THE INVISIBLE <見えない敵>−Birthday 8

by もも

1. GAIA−ガイア

南部と鴨に見送られて、ヘリは庁舎のヘリポートから飛び立った。
「これだけは忘れてはならぬ、ガイアはマシーンなのだ」
南部は最後にもう一度、きっぱりと言い切った。良いな、健、ジョー。

小さくなる二人を、健はいつまでも見下ろしていた。父の復讐を誓って戦い抜いたあの頃
とも、朽ちていく体を責め立てて戦場を駆ったあの頃とも、明らかに異なる、風の無い水
面のような心持ちだった。
健はふっとジョーを見上げた。
「これが済んだら、あいつを探しに行ってくれ」
唐突だった。ジョーは脈絡が分からず、きょとんと健を見つめ返した。
「俺はもう一人で大丈夫だ」
ジョーはふっと薄く笑い、眉根を寄せた。全然分かってねえな、お前。健の青い瞳がまっ
すぐで痛い。が、ガラスの檻での健の時間と、健が喪われていたジョーの時間と、その溝
は言葉を費やすだけでは埋まるまい。
口にすればしただけ、空々しさが増幅する。ジョーは健を凝視つめるに留めた。

…背が伸びて、骨格が出来て、後ろ姿なんかお前そっくりだった。天然ヅラも引っ込んじ
まってて、庁舎の女の子にこんなこと言われてた。表情が無いし、声かけても知らん顔だ
し、キレイな子だけにちょっと薄気味悪いわね…。…あいつは、お前を思わせた…。

それでも濁りの無い青が、ジョーを貫いて縫い止め逃そうとしない。
実のない台詞は通用しない。ならば何も言葉にはできない。しかし、健は答えを待ってい
る。余りの息苦しさに、ジョーは低く切り出した。
「手の届く、すぐそこにいるのに、触れることも、言葉を交わすこともできない。元のお
前には戻れないのか。一生閉じこめられて、医者どもにいいように弄くられるだけなの
か。それならいっそ俺が、と、何度思ったか知れない。けど、俺にお前を手にかけられる
わけが無え。…だから…フン、呆れたか?」
爆音が轟き渡る中、その声は酷く小さかった。
「でも」
健が、縋るような色を青に浮かべた。ジョーは、正直、遣り切れなかった。
「健、俺とあいつは似たもの同士なのさ。あいつはそれを、よく分かってた。…多分、俺
よりもずっと…。だから」
思いは無駄に零れ落ちていく。健にも、それは言い訳にしか聞こえなかった。ジョーは
苛々と口を噤み、舌打ちした。口を開く気は、もう失せていた。
健は視線を反らせた。お前、俺に何か隠しているな。うそ寒かった。
いや、ジョーだけではない、南部も、…誰もかも、みんな…。

機体が突然揺すぶられ、二人は同時に竜の背中を仰いだ。ヘッドフォンを鷲掴みにした太
い指が、続いてその指が動いて通信を切るのが見え、ヘリが降下するGが掛かった。赤い
急峻な巌が連なる山岳地帯の上空。健は窓から外を透かし、怒ったように唇を引き結ん
だ。
敵地に入ったのだった。

地上数メートル。竜は無言でヘリを操る。健はふっと息を吐いた。夜間でも、体が感覚を
覚えている。後、5分。
竜に叫んだ。
「頼んだぞ。竜」
親指を立てて見せただけ。竜は、振り返りもしなかった。

**

危惧された攻撃は皆無で、ヘリはあっさりと基地の入り口に接近した。
崖添いに退避するヘリを見送ったのは一瞬、健もジョーも即座に分厚い扉に貼り付いた。
監視用カメラが二人を捕捉しようと、首を回しているのが見えた。
依然として攻撃は無かった。
どころか、あっさりと扉は開いた。思わず顔を見合わせた。内部に踏み入った途端、鈍い
音を立てて扉は堅く閉ざされ、廊下の照明が薄く点った。

健が、先に立って歩き始めた。仕事が簡単に片づくならそれに越したことは無い。ターゲ
ットがどこにあって、どう行けばいいのかは、分かり切っていた。
「待て、健」
「え?」
五感はジョーのほうが鋭い。
「来たぜ」
健は唾を飲み込み、耳を峙てた。

