清く正しく美しく!

                       by 少佐



ガッチャマンに見るエロチシズムの有罪性
  ★何故ガッチャマンなのか、我々がガッチャマンを描く理由

「ジョー、俺を置いて行け」
「うるさい、黙ってろ」
 退路を断たれた戦場で傷を負った健を見捨てることの出来ないジョー。
「リーダーの命令だ、任務を遂行しろ」
「命令違反なら慣れてるさ、始末書を書く」
 追い詰められた極限状態の中でさえ、決して怯むことのない不敵な唇、
それでも頑なリーダーは言う、
「俺の命令が聞けなのか!」
 拒絶を許さないきついブルー、
「健・・・」
 ギリギリの感情、思いの丈の抱擁・・・・・、

 その昔、KEN&JOEストーリーが私たちの前に姿を現し始めた頃、二人のイケ
ナイ胸騒ぎを掻き立てられるような危ない関係にえもいわれぬ感動を覚えたもの
だ。

「死ぬなよ、健。俺が戻って来るまで必ず生きてろ」
 断ち切るように背ける背中、
 健・・・・・、
 胸に刻印される熱い感覚、目眩のようなブルー、

ところが・・・・、その味をしめて「もっと、もっと」とイケナイ感動を求めた結果、ワク
ワクと楽しめた感動は、やがてドロドロとした不快感へと変わっていった。
 過激すぎるファックシーンによる悪酔い状態である。最初のうちは新鮮さと控え
めで遠慮がちなそのシーンにドキドキしたのが、ポルノ雑誌顔負けの大胆で写実
的過ぎる描写、メロドラマ紛いのストーリー、服を着た2人の挿絵が1枚もない小
説などが氾濫し始め、やたら女っぽくなった健や、柔でリーマンなジョーが現れ出
したのも重なって、いよいよ不快指数は増し、今にして正しい健とジョーの関係とい
うものが恋しくなった。(中略)

 ワープロ機のフロッピーを整理していたらこんなファイルがみつかった。これは、
かの同人時代の健とジョーの変遷を嘆き、「正しい健とジョーの関係」と題して、本
来の正しいガッチャマンの色気とは何であるか!を綴ったものだったらしい(いい
加減・・・)おそらく以前紹介させてもらった「ジョージ・アサクラという男」と共に「完
璧に健を愛する方法」「ガッチャマンに見る至上の純愛性」などとシリーズ(爆)で
書いたものだろうと記憶しているが・・・定かではない。
 しかし、当時の嘆きに任せて綴った文章に、今、こうして芽を吹き返したように、
いや、不死鳥が甦ったようにネット界に華々しく甦った我々のガッチャワールドの
原動力たるものを感じずにはいられないのである。
今回はこの考察(そんな大それたものではないが)から「我々がガッチャマンを書
く(描く)理由」について少し触れてみたいと思う。


抜粋「正しい健とジョーの関係について」より
●その1:深く静かに相手を理解していなければならない
    「僕のことは放っておいて!」ではなく「しつこい奴は嫌いだぜ」

「ジョー、」
話もそこそこに部屋を出ようとするジョーの肩を、健の手が掴んだ。
「俺は俺のやり方でやる。おまえに迷惑はかけねぇよ」
 振り払った健の手は、やけに冷たかった。絡まった思いつめた視線がジョーを引
き止める。しかし、
「健、今度だけは譲れねぇ、好きにさせてくれ」
 背を向けたジョーに取り残される健の感情。俯いた額にブルネットが深い影を落
とした。
「そうか、わかった・・・、だが・・・」
 言葉を切った健にジョーの瞳が振り返る。
「危なくなったら、必ず俺を呼べ」
 青い瞳が真っ直ぐにジョーを見て言った。
 健・・・・、
 声に出せずにジョーはその名を呼んだ。

●その2:美しい男たちには捨てきれない過去が良く似合う。
「怖いんだ・・・ジョー、抱いてくれよ」ではなく「寝酒にバーボンでもやるか?」

「眠れないのか?」
「ああ・・・、だが、起きていても夢を見る」
「悪い夢なら、さっさと忘れることだ」

 たった2つの例では解りづらいかもしれないが、「僕のことは放っておいて!」と
「怖いんだ・・・ジョー、抱いてくれよ」が同人ボーイズ系で「しつこい奴は嫌いだぜ」
と「寝酒にバーボンでもやるか?」が、私が考える正しい健とジョーの台詞だ・・・と
これは置いておいて。 健とジョーの関係・・・もとい、色気というものは決して、「そ
のもの」の描写の中にあるのではない。そりゃ、抱きあった彼らも素敵だが、付か
ず離れず、その関係が清く?正しければ正しいほど、ますます彼らは色気を増して
我々の前に存在してしまうような気がする。

