Basil

by KITT

「え?」
俺はスープを飲むのをやめて、目の前の女の赤い唇を見た。
「あなたはとても綺麗だと言ったのよ」
「俺が?」
驚いた。綺麗って言葉は奴のためにあるんだろ?
俺はよっぽどびっくりしていたらしい。女は光るイヤリングを揺らして笑った。
「もちろんよ。言われたことないの?」
「ないよ」(俺への褒め言葉っていやあ、『末恐ろしい』に決まってるだろ?)
スープに目を落として、口に運ぶことに専念する。
女はまだとりとめのないことをしゃべっているようだ。
奴の顔が浮かぶ。
この間まで、俺は奴のことを綺麗だなんて思っちゃいなかった。一緒に暮らす幼馴
染。一緒にいたずらをし、一緒にこっそり酒を飲み、たまには派手な殴り合いを少々。
俺は奴の顔を殴ることに少しも躊躇を感じなかった。
ところが最近はちょっと違う。奴の青い目はどんどん透明さを増してきて、俺を落ち
着かない気にさせる。一昨日の喧嘩の時も、奴のガラスみたいな瞳を正面から見た瞬
間に、柄にもなく俺の戦意は萎えちまった。
背を向けた俺に奴が言う、明るい声で言う。
「どうした、かかってこいよ。」
そりゃあ、奴は何でも的確に説明できるさ。俺は自分の気持ちをうまく説明するの
は苦手だ。
俺は黙り込む。長い付き合いだ、奴が何かに怒っているのがわかる。それが何
か、は俺にはわからない。分かるのはただ、聞いても無駄だって事だけ。でも、お
れはそういう時の奴を、とても綺麗だと感じる。

次の皿が運ばれてくる。ラムとローズマリーの香りが、俺の胃袋を締め付ける。ラ
タトウユ添えってのがいいよな。
「あなたは不思議な子ね」
(綺麗の次は不思議かい?)
「あなたのマナーは、その年にしちゃ上出来すぎるし、女に奢られるのに馴れすぎ
ているわ」
俺は2ヶ月前から週一回、街で夜を過ごしていいと許可をもらった。やたらとイライ
ラして荒れる俺を見かねたらしい。
街で、俺はひとつの法則を知った。レストランの前でメニューを眺めていると、女が
そばに立って「一人?」とささやくのだ。
(いや、男の時もあった。断った。もちろん、全然ない時もたまにはある。でも俺は
一人で飯を食うのは嫌いじゃない。)
そこで頷けば、食事のほかに、濃厚なデザートがついてくる。
俺はその法則を発見した時、うれしくなって奴に
「おい、レストランの前に立ってると女が降ってくるんだぜ」
とささやいた。訓練の後の上気した頬をさらに赤くした奴の顔ときたら。
でも、奴は体勢をすばやく建てなおし、俺に言った。
「あんまり強い印象を残すなよ。これから俺たちは大事な任務につくんだ、街中の
女と知り合いじゃあまずいだろ」
奴の顔ならよりどりみどりだってのに。
奴は街に出なかった。

ここの自家製のパンはうまい。このバジル入りは最高だ。いつもハーブが苦手だと
いう奴も、これなら気に入るかもしれない。
「いったい誰のことを考えているの?」
俺は女の目をまっすぐ見詰めて言う。
「あんたのことさ」
信じていない視線を投げてきた。
胃袋が満足のサインを送ってきたので、俺はようやく女の細部を観察できる。丹
念に手入れされたブロンド、確信を持って引かれたルージュ、赤く長い爪・・・。
この手の女はいつだって俺を満足させてくれる。それは記号のようなものだ。それ
以上、何か考えることがあるだろうか?

デザートには、フルーツのタルト。女は、太るからデザートはいらないといい、ワイ
ンを飲み続けている。
そういや昔、奴のマーマが少し元気だった時に、こういうタルトを作ってくれたこと
があった。奴は本当にうれしそうだった。無邪気に顔を輝かせて、俺を覗き込んだ。
「どう、おいしい?」
・・・ところが、昨日の奴ときたら!
N博士の部屋で、奴と博士が言い争っているのを偶然聞いてしまった。
「ですから事が実際に起こってからでは遅いと思いませんか?」
N博士は10日ほど前に、何者かに襲われた。偶然居合わせた俺と奴は、襲撃者から
何とか博士を守ることが出来た。
「それは君の直感かね」
「それなら」
奴はひやりとするような声で言った。
「証拠を出します。それで納得いただけたら僕の言い分を入れてくださいますね」
畳みかける奴の言葉に、博士は黙っている。
「よろしくお願いします。では失礼します。」
咄嗟に俺は、今ドアの前についたかのようにふるまった。
ドアが開く。
「おっと、俺はもうマッサージ終わったぜ。お前の番だ」
青く冷たい目が、話を聞いたかどうか、俺を値踏みしている。
「又寝ちまったのかい?」
そうなんだ、今度新しく入ったトレーナーのマッサージは最高で、俺はいつもよだれ
をたらして寝ちまうんだ。
「まあな」
「まったくのんきな奴だぜ」
安心したように肩をたたいて行ってしまった。
・・・りんごのタルトをほおばって、口の周りにいっぱいかけらをつけて笑ってた奴が、
どこでどうしたらこうなるんだろう。

