夕日ヲ追フ -- Birthday − 3

by もも

午前中、健はリアクタに仰臥することになっている。健の体には、ガイアの端末が埋め込
まれていて、心拍数、血圧、さらには血液の状態等の情報が随時コンピュータに送られ、
データ管理されていた。端末といってもごく微小な、ナノ・テクノロジーの結晶で、体に
は何の悪影響も与なえいものだ。健の健康管理は人工知能ガイアの管理のもと、24時間
体勢で行われているのだった。
−おはよう、健。家での生活はどうですか?
−本当にいいね。でも不思議だ。前は四六時中眠くて、どんなにか寝ていたかったのに。
なかなか寝られなかったし、早くに目が覚めてしまった。
意識の下で、ガイアと会話する。ガイアはそうやって、健のデータを集積し、“人間”を
も学習する。
−若干の発汗。心拍数も少し上がっていました。
健は笑った。小さな子供の、初めてのお留守番みたいだと。
−どきどきしてたんだな、俺。家のベッドで寝るってことに…。
−“どきどき”ですか。
−“わくわく”でもいいや。嬉しくて、目が冴えちゃったのさ。
−分かります。

ガイアは「大地の女神」。育む者。癒す者。『地球』の名を頂く者。
花の香り、すり抜ける風。健はとろとろと、睡魔に誘われた。

タイヤが砂利を踏みにじる音。ブレーキの軋む気配。
−健、来客のようですよ。
ガイアの声に跳ね起きた。顔も洗っていなかった。
「行ってくる!」
声にして叫んで、Tシャツを掴む。台所で派手に水を被った。

ドアを明けた途端に固まった。ジョーが居たらどんな顔をするだろう、と先ず思った。そ
れほど派手なスポーツカーだった。
「あなたの趣味ですか」
ライズは運転席側の窓を開けた。レイバンは掛けたままだった。
「いいから乗れ」
ジーンズの尻のポケットの、財布の感触を一応確かめる。(これも)一応、ドアに鍵を掛
ける。助手席に駆け込んで、シートベルトを手繰る。
がくん、と体が後ろに引っ張られた。ジョーとどっこいか、と思った。
数分ののち、ジョーのほうがまだ安全運転かも、と思った。

シーフード料理を堪能した。健の食べっぷりを見ながら、ライズは、病み上がりとは思え
ない、と半ば呆れた。
病院のメシは不味かったから、と切り返すと、それはそうだな、と頷いた。
「あんまり食わないんですね」
シェアした料理は、健だけが手を出していた。食が細い。前はこんなこと無かったのにと
思った。いつもきっちり撫で上げていた髪が額に零れてるのは、オフだからだろう。その
ほかは、頭の天辺から爪先まで、記憶の通りの彼がいた。
「奥さんにも会えるかと思ったのに…。お留守番されてるんですか?」
ニケの話を出される前にと、必死で振った話題だった。結婚何年目になるのだっけ。二世
もいるだろう。奥さま自慢、ジュニア自慢になってくれたら、うまくはぐらかせるかもし
れない…そんな甘い相手では無いだろうが…。
「お子さんもいらっしゃるんでしょう?」
この人も、所帯の匂いが皆無だな、と思いながらだった。
「そんなもの居ない。…第一、とうに別れた」
「は?」
結婚したことしか聞いていない健だった。
「バツ一独身、子供無シ、だ。君の情報リソースは今ひとつだな」
口角が少し上がった。

二人とも多弁では無い。話しの弾む相手でもない。腹がくちくなるにつれ、健は気詰まり
になってきた。いっそ、と思って、自爆した。
「…ニケにお誘い頂いた件ですが…」
そして、断った件だった。わざわざ来てくれた、レッドと言い争いまでして。
「レッドから聞いている。気が変わったら、やつにでも俺にでも、連絡を寄越せ」
何が何でも引っ張る、と聞いた、その前振りの勢いは感じられなかった。
「何年ものブランクも、その前からある五感の狂いも、理解しているつもりだ。ただ、あ
の頃の君のデータと最新の君のデータを比較して、これならOKとゴーを出したのも俺
だ。あとは君の気の持ちようだけ、とは言っておこう」
肩透かしだった。根性無し、と叱られるとばかり思っていたのだ。
「君がしたくないなら、しなくていい。今は戦時下ではない。パイロットが、不足してい
るわけではない」
健は、はい、と口籠もって項垂れた。
「早いほうがいいが」
え?ライズを視て、小首を傾げた。
「俺がいつまでも、ごり押しできる立場にいられる保証は無い」
「ごり押し、ですか」
「どんな人間が、空軍の戦闘機乗りになれるか知っているか?」
問いかけの意図を読めず、健は黙って彼の色の無い瞳を視た。
「最低でも学位を取得済みであること、士官学校に最低2年在籍のこと、その後、9週間
の基礎訓練を積み、ペーパー試験、実技試験、口頭試問を経、さらに…」
ライズはふっと言葉を切った。
「俺は君をレッドと同格で迎えるつもりでいる。戦時下ならいざ知らず、今ではこれはご
り押しだ」
「た…」
大佐、と呼びかけようとして、ああ、違うんだ、と思った。
「俺は出来の良い兵隊だったかもしれないが、今は似非政治屋の卵にすぎない。俺など太
刀打ちできない狸や狐が山ほどいる。俺の足許は脆弱だ。だから」
決めるなら早いほうがいい、と言ったのだ、とライズは揶揄するような視線を健に向け
た。
「あなたが失脚すると?」
「するつもりは、毛頭無いがな」
少し安心して、健はロブスターにかぶりついた。

