Breathe Episode 3 < AEGIS >

by もも

Episode 3-1


「惚けたって無駄だぜ」
ジョーの低い声がゆっくりとそう言い、そして次の瞬間、長い向こう脛が健の足を払った。
訓練を重ね、戦いの中で研ぎ澄ましたその疾さを防ぎ切る者は滅多にいないが、無論、健
はその例外的な存在であるはずだった。
(TABOO!/鷲尾さゆり)

**

戦局は、次第に混迷の色を増していた。叩いても、叩いても、敵は尽きることなく涌いて
出るかのようだった。否応無く、健の" 覆面部隊 "としての出動頻度も上がって行き、偏
頭痛の発症もそれに比例するように増えていった。数ヶ月置きだったものが、数週間置き
になり、一週間と間を置かなくなっていた。手足に突然力が入らなくなる。遠近感を、平衡
感覚を消失する。時間を置けば回復するが、それは、一瞬後のときもあれば、数時間後
のこともある。
やがては、元に戻らなくなくなるときが来るのだろうか。
心の奥底に次第に深く、焦燥が澱のように溜まって行った。
あの諸刃の剣を振るう人間は、自分で最後にしなければならない。そのためにはこの戦い
を一刻も早く終わらせなければならない。
南部や他のメンバーはまだ気付いていない。ジョーは、健の異変には気付いているが、そ
れをハイパー・シュートと結びつけては、まだ、いないようだった。
その日、健は南部に呼び出され、ISO長官の執務室に居た。磨き上げられた円卓に見慣
れた自分の顔が映っていた。異変は表面上の変化を齎すものでは無かった。それだけは
有難かった。
メンバーの目前で、異変を悟られるような現象が起こったら、最後だ。と、健は祈るように
瞳を閉じる。何も起こさない。ここでは、何も起こさない。
やがて、南部が入って来た。そして、その後ろからジョーが、少々忙しなく駆け込んできた。

「まずは事務連絡からだが」
ジョーが席に付くと同時に、南部が口を切った。
「人間ドックを受診してもらう。これは諸君たちに関わらず、ISO関連の業務に従事し
ている者、全員に課せられる義務的なものだ。二人とも、明日と明後日はオフィス・ワー
クの筈だね?」
「はい」
「では、明日の午前9時にISO病院の受付に行き給え。書類一式はこのミーティングの
後、渡す」
ジョーの表情が、面倒臭え、と歪んだ。
「今日、明日は、暴飲暴食は慎むように」
人間ドックってどんな検査をするんだ、と表情を固めたまま、考えていた。検査結果の数
字になって現れてくるような不調が、今の自分にあっただろうか。
「他の3人はもう受診済みだ。リーダー、サブ・リーダーがサボタージュするなどという
ことは、許されない。分かっているね」
ジョーのため息。健は、意識的に、苦笑して見せた。

「事務連絡は以上だ。次は戦闘方法に関する指令だ。ハイパー・シュートを、今後、私か
ら許可が下りるまで、使用しないこと」
「何ですって?」
執務室に、健の声だけが妙に反響した。
「あれを、現在の頻度で使用し続けることは、私は許可できない。人体を含む周辺環境へ
の影響が未知数だ。何が起こるか分からない。危険すぎる」
「しかし、あれが無いと戦えません」
「バード・ミサイル他、個々のメカの武器を、もっと有効利用し給え。ハイパー・シュー
トは必殺技だ、最終手段なのだ。健。軍との連携も含め、我々の戦闘方法には考慮の余地
が大きい」
「国連軍だの、国防軍だの、さっぱり役に立た無え。そもそも俺たちが武装しなきゃな
らなくなったのも、だからじゃないんですか?」
ジョーが嗤う。
「うろちょろされると、返って、邪魔になるだけだ。なあ、健」
「辛辣かもしれませんが、ジョーの言う通りです。長官もご存じのはず。今年に入ってから、
俺たちはどの戦闘でも必ず軍と行動を共にしていますが、役に立ったのは…」
「xx空軍基地第7航空隊とは3度行動を共にしているね?」
ジョーが、え?という顔を健にして見せた。なんだソレ。
「ニケですか…」
「彼らは、課せられた任務を完璧に遂行し、かつ無傷で帰還しているね」
「ニケは、俺たち、いやISOからはロケーション的に遠すぎます。無理です」
軍も縄張り意識の強い組織だ。ISOには健たちが居ると思っているからなのだろうか。
しばしば援護に訪れる最寄の空軍は(陸軍も)、表現は悪いが時間稼ぎにもならないでいた。
「これは、決定事項だ。彼らが、ここに移転することになったのだ」
健もジョーも、瞠目して南部を視た。ジョーの唇のほうが、先に皮肉に綻んだ。
「よく、あちらさんが" うん "と言いましたね」
「xx空軍基地の課題だった、F国国境の制空権はあのミッションで完全に抑えた。そして
現在、ISOは科学と情報の事実上の最前線だ。戦闘の様相も旧態依然とした陣取りで
だけは無くなっている。情報の奪い合い、叩き合いだ」
「ISOの開発力と情報力の守りにニケを、と」
「ISOだけではない、軍や各機関、我々の陣容全てのだ」
「仰ることは、分かります。ただ、驚いただけで…、まさか…」
「受け入れ側の準備は既に急ピッチで進められている。彼らも第一陣が来週早々にも移転
してくる。…仲良くするように」
最後の一言は咬んで含めるようだった。ジョーが、肩を竦めた。俺らはいいけど、あちら
さんのほうがいろいろ気に喰わねえことがあるんじゃねえの?
「一つ、質問があります」
「何だね」
「彼らへの指揮系統はどうなるんですか?彼らだけ近くに居ても、頭が余所にいて足下が
見えないのではお話になりません」
「彼らに指示を出すのは、私だ」
よくあちらさんが" うん "と言いましたね、とも言えないくらい意外だった。
ニケ、傭兵に成り下がる…。
「ただ、私に軍隊方式でやれと言われても無理なのでね、実際には、私の指示以降は、ラ
イズ大佐が全指揮権を掌握することになる」
「ライズ中佐、では?」
訂正してから気付いた。南部がこの手の間違いを犯すことはあり得ない。
「大佐、だ。ここに駐屯するのを承諾するかわりに、自分と部下の足場はがっちり固めた
ようだね」
つい先日、中佐に昇格したばかりじゃないか、とジョーと顔を見合わせた。
「ま、兎に角、だ」
南部はテーブルに肘を付き、指を絡めて、ジョーと健を代わる代わるに凝視つめながら繰
り返した。
「大人の分別を持って、くれぐれも、仲良くするように…」


Episode 3-2


朝、7時前に南部からの電話に叩き起こされた。健の医療スタッフが程無く車で乗り付け
るからその指示に従えと言う。電話を切った途端に、ドアがノックされ、南部の電話で聞
いたばかりの名を名乗られた。この連携プレーの余りの隙の無さに、さすがの健も捕まっ
た。本当は、人間ドックを受診する気など、毛頭無かったのだ。昨日のうちに逃げておく
んだった、と臍を噛んだときはスタッフの車に乗せられていた。
車はISOの病院ではなく、研究所の車寄せに付けられた。
南部が何も気付いていないと思っていたのが、甘かったのだろう。
検査項目も、いわゆる、人間ドックの検査内容とは明らかに異なるものだった。全身の組
織サンプルを取られながら、MRIで頭の天辺から爪先まで輪切りにされながら…。薄グ
レーのスタッフ達に引き回されながら、ただ空虚だった。検査終了を告げられたときには、
頭も躰も泥のようだった。宿舎まで送ると言われたが、いっそ歩いて帰りたいと思い、断
った。研究所から出ると、もう暗くなっていた。丸1日、検査に費やされていたわけだ。
改めて、疲労感と脱力感が襲ってきた。結果はいつ出るのだろう。一体、どうなるのだろ
う。
研究所からの並木道を、ふわふわと歩いた。黄昏時の頼りない光は樹影を濃くするばかり
で、足下は闇だった。
携帯電話をオンにした。伝言が2件。1件目はジョーからで、俺の躰は正常稼働してるよ
うだぜ、まあ、元気ってことらしい、などと、お馴染みのシニカルな調子だった。もう1
件は、南部。検査結果は数日内に出るので、それまで待機しているように、というものだ
った。
待機、か。と口の中で繰り返した。
俺はもう要らないってことか、と先ず思った。
その次に、呼び出しが来たら最後、一歩も退くものか、と思った。
ハイパー・シュートは、誰にも渡さない。

