Gorgonzola

by KITT

・・・・・。
ふとベッドの上に流れ込んできた風に、俺は目を覚ました。
まだ瞼が開かぬうちから、横で深く眠り込んでいるはずのチョコレートブラウンの髪
を探して、手が勝手に動き出す。

そこには微かなぬくもりのシーツだけで、俺はあわてて身を起こした。
玄関から、とぎれとぎれに奴の声が聞こえてくる。
「え?・・・を、ですか?・・事情は電話で連絡済み?わかりました・・。」
ドアの閉まる音。
「俺より先にお前が起きるなんて、珍しいこともあるもんだな」
伸びをしながら現れた俺を、奴の透き通るような冷たい青い目と、物珍しげに辺り
を見回す、もう1組の小さい青い目が出迎えた。奴が口を開いた。
「この子は何だ」
「?!・・お前こそなんでそんなガキかかえてんだ」
「今、女が来て、『よろしくお願いします』ってさ。」
「よろしく?俺は知らねえよ。何のことかさっぱりだ」
「もうこんなに大きいぞ、8キロはカタイぜ。よく今まで俺に黙って・・」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、落ち着けって。俺の子のわけがねえだろ」
「ここはお前の家だよな?今日1日だけやっとOFFになった俺たちは、ここでのん
びりする約束だったよな?そこに、『必要なものは全部この中です、急ぎますの
で』っていきなり赤ん坊を渡された俺の身にもなったらどうだ!」
瞳に青い炎を燃やした奴の剣幕に、赤ん坊は火が付いたように泣き出した。
「ほら、パパだぞ〜」
優しげな言葉とは裏腹に、奴は赤ん坊を俺に渡すとすばやく玄関にきびすを返し
た。
「待てよ、俺にどうしろって言うんだ」
「自分で考えるさ、パパだもんな」
後を追おうとしたが、危うくガウン1枚の自分の姿を思い出し、踏みとどまる。
ドアが閉まり、マンションの14階、モノトーンでまとめられた自慢のインテリアの中
に、俺は鼻水だらけの赤ん坊と取り残された。

必死の笑顔で「高い高い」を繰り返した甲斐あって、赤ん坊はようやく笑い、床に
座って俺のガウンの紐で遊んでいる。
(目は確かに青いけど・・・。)
髪はまだ薄く、頼りなげな細さで、これから何色になるのか見当も付かない。
以前関係した女たちを思い浮かべるが、どの顔も赤ん坊とは重ならない。
(ま、ベッドの中の顔が素顔とおんなじって保証もねえし・・。)
(子供を生んで育てようなんてタイプだけはパスしてきたつもりなんだが・・。)
メアリ、ルイーズ、ジル、クリス、ケリー、イライザ、アレックス・・。
「ほーお、心当たりが沢山おいでだな」
いつの間にか、声に出していたらしい。目を上げると奴がいた。
「アレックスは初耳だぞ」
「戻ってきてくれたのか!」
すがりつきたくなる。
「ちょっとドラッグストアに行ったからな」
ウィンク。
床に置いた荷物は、紙オムツ、粉ミルク、哺乳瓶1セット、おしゃぶり、ベビーフード
5種類!などなど。
「・・・すまねえ」
「店員のナオミに、お前のベビーを預かるからって相談したんだ。とりあえずこれく
らいあればなんとかなるってさ。」
「なにっ、ナオミに?」
「一番可愛かったからさ。あ、伝言があった。『子持ちだったの!?今度の約束は
キャンセルよ!』」
「俺があの娘を誘い出すのに、あの店でいくら使ったと・・」
「じゃ、しっかりやれよ。俺はこのソファで本でも読んでるから。ところで、いい加減
に着替えたらどうだ?」
それもそうだ、と立ち上がると、ガウンの紐が引っ張られ、それにつられて、座って
いた赤ん坊もコロン、と転がった。又、泣き出す。
「火の鳥!って声だな。」
奴はソファに寝転んで、本を片手に面白そうに笑う。
「とりあえず赤ん坊は見ててやるから着替えてこいよ。それからミルク用のお湯を
沸かして、ついでに俺のコーヒーも頼む。」
俺は言いたいことを全部飲み込んで、言われるままにした。
「哺乳瓶は消毒しなくていいから、よく洗って。お湯は50度に冷ます。」
振り返った俺から殺気を感じたのだろう。奴は続けた。
「やっぱり、全てにおいて先々を考えて行動しないとな。泣き出してからお湯沸か
しても遅いもんな、そうだろ、ジュ・ニ・ア〜?」
奴はやけに饒舌だ。しかもとっておきの天使のような顔で赤ん坊に微笑みかけ、
見事籠絡に成功した。そしてやたらと的確な指示を出してくる。
とりあえず全てをこなしてソファに座ろうとすると、またもや、リーダーの冷静な指
示。
「オムツ替えろよ。」
それだけは勘弁してくれ。
透き通った青い目でにらまれる。赤ん坊もぐずってきた。
「いいか、お前は今戦場にいる。人質は救出しなきゃならん、爆発物は処理しな
きゃならん、敵もわんさかいる。さて、お前ならどうする?」
「・・・とりあえず目の前の事態に集中して対処する。」
「そうだ。あまり先のことを考えすぎるのも禁物だ。今お前の目の前には爆発物が
ある。これを処理するのが最優先課題だ。」
・・・お前、さっきと、言ってることが微妙に違ってねえか?
「任務遂行中は雑念を払え!」
さっきから圧倒されてた俺は、気弱に従ってしまう。
後でこの時のことを何度も奴にからかわれる、声が裏返ってたと。
「女の子だ!」