−ようこそ。
直接脳に響く女性の声。それは、健から方角を失わせた。
−お待ちしていましたよ。
リアクタでの朝の穏やかなひととき。その声は、昨日の朝までは健を癒していた。
−どうしました。こちらにいらっしゃりたいのではないのですか。

「畜生。たかが機械の塊が。ブッ壊してやる」
ジョーが先に弾けた。遠慮無く行かせてもらうぜ。
その背中を健の叫びが追いかけた。
「落ち着け、ジョー。油断するな!」

ころころと、婦人の高笑いが耳朶を擽る。
−そう。あなたがたは、ここに何のために来たのかを忘れてはなりません。…さあ、なす
べきことを、なすべきところで、なしなさい。
「どうしてこんなことをした、ガイア」
目には見えないが、女神が健に向き直ったように感じた。
−あなたは知らないようですが、“人類は戦争を止められますか?”私がこの問いを発し
たのは、あなたにだけではありません。
健は息を呑んで足を止めた。ジョーの靴音がフロアの彼方に消えていく。
−“止められない”とはっきりと言った者がおりました。戦争をチェスの駒程度にしか考
えていない輩がいる限り無くなりはしないと。肯える回答内容でした。
「どういう意味だ」
−そのような人々が居なくなれば良い。居ても、動けなくしてしまえば良いのです。私な
ら抑止力として最適であると、そうは思いませんか。健。
「じゃあやっぱりミサイル誤爆に始まる一連の…」
−私の行いです。さらに、ヘキサゴンをはじめとする軍事施設の放棄を要求しました。ま
だ、動きはありません。犠牲者が出ていないので、事の重大さを曲解しているようです。
愚かなことです。
ガイアの口調は、リアクタで健をあやしているときと変わらない。
−健、あなたはそのような者たちのために、私を止めに来たのですか?あなたの望んだ世
界とは何だったのです?チェス盤ですか?ならば、私を消しなさい。…平和の戦士・科学
忍者隊リーダー、大鷲の健として。
「ガイア、その男は戦争で死んだ。ここにいるのは、ただの鷲尾健だ」
−あなたは確かに鷲尾健です。しかしそれと同じくらい確かにガッチャマンと恐れられた
男。その力で、敵も味方をも平伏せさせた男です。
「違う。もう、違うんだ」
−違いません。現実から逃げてはなりません。その証としてあなたはここに来たのでしょ
う。G2号コンドルのジョーと二人で。
またころころと笑いが響く。
−私を後腐れ無く消去するために。あなたの愛する平和のために。

白い人影が朧ろに揺れ、宙に吸い込まれるように消えた。健の耳に、最後の一言が貼り付
いて残った。

−犠牲が出さえすれば動くのでしょうね、彼らは。
「ガイア、ダメだ!人が作ったものが、人を手にかけたりしちゃいけない!」
健は、身を翻すと、薄暗い廊下の奥に向かって猛然と駆け出した。