我知らず、長い溜息を吐いていた。
薄ら寒かった。迎えの車が慌ただしかったので、上着を忘れていたのだった。走って帰る
か、と思ったその時、追い抜いていったはずの軍用車が急停車し、勢い良くバックしてき
た。窓が開いて、やっぱり、という声が飛んできた。
「ユーリ。…どうした?」
ISOにしょっちゅう来ているはずなのに、どこにいるのか不思議に見掛けない。顔を合
わせたのは久しぶりだった。
「昨日、G2と一緒に来たの。また暫くこっちの仕事。乗ってくでしょ?」
健が少々しょぼくれていても、気が付かない。それが返って心地良かった。周囲の労り
が疎ましく、そう思う自分を一層疎ましく感じていた。悪循環だった。
車に乗り込んだ途端、嗅ぎ慣れない香りが健の鼻孔を擽った。鼻を蠢かす。
「あ、臭い?臭いよね。窓開けてよ。でも寒いか。健、Tシャツ一枚だもんね」
「いや。臭くはないぜ…。どうしたんだ?」
それは、淡い淡い麝香の香りだった。
「中佐とアレックスがさ、トシもひとつ食ったし、階級も上がったんだから、この匂いの
似合うようなヤツになれって、呉れたんだけど…」
「匂いじゃなくて、香りだろう」
くすっと笑う。リサが選んだのだろう。アレックスではあり得ないから。
「せっかくだからと思って、使っちゃいるんだけど、何か臭くて」
「お前、ちょっと東洋系入っててエキゾチックだから、似合ってるぜ」
「似合う?これが?」
くんくんと鼻を鳴らしている。これがかあ、と呟いている。似合ってる、と重ねて言うと、
辛抱してれば慣れるかなあ、とかぶつぶつ言っている。
「今くらいに、淡〜く、幽かに香らせるのがいい。いい恋人が射落とせる」
「こいびと、か」
「お前なら居るだろう。ガールフレンドのひとりやふたり」
「居ないよ。大学からこっち、ずっと年上ばっかりだもん。それも一歳や二歳じゃないか
らさ、俺なんかいっつも子供扱いだよ」
「それも、そうか」
「健は?」
「俺?」
「ニケのみんながね、健はモテるって言ってたよ」
ニケのみんなねえ、と健は思った。この場合、ライズは入っていないだろう。
「俺ってモテるのか」
「老若男女問わずにウケるタイプなんだって」
よく言われるが、嬉しく無い。要するに八方美人ということだから。
「俺なんぞより、大佐がモテるんじゃないのか。ハンサムだし、御曹司だし」
「大佐がモテるのは、肩書きと写真だけなんだって」
「なんだ、それ」
「だから、肩書きと写真ではいくらでも寄ってくるんだけど、それだけなんだって。あっ
という間なんだって。なんでだろうね?」
「なんで、って。そりゃ、お前」
お愛想一つ無いどころか、にこりともしないのだろう。しかも仕事の虫だから、連絡も取
れやしないのだ。いくら計算高い女でも、それでは辛すぎるだろう。
「聞いてみたら、大佐は笑ってたけど」
「お前、大佐本人に聞いたのか」
トシをとっても階級が上がっても天然は天然。脱力した笑いが込み上げた。
「そうだよ。大佐は聞いたことにはちゃんと答えてくれるもん。航空機の構造とか航空力
学とか、すっごく詳しく教えてくれる」
女の話しと、航空力学と、同レベルの話題らしい。
「大佐にイヤな顔されたりとか、怒られたりとかしないのか」
されても、気付いていないのかもしれないが。
「無いよ。忙しいからあとで、っていうのはあるけど。…俺、なんかヘン?」
「ヘンっていうか、変わってる…って言われないか?」
「言われる。ニケのみんなは何かハラハラしてるし、アレックスなんてびっくりしてオロ
オロしてるし。何でだろう」
「噂では、彼は相当に恐いってことになってるぜ」
どんな我儘も無理強いも通らないことはない、とまで聞いている。
「そうかなあ。俺なんかが相手でも、誤魔化したり絶対しない。きっちり話ししてくれる。
優しい人だと思うんだけど」
こいつにとっては、ちゃんと話しをしてくれる人はいい人、なわけだ。オダの判断には先
入観を始めとする他からの影響は、介入しないらしい。
「今度、ニケがうちに常駐することになったんだぜ」
「聞いてる。楽しみだね」
健は相槌が打てず、ただ微笑した。ニケが健や南部にとって、勝利の守護女神になるか、
獅子身中の虫になるか、未だ分からない。
「健は大佐と仲良いんでしょう?大佐は健のこと、褒めてたよ」
これには驚いた。と同時に、揺すぶられるような寂しさが湧いた。
「大佐が知る中ではトップのパイロットだって。引き抜きたかったんだって」
副隊長からの転籍話しは、隊長との根回し済みだったらしい。あのままうやむやにしてい
たのだが、オダの話しを聞く限り、ニケは健を諦めたのだ。
ふと、こいつニケの話しばかりしているな、と思った。ISOでの単独の仕事が多い中、
所属は違っても同じ軍の人間が近くに居ると、心強いのだろうか。
「ISOでの仕事、辛いか?」
「長官の要求がシビアだから難しい。でも、大丈夫だよ」
「どこで作業をしてるんだ。庁舎じゃないだろう?」
オダがぐっと口を噤んだ。畜生、どうしたって、最高機密がらみだ。
「お前ひとりでやってるのか?リサには詳細を報告しているのか?」
「ここでの仕事は長官が俺の上官に相当する。中佐には報告義務は無いんだ」
無いというより、してはいけないんだろう、と健は言いかけて止めた。ここで、こんなこ
とを言い募って、オダひとり追いつめても何にもならない。
「辛い、と本当に思ったら、信用できる誰かにちゃんと相談するんだぞ。リサでも、アレ
ックスでも…」
最高機密に関わって行く内に、壊れてしまった人間は何人でも居る。
「心配しないで。俺、どうにかやれてるから」
薬物中毒、アルコール中毒、あらゆる心因性の病気、誰しも最初からそうなりたいと思っ
ているわけはない。幾度となく口にした、そんな仕事は辞めてしまえ、の台詞が、この時
も喉までせり上がって来た。しかし言葉にできなかった。長く息をついて、天井を見上げ
た。血糖値の下がりすぎだよな。
「健、どうしたの?…気持ち悪い?」
ハザードが明滅し、車が道路脇に寄せられた。
「どうしたって臭いもん。この匂いのせいだよね。窓開けるから…」
星二つのオリーブ・グリーンの上着が、健に乗せられた。寒くない?
「臭くないって、似合ってるって」
「無理しなくていいよ。顔色悪いよ。吐きそうだって、顔に書いてあるよ」
これもう止める、とまた口を噤んでしまった。だから、そうじゃなくて…。
肩に腕を回して引き寄せた。健?と唇が動いて、整った歯列がちらりと覗いた。
「止めなくて良い。似合ってる。何度も同じコト言わせるな」
そのまま唇に触れかけて、危うく留まった。
現在、ISOと軍とは表面上は蜜月だが、従来通り関係は複雑だ。腹の探り合いは続いて
いる。オダは軍の人間だ。寄りによって情報関係の。しかも、こうは見えても凄腕の。一
体、何を。俺はどうかしている。
そんな、健の思惑などまったく知らず、オダの腕が動いて健の首に回された。
中途半端に伸びた前髪が、額から目蓋に流れ落ちるのが見えた。
怖々と本当に軽く、ほんの少し触っただけ。一瞬後には、黒い瞳が驚愕と後悔との色を湛
えて沈んでいた。狼狽えたように、腕を解き、俯いた。
「…ユーリ」
堪らなかった。思わず、顎を掴んで無理矢理に仰のけさせ、唇を唇で覆った。
もっと抱き締めようと力を入れた腕に、指が遠慮がちに掛けられた。

