Breathe Episode 5 < SILENCE >
*MAGAGINEの< SILENCE > Episode 3-21から3-29までを収録

by もも

Episode 5-1


次はあれを運転してみてえな、ジョーが呟いた。目線の先に、例のシルバー・メタリック
の高級車が見えた。
「あれは、後席に乗るもんじゃないのか」
ISOの1Fエレベーターホール、長官室から戻る健と、向かうジョーがばったり行き会
ったのだった。
「ドライビング・カーとしても面白えらしい」
「お前にブン回されるんじゃ、車もヒトも堪ったもんじゃないぜ」
「オーナーは、マッハでとんぼ返りしてるんだろ?へーき、へーき」
ディアブロも良かったぜ、とジョーがニヤリと笑ったところに、エレベーターのドアが開
き、ライズが降りてきた。擦れ違い様に、ジョーがよう、と片手を上げる。ジョーに応え
て、唇の端を少し上げる。この男を、よう、で終わらせられるのは、健の知っている範囲
ではジョーだけだ。何となく、愉快だった。

どうして、この時、こんなことを言い出す気になったのか、分からない。
虫の報せだったのかもしれない。
「大佐、これから戻りですか?」
「ああ。乗っていくか」
「ええ。で、運転席に乗ってみたいんですけど」
「君がか」
「ホントは、あいつより、俺のほうがまっとうに乗れるんですよ」
「事故を起こさないなら構わん」

俺は、寝心地の良いほうで帰る。
ライズは、二人の部下に、健の車のキーを預けた。

ハイ・ウェイの手前だった。信号が変わりかけて、明滅していた。健は、しっかりとアク
セルを踏み込んだ。
黒い乗用車が、横手から猛スピードで突っ込んできた。
咄嗟のブレーキと、ハンドル操作、さすがの逸品でタイヤもロックせず、大きなボディは
健の思惑通りに体をかわし、反対車線の脇に無傷で止まった。
相手はそうはいかなかった。甲高い金属音を響かせて中央分離帯に乗り上げ、走行不能
になった。
健が泡を食って降車する。後席のライズも、お昼寝気分をブッ飛ばされて、姿を現した。
「畜生、むこうの信号無視です」
「あれでは、けが人が出ただろう」
分かってます!事故車に駆け寄った。
「大丈夫ですか」
中途半端に開いている窓を覗き込んだとき、健の鼻面に、黒光りする銃口が突きつけら
れた。同時に背中にも。シルバー・メタリックの高級車も、数台の車にブロックされていた。
「ISO空軍基地のアーサー・ライズ大佐だな。部下の命が心配なら、大人しく一緒に来て
貰おうか」
軍服姿に、何本もの銃口が据えられていた。

「俺みたいな小者に何の用だ。人違いではないのか」
ホールド・アップせず、手は腰の後ろで組んだまま、ライズは男を睥睨した。
「いや。あんたみてえな有名人、間違うわけがねえ」
サングラスに、迷彩服、いかにもといった風体の男は口元だけで嗤った。
「俺に用なら、部下は要るまい。離してやってくれ」
「そうはいかねえんだ。残さず連れてこいって言われてるんでね」
男は、健のなりを見て、口を歪めた。
「しかし、今日の部下は、いつものやつと違うのかい?」
ジーンズにトレーナーとジャケット。
「まあ、あんたみてえな偉いやつにゃ、色んな部下がいるんだろうなあ。やりたい放題、
したい放題だもんなあ」
男は、小型のオートマティックを取り出すと、銃身を撫でながら言った。
「あんたの我が儘はこっからは一切通用しねえ。って言ってもピンと来ないだろうな…そ
うだな、まず、俺たちに挨拶してもらおうか。上流階級の作法でよ」
いかにも楽しそうに男は笑った。オートマティックの銃口がライズに据えられる。健の脚
に力が入った。間を置かず、背中の銃口が健を突っついた。
「膝を折りな。アーサー」
銃声が轟いて、ライズが片膝をアスファルトに着いた。大腿部を押さえる指の間から、
血が滲むのが見えた。
「大佐!」
ライズは健に、一瞬、酷く鋭い視線を投げかけた。
行け、君だけなら逃げられる。

ここで逃げられるか、馬鹿野郎。


Episode 5-2


暗くて寒い部屋だった。頭痛で目が開けられない。腕をしきりにもそもそやっていると、
縛めが緩んできた。何だこれ。あいつら、素人だな。
額を抑え、躰を起こし、壁ぎわににじって凭れた。ポケットのピル・ケースから錠剤を口
に放り込んだ。あれから、どれくらい経ったのだろう…。
ブレスレットから、アラート送信する。ほどなく、南部の声が応答した。
−健かね。どういう状況だ。大佐は。
「車での移動は俺と別でした。まだ会えていません。しかし、俺と一緒にここに運び込ま
れたのは確かです。近くにいます」
−二人とも、無事かね。
「大佐が至近距離から、脚を撃たれました。動けなくするためかと思います。俺が傍にい
ながら、申し訳ありません」
報告しながら、ふと、今回の敵は、違う。と健は思った。ライズを狙ったのは南部の警護
の壁が厚いからだけでは無い。
−健、聞いてる?
リサ。軍の情報部が、もう。と思った。
−連中は、もと軍の人間。まあ平たく言うと、軍の出世街道に乗り損ねた野心家たちなの。
空軍崩れと陸軍崩れの混成部隊。技師だの、特殊部隊だの色々ね。
「やけに調査が早いじゃないか」
−ISO空軍基地とxx空軍基地の航空防衛システムが敵の来襲に無反応だった、あの件
を調査してきたら、繋がったのよ。連中は、ISO空軍基地襲撃の直前に大挙して姿を消
している。防空システムを構築した技師も。
「敵に身売りを?」
−その通りだ。よく聞け、健。
南部の声が再び小さく響いた。
−2基地襲撃を成功させた褒賞に、リーダー格は敵本体でもかなりのポストに就いている
可能性が高い。敵本拠地を探り出せる好機だ。ただ、大佐は…。
「長官。それでは」
さっさと脱出するのも芸がない、と健は思った。これで、終わらせられるなら。
−待って、健、その前に。
リサの必死の声が南部の言葉を遮り、健の思いも引き戻した。
−軍崩れのテロリストたちは、20代で大佐、ニケの隊長、マスコミの寵児のアーサーを
憎悪している。連中とアーサーに接点は何ら無い。でも、だから、VIPの人質として丁
重に遇してもらえる保証は全く無いの。
憎悪。ひとの感情のなかで、或いは愛よりも一層倍厄介な心の闇。
南部が言葉を継いだ。
−大佐は再びISOの空に戻って貰わねばならん。君の任務は、大佐を守り抜くこと、だ。
彼に万が一のことがあれば、影響はISOの防空だけでは留まらない。君の所在は、ジョ
ーの采配ですでに調査を開始した。
「了解」

