BURST

by もも

隣のパーティションの住人は、今は単身の任務に就いている。だから、今日は偶々居ない。
ただ、それだけ…

はい、ランチ。

キーボード脇に茶色い紙袋がかさりと降りてきた。

サンドイッチだから、作業しながらでも食べらるわ。ちゃんと食べてね。コーヒーがホッ
トのうちにどうぞ。

碧色の瞳を細め、少しぎこちない微笑にすると、じゃ、と彼女は立ち去った。
もう昼なんだ、
と、のろのろと手を延ばして、袋を摘んで引きずり寄せ、紙コップだけを取り出した。薄
いプラスチックの蓋を剥がすと、茶色の滴がデスクに垂れた。構わず啜ったコーヒーは、
少し温かった。
クロスカラコルムから帰還して此方。膨大な事後処理に忙殺される毎日が続いていた。オ
フィスに簡易シャワーと仮眠室があるのをいいことに、殆ど帰宅もしていない。

そう、みんながみんな多忙を極めている。博士だけ、自分だけではない。デスク・ワーク
のみならず、庁の復興関連の作業も山積している。博士は文字通り走り回っている。
今、あいつは博士の運転手をしている。連日、連れ回されてオフィスに顔を出す暇など無
いのだ。いくら俺でもケツが痛いぜ。と笑ってそのドアをくぐって顔を出す。報告書作成
よりは運転手のほうが性にあってるんだろう、とやり返すと、肩を竦めてPCの電源を入
れるのだ。溜まりに溜まった書類をやっつけるために。

今、姿が見えないのは、だから、偶々なんだ…

コーヒーを半分かた空けると、まっすぐディスプレイに向き直った。書類は山ほど残って
いる。そうそう片づくものではない。他にも、新メカの打ち合わせに入らなくては。博士
の護衛に加わる必要も、あるかもしれない。

長い日が僅かに傾く頃、席を立った。それを待っていたように、軽い跫音が駆け寄ってきた。

兄貴、今日はもう上がりかい?
とりあえず家に帰る。着替えも取って来なきゃいけないしな。
今日は、みんなで晩飯食わないか?おいら、腕奮ってご馳走するから。

みんな。みんな、って。

ちょっと寝が足りないから、今日は早寝する。悪いな。
そうかい?…じゃ、またこの次な、兄貴。

ミンナ、って誰のことだ。ミンナ、って…

逃げるように、オフィスを後にした。
崩れた壁ごしに巨きな木が、白い花をたわわに付けて風に大きく靡いていた。いつこんな
に咲いたのだろう。ついこの間までは枯れ木みたいだったのに。
足を止めて仰ぐと、淡くクリーム色に膨らんでのしかかって来る。
木や花は、次の季節の到来を神と約束している。約束を違えることなく、結実し、種を蒔
き、朽葉の間から新芽を吹く。堅い皮を破って若芽を萌やす。神もまた、過たず、曇りの
無い光と慈愛の雨を彼らに注ぐ。
おいでおいでと枝が揺れる。約束通りに季節は巡る。去った光は必ず再び帰ってくる。疑
うなどと、何と愚かなこと。

エデンの園を逐われてから、ひとはその約束を永遠に見失った。
頭では分かっている。けれど、心が付いて行かない。

済まない、みんな…。

ああ。みんな、って誰なんだろう。

主の不在が続く家は、それでも、常の通り健気に待っていた。
そう。夜になれば賄い方が現れる。灯りが点り、家が家として機能し始める。
お前、台所は廃墟で、冷蔵庫は立ち枯れてるじゃねえか。おい、このチーズ、何時のだよ。
やがて暖かな良い香りが立ちこめる。よくある週末の情景。

よく、あった、週末の情景。

涙が込み上げてくるのが分かった。頭を激しく振り両の手で頬を叩いて、堪えた。泣けば
認めたことになる。見て、触れたものしか俺は認めない。畜生。
膝から床に崩れ落ちた。洗い晒しのシーツが白く大きい。ベッドに頭を突っ込んだ。あい
つは今居ない。今週末はレースで遠征か。いや、ちょっとそこまで出てるだけ。そう、
偶々居ないだけ。

なあ、お前、いつまでそうやって嘘吐いてるつもりなんだ。女々しいぞ。

寒気と頭痛。言い様の無い悪寒。
電話が鳴った。虚ろにベルの音を数えた。きっかり十回。
きっと、あいつだ。
何やってるんだ、って直ぐに来てくれる。
肩を抱いてくれる。
頬を撫でてくれる。
キスしてくれる。

ひとの動く気配がした。ヤッパリキテクレタ?
一体、どうしたんじゃ。具合悪いんか。こら、病院行くぞ。
軽々と体を持ち上げられた。
な〜んか気になって覗いてみたら、案の定じゃ。このバカ、過労じゃ。


ミンナ、ゴメン…


デモ、ドウシテオマエジャナインダ…
ドウシテ。
ドコニイルンダ。
ドコデ、ナニヲシテイルンダ。


END



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