どうかしている。どうかしている。と、心臓が拍動していた。


Episode 3-3


部屋に帰り着いたときには、日はもうとっぷりと暮れていた。街灯と宿舎の門灯の灯りが
部屋に入り込み、ぼうっと窓辺を照らしていた。
ベッドに並んで座って、接吻ける。タイを緩めながら、背に腕を回し、ゆっくりと押し倒
す。細絹の黒髪が、真っ白のシーツに扇のように広がった。
耳朶から頬にキス。タイを引き抜き、シャツの首元の釦を外す、二番目、三番目…。頬か
ら首筋にキス。腕の中の躰が、堅く堅く強ばっていくのが分かった。

「ユーリ」
健の声に一層の緊張を強いられ息が止まる。
額に掛かった前髪を一房ずつ摘み揚げ、人差し指で眉と眉との間を撫でた。
「駄目だよ。眉間に縦皺寄せて、歯を食い縛ってたんじゃ、何にもできない」
睫が、まだ緊張したままうっすらと開けられた。健は肘を付いて体を起こし、ベッドに座
り直した。体を捻ってオダの肩先を抱き、引き起こして額に軽くキスした。早鐘の心臓の
音までもが、響いてくる気がした。
「何もしない」
鼻先が触れるくらい近く。吐息を感じるくらい近く。
「何もしないから」
夜のしじまがすり抜けるくらい遠く。空気の冷たさが伝わってくるくらい遠く。
「…無理するな。俺が恐いんだろう?」
瞳に心細げな色が宿り、しかし、しっかりと首が横に振られた。
「そんな顔するなって」
「…ごめんなさい」
糸が切れた。くたくたと健に凭れ掛かった。
白い白い首筋が健の目を射た。耳元に、吐息だけで囁かれた。
「ごめんなさい。…大好きだから…」
「…分かってる…」
思うよりも、抱き締める腕に力が入っていった。

何の抑圧も鬱屈も知らない、無限に自由なこころとからだ。このまま離さないでいたら、
そのまま我が物にできるような気がしていた。
すこやかに、のびやかに。そう、ただ、たったそれだけ…。

**

虚ろだった。
ひとり、仰向けにベッドに転がり、額に手の甲を当てて息も潜める。
ひとりで帰る、と言うオダを接吻で送り出した。車が滑り出して、宿舎と宿舎の間にテー
ルランプの赤色が吸い込まれるまで見送った。
馬鹿なことをした、と思っていた。車で最初に唇が掠ったとき、軽くキスひとつ返して、
頭でも撫でておけば良かったのだ。そうすれば、終わったのに。

急に、ノックの音が響いた。
「よう。どうした、灯りも点けねえで」
ジョーだった。天井の蛍光灯がぱっと点った。
ベッドから起きあがる気力など、どこにも無かった。
「へばってんじゃねえか」
くすっと笑っているらしい。
「検査、検査で引き回されて、草臥れた」
「そうかい。結果は?」
「まだ分からない。近いうちに連絡寄越すってさ」
ジョーが星二つの上着を椅子の背から持ち上げて、怪訝そうにしている。
「星二つで、細身で、この香りとくれば、天然のだな」
「ああ。帰りに会ってさ。送ってもらったんだ。寒かったら借りたんだが…。
香りで分かるってのはさすがだな」
「当たり前だ。香水くらい嗅ぎ分けられなくてどうする」
上着返すの忘れたな、と思った。返さなきゃな、とも思った。顔を合わせるのか…。
ジョーは、上着を椅子の背に丁寧に伸ばして掛け、健のベッド脇に腰掛けた。
「オダは、やつはいい子だよな。俺でも、和んじまう」
何を言い出すつもりか、応えずにおいた。
「昨日まで任務一緒にやってたんだが、腕も本物だ。あの長官までもがけっこうアテにし
てるようだし」
なあ、健、とジョーも天井を見上げた。
「やつはあんなふうに見えても、俺らなんかよりよっぽどしっかりしてるぜ。ちゃんと見
たまま聞いたまま、判断には一分の狂いも無え。リサやアレックスも付いてる。しかも、
近頃は女神サマにまでいたく目を掛けてもらってる」
健はごそりと寝返りを打ち、ジョーに背中を向けた。
「ISOで長官直下でひとりっきりでやってる、ってのは俺も気になったし、お前もそう
なんだろうがよ、情が移るほど深入りするな。大佐は明朝こっちに入るってこった。軍の
人間のことは軍の人間に任せておけ。カエサルのものはカエサルに、ってな」
「深入りなんてしてないぜ」
くすんだ白壁の疵の数を、思わず数えた。
「俺にはロクな例えができねえが…。なら、健、長官に天然を撃てと命令されたら、撃て
るか?」
目を瞑った。
「撃つさ。長官に命令されれば」
命令は絶対だと、染みついている。スコープごしに、振り返って、微笑んで、その唇が
" 健 "と紡がれるのが見えても。瞑った眦に涙が滲んだ。ジョー…。
「本当にロクでも無い例え話だぜ。俺たちの敵は、軍じゃない。長官がやつを撃てなんて、
俺たちに言うわけがない」
「それはそうかもしれねえが」
「お前、天然にまで焼き餅かよ」
「馬鹿野郎。心配してんだ、俺は」
ほらよ、とジョーが健の目の前に太いリボンを巻いたようなものを置いた。オリーブ・グ
リーンのネクタイだった。
「ベッドの横ちょに落ちてたぜ。こいつも、返しておけよ」
息も継げず、顔をシーツに埋めた。
「最初に言っただろうが。天然は、やつは本当にいい子だ。俺たちのことなんか何も知らな
い、美人のお袋さんと、財界名士の親父さんのいる、普通の子なんだ。分かってるよな?」
「ああ。分かってる」
住む世界が違うのだ。そして、それは、お互いに不可侵なのだ。
「分かってりゃいいさ。俺たちは、その上で、やつらと仲良くやれりゃいいんだ。長官の言う
ように」
素直に肯とは言えなかった。
分かってはいる。同じ命がけの戦いの中に居ても、職業軍人と自分達は違うのだ。健たち
にとって戦いは生活そのもの、人生そのものに他ならない。
「お前が、そんなことでふらふらするなんて、らしくないぜ」
ジョーの言葉の余韻は優しかった。そして、哀しかった。

健の足下で、確乎として久遠の筈だった大地が、急に頼りなく揺らぎ始めていた。


Episode 3-4


" 長官 "になってから、南部の表情は沈鬱さを増した。一番の親友、そして養い子のひと
りを喪って勝ち得たあの平和も、かけがえの無い頭脳を喪って得たあの平和も、長続きは
しなかった。南部は、今また戦争の中にいた。
南部の最愛の養い子たちも、また、ともに戦争の中にいた。

その日、健を前にして、南部はいつにも増して重い口調で切り出した。
「健、君の体は、ハイパー・シュートには耐えられない。今後、あれを使い続けたときに、
君の体がどう変化していくか、私にも予測が付かない。最悪の場合には、命に関わること
にも成り兼ねない」
健は、来るべきものが来たと息を呑んだ。覚悟は出来ていた。
「私は、ハイパー・シュートを、ジョーに任せたいと考えている」
冷静を保たなくてはならない。相手は世界に冠たる科学者なのだ。
「俺で駄目なものが、何故ジョーなら良いんですか?」
「ジョーの体は、心肺等の主要な臓器を始め、神経系も、サイバーとして強化されている。
生身の人間よりも、遙かにタフだ」
「ジョーだって体の全てが強化されているわけではありません。どんな影響が出るのか、
やはり未知数であることに変わりはありません。お言葉を返すようですが、長官のおっし
ゃる通りにしても、解決にはならないと思います」
南部は、健の顔をじっと見詰めた。健は静かだった。昔はもっと直情的だった。大人にな
ったと思った。一方で、変わっていないとも思った。言い出したら、梃子でも動かない。
「俺の体だって、これからどんどん悪くなると決まったわけではないんでしょう?ハイパ
ー・シュートの影響度合いの研究も進むでしょうし、治療方法の研究も進むでしょう。俺
にやらせてください」
ジョーは一度、命を引き替えにしている、今度は俺の番なんです。と健は南部に頭を下げ
た。お願いします。
南部は直ぐには応えなかった。しかし、健は、南部が自分の思う通りにやらせてくれると
分かっていた。南部の弱さも優しさも、健はよく知っていた。
「健。君の言うことは分かった。ただし、約束してくれ給え」
ありがとうございます、と一礼しかけて、健は南部を凝視したまま停まった。
「今後、ハイパー・シュートは私の許可が降りるまで使用してはならない。以前も話した
ように、戦闘方法の見直しを早急に行い給え。良いね」
と、ノックの音が響き、長官秘書のひとりが顔を覗かせた。
「噂をすれば、だな。こちらに通してくれ給え」
ニケの第一陣がライズに率いられて、この日ISO入りしたのだった。
整備班等、支援のチームは既にISO入りしており、鴨技術長の采配で調整に入っている。
喧嘩腰の怒鳴り合いに近いやりとりが、あちらこちらで飛び交っていた。ISOも軍も、
真剣勝負だった。
あの規則正しい靴音。健は、円卓の下で脚を組み替えた。
「長官。参りました」
顔を合わせたのは、あのパーティー以来だった。
ライズは、無表情のまま、南部に薦められた席に着き、帽子を傍らに置いた。