南部が、ニケをISOに招聘したもう一つの大きな動機。それは、御輿を担ぎ上げること
だった。忍者隊は最強の部隊だが、顔も正体も表には一切出せない。
長引く戦いには派手な幟が必要となった。微笑み、手を振り、時には子供と握手もする、
英雄の偶像が。
そして、南部がライズを招聘した、さらにもう一つの隠れた動機。
強力な目眩ましを張ること。即ち、敵の忍者隊への関心を少しでも減らすこと。
南部の目論見は成功し、ライズは敵の格好の的になった。それが、暗殺未遂事件であり、
この事件だった。

南部は何も言わないが、健にはそれが分かっていた。
健たちの他に、南部が南部らしい心遣いを示すのは、ライズに対してだけだ。
ライズも人の子だ。家族が居る。そんな気配は微塵も無いが、ひょっとしたら恋人もいる
かもしれない。
そんなふうに考えると、健の心はぎしぎし軋んだ。
俺に関わったひとは、みんな酷いコトになる。俺という存在は、神の摂理からかけ離れた
もの。神は俺を手に掛けようとしている、俺を支える人々ごと。

折りにふれ、オダを思い出す。
会って直ぐの頃は、軍なんか辞めろとあれだけ言ったのに。その張本人の俺が、最後の最
後まで利用して、あんな目に遭わせた。
最後に見舞ったときも、まだ自力呼吸すらできないでいた。神は、彼を御許に招くことも、
健の許に返すこともしない。ガラス越しに横たわる、健の罪と罰。

俺はもう誰も渡さない。生きて、戦い抜く。相手が神でも、悪魔でも。

健の想念は、長くは続かなかった。
ロックが解錠される鈍い金属音とともに、分厚い扉が開いたからだ。
「にーちゃん。上官に会わせてやる」


Episode 5-3


自分で解いた縛めを、一見したくらいでは分からない程度に戻した。
2人の男たちに引っ立てられて、長い長い廊下を辿り、階段を下りた。
吐く息がもうもうと白い。屋内なのに、身を切られるほどに寒かった。

観音開きのドアの片側が開けられた。煌々と明るかった。
「来たぜ。大切な部下が」
聞き覚えのある声がした。
ドアの内側に小突き入れられると、迷彩服の男たちが約20人。
「大佐!」
2人の男が、ライズを両脇で抑え付けていた。上着とネクタイは無かった。シャツの釦は
外され、濡れそぼって、躰に貼り付いていた。
ライズは、健を見なかった。
「そのシャンを自由にしてやれ。よし、おめえらも、そいつから離れな。ヤクは終わりだ」
ライズの両脇の男が、数歩引いた。後ろでに縛られたライズは支えを失って、床に崩れ伏
した。健の縛めが、ナイフで切り落とされた。弾かれたように、ライズに駆け寄って、見
せた。
「大佐」
抱き起こす。脚の傷は湿ったままだった。血と薬物の匂いが鼻をついた。
なぜ、ここにいる。健の耳元に幽かな囁きがあった。早く、行け。
長官命令です。今度は俺があなたを守る。