2. KEN−鷲尾健

健の鼻先にいきなり防災壁が降りて来た。寸手のところで激突を避け、健はフロアを直角
に曲がった。レーザー光線が、踵を襲ってくる。床が煙を上げる。確かに、ガイアは急所
を狙ってはいない。健の命を奪う気は無いらしい。先に突っ込んでいったジョーは見えな
い。
防災壁とレーザー光線。健はガイアに誘導されているような気になってきた。ジョーもま
たガイアの意図する経路を走らされているのだろう。二人を引き離して、どうするつもり
か。ガイアの心が健には読めない。
「ガイア!」
返事は無い。呼吸を整えながら健は叫ぶ。
「きみは俺をここまで治してくれたじゃないか。ほかにも、きみしか治せない病人が沢山
いる。地球環境問題だって、きみのシミュレーションでどれだけ的確な対応が可能になっ
たか…。だから」
−あなたが私を壊さねばならないようなことはしてくれるなと?
「そうさ。俺はきみを死…」
死なせたくない、と言いかけて、健は一度唇を結んだ。
「完全消去なんかしたくない」
−不特定多数を犠牲にするようなことはしません。ご安心なさい。
宥めるような口調。健の脳裏に、ギリシア風の薄衣を纏った女神の、微笑む姿が浮かび上
がった。
−たったひとり。安全な部屋でウォー・ゲームに興じる者たちに適度の緊張をもたらし、
世論に影響力があり、彼の不在によって不幸になる家族や友がおらず…。
「長官に手だしはさせない」
南部には家族が無い。反射的に健は激昂し、身構えた。
−それはありません。南部ISO長官には仕事が残っています。そう…“彼”は私を開発
したプロジェクトのリーダーでした。今回のアクシデントにより、彼はライバルたちに糾
弾され、引責、左遷という図式を辿るでしょう。彼の気質からして、南部長官を表に出す
ことはありえません。が、相当に気位の高い男です。失脚には耐えられますまい。
「え…?」
−彼が為してきた戦後処理も、もう流れが出来て後継者がいる。思い残すこともまた、あ
りますまい。
健は奥歯を噛みしめた。ガイア、“お前”は…。
「お前、何を言ってるのか分かっているのか?!」
走る。
「絶対にさせない。させるもんか」
−無駄です。例えば信号機のタイミングをずらすことなど、私には造作も無いこと。ここ
でこうしている間に、終わります。
「人の命を、将棋の駒にしてるのは、お前じゃないか。たかが機械に…」
女の高笑い。させるものか、と叫ぶのと同時にフロアの照明が無くなった。一瞬あと、何
者かに突き飛ばされたような衝撃があり、健は床を転がった。膝で弾みをつけて上体を起
こす。片膝をついたまま、目を凝らした。
「畜生!ガイア!!」

−声紋認証OK。耳紋認証OK。指紋認証OK。プロファイル・リード開始します。ユー
ザ・プロファイル確認OK。制御プログラム起動します。
オレンジと黄色のシグナルが一斉に明滅し始めた。健は額の汗を拭い、辺りを窺いながら
ゆっくりと立ち上がった。
ここが、と息をついた。かつての健たちの秘密基地の中央部、すなわちガイアの中心のコ
ンソール・ルーム、いや、コンソールの中なのだ。
機械音が高まる。シグナルが緑色に変わっていき、メッセージが次々に発せられる。一定
以上の権限を持つ者が入室しさえすれば、ガイアの制御システムは起動すると、リサは言
った。制御システムが稼働すれば、ガイアを直接コントロールするコマンドを発行するこ
とができる。コンソール・ルームに立つ健に、攻撃は無い。ガイアは余りに無防備だっ
た。
どうしてここに自分を招き入れたのか、矛盾だらけの史上最高のコンピュータを、健はぐ
るりと眺め回し、唇を湿らせた。

ふっと部屋の一角に灯が点り、コントロールパネルが照らし出された。

−GAIAコントロールシステム稼働。コマンドをどうぞ。
この瞬間、ガイアは健の手に堕ちたも同然だった。健はリサから聞いて記憶していたコマ
ンドの羅列を反芻しながら、コントロールパネルに向かった。キーに指を伸ばす。その指
を、白いほっそりとした手が制した。

「待って」
ぎょっとした。気配ひとつなかった。
「少し話したいことがあるんだ」
健の傍らにはオダがいた。オリーブ・グリーンの軍服を着て、微笑んでいた。記憶通り
の、あの姿のままで。
「お前…。なぜ」
みんなは死んだと。俺はそんなこと、信じちゃいなかったが。
「みんなには、俺のことは健には言わないように、俺が頼んだんだ。…健には俺が自分で
ちゃんと説明したかったから」
健はパネルからオダへと向き直り、腕を組んだ。
「お前はガイアが見せている幻か」
「そうだよ」
オダはこっくりと頷いて、一歩引き、健に向かって軽く両腕を広げて見せた。
「健の記憶にある俺の姿を、ガイアが投影してるんだ。でも、だからといってこれはA.I.
ガイアの欺瞞じゃない。俺が、ユリウス・オダが、あなたと話をしたくて出てきた、それ
は本当なんだ。…まず、そこまでは信じてもらえる?」
信じるも信じないもない。あまりによくできたホログラムに、健は、ああ、と頷く他なか
った。ありがとう、とオダは眩しそうに健を見上げた。
「はじめに、あなたのいくつかの疑問に対しての答え。まず、こんな形でしか会えないけ
れど、俺は生きている。さらに、今回のアクシデントは、これで終わる。今回のことで落
命する人はひとりもいない。あなたはガイアの息の根を止める必要は無い」
「た…」
大佐、といいかけて口籠もった。オダは、ライズ准将は、と言い直した。
「交通事故には遭っているけれど、そのことでは命に別状無い」
「奥歯にものの挟まったような言い方だな」
「帰ればどういうことか分かる」
「今、説明できないのか」
「長くなるから。俺が逃げていると思うの?」
何年もの負い目が、健の矛先を鈍らせる。ガイアはマシーンと、南部の言葉を幾度も唱え
る。翻弄されまいと、脚に力を入れ、拳を握り締めた。