「到着早々、呼び立てて済まないね。知っている者同士なので、紹介は省かせてもらうよ。
早速だが、最近とみに増加している、ISO狙いの攻撃に対する迎撃方法の件で、摺り合
わせをしておきたいのだが」
「我々の仕事は、これまで2度、一緒にやらせて貰ったときと基本的には同じということ
ですね。特殊メカ以外の対手に対する迎撃。或いは、" 彼ら "に対する援護。何にしても、
本日只今より、我々は長官の指示で動きます」
声の抑揚も無い。眉ひとつ動かさない。相変わらず、心中の読めない男だった。
「君がそれで納得しているなら構わないが、何か言っておきたい事はあるかね」
ライズが南部を一瞥した。
「前口上をお許しいただけるということならば」
南部がライズを見詰め直した。
「ISOの尖兵として出撃することはやぶさかではありませんが、俺も部下の生死には責
任のある身です。ニケに犬死にはさせません」
健は反射的に組んでいた脚を解いた。膝と腹に、力が入った。
「それは、無論のことだ」
南部は健を目で制し、静かに応えた。
「無論のこと、ですか」
ライズは小首を傾げて見せた。
「長官と俺とでは、戦闘に対する取り組みが根本的に異なるように思っています。俺は部
下を消耗品としては捉えてはいません」
健の腰が浮いた。南部はそれをまた、目で制した。
「その言い様は聞き捨てならないね。どういうことかね。説明し給え」
「以前の任務で、長官配下のシークレット・ソルジャーの援護をしましたが、彼らには女
性やティーン・エイジャーの存在もあったと報告を受けています。
旧弊的と言われても、セクハラと言われても、俺は女性があのような特殊任務に就くのは
嫌いです。子供に刃物を持たせるなどということは論外です」
健が前のめりになっていくのを、南部は、今度は手で制した。
「さらに、特殊メカに留めを刺したのは、ISO製の生化学兵器なのでしょうが、あれだけ
の威力のあるものを、生身の人間に抜き身で使用させるなど、これもまた論外です。ニ
ケに、そのような仕事は、俺がさせません」
南部の制止を振り切って、健の我慢が吹っ飛んだ。
「違う。あれは!」
「G1。掛けなさい」
健が叫ぶのと、南部が、いつになく強い調子で叱責するのと、同時だった。
「俺が長官に申し上げたいことは、以上です」
激昂する健など眼中に無い様子で、ライズは南部に視線を据えた。
「相分かった。今の申し出に異存はない。君たちには非常に期待をしている。よろしく頼
むよ」
南部のこの言葉を合図に、ライズが腰を上げた。その横顔に健が叫んだ。
「いくらあなたでも、長官を侮辱することは、俺が許さない…。あれは、長官の指示では
なく、俺が勝手にやったことなんだ…」
南部の叱声が健を制していた。しかし、届かなかった。
「ほう」
やっと、健を見た。ライズの目が細められた。
「君が、勝手に、ね」
瞬間、冷水を浴びせられたような気がした。しまった。
「耳や目がまともな者なら気が付くこと。最高機密なら、もうすこし用心されたほうが良
い」
失敬、とライズは南部に一礼し、さっさと部屋を後にした。
健は拳を握り締めた。唇を、血が滲むほど噛み締めた。
「…申し訳ありません」
怒りと後悔で、体が震えた。
「済んだことだ。仕方がない」
南部は、眼鏡を外してガラスを拭った。
「大佐の誘導尋問だったんですね。俺がキレると分かっててやったんだ」
「そうだ。あれは、ニケを、さらには軍を、易々と盾代わりにはさせないという、私に対
する威嚇だ。君たちの正体を知っている、というね」
「長官に対する威嚇、ですか」
「うむ。ニケを捨て石にしようものなら、ジュンや甚平にまで何が起こるか分からない、
というわけだ」
南部が、ふっと微笑した。
「いや、彼が味方でよかったね」
「笑い事ではありません」
自己嫌悪に顔が歪む。
「恐いくらいの人間でなければ、この状況だ、頼むに足らないよ。それにしても、彼は特
別な訓練を積んだ人物では無いはずだが、あの若さで、あの軍の中で、よく…」
彼は、君やジョーとふたつ違いだったね?と南部はまた微笑する。
「彼は馬鹿ではない。今のパフォーマンスはあくまで私に対する牽制に過ぎない。健、変
に拘るのではない。いいね」
「はい」
南部が、良いと言うのなら良いのだ、とそれでも自分の迂闊さに腹が立った。
「今日、ここでの話しは、一切、ジョーには内密にしておくとしよう」
南部が椅子を立った。
「健、君は私との約束を忘れないように」

ハイパー・シュートは、南部からの許可が無い限り、使用してはならない。

健は、はい、と頷いた。


Episode 3-5


長官室を後にした途端、どっと疲労感に襲われた。体の不調を数字として突きつけられた
のが、予想以上に堪えていた。頭痛だの腹痛だのの、今まではどうということの無かった
症状が、皮膚が破れて血の流れる重傷よりも、健を不安にさせていた。自分の体が見えな
いところで壊れて行く。恐かった。
と、ISOの表玄関に、オリーブ・グリーンの軍服の後ろ姿があった。もう帰ったんじゃない
のか。何処かに立ち寄りでもしたのだろうか。そんなことはどうでもいい、南部は拘るなと
言っていたが、健は南部や他のメンバー達に負い目を感じずにはいられなかった。
自分だけならいい。ジュンや甚平に、もし、万が一何かあったら。

「ライズ大佐」
ガラスの回転ドアに吸い込まれて行く。車に乗り込まれたら面倒だ。健はホールを駆け抜
けた。
「大佐」
ライズは階段を下りかけて、途中の踊り場で振り返って停まった。
「待ってください。話しが…」

突然。足が止まった。上半身が泳いだ。健にとっては全てがスローモーションだった。普
通に走ってきて階段を駆け下りる、子供でも当たり前の動作だった。
それなのに、急に根でも生えたように、足が全く上がらなくなった。
空、向かいのビル、街路樹、と紙芝居のように景色が流れた。シルバーメタリックの高級
車と脇に立つ若い下士官が、ストップ・モーションで最後だった。
衝撃は殆ど無かった。健の目線が見下ろす先を、空軍章の付いた帽子が転がっていった。
派手なラインの上に星3ツの肩章がすぐそこにあった。
「何か用か」
耳元で声がした。目線を真横に動かすと、プラチナ・ブロンドが見えた。胸から腹にかけ
ての圧迫感と体温。ひんやりとしたジンジャーの香り。
我に返った。体を起こそうとしたが、足に力が入らない。嫌な汗が額に滲む。
今日はジョーもISOにいるはず。よりによって、表玄関のど真ん中で、いつまでもべっ
たりくっついているわけにはいかない。顔から火が出る。どうして。何故。と思ううちに、
膝が萎えて体が傾いだ。
「G1?」
珍しく語尾が上がっていたが、答えられなかった。ライズの左腕に力が入って、健の体を
受け止めて支える。青い空。上天気だった。なぜ、と叫びが小さく口を衝いた。次の瞬間、
肩に担ぎ上げられて体が浮かび上がった。オリーブ・グリーンの背中と、階段を下りてい
く靴の踵。数秒後、ライズの腕に縋り、胸に凭れて立っていた。頭に血が上ったのと、羞
恥とで頬が上気していた。
「足をヤっているのか?傷みはあるのか?」
これだけ立て続けに語尾が上がるのは初めてだ。でも、何も答えられない。
下士官が二人、両脇から健を抱え、丁寧に後部座席に座らせた。