健は、リーダー格であろう、サングラスの男を睨め付けた。健と目が合うと、男は拍子抜
けするほど能天気に、からから笑った。
「思った通りいい眺めだ。にーちゃん、上官がそんなに恋しいかい?」
「さっさと俺たちを解放したほうが身のためだぜ。じきに助けが来る」
「軍の腰抜けに何ができる。ははは。大佐の葬式はさぞ派手だろうなあ」
軍じゃないんだけどな、と健は腹の底でほくそ笑んだ。お前らやっぱり素人だ。逆恨みで
盲になってやがる。大佐は今、ISO長官直下なんだぜ。
「あんたの上官は思った通り強情でねえ。俺たちの要求を呑んでくれる気がさっぱり無え
んだ。あんたに手伝って貰いてえ」
「要求だと」
「ニケを俺たちの指定した空域に派遣する、南部を呼び出す、忍者隊の正体を明かす。ど
だ?」
「ニケはISOの空域からは出られない、俺などが呼んでも長官は来ない、彼らの正体な
んぞ、軍の人間である俺が知る道理が無い、何度も言わせるな」
言葉は掻き消えそうだった。体を起こそうとするのを、必死で制した。
「あんたみたいな策士が、南部の下に入るのに、南部の一番の弱みを抑えて行かねえはず
が無えだろう?」
こいつら、基地スタッフとパイロットの仇だ。
分かってます。逃がしゃしません。だからもう、楽にしていてください。
小さく囁きながらジャケットを脱ぎ、ライズの肩から掛け、庇うように寄り添った。男は
嗤う。健とライズに歩み寄り、ライズの顎を掴んで上向かせた。
ライズは薄目を開けて、男を睨んだが、もう、動けなかった。
「いくつになった、アーサー」
虫酸が走る。健は、男の手首を握ると、ライズから引きはがした。
男は、うるわしいねえ、とまた嗤った。
「にーちゃん、あんたの上官は新兵の頃、今のあんたみたいに、そらきれいでよ。俺たち
みたいなもんには、高嶺の花ってやつだった。アーサーって名を呼びながら、そこらの薄
汚えガキを姦ったもんさ。…老けた老けたと思っちゃいたが、星のいっぺえくっついた軍
服剥ぎ取っちまえば、あの頃とそう変わっちゃいねえなあ」
空気が変わった。健は耳を澄ませる。来たか?
「うちのインテリが、見えるトコに外傷を残しちゃ、トップに拙いって煩えのよ。だから、
大事にしてさしあげようって思ってよ。最後だ。俺たちの要求を呑め。さもないと、あん
たと、このにーちゃん、ご想像以上のコトになるぜ」
好色な含み笑いが、健たちを囲んで周りにさざ波のように広がった。
健のブレスレットはオープンになっている。分かってんのか、こんなことを言って。ぷっ
つんしたジョーがどれだけ恐いか。まあ、今のうちさ。
「そのインテリってのが、航空防衛システムをこさえたエンジニアか?」
男が、線の細い、いかにも腺病質な雰囲気の迷彩色を振り返った。
「おい、お前を知ってるやつがいたぜ。手柄は踏み潰されたんじゃねえのか?」
そいつと、お前とで、ダブル・リーダーか。
本当に頭悪いなお前ら。内心ほくそ笑む。ありがとう、全部喋ってくれて。
腺病質が実質のリーダーかも、と健は思った。この頭悪いのと、どっちか連行して、どっ
ちか泳がせる。どっちが、どっちだ。

ガラスの割れる音、人が倒れる音、敵に銃を撃つ暇も与えない、訓練された者の襲撃。鍛
え抜かれた健の耳だけに届く、仲間のメッセージ。堅く目を閉じる。
いきなりの闇。健が動いた。こざかしいほうに泳いでもらおう。せいぜい知恵絞って、お
家に帰りな、お土産を持ってな。
お土産は、超小型の発信機だった。

ライズの縛めを解き、体を抱え直そうとしたときだった。
「俺が運ぶ」
竜の太い、大きな腕がぬっと伸びてきて、大の男ひとり、軽々と持ち上げた。
「病院直行じゃ。後は頼むわ。甚平、ヘリまで走る。援護してくれい」
巨体に似合わぬ素早さで、消えた。
「健、で、どうすんだ」
ジョー。
「この暗いのに粋がってサングラスしてる馬鹿が群れのボスだ。こいつだけは何があって
も逃がすな。他はいい」
ジョーがくすりと笑った。
「何だ」
「別に。さ、行くぜ」

**

健の思惑通りに事は運んだ。泳がせたい敵は野に放たれ、連行したい敵は失神させられ転
がされた。健が南部に援軍を要請する。それが大挙して押し寄せ事後処理にあたる。健と
ジョーは、現場から少し離れた廃ビルの屋上に居た。ヘリとの、ランデブー・ポイントだった。
終わったと思った途端、健は、へなへなと地に膝を付き手を突いた。脚に力が入らなかっ
た。
「気が抜けたか。ま、ヘリが戻ってくるまで休憩してようぜ」
健が青ざめる前に、ジョーが傍らに座り込んで微笑した。健の肩に、腕を回して引き寄せ
る。健はジョーの肩に倒れ込んだ。
えもいわれぬ安心感と自己嫌悪がない交ぜになって、健の表情を歪めた。
決戦の日は近い。戦闘はますます激化するだろう。誘拐、暗殺、を始めとするテロも増加
するだろう。そうなれば、今回のように、ハイパー・シュートを使わない闘いも…。
健単独の戦いならまだしも。
「俺は、お前たちの」
足手纏いにならないか。手枷、足枷にならないか。
全てを言葉にはできず、口籠もった。
「今回の配置な。俺と竜がアタックで甚平が援護、ジュンがヘリだったんだ。別に誰が言
うってことなく決まった」
ジョーは少し眠そうに、空を見上げて言った。ヘリ、来ねえな。
「大の男を2人担いで敵陣を走るとなれば、俺と竜が突っ込んでくしかねえ。甚平ははし
っこいから援護プラス遊撃。大佐を搬送するときは、竜がヘリをかっ飛ばして、ジュンが
応急手当に回った。完璧だろ?」
欠伸をひとつ。
「健、何も言わねえけど、みんなちゃんと最善の方法を考えてる。コマンドとしての能力
だけじゃねえ、俺ら5人だけじゃなく外まで見ての大局的な判断は、俺たちの中じゃ、お
前がやっぱダントツなんだ。だから、みんな、お前には戦い続けてもらうつもりでいる。
俺たちが、最強のシークレット・ソルジャーでいるためにな」
「俺は…」
長い吐息。
ジョーの肩に、両腕を回した。肩先を掴んで、額を凭れさせた。
「いやでも引きずっていくからな」
「ああ」
「いつでもどこでも、ぶっ倒れたら、拾ってやるからな。覚悟しとけ」
「ああ」

5人の中の、ひとりで、良かった…。
お前がいて、良かった…。


「な、木偶人形の馬鹿力も、けっこう役に立つんだぜ、健。」
健は両腕でジョーの痩せた肩をきつく抱きしめ、
「・・・馬鹿野郎・・・。」
と、小さく呟いた。(『TABOO!』/鷲尾さゆり)