 その1の例から、健に肩を掴まれて振り返ったジョーの瞳の、深いPrussian Blue
の色気を我々は容易に想像することが出来るし、肩越しの視線に伴った身体の線
は、ダークブロンドの髪が絡んだ首筋から胸、腰にかけて妖艶な曲線を描いてい
るだろうことも知っている。
 振り払った健の手の冷たさに一瞬ビクッと震える指、“ウッ”とその唇から低く洩
れる声はエクスタシー。
 危なくなったら、必ず俺を呼べ・・・・、健の言葉に驚き見開かれた瞳が、次には
静かに閉じられ、俯く彼の横顔が額に落ちた前髪の作り出す陰影を受けて、より
深くその輪郭を描き出す。そして、乾いた唇が微かに動いて健の名を噛み締める
姿に、ナイーブなジョーの感情があからさまに伝わってきた時には『ううううっ・・・
悦い!!』(悶絶)ということになりかねない。
 極めつけには、振り切るように健に踵を返すジョーのTシャツの貼り付いた背中、
という具合である。嫌というほどの色気をそこに感じてしまうのは邪道だろうか?
 だが、このイケナイ見方こそがガッチャマンにおける崇高なエロチシズムの楽し
み方であり、正しい色気の感じ方ではないだろうか? そして事も無げに感じさせ
てしまうところがガッチャマンのガッチャマンたる凄さなのである。
 ここに挙げた例は本編とは無関係なストーリーだが、誰もが容易に描き出せるシ
ーンであるのは、それだけ想像力を巡らせることの出来る本編があるからだ。しか
し、その本編とて、決してしっかり組み立てられたストーリーや几帳面なキャラクタ
ー設定があったわけではない。勿論アダルトでもない。にも拘らず、我々は見たこ
ともない健の煙草を燻らすシーンとか、シャワールームのジョーを描き出してしま
えるのは(決して腐女子故ではない)アニメという世界で最大限の魅力を発揮する
“画”、すなわち健、ジョーの容姿が持つ魅力だったことに他ならない。そして、そ
れを満足させるに十分な色気だった。
 台詞や演出、全てがそのため(彼らの色気を引き出す)の手段だったと言っても
私は過言ではないと思っている。ほんの些細な指の動きや、目線の位置にもドギ
マギしたのはきっと私だけではなかっただろう。
 我々は視覚で彼らを感じ、煩悩(本能)のままによりその存在を拡大させ、無限
にその先、未来、或いは過去を創造することに思考を費やす破目となる。そうして
TVやビデオで散々訓練された脳細胞の中は、いつとはなしにその思考を巡らせ、
強く美しく、せつないエロチシズムな幻影を親切に作り出してくれる。
 そして、大人しくしていればいいものを、どうしても産み出してしまいたくなり、持
てる限りの文章力、或いは画力を頼りに苦悩の時間と戦い、未熟さによる自己悲
観を酒で紛らわせ、挫折に躓きながら、いつ辿り着くともしれない“完成”或いは
“エンドマーク”への、とてつもなく長い道程を行くことになる。
 こうして、彼らの魅力に取り憑かれた者たちの、苦しくも喜びに満ちた夜はいつ
までも終わらないのだ。
 ガッチャマンに見るエロチシズム、それは、きっと罪と呼ぶに相応しい。