車がスタートした。エンジン音も殆ど無い静かな車中で、健は溜息した。
「申し訳ありませんでした」
足の感触が戻っていくのを確かめる。脚を組んだ。もう、いつも通りだった。
「何か用があったのだろう」
こちらも、何も無かったかのように、無表情。
「俺に鉄砲玉でも仕込みに来たのか」
冗談なのかどうなのか分からない。
「大佐こそ、俺たちにミサイルを撃ち込みたいんじゃないんですか」
「そんなことをして、俺にどんな得がある。君たちにはいつまでも元気で、負け知らずで
いてもらわないと困る」
「でも、さっきは…」
「俺が個人的に長官の遣り方が気に喰わないだけだ。どうハッタリをかまそうかと思って
いたんだが、君が同席していたので、あの次第になった」
「俺が居たからですか?」
また溜息。やっぱり俺の自爆だったんだな。情け無い。
「あれだけ一緒に飛んでいれば、どういう性格かは見当が付く」
ふっとライズが目を細めた。直感的、直情的…。瞬間湯沸かし器、単細胞…。
「長官は俺ごときが吠えても、痛くも痒くも無いだろう。痛みは無さそうだな」
急に話題が足に戻った。健は、大丈夫です、と脚を組み直した。
「俺が慌てていただけです。どうってことないです」
「君の今日のこれからの仕事は?」
「オフィス・ワークです。特に何も」
「なら、丁度良い。今、鴨技術長と整備マニュアルの見直しをしているんだが、うちの人
間のいじったそっちの機と、そっちの整備班がいじったこっちの機の試乗をやらなきゃ
ならない。手伝ってくれ」
「こっちのテスト機に俺が乗ってみて、どんな感じかってことで良いんですね」
「そうだ、うちの機には俺が乗る。どうせならギリギリのところで飛ばしてみたいからな」
ライズが携帯を取り出した。鴨に直通したらしい。
−G1と俺とで試乗する。スタンバイ頼む。
あの、表情の無い瞳が、一瞬だけ、楽しげな光を帯びた。

**

「先ず、君が行け。俺が付いていく。途中で交代だ」
「了解」
短い遣り取りの後、コックピットに潜り込んだ。
操縦桿さえ握れば、健からは憂鬱も哀しみも消え去って行く。三度の飯より、飛ぶのが好
き。命と同じくらい、大空が大事。さらに、ライズが相手なら、何をどれだけやるのも自由
だ。ライズ機を振り返って右手を挙げる。ライズも軽く頷いて片手を上げて応えた。
ゆっくりとステアリングを切って、滑走路に向かった。

離陸から、緩やかに上昇。感触はいつも通りで何の違和感も無い。ニケの整備班なら間違
い無いよな、と微笑が湧いた。頼もしいバックが増えたわけだ。
−絶好調です。そろそろ行きましょうか。
−了解。
オダを呼んでやれば喜んだろうな、と思った。急上昇から急降下。大きく反転して超低空
飛行…。ライズ機はぴったり付いてくる。振り切れるか?とスピードをアップする。
−G1、無茶すんな。
鴨の声が挟まった。
−構わん。行け。
ライズ。
頭の上に格納庫群が浮いている。足下に雲が遊び、肩先に水平線が拡がる。

途中で、隊長機を交代した。ライズが急旋回して、健の機を追い抜いて行った。速い。
リベンジか。負けるものか。
ずん、と体が沈むような感覚があった。刹那的な動揺の後、それでも隊長機から数フィー
トを飛んでいた。隊長機から盛んに通信が入る。急上昇から、反転。妙だった。霞が掛か
っているようだった。隊長機の声が遠ざかる。なぜ、なぜ、と心臓が騒いだ。マイクロ秒、
ミリ秒の遅れが、マッハの世界では命取りになる。陸上の鴨は気付いていないだろう。し
かし、隊長機には。ニケのエースには…。
−G1、着陸だ。お互い、整備上の問題は何ら無さそうだな。
そう、整備上の問題は…。

健がのろのろとコックピットから這い出すと、ヘルメットを抱えたライズがそこに待って
いた。色の殆ど無い、薄グレーの瞳に、なぜか苛立ちだけがあった。俺はどんなツラをし
て突っ立っているんだろう、と健は思った。泣きそうな?放心した?もしかしたら笑って?
「ご苦労だった」
ライズは、いつもの無表情に戻って踵を返した。
「いくら君でも、食い付きが良すぎるとは思った。俺のハッタリは図星だったわけだ」
「…はい」
ニケからの誘いはもう二度と無いな、と冗談まじりの自嘲が湧いた。
「長官はご存じか。医者にはかかっているんだな」
「はい」
たった数ヶ月。しかし、現実だった。
「自分の体も守れないようなやつが、生き抜いて、勝ち続けられると思うなよ」
「俺には、こんな生き方しかできないんです」
ライズが立ち止まって振り返った。
「甘えるな。自分で自分の退路を断つな、と言って居るんだ」
声音に、再び苛つきが混ざり始めていた。
大佐、あなたの言うことは正しい。健は涙をやっと堪えた。でも。
「あなたには分からない。何の苦労も無く、欲しいものはみんな手に入って、遣りたいこ
とを全部やって、いつだって約束された将来があって、そんな人には俺たちのことなんか、
分かりっこない」
捲し立てながら、醜悪だ、と自己嫌悪ばかりが募った。吐き気を催す位だった。
相手は峻厳で鳴る鬼隊長だ。さあ、怒鳴れよ、殴れよ、それでスッキリできる。

しかし、健に向けられたのは、寂しげな眼差しだけだった。
「昼飯どきだ。行くぞ」
翼を折ってしまった猛禽への、哀れみだったのか、悲しみだったのか。

神さま、俺はもう、飛べないのですか…。


Episode 3-6


健たち忍者隊の出撃の頻度は、確実に上がって行った。敵の攻撃は、散在した小競り合い
から、主要なポイントに的を絞ったものに明らかに変化していた。
ISOもまた、そのターゲットだった。
南部はハイパー・シュートの使用許可を下そうとしない。敵を駆逐するまでに要する時間
が、余りにもかかりすぎる。健の苛立ちは限界まで募ってきていた。敵も、ハイパー・シ
ュートの無い戦闘に次第に慣れていき、戦局は苦しくなるばかりだった。
ニケが健たちと遠征できたのは、ほんの1,2回だけ。もはや、ニケはISO基地の守り
の要で、事実上、動けなくなっていた。健たちの不在の間を狙って、大きく開けた海岸線
からの襲撃をしばしば受けるようになっていた。ニケが先制の迎撃を、健たちが帰還する
まで一手に引き受ける。ニケの出撃頻度も、出撃機数も、上がっていくばかりだった。

ハイパー・シュートを使わないでいるからか、健の症状の悪化は止まっていた。しかし、
それに何の意味があるというのか、と健は沈む。俺がどうにか生き長らえることで、その
せいで犠牲が増えるなら、人が人を直接手に掛けるよりも、ずっとずっと罪深い。
ジョーや他のメンバーたちは、ハイパー・シュートを健に使用させぬよう、南部に厳命さ
れているらしい。こと、この件に関しては、盲目的に頑固だった。

その朝、健はライズに呼び出されて飛行司令室の会議室に向かっていた。迎撃シミュレー
ションのシステムの摺り合わせをするらしい。敵の来襲パターンが多すぎて、データが茫
漠すぎ、さすがのオダが煮詰まってしまった。ISOの区域での実戦歴は、どうしても健や
ジョーのほうが多い。二人の頭の中から、データを引き出す算段なのだった。