Episode 5-4


紛い物の牙は脆い。連行された男は、ISO情報部の剣幕にあっさりと諸手を挙げ、知って
いることを洗い浚い吐いた。それと、数人の仲間とともに、泳がされた技師の動くルートは
矛盾が無かった。健が闇に紛れて男に設置した発信器が生きていた。
ISOと連合軍の情報部が、文字通り背水の陣を敷き、男を追跡した。追跡ポイントは海か
ら、大陸へ、大陸中央の山岳地帯へと蹌踉めきながら移動していった。
敵組織の、中枢を成す基地は近い。そこを叩けば、脳幹を失い、敵は遅かれ早かれ自己
崩壊すると考えられた。

**

南部の淡々とした声だけが響いていた。
「恐らく、この山岳地帯のどこかに、敵本拠地がある」
総司令室のモニタに、比較的広域な地図が映し出された。健、ジョーがそれを見上げ、ジ
ョーは腕を組み、健は溜息をついた。
「現在、特殊部隊と情報部が現地入りして調査中だ」
「この辺りは、従来から国境紛争の絶えない地域ですよね」
健。
「そうだ。近隣諸国との密接な協力関係を築くのは、非常に困難だ。地理も、どうしたっ
て敵のほうが明るい」
「山岳ゲリラ戦に縺れ込まれると、こっちが不利だな。一気に突っ込んで、丸ごと跡形も
なくぶっ潰しちまえばいいんだ」
ジョー。
「急いては事を仕損じる。現地からの詳細情報を熟慮して、周到の上にも周到な準備をし、
仕掛ける。特に、諸君は、何を置いても敵中枢を壊滅させねばならん。万が一でも、取り
逃がすようなことになれば、戦争は終わらない」
「施設だけを潰すのではだめだということですよね」
「その通りだ。言っておくが、君たちの任務は敵首魁を確保することだ。敵施設破壊では
ない」
「このロケーションじゃあ、ややこしい紛争地域にすぐ潜り込まれちまうぜ、だからこそ」
一気に跡形もなく、とジョーは言いかけたのだろうが、南部がその言葉を遮った。
「だからこそ、連合軍の地上特殊部隊との連携が最重要となってくるのだ」
大男、総身に知恵が…、になんなきゃいいけどな、とジョーが嘯いた。
かなりのレベルの演習を終えて行っても、悪くすれば取り逃がすな、と健も思った。
自分たちだけなら、どんなに遣りやすいか。しかし、今度ばかりはボリュームが違うとい
うことなのだろうか。それとも、何か政治的に面倒なことが関わっているのだろうか。南
部は連合軍との共同戦線を譲らなかった。

南部の思いも分かる。健たちだけで、戦わせたくないのだ。シークレット・ソルジャーだ
けが密かに動いて、コトを終わらせたのでは、話しがいいように纏められてしまう。南部
は、全世界が手を繋いで戦い抜いて勝ち得た平和、が欲しいのだ。平和は失うのは簡
単だが、取り戻すのは難しい。泥にまみれてみないと、その難しさは分からない。だか
ら、みなで、戦わなければならない…。

**

気が付けば、この年の最後の月を迎えていた。吐く息も白く、道行く人々も忙しない。I
SOにも基地にもクリスマス・ツリーが飾られ、カフェのガラスにはサンタクロースや星々
のスプレーがふんわりと吹き付けられていた。

リアクタで微睡むと夢を見る。細胞活性化の際の影響か、リラックス効果か。
金属音にも似た幽かな稼働音が鈴の音に、低い唸りはハレルヤ・コーラスに。

来年の今頃はどうしているのだろう、と脳裏を過ぎるものがあった。
考えるのは止めよう、と思った。

クリスマスに飛んだなら、サンタクロースに会えるだろうか。
ノーラッドにサンタ・ポイントを問い合わせて、夜中の零時に行き会えるように。


Episode 5-5


クリスマスを過ぎ、年が明けた。
新年早々、温暖なこの地方には珍しく、雪が積もった。
寒いのはそう得意ではないが、雪が積もると何となく嬉しい。喧噪も、汚猥も、何もかも
をすっぽり覆い尽くして、ただ白く塗り替える。目も心も休ませて貰える、そんな気がす
るから。
あれから、敵本拠地は絞られ、連合軍、国防軍ともに、新年休暇返上の演習に入っていた。
敵も足場固めに入ったのか、出撃が減少傾向にあった。ひさびさの纏まった時間、専らメ
カの総点検に充てられた。 健の、バイオ・リアクタで過ごす時間が、明らかに長くなっていく。
必死になって、負の意識を振り払う。できることから、片を付けていけばいい。
勝つために。生き残るために。俺にできることを。目先のことを…。

その日、ISOでの会議を終えるとすぐ、秘密基地の整備場に走った。頭の中で、要作業
項目が回る。メカの総チェック、修正・改造、装備も総点検。
ああ、だから、何から手をつける?
独り言を言いながら、整備場に駆け込んだ。先ず、G1号機のコックピットを一瞥して、
あれ、と思った。脚部、そして、ボディ内部を覗き込む。吐息して、司令室に走った。

「竜、竜」
司令室に飛び込むと同時に竜を探した。ソファに4人が、小休止、といった風情で寛いで
いた。
「なんじゃ」
「整備が。お前ひとりでやったのか?じいさまか?コックピットまで新品みたいになって
た…。済まない、俺が…」
「いんにゃ。お前の分は、ジュンがやった」
「え?」
「自分のメカだけじゃ、ね。芸がないかと思って。あの、あれで平気?」
ジュンが少し緊張して、もじもじと健を見上げた。
「あ、ああ。俺が手を出すとこなんか全然無いぜ。いつの間に…」
甚平がジュンを小突く。ジュンは、よかった、と呟いて胸を撫で下ろす真似をした。勝手
なことするな、って来るかと思ってビクビクだったのよ、実は。
愛だよなあ、とジョーが竜に目配せする。竜が深く頷く。んだ。愛じゃ、愛。
ジュンが膨れて手を上げる。ジョーは、おどけて逃げ、窓際に立った。
「なあ」
微笑みを残したまま、言った。
「もう来月には、勝負が決まってるんだぜ」
ガラスの曇りを指先で擦る。
「長かったよなあ。え?そんなでも、ない、か??ん??」
甚平が指を折る。健も、心の指を折り数える。
1年半前、戦争が始まった。ハイパー・シュートの存在など、知らないでいた。
1年前、ハイパー・シュートを初めて使った。この必殺技が、諸刃の剣であることになど、
気づきもしなかった。
半年前、もう飛べないと気付いた。
そして…。

