ハンバーガー屋の明かりだけが眩しい。
 コーヒーを飲んでこよう、と思った。あいつは、まだまだ帰らないだろう。

 けばけばしくて安っぽいネオンが、いつものように俺を歓迎している。
 立ちんぼの女達が、次々と俺に声をかける。
「おにいさん、女に振られたんだね」
 まだ女になりきっていない腰つきの少女が声をかけてきた。
 そんな見当はずれのセリフがおかしくて、その少女に目を留めた。
「あ、図星だね。そんなウイスキーの瓶、ラッパのみしながら歩いてると怪我するよ」
 女は、どうして少女の頃から、母親みたいな口の利き方をするのだろう。
「アタシが今夜は慰めてあげるって。どお?」
 その幼い眼差しに、そのアイシャドーは、濃すぎるぜ。
「ふうん。まだ、コドモだと思ってるんだね?」
 少女は口を尖らせる。
「アタシ、いろんなこと知ってるよ。試してみる?」
「じゃあ、相談に乗ってもらうかな」
 酔いが、俺の口を滑らかにする。
「女の口説き方?」
「そんなとこだ」
「あはは、おにいさん、女は口説いちゃ駄目だよ」
「?」
「何も言わないで抱きしめてキスするのさ」
 なるほどね。

 あいつの車の音が聞こえて、俺は慌ててハンバーガー屋を飛び出した。
 トレーラーハウスのドアの前で、酔って鍵を開けるのにもたつくあいつに追いついた。
 酒臭い。
 振り向いたあいつがよろめいたのでとっさに支えると、反対にドアに頭を押し付けられ
て、キスされた。
 物凄い、ウイスキーの匂い。
「何するんだ、お前、いくらなんでも飲みすぎだぞ。」
 あいつを引き剥がしたが、同じことだった。
 今度のは、強烈だった。

「何するんだ」奴は息を切らしていた。
「黙ってろ」
 俺は又何か言い返そうとする奴の唇をふさいだ。
 この味は、向かいのハンバーガー屋だな。安物のバーガーばっかり食ってねえで、たま
にはまともなモン、食ったらどうだ。
 一瞬後には殴られる、と思っていた。
 奴の拳が、みぞおちに来るか、顔に来るか。それとも肘で来るか、膝か?俺は頭の中で
シュミレーションを組み立てながら、奴にとても丁寧に、キスし続けた。今まで、どの女
にもしたことのないくらい。一秒でも長く、俺に「大丈夫か」と問うのを思い出さないよ
うに。

 舌の巧みな動きに、頭の中が白くなった。
 だが、何とかあいつの体を振りほどき、
「いいかげんにしろ!」
 と怒鳴って、頬に一発食らわせた。
 あいつは、ふと目が覚めたかのように
「ん?お前か?・・・参ったな。てっきりミカだと」
 と、よく回らぬ舌でほざいた。
 「ミ・・カ・・?」
 あいつは、フラフラと草の上に腰を下ろした。
「ああ、さっきな、街で拾ったんだ。まだコドモだけどよ、なかなかのテクニックだぜ」
「俺と、その女を間違えたって?」
「ああ、ここで待ち合わせだ。うん、お前とのこの続きは明日だ。俺がお前の家に行くか
ら待ってろよな」
「続き?」
「そうだ、絶対に待っててくれ」
「明日か」
「明日だ」
 あいつは目を開けるのも大儀そうに手をひらひらと振った。
「じゃあな」
 ホットパンツの少女がビールの缶を抱えて小走りに駆けてきた。
 ミカ、か。・・・全く、大酒くらって、女まで買って、元気なんじゃないか。
 まだ少し、キスの余韻でぼうっとしていた。意気込んでここに来た自分が、間抜けに思
えた。
 俺はバイクに跨った。それ以外、すべきことはないように思えた。

「はい、ご注文のビール」
 俺は、ミカを見上げた。目がかすみ、顔が良く見えなかった。
「すまねえ、急用を思い出した」
 約束が違うとカンカンのミカに相場の倍の金を握らせると、上機嫌になった。
「タクシーで帰れよ」
「明日、髪を染めに行く。ずっと欲しかったスカートも買うんだ」
 ミカの軽い足音が遠ざかるのを聞きながら、目を閉じて、俺に纏わりついた懐かしい匂
いを嗅いだ。ちきしょう、思い切り殴りやがって。だが最後のキスの数秒間、奴は抵抗せ
ず、ひくりと喉を震わせた。ちったあ可愛いとこ、あるじゃねえか。言っとくが、最後の
最後で逃げ切った俺の勝ちだぜ。続きが出来ないのが、ちょっと残念だがな。
 息を深く吸い込んでペンダントに触り、その昔、ちょっとは親しかった野郎の名を呼ん
だ。
 神様。
 命なんか十日もなくて構いません。三日に縮めてもらっていい。その代わり、敵の本部
に潜り込ませてくれ。俺に両親の仇を討たせてくれ。聞いてるのか、おい。これで最後だ
からな、もう金輪際、祈ってなんかやらねえ。
 明日、ミカは髪を染めて服を買う。
 奴は、嵌められたことに気付いて、油断のならないさりげない笑顔で俺を待ち構えてい
る。
 そして俺は、きっとクロスカラコルムにいる。
 俺がこのくらいで、へばるわけがない。

 自分のベッドに横になった。
 口の中にウイスキーの味が残っていた。
 あんなキスは初めてだった。されたこともしたこともなかった。思い出して、顔が火照っ
た。あんなキスをされたら、あいつに逆らえる女はいないだろう。皆、言うことをきいて
しまうだろう、と思った。
 ・・・あの繊細で微妙な舌の感触。直後のろれつの回らぬセリフ。
 頬から、熱がすうっと引いていった。思わず体を起こした。
 あいつは大して酔ってなんかいなかったんだ。
 あいつの狙いどおり、俺はまんまと自分の家に帰ってきてしまった。
 やられた。今度は悔しさで、体が火照る。
 気持ちとは裏腹に、急激に睡魔が襲ってきた。ここ数日の疲れが溜まっていた。
「覚えてろよ。」
 明日、絶対にあいつを逃がさない。絶対に誤魔化されない。
 明日こそ、必ず。

 あらゆる医者に連絡を取った。
 一週間か十日というあの医者の見立ては、間違っているかもしれないのだ。
 明日、なんとしてでも、彼に検査を受けてもらう。
 緊急手術も想定して、病院も確保した。うてる手は、全てうった。
 ・・・それにしても、さっきから何度目のため息だろう。
 暖炉のそばで、彼にチェスを教えたことがあった。捨て身で挑んでくる彼のチェスには
手を焼いた。きっと今も変わらない。だとすれば、検査も治療も拒否して、彼はチェック
メイトに向かっていくだろう。
 あの十字架が彼を守ってくれるように、神に祈った。
 赤々と燃える火の傍らで、ソファの上で、最先端の科学や一般教養を夜な夜な語って聞
かせたが、ひとつだけ、まだ言っていないことがあった。
 もはや私の手の届かぬところに行くであろう彼に、私は呟いた。
 お前を、深く愛している、と。


 THE END


Top  Library List