健が4F会議室の前に立ったのは、指定時間より大部早めだった。ドアをノックしようと
して、低い話し声に気が付いた。耳を澄ませると、オダだった。ふっと微笑して、ノブに
手を掛けて、そのまま膠着した。
−最高機密に属する話しを、携帯電話なんかにしてこないで下さい。こんなメディア、下
手すると筒抜けなんですから。…ですから、その話しは長官を必ず通してください。…技
術的に可能・不可能の問題じゃありません…。
入らないほうがよさそうだな、と壁に貼り付いたまま、腕を組んだ。
−改良版だのなんだの言われても、俺は医者でも科学者でもない。しかも外部の人間なん
です。ただの情報システム要員なんです。長官に…。
健の眉根が寄った。なんの話しだ。音を立てず、ドアをすり抜けた。窓辺でオダの後ろ姿
が俯いていた。
跫音を消したまま、背後に近づいて、携帯電話を抜き取った。耳に当てる。
オダが驚いて伸ばした手を、掴んで制した。
−改良版のための、データが大至急必要なのだ。君の手に掛かれば直ぐだろう。今、君が
そんな頑ななことを言っていると、その分戦争が長引いて犠牲者も増えるのだ。長官には
私から事後報告する。全責任は私が負う。中尉?オダ中尉?
健の知っている声だった。ハイパー・シュート・プロジェクトの主任研究員。
改良版だと?健は携帯電話を切った。
「ユーリ、これは何だ」
答えは無い。
「お前、長官直下で、何のシステムを作っているんだ」
やはり、答えは無い。そう、ちょっとやそっとで喋るもんじゃない。しかし。
「ハイパー・シュートという言葉を聞いたことがあるよな?」
手を握りこむ。みしり、という音がして、オダが眉を顰めた。
「ISOの研究室で何が起こってるんだ。何をやってるんだ」
この段階で、改良版だと。長官はジョーにハイパー・シュートを委ねることは断念したは
ずだ。俺に使わせるつもりなのか。しかし、あの検査から今までの僅かな時間で、改良版
の開発に掛かれるなんてことはあり得ない。
「ユーリ、頼む。教えてくれ。人の命が係ってるんだ」
「健、俺には話せないよ」
オダは健を見詰め、静かに首を横に振った。
「だいいち、俺はただシステムを開発しただけで、データの因果関係なんて分からない。
記憶する仕事じゃないんだから、覚えても居ない」
「大型汎用コンピュータの全エラーコードを頭に入れているお前がか。何でもいい。話し
てくれ。別プロジェクトが走り始めてるのか?」
「俺は医者でも科学者でもないんだ。最高機密を扱うときには、ことさらにデータや設計
を記憶しないように配慮もする。ミッションが終わった途端に、リセットできるように」
「人の命が係ってるって言っただろう?俺が信じられないのか?」
握り込む手に力が入る。
「俺は健のことを信じてる。でも、任務のことは他言できないし、そうでなくったって、
俺に健に話せるようなことは、何も無い。…手を離してよ」
親指の付け根が白くなっていた。また、みし、と間接が軋んだ。
改良版の開発は、健が現行版を使用しはじめて程なく着手されたに違い無かった。戦争の
早期終結のために。おそらくは、より強力で、より危険な。では、南部が今、健にハイパ
ー・シュートを使用させないでいるのは、その改良版を待っているからなのか。健は心の
中でそれを必死に打ち消した。長官は、俺と約束したはずだ、ジョーにハイパー・シュー
トは使わせないと。でも…。
「ユーリ」
ハイパー・シュートは渡さない。ジョーは嘗て一度、命を捨てた。今度は俺だ。
「お前、俺を信じていないんだな」
何があっても、どんな手を使っても、俺で最後にするんだ。

口を割らせる方法はいくらでも、と健がオダを睨め付けたとき、明るい声が飛び込んでき
た。
「滑り込みー、っと。良かったぜ、大佐よりは早かったな」
反射的に振り返ると、ジョーが微笑んでいた。健の意識が逸れた。オダが健の手を振り解
いて、開け放たれた窓枠に足を掛けた。健からジョーに、刹那、視線を走らせる。長い睫
をいちどだけ閉じた。
「馬鹿、天然、何やってんだ、ここ、よんか…」
ジョーが健の隣に駆け寄った。健があっと身を乗りだしたときには、華奢な体躯は宙を飛
んで、2Fの屋根に降りていた。
中尉ィ?!と叫びが外で上がった。ストレス発散中、などとオダが答えている。
ジョーと並んで、呆然とオダの後ろ姿を追った。そこに靴音が響き、ライズが健とジョー
と並んで窓枠に手を掛けた。
「オダ中尉、何をしている。君が居ないと話しにならんだろうが」
オダは地上に降り立って振り返り、ライズを見上げて手を振った。
「トイレ経由ですぐに行きます」

ライズは、ひとつ息を付き、健とジョーを交互に視た。何も言わず、机上にセット済みだ
った端末の電源を入れた。

まずいぜ、とジョーが唇だけで言った。
絶対、継子苛めしてるって思われたぜ。お前、一体何やってたんだ…。

俺は…。


Episode 3-7


迎撃パターンは、思うようには絞れなかった。昼食を挟んで、丸1日悶々とディスプレイ
を睨んで暮らした。午後の日差しが傾く頃、ライズがぽつんと独り言のように呟いた。
「攻めるに易し、守るに難し、か」
市街地が近すぎる、と半ば呻き声だった。ISOの庁舎はシティ郊外の官庁街にある。住
宅地も商業地も間近だった。こんな厄介なもの、砂漠の真ん中か、外海の埋め立て地にで
も造れというのだ、と席を立った。
「よし。解散だ。皆、ご苦労だった」
健もジョーも、同じく冴えない顔色で席を立った。一番冴えない表情をしていたのは、オ
ダ。ライズに更に促され、やっと端末をシャットダウンした。
「申し訳ありません。お役に立てませんでした」
「君で駄目なら、他の誰がやっても駄目だろう。ここまでやれたなら上々だ。待っていろ。
誰かに送らせる」
オダを連れて退室しようと思っていた、健の動きが止まった。
「俺が送って行きますよ。大佐。ISOの庁舎なら目的地は同じだ」
「それには及ばない」
「俺、ひとりで行けます。子供じゃないんですから」
「君など赤んぼうも同然だ。中尉」
ライズは、オダではなく、健に視線を据えた。ジョーが健の背に宥めるように掌を置いた。
どうした健、何に拘ってる??
「小さな子供には、俺は親切なもんですよ。中尉」
行こうか、とオダに微笑みかけた。いやだと言うだろうか。
「G1に、申し送りがあるの、思い出しました。そのついでもあるから一緒に行きます」
「OK。では失礼します」
「健、いい加減に…」
ライズとの睨み合いになる前に踵を返した。ジョーの声も振り切った。会議室の電話が鳴
った。G2、君にだ、とライズの声。好都合だった。あとでしらばっくれれば済む。