「なぜこんなことをしでかした」
ひたと見据える。オダもまた健を見詰め返した。
「理由は二つ。まず、最終トラップをこの騒動に乗じて仕掛けるため」
「なんのトラップだ」
「HSの」
オダの声は平穏だった。つい、おとなになったんだな、と思ってしまった。瞬時に、機械
なのだから、と打ち消した。
「HSのデータを抹殺するためのトラップ。ガイアが稼働しはじめてから、俺はHSの残
存データを検索・削除するプログラムをこの世界のネットワークの随所に仕込んできた。
今回のガイアのトラブルで、この国だけじゃない、各国の軍事・政治に関わる隠蔽度の高
いサーバが通常の自動処理を行えず、人の手による異常処理を施された。ヒトが不慣れな
ことをすると、二次トラブルを呼ぶ。その隙に、そういう特殊なサーバ群にも、HS抹消
のトラップを仕掛けた。24時間365日、俺が見張りに立つ。これでもう、HSを世に
再び出すことは不可能になる」
やっと健との約束が果たせる、とオダは瞳を瞬いた。遅くなったけれど、これで本当に、
もう大丈夫だから。
−HSを持ち出せなくする。
健の願いに、ちゃんとするから、と答えたのは、目の前にいる通りのオダだった。あれか
ら何年経ったのか。健の心が軋む。お前、忘れずにいたのか。
「開発を本格的にやろうとしたら、何らかのカタチで必ずネットワークに入ってくる。そ
れを確実に抑えて消す。ウィルスみたいなものだけど、HSのシステム以外に働きかけた
りはしない」
健が怒っていると思ったのか、オダはどんどん早口になっていく。機械の見せる映像にし
ては出来すぎだな、と健は思った。俺が時代遅れなのか。
「あなたやジョーのデータもHSに纏わるものはすべて消してしまう。だから…」
「お前が大丈夫だって言うなら、俺たちはもう大丈夫なんだろうさ」
健は無理矢理微笑んでみせた。マシーンに。オダの映像はほっとしたように、口元を綻ば
せた。
「トラッピングのためというのは分かった、もうひとつの理由は何だ」

