空ヲ仰グ -- Birthday − 1

by もも

ガラスの檻を破って、健は現世に戻ってきた。

**

健を閉じこめていた研究棟は崩壊した。オペレーションHSをカネにしようとしていた研
究者たちは逮捕され、拘留された。健は呪縛から解放されたのだった。
あれからほどなく、新タイプのリアクタが導入された。
それは史上初の本格的人工知能コンピュータの制御によるものだった。南部孝三郎のコン
セプトのもと、ISOと軍が共同開発した人工知能(A.I.)、通称ガイア。それは、
従来の電算機を遙かに凌駕する学習能力とシミュレーション能力を擁する究極のコンピュ
ータだった。
当時、それはテスト稼働しはじめたばかりで、主に医療分野のシミュレーションを行って
いた。医療シミュレーションといっても、専門医の的確な判断を得られる範囲のごく簡単
なもの。健の治療はレベルが違う。吐き出し切れない問題(バグ)が、残存している可能
性もある。健の医療スタッフは新リアクタの採用を当初は反対した。しかし、健の肺が石
化によってその機能を完全に失うまでの時間は僅かだった。南部は賭けた。新リアクタを
急ピッチで開発。そして、健の治療メニューは、南部や医師陣とガイアの会話に於いて決
定され、実施されたのだった。
結果として、健は目覚ましい回復を見せた。
ただ一つ、肺を除いて。

石化した肺は遺伝子異常を起こしており、自己治癒は不可能だった。
健には新しい肺が必要だった。移植手術が検討され、候補が探し求められた。
ドナーは意外に早く現れた。あの戦争での後遺症で、意識の回復が望めない、家族が生命
維持装置のオフを検討しはじめたというものだった。
健と、年齢もそう離れていない青年とのことだった。若い、できれば男性に、との言葉が
あったという。二人分、精一杯生きて欲しい、と。
誰かの死の上に生き長らえる。その現実を、素直に受け入れられない自分がいた。
手術はまさしく理想の形で成功した。懸念された拒絶反応も起きず、日々は流れた。
健は、健たる健を、取り戻して行った。

試験的な退院、検査入院、また退院と、入退院を繰り返しながら、健は忘れていたはずの
「通常」生活に戻っていった。いずれ、通常生活は単なる「生活」になる。
時間の経過を待つばかりのようだった。

**

−健。
はっと目覚めたら、白い天井だった。
新しいリアクタで、肺移植で、元の体に戻れたはずの、あれは夢?
天井を、呆然と見詰めながら息を殺す。夢なのか。期待は嫌だ。裏切られる。
「何やってんだよ、うたた寝か?」
その天井を遮って、ジョーが健を覗き込んだ。水色の瞳が細められる。
「…ああ…」
呼吸が、できる。声も、掠れていない。空気が、暖かくて丸い、刺さらない。
「うん…つい…。いつ来たんだ?」
「たった今、俺だけだったら寝かせておいてやったんだが、…おい入れよ」
他のみんななら、黙っていても入ってくるはずだ。健は、小首を傾げてドア口を視た。ひ
ょっこりとタンのシャツが姿を現した。オリーブ・グリーンのネクタイ。
赤い巻き毛が、白い整った歯列を見せた。空軍の軍服。
「レッド!」
とっさに渾名が浮かんだ。忘れもしない、ニケの、あの戦いを一緒に超えた、(当時)新
米パイロット。演習では何度健に撃墜されたことか。
「ご無沙汰。遂に釈放だって?」
「ああ、明日…」
「ラッキーだったな。入院最終日に間に合うなんて。会えて良かったぜ」
見覚えのある屈託の無い笑顔。目のすこぶる良い、反応のやたらに早いパイロットだっ
た。健とは瞬間湯沸かし器コンビなどと言われていた。そういえば、あわや取っ組み合い
ということがあったっけ。懐かしかった。
「なぜここに?」
「お祭りの準備。俺、万年宴会部長なんだ」
ニケで飲み会をやるときにはこの男が仕切っていた。何かの打ち上げ、誰かの誕生日、ク
リスマス、などなど。
「お祭り?」
「ISOとニケの共同演習。ちょっとした航空ショーなんだ。今年の秋の終わりにやるの
さ。表向きは両者の腕の競い合い、アンド戦友の同窓会」
「裏向きは?」
「複雑な関係の両君の、腹の探り合いに決まってるだろ」
健は声を立てて笑った。やっと笑うことが恐くなくなってきていた。咳はもう出ない。
「で、なぜここに?」
健は親指で床を指した。
レッドは少し居住まいを正し、ジョーを一瞥した。ジョーが軽く頷く。次に言葉を切り出
したとき、彼の口調はひどく改まったものになっていた。
「その航空ショーに、G1じゃなかった健、君も参加する」
「…」
鳩が豆鉄砲。
「ISO方じゃない、支援スタッフでもない、ニケの戦闘機のパイロットとして」
「ちょ、ちょっと待てよ」
「長官から何も聞いていないのか?」
不安そうに眉根を寄せた。健は反射的に首を横に振った。
「ま、いい。長官は、何の問題も無いと仰ったそうだ」
「問題無い?!まさか。大ありだ。俺が何年ベッドで暮らしたか知ってるのか?いつから
飛んで無いのか知ってるのか?」
「知らないよ」
レッドは、また明るく頬笑んだ。口調はいつものきさくな調子に戻っていた。
「俺は俺ひとりの判断でここにフライングしたんじゃないんだぜ?健」
レッドは腰に手をあて、健を見下ろした。
「お前の健康状態と運動能力のデータは、長官から准将に渡って、必要なネゴは全て終わ
ってる。准将がお前をニケにと俺に指示したんだ」
「じゅ、准将?」
今度はレッドが鳩に豆鉄砲。
「やつだ」
ジョーがにやりと呟く。
「え?あ、大佐か…、そうか、偉くなったんだな」
「ああ…」
レッドは、あ痛、と頭を掻いた。
「そうだよな、具合、随分悪かったんだってな。わけ分からないよな」
どことなく気まずい沈黙。ジョーがレッドに椅子を勧めた。レッドは、照れたような微笑
を浮かべながら腰掛け、改めて健に向き直った。
「もすこし詳しく話すからさ」
健は、頷くこともせず、ただ、そのそばかす顔を見詰めた。