健が運転席に乗り込んだ。いつもはハンドルを握りたがるのに、オダは黙って助手席につ
いた。車を、少々乱暴にスタートさせた。がくん、とひと揺れ来た。
「ハイパー・シュートって言葉は、俺は知らない」
唐突にオダが口を切った。
「データは大きく3種類に分かれていて、DEATH、ICARUS、LUCIFERって呼ばれている。健
の言う現行版のことをイカロス、改良版とか発展版とかのことをルシファー、既に開発を
終了した過去のものをデス、と呼んでるみたいだ」
「ユーリ?」
思わず、凝視した。表情は少し蒼褪めて、しかし平静そのものだった。
「最も基本になっている20桁のデータIDは自動的に割り振られてて、頭1桁目がD、I、L。
どの大分類に属するか、ひと目で分かるようになってる。20桁のコードの内訳の意味合い
を知っていれば、データを読むことが可能だ」
ここで説明してもいい?と正面を向いたまま、小さく言った。
「なぜ」
「知りたいんでしょう?人の命がかかってる、って言ったじゃない」
「話せることはない、って言ったじゃないか」
「あんなとこじゃ、誰が聞いてるか分からないじゃない。それに、俺が口を噤み続けられ
る相手じゃないでしょう?」
あなたは、とオダは息をついた。
「ただのパイロットじゃない、陸上の特殊任務もこなす、凄腕のコマンド、だもん。…で
も、俺が言ったことも嘘じゃない。あなたの知りたいようなことは、今の俺には分からない。
調べてくるよ。何が知りたいの?」
淡々としたものだった。返って面食らった。情報部の人間が最高機密をリークするのだ。
発覚すれば…。健は表情を敢えて堅くして答えた。
「一番基本となるデータファイルのリストと項目のリスト、データ項目同士の関連が分か
る図、それから今お前の言った基本データIDの体系、だ」
「それなら、すぐに説明できるよ。…あのシステムは長官の意向で、最もベースになる基
本設計はドキュメント化していなくて、長官と俺の頭の中にあるだけなんだ。しかもデー
タに関しても、一番基本になるものは隠しファイルにしてあって、容易には参照できなく
してある。プロのシステム屋でも、参照できるのは、そのベースのデータの次段階で、暗
号化されたものになる。しかも、次段階以降のデータは、ガチガチに管理されていて、誰
がどんな処理をどれくらい行ったか、すべてロギングされる。迂闊に触れないし、触っち
ゃいけない」
「ベースのデータを参照するには、どうすればいいんだ」
「スーパー・アドミニストレーターの権限のある、ユーザIDでログインして、いくつかの所
定の操作を行えばいい。それで、コマンド入力画面が表示されれば、どんな処理でも
自由に行える。それをできるのは、俺だけなんだ。コンピュータのOSのほうに残っちゃ
うシステムログの消し方は、教えるから。健、…G1になら簡単なことだよ」
バックミラーを一瞥すると、軍用ジープが健の車を追尾しているのが見えた。
ライズの部下だ。健は唇を引き結んだ。すかさず牽制してきている。さすがだ。
「イカロスは、ルシファーは、あなたなの?」
オダが健を見た。
「…いや。違う」
健は、小さく微笑んでみせた。
「でも、よく知っているやつなんだ。子供のころから兄弟みたいにして一緒に大きくなっ
て、家族同然で…」
半分嘘で半分本当。どんな手を使っても、助けたい。一番の本音はこれ。
「データをぶっこわしちゃえば、開発を止められるじゃない」
実にあっさりとした口調だった。
「健がそうしたいなら、する。簡単だよ」
技術的には、オダには容易なのだろう。しかし…。
「すぐにお前の仕業だってバレちまうじゃないか」
「そのほうがてっとり早いじゃない。" ユーリ、やれ "って言いなよ」
それでハイパー・シュートは終わる。最悪でも開発は大幅に遅れる。その間に戦争が終わ
れば凍結だ。しかし、それでお前は死刑になるのか。暗殺か。それを知らない訳はないだ
ろう。
「そんなことまで、しなくていい。その必要は無い」
俺はもう壊れ始めている、データを壊してもイカロスはもう健の手にある。同じ事だ。ル
シファーの全容さえ抑えられていれば、裏もかける。
「勝手なことをするなよ。さっき言ったデータ詳細さえ分かれば後は俺がやる」
「俺を利用しなよ。あなたのためなら何でもするって言ってる、システムのプロがここに
いるんだから」
相手の恋愛感情を逆手にとる、工作員にとっては基本中の基本のテだ。それで、もし相手
が命を落とすようなことになっても。そんな任務も実際にあった。
片手を伸ばして丁寧に丁寧に頬を撫でた。
同じ手が、指が、優しく愛撫もする、手非道く痛めつけもする。
−普通の子なんだ。分かってるよな。
ジョーの言葉が脳裏を過ぎった。俺は嘘つきだ。人でなしだ。
「勇み足はするな。そこまでやっても、本当に意味は無いんだから」
頬を包み込む健の指に、オダの指が軽く絡まされた。暖かかった。
それが、健を刺し貫いた。痛かった。

済まない。


Episode 3-8


データを破壊すれば、ハイパー・シュートには間違いなく大打撃だ。健は黙って思いを巡
らせる。しかし、現にハイパー・シュート無しでの闘いでは、健たちは次第に追いつめら
れていた。少しでも犠牲を出さずに早く戦争を終わらせること、ジョーにハイパー・シュ
ートを渡さないこと。
俺で、終わらせればいいんだ、と健は思った。イカロスは必要悪。ルシファーだけが、消
滅するのがいい。

「ユーリ。やってほしいことが2点ある」
ISOの駐車場に車を滑り込ませ、健はひとりごとのように言った。
「先ず、データの外部持ち出しを一切不可能にすること。できるか?」
「どういうこと?」
「例えば、第三国がそのデータを手に入れて悪用しようとしている、そんなケースを阻止
したい」
「それなりの仕組みを作れば、できるよ。同じマシーンにしか復元できなくするとか、特
定の権限のあるユーザが、所定のステップを踏んで復元しないと、データを破壊しちゃう
とか…」
「研究班はすでにバックアップを外部にとっているだろう?それは?」
「古いデータだけでなく、新しいデータを見たいっていう動きを必ずするものだから。そ
のトラップを仕掛けたデータを下手に触ろうとしたときに、古いデータもまとめて破壊し
ちゃえばいい、なんならOSごと。できるよ」
「普通に研究開発しているぶんには気付かれないように」
「できる」
「それから、ルシファーだけを消滅させる。これは?」
健はギアをパーキングに入れ、エンジンを停めながら言った。
「できるよ。でも、どうして根こそぎ全部消さないの。どうせロクなもんじゃないんでし
ょ」
「イカロスは既に存在するから、もう手遅れなんだ。新開発を阻止したい」
目のはじに軍用ジープが停車されるのが見えた。こちらを伺っている筈だ。
「そう…」
「イカロスには支障ないように、データを残す。いいか?」
「…」
オダは怪訝そうに、健を見返した。可能なのだろうが…。この中途半端を、健らしくない
と思ったのだろうか。
「お前がやったとは、分からないように」
「それは…なんらかの人為的ミスに見せかけるっていうのとか…」
歯切れが悪い。
「ユーリ、やってくれ」
畳みかけるように、強く言い切った。
「うん」
オダは困惑気味だが微笑すると、シートベルトを外した。すぐに、ちゃんとやるから、と
呟いた。夏休みの宿題にでもとりかかるような口調だった。
軍用ジープが、健の車のフロントが垣間見える場所に停車位置を移動した。二人がなかな
か降車しないからだろう。強い、牽制。健にとっては好都合だった。
ドアを開けかけているオダに、これ以上ない微笑を向けた。
「ユーリ、キス」
「え?」
肩を掴んでいささか乱暴に引き寄せ、接吻けした。フロントガラスの真ん中で、映画のワ
ンシーンのように。
さあ、とんで帰って大佐に報告しろ。大事な大事な鳴り物入りが、ISOの特殊部隊にい
いように誑かされていると。

**

オダの後ろ姿を見送って、健も車を降りようとした。
突然、ブレスレットが赤く明滅しながら、アラートした。
「はい。こちらG1号、大鷲の健」
−アメリス国とxx国国境付近に、鉄獣メカ出現。科学忍者隊、ガッチャスパルタン発進
せよ。
「ラジャ」

健たちが出撃している間を狙って、やはりISOは海岸線から襲撃された。
南部やライズ、ニケの隊員の悲壮な応答が、健たちの耳にも飛び込んできた。
−数がとんでもない。大佐、ひとり頭10機やそこらじゃ間に合いません。
いつも冷静で穏和な、あの副隊長の声が裏返っていた。
−深追いするな。戦闘力を奪うだけでいい。脱出でも不時着でもなんでもさせて、地上部
隊に任せるんだ。兎に角、数を当たれ。
ハイパー・シュートを、ジョーもメンバーも頑として健に使わせようとしない。
鉄獣メカはバードミサイルを殆ど受け付けなかった。泥沼だった。
「何度も言わせるな。竜、オープンしろ」
「駄目じゃ、健。長官から厳命されとる」
「俺だけ何もしないで生き延びろと言うのか。命がけで戦っているのは俺たちだけじゃな
い。責任は俺がとる。オープンしろ」
−ここで残らず出払ってまた別口に来られたら拙い、D班16機残して、残らず出撃しろ。
俺も出る。長官、xx空軍基地に援護要請をお願いします。
−すでに発進したとの連絡を受けている。粘ってくれ。
ライズと南部のやりとりが、健を叫ばせた。
「俺がここにこうしているのに、何もするなと言うのか。俺に意気地なしの卑怯者になれ
っていうのか。お願いだ。オープンしてくれ。頼む」
ジュンがおそるおそる、何か言いたげに唇を動かして、止めた。
「分かったぜ、健。…竜、開けてやれよ」
ジョーが重い口を開いた。
「ジョー」
竜が眉根を寄せる。甚平が俯いた。
「目の前に敵がいて、味方も大ピンチだっていうのによ。こいつに我慢しろなんて、土台
が無理な話なのさ」
「よっしゃ。開けるぞい」