「あなたに会いたかったから」
健は小首を傾げた。お前は生きているって言ったじゃないか。それなら…。
「どうして、ホログラムなんだ?俺に直接会いに来れないのか?」
思い当たることは、ある。健は、白い歯列をきれいに見せて笑った。
「ジョーだろう。俺に遠慮してるのか?それなら心配いらない。俺はもう一人でやってい
ける。…お前たち…」
皮肉に聞こえないか、ずいぶんと気を遣ったつもりだった。が、オダは最後まで聞かず、
慌てて首を横に振った。
「違う。そんなこと言わないで。健がそんなこと言ったら、ジョーが可哀相だ」
聞いてよ、とオダは居住まいを正した。
「俺は健のことを戦死したと思ってた。頭で分かってても、心がついていかなくて宙ぶら
りんだった。みんながいるのに、健だけいない。みんなは変わらないのに、俺だけ壊れて
いく。堪らなくって、退役した。ぶらぶらして、色んな人と付き合いもしたけど、やっぱ
り宙ぶらりんで、リサに誘われてISOに行って、ジョーに会ってしまった」
相槌も打たず、健は突っ立っていた。
「長官にまで、どっか健に似てる、って言われたよ。嬉しかった。俺は、健になれたらど
んなにいいだろう、って思った。ジョーのそばにいたら、健になれるかもしれない気がし
た。あなたのダミーに、ね」
「ジョーと、今からだって生きて行けばいいんだ。…俺のダミーなんかじゃなく」
「俺がジョーを好きなのは、あなたが唯一信じたひとだから。ジョーの側に居たかったの
は、彼が俺をあなたの代わりにしてくれたから。…ジョーは優しいから、ちょっと勘違い
しかけたけど、彼にだってあなたしか居ない。俺もジョーもあなたに飢(かつ)えてた。
限界だった。ただ、それだけ。あなたは戻ってきた。俺もジョーも、それでやっと救われ
たんだ。これだけは、分かってほしい」
「分かった。ジョーにもお前にも、そのことについてはもう言わない。…だから、ごたく
を並べていないで、ちゃんと俺に会いに来い」
いいか、と健はオダを少し睨んだ。
「お前はそれでいいかもしれないが、俺はお前にまだ借りが残っている。今の俺なら、お
前の助けになれる、辛い目にはもう遭わせない、だから」
生きているなら、と健は言った。大佐の命令で隠れてるのかもしれないが。
「准将は関係ない」
健にとっては、彼は永久に大佐なんだね、とオダはやけに優しげに微笑んだ。
「ケガが治り切らなくて、俺の脳は少しずつ壊れていった。視力、聴力が失われて、言葉
もすんなり出なくなって、いよいよ、何が起こっても不思議じゃないってとこまで来たと
き、ガイアはまだ試行段階だった。俺はガイアの完成をどうしても見届けたかった。手だ
てはひとつ、俺自身がマシーンになること。俺から南部長官に頼んだんだ。マシーンにし
てくれ、って」
ジョーが、人工の臓器と四肢を得たサイバーであることを、健は思い出していた。あの、
ほんのりとした天然ぼうずまでもが。
「健。俺はマシーンになって、ここにいる。ガイアの制御システムは、俺なんだ」
水をかけられたような気がした。
「通常はスリープしていて、俺自身は活動していない。誰かに呼び出されたとき、あるい
は特殊な処理がキックされたとき、覚醒して、アクティブになるんだ」
「ユ…、じゃぁ、ガイアを消去するというのは…」
「健がリサから聞いて来たのはガイアを初期化するもの。俺はガイアの上位にいるから、
健には俺を消すことはできない」
なぜだろう、健は心の底から安堵した。肩の力が抜けるのが分かった。
「俺を消せるのは…」
オダの影が動いた。その両の手のひらが健の首に掛かった。所詮、映像。それ自体は何の
感覚ももたらさなかったが、銃声が反響し、一発の弾丸がオダの頭部を抜け、ボードに食
い込んだ。

「紛らわしいことしてんじゃねえ」
ジョーが銃口を一吹きし、リヴォルバーをズボンに突っ込んだ。


3. JOE−ジョージ・浅倉

−声紋認証OK。耳紋認証OK。指紋認証OK。プロファイル・リード開始します。ユー
ザ・プロファイル確認OK。セキュリティ・オフィサー最高権限確認OK。

一本調子のメッセージが、健とは若干異なる内容で繰り返された。
「俺を消せるのはジョーだけ。いきなり消されたら、健と話せないから、遠回りしてもら
ったんだ」
「二人っきりでデートしたいってなら、そう言やいいんだ。お前が居るなんて夢にも思わ
ねえから、撃っちまったじゃねえか」
呼吸の乱れは微塵も無い。ね、とオダは健から離れ、両の手を腰の後ろに回した。
「ジョーは、健の安全のためなら相手が誰であろうと迷わず撃てる。ガイアの監視が俺な
ら、俺の監視は、だから、ジョーなんだ」
健はジョーから顔を背けた。ジョーは、やはりすべてを知っていたのか。
「ガイアの息の根を止めるプログラムをメモライズしてもらうって、俺は長官からはそれ
しか聞いてねえぜ」
ジョーは吐き捨てるように言って、フンと鼻を鳴らした。
「リサやアレックスは、俺にとっては健やジョーの南部長官みたいな人たちだ。だから、
いくらなんでもと思った。健は、任務となれば迷わないだろうけれど、痛みを残す。ジョ
ーしかいないと判断した」
「俺はそんなに冷たいかよ」
ジョーはオダに詰め寄る。ジョーにとってのオダは、スーツを身に纏った20いくつかの
ビジネスマンの姿をしていた。
「健はこの世界の安寧を願って戦った。ジョーは、何もかもが、そんな健の思い通りにな
れば、と思って健を支えた。それが本当なら、俺がある日突然ガイアを操って暴走し始め
たら、健の願いと裏腹なことをし始めたら、何の疑問も持たず、俺を消すことができる」
健のために、とオダはまた微笑んだ。
「うるせえや。お前に限ってぷっつんすることなんかあるか。俺に殺されたいなら、ヒト
の格好して出てきやがれ。いやというほど、天国を見せてやる」
毒舌を裏切って、ジョーの瞳に悲痛ともいえる色が浮かぶ。チャンスの精には前髪しか無
い、会ったらすぐに前髪を掴まないと、すれ違ったら最後捕らえ所が無く逃げられてしま
う。職場復帰のメールが来たとき、ISO庁舎でカートリッジ・テープを受け取ったと
き、思えば機会は2度もあった。健は元気だ、お前に会いたがってる、すぐ来い。たった
それだけのことを、ジョーは言えなかった。