健の気詰まりは、あと2点。濡れナプキンで指を拭いながら、健は居住まいを正した。ま
ず、ひとつめ。
「別件でお伺いしたいことがあります」
ライズはムール貝をほぐしていた。それを口にはせず、健を促した。
「ドナーの墓は、どこですか」
「ドナー本人の希望だ。教えられない」
「本人の、ですか?」
意識不明の重体ではなかったのか。健の眉根が寄った。
「軍では臓器移植や献体について、入隊段階で一筆書く決まりになっている。君のドナー
の場合は、性別、年齢ともにできれば自分に近い相手で、かつ、その相手には身元やプロ
フィールは聞かれても内密に、となっていた」
そんなに気になるか、とライズは、やっと貝を頬ばった。
「気に、なります」
「ひとりの人間の可能性のすべてが、君に集約されたことは確かだ。君はそれを忘れては
ならない。しかし、彼の辿ってきた人生を負う必要はない」
「大佐」
「過去を云々することは不毛だ。精一杯生きて欲しいとの伝言を、長官から聞いたはず
だ。ドナーがいなければ出来なかったはずの、君が本当にやりたかったこと、やるべきこ
とを、すればいい。違うか」
この人は、やはり変わっていない、と健はこのときも彼を眩しかった。なぜこうまで前を
見据えていられる。ちがいません、とやっと口の中で呟いた。

食後のお茶をオーダーするために、ライズはウェイターを呼びつけた。
健がスィートを悩んでいると、全部もらえばいいだろう、と苦笑した。
黒服は慇懃に微笑んで、それぞれのスィートの半量を大皿に綺麗に並べて行った。生クリ
ームのホイップが添えられ、ベリーの紅いソースが散らされ、健の瞳が光を帯びるのに、
ライズはまた呆れて首を横に振った。
「重病を越えると味覚が変わると聞いたことがあるのだがな」
「そうですか?俺に関しては当てはまりませんね」

早い夕食まで奢らせて、日暮れ時、健の家の前に車は横付けられた。

最後の気詰まり。ここで降りたら質す機会は金輪際無いだろう。
「オダは、どこでどうしているんです?」
「死んだ。聞いていないのか」
「長官からも、ジョーからも聞いています。リサを問い質したりするなとも、言われてい
ます」
成程、とライズの口調は変わらない。夕日が逆光になって、表情も読めなかった。
「俺だって公的には死人だった。政府や敵の追跡を避けるためです。オダもそうなんでし
ょう?どこかで別の顔の、別の人間になっているのでしょう?」
あなたの計らいで、と健はライズを見据えた。どこに、いるんですか?あいつは…。
「それならば尚のこと、死んだとしか答えられまい」
ぴしゃりと言い切られ、健は接げる言葉を失った。

「君はどうしても過去に拘泥したいようだが」
ライズが、どんな貌でこの言葉を言い放ったのか。健には見えなかったが、
「俺は、ポーチで静かにお茶を啜るだけの人生など御免蒙る。君がこの先、手記でも書い
て余生を穏やかに送りたいというなら、それはそれでいい。しかし」
酷薄とまで形容された、峻厳な鬼隊長が、
「そんな君とは、俺はもう会う気も、必要も無い」
紛れも無く、そこに、居た。

健が助手席を後にすると、おやすみ、と低い声が余韻を置いた。健には目礼ひとつ返せな
かった。夜色のボディーがバックをし、切り替えをして、残照へと溶け込んで行くのを、
滲み始めた視界で見送った。
唇を噛み締めて振り返った。いつの間にか門灯が点いていて、ジョーがいた。
「何度電話しても出ねえからよ…。心配は無用だったな」
ジョーの脇を少々乱暴にすり抜けた。ジョーは面食らって、健の腕を引き寄せた。
「…おい、健…、あいつ…?…!」
「誰か、分かってるのか?」
「あんな色のエンツォに乗ってるヤツがそうそういるか」
ジョーの指が健の頤を掴んで、顔を強引に向けさせた。
「何をされた」
「…何も…!」
その首に腕を巻きつけた。アッシュブロンドに鼻先を埋める。一体、何があったんだ。ジ
ョーの囁きが耳朶を擽った。答える代わりに、腕に一層の力を込めた。
ジョーが体を捻り、健ごとドアを潜る。後ろ手に扉を閉ざす。
ロックの、金属音が響いた。


END−夕日ヲ追フ



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