「来月か。敵地も、雪だな」
健は呟く。目線の先には、白い岩肌がある。
「雪かぁ。俺たちは不慣れじゃのう」
竜が苦笑する。延々とまっ白けっけじゃな、遠近感も狂いそうじゃ。
そうだ、そうだ、と健は思いだしたように、手を叩いた。
「ついでに今日の会議報告。ニケが俺たちと一緒にアタックすることになった。連中は連
合軍シゴトのとき雪深い基地に居たから、真っ白けっけに慣れてる」
「ほお」
「ISOの空域から出るのは、こっちに駐屯して初めてじゃねえのか」
「ああ。ISO下に入ってからこっち、ずっと迎撃専門だったから、異様に張り切ってる
らしい」
ニケが来てから…、とまた数えた。ライズが第一陣を率いてISO入りしてから、半年。
「やつは、まだ、飛んでねえな」
ジョーが、不意にぽつりと呟いた。
ライズは、健たちの出撃にすら、まだ随行していなかった。
例の件での負傷が拗れているとも聞くが、程度は分からない。
「健だったら、大暴れして、とっくの昔に飛んで出てるわよね」
ジュンのウィンクに思わずムッとした。俺はそんな、と言いかけて、否定できずに肩を竦
めた。5人に笑いが浮かんだ。
決戦に向けての、データのシミュレーションと作戦立案のほうにどっぷりで、ライズ自身
が飛んでいるヒマがどこにも無いのが実情だった。ISOと軍の情報システム部門のプロ
が総出で掛かりきっても、塵も滓も山ほど混じった膨大な量のデータに溺死寸前なのだっ
た。現場だけでなく、ITに強いのもあって、リサに引きずり込まれてしまったらしい。
オダが居たときにはこんな事態に陥ったことは無かった。リサもアレックスも、口にはし
ないがどれだけ悔しいか。

健の心に消えない、唯一のしこり。

お前、今、どこにいる。


Episode 5-6


深夜、リサからの電話に叩き起こされた。
凍結道路を、横滑りしながら、病院へと車を走らせた。

あの子が、オダがね。まだ、混濁してるんだけど、意識が。
電話口のリサの声は緊張しきって、硬かった。
あなたを呼んでるみたいなのよ。とにかく、すぐ来て。すぐに。

医師たちが待ちかまえており、健をスタッフルームに招じ入れた。
最高機密に属する話しが出る可能性がある、病室のマイクは全て切ってほしい、とリサが
スタッフに要請しているのが聞こえた。
「どんなことでも、なんでもいいから、…呼び戻してちょうだい、ね」
リサは、健ひとりをガラスの中に押しやった。

おそる、おそる、酸素テントに潜り込み、ベッドに近づいた。顔の一部を残して、すべて
が覆い隠されていた。右目と鼻、唇。生身の人間である証は、それだけだった。
健がオダに放った、オダが健から放たれた、最後の言葉。
−五月蝿いと、言ってるだろう。
どんなことでも、と言われても、ここでこの命に何を語ればいいのか。何をどう言葉にし
たら、此岸に戻って来るというのか。
途方に暮れ、それでも手を延ばした。長い睫毛に、指を触れた。
親が亡くなったとか、家が焼けたとか、そんな肝心なことは何ひとつ言わずに。
「…この馬鹿野郎…」
俺の我が儘だけに付き合って、お前、それで良かったのか。
「…俺を呼んでたんじゃないのか?来たぜ。何だ?怒ってるんだろう?」
恨んでるんだろう?何とか言えよ。何とか。…何でも。お願いだ。
その睫毛が、僅かに震えた。うっすらと目蓋が開いて、瞳が揺れた。
「ユーリ?!」
瞳は光彩に健の姿を映しはしたが、虚ろなまま、何の反応も示さなかった。
「俺だ。健だ。分かるか?!しっかりしろ」
叫んで、頬を軽く叩いた。
唇から、吐息が漏れた、ような気がした。
「…ん」
「え?!」
「…、け…ん…」
「ああ、そうだ、健だ。ここにいるぞ。なんだ?」
「…ま、だ」
唇が動いた。言葉を読み取れず、健は舌打ちをした。
「" まだ "、なんだ?ユーリ」
「…き…て、…る…」
次に、ごめん、と。確かに" ごめん "と唇が動いた。
「何で、お前が俺に謝らなきゃならないんだ。なんで、" ごめん "なんだ」
瞬きをするように、2・3度、睫毛が健の指先を掠めていった。
浅い呼吸がしばらく続いた。健は、オダの頬を撫でながら、無限に近い数十秒を待った。
そこにいるのが健だということを、オダは分かっていたのだろうか。

やがて、再び小さく、唇が動いた。

まだ、生きてる。

そして、もう一度、ごめん、と。
すっと睫毛が下りて、それきり開かなかった。

健。まだ、生きてる。ごめん。

憑かれたように、佇立した。
その後、逃げるように、オダの枕辺を後にした。
必死の形相をしたリサに、
健、ごめん。
と言ったと、それだけを伝えた。嘘では無かったが、真でもなかった。
動揺を隠すのが、やっとだった。

