Cinnamon

by KITT





「やあ、ハル、待っていたよ。ご苦労だったね」
N博士がいつもの口調で、でも、ちょっと安心したように、ワタシを書斎に招き
いれた。
「で、落としたりしなかっただろうね?」

ISOに勤め始めて半年。その日ワタシはN博士の秘書のひどくあわてた声で呼
び出されたの。
「ハル、悪いんだけど、今すぐN博士の別荘までこの包みを届けてちょうだい。」
N博士の別荘のひとつは、ここISOから車で30分ほどのところ。
「別荘にはISOのカードとパスワードがあれば入れるから、持っていくの忘れな
いでね。道はナビで分かるでしょ?私、今日中にどうしても仕上げなくちゃいけな
い書類があって、どうしても行けないの。」
絶対落としたりしないでよ、と何度も念を押された包みを助手席にそっと置いて、
車のエンジンをかける。
この包みは、一体なんだろ?
秘書があんなにあわてているのを見ると、これはよっぽど重要なものに違いないわ。
・・何かの重要機密?
あわてて辺りを見回す。深く考えずに引き受けてしまったんだけど、特に護衛が付
いたわけでもないしね。
護衛なんかが付いたら、「重要だ」って、宣伝しているようなものだから?
それとも、私は囮で、後から護衛付きで本物が来るの?
・・・でも、そんなことより、あのN博士の別荘を見てみたい。
N博士。世界屈指の優秀な頭脳を持ち、かつ温厚な紳士でありながら、ワタシの考え
の及びも付かぬほどのお金持ち。
その別荘よ。
一体どんな豪邸?ね、誰だって興味あるでしょう?こんなチャンスめったにないわ。
(あの、cute−Kにも会えるかもしれないし。)
海岸沿いの緩やかなカーブを走りながら、ウィンドウを少し開ける。
潮風と微かな春の空気が、気持ちイイ。ホント、ドライブ日和よねえ。

門をくぐって、玄関脇に車を止める。
・・・少しがっかり。確かに目に見えないセキュリティに、お金が使われているのは
ワカルけど、これじゃ大きいだけの「ただの」別荘じゃない?
玄関の呼び鈴を押すと、ボディガードのSさんがドアを開けた。
「落としたりしてないでしょうね」
第一声がこれ。
「大丈夫です」
そう答えながら足を踏み入れると、中はアップルパイのシナモンの香りでいっぱ
い!
「家政婦のMの自慢のパイです」
と、Sさんがぼそりとつぶやく。ワタシの考えなんてお見通しってわけ。ハイハイ。
「お、焼きあがったみたいだぜ」
声に振り返ると、KとJが階段の手すりにお尻をのっけて、見事なバランスで滑
り降りてくる。
「ハル、ちょうどいいとこにきたな、お前、見た目より勘がいいぞ。用が済ん
だら食ってけよ」
Jの髪と鼻の頭には小麦粉が付いている。手伝ったの?J。
「バニラアイスと一緒に食べると最高だよ」
K、あなたはお行儀よく見学タイプね。でも、いつ見ても、カワイイ。
「あ、Sの分も残しといてやるよ、安心しろ」
「今シーズン最後のMのアップルパイだからね」
もう春だもの、リンゴのシーズンも終わりよね。パイも作りづらいしね。
二人はあっという間に行ってしまった。
ISOではいつもは生意気なJの無邪気な笑顔に、ワタシは少し驚いた。そし
て、二人の背中を追うSさんの視線が、すっごく優しいってことにも。
でも、ワタシに向き直ったSさんは憎らしいくらいいつものSさん。
「ハル、書斎はこっちです」

「で、落としたりしなかっただろうね」
「大丈夫です」
その時、ワタシは気付いたの。
N博士の机の後ろのガラスケースに、同じ型の眼鏡が20個、いや30個・・?
「うむ、やはりこれでないと。」
包みを開けて満足げなN博士に、ワタシったらうっかり口を滑らせちゃった。
「他の眼鏡と、どこが違うんですか?」
「よく聞いてくれた、ハル、ここだよ。この鼻に当たる部分の微妙なカーブを
見たまえ。しかもこのレンズは最新型のもので、軽くて汚れが付きにくく、し
かもこの二重焦点・・」
気が遠くなりかけたワタシは、KとJを思い浮かべた。
あの笑顔を見て、ワタシ、気付いてしまった。二人がちょっと痛々しいと言って
いいくらいの何かを背負っているって。未だに二人が何者なのかはわからないん
だけど、日頃、年齢以上に背伸びして張り詰めている二人。でもこの香りの中で
だけ、素顔の「16歳」の笑顔を取り戻すのね。それは、結構危うい、ギリギリの
バランスなのかも。
ワタシは心の中で小さくため息をついた。
ワタシの分のアップルパイ、残してくれてるといいな。
「ハル?聞いているのかね?この金属部分こそが・・・」


THE END



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