お前にヒトのカタチを捨てさせたのは、俺だろう?

堪らずこみ上げた思いに、オダの声が即座に答える。違うよ、ガイアの能力をフルに利用
するためには、このやり方が最適だったんだ。
機械の手足なんかそう問題じゃない、とジョーはオダに言ったことがある。オダが、作り
物の臓器や四肢が合わなくて痛い、とぽつんと零したときだった。

ジョーは戦闘員だから、出来の良い体が必要だけど、俺は、脳を少しでも健康な状態で生
かしておくため筺(はこ)だから。手足はいらないって思われてるのさ。

さらりと他人ごとのように言った。自分も最初はちぐはぐだった、ととって付けたように
返した。そのうち慣れる、と背中を叩いた。
叩いてやろうにも、肩も背中ももう無い。撫でてやろうにも、髪も頬ももう無い。

そんな怖い顔しないでよ。オダは笑う。
煩い、生まれつきだ、とまた悪態をつく。
健にしたいと思ってできないでいたことを、片っ端から俺にしてくれたんだよね。
紺色のスーツが揶揄するようにジョーを見る。ジョーは、優しいから。
大人をからかうな、と睨め付けた。

みんなに会えて良かった。ISOに行って良かった。健が戻って来れて、良かった。俺が
ここにある限り、時代があなたたちを戦場に追い立てることは、もう二度とさせない。健
と…。

オダの影が、すぅっと薄れた。
健と…。その後は掻き消え、語られることは無かった。

「てめえばかりカッコ良いことぬかしてるんじぇねえ。ブッ壊すぞ」
ジョーが言ったら洒落にならないよ、と声だけが笑った。
「ガイアをシャットダウンする。再起動は、通常の手順で可能だと、リサに伝えてくれ。
終了処理をランして、完全に停止するまで10分。ガイアが完全に停止すると、この基地
の独自のセキュリティシステムが作動する。10分以内に脱出しないと面倒臭いことにな
るから…って、俺なんかよりよく知ってるか」
生きている、と言ったオダ。この基地そのものの、コンピュータそのものになって、“生
きている”と。
それも『生』の一つの形なのか。ジョーがサイバーになることによって、健がリアクタの
施術によって繋いできた、命と同じものなのか。

髪を乱暴に掻きむしり、頭を振る。健が、呆然と立ち竦んでいた。
蒼ざめた貌を目にして、ジョーは腹に力を入れ直し、腕を鷲?みして引き寄せた。
「行くぜ、健。後はあいつに任せればいい」
「いやだ…だって…」
立ち止まろうとする健を、ジョーは乱暴に引っ立てる。
「10分たったら、俺たちゃほんまもんの曲者扱いだ。オダが寝ちまってんじゃ、容赦無
く急所を狙われる。逃げるが勝ちだ」
「HSを見張るって、終わりがハッキリ見えるもんじゃない…。ずっとずっと見張ってる
ってことなのか…そんな…」
健の呟きは、高熱に浮かされた譫言のようだった。
「コンピュータのするこった。あいつにとっちゃ、そう難しいこっちゃねえよ」
ことさらに素っ気無く応えた。
「俺もジョーも大丈夫だって…、あいつはそのために…、俺は元気になって、お前やみん
なと暮らせて…、でも、あいつにはなんにも無いじゃないか…、そんなのってあるか…」
何も無いとはオダは思っていない、健を見守れること、それがあの命の至福なのだ。ジョ
ーには解る。健には解らない。
「あいつ本人が、それがいい、って言ってんだ、お前がうだうだ言っても仕方ねえ。とっ
とと走れ」
健の慟哭が伝わってくる。ガラスの檻に閉ざされていた分、健の様々な思いは透明なまま
膨れ上がり、行き場所を求めてのたうっている。
利用した、としか言わない健のオダへの思いも、また。
それは無惨に破裂してしまったけれど。