なんで、そんなことを、謝るんだ、どうして、お前が、俺に謝るんだ…。
受け入れられなかった。だから、逃げた。
そのことばの本当の意味を、知りもせずに。


Episode 5-7


夜半過ぎだというのに、ISO庁舎には煌々と灯りのついたフロアがあった。どころか、
表玄関の階段から下りてくる人影に思い切り見覚えがあった。
「誰かと思いましたよ」
軍服では無く私服だった。徹夜用か。この寒いのに、コートは肩に掛けただけ。
「何だ、今ごろ。長官は仮眠中だ」
「いえ。フロアに灯りが点いていたので。車は?」
「頭を冷やしながら、歩いて帰ろうかと思っていた」
「何時間かかるか分かりませんよ。冷えすぎませんか」
親指で助手席を示すと、ライズはふっと目を細めて、頷いた。
それにしても滑る。氷の表面が皮一枚分だけ溶けた、最も危ない状態だった。
ゆっくりと、車をスタートさせた。

「難航みたいですね」
「俺はこれで釈放だ。いくらなんでもそろそろ飛ばないと、留守番組だ」
目頭とこめかみを圧迫している。眼精疲労、肩こり…。
「あとは、ISOの情報部と統合情報部で?」
「やってもらう。リサが半日抜けただけで、アレックスが右往左往だが」
機嫌が悪い。飛べないのと、リサの部隊以外の軍スタッフが、使えないのと。
「君は、大尉のところに行って来たんじゃないのか」
オダのこと。リサから何か聞いていたのだろう。図星だ。どきりとした。
「…はい。少しだけ、話しを。ごめん、と言われました」
ライズは前を向いた切り、答えない。
「まだ生きてる、ごめん、と」
「それを字面通り受け取って、庁舎に逃げて来た」
また図星だ。この直球攻勢には、きっといつまでも慣れないだろう。
「あの雰囲気で皆いいように煙に巻かれているが、彼の思考回路は非常に合理的でシャー
プだ。自分が死なないでいるのを、詫びているとは俺には思えない」
ライズは、健とオダの最後の遣り取りを知らない。だから…。…でも。
健は、何も答えられず、ハンドルを切った。車が激しく尻を振った。

ライズが、不意に調子を変えた。
「話しをする機会もそう無いだろうから言っておく。そのうち長官から通達されるだろう
が、俺は来月の戦闘を最後にISOから手を引く」
「え?」
「ニケは国内中央部の古巣の空軍基地に戻る。俺は、統合参謀本部へ異動となる。君たち
とやれるのも、俺が飛べるのも、次の、あの戦いが最後になる」
「ご栄転、ですね。おめでとうございます。でも、それでいいんですか」
「そもそも、" 大佐 "の肩書きで飛んでいること自体に無理があったんだ」
ライズは正面を向いたまま、少しだけ嗤った。
「戦争は、終わらせるほうが難しい。一介のジェット乗り風情では、思うに任せないことが
多すぎる」
「でも、あなたは、本当にそれでいいんですか」
繰り返した。どうしても聞いておきたかった。
「俺は、最強の航空隊を創りたくてニケにどっぷりだった。俺自身は、パイロットになりたく
てなったのではない、飛ぶのが好きで飛んでいたのではない」
健も真っ正面を向いたまま、スピードを落とした。肩に、妙に力が入っていた。
「ニケは文句なし最強です。これで終われて本望と?心残りは何一つないと?」
そんなにあっさり言われて堪るか、言えるものか、と思った。
「君と前副隊長エレメントが実現できなかったのだけが、悔いだな」
俺のこと?思わず手元が狂った。スリップついでに、道路わきに停車した。
おい大丈夫か、とライズの苦笑。健は、はい、と取って付けたように頷いた。
「ニケには、俺の考えうる、最高級のパイロットを揃えている。やつが目下のところ歴代
ナンバー1だ。天性のものを持っていた。君もだ」
「でも、ニケのエースは大佐です」
「俺は、物理から入っている。理屈で飛んでいる口だ。君とは違う」
あの無表情だった。あの抑揚のない話し方だった。
「理屈だろうが、何だろうが、大佐ほど正確に飛べるパイロットは居ません」
「世辞はいらない」
「お世辞なんかじゃない。俺が聞きたいのは、そんな話しじゃなくて」
健の愛した空を、空間と時間とを共有した、最高のパイロット。
「…なんで、ずっと飛んでいてくれないんですか…」
「G1、永遠など、どこにも無い。全ては移ろって、変わっていく。年を取れば、視力も
反射神経もだめになっていく。いずれは飛べなくなるものだ」
「よくもそんな悟りきったようなことを。大佐、俺は」
飛べないと分かったとき、の後は言葉になどできない。詰まって、押し黙った。
悟っているわけではない、とライズは小さく言った。そうだな…。
「俺みたいな人間は、飛べなくなってから応えてくるんだろうな。ジェットの音に釣られ
て、窓から空を仰いで、そうか俺の機はもう無いんだ、と」
不謹慎だとは思いながら、安堵を覚えた。同時に、得も言われぬ喪失感がのし掛かってき
た。腹に力を入れ直した。
「来月の戦闘で、必ず終わらせます」
言い切った。
「ああ。それで、俺の援護任務も、ケリよく終わらせられる」
「初めてご一緒したときと、おんなじような感じですよね」
「そうだ」

初めて会ったとき、なんて嫌なやつだろうと思った。
初めて一緒に飛んだとき、本当のプロだと思った。

「戦争なんか糞食らえですが、あなたにお会いできて、よかったです」
「俺も、ISOでやれて、よかったと思っている」
風穴をふたつばかり空けられたが、とライズは付け足した。健は、少し目を紅くしながら、
微笑した。何にでも、始まりがあれば終わりがある。
「俺。亡くなったおやじが航空隊を率いていたんです。強かったんですよ」
「なんだ、君こそサラブレッドじゃないか」
「違いますよ。で。…大佐に叱られたときは、おやじに怒られてるみたいで。いちいち堪
えて、腹も立って」
「俺は君を叱ったことなど無い。第一、君は俺のトシを知ってるか?」
「俺より2つ上じゃなかったでしたっけ」
「知っていてそれは、いくらなんでも、あんまりじゃないか」