「覚えてるか?健。ギーさんと俺とでお前をヘッドハントしたの」
ギーとは、ニケの元副隊長。あの戦いで落命した。レッドは不安そうに言ったが、健はあ
のときのギーの言葉を忘れたことなどない。
−やるなら主人公、うちに来いよ。
「覚えてるぜ。びっくりしたからな」
レッドはほっとしたように口元を綻ばせた。
「あれは、ギーさんと准将とで根回し済みだったんだ。お前が来たらどう、ってのも色々
考慮済みで…、お前、来なかったけどさ」
健は瞳を瞬いた。遙かに霞んだ思い出だった。
「准将ってのは、けっこう諦めの悪い人なんだ。コレと思った人間は、とにかく引っ張
る、何が何でも引っ張る、まぁ、ああいうタイプが上にいたから凄腕が揃ったんだろう
けど…。なのに、お前に関しては、ある日突然パタッと拘らなくなってさ。不思議でな
んなかったよ、俺は」
レッドは小さく吐息した。
「俺たちパイロットは、お前と一緒に飛びたかったからさ、とってもね。…准将は偉くな
ってニケから離れて行った。そりゃ今でも俺たちの上であることに変わりは無いんだが、
間におやじがぼろぼろ挟まっちまった。任地も違うし、会うことも話すことも、ほとんど
無かった」
健はちらりとジョーを見た。ジョーはなぜ、レッドを伴ったのか…。
「それがさ、ついこの間、うちの基地に来たとき、わざわざ俺を呼び出してさ、“リトラ
イしろ”って言うんだ。お前を引っ張れって。俺はISOに来ることがけっこうあるから
さ。以前からのいきさつもあるし」
だから、今日、俺はここに来たんだ、とレッドはまた、背筋を伸ばした。
ジョーがやんわりと繋いだ。
「長官とやつは、まぁそれなりに付き合いあるから、お前のことについても情報の行き来
はあったのさ。例のドナーのことに関してはやつから情報が来たし、その経過報告で、
お前の体の情報は長官からやつに渡った。その上で、やつがお前を貰うと言ったらしい
ぜ。…ま、お前の好きにすればいいのさ」

事情は、分かった。
「“伝説のG1”」
ぽつり、とレッドが零した。
「パイロット仲間で、お前はそんなふうに呼ばれている。絶対墜ちないパイロット、戦争
が百年続いて戦い続けても、決して墜とされないパイロット、って」
レッドは、唇を湿らせた。
「准将が俺たちによく言ってた。“伝説になどなるな”って。“伝説”は過去に過ぎな
い、強くあり続ければ、伝説になどならない、って」
なぁ、と彼は健の顔を覗き込んだ。
「戻って来いよ。ランウェイに」

健はかなり混乱していた。何と答えていいか見当も付かなかった。
「簡単に言うなよ…。俺が、どんなに…」
視点が彷徨う。
「五感も狂ってた、何年も寝たきりだった、コックピットなんて忘れた…」
えも言われない悲しみと、同時に怒りすらが込み上げてきた。
「…戦闘機になんて乗れるわけがない…ましてやニケで…」
語尾が掠れた。
「お前ら、飛べなくなった俺を、嗤いたいのか」
「…」
レッドの唇が震え、頬が上気した。
「G1とも思えないいじけた言いぐさだな。いいじゃないか、嗤われたって、巧くなりゃ
いいんだから。俺なんかお前に何回撃墜された?その度にビールおごらされて、嗤われて
たんだぜ?俺は確かにずっと飛び続けてるが、あの頃のお前ほどはまだやれない。そり
ゃ、お前だって今は多少ヘタクソになってるだろうけど、俺から言わせれば上等だ。今度
こそ、いいライバルでやれるからな」
「エリート街道だけ歩いて来たお前らに、俺の気持ちなんか分かるか」
「分かりたくもないね、飛ばなきゃ、いつまでも飛べないまんま、飛びたい、飛べたかも
知れないって思い続けてうじうじするだけじゃないか。やるだけやって、納得行かなかっ
たら辞めればいいじゃないか。俺ならそうするね」
−辞めればいい−
健は瞠目して、言葉を失った。
レッドは、がたんと音を立てて椅子を立った。
「頭冷やして考えてみてくれ。准将命令で来てるのに、ケンカして終わりました、じゃ報
告にもならない」
踵を返して立ち止まり、振り返ってにっと笑ってみせ、
「本当に、頼んだぜ」
じゃ、と軽い足取りで、部屋を出て行った。
健はろくに見送ることもできずにシーツを握り締めた。

「ジョー…」
ひとりごとのような、声音だった。
「お前、俺がニケに行けばいいと、思っているのか?」
「…そうさな…」
ジョーは壁に凭れて腕を組み、天井を見上げていた。
「ニケっていうんじゃねえが、俺は、お前が…」
天井を見ているわけではない、ジョーの瞳は、
「…極上の連中と一緒に、最高の機体を駆って、自由に空を翔んでる…、そいつを見てみ
たい気もするな…」
青空を行く、健を追っていた。


END - 空ヲ仰グ



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