と、まぁこんなふうに締め括ってあったのだが・・・・いかがなものだろうか?
 とはいうものの、やっぱりHシーン「見たい!」「読みたい!」「書(描)きたい!」
と思うのが腐女子(と若干名の腐男子)の本心。
 その欲望をすっきり満足させてくれるのが、我らがさゆりさんのフィクだ。(うっ
わ!失言か? ゴメンナサイ。突然何を言い出すのやら>自分)
 彼女のストーリーは限りなく本編に近い。アウトサイドストーリーとしても十分通
る作品だと思う。我々がかつて渇望しながらも描ききれなかった、本編の延長線
を見事に描き出してくれる。
 それは今まで出会ったどのタイプの作品とも違う。思えばおかしな話だ、どのタイ
プにも属さない作品が一番ガッチャマンしているというのも・・・・、彼女は当時の同
人時代を体験していないという、それは不幸にして最大の幸運だったろう・・・我々
にとっても彼女にとっても。
 だが、本編を彷彿とさせる彼女の描くガッチャワールドは決して類似品ではな
い。常に新しい健とジョーを我々に披露してくれる。とても魅力的で新鮮だ。
 ハードボイルド、クール、サスペンス、そしてエロティック!彼女自身が言うように
多彩に織り込まれている。決して結末が読めない。陳腐な想像などスルリと躱され
る。「うーん、そう来るか!」とパソコンの前で唸ること幾多。
 しかし、唸ってばかりではない、「ああぁーーーー!」「悦い!」「うっっ・・・」
「ええっ!」「おお!」と、感動の“あいうえお”の連発だ。彼女の発想は人並み外
れている。それを才能と一言で言うのは容易い。だが、彼女はそれ以上に勉強家
で研究熱心だと思う。それはフィクの中に見られる様々な専門知識であり、シャー
プでウエットな情感表現だ。
ストーリーを書く者が資料収集をするのは当然のとこだが、彼女にプラスアルファさ
れるのはその比類ない探求心だとも言える。「何事もやってみなければ気が済ま
ない」彼女の体験や経験は最大の武器だ。それを巧みに操り腐女子の心を掴ん
でしまう、だが、彼女の手腕はそれだけでは留まらない、最も驚くべきことはことも
あろうか、禁断のHシーンが事も無げに描かれているところだ。いや、言い方が不
味いとお叱りを受けるかもしれないが、違和感がないと言おうか、むしろ・・・・当然
あって然るべき日常・・・としてなんの不自然もなく描かれている。
 それはHシーンそのものが重要な意味を待たないという点だろうか? あくまで
ハードボイルドのスパイス的役割に徹している。(当時の同人はそのシーンをなん
とか正当化しようとする嫌いがあった。そのためややこしいメロドラマに仕上がって
しまったことがしばしばだったが・・・・書きたいものは素直に書け! 言い訳のよう
なまどろっこしいストーリーをこじつけて、自分のスケベ心をごまかすな!と・・・こ
の意見は、さゆりさんにも同感していただけると思っています)
 しかし、いくらスパイスといっても腐女子にとって、これは主材料のミートより、と
っても美味しい存在だったりするのは否定できない。だが、初読みが「BLACK &
WHITE」だった方たちの中には、その後出会った「18禁」で、「なんで!」との驚愕
の声を耳にしたこともあり、昨今、いくらボーイズに慣れ親しんでるとはいえ、なん
で健とジョーが・・・・とパニックに陥るのも尤もな話だ。勿論、私にとっても強烈なイ
ンパクトがあった。それは、あまりの彼らの実在感に戸惑ってしまったせいだろう。
(かえって当時の同人の方がスラッと読み過ごせたかもしれない)が、そんな尻込
み(笑)も皆たぶん3日と続きはしなかったことだろう(爆)しっかり魅せられてしま
ったのである。
 想像力豊かな夢見る腐女子の心をしっかりと掴んだ魔法の呪文のような文章、
彼女が仕掛けるのは的確な描写でも、状況説明でもない。たった1行の文節、た
った一言の台詞に含まれる媚薬だ。酔わされた者たちの行き着く先は・・・・完璧
なエクスタシーであることはご承知のとおりだ。
そしてその限りない想像(妄想)の世界を、生の健とジョーで楽しめる・・・・これは
最大の魅力だ!! 全編をとおして彼女の文章には、TV画面そのままの健とジョ
ーの画像が浮かんでくる。台詞を喋る声も然り。(他の作品ではこうはいかない、
文章を読んで想像するのは各自の脳細胞なのだから、ガッチャマンの話なら当
然、TV画面の彼らの姿が浮かんできそうなものだが、不思議なことにそう上手く
はいかない)だから、あーんなこともして欲しかった、こーんなこともして欲しかった
と本編で満たされなかった欲望が、彼女の手によってまったく新しい感動と共に満
たされるのだ。勿論、前述の「正しい色気の感じ方」を十二分に踏まえたテクニック
を存分に発揮してくれる。ガッチャファンにとってこれ以上の幸せが他にあるだろう
か。
そして彼女は健ファンだそうだ、だから強くて強くて強い健が作品の基本だ。しか
し、その強さの中に垣間見る彼の少年性、好奇心や、危うさと時として儚いまでの
ナイーブな感情に、私は参ってしまう。そしてその美貌と悩ましい色気だ。(健に比
べてジョーの扱いに些か欲求不満(笑)気味のジョーファンの声を聞かないでもな
いが、それは同じ健ファンとして許容の範囲としようと思う)
彼女の凄さはキャラクターの実在感にある。彼女の書く健とジョーはまさに我々の
欲望そのままの健とジョーだ。我々は彼らを待っていた。長い狂おしい夜に悶えな
がら・・・、

 が・・・、しかし、
皆さん、考えてみて下さい。さゆりさんのように情熱的で、萌えるイマジネーション
(創作意欲)は私たち、あなたたちの心の片隅にも眠っているのではないでしょう
か・・・・、
 ガッチャマンを描くのに「腕」はいらない!情熱と愛があればいい!!!さぁ、そ
このあなた! あなたは、キーボードかペンタブか、色鉛筆か? 今こそ苦悩の夜
を皆で分かち合おうではありませんか!!!



 それにしても、健全な子供向けアニメのガッチャマンが、なぜこういったスパイス
を含む作品に発展するのか、まったくもって魔可不思議であると感じると同時に、
至極当然であると思えるのは、我らの健とジョーの美しさ故だ。
前述が一般人で、後述が我々の発想として代弁しておこう。



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