by KITT


 その顔は、男にも女にも見える。
眉はきりりとした線で意志の強さを表していたが、睫毛は濃く長く、瞼を閉じていると、
その震える睫毛は、この睫毛の主を保護してやらねばならぬような気を起こさせる。
だが、ひとたび瞼を開ければ、その睫毛に縁取られた目には迷いがなく、同時に冷たく澄
んでいて、さっきまではかなげに揺れていた睫毛までが、一筋縄では行かぬ強かさを示し
ているようにも見える。
 そして時折瞳の奥にちらちらと走る、本人も気付かぬ狡さの煌きのようなものが、彼の
顔に彩りを添えている。
 どうして私が床の上で、こうしてベッドの彼の寝顔なんか眺める羽目になってしまった
のか。

 先週、私はこのトレーラーハウスを中古で買った。煩わしい近所なしに、一人でくつろ
ぎたかったのだ。
だが昨晩、この「我が家」に帰って明かりを点けると、若い男がベッドに座っていた。
 思わず身構える私に、彼は屈託のない笑顔を見せた。
「あんたが買ったのか」
「そうだが・・・一体・・・・どうやって入ったんだ」
「合鍵を持っていたのさ」
「合鍵?」
「無用心だな。これを買った後に鍵を換えなかっただろ」
 図星だ。いろんな手続きに思ったより費用がかかり、鍵を換えるような金は残っていな
かった。ここ1年必死で貯めたあの金だけには手をつけたくなかった。
 頭を掻いた私をおかしそうに見つめ、一呼吸おいて
「ここの前の持ち主と知り合いだったんだ」
 彼は狭い部屋の中でその友人を探す眼差しになった。
「そうか、それは奇遇だな。でもこれは売りに出ていて、私が買ったんだ。もう合鍵で入
って欲しくないね」
 私は持てる限りの年上らしい威厳をかき集めて言った。
 この青年が、痩せてはいるがなかなかの筋肉の持ち主であることに気がついたからだ。
 どうやって出て行ってもらえばよいのだ。腕ずくでは駄目だ、説得か。
 しかし、彼の次の言葉を聞いて、私は自分の威厳などというものがどんなに無力である
かを思い知らされた。
「腹が・・・へったな」
 その口調は、今まで望むことを他人に断られたことがないという自信に溢れていて、私
をほんの一瞬ひるませた。
 彼はそれを見逃さなかった。ネコが、鋭い爪と歯を持っていながら、相手の胸元にひそ
やかに滑り込んでくるように。
「俺は食べ物に関しちゃうるさいことは言わないぜ、ただ、ここで食べたいんだ」
 彼はベッドに転がり、枕元の雑誌を手にとった。
「ホットドッグでも、ハンバーガーでも。ビールの銘柄にもこだわらない」
 外には24時間営業のハンバーガー・ショップがあった。
「早く行かないと、酒屋は閉まるぜ」
 気が付くと、私は財布を握り締めて、夜風に吹かれていた。

 たかがビールとはいえ、沢山飲めば酔いも回る。
 誰かと取りとめもない話をしながら飲んだのは、随分と久しぶりだった。
 バスケットボールのスター選手の移籍。最近封切られた話題の映画、ヒットチャートに
顔を出した10年前の曲。海底の遺跡。期待の特効薬。A社とB社の突然の合併。カリドン
の新しい時計ブランド。ベストセラー7巻目の結末。彼はどれも一通り良く知っていた。
しかし本当の興味は抱いていないように見えた。私も、特定の話題に深入りしたくなかっ
たが。
 彼の目は、時々私でない誰かを見ていた。
 彼には、素晴らしく晴れやかに笑う瞬間があった。そして次の瞬間に相手が「私」であ
ることに気付き、戸惑い、礼儀正しい微笑を浮かべて相槌をうった。私は気付かないふり
をした。
 しばらくすると、彼は缶を片手に寝入ってしまった。私はその手からそっと缶を取り上
げて、しばらくその整った顔立ちを眺めていた。
 その顔は、男にも女にも見える。
「抱いてもいいんだぜ」
「?!・・・起きていたのか」
「そんなに長いこと見詰められると目が覚める」
 彼は目をつぶったまま言った。
「だから、抱いてもいいんだぜ、別に構わないぜ、あんたがその気なら」
 私は乾いた笑い声をたてた。冗談だと思っていたから。
「それを言うなら、抱いてくれ、って頼むもんじゃないのか」
「そっちの言い方がよければ幾らでも言ってやるぜ。
 抱いてくれ。抱いてくれよ。
 これで満足か?たいした違いはない。あとはただヤルだけのことさ」
「・・・本気か?この私を相手にか?」
 私は、彼の口元に一筋の髪が張り付いているのを人差し指でのけた。
 彼は目を開けて私をまっすぐに見つめ、次に頬に視線を移した。
「火傷か」
「いや、ミサイルの破片だ」
「戦争に巻き込まれたのか」
「そうだ…でもこの戦争でケガの後遺症に悩む人はごまんといる。私の整形手術の順番な
んかは、まだまだ回ってこないのさ。お前のような顔の持ち主にはわからんだろうが。」
 酔いも手伝って、私は珍しく感情的になった。
「お前のその青い瞳で見詰められりゃあ、どんな女だって言うなりだろう。いや、女のほ
うから誘ってくるだろう。その綺麗な顔でどんな望みだって・・・」
「もし・・・のなら、こんな顔、剥ぎ取ってやるぜ」
 私の正面で、突然青い瞳はぎらぎらと炎を放った。
「もし、あいつに又会えるのなら」
 彼は確かにそう言った。
「こんな顔、何の価値もないさ」
 彼は吐き捨てるように言い、その唐突な激しさに圧倒されて、私はもごもごと言った。
「あいつ・・・ってここの持ち主だった・・・?」
 馬鹿なことを言った。後悔した。
 沈黙。
 彼の腕が伸びてきて、指が、私の頬の傷跡を静かになぞった。
 そして、滑らかでひんやりした唇がゆるやかにそれを追いかけていった。

「俺が殺した」
 と、言っていた。
「あの時、殴ってでも、引きずってでも病院に連れて行けばよかった」
 とも言った。
「あそこでミスをするような奴じゃなかった」
 と。

 目覚めると、彼は朝焼けの中で翳り無く笑っていた。
 その翳りの無さからは、とても昨晩の彼を想像することが出来ない。
「ここに、私が住んでいていいのか」
「俺が売れと言った」
 毅然とした横顔。
「皆は反対した。あいつの思い出だと。帰るところだと。でも俺が強引に売った」
 他人に命令し慣れた顔。振り返らず、常に前向きの決断を選択してきた顔。
 その顔を一晩とはいえ剥ぎ取ったのは、このトレーラーハウスのベッドだったから。
「なのに合鍵だけはずっと持ち歩いていた。このトレーラーハウスを見かけたとたん、中
に入ってしまった」
 彼の頬を少年の表情が掠めた。
 ポケットからゆっくり合鍵を取り出してテーブルに置いた。
「もう1ランク上の鍵に換えたほうがいいな。こんな程度なら、合鍵なんか無くったって
入れる」
 昨晩の彼とのギャップが、彼の傷の深さを物語っていた。表面はもう治っている。
 いつまでもじくじくと痛むのは、皮膚の奥深くだ。
「寝顔は天使なのに手癖は悪そうだな」
「天使?よく言われるぜ」
 彼のその笑顔は痛いほど、隙がなかった。
 その鎧のような笑顔をこじ開けることの出来る合鍵は、今はもうない。
 ここの、元の持ち主以外は。

 THE END


顔


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