ふと目をあげると、女はタバコに火を点けるところだった。
その仕草に、俺は目を奪われる。
あれは先週の女、ニコルだったか、リサだったか。
頭の中で何かがチリチリと音を立てた。
女が薄く笑って、タバコを差し出した。
その笑い方が、いかにも俺の若さを楽しんでいるようだったので、俺は思わず受け
取って、タバコなんか吸い慣れているかのように深く吸い込み、咳き込まないよう
気をつけて吐き出した。
「ガキの癖にあんまり色男ぶってると火傷するわよ」
?
がらりと変わった口調に、俺の頭の中のチリチリが大きくなる。
このブロンドは?
このブロンドがウェーブした赤毛に変わったら・・・眼鏡をかけたら・・・
先週の・・・リサだ!
「う・・・」
「口がうまく回らないのよね?」
「んんっ・・」
「大丈夫、ただの痺れ薬よ」
「・・・」
「あんた、どっかの組織の人間でしょ、あら、そう睨まないで。私たちプロからみた
ら、あんたが相当の訓練を受けてるってすぐわかるわ。その身のこなし、先週、私が
寝ているまにさっさと窓から逃げ出す身軽さ」
あら、皮肉じゃないのよ、とリサは妖艶に笑った。
「私を起こさずにベッドから抜け出るなんてね、大したものよ。ほめてあげる」
体はしびれて動けないのに、顔だけは赤くなる。
「だから、先輩として忠告に来てあげたの。あんまり調子に乗ってると・・・痛い目に
あうわよ。今日はこのまま見逃してあげる。あそこの席で私たちを見張ってるブラウ
ンヘアの坊やにも言っといてね、あんなきつい目で睨んでたら、バレバレだって。」
ブラウンヘアの坊や?
振り向くことが出来ない。奴が、ここに?
「あんたがどこの組織の人間だか知らないけど、今度会う時は、ひょっとしたら殺し
あわなくちゃいけないかもしれない」
「私はあんたを殺したくないわ」
リサは立ち上がってささやいた。まぶたが重くなる。
「だって、あんたは・・・ホントに綺麗だから。」
俺の髪に触れる。
「あんたのキスは最高だったわ。ううん、あの夜全て。」
すべての音が遠ざかっていく。
「末恐ろしい坊やよね」
そう、彼女は言っただろうか?俺の気のせいか?
もう体を支えていられない。奴が駆け寄るのを感じて、俺は安心して意識を失った。


目を開けると、ブルーの目が見えた。
「大丈夫か」
奴の目が、元通りの暖かさで微笑んでいる。
それはうれしいが、あの失態を見られたと思うと、体がかっと熱くなって、俺は壁の
ほうを向いてしまう。
「何であの店に来てたんだよ、俺をつけてたのか」
奴はくすくすわらっている。
「先週お前がつけて帰ってきた匂いに覚えがあったんでね」
え、お前、まさかリサと・・・?。
「何勘違いしてるんだ、10日前に博士を襲った奴の匂いさ。」
思わず跳ね起きて、奴の顔を見る。薬がまだ少し残っていて、頭が痛い。
奴は続ける。
「だからもう、街になんか出て女と食事なんか・・・」
「わかった、もう声かけてくる女の手にはのらない」
「そうか、わかってくれたんだな」
「女は俺が自分できっちり品定めする。顔もちゃんとよく見るようにする」
「何?ちっとも分かってないじゃないか!俺が言いたいのは・・・」
「大丈夫だって。来週からはうまくやるって」 
「お前、あれがただの痺れ薬で本当に運が良かっただけなんだぞ」
「うるせえな、気をつけるって言ってんのが聞こえねえのか」
ぁ、奴の瞳が又冷たく透き通っていく。やばい。
「お前が倒れた時、俺は・・・」
奴はうつむいた。俺のことをそんなに心配して・・・?
「これは、女がレジに残していったメモだ」
俺に顔を背けたまま、白い紙を差し出した。肩が震えている。
『Jへ。これは授業料よ。ここの支払いはよろしく。
 P.S. あの坊やにも今晩はごちそうしてあげなさいね』
顔を上げると、ふきだすのをこらえている奴の顔。
「俺が一応立て替えといたから、明日までにはきっちり払えよ」
奴はすばやくドアノブに手をかけた。枕を投げたが遅かった。奴の心底楽しそうな
笑い声と、メモに付いた領収書の金額が頭に響く。
俺は閉まったドアに向かって、ポケットでつぶれたバジルのパンを投げつけた。

end


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