健は、一瞬、きょとんとした。次の瞬間、派手に噴出した。

笑っていないで、車を出せ。
そうそう。腹減りませんか?
まあ、そうだな。適当にどこかに寄ってくれ。
ファミレスですね。疲れてるんだったら甘いものは?そこにドーナツ屋が。
いやだ。考えただけで胃凭れだ。十日で十時間くらいしか寝てないんだ。
そうですか?胃はきゃしゃなんですねえ。
…。


Episode 5-8


息苦しくなって、噎せた。シーツに顔を埋めて咳き込んだ。
どうした?苦しいのか?と大きな手が背中を優しくさする。軽く顎を掴まれ、仰向けにさ
れると、唇を割って冷たい水が流れ込んできた。干涸らびきった喉が、生き返る。ジョー
の顔が、すぐそこにあった。
「大丈夫か?」
無理に微笑んで、なんどか小さく頷いた。
決戦前の土壇場になって、小競り合い的な出撃が増えていた。あの諸刃の剣も引き抜かれ
た。健は、空き時間の殆どをリアクタで過ごし、それでも、疲れやすく、脆くなっていた。

鈍い頭痛の下で、考える。
残された日々で、俺のしなければならないことは何だ。
やり残していることは、何だ…。

**

「ごめん。忙しいのに」
「もう私たちのシゴトは終わったわ。あとは現場組の頑張り」
決戦を一週間後に控えたその日、健は、やっと決心がついてリサを昼食に誘った。
病院の食堂の片隅。
「俺、リサに嘘をついてた」
リサは怪訝そうに、小首を傾げた。何よ、聞き捨てならないじゃない。
「ユ、…オダ大尉は、俺に、" まだ、生きてる、ごめん "って言ったんだ」
リサの眉根がみるみるうちに寄った。
「俺は彼を利用した。その挙げ句、俺から引き離そうと随分酷いことを言った」
なるほどね、とリサは溜息を付いた。健を見上げて小さく笑った。でも…。
「大怪我する前日だったわ、ジョーがあの子を揶揄ってた。ジョーが、俺と大佐とどっち
が好きだ、って言ったら、大佐。誤魔化さないから。大佐とG1とどっちが好きだ、って
言ったら、G1。なぜ?なんでも。って」
参ったな、とリサは腕を組んで天井を見上げた。
「あの子、得心のいかないこと、認めないの。これだけは、周りがどう言ってもダメなの。
多分、あなたのその、酷いことってのも、消化していないわ。だって怪我する前日まで、
大好き、って公言して憚らなかったのよ。甘かったわね、G1。そういう付け焼き刃的な
嘘は、あの子には通じない」
「リサ」
「だから、あの子があなたに、そんなこと言いたいわけがない。おかしいわ。ねえ。何か
大切なこと、忘れていない?" まだ生きてる "って言い方は、よくするじゃないの。切れ
かかってる蛍光灯が点いたときとか。あるでしょう?」
「でも」
リサは静かに椅子を立った。
「思い出して、あの子のために」
煮え切らない表情の健を、リサはくすりと笑い飛ばした。
「私の最愛の4人の教え子の中で、あなたが一番悲観的。何でも悪いほうに取る。自分の
せいだと思う。でもそれは間違い。人間は誰でも、善悪両方内包していて、有機的に影響
しあっているもの、そんなに簡単じゃないわ」
会っていくでしょ、とリサは健を促した。健は、一瞬の躊躇いの後、頷いた。
戦いは間近だ。恐らく、もうここには来れないだろう。

硬く閉じられた目蓋は開かない。

脳の破片を除去する手術が、まだ何度か必要なの、とリサは言った。
いい?健。この子が反応しないのは、破片が脳に悪影響を与えているから。
噛んで含めるように、健に聞かせる。だから、それが無くなれば話しもできるようになる
し、もっとちゃんと回復するの。だから、ちゃんと会いに来て。来月も、再来月も、半年
後も。いいわね。
リサらしい、また、一流の科学者らしい、筋の通った言い分ではあった。
でもリサ、人間ってそう簡単じゃないって、あんた自分で言ったばかりだぜ。

気が付くと、健がひとり、オダを見下ろしていた。
何を伝えたかったのか、健にはメッセージの意味は分からないまま。
「ユーリ、ごめん。分からない。俺なんかに、何が言いたいんだ。俺、お前ほど、頭良く
ないって…」
言葉は徒に費やされ、薬臭い空気に消えていく。
「そうだぜ。お前ほど頭回るやついないから、みんなそりゃ困ったんだ。もう、来週が決
戦だ。俺も行く。ニケもだ。今度こそ、終わらせる」
お前も、勝って、戻ってこい。次に会うときは、もとのあのお前になって…。
戦いの話しを根掘り葉掘りせがむのだろう。さいごに、微笑む。
みんな無事でよかったね…。

そう。みんなで戻ってくる。

頬を、目蓋を、額を、指先で辿った。
唇を唇で覆った。最初は軽く、次はゆっくりと。永い眠りも、これで醒めよと。

**

身を切るような冷気の中、ニケの最終演習を5人で見に行った。名目は空軍の動きを見て
おくため。本当は、言い尽くせないほどの感謝を顕したかった。
あれだけの犠牲を強いられて、それでも一歩も退かなかった勇者たちに。