ジョーを竜を、ジュンを甚平を、見た。

逆風に嬲られながら、Gフェンサーを抜きはなった。蒼い閃光が輝き渡った。

**

シティに帰還したときには、闘いは既に終わっていた。ISOは守り抜かれていた。飛行
司令部に駆け付けると、これも帰還したてのニケのメンバーに出会せた。あの赤毛の若い
パイロットと目があった。いつもは陽気な男が、凄まじい顔付きになっていた。
「今ごろご帰還かよ?G1」
「申し訳ない。あんたたちのお陰でISOは無事だった…よく…」
「黙れ、俺たちはあんな庁舎なんかを守るために戦ったんじゃねえ。どこで何をしていた
んだ?お前ら、ISO子飼いの部隊だろうが。今頃のこのこ…」
ニケの数人の若手パイロットに、健を気押すだけの怒りがあった。健を庇うようにジョー
と甚平が立った。一触即発の空気が張りつめた。
「ちょっと、やめなさいよ。こんなところで、味方同士で…」
ジュンが割って入った。赤毛がジュンを押しのけようとした。
「女はすっこんでろ」
ジュンが顔を強張らせる。竜までもが、ずい、と前に進み出た。
「馬鹿者!」
そこに鋭い怒号が飛んだ。反射的に声の主を見た。
「今ここで仲間に絡んでいる場合か。さっさと帰宅して体を休めろ」
誰かと思った。大声など、聞くのはこれが初めてだった。副隊長だった。
「お前が悪い。G1たちは今帰還したばかりで詳しい状況もまだ知らされていない。謝罪
しろ」
赤毛のパイロットは一瞬固まり、それでも健たちに向き直って一礼した。唇が震えていた。
「こんなところ、大佐に見られたらどうなるか。行け」
副隊長に促され、消えていった。副隊長は、厳しい視線でそれを見送り、改めて健に向か
った。
「ISOは無事だったんだが。市街地に被害が出たんだ…」
疲れ切っていた。
「俺たちに撃たれて攻撃や飛行が不能になっても、敵は脱出も不時着もしなかった。その
まま、突っ込んでいったんだ…。民間人に死傷者を出してしまった。俺たちの失態だ。連
中は、だから気が立っている…分かって遣って欲しい」
と副隊長が健に一礼した。さらにジュンに向かう。
「本当に失敬した。聞いたとおりだ。不愉快だとは思うが…」
「いいの、いいの。気にしてないわ」
ジュンが、笑って手をひらひらさせると、副隊長は僅かに微笑を見せた。
「ありがとう。…G1、これから、大佐がヘリで庁舎に飛ぶ。移動するならそれを使えば
いい。陸路は寸断されているから」
「分かった」
それしか口に出来なかった。退室していく副隊長を、ただ見送った。

「健、行こうぜ」
ジョーに背中を押された。

俺は、戦わなきゃならなかったんだ。
何があっても生き抜いて、もう二度と、あの諸刃の剣を手放すものか。

Episode 3-9


シティ被爆から一週間足らずの間に、健たちはさらに2度出撃した。ハイパー・シュート
が、都度、使用された。禁じ手を以てしなければ、戦えなくなっていた。超弩級の必殺技
が、忍者隊を崩壊させていた。5人がひとつ。5人揃ってはじめて不敗の力を持つ。あの
強く優しかった影たちは、もうどこにも居なかった。
戦争を早く終わらせたい、戦いの犠牲を少しでも減らしたい。余りに強い思いが南部の心
をねじ曲げ、悪魔の剣を掲げさせた。悪魔は血の契約を求めるもの。南部の最も愛する
養い子を、貰ったぞ、連れて行くぞと、闇よりも冥い闇がせせら笑っていた。

健の症状は、再び悪化の傾向を呈していた。

**

バイオ・リアクタのアラートが小さく鳴って、施術の完了を告げた。健が目を開けると、
南部と主任研究員の姿があった。
「気分はどうかね」
南部。
「上々ですよ」
健はにっこりと微笑すると、半身を起こし、身繕いを始めた。南部は、そうかね、と小さ
く微笑んだ。健は人並み以上にタフな、健康そのものの成人男子にしか見えない。
しかし、南部の微笑は長く続かず、ぱたりと引っ込んだ。
「健、ハイパー・シュートが無ければ、やはり戦えないかね」
「戦えません。日毎に強力になっていく敵に、あれが無ければ、今の俺たちには火の鳥も
もう無いのですから」
「ニケが1.5倍に増強される」
「長官らしくないですよ」
健は返って明るく首を竦めて見せた。
「航空隊にはチームワークが一番大切だとご存じのはず。より選りのトップ・ガンばかり
で増員しても、あれじゃ出撃が多すぎて演習もままならない。それで今までとまったく同
じに働けって言っても無理です」
ニケの質が低下するなど、あのライズが肯うわけがない。
辛いだろうな、と痛みが走った。
「みんな精一杯やっています。だから俺も精一杯やる。それだけです、長官」
南部は、一瞬の躊躇いののち、深く頷いて、健の肩に手を置いた。

そして、その日の戦いのときも、健は蒼く光を帯びた剣を手に、立った。
ISO基地を間近に臨む、海上での戦いだった。人々の営みなど知らず、盛夏の入道雲は
大きく盛り上がり、海は本当に青かった。
風を受け佇む健をニケが4機、取り囲み援護していた。

静かな亢ぶり、剣の光がいや増していく。直前の敵を見据えた。
剣を引き、構える。丹田に力を入れ…、と、急に足元が溶け落ちるような感覚があった。
冷たい汗が噴き出す。米神に激痛が走り、手酷い悪寒が襲って来た。
敵は目前だった。健に向かってレーザー発射口が次々に向けられる。
蒼い閃光が、力を失う。立っていられなくなって、膝を付いた。
−健、健!どうした?!健!
ジョーの叫びが遠くに聞こえた。気力を奮って敵を見上げた。レーザー発射口が健を捕捉
していた。
俺は、ここで死ぬのか。畜生、死んで堪るか。
心だけ、恐ろしく平静だった。頭が痛い。喉がひりつく。立たなくては。こんなところでくた
ばれるか。俺は、立ち上がらなくてはならない…どうしても。

健目掛けてレーザー光線が走った。
健は唇を血の出るくらい噛み締めて、顔を上げた。その健の頭上数メートル、敵メカの攻
撃をかいくぐって、ニケが一機滑り込んできた。吹き上がる火炎と、黒煙。反射的に腰が
上がった。
「健、来い。攻撃態勢の立て直しだ」
ジョーの腕が健の体を、有無を言わさず抱え込んだ。コックピットに引きずりこまれた。
健の剣が貫くはずだった、敵メカの弱点。女神の矛が、そこで火柱を上げた。
尾翼が最期に一度だけ、陽を弾いた。
「女神さまが、どてっぱらに風穴開けてくれたぜ。バードミサイルだ」
ジョーの声。ただ、呆然と前方スクリーンを凝視した。

青い海に、敵は崩れ落ち呑み込まれていった。
終わった。

「ジュン、俺を庇って墜ちた、あのニケは」
静かに、口を開いた。
聞かなくても分かっていた。あの速度であの攻撃をかわしながら、しかも迷わず突っ込ん
で来れるのは、ライズでなければ…。
「識別番号が拾えたわ。…健、あれは副隊長の…」
「脱出したもようは…」
あんな至近距離で撃たれて、そのまま敵に突っ込んでいるのに出来るわけが無い。それも
分かっていた。それでも、確認できてるわよ、と言って欲しかった。ジュンは悲しみと労りの
眼差しで、健を見詰め、首を横に振った。

残された3機のニケが、黒煙のたなびく海面を、何度も何度も旋回を繰り返していた。
−ご苦労だった。帰投する。
ライズの声が、傍受された。
「俺たちも撤収だ」
やっとの思いで、言葉を紡いだ。
「ラジャ」
竜が操縦桿を引いた。

「感じいい人、だったよね」
甚平の小さな鼻声が聞こえた。

健は、ぼやける視界を天井に移した。
俺は、泣くわけにはいかない。俺のために散ったのに、泣いて済ませるなんてただの無責
任だ。もっと悲しい思いをしている人間が、他に沢山いるんだ。
ジョーが両手で、健の肩を包み込んだ。

−やるなら主人公、うちに来いよ。

泣いてはいけない、と思うそばから、涙が後から後から溢れて止まらなかった。


END < AEGIS


* AEGIS(イージス):
イージスとはギリシャ神話の最高神ゼウスが娘アテナに与えた、あらゆる邪悪を
払う盾の名前。中央に魔女メデューサの首が嵌め込まれている。
転じて、防御の意も持つ。




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