5種類のベビーフードのうちの1つは何とか気に入ってもらえた。ミルクも飲ませ
た、オムツも替えた。もう寝てもいいんじゃねえか?
抱いてゆすって歩いていればおとなしくなるが、立ち止まると泣く。
「せめてあと15年後ならキス1つでご機嫌を直しちまえるのに」
奴はソファで無言のまま本を読み続けている。
「おい、交代しろよ」
その時、ドアのチャイムが鳴った。
「来たか」
奴は軽やかに身を起こして、ドアホンをとる。
「・・ええ、いますよ。はい、今行きます」
俺からひょいと赤ん坊を取り上げて、玄関に向かう。俺も後からついていく。
ドアを開けると、エプロン姿の初老の品のいい婦人が立っていた。
「先ほどお電話を頂いた、託児所の・・・」(電話?誰が?)
「びっくりなさったでしょう?」と、奴。(お前、道理でさっきいないと思ったら電話な
んか掛けてたのか・・!)
「そうなんですよ、朝一番で『預かってほしい』って電話があったきり、来ないんで
すもの、心配しましたわ。教えていただいた携帯の番号は通じないし。」
「あのお母さん、部屋を間違えたんですね、随分慌ててましたからね。」
「じゃ、私が確かにお預かりしますわ。ほら、いらっしゃい!あら、眠くてぐずってる
のね。ひょっとして、あなた方お二人で世話を!?」
「ええ、こいつは、すごく赤ん坊好きだから。返したくないかも。」
!!
にこやかに婦人は赤ん坊と去っていった。

俺は、ソファに長い足を投げ出してくつろぐ奴に向かって言った。
「さてと。お前、俺に何か言うことがあるだろう」
「ん?そういや昼も近いし、腹が減ったな。」
「最初から全部わかっていやがったんだな?」
「そりゃ、預けに来た女の人を見て、一目でお前の子じゃないってわかったさ。上
の子が交通事故で手術だって言うから、2人の子持ちか。とにかくどう見たってお
前好みの顔じゃないし。」
思い出してククッと笑う。
「で、俺をあんなにこき使ったのか」
「困っている善良な市民を救ってどこが悪い。情報をまとめて解決のために指示を
出すのがリーダーの使命だ。それをサポートするのがサブだろ?」
「それでこんなアンチョコまで読んでたわけだ」
俺はテーブルに置かれた本のカバーを外して、奴に放り投げた。
『パパも安心・初めての育児』
「敵を知り、攻略すべく・・ドラッグストアに行く時に確かめたのさ。この部屋は1403
だろ?403号室には、ビンゴ!Asakumaって名前の託児所だ。」
「そこまで分かってて・・何でだ!」
「何で?・・何でって、うーん、今日は何故か早く目が覚めちまってさ。お前はよく
寝てるし、なんかヒマだな・・って。」
・・・・。
言葉を返す気力もない。
床には、オムツその他のベビーグッズが散乱し、俺の大事なクリスタル製のチェス
セットは、無残な姿をさらしている。テーブルにはベビーフードがべっとり、お気に
入りのチェアにはミルクのしみが付いている。
「これが片付くまでは、当分女は連れ込めないな。」
奴は楽しそうにいう。
「お前と違って、こんなもん、直ぐに片付けるさ」
急に腹が減ってきた。今日、俺はまだ何も食ってないんだった。
「一時休戦だ。ドラッグストアの横に新しいパスタ屋ができてたな、食べに行くか」
「そこの、ゴルゴンゾーラのパスタはいけるそうだよ」
「ナオミに聞いたな、お前こそ油断も隙もありゃしないぜ。」
「なあ、お前どうしてそう次々と女に声をかけるんだ?」
奴は心底不思議そうに言う。いまさら、何言ってやがる。
「昨日寝言で、ナオミのほかに、リンダまで出てきたぞ」
しまった。
そうだなあ、なんで次々声をかけちまうのかな。
ドアの鍵を閉めて、抜けるような青空を見る。
本能と・・・使命感、かなぁ。
THE END


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