隊長機が列線に戻って来た。ライズが下りてくる。ヘルメットを脱ぎながら、スタッフたちに
忙しなく指示を出す。健とジョーに気が付いて片手を上げた。
「よう」
ジョー。
「気合い入ってんじゃねえか。完璧だな」
「当然だ」
ライズの目に、本当のところはどう映っていたのかは分からない。女子供もいる、5人の
シークレット・ソルジャー。
「ジュン、何を隠れとるんじゃ。くすぐったいぞ」
振り返ると、ジュンが竜の背中に貼り付いている。まったくもう、と甚平に引きずり出さ
れ、竜に押し出されて、ぽいっと放り出されてきた。
何故わざわざ正体を明かすようなことを、と、この日、ここに来るのを最後まで嫌がって
いたのだった。
ジュンはジャケットの裾を所在無く掴んで、俯いた。それから、何か決意したように、き
っと顔を上げた。

「どういうつもりだ」
「あなたが本気になったら、どのみち隠しおおせるもんじゃない」
健の言葉に、ジョーがニヤリと不敵に笑う。甚平が小鼻を掻き、竜がおどけたように肩を
竦めた。ジュンも、あの気の強い微笑を見せた。
「だから、先手を打ちました。…一介のジェット乗りじゃ、ないですもんね」
ライズは、唇の端を上げた。

「俺を忘れるな」
眩しそうに、目を細めた。
「助けが必要なときは、いつでも力になる」
「車、また貸してくれや」
ジョーが、すかさず突っ込んだ。ガレージの鍵、返さねえぜ。
好きにしろ、とライズは先ずジョーを一瞥した。それから順繰りに4人に視点を移し、最
後に健を視た。背筋を伸ばし、敬礼した。そして、踵を返した。
見慣れてしまったブルーグレーのフライト・スーツ。その向こうに、タキシング・アウト
していく女神たちが、そのまた向こうに、薄蒼い空が見えた。
気付いたな、とジョーが目配せしてきた。
敬礼が返礼。健は黙って頷いた。

5人も、その場を後にした。
エンジンの轟音が、背中で唸りを上げた。


Episode 5-9


そして、その日、が巡って来た。

「諸君、この戦いで全てが決まる。私は、諸君を、やっと終わった、ご苦労だったと言っ
て、この場で迎えたい。諸君の、為すべきことを、為すべきところで、為せ。諸君の成功
を祈る」

南部、そしてISOと軍の主立った面々に見送られて、先ず、ニケ16機が躍り出た。健た
ちは、Gスパルタンのモニタから、夕闇のランウェイを飛び立つ女神たちを見送った。や
がて健たちにもゴーサインが出る。
速度でも航続距離でも、戦闘機より遙かに勝るGスパルタンが、数度の空中給油を経たニ
ケに追いつくのは翌未明だ。
敵地には既に特殊部隊が潜入しており、空からの味方の飛来を待ち構えている。敵防空シ
ステムの破壊、対空攻撃システムの破壊、の責務を担っているのだ。
ニケの援護を受け、健たちは敵の最奥にまで滑り込んでいく。陸上支援部隊の動きとタイ
ミングを合わせて、突入する。

「う〜ん、かっこよかったよなあ」
甚平がしきりに敬礼している。どうも気に入ったらしい。軍なんか、って小馬鹿にして竜
とネタにしていたくせに。と、ジュンが笑ってこき下ろした。
「あんたじゃねえ。タッパも足りないし、かっこつかないわ」
「うへえ」

Gスパルタンが、飛び立った。ゴー指令を出す、南部の声は若干上擦っていた。
−必ず、勝って戻ってくるのだ。諸君。待って居るぞ。健闘を祈る。
ラジャ、と応える、5人の声も上擦っていた。

夜の、闇より暗い闇の中を、ただ、飛んだ。
「ニケの進路は予定通りだわ」
「さあて、腕が鳴る腕が鳴る。俺らのほうがカッコ良くないと拙いよなあ」
「んだ。武者震いが来そうじゃ」
「今から力んでいたら保たないぜ」
不思議なほどの、穏やかさと、静寂さの中、走馬燈のように、時を遡る。
そう。悔いも、迷いも、悲しみも、すべてはもう、過ぎた時間の彼方に。

「健、そろそろ空軍とのランデブーポイントよ」
いつかと同じジュンの声が、健を現実に呼び覚ます。
「やつが来てるな。健」
ジョーの声を背に聞き、健は微笑して振り返った。
「来てるさ。手ぐすね引いて待ってるぜ」
「来たわ。戦闘機よ」
先ず両側面、それから前方に、散開した編隊が滑りこみ、Gスパルタンを盾のように覆っ
た。その数16。全機の尾翼に勝利の女神の横顔。
「相変わらず、派手だのお。頼もしいこっちゃ」
「ジュン、編隊長と通信してくれ」
「ラジャ」

どんなに長い闇夜も必ず明ける。
俺は、生き抜いて勝ち続ける。
そして、戻って来る。必ず。

**

その戦いを最後に、敵は連合軍に降伏した。
敵首魁は、特殊部隊に逮捕連行された。
敵中枢の攻撃機能を麻痺させ、首魁を確保したのは、ISO長官直下の、スペシャル・フ
ォースの働きだったと報告されている。
ただ、彼らの帰投、生還は確認されていない。
そのまま地下に潜伏、誰にも知られぬまま一般の人々に紛れ込んでしまったのか。それと
も、瓦解する巨大基地とともに、白い岩塊の下に飲み込まれてしまったのか。
彼らがだれで、どこに消えたのか。
それは、記録の裏の、解明不能の謎のひとつとされ、封印された。

5人の最強のシークレット・ソルジャーたち。
白い影を氷雪の岩肌に躍らせて、確かに、あの最後の戦場を駆け抜けていった。

彼らの噂は、あれからぷっつり、絶えて、聞かない。


END < SILENCE




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