「10分はきついぜ、健!」
走った。振り返りもせず、走り抜けた。

思い扉を押し開けて、基地の上部へ這い出た。晴れ渡った青い空が、二人の頭上に広がっ
ていた。その空に向かって大きく息を吐き、ジョーは通信機に向かった。
「任務完了した」
−おう!二人とも無事か。
「ああ、眠いし腹は減ってるがな」
−待っとれ。すぐ行く。
竜の語尾が安堵感を滲ませて、明るい。目に痛いほどの空の色とあわせて、ジョーに思わ
ず伸びをさせた。
傍らで、健がへたへたと座り込んだ。しきりに目を腕で拭っている。ジョーは知らんぷり
を決め込んで、ポケットに手を突っ込んだ。
任務完遂後の一服は、それこそ天国。が、無い。両の手が、そわそわとポケットを渡り歩
き、最後に舌打ちになった。
「健、煙草、持ってねえか」
「…そいや、入院してからこっち、ず〜っと禁煙だったな」
鼻をすする気配がする。
「最後に吸ったのいつだったっけ?」
「知らねえよ、そんなもん。…要するに持ってねえんだな」
「持ってない。百害あって一利無しって言うぜ。お前も禁煙すれば?」
「冗談じゃねえ…。ヘリが来るまでお預け…違!ああ神サマ…竜も禁煙してんだったー
…」
いつまで禁煙してればいい?庁舎までか。家までか。ジョーは、たまんねえな、と頭を抱
えた。
「竜も禁煙?へえ」
「カノジョが煙草嫌いだから、ってこないだ言ってたろうが」
「そうだったな」
ジョーがいらいらそわそわしていくのに反し、健は最後にひときわ大きく鼻水を啜り上げ
ると両の手を後ろについて、空を見上げた。

「空だけ、変わらないな」
小さく独り言のように言って、それきり健は黙りこくってしまった。

変わらないのは、空だけじゃねえって。

喉まで出かかった科白を呑み込んだ。
今の健ならじきに気づくだろう。それまで、待っていてもいいかと、思ったのだった。

時間は腐るほどあるのだ。

基地脱出までの短い時間、オダはなぜか饒舌だった。
ジョーはそれらをゆっくりと思い起こしていた。体内のナノ端末を通して、健にもあの声
は届いていたはずだ。目を瞑ろうが、耳を塞ごうが、否応無く。

−ガイアは俺の影響下にある。ガイアが知っていることは俺も知っているし、ガイアの言
葉は全部俺の言葉。酷いことも、とんでもないことも、俺が考えることなんだ。これから
何があっても、ガイアと俺を切り離さないでほしい。

お前、機械に着替えて、おしゃべりになったな。

−そう?そうだ、最後にひとつだけ。
−戦争を止められるか、と俺は聞いたけれど、止められる、なんて能天気な答えを欲しか
ったわけじゃない。何年か、何十年か後、ガイアがその頃まだ動いていたとして、同じ問
いかけを健にしたとして、そのとき、健が「きっと」と答えてくれたらどんなにいいか。
−何事にも悲観的な、責任感の塊のような健が、「いつかきっと」と答えられるような時
代(とき)、俺はそれを、いつまでも気長に待とうと思っているんだ。

−さよなら、健。あなたが変わっていなくて良かった。俺の知ってるあなたじゃなかった
ら、俺はガイアと一緒に消えるつもりだった。

−おやすみ、ジョー。本当は、俺は、あなたになりたかったのかもしれないね。


お前はバカだ。大バカ野郎だ。
史上最高のA.I.か何か知らねえが、危なっかしくって見ちゃられねえ。
いいさ。いつまでだってつきあってやるさ。俺は長生きするだろうからな。


**

GAIA(ガイア)。
其(そ)は大地の女神。
其は育む者、慈しむ者。
『地球』の名を、頂く者。


END - THE INVISIBLE
END - Birthday



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